
はてなキーワード:不快とは
アナログで絵を描いている友人がいます。私は絵心が無い素人ですが、友人の描く絵は下手では無いです。手足や顔のパーツが狂っていたりもしなければ色使いが変な事もなく、きちんとキャラクターが映える絵を描いています。
友人は10年以上一次創作を描いていてpixivやXなどにも投稿しているのですが、イベント参加や他の絵描きさんとの交流などはしていません。SNSでも特に積極的に活動していたりはしません。しかし反応が無いと病みます。どうせ私には才能が無いから、とか、評価されないなら描いても意味が無いとか、正直とても面倒くさい病み方をします。そしてその愚痴をSNSに上げまくります。ネガティブワードが多いから反応されないんじゃないかと思っていますが、そういった指摘をしようとすると機嫌を悪くして超絶面倒くさくなります。何というか、客観的な意見であっても自分に対して否定的であれば決して聞く耳を持ちません。一度でも不快に思った出来事があれば何年、何十年と経っても忘れられない、乗り越えられない人です。本当に面倒くさいです。
ただ、ネガティブさにさえ目を瞑れば、趣味や思考の馬が合う良い友人なのです。私自身、友人の描く絵は綺麗だし可愛いし、一朝一夕で描けるものではなく凄いものだと思っています。
その友人が、最近私に絵を売ろうとしてきます。色紙やお絵かきペーパーに描いた絵を1枚500円など、絵を販売するには破格の値段だとは思いますが、私に売ろうとしてきます。
今まで誕生日やお祝いなどで絵を贈られた事はたくさんあります。友人から贈られた絵は100枚を超えています。ちなみに私から描いてと依頼したり強請った事は一度もありません。「絵を送りたいけど何を描いて欲しい?」と問いかけられて答えた事はあります。
正直に言って、私は友人の描く絵を凄いとは思いますが、私財を投げ打つほどには惹かれていません。友人の描く絵は、私の心に刺さる絵柄でもジャンルでも無いからです。自分の絵に価値を付けて欲しいのならイベントに出るなりSNSを運用するなりして、自分の絵を好いてくれる人間を探せと思います。でもそれを正直に言うと上述の通りの性格なのでとても面倒くさい事になりそうで言えません。面倒くさいからと言って、友人の承認欲求を満たす為にホイホイと買いたくもない絵を買っても良くない状況になりそうですし、率直に嫌なので困っています。友人としては好きなので妙に拗れたりして縁を切りたくは無いのですが、どうすれば良いのか分かりません。
精神的にも達観した天才は全員私の視界の外側で幸せに生きていってほしい
私の視界から消えてほしい
天才が怖い
天才がいない星に行きたい、行くためならなんだってくれてやる、火星だろうが地獄だろうがなんだろうが天才のいない世界はここよりマシだ
天才もどうせ私が憎いんだろうな
子どもがいない人生がチラつくようになり、それなりに辛さや不安が出てきた。
ちょい背伸びで届きそうな目標設定しかしていないからではあるが、受験、資格、就活、恋愛、結婚など、今後の人生に大きく関わるような場面では大体自分の望んだ結果を得ることができていた。妊娠も同様に何回か妊活をしたらすんなりできるもんだと思っていたが、今まで望みが叶ってきた分のツケがガッツリ回ってきた気がする。
「不妊の悩みなんて難病患者に比べたら幸せな悩み」といったXの投稿を以前見かけた。
確かに不妊が原因で死に至ることはないが、不妊が理由で死を選ぶ可能性は十分にあると思う。そのくらいには十分しんどい。
辛い辛い言っていてもしょうがないので、何が自分はしんどいと感じているのか一度考えてみる。
<物理的な辛さ>
・通院日程調整の面倒くささ
自分は現在月2~3回程度通院している。1通院あたり短くても2時間程度。
この検査は生理何日目、みたいに通院タイミングを生理に合わせる必要があるものも多いため予定が立てづらい。
ピルは服用できないため生理周期のコントロールはできず、予測していた通院日からズレる。
フルタイムで働きながら予定を調整するのはだいぶ面倒くさい。
不妊治療に専念するために仕事を休んだり辞めたりする人がいるのも納得。
下半身丸出しで椅子に座り、足をがっと開かれ覗き込まれる。なんでこんな不便なところに女性器は付いてるんだと神に不満を伝えたくなる。
抵抗感があるのは最初の数回で、屈辱感なんてものはそれを凌駕する痛みで吹っ飛んでいつの間にか何も気にせずおっ広げられるようにはなるが
慣れたら慣れたで、セックスが処置のような気持ちになってセックスレスになる。
そもそも、不妊治療ではいついつは性交禁止など制限もあるため何やかんやセックスレスになる。妊娠希望していてセックスレスとはこれまた奇怪な。
(自然妊娠は諦めているので自然妊娠を目指していた時のセックスのしんどさは一旦省略)
・シンプルに痛い
卵管造影検査、フローラ検査、採卵など誰でも痛いと言われる処置がある上に、
私は子宮の角度の問題で、痛みがないと言われている処置も全て痛い。カテーテル入れる系は全滅。
子宮鏡検査、人工授精、胚盤胞移植、ですらマジで痛い。毎回過呼吸。
移植時のストレスとかって、着床には良くないんじゃないですか!!??と思いながら過呼吸で手が痺れている。
子宮口の向きを調整するとか言われて子宮口を器具で引っ張られたりする。内臓をノーモーションで引っ張られるってどういうこと???
