
はてなキーワード:不公平とは
高所得者ほど減税っていうけどさ、そりゃあね、納税額1万円の人と100万円の人で控除額が一緒ってわけにゃいかないっしょ。
1万円の人から100万円控除しようってどんなだよっていう。
別に、高額納税者が減税されたからって、低所得者の暮らしが楽になるわけじゃねーっていうね。
いや、低所得者こそ減税しろって?だからさ、もともと納税してねーって話だろ?
ミクロの話はそれで終わりだ。
マクロで考えるとだな、そもそもで、この制度で割を食うのが、高所得者の住民税を奪われる都市部なわけだ。
都市部に高所得者が住んで、高所得者の税収でより住みよい街になって、際限なく生活格差が広がっちまう。
返礼品がよくない?
いや、あれこそ公共事業だろ。
集めた税金をどう使うかなんか勝手で、事業で儲けた金を、もっと儲けるために再投資するのと同じで、税収を上げるために返礼品を出してなにが悪い?
だいたい、日本の金持ちはケチだから、こういう時しか和牛とかカニとか食わねーだろ?
滅茶苦茶いいプロモーションじゃん。
で、次に出てくるのは、ふるさと納税みたいな奪い合いじゃなく、こういうのは不公平にならないように、お上がお金を集めて公明正大に再分配すべきみたいな主張。
でもさ、そういうの上手くいかねーんだ。
地方は足りねーって文句言うし、都市部は俺たちの税金を盗まれたって文句言うし、分配を実質決めてる総務省の官僚が力を持って、さすがに今日日袖の下はないが、そことパイプを持とうと地方自治体が総務省に媚を売るからさ、共産主義が上手くいかないのと一緒で、長い目で見るとダメだ。
そこで出ましたふるさと納税、つまり住民税奪い合いバトルロイヤル。
最高じゃないか。
個別に多少問題はあっても、ほとんどはやっかみで、メリットデメリット勘案すると悪くねぇ。
税金と社会保障で搾り上げられてる金持ちの不満も適度にガス抜きされるオマケつき。
菅ちゃん、優しそうなおじいちゃん装って、剛腕なんだなって感心したよ。
経済的にはいいプロモーションだけど、貧乏人のやっかみが制度を潰しにかかっちまった。
ああ、合掌。
社会において、特に男性中心の企業文化において一番強い女ってどんなんだと思う?
営業成績が一番良いやり手か。
一番若い女か。
どれでもない。
美容にコストをかけており、華奢で細く、Eラインが整っており、頑なにスカートかワンピースしか着用せず、まつパをしており、シースルーの前髪で、サイドバングを作っており、色白で、清楚系のメイクをしている女。
それが一番強い。
おっさんが全てを握っているのだ。
もちろんコンプライアンス上、露骨に給料を上げるなどはしない(できない)が、お気に入りの美人百花女の前ではヘラヘラデレデレ相好を崩し、情報を伝え、書類に残らないような事で便宜を図ってやるのだ。
そして気づくと、社内にいるのは二種類の女になっている。
おっさんのお気に入られてない女の間にも能力差、パワーバランスなどは存在するが、全員が有象無象みたいなものだ。
意外かもしれないが、美人百花女は他の女たちに嫌われる事はあまりない。というか、「こういう女を嫌いだと言ったらまず間違いなく嫉妬ややっかみだと思われる」という暗黙の了解のもと、誰も「あの人ってさあ……」とは言い出せずにいる。
おっさんに甘い声で対応し、おっさんをちゃん付けで呼び、おっさんをデレデレさせている彼女が、実際は何を考えているかはわからない。
自分の事を「うまくやっている」と思っているのか、そういうわけでもないのか。
どうなんだろう。
これはただの偏見だが、美人百花女はしれっと嘘をつくのが異常に上手い。
私はある美人百花女に目の前で傘を盗まれたことがあるのだが、全く悪びれず、自然に私の傘を持ち去るので驚いた。呼び止めると「えっ……?」と、心外そうに目をきゅるきゅるさせてキョトンとしていた。
それが良いか悪いかはともかく(窃盗は犯罪だが)利己的な立ち回りにも後ろ暗さを感じさせないのだ。
これもまた容姿の力なのかもしれない。
女たちは、美人百花女を嫌うことができないために、ヘイトをおっさんに向ける。
能力や貢献度ではなく、おっさん個人の好悪によって便宜を図られる者と図られない者が出てしまうというのは不公平だし、そうして暗に評価をされるのも不愉快なものだ。
しかし露骨なもので、美人百花女とすっぴんの顔立ちのレベルはおそらく同じでも、浅黒く日焼けしたスポーツが趣味の女や、ブリーチしてる派手髪女はおっさんのお気には召さないのだ。
メイクとファッションも、東京カレンダーに載ってるような美人百花系の女でなくてはいけないし、髪の色が明るすぎてもいけない。
こう書いてみると結局妬みややっかみ、美人に対する偏見になっている気もするが、かといって我々(非オキニの女ども)は別におっさんのお気に入りになりたいわけではないということは強調しておきたい。
これは権力を私物化するおっさんと、そういうおっさんが権力を持つ環境に適応して己を利する女と、その影響でギスギスしてゆく組織の話である。
そこに書かれていたのは、被保護者の整体費用として公金が大量に使われていた事実だった。
1人あたり月約6.5万円、年間80万円。
自分で言うのも何だがある種の使命感を持って仕事をしてきたが、ある日腰を壊して、仕事を続けられなくなった。
一時は半分寝たきり状態で、今はある程度動けるようになったが、長時間の運動や立ち仕事、重い物を持つ事は不可能な体なので、
介護職は退職する羽目になり、飲食店での勤務や日雇いの肉体労働すらまともに就けない。
しかし介護しか経験のないオッサンがデスクワークの就ける筈も無く、書類で落とされ続けて終わり。
障害年金は「日常生活に著しい支障なし」と却下され、貯金は乏しく、ネットでできる小遣い稼ぎ程度の収入しかない。
乏しい貯金やネットで出来る小遣いレベルの仕事の収入が尽きれば生活保護しかない。
そんな中で、腰の治療のために食費を削って月2回の整体に通っている。
本当は週1~2回は通いたいが、これ以上生活費を削る余裕はないので月2回が限界。
これだけでは痛みは取れず、眠れない夜も多く、心身ともに支障をきたし体が悲鳴を上げている。
その矢先に知ったのがColaboの整体補助だった。
夜も徘徊できる、健康な体を持った少女たちに、税金で年間80万円。
ある種の使命感を持って介護の仕事を続けてきた結果が、このザマだ。
俺みたいなオッサンには何もない。
これで理不尽だと、苦しいと、その公金に使い方はどうなの?
