
はてなキーワード:三途の川とは
シルク・フロス・ボート(ほそや ゆきの著)は&sofaというアフタヌーン系列のweb媒体で連載されていた漫画で、昨年一月に第一巻が、十月に最終二巻が出て完結を迎えた。
面白かったので、まぁどっかで誰かが今年読んでよかった漫画、として紹介するだろうと思っていたら誰もしない。嘘だろ。俺は感想だのレビューだのといったことを言うのが苦手で、「面白かった。読めばわかる。」以上のことは言いたくないし言えないのだが、仕方がないので下手糞は承知で俺が紹介する。
気になった人がいたら一話のリンクを貼っておくのでこんな駄文を読んでいる暇があったらそちらを読んでほしい。
https://comic-days.com/episode/2550689798819995914
して、ざっくりあらすじを言うと、主人公・宮島ひかるは不登校の中一女子。小学校の時にいじめていた同じクラスの鹿児島魚子が中学に上がる前の春休みに自殺してしまって以来、学校に行けなくなってしまう。ある時蚕の姫様を名乗る変てこな神様に出会い、願いを叶えてやるからその代わりに蚕を育ててくれと頼まれる。彼女が神に何を願ったのか、目が覚めると自分以外の人間が皆鹿児島魚子のことを忘れてしまっている。そしてもう一人の主人公、鹿児島魚子は蚕の姫から体をもらって生き返るのだが…
だいたいここまでが二話前半くらいまでの話で、俺はネタバレというか前情報を仕入れるのも与えるのも嫌いなのでさっさと読んでほしいのだが、このお話がどういう話かというと、養蚕の話、養蚕を通して自分のしてしまったこと、いじめ、自殺と向き合う話、命(蚕)に触れて自分のしていることに否応なしに向き合うことになる話、なわけで、割り合いテーマが重たいのだけど、前述の蚕の姫様の他にも三途の川の渡しをしている人だったり、聖徳太子より年上の4人の犬娘(それぞれ犬種別、居そうな犬感のある顔立ちが良い)といったファンタジー要素のあるキャラクターも出てきて読んでいて楽しいのですよ。
して、この漫画の良さというのはそうしたテーマだったりキャラクターだったり、真剣な場面の温度感や場面転換の妙、子供が大人になろうとしている姿など色々あるのですが、この漫画の最もすごいところは、読んでいて人の手指の柔らかい感触が伝わるところなんです。どういうことだかわからないと思うのですが、でも実際そうなのだからしょうがない。
それほどまでに精巧で緻密な絵、というわけではなく、むしろ細部・背景まで徹底してデフォルメされていて、さらにはコマ枠を除いたあらゆる線が、蚕の芋虫はもちろん遠景のビルから糸を繰る巨大で複雑な機械まで、全てフリーハンドのよれのある線で描かれているのです。そうやってすべての線に作者の意識が入っているからなのか、あるいは一人称視点で手が近くに描かれることが多いからなのか、何にせよただそのようなやり方で描かれているからという話では説明がつかないと思うのですが、とにかく、読んでいて指の柔らかさ、温度感といった触覚がわかる、というのはただごとじゃないですよ。なのに誰もこの漫画を紹介しない。時空が歪んでるか何かでこの漫画は俺にしか認識できないのか?
