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はてなキーワード:上下関係とは

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2025-12-12

ASD長男思考はやっぱりオカシイ

知的障害ASD長男、ヒトの気持ちとか全然読めない。

いや、読めないかASDなんだけど。

こないだ、子供嫌いで威嚇してくる認知症老人にニコニコ絡んでいった。

悪意に悪意で返すとか、好意好意で返すとかがなく、ホント自分がどう感じるかだけで動く。

なにかされても、やり返すこともない。

弟にセーブデータを消されても、大作の工作を壊されても、ほとんど全くやり返すことはなく。

たぶん、「○○のせいで」っていう、誰の責任っていう発想がない。

壊されたのはわかってるけど、あくまで原因と結果っていうだけしか認識してなくて、ペットになにか壊されても、動物に恨みの感情を持ったりしないみたいにな感じなんだと思う。

楽しいか悲しいかとかはあるけど、それより複雑な、対人間嫉妬とか恨みとか、そっちがまるっきりない。

昔はもっと、怒られてるのすら気づかない、気付いていても自分感情じゃないって感じだったけど、最近はやっと、すげー怒られると、「こわいよー」って言うようになった。

でも、それ以上でもそれ以下でもなく、付随する人間関係の恐怖、嫌われて辛いとかそういうのが一切ない。

普通あるじゃないですか?

言葉通じない赤ん坊でも怒ると理解するのって、親に嫌われる恐怖みたいなのがあって、なんで怒られてるのかわからないけど怒られてることくらいわかるもんで。

基本的に、人間ってサルから進化してるんで、サル山の論理で生きてる。

毛づくろいし合ってコミュニケーションし合った延長が言語で、コミュニケーションとか上下関係とかどれが敵対グループでどれが友好グループで、みたいなのに敏感に感じ取って、マウンティングしたり媚つらったりするのが本能

文字より動画動画より対面で話したほうが伝わったりするのは、人間って勢いで押されると、わかった気になったりするから

良くも悪くも、頭でなく空気判断してる。

国民の1人1人が法律とか会計とか理解しなくても、世の中が回ってるのは、とりあえず右に倣えで空気読んで行動するから

もちろん、空気よりも理屈ってタイプもいるし、白か黒かじゃなくてグラデーションだ。

たぶん、自分なんかどっちかというと鈍いほう。

それが、うちのASDっ子は突き抜けて鈍い。

から、滅茶苦茶怒られた直後でも、面白いものをみつけるとすぐキャッキャできる。

反省してないわけじゃない。

怒られたことと関係ないことで楽しくするぶんには、口を出すことじゃないのだけど、もうちょっとシュンとしろよって思ってしま自分がいる。

Permalink |記事への反応(2) | 11:00

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2025-12-08

anond:20251208100544

うーん…「マウントってダサいよな」って話をするのがゴールって感じなのかな。それで言うと出来ないかも。わざわざその話題を出すこと自体が、お互いの上下関係を気にしてることを浮き彫りにしてしまう気がする。

昇給をお祝いできて、不倫相手の話を笑って聞けるなら、それでいいんじゃないのか。

Permalink |記事への反応(2) | 10:19

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2025-12-03

今回の台湾の件見て、左派って「権力の上には噛みつくけど、下の立場には寄り添う」みたいな建前ずっと言ってたけど、あれ普通に嘘だったんだなってはっきり分かっちゃったわ。

いざ日本トップ外交で狙われて叩かれてる場面になると、なぜか本丸中国じゃなくて日本側ばっか突っつくし民間に火の粉が飛ぶリスクとか完全スルー政権叩きに一直線。

上下関係権力に向き合うんじゃなくて、結局「叩いても安全相手」を叩いて気持ちよくなってただけじゃんっていう。

こういう時に本性出るんだなって思ったわ。

Permalink |記事への反応(3) | 09:54

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2025-11-29

ホストが語る「夢」って何なんだ?

なんとなくホストクラブドキュメンタリーを見ていたら、

ホスト達が「夢を叶えに来た」とか「この店に人生賭けてる」みたいなことを感動的な演出で語っていた

この人たちの夢って一体何なんだ?女騙して貢がせて悠々自適に暮らすこと?

だとしたらそれの為にスポ根みたいな上下関係とかプロ意識とか語ってるの大分イタくないか

運営側が「ホスト業界クリーンにしたい」って語ってたのはおおーってなったけど、プレイヤーホスト)側が語る”夢”は意味不明

Permalink |記事への反応(3) | 21:59

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2025-11-21

anond:20251121152023

左翼従属が嫌いだから日本支配する(基地がある)アメリカを嫌うし、与党も嫌う。クルド人に対しては、移民人権もあるかもしれないが、少数派で自分の上ではないからというのが実態に近いような気がする。過去には社会主義に憧れた視点ソ連中国を見ていたが現在それら国々が独裁国家であることはもはや誤魔化せず苦い過去になっている。社会主義がなくなったせいで中道自由主義が最左端になってしまった。中国は好きではないが過去戦争の手前を気にして強気にでられない。

右翼上下関係重視だからアメリカ様と与党が大好きで、外国人であるクルド人は少数派の格下だから鬱憤晴らしの道具にする。野党も上様に逆らうから嫌い。アジア日本より下とみなすの伝統重視で明治時代を引きずっているから、経済的にも軍事的にも負けてても見下すことができる。独裁が悪だから中国批判するというのは建前で、本当はピラミッド組織で固まって敵認定した相手国内でも国外でも叩き潰すのが一番気持ちいいと思っているし、人権なんてどうでもいい。

Permalink |記事への反応(1) | 16:17

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2025-11-17

中国トレンドワードに、「日本死気」が上がっている

以下中国人ブログ記事から引用

「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。

しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。

気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。とき言動荒唐無稽になり、意味不明妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。

死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。

死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。

私たちは、日本の現状をある程度理解しなければならない。

日本のここ数十年の発展は、アメリカ庇護冷戦恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。

そもそも日本資質資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。

日本は、数十年ものあいだ変化のない“死んだ国”なのである

過去日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。

トヨタホンダ日産など日本の主要自動車メーカー2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。

今年9月には、中国における日本車のシェア11.6%まで落ち込み、2020年24.1%から半減した。

本拠地である北米市場ですら、前例のない急減となっている。

自動車産業日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会経済は極めて大きな動揺に襲われる。

日本インフラ産業生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代時間が止まったかのような世界に生きている。

今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。

家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。

技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポスト占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。

日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。

数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。

今日日本の多数の産業競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。

日本EVインターネットドローンAIほとんど発展していない。

多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。

から彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機艦船年代物のポンコツ空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦わずか8隻、レーダーミサイル技術は大きく遅れている……。

こんな状態で、何を賭けられるというのか?