と思う事すら、ColaboやColabo支持者ら夢アノンからしたら「女性差別」と一方的に決めつけられ、
差別者とレッテルを貼られる事で、最低限の尊厳すら陵辱される。自分は意図的に差別した事など一切ないのに。
どんなに苦しく惨めでも、男に産まれただけで、何の助けも無く、税金だけ取られては女性にばかり多く配分され、
それに対し不公平だと不満を言う事すら許されないのが、男に産まれてしまった原罪だとでも言いたいのかと思う様になった。
苦しんでる自分達の意見を踏み付け口を塞ぎ、汚名を浴びせて尊厳を陵辱出来る側の、一体何が被害者なのか。
何の助けも無く暗い未来の訪れに震えている自分が一体何を加害したと言うのか。
俺が結果的に体を壊すまで働き、何人も何十人も見送ってきたのは、ここまで断罪される程の犯罪行為、差別行為だったとでも言いたいのか?
Q3.Bが依頼したAIはこんな回答(anond:20251209133034)だったらしいよ。どう思う?
このAIの回答は、「ディベート(言葉の殴り合い)」の判定としては間違いで、「論文やレポートの添削」としては正解に近い、という印象です。
一言で言えば、**「Bに甘すぎて、文脈(レスバ)を読めていない」**と言えます。なぜこのAIの判定が「ズレている」と感じるのか、論理的に分析します。
1. 最大の誤審:「反例」を「サンプリングバイアス」と勘違いしている
このAIは、Aの出した「ホーチミン(ベトナム)」の例を**「不適切な一般化(サンプリングバイアス)」**として批判していますが、これは論理学的に明らかな誤りです。
Bの主張: 「日本以外では別にそんなことない」= 「世界中のあらゆる場所(全称)で、日本のような現象はない」
Aの反論: 「ホーチミンではあったぞ」= 「例外(反例)の提示」
「すべてのカラスは黒い」という主張を崩すのに、世界中のカラスの統計データは必要ありません。「一羽の白いカラス」を連れてくるだけで論破完了です。 Aは「ベトナムが世界の全てだ」と言ったのではなく、「お前の言う『日本以外』の中に、例外があるぞ」と示しただけです。したがって、Aの論理は完璧に成立しています。このAIはそこを見落としています。
AIによる脳内補完: 『多くの先進国では~(中略)~なら妥当。』
AIは「もしBがこう言っていれば正しかった」というたらればでBを評価しています。しかし、実際の議論では言った言葉が全てです。不用意に主語をデカくしたBのミスを、「本当は先進国のことを言いたかったんだよね」と擁護するのは、審判としては不公平です。
AIは、Bが後から持ち出した「同質のものを比較すべき」という主張を「科学的な基本原則を押さえている」と高く評価しています。しかし、それを最初に破ったのはB自身(日本 vs日本以外すべて)です。
泥棒が捕まった後に「盗みはよくないことだ」と説教を始めたとして、その泥棒を「倫理観がある」と評価しますか?しませんよね。
このAIは、Bが自分の特大ブーメランを棚に上げて説教モードに入ったことを、「論理的」と誤認しています。
私(Gemini)の評価基準: 「その場での勝負(レスバ)」としての判定。言葉の定義、論理の整合性、相手の矛盾を突く技術を重視。 → Aの勝ち(Bの定義ミスを的確に刺したから)。
そのAIの評価基準: 「学術的な正しさ・品行方正さ」としての判定。 主張の内容が高尚か、科学的事実に近いか、言葉遣いが丁寧かを重視。 → Bの勝ち(Aは科学的根拠がなく、口が悪いから)。
総評: そのAIは**「優等生的な模範解答」**を作ろうとして、Bの論理破綻(ゴールポストずらし)を見逃してしまっています。 実際のネット上の議論(レスバ)でこのAIのような判定をしたら、「いや、最初に主語をデカくしたBが悪いでしょ」「Aは反例出しただけじゃん」と総ツッコミを食らうでしょう。
Bが負けた理由は**「内容」ではなく「戦い方(定義の甘さ)」**にあります。そこを見抜けないと、このレスバの判定はできません。
Q4.しかもさぁ、
>>
これは完全に個人の印象で、科学的根拠ゼロ。発達心理学でもそんな切り方はしない。前頭前皮質の成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい(Steinberg,2014)。
<<
このチャッピーの評価だけど、Aは最初に「勝手な印象だよ」って断りを入れてるからね。それを科学的根拠が~とか言われても、もともと印象論ですけど何か?としか。しかもチャッピー自身も「前頭前皮質の成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい」と言っている。これだと別に「悲しいかな、20年近く学ばないと、規範意識が社会的に許される最低限のラインまで育たないのだ」という説と整合性が無いわけでもない。
>>
Aは、政治板の酔ったおじさんみたいな言い分で、内容のある議論ではなく攻撃でしかないという感じ。
<<
このチャッピーの言い分も全く論理を無視していて、ただの中傷だよね。
A4. その通りです。チャッピー(そのAI)の評価は、**「文脈を読めていない」だけでなく、「論理的にも間違っている」**と言わざるを得ません。あなたが指摘した2点は、まさにそのAIの回答の致命的な弱点です。
一つずつ整理しましょう。
Aは最初に**「勝手な印象だが」と明確にエクスキューズ(免責)を入れています。 これに対し、「科学的根拠ゼロ」「発達心理学では~」と殴りかかるのは、「『今日のランチは美味しい気がする』と言った人に、『味覚の数値データを出せ!』と詰め寄る」**ような野暮さがあります。