そんなはずはないのでぜひ読んでみてください。全二巻で読みやすいと思います。なんで後半敬語になったのだろう。オススメです。
これな。
https://togetter.com/li/2590658
https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ01435633.html
3行で感想。
といいながら、奥付にある一文を載せておく。
本文中にはかなり衝撃的な内容も一部含まれます。
何を見ても大丈夫な方以外の閲覧はこ遠慮ください。
本文で不快になった場合の責任は一切お取りしませんので
こ了承ください。
正直、結構糖尿病には詳しいと思いますが、素人の感想以上でも以下でもない事にきをつけてね☆
生活習慣病に関する基本のき。たぶん健康診断で引っかかるとパンフレットとかで保健師からいわれるやつだと思う。病院にもよく置いてあるよね。(最近中身がどうなってんのかな?は知らんけどたぶん変わってないと思う)
ただ、ここで「生活習慣病になった人が100%悪いわけではない と言うことが強調されているのが遺伝要因が強いワイとしてはありがたいなあ。
二型糖尿病の場合、アメリカ人を対象にした遺伝的糖尿病患者の推計だと、白人で3割から7割、黒人で2割から4割が遺伝的要因が強く影響しているとされている。で、実はアジア系ではよりこの率が高いと言われているが、欧米人に比べるとアジア系はその全体が二型糖尿病高リスク群になる遺伝子を持っていると言われているため、推計ができないくらいになっていると言う話もある。
一方で、生活習慣によらないイメージが強い1型糖尿病は、実は遺伝的要因はあまり関係が無いと言われている。実は原因がはっきりしている場合の方が珍しい。
そして、完全に遺伝因子の影響があると言われる糖尿病があり、MODYと言う名前で区別される。ただ非常にまれ。
そう言った遺伝とは別に、親が子どもに与える生活習慣についても触れられているのは、糖尿病本や生活習慣本では結構珍しい気がする。
また、一生薬を飲み続けるのか?と言う質問に明確にそうだ、といっているのも珍しいかも。他の本では、ちゃんと治療すれば薬をやめられる場合もあります、とだけ言って誤魔化しているものはあるけど、早いか遅いかだけだよね。
そんで、生活習慣病、糖尿病は歴史の長い病気。なので、長期に渡って副作用が小さい薬というものが既にわかっており、薬価もめちゃくちゃ安いので(血圧が、血糖値が気になる方へ、などというサプリよりよほど安い)正直、減薬はともかく休薬は目指さず、素直にお医者と相談して基礎的な薬は飲んでるのがよい、ってのがワイの意見だけど、それにも一致してる。
ここは実際のシーンを呼び出しながら、キャラとP(筆者)が対談方式でカイセツしているところで、たぶんこの本を買う人が最も期待している部分かと。
ワイも単行本と見比べながら楽しく読みました。
ドカ食いに定義があることとか、血糖値スパイクの話とか、なんで生活習慣病クラスタが騒いでいたかということが分かりやすく読めると思うよ。
また、書いてある事も王道的な解釈をきちんと沿っていて、低糖質ダイエットとかそう言う話は出てこないのもバランスが取れていると思う。
あと、帰宅してから寝る前の深夜に飯を食うより、遅くなるなら帰宅前に食べてたほうがいい、と言う話とか、お酒はいいわけけないとか。
対談方式の記述が減って、段々とマジモンに。健康診断の項目解説は、マジ分かりやすくて、世の中こええぐらい分かりやすくかいてありゃいいのになあと思いました。なんで引っかかったら受診すべきなのかが明確で若いりゃすい。
また、もちづきさんの例は若干太り始めているので、テーマとは話になってるけど、ここでちゃんと、日本人の糖尿病は肥満を伴わない例の方が多いと言うことも書かれている。
