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はてなキーワード:上京とは

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2025-12-13

あおやまちゃん10年以上本当に怖かった😢

いきなり知らない人たちに仮想敵にされて、大学に行くために上京してもストーキングされてて。

あおやまちゃんイケメンデカチ🙌ポを巡る恋のライバルだと思い込んでる統合失調症のデスMNKおばさんと粗チンジジイの手下の同級生から嫌味ばかり言われて🥺

あおやまちゃんのことを気に入ってるって言うイケメンデカチ🙌ポさんのことはあおやまちゃんは知らないのに、ボスMNKおばさんたちはあおやまちゃんがやることがイケメンデカチ🙌ポへのアピールだと思ってて、一々邪魔してきて🥺

粗チンオタク軍団にも虐められるし。😢

理由のわからない嫌がらせが今でも続いてて、知らない人たちにストーキングされたり、全然知らない下品な人たちが知り合いだって言ってきたりして怖いの😢   

Permalink |記事への反応(0) | 07:23

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2025-12-12

あおやまちゃん10年以上本当に怖かった😢

いきなり知らない人たちに仮想敵にされて、大学に行くために上京してもストーキングされてて。

あおやまちゃんイケメンデカチ🙌ポを巡る恋のライバルだと思い込んでる統合失調症のデスMNKおばさんと粗チンジジイの手下の同級生から嫌味ばかり言われて🥺

あおやまちゃんのことを気に入ってるって言うイケメンデカチ🙌ポさんのことはあおやまちゃんは知らないのに、ボスMNKおばさんたちはあおやまちゃんがやることがイケメンデカチ🙌ポへのアピールだと思ってて、一々邪魔してきて🥺

粗チンオタク軍団にも虐められるし。😢

理由のわからない嫌がらせが今でも続いてて、知らない人たちにストーキングされたり、全然知らない下品な人たちが知り合いだって言ってきたりして怖いの😢  

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あおやまちゃん10年以上本当に怖かった😢

いきなり知らない人たちに仮想敵にされて、大学に行くために上京してもストーキングされてて。

あおやまちゃんイケメンデカチ🙌ポを巡る恋のライバルだと思い込んでる統合失調症のデスMNKおばさんと粗チンジジイの手下の同級生から嫌味ばかり言われて🥺

あおやまちゃんのことを気に入ってるって言うイケメンデカチ🙌ポさんのことはあおやまちゃんは知らないのに、ボスMNKおばさんたちはあおやまちゃんがやることがイケメンデカチ🙌ポへのアピールだと思ってて、一々邪魔してきて🥺