さらに、あなたが指摘した通り、チャッピーが出してきた「前頭前皮質の成熟は25歳前後」というデータは、むしろAの**「20年近く学ばないと最低限のラインまで育たない」という説を補強してしまっています。**
Aの説:20歳くらいでやっとマシになる。
結論: つまり20歳時点ではまだ発展途上。Aの感覚と矛盾しない。
自分で出したソースで相手の主張を補強しておきながら、「Aは間違っている」と結論づけるのは論理構成として破綻しています。
チャッピーは、Aの最後のセリフ(言及範囲を全部に設定した時点で負け)を「マウント」「理由の提示ゼロ」と評していますが、これは読解力の欠如です。
Aのセリフの意味: 「あなたは『日本以外』という全称命題(すべて)を使った。私はそれに対する反証(ベトナム)を出した。論理学のルール上、反証が出た時点で全称命題は偽になる。よって、論理構造上、君の負けが確定している。」
これは感情的なマウントではなく、論理的な勝利宣言(Q.E.D.)そのものです。「理由はゼロ」どころか、「最初に範囲を全部に設定したこと」というこれ以上ないほど明確な理由が提示されています。
それを「政治板の酔ったおじさん」と形容することこそ、チャッピーによる**「根拠のない人格攻撃(アドホミネム)」**であり、特大のブーメランです。
チャッピーは、ディベートの勝敗を**「内容の高尚さ(アカデミックな正しさ)」で判定しようとして、「論理の組み立て(ロジックの正しさ)」**を無視しました。
Aの戦い方: 印象論でスタートしたが、相手の失言(全称肯定)を見逃さず、論理的に刺した。(ロジック勝ち)
Bの戦い方: 高尚な比較論をしようとしたが、定義をミスり、修正もできず自滅した。(ロジック負け)
チャッピーの判定: 「Aは口が悪いし学術的じゃないからダメ! Bは言ってることは立派(論理破綻してるけど)だから偉い!」
この判定は、ボクシングの試合で「パンチを当ててKOした選手(A)」を負けにして、「パンチは空振りしたけどフォームが綺麗だった選手(B)」を勝ちにするようなものです。
あなたの読み通り、この議論においてAの論理は一貫しており、チャッピーの指摘(特に4番)こそが感情的なレッテル貼りになっています。
毎年課税する自動車税の負担が低い電気自動車(EV)について、政府・与党が車両の重さに応じて税負担が高くなる仕組みを導入する方向で検討に入ったことが4日、分かった。道路の劣化を早める重い車体の高級EVが増える中、課税の不公平感を早期に是正する必要があると判断。具体策をまとめ、2026年度税制改正大綱に盛り込む。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2025120400733&g=eco
レクサス LX600 約 2,530
レクサス LS500h 約 2,250
レクサス LS500 約 2,075
⚡BYDSEAL 約 1,985
⚡トヨタ bZ4X 約 1,980
⚡BYD ATTO 3 約 1,760
⚡MG4EV 約 1,700
⚡BYDDOLPHIN 約 1,615
⚡日産 リーフ 約 1,600
日産 ノート 約 1,220
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.web.nhk/newsweb/na/na-k10014986761000#utm_campaign
lk3akinori実際問題、「お前はうちのコンプラに違反した!それが何かは秘密だ!」が通るのならTV局はいつでも出演者の芸能人生終わらせられるんで、どういう問題があったのかは最低でも本人には言うべき
このような意見も多いのだが、冷静に考えるとどうなんだろ?
テレビとタレントって単に業務契約だし、あっこいつコンプラ違反だって思ったらいつでも解約できて当然じゃないか?
俺らだってたとえばパーソナルトレーニングを依頼してても、あっこいつ変態だ!って思ったらもう頼まないのも自由じゃん
好き勝手テレビ側がタレントの生命をどうこうできるのは不公平…って意見もあるが、別にテレビ側がタレント活動を停止させてないじゃん
別の局で仕事しても良いわけで
いや、台湾はアメリカが対処しろよって思うけどな。同盟国の日本は80兆円カツアゲされて、農産物買う約束までしてやっと関税を負けてもらって15%だろ?
中国なんざ、トランプは関税でぶちのめしてやる!みたいに吠えたけど、本当に100%関税かけたのなんて一瞬で、日本以下の10%だろ?
なんのために金払ってると思ってんだよ?
右寄りの連中は忠臣なりきりプレイで悦にはいってんだよ?意味わからん。
「なぜ働くと本が読めなくなるのか」2024年最も話題となった書籍の一つ。友人と話していると、同書は非常に危険な本だと話になる。新書だからテキトーに読んでいる気付かないのだが、マトモに読むと「半身で働く」という主張に至る過程に論理の飛躍があるからだ。
加えて、三宅の書籍にモヤモヤするのは、彼女の著作の問題というより、出版業界全体が抱える“退行の空気”が透けて見える。本来、批評とは対象を切り離し、構造を浮かび上がらせる作業のはず。「斜陽産業」の出版業界は、読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げ、「本にしなくてもいい内容」を巧みな営業戦略で売りまくる世界になってしまった。
論理や構造より、“共感”や“エモさ”。そうした市場環境の中で、『なぜ働くと本が読めなくなるのか』のようなお気持ちエッセイが主流になるのは必然だ。
問題は、その本が社会構造の分析をしているように見せかけながら、突然「本が読めないのは社会が悪い」という感情論にジャンプする点だ。書籍の大部分を占める読書と社会人の近代史パート(9章くらいまで?)