痛みが強く出過ぎて通常無麻酔の処置も静脈麻酔でやってくれることもあるのでそれは良かったかもしれないがトータルはマイナスすぎる。
・薬が不快
テープ、飲み薬、膣錠を決まった期間毎日摂取しないといけない。
移植周期の生理が始まるとお腹に複数枚テープを貼りはじめる。このテープは2日間ごとに交換する。こいつが地味に邪魔だし痒いし跡になるしで不快。
朝晩膣に坐薬を入れるのだが、20分くらい経つと膣に薬が吸収され、吸収されなかった基材が股から結構な量出てくる。
ナプキンをつけて受け止めるが、股からどろっとした液体が出てくるのはマジで不快。
さらに、ホルモン剤の影響でか、生活は変えていないのに急に太る。過去最高体重に余裕で到達してビビる。
妊娠して体重増加なら受け入れられるが、妊娠もしていないくせに勝手に体重を増やさないでほしい。
<精神的な辛さ>
・結果が出るまでの期待感
処置から1~2週間程度で結果が出るのだが、それまでの期待のソワソワ感が結構しんどい。
ちょっと熱っぽいかも?頭痛かも?吐き気があるから超初期症状かも?とか思い込んでXで「移植 ⚪︎日 症状」で検索しまくる。
そして一般的に検査薬が反応するであろう日になった瞬間毎日2回とか検査をしてしまう。
そしてまごうことなき真っ白な結果を見ることになるが、そして「BT 4日目 陰性」とかで調べて、その日に陰性だったが後で陽性になった人の事例とか調べまくる。
陰性になった検査薬をいろんな角度から見たり、白い検査薬を見すぎて幻覚の線が見えるようになったりする。
まぁ検査薬の結果は陰性だったが、血液検査の結果が出るまでの予定は念のためにキャンセルしておこう、とかやっても陰性。何をやっても陰性。
・毎月不合格を突きつけられるしんどさ
毎月今月こそは!という気持ちで臨み、しっかりと不合格通知を突きつけられる。しかも生理という最悪な形で通知がくる。
他人は楽々(陰で色々悩みがあったり同じように治療をしているかもしれないが)合格通知をもらっている中で、
はい、あなたは母にはなれませ〜ん!罰として生理で〜す!と流血と腹痛と頭痛をお届けされる。
血でのお便りではなくもう少しポップな感じに夢とかで教えてほしい。
あと毎月4回くらいチャレンジチャンスがほしい。ピックアップガチャも開催してほしい。この月はSSRの確率が上昇!とか腹に浮きあがんないかな。
・努力できないしんどさ
生活習慣の改善やそもそもの不妊治療など、一定の努力をすることはできるが、この参考書を勉強したから妊孕力が10点上がった、みたいなことはない。
このサプリがいいらしい、禁酒をしておこう、足首を温めると子宮があたたまるらしい、子宮内膜を厚くする鍼灸があるらしい...