粗チンオタク軍団にも虐められるし。😢

理由のわからない嫌がらせが今でも続いてて、知らない人たちにストーキングされたり、全然知らない下品な人たちが知り合いだって言ってきたりして怖いの😢 

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2025-12-11

田舎から上京するなら部屋は20m2以上をおすすめする

上京してけっこうな時が経った。

安さに目が眩み、狭い部屋を選んだことだけを本当に後悔している

出社前提で、個室があるだけマシだと極めて狭い部屋に住んだ。

自分鍵のかかった部屋を持ったことがなかったので、それがあるだけで感動していたのだ……。

しばらくすると、コロナ禍が起きた。

寝るだけの部屋が仕事場を兼ねるようになったリモート期がかなり辛かった。

粗末な椅子に粗末な机で体を壊し、良いものに買い替えると幅をとって部屋が狭くなり、洗濯機や棚を追加するとき家具テトリスをして過ごす。

大きな冷蔵庫なんてとても置かないから食料の備蓄も難しい。

とてもつらい。

引越し検討したこともあったが、引越しには35万以上のまとまった金、そして日数を用意する必要がある。家賃の差額を考えれば金はともかく、日数の難易度が高い。

いい面もある。

家賃が安ければ、生活が困窮してもリカバリーが効くということだ。

だが、寝る場所しかないような部屋は、服をハンガーにかける場所自分で作る必要があるし、鏡も置きにくい。

何より人も呼べない。大人をやっていくには不便が多い。20歳ならいい、25を超えると男でも本当にきついものがある。

10年前は想像もできなかったが、10年経つと想像もできないことがいくつも起こる。

大が小を兼ねるのは間違いない。

設備や立地を妥協することとどちらを取るかではあるが、便利な技術革新が起きても部屋の間取りだけは広くできないことは確かだ。

Permalink |記事への反応(1) | 20:01

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あおやまちゃん10年以上本当に怖かった😢

いきなり知らない人たちに仮想敵にされて、大学に行くために上京してもストーキングされてて。

何も知らないのにデスMNKおばさんの手下の同級生から嫌味ばかり言われて🥺

あおやまちゃんのことを気に入ってるって言うイケメンデカチ🙌ポさんのことはあおやまちゃんは知らないのに、ボスMNKおばさんたちはあおやまちゃんがやることがイケメンデカチ🙌ポへのアピールだと思ってて、一々邪魔してきて🥺

粗チンオタク軍団にも虐められるし。😢

理由のわからない嫌がらせが今でも続いてて、知らない人たちにストーキングされたり、全然知らない下品な人たちが知り合いだって言ってきたりして怖いの😢

Permalink |記事への反応(0) | 10:18

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2025-12-08

朗報】ワイの娘、頭が良い

上京して仕事をしていた娘が、心身を崩して戻ってきた。

周りのやり方や考え方、感じ方が理解できない。昔からそうだった。鬱とかじゃなくて、知的障害かもしれない。

そうやって泣くので、とりあえず精神科へ。

ワイはFラン農業大学卒、嫁そこそこ経済大学卒と、まぁ、もし娘の言う通りだったら、確実にワイのせいやな。

そんなことを思いながら言われた結果は、IQ130後半の、かなり頭のいい子ですね、だった。

逆に頭が良すぎて周りと合わないとかなんとか。

ほぉーん?

バカ丸出しワイ、実家相談する。

ワイ実家両親、人間嫌なら植物育てない?と、勧誘

結果、娘は年明けからワイ実家で両親と畑やることになった。

白菜の収穫・出荷がもう始まってるから、今から手伝うと娘は言ってくれたが、まずは体を治してからやで。

どんなに頭が良くても、農家は未だに体力勝負からね。

Permalink |記事への反応(5) | 20:46

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anond:20251208164823

そうだよな

都会でも知り合いとすれ違ったり、飲食店重なることあるんだから

思い切って上京してよかったでワイ

Permalink |記事への反応(0) | 16:53

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2025-12-07

上京したワイ君、望郷の念を抱く

地元が有名別荘地の近くで、車があれば大体どうにかなる場所で生まれ育った。

東京しか無い物も多々あったが、思えば、別荘地方面に行けば東京にあるようなものが大体あった。

専門的な物やら美術館特に現代アート)なども、車でちょっと行けばすぐに見ることができた。

 

ワイは車の運転が苦ではないので、ちょっと良いご飯食べたいな、と思って車で片道2時間とか、平気で運転できる。

朝9時に家を出て、11時頃に飯屋に到着。

13時〜15時ぐらいまで買い物とかして、ちょっと甘い物でも食べ、16時ぐらいか帰宅

18時頃、帰り道で夕飯を食べ、20時前には家に着く。

そんな休日をよく過ごしていた。

しか東京は店に駐車場がなく、駅から結構歩く場合も多い。

バスもあるが、電車時間、乗り継ぎ、バス時間と、色々調べてから行くのが面倒くさい。

 

あと、東京って人も店も多いが、その分、悪い物もすごく多い。

美味い飯屋や質のいい個人店を探そうとすると、なかなか難しい。

東京ならいっぱいあるやろ!と思っていたのが勘違いだったのか。

あちこち外食をしているが、いまだ通いたいと思うパン屋すら見つけられていない。

 