もちづきさんは暴飲暴食でなる話をテーマにしているけど、日本人は暴飲暴食など関係なく糖尿病になる人が「大半」という表現になってて、個人的にもここは強調したいと思った。
気になってるのはもちづきさん、ご家族に肥満の人がいないんだよね。太るというのは才能だとよく言われるけど、これは何故かというと太る前に内蔵がやられて太れなくなるから。
著者も触れているけど「インスリンが足りなくなると、細胞に栄養が届かなくなって痩せる」ので、もちづきさんはドカ食いを繰り返している割には急激に太っていかない、ある程度のラインから太らないのは、既に糖代謝異常が始まっているからではないかとおびえている。
まぁ漫画的な都合だろは思うが。
なので、太ってないから糖尿病と縁がない、と思うのは危ないんだよね。ちゃんと検診受けて、自分の体に敏感になってほしい。
あと、ありがちなのは、糖尿病はデブがなる病気だと思ってそれを前提に糖尿病患者に何も考えず「痩せろ」とか言うのもちょっと待ってほしい。むしろ太れなくて、筋肉がつかなくて悩んでる人の方が多いのだ。ワイもそっちのほう。最近は特に。
そして、高血圧。俺は糖尿病患者ではあって、高血圧はモニタリングしてるけど薬は飲んでないのであんまりチェックしてなかったけど、塩分量の話もキッチリ出ててすごい。
漫画の誇張表現をマジで検証しつつ、どれぐらいの問題になるかを検証しているけど、そこにさらっとベーコン2枚で塩1gとかヤバイ数字があって、もっとちゃんと気をつけようと思いました。
それから、個別化医療のことなどにも触れられていて、すげえなあと。
そして、なんだけど…。
たぶん先生、糖尿病関係で、他の病院では手の施しようがなくなった重症患者に対応するギリギリのところで活躍されているガチの臨床医なんだろうなと言うことが分かる話がこのあとゴロゴロ出てくる。
なんかやたらと糖尿病を煽った健康本を出しまくって、プレ○デントとか東洋○済とかおっさんむけ週刊誌に出てくる暇な開業医とは違って、現役バリバリ、今にも三途の川を渡りそうな人をがっちり引張り上げて、こうやって暮らせば今後も楽しい事あるよたとえばアイマスとか、ってやってる人なんだろうな。論文とかウォッチしてるとこう言う人が日本にも多くいて、活躍してくださっていることはよく分かるんだけど、一般向け(?)で出す本をこう言う人が書いていることはたぶん結構珍しくて。
たとえば、腎不全で呼吸がおかしくなってから受診するケースがあるとか、もうそういう話はたぶん、最後の最後、押し戻せるか戻せないかのギリギリのラインを頑張る先生だからこそ接している事例だと思う。
それだけでも読む価値あるよこれ。
これね、n=1だけど、ワイの体験談でもそうなんだよ。親戚で40代で糖尿病診断うけたおばあちゃん、そのあとずっと真面目に糖尿病治療を続けて、109歳で老衰で亡くなった。
ありとあらゆる病気のデパートで色々な細かい病気を沢山たくさんやったけど、いずれも早期発見ができていて、治療は大変だったけど103歳で約35年前に膝に入れた人工関節が寿命で壊れるまでは自分の事は自分でできていた。
無病息災の時代じゃなくて1病息災の時代。これだけ予防医療が発達した今、一定の年齢になって一個も持病もってないやつ、俺は病院なんていったことないぜ!っていやつは逆にヤバイと思う。どんなに本人の自認が健康でも、健康診断は嘘つかないから。
エグい。
たぶん、この本の真骨頂がこれ。
これね、非医療関係者向けの患者本じゃ絶対に、絶対にこんな風に書かれないほどエグい。
そして、残念ながら、これまじでほっとくとこうなるんだよね。「よくある」と書いてあるのは、先生がこういう事例を扱う先生だからよくあると言う事なんだと思うけど、
これはランダムにこうなる「よくある」じゃなくて、ほっとくと確実にこうなって、たまにほっとく人がいるから「よくある」と言う話だという事を認識して読むと言いと思うよ。つまりね、しっかり読んで正しく怯えることが大事だってこと。
