
はてなキーワード:上皇とは
今の日本で女性が首相になることの難しさを一番理解して、とにかく首相になるということ一点だけ頑張ったんじゃないのかな。
高市早苗個人として、私的な感情として、女性として今の日本に対して思うことは色々あるだろうけど、女性の社会的な地位を上げるために今彼女ができること、それが何をかなぐり捨ててでも首相になって女性の日本におけるプレゼンスを高めるだったのではないか。
個の確立した高市早苗が、国という公のために私を抑えて立ち上がり、結果勝利した
とか昔の保守ならいいそうなもんだがなと思っていたりしている。
それがあいつは愛子天皇を阻止しようとしてる!とか、選択的夫婦別姓に賛成してない!とか、非核三原則やめたかってる!とか言ってアンチの立場を右も左も取っているようだ。
わかってねーな、だから男社会だってんだよ。安倍晋三だって同じようなこと言ってたろ、あいつなんか生前退位したいと言った上皇をわがままとか不敬極まること言ってたぞ?
高市早苗が個人的にどんな思想持ってようが別にいいだろ、そういうので国を良いようにコントロールさせないために民主主義があるんじゃないのか?
2016年8月8日、明仁天皇(現上皇)による「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」は、日本の戦後体制が生み出した極めて巧妙な政治的コミュニケーションの傑作であった。しかし皮肉なことに、この歴史的意義を持つ発言は、現在「お気持ち表明」という軽薄なミームとして消費されている。この現象は、戦後日本の構造的制約と現代社会の読解力低下が交錯する地点に位置している。
「お気持ち表明」という回りくどい表現が必要だった根本的理由は、1945年の敗戦にある。戦後憲法により天皇は「象徴」となり、「国政に関する権能を有しない」(第4条)存在として位置づけられた。この制約下では、天皇が直接的に「退位したい」と表明することは違憲行為となる可能性があった。
明仁天皇の発言は、この制約を巧妙に回避した民主的解決策だった。高齢による体力的限界、天皇としての務めを十分に果たせない懸念、そして突然の崩御が国民生活に与える影響への配慮を表明することで、実質的な退位意向を主権者たる国民に伝えたのである。これは憲法の枠組みを守りながら、国民主権の原則に従って制度変更を促す、高度に洗練された政治的コミュニケーションであった。
しかし、この発言が真に理解されたのは、憲法や皇室制度に精通した限られた層に過ぎなかった。一般国民の多くにとって、長時間にわたる慎重な表現は「よくわからない長文」として映った。「お気持ち表明」という表現の語感的面白さが、内容の重要性を覆い隠してしまったのである。
この理解度の格差は、現代社会のコミュニケーション環境とも関連している。SNS時代の短文化した情報消費習慣において、文脈への深い配慮と慎重な表現は「要点のまとまらない自分語り」として受け取られがちである。最も民主的で配慮深いコミュニケーションが、表面的にしか理解されない構造的問題がここに現れている。
「お気持ち表明」の軽薄な使用は、使用者の無知を露呈している。本来この言葉は、憲法的制約の中で民主的プロセスを重んじた成功例であったにもかかわらず、「感情的な意見表明」や「建前的な発言」といった真逆の意味で使われている。
さらに興味深いのは、この誤用に対する反応の構造である。「お気持ち表明」と攻撃される側も、攻撃する側も、そして時として仲裁に入る第三者も、多くの場合この言葉の歴史的文脈を理解していない。結果として、歴史的に重要な概念が、無知な者同士の応酬の道具として消費される事態が生じている。
この現象は、戦後日本の深層的な問題を浮き彫りにしている。敗戦により課された制約の中で編み出された知恵が、その制約の歴史的背景とともに忘却されている。「戦争に負けたから」天皇は直接的な政治的発言ができず、「だからこそ」お気持ち表明という形式が必要だったという根本的な歴史認識すら、多くの国民に共有されていない。