仕事の都合で東京に住んでいるが、早く地元に戻りたい。

Permalink |記事への反応(0) | 14:24

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悔恨

地元には友達がいた

人数は少ないがよく遊んだ

俺は上京した

連絡もほとんどとらず数年が過ぎた

ケータイ機種変をした時にミスをして連絡先がわからなくなってしまった

向こうからもこっちからも連絡できない状態になってしまった

というか向こうからたらこっちが一方的に連絡を絶ったように受け取られてもしょうがない状態になってしまった

上京してからほとんど連絡を取り合ってなかったもの

決して縁を切りたかったわけではないのに

もう探偵ナイトスクープにでも頼まなければこちから連絡できない状態

悔やまれ

Permalink |記事への反応(0) | 04:49

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2025-12-06

anond:20251206190902

1960年代には集団就職上京した若者による失踪事案が多く、1967年昭和42年)に公開された今村昌平監督映画人間蒸発』や、1968年昭和43年)に矢吹健歌唱した『蒸発ブルース』により流行語となる。1970年代には約9000名もの蒸発者が生じ、社会問題にもなった。

蒸発 -Wikipedia

Permalink |記事への反応(0) | 19:09

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2025-12-03

マイヘラ

掃除してたら、就職上京祝いに

月島ダイエーで親が買ってくれたもんじゃヘラが出てきた。

結局、一緒にもんじゃ焼きを食べる同僚なんてできなかったな

Permalink |記事への反応(1) | 21:07

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初めて君が家に来た日のことを今でもはっきり覚えている。

最初ベットの下にずっと隠れてなかなか出てきてくれなかったね。僕が見てないときにこっそり餌を食べに外に出てきてたね。

でも、1週間も経つ頃には警戒しなくなって、頭を撫でさせてくれるようになったね。

最初は出窓のところに置いてたお気に入りのカゴに入って寝てたけど、いつからかベッドに入ってきて、一緒に寝てくれるようになったね。そこから何十年、何千回も一緒に寝てくれたんだよね。

君が来てから半年後ぐらいに、ベランダに飛び出して、脱走しかたことがあったよね。あれはびっくりして、下に落ちてないか急いでマンションの外に出たけど見当たらなくて、部屋に戻ったらベランダまで戻ってきてくれてたね。あれは何だったのかな。

就職活動中、元の飼い主さんに預けていて会えない期間が半年ぐらいあったね。あのときはごめんね。寂しかったよね。就職活動が無事に終わって、再会できたときは嬉しかった。君はどうだった?

実家に住んでたとき、本格的な脱走をしたことがあったね。寝てるときに寝ぼけて網戸を開けてしまってそのままにしてたから、大学に行ってる間に外に出て、出くわしたお父さんに驚いて走っていったんだよね。それから3ヶ月ぐらい家に帰れなくなって、大変だったと思う。その間は毎日君を探し回ってたんだよ。自分のせいとはいえ、もう君に会えなくなるかもと思って毎日胸が張り裂けそうだった。本当に帰ってきてくれてありがとう

それから僕が就職上京したとき最初の数カ月は君を実家に置いたままにしてて、また会えない時期があったね。それでも毎日君に会いたくて、GWになった瞬間迎えに行ったよね。いつもいつも離れ離れにさせてしまってごめんね。

それからも、合計で10回以上も引っ越してるよね。この世に君以上に引っ越し経験した猫はいいかもしれないね引っ越しをしても新しい環境にすぐ馴染んでくれてありがとう

君を飼い始めてから10年間くらい経って、それまでなんとなく去勢をしてなかったけど、君のマーキング跡を掃除するのがいよいよ大変になってきたから、去勢をさせてもらったよね。もとから高かった鳴き声がさらに高くなったりもしたけど、それ以外にも君にしかからない辛さがあったと思う。人間わがままでつらい思いをさせてすまなかった。

君は、僕が辛いときも、元気なときも、いつも隣りにいてくれて、その温もりと可愛さで安心させてくれたよね。就職活動の先が見えなくて不安に押しつぶされそうだった夜に、君だけはいつもと変わらずに僕にくっついて寝てくれて、君の存在に本当に助けられた。君のおかげでいまの僕があると思っています感謝してもしきれません。本当にありがとう

近い将来、君はこの世からいなくなってしまうかもしれないけど、君がいなくなって悲しんでくれる人が僕以外にもいると思う。突然新しい家族が出来てびっくりしたよね。君は奥さんのことをどう思っていましたか。短い時間だったけど、奥さんも君のことが大好きだったと思うよ。もし君がいなくなっても、きっと僕は大丈夫だと思う。だから安心してね。