家の資産豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。

経済産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性技術の差だけで、相手疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。

しかし、日本がどうしても無理に突っ込むというなら――それはそれで“成就させる”しかない。

なぜなら、ゾンビでさえ自ら墓場には入らないからだ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:11

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anond:20251117121454

それ昨日見たわ

日本死気」

https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733

「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。

しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。

気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。とき言動荒唐無稽になり、意味不明妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。

死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。

死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。

私たちは、日本の現状をある程度理解しなければならない。

日本戦後の発展は、アメリカ庇護冷戦恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。

そもそも日本資質資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。

日本は、数十年ものあいだ変化のない“死んだ国”なのである

過去日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。

トヨタホンダ日産など日本の主要自動車メーカー2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。

今年9月には、中国における日本車のシェア11.6%まで落ち込み、2020年24.1%から半減した。

本拠地である北米市場ですら、前例のない急減となっている。

自動車産業日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会経済は極めて大きな動揺に襲われる。

日本インフラ産業生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代時間が止まったかのような世界に生きている。

今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。

家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。

技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポスト占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。

日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。

数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。

今日日本の多数の産業競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。

日本EVインターネットドローンAIほとんど発展していない。

多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。

から彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機艦船年代物のポンコツ空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦わずか8隻、レーダーミサイル技術は大きく遅れている……。

こんな状態で、何を賭けられるというのか?

家の資産豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。

経済産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性技術の差だけで、相手疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。

しかし、日本がどうしても無理に突っ込むというなら――それはそれで“成就させる”しかない。

なぜなら、ゾンビら自ら墓場には入らないからだ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:17

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日本人相手を怒らせたら怒らせたこちらが悪いという思考をしてしま

でも中国ではキレ散らかして相手に謝らせたら勝ちというのが普通

謝ったら最後、そこで上下関係が確定する

から彼らはあんなふうに無理筋でもブチ切れてくる

日本人的な感覚理解しようとするのはやめた方がいい

Permalink |記事への反応(0) | 06:57

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日本死気」

https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733

「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。

しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。

気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。とき言動荒唐無稽になり、意味不明妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。

死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。

死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。

私たちは、日本の現状をある程度理解しなければならない。

日本戦後の発展は、アメリカ庇護冷戦恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。

そもそも日本資質資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。

日本は、数十年ものあいだ変化のない“死んだ国”なのである

過去日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。

トヨタホンダ日産など日本の主要自動車メーカー2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。

今年9月には、中国における日本車のシェア11.6%まで落ち込み、2020年24.1%から半減した。

本拠地である北米市場ですら、前例のない急減となっている。

自動車産業日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会経済は極めて大きな動揺に襲われる。

日本インフラ産業生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代時間が止まったかのような世界に生きている。

今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。

家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。

技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポスト占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。

日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。

数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。

今日日本の多数の産業競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。

日本EVインターネットドローンAIほとんど発展していない。

多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。

から彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機艦船年代物のポンコツ空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦わずか8隻、レーダーミサイル技術は大きく遅れている……。

こんな状態で、何を賭けられるというのか?

家の資産豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。

経済産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性技術の差だけで、相手疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。

しかし、日本がどうしても無理に突っ込むというなら――それはそれで“成就させる”しかない。

なぜなら、ゾンビら自ら墓場には入らないからだ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:01

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2025-11-12

仙台育英構造いじめ”報告──これで本当に誰かが救われたのか

仙台育英学園が「体育会サッカー部における構造いじめ」を認定し、12月末までの対外活動停止を発表しました。

学校の最終報告では「部全体・顧問団の人権意識が不十分で、構造的にいじめを生じさせる体制だった」としています

もし本当にいじめがあったのなら、関係者責任を負うのは当然です。

しかし、現状の学校対応には、保護者として強い疑問を感じます

焦点は「被害者」ではなく、「学校説明責任判断妥当性」です。

1.「構造いじめ」とされた内容は、どこまでが問題だったのか

聞き取り調査の中で明らかになった内容は、次のようなものでした。


かに配慮を欠いた場面があったのは事実かもしれません。

ただ、遅刻・居眠り・無断欠席はいずれも本来してはいけない行為であり、それを同級生が強い口調で注意したことまで「いじめ」とされている点に、強い違和感を覚えます

体罰暴力があったわけでもなく、

これはどこの学校部活動でも見られる“注意・指導一場にすぎません。

本人が嫌な思いをしたとしても、

それだけで「いじめ構造」と結論づけるのは、教育的にも慎重さを欠いています

2.学校が責めるべきは「個人」ではなく「自らの管理体制

保護者証言によれば、当時のサッカー部には「罰則が厳しい雰囲気」があったのは事実です。

試合で負けると「坊主にする」空気があった(ただし明確な強制ではない)