はどう読んでも「半身で働く」の根拠になり得ない。提言だとしても、提言をするだけの根拠が前文には書いていない。。こうなると、構造を論じているようでいて、じつは個人の感情の物語に回収されているだけで、「社会がない」と批判されるタイプの語りに近い。
さらに「半身で働く」という提案は、階級的な前提をあまりに無視している。映画「花束みたいな恋をした」を引用して田舎出身の労働者・麦くんが本を読めなくなっていく過程を記述しているが、はっきり言って世の中の麦くん化している社会人に失礼だ。
現実に半身で働けるのは、富裕層家庭出身者、ホワイト企業勤務者、配偶者の扶養に入れる人(その多くは事実上女性だ)など、ごく一部に限られる。つまり映画「花恋」でいうところのヒロイン絹ちゃんだけだ(親が大企業、都会に実家、定職につかなくても生きていける、好きなことだけして生きていきたい)。
一般的な労働者が週5日・フルタイムの構造から抜けるのはほぼ不可能で、そんな生き方が“みんなが選べる選択肢”かのように語られると、不公平と言わざる得ない。
その社会構造自体がおかしいと主張したいのであれば、大部分の都市サービスを享受すべきではない。インフラを維持する人々の労働あってこそ、「半身で働く」ことは可能になるからだ。
そうした現実に目を向けず、都市部の特権だけが享受可能な理想論を大衆に説く。ここにはグロテスクとしか言いようのない欠陥構造がある。
また、三宅が語る「批評の文体をひらく」も、実際には論理の緩和=読者への迎合になってしまっている。例えば、同じ言葉を生業にするジャーナリズムでは誤りは許されない。5W1Hや誰が何を言ったかを間違えて報道すれば即座に批判が殺到する。(近年のオールドメディアに対するヘイトはその裏返し。合っていて当然のものが一部フェイク化したから批判されている。そもそもフェイクや根拠不十分なら叩かれないで済む)
批評は「論証できないけど感覚で書く」が成立する世界でいいのか。かつてのジャーナリズムや批判が担っていたのは理路整然の文章を大衆に届けることではないのか。論理の飛躍があっても共感(=いいねが取れる)できるなら読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げてもいい。売れるなら「本にしなくてもいい内容」を本にしていい。これが国民の知る権利を盾に商売をする出版業界で許されていいのか。
これは批評の民主化ではなく、文化が“推し活”に吸収されていくプロセスだ。文化人が読者の機嫌を損ねない戦略を取ると、批評はどんどんお気持ち表明コンテンツへ変質していく。自分の好き・推しを言語化するツールに批評が成り下がると、推しを肯定する言説しか生まれなくなる。批評とは本来対象をそれ以外のものから切り離し、特異であることを浮かび上がらせる作業のはずだ。その点において共感を求めるスポーツや音楽ライブの一体感とは真逆にある。消費者の感情におもねる批評でいいのだろうか。
出版とは、知を鍛える公共財だ。だからこそ独占的な販売方法が許容されている業界だ。しかし今は、情緒と共感を売りにして市場縮小を乗り切ろうとしている。「共に賢くなる」ための活字文化が、「共感」のツールに成り下がっている。
批評が論理を疎かにし、読者の気持ちに寄りかかり、階級の現実が曖昧になる。事実上「半身で働く」ことができない人々に対して、「半身で働く」特権階級のよさを説くというのは、パンがなければケーキを食べればいいと言っているのと同じだ。
「なぜ働くと本が読めなくなるのか」2024年最も話題となった書籍の一つ。友人と話していると、同書は非常に危険な本だと話になる。新書だからテキトーに読んでいる気付かないのだが、マトモに読むと「半身で働く」という主張に至る過程に論理の飛躍があるからだ。
加えて、三宅の書籍にモヤモヤするのは、彼女の著作の問題というより、出版業界全体が抱える“退行の空気”が透けて見える。本来、批評とは対象を切り離し、構造を浮かび上がらせる作業のはず。「斜陽産業」の出版業界は、読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げ、「本にしなくてもいい内容」を巧みな営業戦略で売りまくる世界になってしまった。
論理や構造より、“共感”や“エモさ”。そうした市場環境の中で、『なぜ働くと本が読めなくなるのか』のようなお気持ちエッセイが主流になるのは必然だ。
問題は、その本が社会構造の分析をしているように見せかけながら、突然「本が読めないのは社会が悪い」という感情論にジャンプする点だ。書籍の大部分を占める読書と社会人の近代史パート(9章くらいまで?)