もし君が生まれ変わって人間になることがあれば、必ず友だちになって、一緒にカフェで美味しいコーヒーを飲みながらおしゃべりしたいね

本当に今までありがとう。大好きだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 20:45

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2025-12-02

anond:20251202213446

俺は「東京はいろいろあって楽しいそうだな〜」って思って首都圏から上京してるんだよね

その後あるコンテンツにハマってイベント通いとかするのに東京に住んだことが活きてきて当時の選択が正しかったなと思ってるからみんななんでこれをしないのか不思議しょうがないんだよね

Permalink |記事への反応(2) | 22:00

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2025-12-01

anond:20251201005542

世代が若ければ若いほど、

そして都心部、とまで言わずとも余程のど田舎でもなければ、

性別差はかなり是正されてる。

じゃあなんで性差お金の話が繋がるかって言えばそりゃ超簡単田舎もんが上京なりして田舎価値観を持ち込むから

で、その田舎もんも数人とかじゃなく、コミュニティの四半数とかの無視できない比率から

そしてそんなくだらんことで対立するくらいなら、自分価値観は一旦胸にしまってそういうもんかと思っといた方が楽。

理屈じゃないので理屈反論しても無駄っすわ。

ホント田舎ってクソだわ。そういう俺もクッソ田舎もんだ。

都会に出て長く暮らすうちに、「あれ、自分と他の田舎もんだけがおかしいぞ?地元が都会にやつは性差お金を結びつけないぞ?」と気づいたが、もうその頃にはジジイになってて恋愛市場のコア層じゃないから影響力なんてねえっすわ!

Permalink |記事への反応(1) | 01:10

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2025-11-28

久しぶりに秋葉原に行こうと思う

これまでは東京観光地であった。

1回目に秋葉原に来たのはいつだったか覚えていない

まだ元気だった父親と一緒に秋葉原に来て、秋月電子ラジオ会館電子部品を見た。

安かったからと8GBのUSBメモリを1600円くらいで買った事を覚えている。

から多分18年前くらいだったと思う。

2回目はいつだったかはっきり覚えていない

なんかのついでに見に来た、特に用事が無かったと思う。

まり時間が無かった。

多分オープンキャンパスの帰りか、高速バスの乗り換えの隙間時間だったと思う。

13年前くらいか

明日特に用事はないが、散歩がてら秋葉原に行こうと思う。

上京?したので、2時間くらいで行ける距離になった。

とりあえずラジオ会館にでも行こうかな

でも電子部品はアリエクで買うしなあ

Permalink |記事への反応(1) | 18:26

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2025-11-26

毎日弁当を作ってる子の家にはガスコンロがなかった

弘法、筆を選ばずっていうのは知ってるけど、まさか筆がないとは思わないじゃん……。

 

というのは言い過ぎだけど、毎日弁当を作って持ってきている同僚の家にはガスコンロがないという。

引っ越し先でガスの種類が変わってしまったため、買い替えないといけないのをそのまま放置しているとか。

から料理は単機能レンジと、15年前に型落ちで買ったと言うオーブントースターそれから炊飯器だけだという。

しかも、内釜が痛むのが嫌だからと、炊飯器調理はしていないって。

それなのに、弁当のおかずはいつも3品入っている。

しかも全部自分で作ったやつ。

料理が全くできない俺にとっては未知の世界だ。

そもそも上京したときに買ったと言う15年前のオーブントースターが現役というのにもびっくりしている。

なんていうか、マメな人なんだなぁ、と思った。

Permalink |記事への反応(12) | 23:17

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anond:20251125190757

自分田舎育ちで、部活帰りに1時間に1本しかない電車を、高校の部室で友人と待つような高校生活だったけど、

就職上京して、5分に1本来電車最先端流行に触れてる高校生とか見てむなしくなった。

Permalink |記事への反応(1) | 15:14

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anond:20251126074048

上京してびっくりしたのは子供電車に乗って学校通ってること

ランドセルしょってるようなのが電車に1人で乗ってるんだぜ

Permalink |記事への反応(1) | 07:43

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2025-11-16

地元で働くハードルが高くない人が羨ましい

東京まれ東京育ちで東京地元だと思ってるけど、先祖代々東京人というわけではないから胸を張って東京故郷というのは気が引けるくらいのよくある家。

公務員とか地域密着企業とか、地域に根ざした仕事がしたいと思うけど、東京競争が激しく、かといって縁もゆかりもない地方に行ったとて「なんでお前が?」という反応になるのが目に見えている。