寮では遅刻お菓子の持ち込みに罰則があり、当時の1年生が“お互いを監視し合う”ような状態が生まれていた。

指導の中で「連帯責任」を求める場面が多かった。

これは、まさに学校指導陣のマネジメント問題であり、

構造的な原因を作ったのは生徒ではなく学校です。

厳しすぎる規律子どもたちを息苦しくさせていたのだとすれば、

それを是正すべきは指導者であり、生徒全体を処分する理由にはなりません。

3.処分の影響を受けているのは、当時在籍していなかった現1・2年生

今回「構造いじめ」とされたのは、学校発表によると2024年5月までに発生した出来事

まり、それは現3年生が1年生だった頃の話です。

しかし、実際に活動停止の影響を受けているのは、当時まだ中学生だった現1・2年生です。

彼らは、問題の経緯も知らず、被害を訴えた生徒の顔すら知らないという状況です。

それでも学校は、「構造いじめのあった部として再発防止を徹底する必要がある」として、学年を問わず全員を対外活動停止しました。

過去体制で起きた出来事理由に、関係のない生徒たちまで処分対象にするのは、あまりにも乱暴です。

個人行為ではなく、組織過去文化理由に“無関係世代まで罰するという構図は、

教育ではなく見せしめに近いと言わざるを得ません。

4.「いじりもいじめ」という線引きの危うさ

学校の報告では、「冗談やいじりであっても、相手不快に感じたらいじめに該当する」と記されています

もちろん、相手気持ちを軽視してはいけません。

しかし、意図関係性を一切考慮せずに「不快いじめ」としてしまえば、

生徒たちはお互いに何も言えなくなります

教育現場で求められるのは、断罪ではなく“線引きを学ぶ機会”です。

学校が行っているのは教育ではなく、責任回避に見えます

5.「構造いじめ」は学校組織問題

部内で上下関係固定化し、強すぎる規律連帯責任があったなら、

それは指導体制教育方針問題です。

生徒たちがその環境でどう育ったのかを丁寧に振り返り、

学校としての指導のあり方そのもの検証すべきです。

過去空気感を理由に生徒全体を処分するのではなく、

なぜそうした文化放置されていたのか、

誰がどのような指導方針をとっていたのかを明らかにすることこそ、

教育機関として果たすべき責任です。

6.本当に必要なのは、透明な説明手続き

今回の対応で最も問題なのは

具体的な事実認定を示さず、“構造いじめ”というレッテルけが独り歩きしていることです。

体罰暴力確認されていないのに、

報道SNSでは“加害校”という印象だけが先行しています

誠実に努力してきた選手たちが、何の説明もないまま大会出場を奪われ、

精神的に追い詰められている。

人権」を守るための対応が、の子どもたちの人権を奪っているという矛盾が起きています

7.被害を訴えた生徒も、これで良かったのか

忘れてはいけないのは、被害を訴えた生徒の存在です。

勇気を出して声を上げたことは尊重されるべきですし、

本当に苦しい思いをしていたのなら、支援されるのは当然です。

しかし、その結果として関係のない生徒たちまで活動停止に追い込まれ

大会出場の機会を奪われ、学校全体が批判さらされている。

これは本当に、被害者本人が望んだ形だったのでしょうか。

もし今、学校対応によって新たな分断や不信が生まれているのだとしたら、

誰も救われていないということになります

守るべきは「誰が悪いか」ではなく、「どうすれば皆が尊重されるか」ではないでしょうか。

結論いじめ防止の名の下で、別の不公平を生んでいないか*

いじめは決して許されません。

しかし、今回のケースは体罰暴力もなく、

遅刻・居眠り・無断欠席を注意するような、ごく普通の場面までも“いじめ”と認定されている。

いじめを防止するための措置が、

結果として別の理不尽二次被害を生んでいるのではないでしょうか。

被害者を叩きたいのではありません。

本当に問いたいのは、学校説明責任と、教育機関としての姿勢です。

事実を丁寧に明らかにし、責任を取るべきは、

生徒ではなく、学校です。

Permalink |記事への反応(0) | 16:55

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2025-11-11

エレベーター

1話 スタジオ

エレベーターというのは不思議空間だ。

人がぎゅうぎゅうに詰まっていればあきらもつくのだが、ひとりきりで乗ると、あの箱の中は、ちょっとした自分専用のスタジオになる。

わたしローファーがそっと床をたたく。コトン。ドン。――あの低い響きがいい。まるでバスドラム

自然と手が動く。指先で軽くリズムを刻む。床の下は空洞なので、やけに低音がよく響くのだ。これが妙に気持ちいい。次に手でリズムをとる。パパパン、パパパンパン自然お気に入りサンバリズムになる。あとはもう止まらない

――ドンパンドンパン

まるで小さなドラム練習室だ。

途中でふと思う。もし監視カメラ映像を見ている人がいたらどう思うだろうか。

「またやってる、あのローファーの人」

なんてあだ名がついているかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。あの数秒間の“無重力時間”を、ただ上品にじっと立って過ごすなんてもったいないわたしにとってエレベーターは、心のメトロノームを整える大切な装置なのだ

演奏もノッてきて、いまにも踊りだしたい気分のなか、ピン、という到着音が鳴る。

ドアが開く。演奏は終わる。

ドラムス、わたし。観客、ゼロ拍手ゼロ。だが、なぜか心はちょっとだけ晴れやかだ。

何事もなかったように髪を直し、まっすぐ前を向く。

外の世界に出ていくわたしの足元では、ローファーがまだ、ほんの少しだけ跳ねている。



ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第2話 文明の衝突

――エレベーターというのは、社会の縮図である

たかが十数秒の移動時間に、上下関係礼儀作法も、そして日本独特の「気づかい文化」も、すべて詰まっている。

欧米では女性と乗り合わせた男性は奥に立ってはいけないという。

女性の背後に男性が立つと不安を与える――そういう理屈らしい。だから女性はドアのそば男性は奥へ。それでバランスがとれる。

だが日本では、事情がまるで違う。

ここでは、奥が“上座である上司や来客を奥へ通し、目下の者が手前で「開」ボタンを押す。つまり最後まで残ってボタンを押す者こそが、いちばんの下座なのだ

ある朝、会社ビルでのこと。

わたし男性上司と数人の同僚と乗り合わせた。

エレベーターが動き出すと、自然に手前の位置に収まり、指を「開」ボタンに添える。

――目下の女性は、番人のようにドアの手前に立つ。

最後の瞬間まで(開)を押し続け、すべての人が安全に降りるのを見届ける。

そして、最後自分が降りるその刹那、体をよじらせてまで(閉)ボタンを押す。

去りゆく背中に向けて、残された人たちが少しでも快適であるように。

それが、ささやかだが確かな、日本文化である

ピン、と到着音。

ドアが開く。上司が降り、同僚が降り、わたしが残る。

手の中の「開」ボタンが、少しだけ温かい

最後に指先をひねるようにして(閉)を押すと、ドアはすっと静かに閉まった。

――誰も気づかないほんの一秒の所作

けれど、その一秒のために、日本エレベーター今日も穏やかに上下しているのだ。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第3話 ゴミ

――朝のエレベーターほど、社会の縮図を感じる空間はない。

まだ頭のエンジンがかかりきっていない時間帯に、人と人とが沈黙のまま、数平方メートルの箱の中で呼吸を合わせる。

そんな朝に限って、なぜか私は両手いっぱいにごみ袋を持っている。しかも三袋。

いつもはこまめに出しているのに、今朝に限って溜まっていた。

昭和のころなら「燃える」「燃えない」くらいで済んだが、いまは「プラ」「紙」「ペットボトル」と分別がややこしい。

この三袋はまるで、現代の複雑さそのもののようだ。

そして、よりによって――

各駅停車のように、途中階でピタピタと止まるエレベーター

「一階まで直通で行きたい」と願う日に限って、乗ってくる、乗ってくる。

二階でひとり、三階でまたひとり。

そのたびに私は、ごみ袋を抱えたまま少しずつ後退し、ついには奥の壁の隅へと追い詰められる。

壁と人の間、残された空間ほとんどない。

ごみ袋が前の人に触れないように、腕の角度を微調整。

ペットボトルの袋がカサッと鳴るたびに、全身の神経がピクリと反応する。

――これが朝の神経戦である

やっとのことで一階に到着。

ドアが開くと同時に、三袋を引き連れて外へ出る。空き缶がカラカラ鳴ってまるで子ヤギの鈴だ。

外の空気は冷たく、そして妙に自由だ。

ごみを置いて手が空いた瞬間、エレベーターの中のあの沈黙が少し懐かしく思える。

ほんの数十秒の乗車時間――だが、そこには社会圧縮ファイルのように、気づかいと緊張と分別哲学が詰まっているのだ。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第4話 ラッキーセブンか丸八か

――俺の会社雑居ビルの七階にある。

から近いくせに、人通りは少なく、どこか路地裏のにおいがする。

飲食店事務所と、なぜか整体院が混在している、昭和の名残のようなビルだ。

朝のエレベーターはたいてい俺ひとり。

無音の箱がゆっくり上昇していく短い時間が、ちょっとした気持ちの切り替えになる。

その日も、いつものように慣れた指先で「ピッ」とボタンを押した。

ドアが閉まりモーター音。

七階に着くはず――だった。

ところが。

扉が開いた瞬間、見たことのない光景が広がっていた。

薄暗い照明の奥へ、赤い鳥居がずらりと連なっている。

遠近感が狂いそうなほど、ずうーーっと続いている・・・ようにみえたが、錯覚だった。

そうか。ここは霊能者占い事務所だ。

一瞬、本気で異世界転移かと思った。

だがボタンを見ると、「8」が光っている。

……押し間違えたらしい。

そうか、と胸の奥で何かがコトンと鳴る。

前の会社は八階だった。

あの頃、毎日押していた数字

意識しなくても、指が“丸八”を覚えていたのだ。

八幡神社の丸八」みたいだな、とふと思う。

勝手縁起がよさそうに見えてくる。

いや、縁起がよくても、この八階の鳥居廊下には用事はない。

そっと「閉」ボタンを押す。

エレベーターが七階へ戻っていくあいだ、

赤い鳥居と“丸八”の光が、じわりと胸の奥に残っていた。

七階の扉が開く。

いつもの蛍光灯の白い光。

コピー機作動音。

ああ、こっちが現実世界だ。

でも時々思う。

人間にも、過去の「丸八」を押してしまう指が残っていて、

そのせいで、ふと別の世界のドアが開くのかもしれない――と。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第5話 回覧