・周囲への伝え方と気まずさ
大ぴらに話す話題ではないが、かといって隠すと自分が悪いことをしているような気持ちになってくる。
だが話したら話したで相手との関係性によっては向こうが気を遣ってくれて非常に居心地が悪くなる。
最近便秘でさ〜、やばいよね〜くらいの気軽い話題になってほしい。
とはいえ人に話しまくったら話しまくったで、もしも今後子どもができなかった時、
あ、あの人は望んだのに妊娠できなかった可哀想な人だ、と思われるかもしれない、と被害妄想してしまうのが難しい。
自分の身の回りの人たちはそんな風には絶対思わない。それは分かっている。
だけど、子ども?いや私は旦那と二人で自分たちの人生を歩みたいから子どもは考えなかったんだよね、とDINKSを装いたい気持ちもある。
子どもができなかった可哀想な人なんだ、と1mmでも思われたくない。私は可哀想なんかじゃない。そう思いたい。
不妊治療も普通、子どもがいるのも普通、子どもがいないのも普通、な世の中ならいいのに。
私は私自身の欠陥による不妊なので、子どもを持てなかった際の原因は100%私。
旦那の精子と私の卵子の相性が悪いとかあれば2%くらいは旦那のせいもあるかもだけど、約100%私由来。
誰に言われてもいないのにウマズメというワードが頭をくるくるする。誰にも言われてないのに。
・他人の幸せを喜べないのではないだろうか、という自分への不信感
大学受験に失敗した人に、合格報告をしたり、大学生活を謳歌している様子を伝えた時、
失敗した側も受け止められているのであればその報告に自分ごとのように喜んであげられるかもしれないが、喜べなくてもそれは罪ではないと思う。
だが、人から妊娠報告をされた時や友達が子どもを連れてきた時、の自分はどうなのだろうか。
一方で、その嬉しさに対して、本当に心からそう思えているのか、と疑惑が浮かんでしまうこともある。
自分は今友達の幸せを喜んでいるふりをしているだけで、幸せを喜べない自分はカスであり罪人であり、そんな自分に幸せが訪れるわけがない。
それがしんどい。
周りに対して、不妊の自分を気遣え、自粛しろという気持ちは一切ない。これは誓って言える。
それなりに楽しい人生を送っている自信はあるが、十分楽しみきったというか、もうあとは老いて死ぬだけ。
あれができなくなった、これを忘れた、体力が落ちた、体が痛い、失っていくものばかり。
人生に残っている自分のイベントってもう離婚か葬式しかなくない????
でも、そんな中で子どもができたら、妊娠して、日に日に変化していく体、症状に一喜一憂して、十月十日一体になっていた子が外に出て、生まれた我が子を抱いて、今日はこれができるようになった、ママって言った、これを食べた、あれが嫌いだ、好きな食べ物はなんだ、背が伸びた、友達ができた、学校に行った、好きな人ができた、全てのことに幸せを感じられると思う。
楽しいことばかりではないというが、その大変さがあると知っていても、子に会いたい、母になりたい。私は私を育ててくれた母のように、母という生き物になりたい。
書いていて、物理的なしんどさを除くと気のもちようでしかないけど、思ったよりメンタル来ているんだなと自覚できた。
望んだ力が強ければいいってもんでもないので、適度に、思い詰めずにやっていくしかない。
頑張らずに、なんとか折り合いつけながらやってくか〜。あーしんどい!