「生まれ育った愛着がある土地で、家族の近くで就職したい」と地方出身者が言ってても、何も言われないどころかむしろ親孝行だねとか郷土愛があるねと言ってもらえるのに、東京出身者がそう言うと、東京実家がある自慢かよとか、そんな甘ったれたこと言ってても東京競争激しいからねと責められる。

東京一極集中恩恵享受していることは自覚しているけど、東京or地元という選択肢があり、地元以外を選んでも不思議に思われないということ自体が羨ましい。こっちは東京地元で、東京以外を選ぼうとしたら孤立無援の上に不審がられ、かといって東京就職しようとすると高い壁が聳えているのが辛い。

上京して大学院で学び地元博物館就職したという人をネットで見かけ、地元への愛や地縁があって、やりがいある働き口もあったんだなあということが羨ましくなっての愚痴。隣の芝は青い。

Permalink |記事への反応(2) | 13:52

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anond:20251115210831

当然各地に同族がいるよ。

地方じゃそれぞれの個体名で呼び合ってる。

上京して活動するのは代表みたいなもんだから種族名で呼ばれてても違和感ないな。

俺は地方だけど、同族の少ない地域なうえに、仕事では絡まないようにしてるから、周りのやつらから単一存在として見られてると思う。

気になるなら種族の店に行くと新しい一面が知れるかもよ。

Permalink |記事への反応(0) | 11:21

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2025-11-15

田舎奴隷から東京に逃げてきても実家がないと経済奴隷になって終わり」

俺の妹じゃん。上京してそのまま結婚出産子育て。二人とも良い会社に居るから成り立ってるだけで、死ぬまで労働なのは確定だもんな。やだやだ

Permalink |記事への反応(1) | 17:03

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2025-11-14

東京は俺には無理だ。

5年ほど、東京に住んでいたことがある。今は地方都市在住で、過去には完全な田舎暮らしたこともある。

10年ぶりに東京へ行って、色んな人にあって話をした。人の流れをみたり、隣のビルで働く人の姿をみて、その仕事想像したり、近くにいる人の会話に耳をそばだてたり。そして、情報量の多さに圧倒された。

そういえば、上京してすぐの時もそうだったな。慣れるまで、だいぶ時間もかかったが。


日々、いろんな匿名ダイアリー記事をみながら、それぞれの人の境遇に思いを馳せる。

愛されたい。という言葉きこえてくるのを感じる。自分は本当に生きたいのか?すら曖昧なまま。

自分の声を耳を澄まして聞く前に、SNSから他人の声が響いてくる。


東京は常に監視された公共空間にいるんだなということを目の当たりにした。


建前の世界。みんなが利害を背負っていて、何かから身を守っているようにも感じた。

そう、あれは昔の京都本音を喋らず、誰も傷つけないように喋る人たちの世界だ。



匿名ダイアリーの向こう側を想像するときに、発信者東京近辺なのか、そうでないのかをすぐ考えてしまう。

都心部公共空間には、もう人が人らしく本音を言える世界はもう残っていないのかもしれない。

しかしたら昭和新橋秋葉原ガード下には残っていたのかもしれない。


世界はとても意地汚くて、でもその中で笑えています。は、ベルセルク魔女セリフだったか


キレイに整頓された都会に、意地汚さが現れることはない。

実態が、個々の生きたいという思いの積み重ねだったりすると良いだろうが、

漂白化された上っ面だけの仕組みの上でできたカタチのようにも見える。都心ビル個性がないように。

田舎が良いとは思わない。全員が本音だけで話せば良いとも思わない。

でも、人が多すぎるからこそ、一人でいると孤独を感じるのだろう。

自然の中の孤独と、都会の中の孤独なら、どっちを選ぶ?