あとね、編集者のフィルタがはいってないので「これは医療者として非常に許せない行為です。」とかズバリバリバリ書いてあって、これがちょっと凄みを感じる。
そして、121ページ…。これな。これな。
実際にはもちづきさんの世界の人間はこの世界の人間と同じ体の構造をしているかどうかは分からないとしても、漫画で日常が描かれている上で地続きにかかれているのでヤバイ。
なお、糖尿病ありとなっているのは最初だけで、残りは糖尿病以外の病気であるのにも意図を感じる。ワイは糖尿病患者だけど、それだけじゃねーぞって話である。
ネタのつもりで読み始めて、最後は健康診断ちゃんと受けよう、治療は中断しないようにちゃんとやろう、って思える本だと思います。
ページ番号、付けてください。おながいします。
Permalink |記事への反応(11) | 19:48
祖父が死んだ。
桜の花びらが、まるで嘲笑うように舞い散る美しい日であった。
祖父という男は、この世の快楽のみを追い求めた者であった。酒、女、博打——それが彼の生の全てであり、彼はそれらに身を捧げ尽くしたのである。
かつて家族が語るところによれば、彼は祖母に跪いて結婚を懇願したというのに、契りを結んだ後は、彼女に対する責務など微塵も顧みることはなかった。これぞ男の本質の露呈というものか。
仕事というものに身を捧げることができず、すぐに投げ出してしまう。祖母の血と汗で得た金銭を湯水のごとく使い、酒に溺れ、馬券と煙草に金を注ぎ込む。
顔立ちだけは整っていたというから(古びた写真には、伊勢谷友介によく似た端正な顔が写っていた)、女性を魅了するのも無理からぬことか。いくつもの不実を重ねたという。
ああ、何と無様な男であろうか。まさに腐敗の権化であった。
多くの苦難を背負い込んだ祖母は、若くして黄泉の国へと旅立ってしまった。祖母は「あの人には長生きするように伝えてくれ」と言い残した。
愛情の名残かと思いきや、「天国を一人でできるだけ長く楽しみたいの。もうあんな人の世話など、したくないわ」と続けた。
祖母の願望通り、祖父はその後二十五年もの間、この世に留まり続けた。
幾度か死の淵をさまよいながらも、奇跡的に生還を繰り返した。きっと祖母が「こちらへ来るな」と拒絶したのであろう。
(その二十五年間の醜悪なる行状を語れば際限がないため、ここに筆を留める)
ついに祖父は逝った。ほとんど苦悶することなく、あっけなく。これほどまでに他者に迷惑をかけ続けた男が、何故かくも美しく死を迎えられるのか。世の中の理不尽さに、私は暗澹たる思いを抱く。
祖父の葬儀は、笑いに包まれていた。「もう十分に生きたろう」と、誰一人として涙を見せることはなかった。
棺の中に紛れ込んだパック酒を見つけた時の、あのしっくりとした光景に、不謹慎にも笑いが漏れた。誰かが「ああ、馬券を持ってきてやれば良かったな」と呟けば、また笑いが起こる。
「冥銭を『一杯やろうか』『高松宮記念杯があるじゃないか』と、三途の川の前で散財してしまうに違いない」「次に死ぬ知人に無心するだろう」との冗談が飛び交い、笑いの渦は止まなかった。
このような葬式は初めての経験であったが、不思議と祖父らしい見送られ方であると感じた。晴天を背景に、満開の桜と人々の笑い声が、死と生の境界線上で妙なる饗宴を繰り広げていた。
あの世ではもう少しまともな人間になるがいい。この世に戻ろうとしても、その体は灰となったのだから叶わぬことだ。
そもそも、貴方が天国に辿り着けるとは思えないが、万が一辿り着けたなら、祖母を探さず新たな女を見つけるがよい。
いつの日か私も死という儀式を執り行う時が来よう。その時、あの世で祖父と関わることなく過ごせますように——これが私の切なる願いである。
祖父が死んだ。
桜の花びらが、まるで嘲笑うように舞い散る美しい日であった。
祖父という男は、この世の快楽のみを追い求めた者であった。酒、女、博打——それが彼の生の全てであり、彼はそれらに身を捧げ尽くしたのである。