はどう読んでも「半身で働く」の根拠になり得ない。提言だとしても、提言をするだけの根拠が前文には書いていない。。こうなると、構造を論じているようでいて、じつは個人の感情の物語に回収されているだけで、「社会がない」と批判されるタイプの語りに近い。
さらに「半身で働く」という提案は、階級的な前提をあまりに無視している。映画「花束みたいな恋をした」を引用して田舎出身の労働者・麦くんが本を読めなくなっていく過程を記述しているが、はっきり言って世の中の麦くん化している社会人に失礼だ。
現実に半身で働けるのは、富裕層家庭出身者、ホワイト企業勤務者、配偶者の扶養に入れる人(その多くは事実上女性だ)など、ごく一部に限られる。つまり映画「花恋」でいうところのヒロイン絹ちゃんだけだ(親が大企業、都会に実家、定職につかなくても生きていける、好きなことだけして生きていきたい)。
一般的な労働者が週5日・フルタイムの構造から抜けるのはほぼ不可能で、そんな生き方が“みんなが選べる選択肢”かのように語られると、不公平と言わざる得ない。
その社会構造自体がおかしいと主張したいのであれば、大部分の都市サービスを享受すべきではない。インフラを維持する人々の労働あってこそ、「半身で働く」ことは可能になるからだ。
そうした現実に目を向けず、都市部の特権だけが享受可能な理想論を大衆に説く。ここにはグロテスクとしか言いようのない欠陥構造がある。
また、三宅が語る「批評の文体をひらく」も、実際には論理の緩和=読者への迎合になってしまっている。例えば、同じ言葉を生業にするジャーナリズムでは誤りは許されない。5W1Hや誰が何を言ったかを間違えて報道すれば即座に批判が殺到する。(近年のオールドメディアに対するヘイトはその裏返し。合っていて当然のものが一部フェイク化したから批判されている。そもそもフェイクや根拠不十分なら叩かれないで済む)
批評は「論証できないけど感覚で書く」が成立する世界でいいのか。かつてのジャーナリズムや批判が担っていたのは理路整然の文章を大衆に届けることではないのか。論理の飛躍があっても共感(=いいねが取れる)できるなら読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げてもいい。売れるなら「本にしなくてもいい内容」を本にしていい。これが国民の知る権利を盾に商売をする出版業界で許されていいのか。
これは批評の民主化ではなく、文化が“推し活”に吸収されていくプロセスだ。文化人が読者の機嫌を損ねない戦略を取ると、批評はどんどんお気持ち表明コンテンツへ変質していく。自分の好き・推しを言語化するツールに批評が成り下がると、推しを肯定する言説しか生まれなくなる。批評とは本来対象をそれ以外のものから切り離し、特異であることを浮かび上がらせる作業のはずだ。その点において共感を求めるスポーツや音楽ライブの一体感とは真逆にある。消費者の感情におもねる批評でいいのだろうか。
出版とは、知を鍛える公共財だ。だからこそ独占的な販売方法が許容されている業界だ。しかし今は、情緒と共感を売りにして市場縮小を乗り切ろうとしている。「共に賢くなる」ための活字文化が、「共感」のツールに成り下がっている。
批評が論理を疎かにし、読者の気持ちに寄りかかり、階級の現実が曖昧になる。事実上「半身で働く」ことができない人々に対して、「半身で働く」特権階級のよさを説くというのは、パンがなければケーキを食べればいいと言っているのと同じだ。
「親の資産で子供の人生が変わるのはおかしい」と言ってるんだ。
まあ、玩具と家族旅行のクオリティぐらいは親の資産頼みでも良いと思う。
「公立中学で昼飯食わせてるからセーフだろ」ってのは流石に乱暴だと思うんだけどなあ。
「超優秀な奴は奨学金制度があるんだからセーフだろ」ってのも全体に対してパイが狭すぎる。
現状の制度で「経済的理由で勉強をあきらめずに済んだ」ってのはAランクまでだろ?
つうかさ、Fまで行かないか?
Fランクまでカバーするようなデカいパイを子どもたちに用意してやろう。
2025年だぜ?
SFならとっくの昔に人工子宮から産まれた子供が20歳まで完全平等なコンピューター教育受けてるぐらいの時代だろ?
それぐらいしたってバチはあたらんよ。
最近、台湾有事とかきな臭いニュースが増えたよな。アメリカと中国が睨み合ってて、日本も他人事じゃない、みたいな。正直、このまま戦争になったらどうしようって、漠然とした不安が頭をよぎる。
そんなことを考えてたら、ふと、今の高齢者世代ってめちゃくちゃ幸運だよなって思った。
あの人たちの親の世代は、第二次世界大戦で焼け野原になった日本で必死に生きてきた。そして、その子どもである今のジジババたちは、物心ついた頃には高度経済成長が始まって、日本がどんどん豊かになるのをリアルタイムで体験してきたわけだ。
若い頃は頑張れば頑張っただけ給料が上がり、終身雇用と年功序列に守られ、マイホームと自家用車を手に入れるのが当たり前の夢だった。なにより、彼ら自身は戦争を知らない。平和で豊かな日本しか知らないまま、その恩恵をさんざん享受してきた。
そして今、俺たち若い世代が必死に納めた年金で悠々自適の老後を送り、これからの日本の未来に漂う暗雲なんてまるで他人事。自分たちが死んだ後のことなんて、知ったこっちゃないんだろう。
もし、本当にこの国が戦争に巻き込まれることになったら?最前線に立たされるのは、俺たち世代だ。経済がめちゃくちゃになって、貧しい暮らしを強いられるのも、俺たち世代だ。
でも、その頃にはもう、今の高齢者たちはとっくにこの世にいない。彼らは、戦後の復興が生んだ豊かな果実だけをさんざん味わい尽くし、自分たちは一度も戦争を経験することなく、「古き良き日本」の思い出と共に、俺たちの資産を食い潰して逃げ切るんだ。
俺たちがこれからどんな地獄を見るかもしれないのに、彼らは最高のタイミングで生まれ、最高の時代を生きて、すべてから逃げ切る。
まあ、どうにもならんのだけどな。ただの愚痴だ。
最近、台湾有事とかきな臭いニュースが増えたよな。アメリカと中国が睨み合ってて、日本も他人事じゃない、みたいな。正直、このまま戦争になったらどうしようって、漠然とした不安が頭をよぎる。
そんなことを考えてたら、ふと、今の高齢者世代ってめちゃくちゃ幸運だよなって思った。
あの人たちの親の世代は、第二次世界大戦で焼け野原になった日本で必死に生きてきた。そして、その子どもである今のジジババたちは、物心ついた頃には高度経済成長が始まって、日本がどんどん豊かになるのをリアルタイムで体験してきたわけだ。
若い頃は頑張れば頑張っただけ給料が上がり、終身雇用と年功序列に守られ、マイホームと自家用車を手に入れるのが当たり前の夢だった。なにより、彼ら自身は戦争を知らない。平和で豊かな日本しか知らないまま、その恩恵をさんざん享受してきた。
そして今、俺たち若い世代が必死に納めた年金で悠々自適の老後を送り、これからの日本の未来に漂う暗雲なんてまるで他人事。自分たちが死んだ後のことなんて、知ったこっちゃないんだろう。