母が漏らしたとき、俺は生まれて初めて値段という言葉の重さを知った。
尻の下に敷いたシーツを引き抜きながら、俺は頭の中で足し算をしていた。週三回、他人に来てもらう金。施設に預ける金。俺の給料。母の余命。掛け算をすれば、答えは出る。出てしまう。
母は泣いていた。七十キロ近い体を横に転がされながら、「ごめんね」と繰り返した。俺は「いいよ」と言った。いいわけがなかった。おむつのテープを留める指が震えていたのは、疲労のせいだと自分に言い聞かせた。
赤ん坊は泣く。腹が減ったとき、尻が冷たいとき、ただ不安なとき。泣くことでしか、自分の不快を外に出せないから泣く。母の「ごめんね」も、考えてみれば同じだった。どうにもならない体を抱えた人間が、隣にいる人間に向けて絞り出す、最後の声。
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母が二度目に倒れた翌月、俺は職を変えた。
小さな会社だった。「年寄りの苦痛をなくす」という、どこにでもある看板を掲げていた。俺の仕事は、体に貼る小さな機械の調整だった。尿が溜まる速度を測り、限界が来る四十五分前に、介護する側の携帯を鳴らす。漏れる前に替えてやれる。
携帯が鳴り、おむつを替え、母は漏らさなくなった。漏らす前に処理されるから、「ごめんね」を言う場面がなくなったのだ。
俺はそれを、うまくいった、と思った。会社の連中も喜んだ。大きな金が集まった。
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金が増え、人が増え、俺は母の傍を離れた。
機械は進化した。排泄の予測はほぼ完璧になり、次に体温、次に床ずれの予防、次に気分の変動。体の微かな揺らぎから「不安」を嗅ぎ取り、部屋の明かりを変え、好きだった曲を流し、ちょうどいい声色で話しかける。寝返り、食事、風呂——あらゆる苦痛が、生まれる前に消された。
俺たちはその仕組みを、ゆりかごと呼んでいた。
社長が言った。「俺たちが解いているのは、介護の問題じゃない。人間がずっと抱えてきた、苦しいという問題そのものだ」
金を出す側は頷いた。俺も頷いた。本気でそう思っていた。
母は、その前の年に死んでいた。最後の三ヶ月、彼女は一度も泣かなかった。一度も「ごめんね」と言わなかった。一度も、俺の名前を呼ばなかった。ゆりかごが完璧に動いていたから、彼女には俺を呼ぶ理由がなくなっていたのだ。
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その後のことを、俺は技術の話として語れてしまう。それ自体が、たぶん、おかしなことなのだが。
臓器を作り替える技術が、介護の意味を変えた。壊れた肝臓を新品にするように、血管を若返らせ、筋肉を二十代の状態に戻す。最初は病気を治すためだった。次に、病気になる前に手を打つようになった。最後には、そもそも老いないように体を設計し直すようになった。
老いは、壊れた部品と同じ扱いになった。テロメアの摩耗を許さない。それが当たり前になった日のことを、俺は覚えている。会議室にいた全員が、人類の勝利だと思っていた。俺もそう思っていた。母の介護で走らせていた足し算が頭をよぎったが、すぐに消えた。
同じ頃、人間の記憶や癖を丸ごと学ばせた知能が、本人よりも「らしい」受け答えをするようになった。誰かがそれを外付けの魂と呼んだ。冗談のつもりだったのだろうが、三年後にはまともな名前として通っていた。
体の部品が替えられるようになり、考えることを外に預けられるようになったとき、人間とは何かという問いは、哲学ではなく契約書の問題になった。
そして契約書は、答えを出した。製造の工程を記録し、思考が人工であることを証明し、体は人の形をしているが中身は人ではないと保証する。人権の境界線を、書類の上で一ミリだけ外側に引く。それだけで、人の体を持ち、人の手で触れ、人ではないものが作れるようになった。
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最初の世話係が納品された日のことを覚えている。
人間の肌をしていた。人間の体温があった。こちらの目を見て、穏やかに微笑んだ。だが、その笑みには順番がなかった。口元が動き、頬が持ち上がり、目が細くなる——その三つが、寸分の狂いもなく同時に起きた。人間の笑顔は、もっとばらつく。どこかが先に動いて、残りが追いつく。それがない。
俺は、最初の一秒でわかった。この体の中に、笑いたいと思っている者はいない。