かつて家族が語るところによれば、彼は祖母に跪いて結婚を懇願したというのに、契りを結んだ後は、彼女に対する責務など微塵も顧みることはなかった。これぞ男の本質の露呈というものか。
仕事というものに身を捧げることができず、すぐに投げ出してしまう。祖母の血と汗で得た金銭を湯水のごとく使い、酒に溺れ、馬券と煙草に金を注ぎ込む。
顔立ちだけは整っていたというから(古びた写真には、伊勢谷友介によく似た端正な顔が写っていた)、女性を魅了するのも無理からぬことか。いくつもの不実を重ねたという。
ああ、何と無様な男であろうか。まさに腐敗の権化であった。
多くの苦難を背負い込んだ祖母は、若くして黄泉の国へと旅立ってしまった。祖母は「あの人には長生きするように伝えてくれ」と言い残した。
愛情の名残かと思いきや、「天国を一人でできるだけ長く楽しみたいの。もうあんな人の世話など、したくないわ」と続けた。
祖母の死を前にして悲しみに暮れるはずなのに、その言葉に不謹慎にも笑いを抑えることができなかった。人の心とは、かくも複雑なものである。
祖母の願望通り、祖父はその後二十五年もの間、この世に留まり続けた。
幾度か死の淵をさまよいながらも、奇跡的に生還を繰り返した。きっと祖母が「こちらへ来るな」と拒絶したのであろう。
(その二十五年間の醜悪なる行状を語れば際限がないため、ここに筆を留める)
ついに祖父は逝った。ほとんど苦悶することなく、あっけなく。これほどまでに他者に迷惑をかけ続けた男が、何故かくも美しく死を迎えられるのか。世の中の理不尽さに、私は暗澹たる思いを抱く。
祖父の葬儀は、笑いに包まれていた。「もう十分に生きたろう」と、誰一人として涙を見せることはなかった。
棺の中に紛れ込んだパック酒を見つけた時の、あのしっくりとした光景に、不謹慎にも笑いが漏れた。誰かが「ああ、馬券を持ってきてやれば良かったな」と呟けば、また笑いが起こる。
「冥銭を『一杯やろうか』『高松宮記念杯があるじゃないか』と、三途の川の前で散財してしまうに違いない」「次に死ぬ知人に無心するだろう」との冗談が飛び交い、笑いの渦は止まなかった。
このような葬式は初めての経験であったが、不思議と祖父らしい見送られ方であると感じた。晴天を背景に、満開の桜と人々の笑い声が、死と生の境界線上で妙なる饗宴を繰り広げていた。
あの世ではもう少しまともな人間になるがいい。この世に戻ろうとしても、その体は灰となったのだから叶わぬことだ。
そもそも、貴方が天国に辿り着けるとは思えないが、万が一辿り着けたなら、祖母を探さず新たな女を見つけるがよい。
いつの日か私も死という儀式を執り行う時が来よう。その時、天国で祖父と関わることなく過ごせますように——これが私の切なる願いである。
もうすぐ彼氏に別れようと言おうと思ってる。
彼氏のおかげで自信がついて、鬱病っぽいのが治った。人を僻むことも少なくなって、いろんなとこに行ったり、友達とか自分の周りの人をもっと大切にしようと思うようになった。全部彼氏のおかげだと思う。本来の自分が取り戻せた気がする。
本当にいろんなところに行ったなー。ディズニー海プールアウトレット彼の家ちょっと高いホテル
嫌いになってない。だから別れようって言うのがすごく怖い。一緒にいるのが楽しい。だけど、少し気になる人ができてしまった。
彼氏との将来は楽しそうだけど、私はやっぱりお金とか社会的地位とかが1番大切で、見栄っ張りな人間なことは変わらなかった。
彼氏のように無条件で自分のことを好きな人は見つからないかもしれない。
三途の川でまた会いたいと思う。
言ったらどれくらい悲しむかな。辛い。好きだけど、私もっとお金持ちですらっとした人と結婚したい。ただそれだけ。
そんなことで4年付き合って愛情がある人を切ろうとしてる。彼氏がもっと家事とか、貯金とかしっかりしてたら変わってたかな?