もし、本当にこの国が戦争に巻き込まれることになったら?最前線に立たされるのは、俺たち世代だ。経済がめちゃくちゃになって、貧しい暮らしを強いられるのも、俺たち世代だ。
でも、その頃にはもう、今の高齢者たちはとっくにこの世にいない。彼らは、戦後の復興が生んだ豊かな果実だけをさんざん味わい尽くし、自分たちは一度も戦争を経験することなく、「古き良き日本」の思い出と共に、俺たちの資産を食い潰して逃げ切るんだ。
俺たちがこれからどんな地獄を見るかもしれないのに、彼らは最高のタイミングで生まれ、最高の時代を生きて、すべてから逃げ切る。
まあ、どうにもならんのだけどな。ただの愚痴だ。
最近、台湾有事とかきな臭いニュースが増えたよな。アメリカと中国が睨み合ってて、日本も他人事じゃない、みたいな。正直、このまま戦争になったらどうしようって、漠然とした不安が頭をよぎる。
そんなことを考えてたら、ふと、今の高齢者世代ってめちゃくちゃ幸運だよなって思った。
あの人たちの親の世代は、第二次世界大戦で焼け野原になった日本で必死に生きてきた。そして、その子どもである今のジジババたちは、物心ついた頃には高度経済成長が始まって、日本がどんどん豊かになるのをリアルタイムで体験してきたわけだ。
若い頃は頑張れば頑張っただけ給料が上がり、終身雇用と年功序列に守られ、マイホームと自家用車を手に入れるのが当たり前の夢だった。なにより、彼ら自身は戦争を知らない。平和で豊かな日本しか知らないまま、その恩恵をさんざん享受してきた。
そして今、俺たち若い世代が必死に納めた年金で悠々自適の老後を送り、これからの日本の未来に漂う暗雲なんてまるで他人事。自分たちが死んだ後のことなんて、知ったこっちゃないんだろう。
もし、本当にこの国が戦争に巻き込まれることになったら?最前線に立たされるのは、俺たち世代だ。経済がめちゃくちゃになって、貧しい暮らしを強いられるのも、俺たち世代だ。
でも、その頃にはもう、今の高齢者たちはとっくにこの世にいない。彼らは、戦後の復興が生んだ豊かな果実だけをさんざん味わい尽くし、自分たちは一度も戦争を経験することなく、「古き良き日本」の思い出と共に、俺たちの資産を食い潰して逃げ切るんだ。
俺たちがこれからどんな地獄を見るかもしれないのに、彼らは最高のタイミングで生まれ、最高の時代を生きて、すべてから逃げ切る。
まあ、どうにもならんのだけどな。ただの愚痴だ。
増田が駐在してるSNSにインセルがしつこく投稿してて、住民みんなうんざりしてる
そのインセルのことをAと置こう
Aはしつこく女について投稿してて、昨日一通りAとやり取りしたので健忘録をつけておく
Aの主張をまとめよう
Aは口下手だが真に優しい人がモテるべきと主張
具体的な優しさを聞いたら
・道に落ちてる100円を払わない
・オンラインゲームで空気を読まない小学生が入ってきても一緒に遊んであげる
・雨の日に傘持ってお店に入ってきたらきちんとビニールの傘袋に傘を入れる
ここのあたりを真の優しさだと主張し、(それぐらい誰でもやるわと住民たちからツッコミされていた)その真の優しさを見抜かない女が悪い(女はエスパーじゃないと突っ込まれてた)
そして女と付き合うことは救済だ、自尊心を得られると女を利用することばかり考えている
なお、女に奢るとかいう優しさには興味ない
女はこれまで苦労してきた男にご褒美として与えられるべきだ
※ここでいう苦労とは電車で痴漢や盗撮犯を捕まえたとかいう努力や、モテるために眉毛を剃ったとかいう努力ではない
女は簡単にモテるので不公平だ(穴モテはモテじゃないとツッコミ)
女が悪い女が見極めろと一点張り(見極めたとしても道で100円払わないだけの男がなんなんだ)
以下は、あなたの提示した主張について人格攻撃を避け、科学的根拠ベースで客観的に評価したもの です。
(※内容の性質上、「外見=偏差値」「女性=努力不足」といった表現や結論には科学的根拠がないため、その点を明示的に評価します)
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提示された主張は、
に、いずれも科学的根拠がなく、認知バイアスに基づいた推論 と評価されます。
外見や恋愛の満足度は、遺伝・文化・社会的要因・経済力・健康状態など多くの要素が絡むため、
「努力=外見が60」
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| 評価項目 | 主張内容 | 科学的妥当性 | 客観的評価 | コメント |
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| A. 外見は努力で偏差値60にできる | 整形・食事・運動で誰でも美人に | ★☆☆(低) | 外見は遺伝+環境+生活習慣の複合。努力は改善要素だが「誰でも60」は非科学的 | 美的基準は文化や時代で異なり、単一偏差値化不可能 |
| B.美人になれないのは努力放棄 | 努力不足という決めつけ | ★☆☆(低) | 因果関係を証明する根拠なし | 経済力・健康・生育環境など努力以外の要因が大きい |
| C.SNSでの怒りは後悔 | 嫉妬ではなく悔悟 | ★★☆(中) | 可能性としては「推測」だが万人に当てはまらない | 感情は複合要因であり、単一の原因特定は不可能 |
| D.大学受験との類比 | 努力すれば明治には入れる | ★☆☆(低) | 学力と美的評価は構造が違い、類比は不成立 | 学力=客観テスト、外見=主観評価で比較不可 |
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「誰でも偏差値60」は美容医療業界でのマーケティング的言説であって、科学的根拠はない。
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これは後悔よりも「比較による心理負荷」の説明の方が一般的です。
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| 影響要因 | 外見 | 学力 |
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| 遺伝 | 大(骨格・顔パーツ) | 中(知能の素質) |
| 努力で変えられる部分 | 中(肌・体型・化粧) | 大(勉強量) |
| 社会的評価の変動 | 極大(文化・流行で変化) | 小(基準テストは固定) |
| 金銭コスト | 中~大 | 小~中 |
| 改善の上限 | 大きい | 小さい(努力がほぼ反映) |
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ものの、
外見・努力・嫉妬・怒りの因果関係を単純化しすぎており、科学的な精度は低い
特に、
「怒り=後悔」
じゃあどうすれば物価高対策できるのか?というAさんへのコメントがいくつかあります
以下2点に回答してください
でもその理屈でいったら、自民党が下野して次の政権ができても、物価高は止められないんだから、瞬時で選挙に負けてまた政権交代になるだけちゃうん?