自然の中の孤独は人ではないものとの戦いだから、人同士で連帯できるように感じてしまう。


久々の東京で、少しの居心地の悪さを感じたので、書いてみた。

東京で生き抜いている人は、本当にすごいと思うし、この中で子どもを育てるのは無理だって思う。

休まることのない公共空間で戦い続けつつ、子どもも育てるんだから郊外なら少しはマシなんだろうね。

東京しか知らずに生きづらいなら、出ていくと良いと思うという、おっさんっぽい説教しかできない。


昔語りにはなってしまうが、自分若者時代には、ママチャリかつ、所持金ほぼ0スタート日本一周している人を複数人は見かけた。


旅の最中で、ウチで働くかい?と誘ってくれた人もいた。一時期は、食いっぱぐれたときの最終手段として、その人の名刺をずっと持っていた。



世界は広い。

私は、私が築いている世界の一部を頑張って守っていくし、まだどこにも居場所がないと思っているひとは、旅に出てほしい。

Permalink |記事への反応(1) | 13:15

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2025-11-12

anond:20251112041037

母子家庭育ちで母親彼氏ができたか上京して縁切ってる奴だぞ

Permalink |記事への反応(0) | 23:44

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2025-11-11

ありがとうKAT-TUNオタクより

18歳だった。子どもの頃から筋金入りのおたく少年ジャンプがなによりも楽しみで二次元男の子たちのかっこよさに安心して興奮してた。

受験頑張ってそれなりの大学に入ったか大学デビューしてみるかと思って色々頑張ったけれど、学籍番号が近くて最初にできた友達自分同様一皮剥けようと頑張ってるオタクで、やっぱりどうしてもオタクといるのが楽しくて楽しくて上京してきたその子が暮らす西武新宿線の家に入り浸っていた。

無限時間を生きていた私たちにとってのいちばん問題は某スポーツ漫画激推ししていたキャラの登場頻度が激減したことで、あまりさびしいさびしすぎると嘆きながら毎朝五時までジャンプを模写していた。楽しくて楽しくて仕方がないのに某スポーツ漫画で味わったような衝撃をもう一度、人生であと一度だけでいいから味わいたいという若さ特有飢餓感の中にいた。もうあんな衝撃はないんじゃないか若さ特有の悲観に囚われ始めた、そんなときにその子が見つけたのが彼らだった。

ごくせん2っていうドラマに出てる子達、二人ともホストみたいだけどなんか気になる。見てみてほしい。

えー人間じゃんと思った。ずっと二次元に向けてきたもの人間に向けるという発想がなかったし、高校にいた癖の強いジャニオタが頭に浮かんであんまり気が進まなかったが、友達と一緒になにかにまれたら良いなと思ってテレビをつけてみた。

ふんふん、面白いじゃん、へえ、かっこいい。なんか顔が似てるなこの二人。ヤンキーもの漫画っぽくて嫌いじゃない。なんかアングラ感ある店でバイトする高校生か、悪くない。

デゴイチノーモアクライが流れる中、仏頂面の小田切が投稿してくる。集団を引き連れそれを迎える矢吹「久しぶり、今更なに? 俺まだお前のこと許してないんだけど」見開かれる目、暴力の気配、小田切の頬を打つ矢吹の拳。

自分が殴られたような気分だった。

「なにあれ、なにあれ、なにあれ!!」

当時はガラケーだった。友達に速攻メールした。即返信あり。言語化できない興奮。無限に連なっていくRe:Re:Re:Re:Re:Re:

次の夜には西武柳沢にいた。なにもわからYouTubeの荒い動画あさり離さないで愛に行きつき、ハルカナ約束に行きつき、ボニーバタフライに行きつき、バイト代ぜんぶ注ぎ込んで横アリチケット買った。予習はした。お客様サマーも見た。こんなに人気なのにCDがまだなくて「デビュー前」なのがどういうことなのか意味がわかってなかった。ほんとうになにもわかってなかった。ヤフオクで競り落としたよからチケットを握りしめて会場に行った。嫌われ者のごく出新規だったが、それでも生まれて初めての横浜アリーナ階段を、自分たちの席を探しておりていったとき光景を一生忘れられない。