――マンションエレベーターというのは、ちょっとした“自治社会掲示板である

あの狭い壁面には、住民の息づかい管理組合の苦労と、そしてときどき発生する謎の個人制作チラシが、ぎゅうっと貼り並んでいる。

わがマンション例外ではない。

消防設備点検のお知らせ、粗大ごみ出しのルール徹底、管理組合理事会の案内。

そして、上下階の騒音問題――おそらく管理人クレームがいったであろう案件も、「○階の皆さまへ」などと、やんわりと、しかじわじわ刺す文体で貼られている。

小さいお子さんの“ドンドン問題だ。

あれはもはや、マンション暮らし季語に近い。

中には「〇階付近」と、ギリギリ個人特定にならない程度に範囲を狭めてくる注意書きもあり、これがまた絶妙にいやらしい。

管理組合名義とはいえ、実質“言いたいことを管理人外注”している感がにじみ出ている。

通常、掲示物は管理人が貼るのだが、ごくまれに、明らかに住民勝手に作って貼ったものを見かける。

文章微妙感情的フォントは謎に凝っており、そして貼り方が妙に強い。

よほど業を煮やしたのだろう。

ある朝、エレベーターの鏡に直接貼られた紙を見て、思わず声を失った。

「鏡を手あぶらで汚すな!!」

しかも、使われていたのは粘着バリバリの強力テープ

……おいおい、それを剥がすとき、鏡が汚れるだろう。

いや、鏡が傷つく可能性すらあるぞ。

注意のために鏡をむしろ犠牲”にするとは、なんという本末転倒

いや、あなたのほうがよっぽど鏡の美観を損ねてますよ、と心の中で突っ込んだ。

たぶん、あれは隠居爺だ。

日々やることがなくて、イライラが溜まっているに違いない。

エレベーターが小さな舞台なら、あの爺さんは毎朝そこで、独自の幕間劇を上演しているのだろう。

エレベーターが一階に着く。

ドアが開くと同時に、外の空気が少し冷たく感じる。

振り返ると、鏡に貼られた勝手チラシがどことなく誇らしげに揺れていた。

――今日マンション社会は、あの小さな箱の中で静かにドラマを続けている。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

Permalink |記事への反応(0) | 12:38

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2025-10-30

anond:20251030100915

おー、これだよこれ。

俺は男は常に他人との上下関係を気にしておりデフォ自分が上という結論になった。なお、フラット(対等)は存在しない。両者ともに俺が上と思ってるのがフラットに見えることはある。

対して、女性デフォフラット

Permalink |記事への反応(4) | 12:25

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2025-10-24

anond:20251024090249

恩を売っているとかマウントとか上下関係の構築とかそういうのでは。

Permalink |記事への反応(0) | 09:06

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2025-10-23

小野田大臣オタクと知って共感性羞恥まら

小野田大臣ガチオタクだと話題になっていて、頭を抱えている。

私も小野田大臣プロデュースしたドラマCD聞いてたよ。

日本刀持って写真撮ったり、「卑弥呼時代から歴史を刻んできた我が国のものに忠誠を誓っています」とか言ったりする小野田大臣を見て、

ああ、すごく楽しかったんだろうなと思った。

どうしてそう思うかというと、私の推し日本だったから。

ヘ〇リアに一番ハマっていた頃の私は国家公務員志望だったから、なんとなくロマンチック気持ちになったりしてたよ。

日本のために頑張るんだーって思ってた。日本のためならきっと勉強上下関係長時間労働も耐えられるって。

当時は本気だった。

でも年を重ねるうちに、へ〇リアにはよくないところもあるなって気づいた。

国や歴史単純化してる部分があるし、戦争というセンシティブ出来事先進国視点からエンタメ化されるのは問題だと思う。

そもそも、国ってすごく大きなもので、当然各国にいいところも悪いところもあるんだから、それを「推す」こと自体に危うさがある。

そう思ったから、頑張って日本史も世界史勉強したし、海外ニュースも見るように気を付けてきた。

とうらぶもやってたよ。私の初期刀は歌仙です。

少し前に小野田大臣プレイヤーだとわかって、TLが盛り上がっていた。

でも、同じ閣僚の中には、南京事件存在否定する映画賛同してた人もいる。

それって歴史修正なんじゃないですか?

審神者じゃなくて、時間遡行軍側の価値観でしょ。

小野田大臣の話とは関係ないけど、私はそのあとコナンにハマってた。

安室透が好きだったから、別の省庁希望だったけど、警察庁に変えるか本気で悩んだ。

でも現実冤罪事件のことを思うと、日本のためとか、違法捜査も辞さないみたいな価値観に憧れられなくなった。

最近作品を見るのも少しつらくて、そんな自分の状況も嫌になったりする。

ヘ〇リアは今も好きだけど、上記問題無視できなくてずっと考え続けている。だからまり「好き」と公言していない。

そんな中で、同じファンである小野田大臣外国人問題で注目を集めているのを見ると、正直悲しくなる。

外国人犯罪率は高くないし、日本人に比べて優遇されているわけでもない。

あと、ヘ〇リアにはBL要素があるけど、小野田大臣同性婚法制化に「やや反対」らしい。その点も複雑な気持ちになる。

私は官僚志望をやめて、今は対人援助にかかわる仕事をしています

スパイ防止法国旗毀損罪と排外主義に反対し、選択夫婦別姓同性婚に賛成しています。なによりもまず、物価対策賃上げをしてほしいと思ってる。

小野田大臣を支持する人から見たら、私は「反日」とか「スパイ」に見えるかもしれない。

それでも私は、日本のため、世界のために毎日頑張っているつもりです。

オタクのみんなは、現実政治社会を見つめていこうな。

私みたいにこじらせてから気付くと、けっこう痛いので。

参考:

https://x.com/onoda_kimi/status/1799689208745095250

https://x.com/onoda_kimi/status/1709189028950790634

https://www.ntv.co.jp/election2022/research/candidate/?id=330014

https://mainichi.jp/articles/20251022/k00/00m/010/098000c

Permalink |記事への反応(1) | 20:57

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2025-10-20

1日の使い方について、最近野生動物参考に、メラトニンコルチゾールタンパク質と脂質の観点から解釈して最適解を出そうとして見た

まず結論として、体重60Kg31歳の男性である俺にとって、1日の流れは以下の通りが良い、という結論に至った。


起床→達成感のある仕事3時間→飯大量→だらだら仕事6時間ちょっと達成感のある仕事3時間→飯→ダラダラ仕事5時間→就寝


野生動物は狼を参考にした。チーターサル、原始人を調べたんだけど、現代生活リズムに一番近いのは狼という結論に至った。

狼は基本的に眠りが浅くて、長時間狩りや運動をするんだよね。社会性も家族制、一夫一妻、上下関係でなく役割性。

比較関係フラットハードワークを長時間し続ける現代人に近い。基本的寝不足というか、夜寝れない現代人に似てる。

というか、狼の生活リズムがおそらく原始的な、かつ社会性を持つ生物としての基本的な動きで、現代人は先祖帰りしてる疑惑がある。ここにヒントがあるんじゃないかと思った。