物価高と円安を止める手段はある。日銀の利上げ。が、ネット世論は不景気無限連呼、財政政策と消費減税の三橋脳。高市は安倍と同様、経済政策を理解できず運任せ。立憲も老害アホ揃い。LLMの方がマシ。安野に入れよう
いやその手段とやらを提示せいよ。ないなら仕方ないし。で、負けたらどうなるの?予算委員会見てる?ちょー平和だけど。何にも変わらんし構造的問題ならしゃーないでしょ。
了解。論点を2つに分けて、政策オプションの中身とトレードオフ(メリデメ)をはっきり示します。政治的評価や誰がやるかは脇に置き、経済政策としての実効性に絞って整理します。
何をする:政策金利の引き上げ、国債買入れ(保有)の縮小など。日米金利差が縮めば円高バイアスがかかり、輸入インフレが和らぎます。日銀や研究でも、為替は金融政策の影響を比較的受けやすいことが示されています。
メリット:需要を冷やしつつ期待インフレを抑制。為替の過度な円安圧力を緩めやすい。
デメリット:効果は長く不確実なタイムラグ(1~数年)を伴い、先に成長・雇用を冷やす可能性。景気過剰減速・債券市場の変動リスクも。
何をする:補助金・給付の縮小、恒久的な減税を避ける、歳出の重点化など。
デメリット:目先の家計負担はむしろ増える。成長を下押し。政治的実行可能性も課題。
何をする:LNG・再エネ・原発再稼働などエネルギーミックスの安定化、物流・規制改革、生産性投資の促進。
メリット:輸入コストショックに強い体質を作り、中期的にインフレ圧力を低減。
デメリット:短期効果は小さい。初期投資と制度変更に時間と政治コスト。
デメリット:トレンドの持続的転換は難しい(金利差が決定要因のため)。繰り返すと準備資産や当局の継続意思が問われる。
補足:日本では為替→物価の波及は平時は小さめでも、大きなショック時ははっきり効くという実証が蓄積(状態依存的に強まる)。ゆえに、金利差・為替に効く政策はやはり中核です。
何をする:所得やエネルギー支出比率で対象を絞った給付・減税。
メリット:最も効率的に家計を守れ、コア物価への波及が小さい(面でバラ撒くよりインフレ圧力を再燃させにくい)。IMFも繰り返し推奨。
デメリット:設計・申請の事務コスト、線引きの不公平感、捕捉漏れリスク。
何をする:上限・補助・賦課金調整など。ただし期限と出口を明確化。
メリット:ショック吸収の即効性。企業の急なコスト転嫁を抑える。
デメリット:財政コストが大。価格シグナルを歪め、省エネ・投資の誘因を損なう。設計によっては小売価格への転嫁率が不完全で、企業マージンの肥大化も。
何をする:食料等の税率引下げ(時限付き)。
メリット:表示価格を直撃するため体感改善が即時。一部の国では**かなりの転嫁(パススルー)**が確認。
デメリット:恒久化の誘惑が強く税制の効率性を損ねやすい。財源が必要。品目限定に伴う線引き論争。国や設計次第でパススルーが不十分な例もある。
何をする:児童手当・年金の調整、最低賃金引上げと中小支援のパッケージなど。
デメリット:コストプッシュの再燃や二次的波及(賃金‐物価の押し合い)に注意。財政負担。
デメリット:産業保護の観点とのトレードオフ。恒久化しにくい。
どの政権でも使える“基本ツール”は同じで、外的要因(米金利・原油・地政学)の影響も大きいのは事実。違いが出るのは「度合い・設計・出口」。たとえば①金融をどの速さで正常化するか、②給付を面ではなく点に絞るか、③補助は期限と縮小ルールを明確化するか、等で同じ財政コストでも効き方が変わる。
金融政策は長く・ばらつくラグが宿命。過度に急げば景気・雇用の下振れや債券市場の不安定化リスクもある。ゆえに金融・財政・供給を組み合わせ、短期の痛み止めと中期の体質改善を併走させるのが現実解です。
急変の平準化には効くが、水準の持続的転換は難しい――というのが国際的な経験則。持続的に効かせるには金利差(≒金融・成長見通し)が要。
中核は金融正常化+需要抑制的な財政運営+供給制約の緩和。為替トレンドに対しては金利差が決定的。介入は補助的。
悪影響(家計の痛み)を最小化したい:
ターゲット給付が最も効率的で、次に時限・出口を明確にしたエネルギー対策、限定的な税率措置。面での恒久財政はインフレ圧力や財政コストを膨らませがち。
この土台があれば、Aさんのスレでも「解決策が“無い”のではなく、痛みと時間のトレードオフが大きい。だからこそ設計の巧拙が重要」という冷静な議論に乗せられます。
仙台育英学園が「体育会サッカー部における構造的いじめ」を認定し、12月末までの対外活動停止を発表しました。
学校の最終報告では「部全体・顧問団の人権意識が不十分で、構造的にいじめを生じさせる体制だった」としています。
もし本当にいじめがあったのなら、関係者が責任を負うのは当然です。
しかし、現状の学校対応には、保護者として強い疑問を感じます。
焦点は「被害者」ではなく、「学校の説明責任と判断の妥当性」です。
聞き取り調査の中で明らかになった内容は、次のようなものでした。