分からない。
私も私の家族も見栄っ張りだし。
ごめん、こんな人間嫌いになって罵ってほしい。
本当にごめん。
最近、初めて付き合った人のことを思い出すことが多い。大学1年から卒業までずっと付き合っていた人だった。町を歩けば、なぜか元カレに似た顔ばかり目に入る。
私から振った恋だった。別れる前は毎日のように泣いていたくせに、別れてからは驚くほどあっけらかんとしていた。
振った理由は簡単で、もう続けられないと思ったから。だけど、それを決めるまでの過程は地獄だった。「初めて付き合った人は、自分が亡くなったときに三途の川を背負って渡ってくれる」という言い伝えを思い出してしまって、年老いてしわしわになった私を彼が背負ってくれる未来を想像して、泣いて泣いて、それでも別れを告げた。
別れた瞬間、私はもう少女じゃなくなったと思った。あの恋はまさに「少女の恋」だった。一生を誓ったり、結婚を夢見たり、全身で恋をしていた。
でも、振ったことで、少女としての自分を捨ててしまったような気がした。そこからの私はすれっからしになったし、ひねくれた。「自分は、本気で愛した人を振ってしまうような人間なんだ」と思うたびに、自分が信じられなくなった。良い子じゃないって気付いたのもその頃だ。
別れてからも、しばらく彼から連絡は来ていた。でも私は返さなかった。復縁する気持ちはなかったし、むしろ早く新しい彼女を作って幸せになってほしいと思っていた。
1年後くらいに再会したとき、彼は何も変わっていなかった。正直、少しがっかりした。「やっぱり別れて良かったんだ」と思ったのを覚えている。私は、変わらない彼を受け入れられなかったのだと思う。
さらに時間が経って、彼に新しい彼女ができたと聞いた。私と似たタイプの女性だったけど、私よりもずっと彼にぴったりの人のようだった。「私よりも彼に合う相手に出会えたなんて、良かったな」と思った。
今では私にも新しい恋人がいる。友人には「元カレの上位互換だね」と言われた。彼にとっても、私にとっても、お互いがそれぞれにとっての「さらにぴったりな相手」を見つけた。理想的な話のはずだった。
だけど、最近になって元カレのことを思い出すことが増えた。彼の新しい恋人を見かける機会があって、「このまま長続きしそうだな」「結婚するのかな」なんて思ったら、急にいろんな記憶が押し寄せてきた。
復縁したいわけじゃない。彼が幸せでいてくれるのは嬉しいし、私も今の恋人と幸せだ。それなのに、彼のことが気になる。なんでなんだろう。
考えてみると、泣いているのは「少女だった頃の私」なんだと思う。初めての恋人を全力で好きになって、一生一緒にいる未来を信じていた私。
でも、それでも続けられなかった。その自分の弱さを後悔するような気持ちが残っているのかもしれない。理性では分かっている。別れて良かったことも、今が幸せなことも。でも、少女だった私はそれを受け入れきれていない気がする。
もしかしたら、ただの独占欲なのかもしれない。過去を美化しているだけかもしれない。でも、あのときの自分の一途さと、全力で愛した気持ちを思い出すと、どこか懐かしくて苦しい。
最初の2つは事実ではないし、後者の罵倒は客観的事実に基づいてないね。お前みたいなのが玉木の支持者なの?
事実の指摘だけしておくね
世論調査によれば、医療的な行為による「延命治療の停止」を除いた「安楽死」の支持率は1割もありません。
さらに社会保障費を削減するという議論で議論せよと言うことは、玉木雄一郎すら、自らの思想信条を曲げてまで、表面的に言い訳をするほどに支持率は低いため、これは貴方の主観的事実であり、根拠がないですね。
他人に死ねと言うことは、一般的に刑事罰を含め処罰の対象になりますから、それを言う人が少なくとも1人、事実ここにいることを考えると「一番」ではないですね。
「地獄の沙汰も金次第」とはいうが、あの世にお金は持って行けないはずでは……
よくよく考えると変なことわざだ
いや、待て……
もっと言うと、あの世に現世のモノは持って行けない……という世界観はいつからあるんだ
(順序が逆で、このニュースを見たからこそあの世に持って行けるものって何?という疑問がスタートしたわけだが)
それが現代日本に生きる人の世界観ではあの世にモノを持っていけないという認識に……いや、違うか
「オレが死んだら棺にタバコを入れてくれ」とか「あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう」みたいなことを言う人もいるな……
ということは「あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という世界観を持つ人がいることになる
なんか……中途半端な感じがする、なんでお金だけダメなんですかアナタ
その一方で冥銭ってやつもあるんだよな
本物のお金じゃないあの世専用のお金を燃やすことであの世にいる死者に送金するらしい……類感呪術ってやつなのかな
昔は冥銭用のイミテーションのお金じゃなくてマジのお金を六文銭として使ったと聞く
通行料がいる、それ以外の財産は持って行けません……みたいな?