私たちは順調に転がり落ちていった。ファンクラブに入った。バイトの鬼になった。たくさん申し込んで金欠になって外れて返金で首の皮一枚繋がるサイクル。

つのまにか箱推しになっていた。神サマーベストフレンドでうえぷのこと大好きになって横アリ中丸夢になって田中聖ラップすごくない?ってなって教習所で再会した同小の子布教により田口のこと大好きになった。ニューヨーク写真集で6人が踏んだ土踏んでみたくてバイト代貯めてニューヨークに行った。写真集を見たお母さんが言ってくれた言葉が忘れられない。例えばこんな子たちが飛行機にいたら、綺麗だなってびっくりするわよ。

自分の手柄でもなんでもない誇らしかった。推しが素晴らしいと誇らしいんだという最初気づきだった。これまで想像してきたジャニーズから逸脱しているように見える規格外グループ出会たこと、そのファンであることが、自分にとっての新しいアイデンティティだった。私たちジャニオタなんだ、って友達と定期的に言い合っておどろいていたけれど振り返ると私はKAT-TUNオタクだった。他のグループコンサートにもだんだん行くようになったし遠征もしたけどKAT-TUNほどに心を揺さぶってくる人たちはいなかった。

この無敵のように浮かれた期間は短かったはずだ。赤西留学によりブレーキがかかったから、ほんとうに短い。それからもいろんなことがありすぎた。アイドルってこんなふうになるもんなの? これがジャニーズなの?って思ったけれど、アイドルらしくなくジャニーズらしくない人たちにハマる手数料みたいなものなのだとしたら案外釣り合いがとれるのかもしれない。

でもけっきょく、KAT-TUNを好きでどんな日々だったか振り返ろうとするといつだって同じ景色が見える。あの横アリ階段をもうすぐあえると思いながら降りていったときのことをいちばん覚えている。

あれから20年経って大人すぎるくらい大人になり、良くも悪くも人生はいろんな衝撃があると知ったけれど、18歳の自分を襲ったあの衝撃がうすれることはない。

あのころのように新しい衝撃を渇望するだけの元気はもうないけれど、生きていたら同じくらいの衝撃が襲ってくるかもと期待する気持ちがどこかにある。

殴打音と共に、舌打ちと共に、あのとき過分な衝撃を与えてもらったからだ。彼らのおかげで私は18歳のころから、期待しながら生きられている。

ありがとうKAT-TUN。次の衝撃があなたたちによるものであればよいと願わずはいられないけれど、どっちにしたってあなたたちを追いかけた青春がこの先の道を照らしている。

 

Permalink |記事への反応(0) | 08:33

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ありがとうKAT-TUNオタクより

18歳だった。子どもの頃から筋金入りのおたく少年ジャンプがなによりも楽しみで二次元男の子たちのかっこよさに安心して興奮してた。

受験頑張ってそれなりの大学に入ったか大学デビューしてみるかと思って色々頑張ったけれど、学籍番号が近くて最初にできた友達自分同様一皮剥けようと頑張ってるオタクで、やっぱりどうしてもオタクといるのが楽しくて楽しくて上京してきたその子が暮らす西武新宿線の家に入り浸っていた。

無限時間を生きていた私たちにとってのいちばん問題は某スポーツ漫画激推ししていたキャラの登場頻度が激減したことで、あまりさびしいさびしすぎると嘆きながら毎朝五時までジャンプを模写していた。楽しくて楽しくて仕方がないのに某スポーツ漫画で味わったような衝撃をもう一度、人生であと一度だけでいいから味わいたいという若さ特有飢餓感の中にいた。もうあんな衝撃はないんじゃないか若さ特有の悲観に囚われ始めた、そんなときにその子が見つけたのが彼らだった。

ごくせん2っていうドラマに出てる子達、二人ともホストみたいだけどなんか気になる。見てみてほしい。

えー人間じゃんと思った。ずっと二次元に向けてきたもの人間に向けるという発想がなかったし、高校にいた癖の強いジャニオタが頭に浮かんであんまり気が進まなかったが、友達と一緒になにかにまれたら良いなと思ってテレビをつけてみた。