でも狼は寿命は短い、でも犬は長寿で、その理由安全環境でまとまって睡眠を取り栄養を安定して得られるのが仮説としてあるから

睡眠は夜中心に熟睡できるように、栄養は安定型にしてある。結果的現代社会人の働き方にマッチした1日なんじゃないかと思う。

この1日のモデルケースは、現代人のコルチゾールメラトニン関係とも合致しているし、今の定説にもあってるからなかなかいいんじゃないかと思う。


まず太陽に当たり、ここからコルチゾールの分泌が始まる。太陽光がトリガー。ここから狼は柔軟をして、身の回りを整えて水場へと向かう。

人間も伸びをするだろ?ここで俺たちも同じように柔軟をしてから、部屋掃除して水場に向かうわけだ。水場は浴室でも、ジムでもいい。


で、コルチゾールブーストするために狼は冷たい水を飲む。というか喉が渇いてるから自然な行動なんだけど。そこで軽く狩りしたり、狩りの方向性を仲間と相談する。

俺もここで水を飲んで、コールドシャワーをする。そしてジャーナルを書いて、自分の体調や午前の狩りに対応する、「何か達成感のある、ドーパミンの出る仕事」をここで設定する。

狼は狩りの前に、静かに待ち伏せする。俺たちもここで瞑想する。そして仕事を始める。


仕事ってのはジム筋トレでもいいし、頭脳を使う仕事をここに入れる。めっちゃ集中できる。なぜかと言えば、狩猟時代の名残でコルチゾールピークの時間から

飯も食わない。空腹の時に人は集中できる。ここで1日の6割の仕事を3時間以内に終わらせる。


で、仕事終わったらドーパミンバドバ出てる中で1日の7割分の食事をする。

ここで大切なのが、タンパク質中心の食事をとること。満腹になるまで食う。でもこの「タンパク質中心の食事」になれるにはケトンダイエットして、タンパク質と脂質でエネルギーを補えるようにならなきゃいけない。

糖質は瞬発力が出せるけど、その後マジで何もできなくなる。


飯を食い終わったら、単純作業語学勉強とか、頭や体を使わなくても良いものをやってダラダラと会話しながら仕事する。消化にエネルギー必要からここで頑張っても成果は出ない。

そうやってやってると16時くらいには腹が減ってくる。そしたら飯を食わずに、腹減ったまま仕事をする。糖質中心の食事だと力が出ないけど、タンパク質中心になったらここでも力が出る。

実際コルチゾールの値は午前中の仕事が終わった後平坦になってるんだけど、消化にエネルギーつかってるから集中力が上がらないんだよね。この時間帯に狼もまた狩りを始める。でも軽い狩り。

「それなりに集中できる」時間帯だから、ここにちょっとしたハードワークを入れる。現代人だとここでハードワークして、19時くらいかジム筋トレだろうか。


重要なのが、日の入り時間からブルーライトカットすること。体内時計が崩れて、夜眠れなくなる。

カフェインもだめ。そしてタンパク質中心の食事を軽くとって、あとはゆっくり酒飲んだり人と会話したり、だらだら残った単純作業勉強する。狼もここでダラダラしてる。

狼は集まって体をぬくぬくしたりするけど、彼女が居ないのでお風呂代用。寝る前に体を温めて、寝る。


いま実践してみてるけど、めちゃめちゃいい。糖質取らないから過度に眠くならんし。ケトジェニック向けの1日やな。

Permalink |記事への反応(0) | 20:12

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2025-10-17

anond:20251017122758

なんでもかんでも馬鹿にすることで上下関係をわからせる的な?

Permalink |記事への反応(0) | 12:29

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2025-10-06

anond:20251005234527

結局人間関係は舐められたら負けなんだと思う

尊重してこない相手に対してはね

物理的か心理的かは分からんけど力でねじ伏せて

上下関係付けないと収集つかないでしょ

まずは準備から

Permalink |記事への反応(1) | 16:01

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2025-09-28

沈黙制度不祥事サイクル

諸君警察組織不祥事とは単なる「個人の逸脱行為」ではなく、制度文化が生み出す必然産物である。その構造を読み解かねばならぬ。

第一に、組織文化問題だ。警察治安維持至上命題とするがゆえに、強固な上下関係仲間意識必要とする。しかしその結束は「沈黙規範」へと転化する。不正を見ても声を上げられず、内部告発裏切りと見なされる。こうして不祥事は「異常」ではなく「通常」と化す。

第二に、制度構造の歪みがある。日本警察は「キャリア」と「ノンキャリア」という二層構造を持ち、前者は中央政策立案を担い、後者現場に縛られる。この格差は昇進・報酬責任の非対称を生み、現場に不満と閉塞感を蓄積させる。そこから不祥事の温床が生じるのだ。

第三に、監視情報の扱いの問題がある。公安警察によるイスラムコミュニティへの監視情報流出事件は、市民の信頼を根底から揺るがした。また、近年も警察による個人情報提供収集保有違法性訴訟で問われている。不祥事は単なる「不正」ではなく、「市民権利侵害」と直結している。

第四に、説明責任の欠如と制度監督脆弱さがある。情報公開制度においても「存否応答拒否」という仕組みが乱用され、不祥事を覆い隠す温床となる。監察機能存在しても、外部から実効的な統制は弱い。結果、組織は「自浄作用を欠いた閉じた世界」となる。

結論を言おう。

警察不祥事構造は「個人堕落」ではなく、沈黙を強いる文化格差を温存する制度市民権を軽視する情報操作、説明責任を欠いた監督体制総合産物だ。

私の意見としては、

内部監察に外部独立機関接続し、隠蔽余地を断つこと

キャリアノンキャリア格差縮小による組織文化改革

情報公開と第三者監視を徹底し、市民社会から圧力制度化すること

これらがなければ、同じ不祥事は繰り返されるだろう。

諸君警察市民を守る装置であると同時に、市民自由を脅かす潜在的危険でもある

Permalink |記事への反応(0) | 15:10

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2025-09-23

anond:20250921212318

他人にヨチヨチ察してされないと生きていけない社会不適合者の寝言

他人を変えることは難しいけど、自分を変えることは比較簡単なのに、人生経験の乏しい幼児がそうであるように、

自分の都合や感情他人(親)を動かすことを当たり前と捉える幼児性が抜け切れないまま大人になると、増田みたいな愚物になる。

  

現実にはエスパーなんて存在しないし、他人の考えなんて読めなくて当たり前なので、大人アプローチコミュニケーションでそれを量るんだよ。

そこで明確に断らなければ合意したと看做されるのは当たり前の話で、

「本当は嫌なのに断れなかった」が通用するのは、明確な上下関係が成立する関係、つまりハラスメントが成立する場合だけ。

  

「元会社の同僚」?

「元英会話教室などの趣味のXXで一緒だった生徒」?

「前職などで知り合った別会社の知り合い」?

  

そもそもこれ、現在増田にとっては単なる「過去に面識のある人」程度の関係性で、上司部下でもなければ、義理立てを要する友人・知人ですらないよね?

そういう人たちと未だに付き合わなきゃいけない理由って何かあるの? ないならキッパリ断れよ。

  

かつて世話になったというだけで、今現在増田人生社会生活に何も影響してないなら、断っても何も問題ないはずだろ。

何の利益もないのに勝手義理立てを感じてるなら、どういう理由で気に入らないおっさんとの関係性を残そうとしてるの?