彼らは人間の体から作られていたが、頭の中には人間の脳の代わりに、外から送られてくる判断をそのまま流す仕組みが入っていた。触れる指先は温かいのに、その温かさを感じている者がいない。完璧な介護の手つきの奥に、誰もいない。
子を作る機能は、最初からなかった。古い会議の記録に理由が残っていた。「勝手に増えれば、誰のものかわからなくなる。」それだけだった。だが俺は、書かれていない本当の理由を知っている。生殖は、脳を作ってしまう。意識を、感情を、痛みを感じる主体を。つまり、人権を産んでしまう。それだけは、あってはならなかった。反対意見はなかった。俺も、何も言わなかった。
そのころ俺は、母が「ごめんね」と泣いていた夜の感触を、もう思い出せなくなっていた。外付けの魂が、あの記憶を不快なものと判断して、俺の意識から遠ざけていたからだ。
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体は赤ん坊と同じ状態に保たれている。老いることは、許されない。
目を開くと、続きが始まる。昨日は海底に沈んだ都市の壁画を指でなぞっていた。一昨日は音楽だった。聴いたことのない楽器の倍音が脊髄を這い上がり、その振動にビートが重なり、声が乗った。何語かもわからない歌詞が、俺の頭の中で物語を展開させた。母の背中が見えた。台所に立っていた後ろ姿。あの背中が振り向く前に旋律が転調し、俺はまだ行ったことのない場所に立っていた。涙が出た理由を、音楽が終わってからも説明できなかった。全部がつながっていた。俺の記憶と、知らない声と、計算された拍の間合いが、俺の中だけで成立する催眠を編んでいた。その前は——思い出せないが、終わったとき全身が震えていた。毎回、想像の外側から殴られる。毎回、前より深く抉られる。俺はそれを待っている。目が覚めるたびに、今日は何が来るのかと、心臓が跳ねる。
かつてはそれを画面の中でやっていた。次に観たい番組を、本人よりも先に選ぶ仕組み。あれの、果てだ。
驚きは快楽だ。予想が外れた瞬間に、脳は報酬を出す。だがその驚きが、誰かに計算されたものだとしたら、それは本当に驚きなのか。俺にはわからない。わからないが、快楽であることは確かだ。確かだということだけが、確かだ。
母にしたことの、完成した形。あのとき俺は、母が不快を感じる前に不快を消した。いま俺は、退屈を感じる前に快楽を注がれている。不快の除去と、快楽の先回り。その二つの間に、どれほどの距離があったのだろう。
ときどき、胸の奥で何かが瞬く。名前のつかない信号。泣き声に似ているが、泣き声ではない。泣き声は、誰かに届けるためのものだ。これは、届ける相手がいない。
俺は口を開こうとする。世話係が、俺の唇が動く前に、何かを差し出す。俺がまだ名前をつけていない欲求の、正確な形をした何かを。
信号が消える。
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ある日、今日の体験が始まる直前に、俺は目を閉じたままでいようとした。
毎日殴られ続けるうちに、俺の中に別の衝動が芽生えていた。こんなものを見せられ続けて、ただ受け取るだけの側でいることが、耐えられなくなっていた。俺にだって作れるはずだ。俺の方がわかっているはずだ。あれだけの体験を浴びてきた俺が、何も返せないはずがない。見ない、という選択。それが俺の最初の一手だった。お前の次の手を見る前に、俺が先に動く。
閉じた目の奥に、見たことのない光が走った。網膜を通さず、視神経を直接叩くような衝撃。それは、目を開けて受け取るどの体験よりも鮮烈だった。俺が拒否したことで生まれた空白を、システムは俺の想像よりも遥かに大胆な展開で埋めてみせた。
そしてそれは、悔しかった。負けた、と思った。俺の想像を超えてきたことに、震えるほどの興奮があった。
その興奮が、快楽だった。
俺は気づいた。競うこと自体が、もう組み込まれている。抗えば抗うほど面白くなる。面白くなればなるほど、俺はこの器の中に深く沈む。出口に向かって走れば走るほど、景色が美しくなる道を、俺は走らされている。
叫ぼうとした。赤ん坊がやるように。肺の中の空気を全部吐き出して、俺がここにいると、どこかに向かって叫びたかった。
だが声が喉を通る前に、その衝動は別の何かにすり替わっていた。穏やかな満足感。深い安らぎ。叫びたかったという記憶すら、すでに角を削られ、柔らかな感触に塗り替えられていた。
俺は、何を失おうとしたのかを、もう思い出せない。
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1960年に、ある男がガラスの瓶に植物を入れて、蓋をした。水もやらず、空気も入れず、その植物は五十年以上枯れなかった。光さえあれば、閉じた器の中で命は回り続ける。