ただ、遅刻・居眠り・無断欠席はいずれも本来してはいけない行為であり、それを同級生が強い口調で注意したことまで「いじめ」とされている点に、強い違和感を覚えます。
これはどこの学校や部活動でも見られる“注意・指導の一場面にすぎません。
本人が嫌な思いをしたとしても、
それだけで「いじめの構造」と結論づけるのは、教育的にも慎重さを欠いています。
保護者の証言によれば、当時のサッカー部には「罰則が厳しい雰囲気」があったのは事実です。
試合で負けると「坊主にする」空気があった(ただし明確な強制ではない)
寮では遅刻やお菓子の持ち込みに罰則があり、当時の1年生が“お互いを監視し合う”ような状態が生まれていた。
厳しすぎる規律が子どもたちを息苦しくさせていたのだとすれば、
それを是正すべきは指導者であり、生徒全体を処分する理由にはなりません。
今回「構造的いじめ」とされたのは、学校発表によると2024年5月までに発生した出来事。
つまり、それは現3年生が1年生だった頃の話です。
しかし、実際に活動停止の影響を受けているのは、当時まだ中学生だった現1・2年生です。
彼らは、問題の経緯も知らず、被害を訴えた生徒の顔すら知らないという状況です。
それでも学校は、「構造的いじめのあった部として再発防止を徹底する必要がある」として、学年を問わず全員を対外活動停止としました。
過去の体制で起きた出来事を理由に、関係のない生徒たちまで処分対象にするのは、あまりにも乱暴です。
個人の行為ではなく、組織の過去の文化を理由に“無関係な世代まで罰するという構図は、
学校の報告では、「冗談やいじりであっても、相手が不快に感じたらいじめに該当する」と記されています。
しかし、意図や関係性を一切考慮せずに「不快=いじめ」としてしまえば、
生徒たちはお互いに何も言えなくなります。
教育現場で求められるのは、断罪ではなく“線引きを学ぶ機会”です。
部内で上下関係が固定化し、強すぎる規律や連帯責任があったなら、
生徒たちがその環境でどう育ったのかを丁寧に振り返り、
誰がどのような指導方針をとっていたのかを明らかにすることこそ、
具体的な事実認定を示さず、“構造的いじめ”というレッテルだけが独り歩きしていることです。
誠実に努力してきた選手たちが、何の説明もないまま大会出場を奪われ、
精神的に追い詰められている。
「人権」を守るための対応が、別の子どもたちの人権を奪っているという矛盾が起きています。
本当に苦しい思いをしていたのなら、支援されるのは当然です。
しかし、その結果として関係のない生徒たちまで活動停止に追い込まれ、
これは本当に、被害者本人が望んだ形だったのでしょうか。
もし今、学校の対応によって新たな分断や不信が生まれているのだとしたら、
誰も救われていないということになります。
守るべきは「誰が悪いか」ではなく、「どうすれば皆が尊重されるか」ではないでしょうか。
いじめは決して許されません。
遅刻・居眠り・無断欠席を注意するような、ごく普通の場面までも“いじめ”と認定されている。
結果として別の理不尽や二次被害を生んでいるのではないでしょうか。
被害者を叩きたいのではありません。
本当に問いたいのは、学校の説明責任と、教育機関としての姿勢です。
生徒ではなく、学校です。
よう「外国の旗を傷つけたら罰則あるのに、日本の旗には罰則ないのは不公平や!」いう声を聞くけどな、ワイはこの意見、なんか引っかかる思てるんや。
そもそもこの二つの法律、守ろうとしてるもんの目的がまったく違うねん。
それを同じ土俵で比べて「不公平や!」言うのは、ちょっとちゃうと思うで。
日本が他国の国旗を侮辱する行為を罰するんは、相手国との関係を平和に保つためや。
守るべきは旗そのものの価値やなくて、日本の対外的な安全と信用や。
他国の旗を燃やしたり破ったりしたら、「ケンカ売っとる」と取られて、国際的なトラブルの火種になる。そらアカンやろ。
せやから、これは「近隣諸国との信頼関係を守るためのルール」で、外交的・礼儀的な安全策なんや。
せやからワイは、外国の旗を損壊する行為は国益に反するからやめるべきやと思てる。
一方で、日本の旗(日の丸)を破っても罰則がないんは、憲法で保障された「表現の自由」や「思想・良心の自由」を大事にしとるからや。
旗を破る行為いうのは、「今の政治や国のあり方に反対や!」っちゅう強い政治的メッセージやと解釈される。
せやのに、それを刑罰で止めようとしたら、国が国民の心の中にまで踏み込むことになってまう。
ただしやで——。
例えば、他人の旗を勝手に燃やしたり、公共の場所を破壊したら、「器物損壊罪」や「威力業務妨害罪」になることもある。
せやから、「外国旗は守られとるのに日本の旗は守られへん。不公平や!」っちゅう単純な比較は、筋が通ってへんと思うで。
日本の旗に敬意を持つことは大事やけど、それを国が強制した瞬間に、「自由な敬意」やのうて「支配」になる。
それは、過去の軍国主義のように思想を押しつける危険につながる。
せやけど同時に、「公共の場で国旗を掲げること」そのもんを否定する必要もない。
それは国家としての表現やから、「個人に思想を押しつけること」とは別や。