  

本当は「元会社の同僚」「元英会話教室などの趣味のXXで一緒だった生徒」「前職などで知り合った別会社の知り合い」に少なからず貢がれていて、

それを手放す気はないけど誘われるのは嫌だから愚痴ってると考える方が(増田が幼稚な事実は変わらないものの)まだ話の筋は通る程度に不自然な話。

  

仮に、おっさんが今現在増田に何かしらの利益や影響をもたらし続けてるというなら、

月イチの飲み会の誘いくらい(応じるにせよ断るにせよ)その対価≠コミュニケーションと諦めて付き合うしかねえだろ。

その付き合いがどうしても嫌だというなら、利益を捨てて関係を断ち切るしかねえだろ。

利益は欲しいけど対価は支払いたくない? ただの自分勝手エゴイストじゃねえか。

  

断ったら殺されるかもしれない? ストーカーになるかもしれない? それ、増田被害妄想しかないことに気付いてる?

かにそういう事件があるのも事実だが、増田相手しているおっさんがそうだという確証があるなら、

増田がやるべきは警察弁護士女性向けの支援団体などへの相談であって、ネット愚痴こぼすことじゃねえだろ。

そこまでするほどの確証はないというなら、それこそが被害妄想って話。

  

確証はあるけど何らかの理由相談はできないというなら、その理由を明文化しなさい。

その理由と今現在増田が抱えてる不満を天秤に賭けて、どっちがマシなのか自分選択しなさい。

いい年した大人なら、人生とは困難な選択肢の連続だって事くらいわかるでしょ。

それとも、今までの人生がずっと察してちゃんで、何一つ自分責任取って選択した事すらない人なの?

  

察してちゃん他責思考が許されるのは、それを受け入れてくれる恋人家族だけで、全くの他人通用すると本気で思ってる事自体が、

自分が何を仕出かしても最終責任は全て親が被ってくれてた子供時代幼児性が抜け切れないガキそのもの自覚しろ

Permalink |記事への反応(1) | 08:06

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2025-09-20

「心のデスノート」って表現の方が俺は気になるし、暴力的すぎてよろしく無いと思う

「私はあの人の名前を心のデスノートに書きました」という言葉は言い方がやや迂遠なのでそのハッキリとした意味を捉えきれなかった人が多いのではないだろうか?

シンプルに言えば「アイツ、死ねと思ってる。死んで欲しい。私を不快にする奴は死ね」ということだ。

これほど危険思想もないだろう。

人類歴史上続く数々の刑罰の中で「人を不快にしたか死ね」という内容について書かれているものはほぼ存在しない。

殿様が「俺の前を横切るのはムカつくから死ね」と口にしたら近衛が飛んできてズバーっと切り裂いたみたいな話もあるが、これらは「不敬罪」に該当するものであって「不快罪」では断じて無い。

不敬罪」は「封建社会における上下関係絶対性を否定したことに対する罪」であることを、あえて注釈しておく。

しかしたら、彼女の主張はある種の「不敬罪」に対してのものだったのかもしれない。

「私という稀代の天才に対して、そのような事を語るのは、私の掲げる実力主義世界観においては、不敬罪に該当します」という発言なのだろうか?

これは強烈な差別的思想であると言える。

「この国では肌の白い人にだけ人権があり、肌の黒い人には人権がない。肌の黒い人が白い人の人権侵害するのは、社会根底を揺さぶ不敬罪なので、不穏分子への見せしめとして殺しておく」という価値観のもとで行われた差別的懲罰人類史には多く登場する。

これらが肯定されていたのは20世紀の前半までで、21世紀には「絶対に許されない人権意識に対する罪」として批難されていることを知らない人はいないだろう。

「心のデスノートに書きました」という発言を公の場ですることは許されてはならないと思う。

それはつまり「具体的に名前は言わないが、これだけは言わせて欲しい。死ねーーーーーー!!!」と叫ぶことと最終的には大差ないのだから

人を指して死ねと口にすることは現代社会では厳しく批難される行為だ。

人格否定することに他ならないのだから

そんなことをしているような人間が、「これはある種の権利侵害ですよ」なんて語っているのをマジメに議論すること自体馬鹿馬鹿しいと思う。

私の結論としては「名を伏せたとしても公の場で誰かに死ね」と語るような人が口にする差別問題権利意識なんて、そもそも議論俎上に載せる価値もないものではないか?」ですね。

いや本当に、なんでみんな「ノイズ」のほうに注目するんだろう。

死ね」は駄目だってことを教わらないまま35歳辺りにある価値観回帰不能点を通り過ぎてしまったのかしらん。

Permalink |記事への反応(0) | 14:39

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2025-09-18

anond:20250918124910

性的搾取差別とは関係なくない?

上下関係権力的が絡むやつやろ?

Permalink |記事への反応(2) | 12:50

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2025-09-15

anond:20250915000843

日本行政については縦割り・横割りの話だと思うんだけど、AIの方が解説が分かりやすいと思ったのでコピペします。

日本人が「周囲と仲良くするのが苦手」というよりは、日本社会の制度設計の前提や文化的な枠組みがそうさせている、という側面が大きいと思います

まず行政サービス区切りについて。日本では「自治体ごとに完結させる」ことが基本になっていて、横の連携を後から調整する仕組みが弱いです。これは縄張り意識や縦割り文化の結果でもあり、同じようなサービスでも「市が違うから使えない」「県境を越えると制度が変わる」ということが日常的に起こります役所から見れば「自分住民責任を持つ」という論理ですが、利用者からすれば不便ですよね。

一方アメリカ場合は、都市が広域圏を前提に設計されることが多く、また利用者が「どの行政区に属しているか」より「どう使いやすいか」を優先する発想が強い。公共交通図書館が広域連携しているのは、その文化的背景の違いです。

日本人が仲良くできない」という表現を使うなら、それは人と人との関係というより「組織制度同士が横につながるのが苦手」ということに近いでしょう。日本上下関係や内と外の区切りを重視する文化なので、横のつながりは後回しになりがちです。そのため、住民利便性よりも「組織境界」が優先されてしまうのです。