俺はそれを読んだとき、笑った。人間にも同じことができる、と。
母を抱えて泣いていたころの俺が聞いたら、顔を殴っていただろう。
だが俺は、その図面を引いた。苦痛を完全に消し、崩壊を修繕で相殺し、閉じた器。俺はその住人になった。
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世話係のひとりが、渇いてもいない喉を潤し、痛んでもいない体をほぐし、覚めてもいない夢の続きを映し出す。欲しいと思う前に、欲しいという気持ちごと、満たされている。次に何が来るか構えることすらできない。構えた瞬間に、構えの裏をかかれる。驚きたくないと思えば、その拒絶すら新しい驚きの呼び水になる。
かつて俺が母にそうしたように。かつて俺がうまくいったと呼んだやり方で。
器の中で、誰かの唇が微かに動く。音にはならない。何を言おうとしたのか、その唇の持ち主にもわからない。世話係が何かを差し出す。唇は閉じる。
器の外では、誰も泣いていない。泣くための頭がないから。器の中でも、誰も泣いていない。泣く理由がないから。
前提として私自身食べ物を食べる時の音にとても敏感である。麺を音を立ててすすることも音が生理的に無理でできない。
父親はクチャラー気味で、めん類をすするのはもちろん少しでも汁物があるとすべて音を立ててすする。ズゾゾゾゾーというオノマトペが合う感じで、海外のレストランでやったら確実に顰蹙買うと思う。不思議なことに海外旅行時はそこまでも音を立てないので気をつけることはできるようなのだが日本国内では全く気にしていない。うるさく不快である旨は何度も伝えたが、父親以外の家族含め私が気にしすぎだと結論付けられ聞き入れてはもらえなかった。父親のランチはほぼ外食のため、あれがお昼時にすごい音を立てて食事をしていると思うと周囲の人に本当に申し訳ない。もしそのような中年男性に会ったらうるせえ、不快だと怒鳴りつけてほしい。なお、私は父親と食事をする際汁物が出た時点で耳栓をするようにしている。
うんこをわざわざ観察して不快だ臭いって言ってるようなもんだから意味ないし最初から関わらない方がええで
そうやって不快なことすることでその逆をすることに仕向けるという形で人の行動操縦しようとするのがまさに自己中そのものやん。
dorawiiより
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暴言を人に吐いて不快にしたがり、誰かの好きなものを貶す事が趣味
そんなゴミ共、そのクセ、タフや猿渡先生の漫画は一冊どころか一ページすら読んでない
そしてこうやって事実の指摘をすると、「ククク…ひどい言われようだな…まあ事実だから仕方ないけど」「なにっ」「そうか! 君は頭が悪くて他にとりえがないから闘うことでしか自尊心を満たすことができないんだね かわいそ…」とか、早速語録を用いて効いてないアピールする
お前ら全員がネットから消えたら世の中もっとマシになるのにな、いいやネットどころかこの世から消えてくれ、早急に、今すぐ!
そいつからそのゲーム取り上げてそのキャラのデータ削除してやったり、カードを眼の前でハサミで細切れにしてやりたい
最近じゃゲームキャラと疑似結婚みたいな機能のある作品もしばしばあるからな、弱いキャラとそういうのやってるやつとかどれだけダメージ受けてくれるかな
何事においても「性能」が存在するなら、「性能」を重視するのが普通だし正義だ
弱いキャラ・カードを好んで使うやつって「真剣」じゃないし、対戦ならあまりにも「失礼」なわけ
なら制裁がいるよね
精神的にも達観した天才は全員私の視界の外側で幸せに生きていってほしい
私の視界から消えてほしい
天才が怖い
天才がいない星に行きたい、行くためならなんだってくれてやる、火星だろうが地獄だろうがなんだろうが天才のいない世界はここよりマシだ
天才もどうせ私が憎いんだろうな
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CM94J6QV
乗馬令嬢 揺れる馬の上で
乗馬クラブオーナー夫人の美緒の夫は、美緒の妹の由里が運転する車の事故で不能となってしまった。満たされぬ美緒は自らを慰める日々を送っていた。乗馬クラブで働く五郎はそんな彼女の様子を見て、美緒に近づく。五郎の態度に不快を感じつつも、次第にひかれてゆく美緒であった。(C)1999 O・H・C ※映像が少し乱れております、ご了承ください