でも奪衣婆って鬼がいるんだよな
六文銭を払えなかったら衣類を奪う、逆に言えば六文銭を払えたなら衣服というモノは持ち込める……
身につけているものはセーフ?
対話を試みましょうね
「 『地獄の沙汰も金次第』というけれど、どんな苦境でも札束を積めば解決できることがあるって意味であって地獄というのはものの例えだよ。本当に閻魔大王様に賄賂を渡せると昔の人が考えていたわけじゃないと思う。」
「坊さんに高い金さえ払えばしっかり供養してもらえる状況を皮肉った側面もこのことわざにはあるんじゃないかな。」
「もともとの意味は『財産を寄付など善行のために使えば地獄に落ちない』みたいな意味らしいよ。」
なるほどなるほど、私もそう思います(あたりまえだ、そのツッコミをしたのは私なのだから)
でもなー、そのツッコミ群は「あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という話について説明してくれない
「そもそも『あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける』という世界観を持つ人がいる話はあくまで仮定でしょ?その前提は正しいの?」
確かにそれはそう、まずは現代日本における死生観……あの世観の裏取りしたほうがよさそうだ
「 『あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう』イコール『あの世にタバコを持って行ってもらう』は本当に真なの?」
そこも怪しいよね
死後の世界を信じていない人でもそういう事をするかもしれない
いや、どうだろう?自信ないな……
少なくとも言えることは、副葬品の目的はあの世に持って行ってもらうためだけではないであろうということ
「 『あの世にお金は持って行けない』は拝金主義者を嗜めることが目的の言説でしょ。」
でしょうね
「 『あの世に現世のモノは何も持って行けない』が実際のところじゃないの?」
それも確かにもっともらしいんだけど、実際に副葬品として亡くなった人の身の回りのモノとか生前好きだったものを棺に入れることもあるじゃん
その棺に入れるものの選択肢としてお金が無いのは何故?という話にもできる
確かにね、しかしだからこそ中国などのアジア圏の一部では冥銭というあの世専用のお金があるんじゃないか
あーそうか、これって「なぜ(一部地域を除く)日本では中国のような冥銭の文化が根付いていないのか?」という問いと言い換えることもできるのか
私もそう思っている、でもそう思っていない人もいる
余談だが「自分が死んだら無になる」はすんなり受け入れることが出来るけど「大切なあの人は死んだから無になった」はちょっと受け入れるのに抵抗がある
いろんな地域、いろんな時代の世界観をごっちゃにして物事を見てしまっているのであろう
混乱の原因です
ここらへんについて調べよう
②「あの世にお金は持って行けない」って考え方はいつから存在する?
⑥冥銭について
『日本人はなぜ無宗教なのか』 『日本人無宗教説 ――その歴史から見えるもの』あたりに何か関係あることが書いてあるかも
追加で本を探して買ってもいい
そういえばキリスト教圏は副葬品という文化が全然ないらしい(全くないわけではないらしいが)
その一方で中国は冥銭を燃やすことでお金やら車やらスマホやらをあの世に送っているらしい
なんにせよ知識不足、生半可な知識で「これこれこういうことです」と理解してしまうと大火傷してしまいそうだ
なんか、タイとかブータンあたりの仏教文化圏の葬儀がどんなものかも調べた方がいい予感があるな
古墳時代の日本だと持って行けるって考えだったろうから古墳の副葬品に通貨とかが……あっ、古墳時代の日本に貨幣ないかもか
いろんな国地域時代の葬式スタイルを調べることで、そもそも問いの立て方がずれていたと発覚することもありえるが……
調べるのはまた後日にしよう
しかしこれって何を調べ上げたら私は納得することができるんだ?
まだわからない
納得できるのはこのままいろいろ本を読み続けたあとの数年後とか普通にありえる