まり日本個人が仲良くできないのではなく、制度文化が「横の連携」を阻みにくい形で固定化されている、という理解が近いと思います

Permalink |記事への反応(0) | 00:26

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2025-09-14

増田からjonへ〜某学術メーリスの俺からの回答〜

増田からjonへ

学術オンラインコミュニティメーリングリスト)へ向けたjonの提言

まず、jonが意見する権利行使したこと

これはとても尊い。この行動は大いに支持する。

内容については賛同する側面もあれば、そうでない面もある。周囲から対応についても思うところは大いにある。

Jon、君の未来のためにも、、、なんて言うとおこがましな。

どちらかというと俺が言語化したいだけだ。とても複雑で複合的な問題からね。

ちょっと耳の痛い話もあるかもしれんが、良かったら少しだけ聞いてくれ。

そして、俺も匿名にさせてくれ。正直俺もビビってる。それに「誰が言うか」よりも「何を言うか」の方が大事に決まってるからな。お互い匿名特に問題ないだろ。

経緯をざっくりまとめると

・某オンラインコミュニティに「女性限定教員公募」の連絡が来た。

・jon yamadaが「女性限定公募差別禁止を定めるアジェンダに反するから止めるべきだ」という内容を提言した。

・それについて、「女性限定」の公募の是非について意見がなされた。

・実際のjon yamadaの主論点は、過去女性差別を「公募」で解消しようとすることの是非についてだった。

・その点について誰もコメントすることなく、運営から学術的内容ではないため場に適さない。これ以上は止めろ。」と介入があった。

・その後も意見を表明するヒトが現れたが、再度運営からの介入で止められた。

こんな感じでいいだろうか。今回はjonに向けて書いてるので、リアルタイムに追えていないヒトは上手いこと察してくれ。当然だがもう少し各方面から複雑な意見が出てる。

まず本件の俺の感想

運営対応が早かったことは評価する。だがそれ以外の状況はかなり悪い。」と言わざるをえない。

だがある程度やむを得ない事情もわかる。だからこうやって個人的に直接、見たいヒトだけが見れる形で伝えるしかない、と結論付けた。

まず最初に、なんならこれだけでいいからjonにわかってほしいことは、学会運営は完全に無償ボランティアだということだ。

当然だが全員研究したいか研究者をやっているのであって、学会運営なんて正直やりたくない。ただ情報交換やそのためのコミュニティ必要から、みんな少しずつ無理のない範囲で貢献してる。その上で10年くらいに1回、大会実行委員をやったりしてる。しかもそれを複数イベント運営なんて普通プロがやる仕事を、手弁当でやってるんだぜ。信じられないだろ。素人イベントから問題も増えてきてる気がするが、まぁそれは別の話題だ。

正直、面倒臭い意見なんて言ってくれるなと感じてるヒトもいるだろう。でも俺は学会社会意見する公器としての側面がある以上それは許されないと思ってる。マジで今、マトモで暇な人っていなくて無償ボランティアですらギリギリで回してるから、早い返事は求めるな。このままでは根本的にコミュニティ崩壊する。だれも学会運営を担えなくなる。それはjonにとっても本望ではないだろ?と信じてる。もしそうでないなら話はここまでだ。歴史的にも学会分離独立なんてのはよくある話だから、自前でjon学会でも作ってくれ。


OK、俺が信じた通りjonもこっち側安心したぜ。悪く言いたいんじゃなくて、良くしたいんだよな。

もう少しだけ、形式というか、手続き論の話を先にさせてくれ。

運営からこの件について意見するな、という簡単説明けがなされた。

これは正直最悪だ。そして、他にも意見したヒトはいるのにjonのときだけ強めに止めにきていると感じる。発言者や内容によって対応が変わるというのはあまりにも不公平がすぎる。

せめて、運営から裏で個別に怒られが発生していると信じている。

だがいっぽうで、運営正式意見をしようとすると、どうしても時間はかかるんだ。専任がいないというのは上で述べた通りだし、公器としての側面から個人見解を発表するわけにもいかない。合議を取る必要がある。個人レベルでの対応が許されるなら返事は早いかもしれないが、相手にしない自由行使されたって文句は言えない。

これに関しては、公式コメント学会大会等で動きが出ることに期待しよう。

あとは、匿名意見というのはどうあっても優先しにくい。背景がわからいから、多少はしゃーない。もう少し立場説明はあっても良かったかもしれない。

で、徐々に内容に入っていく。

jonは受信者への心理的ストレス理由公募情報制限を主張している。この感性は、とても利他的で優しさに溢れる良い主張だ。

正直、過去女性差別なんて大抵のヒトがマジでなんの悪意もなく自然にやってきたことだ。今優れているとされるヒトも含め。

過去差別してきたシニア男性が辞めて、そのポスト過去権利侵害されたシニア女性に渡すべき。それは本当にごもっともだ。だがそれは現実的だろうか。

それで後悔、反省して辞めてしま責任感のあるヒトこそ、残って今後の状況改善に尽力してくれそうじゃないか?逆に「俺は大丈夫だ」と思ってるヤツこそ問題だろう。過去現在未来に対して有害だ。

それと、過去下駄を履かせてもらったおかげで30年の経験を積んだラッキーだけで普通シニア男性と、優秀ではあったもの女性差別によって職を得られなかった結果、成長の機会を奪われたシニア女性専門職であり管理職でもある大学教授研究所の主任研究員や室長クラスに就けるべきは、どちらだろうか。もちろんケースバイケースすぎるし、悩ましいくらいなら女性優先で良いと俺は思う。急にこういう施策をすると、組織能力平均値(測定可能とする)としては低下することが懸念されるであろう。

そういう意味で、jonの提言理想主義的すぎて現実的ではない。過去に戻って差別のない採用修正したうえで現在に戻る、しか手はないんじゃないかな。

そもそも差別責任雇用で調整しようという発想が悪手なのかもしれない。

ただただ否定するだけでもあれなので、多少マシな対案を考えてみた。

大学の定年は65歳まで引き上げられているところが多い。これを60歳に戻して、その後の5年or10年間の雇用延長を公募制にし、その分の大半を女性限定女性優先にする、というのはどうだろうか。決定権のある立場女性には長く続けてもらって、部内や学会内で悪評の立っているシニア男性には早めに退場してもらう。

ちゃん最後まで評価される行動が必要になって、「逃げ切り」という発想も防げるかもしれない。(評価されるヒトを残すことが本当に重要か、結局忖度になって全員そのまま延長されるのでは、という別の問題はありそうだ。)


で、運営メーリスでの議論を止めたこと。これは、今回の場合は正直仕方がない。得てしてこの手の議論はこうなりがちだ。具体例を考える必要が出てきて、具体的に当てはまるヒトが出てきてしまうからな。

真面目なシニア男性こそ、過去差別に苛まれるだろう。過去の不平等な扱いを抉られる女性もいるだろう。「老害は去れ」、という主張が妥当であるかのような印象を若手にも与えるだろう。将来の自分たちの姿であるにも関わらず。

こうなるから止めろって言われてんだ。結果としてjon自身がしっかり傷つけてるぞ。

「適切な議論の場」というのは、ちゃんとした知識覚悟を持ったヒトが対等に意見しあえる場、だろ?

学術的内容であれば我々は当然対等だが、今回は必ずしもそうじゃない。組織運営の話だ。それはそれで重要だが、メーリスじゃない。

で、ようやく本題である

過去差別によって下駄を履いてきた世代が、その解消のために女性限定公募を出すことを余儀なくされる現状。

俺の意見としては「ホモ・サピエンスの性比がほぼ1:1である」「研究能力(測定可能とする)に性差はない」という意見採用しているので、大学研究所の教員研究者は1:1にならなければならない。これが歪んでいる状況は、能力のないものが不当に入り込んでしまっている状態なので、平均研究能力理論値よりも下がる。この正しくない状態直ちに解消されることが最も公益資する

まり最速で性比の歪みを解消するべきだという意見だ。

で、一度生まれた歪みを整えるためにはどこかでまた別の無理が生じることもある。その結果、現代の若手男性研究者にしわ寄せが行く形になること。この点についてはシニア世代、および教育政策に関わる者は、若手世代研究者に謝るしかない。

マクロに考えたとき社会の最適状態ミクロに捉えたとき個人の最適状態矛盾することは理論的にも当然避けられない。より良い社会を実現していく上で、どうしても誰かが背負わなければならない犠牲なんだ。本当に申し訳ない。最大限の補償はなされるべきだと思う。