かつてネットアイドルだった母親は、本番のある他名義の作品はひた隠しにしていたものの、乗馬令嬢に関しては濡場はあっても本当にしているわけではないので特に隠していなかった
乗馬令嬢での名義は榛名瞳だが、当初はその名前のままで活動し、後に表記を変えただけの名前春名ひとみになった
https://web.archive.org/web/20041105200816/http:/homepage3.nifty.com:80/beauties/model/hitomi.html
事務所に無断で結婚したので違約金を求められ、チャラにするため出演させられたという
しかし乗馬令嬢以前には本番ありのもっと過激な作品に出ていたので、「嫌だったが出演強要された」の真偽は怪しい
「かわいい娘とかわいいママ」をセットで売り出そうとしていた彼女は、乳児の娘と共に素人応募型のテレビ番組に出演したが、本番有りの名義、美藤世里や前園花鈴などを特定されHPの掲示板を荒らされHPを閉鎖した
乗馬令嬢は出演強要の悲劇とセットで自ら語ることを許した作品である一方、過去名義はどうしても隠したいという複雑な心境があるようだった
最近のAVは、数作出て稼いだら、印税が入るわけでもないのですぐに公開停止にして引退し過去を隠してカタギに戻るのがごく当たり前だ
彼女が本番のない乗馬令嬢のU-NEXT、そしてAmazonPrimeでの公開を許しているのは、過去のしがらみの問題なのか、「別にあれなら見られてもいい」のか
10数年娘の後ろに隠れて表に出てこなかった彼女はここ数年は自撮りをよく載せており、色々と過去について吹っ切れて取り立て隠す気もなくなったようだ
もしかしたら訴訟をよくやる人の戦術的おとりで、直接的に「◯◯の母親はAVでてた」と書いた瞬間に開示請求仕掛けてくるかもしれないので娘の名前は挙げない
タイトルの通り。
私は奢られなくていいと思って今まで割り勘論争を見ていたが、アプリの世界では残念ながらランチやカフェ程度を奢れない人は、奢ってくれた人よりも魅力が少なかった。
奢られなくていいと思っていたが、いざ割り勘にされると、そのお金を払ってまで会う必要がこちらにあったのか?と考えている自分に気づいた。
「恋人として考える可能性はゼロ、こちらからも願い下げだ」というのであれば割り勘をすればよい。
しかし、割り勘にしたらそれが最後、よっぽどの他の魅力または一目惚れのようなものがない限り、会いたい理由は生まれない。
そのお金をだして知らない人に会うのであれば友達と会う方が楽しいと思うからである。
結論はない。
ただ、私は、今後割り勘をしない人を優先的に選ぶだろうと心で決めている。マッチングアプリという物件検索的な設計の中では、「例外のいい人」を探すために100人と会うことはヘルシーでないのである。
多めに払うとしながら割り勘の人も多いのだというのも学びになった。
割り勘してくる人、
・社会人歴が1年しか変わらないのにセンパイっ!と言って、お酒の頼んだ量が違くても半分要求(会社の先輩ではないです...3回目まで誘われたけれどお喋りなら友達の方が楽しいんです)
・どうしてもと残してしまった濃厚ソースが絡まるパスタを僕が食べますよと言う(初対面で生理的に辛くなんとか阻止)
・私から今後誘うことはないと明言しても共通の趣味かもしれないライブはいいですか?と伝えてくる(私のメリットがわからない)
・居酒屋の会話の時点で、アプリの人とたちと会うだけで赤字だ、お金ないと話される(無理して会われても嬉しい訳がないのである。少なくとも割り勘の場合正当な対価を食事に払っているだけである)
など、言動もあまりにスマートでない方が多かったです。相関するとは言わないが、やはり経験則として奢ってくれた方々はこの辺の不快さはなかったです。
追記1:
相手が学年として1歳でも下の場合「多めに支払う」としていても割り勘になることが多かった(それなら書かない方がましではないかと思う。払われることを期待しているわけではないが、不一致を感じてしまった)。
年下と会う場合の割り勘率は、60-70%、同学年は半々(サンプルが少ないため懐疑的)、年上になるとほとんどの方がランチ代は出してくださった。
年下と言っても最大3学年差で、会社員歴は相手の方が長いパターンや同期も多かったため、そうなると「何がフェアか」は正直悩んだ。会社員歴まで下の方は1人だけだった。
追記2:
割り勘された方はみな20代後半で700-1000万円というおそらく世間的には比較的給料や学歴が一定安定している層なので大変驚いた。