ふんふん、面白いじゃん、へえ、かっこいい。なんか顔が似てるなこの二人。ヤンキーもの漫画っぽくて嫌いじゃない。なんかアングラ感ある店でバイトする高校生か、悪くない。

デゴイチノーモアクライが流れる中、仏頂面の小田切が投稿してくる。集団を引き連れそれを迎える矢吹「久しぶり、今更なに? 俺まだお前のこと許してないんだけど」見開かれる目、暴力の気配、小田切の頬を打つ矢吹の拳。

自分が殴られたような気分だった。

「なにあれ、なにあれ、なにあれ!!」

当時はガラケーだった。友達に速攻メールした。即返信あり。言語化できない興奮。無限に連なっていくRe:Re:Re:Re:Re:Re:

次の夜には西武柳沢にいた。なにもわからYouTubeの荒い動画あさり離さないで愛に行きつき、ハルカナ約束に行きつき、ボニーバタフライに行きつき、バイト代ぜんぶ注ぎ込んで横アリチケット買った。予習はした。お客様サマーも見た。こんなに人気なのにCDがまだなくて「デビュー前」なのがどういうことなのか意味がわかってなかった。ほんとうになにもわかってなかった。ヤフオクで競り落としたよからチケットを握りしめて会場に行った。嫌われ者のごく出新規だったが、それでも生まれて初めての横浜アリーナ階段を、自分たちの席を探しておりていったとき光景を一生忘れられない。

私たちは順調に転がり落ちていった。ファンクラブに入った。バイトの鬼になった。たくさん申し込んで金欠になって外れて返金で首の皮一枚繋がるサイクル。

つのまにか箱推しになっていた。神サマーベストフレンドでうえぷのこと大好きになって横アリ中丸夢になって田中聖ラップすごくない?ってなって教習所で再会した同小の子布教により田口のこと大好きになった。ニューヨーク写真集で6人が踏んだ土踏んでみたくてバイト代貯めてニューヨークに行った。写真集を見たお母さんが言ってくれた言葉が忘れられない。例えばこんな子たちが飛行機にいたら、綺麗だなってびっくりするわよ。

自分の手柄でもなんでもない誇らしかった。推しが素晴らしいと誇らしいんだという最初気づきだった。これまで想像してきたジャニーズから逸脱しているように見える規格外グループ出会たこと、そのファンであることが、自分にとっての新しいアイデンティティだった。私たちジャニオタなんだ、って友達と定期的に言い合っておどろいていたけれど振り返ると私はKAT-TUNオタクだった。他のグループコンサートにもだんだん行くようになったし遠征もしたけどKAT-TUNほどに心を揺さぶってくる人たちはいなかった。

この無敵のように浮かれた期間は短かったはずだ。赤西留学によりブレーキがかかったから、ほんとうに短い。それからもいろんなことがありすぎた。アイドルってこんなふうになるもんなの? これがジャニーズなの?って思ったけれど、アイドルらしくなくジャニーズらしくない人たちにハマる手数料みたいなものなのだとしたら案外釣り合いがとれるのかもしれない。

でもけっきょく、KAT-TUNを好きでどんな日々だったか振り返ろうとするといつだって同じ景色が見える。あの横アリ階段をもうすぐあえると思いながら降りていったときのことをいちばん覚えている。

あれから20年経って大人すぎるくらい大人になり、良くも悪くも人生はいろんな衝撃があると知ったけれど、18歳の自分を襲ったあの衝撃がうすれることはない。

あのころのように新しい衝撃を渇望するだけの元気はもうないけれど、生きていたら同じくらいの衝撃が襲ってくるかもと期待する気持ちがどこかにある。

殴打音と共に、舌打ちと共に、あのとき過分な衝撃を与えてもらったからだ。彼らのおかげで私は18歳のころから、期待しながら生きられている。

ありがとうKAT-TUN。次の衝撃があなたたちによるものであればよいと願わずはいられないけれど、どっちにしたってあなたたちを追いかけた青春がこの先の道を照らしている。

 

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