にも関わらず、居丈高に「そういう時代だし仕方ないから納得しろ」「俺は逃げ切ったからあとはお前らなんとかしろ」「お前は女性差別容認するのか」「名を名乗れ」みたいに言ってくるシニア男性は、俺も結構ムカついてる。てめえらが撒いた種だろう。社会的な傾向に反抗してマトモに動こうとしたことがあるのか?あ?こちらの正義良心でぎりぎり立っていられてるだけだぞ?お?解決よりも保身が染み出してるぞ。

シニア世代政策施策決定者は真摯謝罪意識を持つべきだし、採用する側、される側というパワーバランスがあるだけで人間的な上下関係では絶対にない。

それとこれは余談だが、「過去思想で突如解雇になる」という前例は、jonや俺にとってもさすがに嬉しくないはずだ。


女性限定公募。たしかにこの10年くらいで目につくようになっては来た。だが、どうやら女性限定公募は意外と少ないらしい。平均でも1%前後で、分野の偏りもあるとはいえ5%にも満たない。

https://jxiv.jst.go.jp/index.php/jxiv/preprint/view/841

俺も意外だった。「結局意思決定者と同等の立場である教授准教授女性限定公募は割り当てないんだろ」と思ってたが、勘違いだった。

思ったよりも自分の目にバイアスがかかっていたようだ。科学とは、直感と異なることを信じることだからな。数え方の問題もあるかもしれないが、これは一定データであろう。

女性限定公募なんて1%程度。つまり、若手研究者の採用が決まらないのは女性限定公募があるからじゃない。俺らの能力が足りないからだ。

もちろん、自分が進みたい分野や地域制限もあるからそんな単純な話ではないし、「これが女性限定じゃなければ」という瞬間も十分ありうる。こういう個別現象に対しては、謝るしかない。

結局是正されるまでは社会正義のためにも続けるしかないんだから、早く是正されてほしい。

あともっといえば政治家とか経営者とか異常なほどの偏りなんだから、そっちも早く変わるべきだとは思ってる。

それとメーリスで連絡が回らなくなるだけでは驚くほどなんの解決にもならない。というか状況は悪化するだろう。この辺は他のヒトが指摘している通りだ。それと本当は女性限定のつもりなのに言うと問題になりそうだから書いてないだけ、なんていう隠れ女性限定公募が出回ったら目も当てられない。過去公募が隠れ男性限定公募だっただけとも言えるけど。

世代論にこだわるなら、印象としては正直現代の若手よりも氷河期世代の方が相当に厳しい。正直、今の学生〜若手研究者の状況は過去数十年でもっとも恵まれていて、氷河期世代学生の頃は最低だったんじゃないだろうか。これを救うために、採用予算も若手を減らして4,50代を増やす方が即戦力だし順当とも言える。

こういうのがつまり政治判断で、どういう組織、世の中にしたいか、そのためにどういう施策必要か。どこに被害が行くからどういう補償必要か。というのを考えるのが政治であり組織運営だ。意味のない結果論だが、氷河期世代が虐げられることに日本中が声を挙げなかった。だから氷河期世代は救われなかったし、それで生じた歪みが日本全体を蝕んでいる。多分、人手不足経営レベルが困ってきた最近までマジで問題だとも思ってなかったんじゃないかな。歪み続けるわけにもいかいから、なんとか戻すしかない。

正解不正解ないので試行錯誤だらけだ。マジで人生狂わされる瞬間も当然、残念ながらある。だからこそ意思決定者ほど誠実ではあれよ。というのが俺の意見だ。

少なくとも性別国籍なんかよりも、嘘を言うやつや不誠実なやつの方がよっぽど信用ならんとは思うけどね。

最後に、メーリスへの連絡でショックを受けるヒトのことを思って心を痛めるjonの優しさ。これは本当に素晴らしい。

だが、それで匿名で勢いのまま攻撃的なまでに意見してしま姿勢は、ちょっと心配だ。もっと根本的に解消されるべきはjonの心の問題かもしれない。

とりあえず一度、心療内科受診して専門家と話すことをおすすめする。博士学生研究者には割と普通のことだ。それはそれで大問題だがな。

検討を祈る。

Permalink |記事への反応(0) | 21:36

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2025-09-06

洒落ってなんだと思う?流行ってなんなの?

服が好きなんだけどさ。

こないだタックインがどうのこうのという記事ホットエントリに入ってて、そこのブコメとか眺めてて思うんだけど。

みんな服のことあんまり考えてないよね。

つの流行を取り上げて、そんな流行に左右される人間は云々みたいな批判を平気でしてる人たちが一定数いるけど。

そういう人達って流行が何なのか理解できてないと思うんだよね。

そもそもファッション流行っていうのは「流行ってる状態でそれに乗るもの」ではないんだよ。

流行っているということはもう大衆に広まりきってる状態なんだから、そこでその流行に乗ったところで「それがお洒落だ」とはならない。

それはそれで「着こなせている」ということにはなるけど、お洒落か否かで言えばただの「フツーの格好」でしかない。

もちろん服好きも流行は取り入れるけど、世間に定着した流行なんて俺らにとっては何年も前から当たり前にあるトレンドで、もう食傷気味なことが多い。だからその時点で「その次」を求めてる。

YouTuber言葉を借りれば、お洒落っていうのは人と差別化を図る行為のものを指すわけで。

流行になる前、ハイブランドなんかの方向性を感じ取って世間に先駆けて流行兆しを取り入れて周囲と浮いてるけどちょっとカッコいいよね、という状態がお洒落と言えばお洒落なのか?

実際はそういう着こなしを世間はお洒落とは認識しないが、服付きが好むのはそういう方向性だ。

でもそれって別に感度ビンビンにして流行を全力で追いかけてる状態かっていうと別にそんなことないのよ。

そりゃ流行流行として文脈はあるけど、服好きはみんなそれぞれ自分文化圏があるんだからさ。

普段自分の好きなブランドだとか、セレクトショップだとか、古着屋だとかを観測しながら、ゆるく流行と付き合ってるわけ。

からファッション流行という現象は、流行流行として定着した後、はじめてそれを追いかけている大衆が醸しているものだと思って間違いない。

そもそも服好きにとってタックインかアウトかで「ダサいか否か」なんて判定は無いよ。

着こなしなんて自分意図が全てなんだから、その意図通りに着れていればそれいい。カジュアルキレイめか、どっちのラインを出したいか、みたいな思考しかないよ。上下関係は無い。

四六時中服のこと考えてる人間にとって流行っていうのは服のほんの一側面でしかないんだけど、ある種の「正解」を求めてる大衆にとっては強いニーズがあるんだろう。

から正直、流行を取り上げてファッションをどうのこうの論うこと自体筋が悪いんだよね。それを求めてるのは服好きと言うより大衆だし、服の文脈もっとたくさんあるんだから

Permalink |記事への反応(1) | 17:15

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2025-09-05

自身に厳しかろうが甘かろうが関係なく、他人に厳しすぎる人は不幸オーラ全開で嫌んなる。

厳しさも的外れだったりするし。部活の謎の上下関係みたいな。

もっと学習したり視野広げたら気がつくんだろうけど、そういう人達はそうはならんのよな…性格なんかな…

Permalink |記事への反応(0) | 08:21

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