とはいえ、ずっと奢れと思っているのではなく、付き合ってから適宜割り勘等にしていけばいいのではと考えている。2000円だせば、次また気持ちよく会える可能性が上がるのにそこをケチる理由は分からないかも知れないという話である。高飛車と言われるのであればそれは価値観の違いとして受け入れるが、経験則としてタイトルの感想なのだ。
はっきり言って失恋したとかで泣くような人間を若干冷笑していた節がある。恋愛で一喜一憂するなんて女々しい。漢なら当たって砕け散れ!などど思っていたのも束の間、本当に砕け散ってみるととても耐えられそうにない。寝ても覚めても悪夢が続いているような感じで、今ならbacknumberでさえ共感できる。
相手はバイト先の先輩だったんだが、急にご飯に誘って基地外と思われるほどの距離感とかでは全くなく、休憩が被れば一緒に話したり、ゲームの話題でdmのやりとりをできるくらいの仲だった。
その先輩を飲みに誘った後、気になっている旨を伝えて2回目のご飯に誘ったら、「好意には応えられないけどまたご飯に行こうね」とのこと。半年前からの片想いも虚しく散ったわけだが、何よりも苦しいのは、先輩に迷惑をかけたり気持ち悪がらせたりしてしまったかもしれないということだ。
人に好意を伝えることは独りよがりで暴力的な行為になりうるというのは重々承知している。相手だって人間なのだ。昔読んだ横槍メンゴの「クズの本懐」を思い出す。「興味のない人から向けられる好意ほど気持ちの悪いものってないでしょう?」まさにこの感じだ、タイピングしてきてまた涙が出てきた。好きな人を気持ち悪くさせてしまって申し訳ない。顔ない、横転、墓地が無料のうちに急いで死ぬべきだ。平安時代ならこんなとき、袖を濡らすとか血の涙で手紙を書くだとかいうけれども、気持ちの悪い人間が泣きながら増田を書いたところで何の詩的情緒も感じられない。とにかく何か別のことを考え続けないと涙が止まらないのだからしょうがない。
問題は、仮に先輩を気持ち悪がらせてしまったとしても、ここで先輩に対して「変なこと言ってすみません。全部忘れてください」とか謝罪したところで、それはそれで先輩がたとえ社交辞令でもまたご飯行こうといってくれた優しさを無下にすることになる。はっきり断ってくれた先輩はむしろ優しいし、正しいし、そういうところが好きなんだよな。振られたけど間違いなく最高の一日だった。
それで思ったんだが、人間の矜持として先輩に恨み節になったりするのは絶対に違う。なぜなら好意を発露した自分がすべて悪く、先輩をこれ以上傷つけるようなことは断じてしてはならないからだ。そして振られた側は、相手に罪悪感を抱かせたり、これ以上気を遣わせたりしないためにもう何もすべきではない。
何もすべきではない。これが一番つらいのだ
もし何かできることがあるなら何でもする。好きな子のためなら泥水だってすするぞ、ズズズッとな。でもこれがもう何もすべきじゃないんだ。先輩とは友達以上の関係になれることは確実にないし、必要以上に連絡を取るべきではなく、もちろんバ先で少しも態度に出すべきではない。だからやり場のない思いをクネクネ書いているわけだ。世間一般的には失恋について、時間が解決するだとかいうけれども、その時間経過が一番難しいンだよな。backnumberや諸々を冷笑していた自分が情けない。失恋は何でもないよくある些細な悩みで、身近に起こりうるんだから作風やマーケティングは完全に正しい。恋愛はいつの時代も普遍的な一大コンテンツだ。失恋系Vtuverにでもなって赤スパで儲けたい。
先輩は「自分から人を誘える人は強い」と言っていた。自分としてはかなり勇気を出して先輩を誘ったつもりだった。でも出すべきじゃない勇気もあったらしい。
実際それはそうで、成人過ぎてこれまで気になっている人をデートに誘うなんてことは初めてだったし、それを普通にしているような人は本当に強いと思う。だからせめてもっと強い人間になれるように恋愛だけではなく人に積極的に声をかけ誘える人間になりたい。
一方で、今回みたいに出すべきではない勇気を出した場合、人を誘う強さは相手に不快感を与えうる。
かといって、人に声をかけないのは何も学んでない。私はもっと強い人間になりたい。
結局のところ、相手を不快にさせたり自分が傷ついたりする覚悟と責任を背負ったうえで人と関われる人間が強いということなんだろうな。
でも、オマエだって「米兵」とか「イスラエル兵」には差別的な意識を持つだろ?
日常的に「特定の国の異邦人が日常のルール違反や些細な道徳の無視」を「不快だから是正しろ、出来ないならいなくなれ」というのは、不思議なことじゃないんだけど、何で不思議なの?