「お気持ち表明」のミーム化は、単なる言葉の変遷を超えた現象である。それは戦後日本の憲法体制への理解不足、現代社会の読解力低下、そして歴史的文脈の軽視が複合的に作用した結果である。民主主義の成熟には、制度の背景にある歴史的経緯と、その中で編み出された知恵への理解が不可欠である。「お気持ち表明」の真の意味を理解することは、戦後日本の民主主義そのものを理解することに他ならない。
平成の上皇陛下のことを思うたびに、陛下が国民に寄せる思いの深さに涙してしまうような、俺はそういう人間なのだが、大正天皇について調べ物をしていた時にふと上皇陛下の優しさに通じるものを見つけたのでメモしておきたい。
調べ物と言っても、俺がやっていたのは歴史上のネタエピソードを探し集めて読んでいたというだけで、いや、白状するが、俺は大正天皇が暗愚であることを示すものを暇つぶしにネットで読んでいた。Wikipediaにもある有名な「詔勅クルクル望遠鏡事件」みたいなのが他にないか探していたのである。
そこで出会ったのが、大正天皇が日露戦争の際に詠んだとされる一首の歌である。
日露戦争の戦利品を前にして、当時は皇太子だった大正天皇がこの歌を詠んだとされている。俺はこれを目にして、頭をブン殴られたかのようなショックを受けた。
ここにあるのは、兵士たちに対する深い感謝と尊敬の想いと、戦いを通じて失われたものに対する悲しみとのアンビバレンツな感情である。戦争の当事国の皇太子としての立場もある。率直さと優しさと苦しさとが伝わってくるのである。万葉集には額田王や天智天皇をはじめとした皇族による素朴な歌が多く残されているが、それらに匹敵すると個人的に考える。
大正天皇は平成の上皇の祖父にあたる。過去と歴史を常に意識せざるを得ない皇族にあって、平成の上皇は大正天皇について多くのことを考えられてきたのではないかと思う。そして、そうした思いを馳せる材料の一つに上述の歌があり、それを通じて上皇陛下の人となりに少なからず影響を与えているのではないかと思う。
上皇陛下のことを想うたびに、俺の目に浮かぶのは、震災後の避難所を作業服姿で訪れて、膝をついて避難者に寄り添う姿だ。戦争後の戦利品を前にして、その裏にある名もない多くの兵士たちの命に対して声を上げる大正天皇の姿との間に俺は共通点を見出すのである。
天皇は男系男子が継ぐ!ってのに誰も疑問なんか挟まない時代に、4人連続で女の子しか生まれず、側近が側室を迎えることを提案するも昭和天皇は断固拒否。
そのあとようやく男子(今の上皇)が誕生、でもそれで満足せずにさらに男の子1人、女の子1人をもうけてる。
もちろん国家元首の任務としてせっせと励んだ面はあるのだろうが、それでも“じゃ、朕の側室はこういう感じで”と希望を述べればいろいろ周りが動いてくれたのだろうに、そんなことはせず皇后一筋に励んだの姿勢は、日本男児たるもの、見習うべきであろう。
昭和天皇夫妻が仲睦まじいことは有名で、淳皇后はその温厚な笑顔と、いかにも“日本のお母ちゃん”然とした安産体型も相まって、“国母”として敬愛されていたというが、宜なるかな。
しかし今の天皇家が彼ら令和版オウムのような俗物の言いなりになるだろうか。
いやならない。しかし参政党には考えがある。それがドスケベ女である。
彼らの多くは世界中を飛び回り、多くの外国人と交流し、学術的に正しいとされる歴史認識を多くの学者から教え聞かされる機会が非常に多いからだ。
だから参政党によって今上天皇か悠仁が元首にされたとしても、その途端「参政党は解散。あと象徴天皇制復活。」となり即終了する可能性が高い。
じゃあどうするか?
ここでドスケベ女。
もしかすると庶民の女とのラブロマンスも密かに期待しているかも知れない。
これはドスケベ女にしてみればもうボーナスステージ。確実に悠仁のちんぽを狙いに行く。
そして悠仁は早々に虜になる。