
はてなキーワード:三宅とは
2026年2月8日の衆院選でチームみらいが11議席を獲得した直後、映画評論家・町山智浩(@TomoMachi)は**不正選挙を主張する陰謀論ポストを連投し、Qアノン系・ゆうこく連合支持者・参政党支持者のアカウントを大量にリポスト拡散した**。トランプ支持者やQアノンの選挙不正論を長年批判してきた人物が、まさに同じ行動パターンに陥ったことで、「メロリンQアノン」と呼ばれる事態に至った。5chまとめサイト・posfie・はてな匿名ダイアリー等で広く嘲笑・批判の対象となり、「映画だけやれ」という声が噴出した。
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町山の問題投稿は2月9日未明から2月10日午後にかけて集中的に行われた。以下、確認できたポストを時系列順に整理する。
###2月9日 00:43(tweetID:2020523957066031423)
小選挙区制に関する投稿。「小選挙区制は自分が子どもの頃、自民党によって導入されました」と主張。しかし小選挙区比例代表並立制の導入は**1994年の細川内閣**時であり、1962年生まれの町山は当時32歳。「自民党が導入」という事実認定も誤りで、複数のユーザーから即座に訂正された。喜多野土竜(@mogura2001)は「削除を見越してスクリーンショットを保存」したと投稿している。
###2月9日23:14(tweetID:2020863930051010613)
###2月10日 00:01(tweetID:2020875784920142171)——固定ポスト
町山が自らのプロフィールに固定した中核的主張:
> 「チームみらいの動画再生数は800万で、比例での得票数が380万票(共産党より多い!)なんと動画を観た人の半分近くが投票。候補15人中11人が当選で当選確率73%! 自民党ですら21%なのに……今回の選挙、おかしくないですか? ちなみにれいわの再生数はみらいの10倍以上の1億1千万再生だが、比例での得票数は167万票。」
YouTube再生数と得票数を直接比較し、チームみらいの「変換率」が異常に高くれいわが異常に低いと主張する論法である。**YouTube再生数には海外からの視聴・重複再生・興味本位の視聴が大量に含まれる**ため、得票数との単純比較は統計的に無意味だという反論が多数なされた。
###2月10日 00:22(tweetID:2020881033554722892)
夏樹蒼依(@hokkori_nekko、「バズモンスター」と分類されるアカウント)の投稿を引用リポスト:
> 「フォロワーわずか2万4千、動画につく『いいね』は平均100ていどのチームみらいが比例で380万票獲得? 候補15人中11人当選? この異常さを選挙管理委員会やマスコミは放置するの? また週刊文春と赤旗だけ?」
###2月10日 08:05(tweetID:2020997476178854288)
ひで2022真実を追求(@hide_Q_)の投稿を引用リポスト:
> 「東京都中央区でチームみらいの比例得票数が共産党の4倍でれいわの10倍! いくら何でもそれはない 朝日新聞は地元なんだから区民調査すれば事実はすぐに判明するよ。しないのか?」
実際には中央区でのチームみらい比例得票率は**19.14%**で、2025年参院選の同区での11.20%からの上積みであり、高所得・IT系住民が多い中央区の人口構成と整合的だった。足立区では9.44%にとどまるなど、地域ごとの所得・職業構成との相関は明確だった。
###2月10日 08:07(tweetID:2020997992849997860)
マッシュ@札幌(@mashsapporo)の投稿を引用リポスト:
> 「選挙期間中まったくSNSでバズらなかったチームみらいの比例での得票数が共産党よりも多い380万票で、候補15人中11人当選。自民党よりも高い当選率」
###2月10日12:54(tweetID:2021070158215905718)
> 「それよりおかしいのは、ネットで動画もまるで見られてない、街宣でも人がまるで集まらなかったチームみらいが突然、半年前の参院選の何倍もの票を集め、党員やボランティアのはるかに多い参政党や保守党やれいわや共産党を越え、候補15に対して11人当選で自民党よりもはるかに高い当選率になったことですね」
###2月10日 約13:48(tweetID:2021071771215200665)
> **「チームみらい、街宣に誰も来ないのに自民党を超える当選率! 野党の皆さんは左右共闘して、票の数え直しを要求すべきです!」**
野党の左右を問わず連帯して票の数え直しを要求すべきだという、事実上の選挙結果否定の呼びかけである。
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出目金(@TR_727)が2月10日に詳細に記録したところによると、町山が引用・リポストした陰謀論アカウントは以下の4系統に分類される。
出目金はこれを次のようにまとめた:「町山智浩氏が『陰謀論』界隈、ゆうこく連合支持者、参政党支持者らによる『チームみらいがこんなに票取るのおかしい!』との『不正選挙』投稿(当然『ムサシ陰謀論』含む)をたくさん拡散していて驚いたよ」。@Beriyaも「今町山智浩さんのアカウントを見に行くと、怒涛の勢いで票操作・不正選挙が行われていたと主張するアカウントをRTしている様を見ることが出来ます」と実況した。
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町山の陰謀論は孤立した現象ではなく、**左右を問わず「チームみらいの躍進が許せない」勢力の合流**という異様な現象の一部だった。
この左右合流現象について、5chでは「参政党と日本保守党とれいわ新選組の支持者が一斉にチームみらいは不正選挙だって騒いでて草 仲良しかよw」というコメントが象徴的だった。自民党が**316議席**という戦後最多の圧勝を遂げているのに、わずか**11議席**のチームみらいだけを標的にする論理的矛盾も繰り返し指摘された。
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5chなんJ板に立てられたスレッド「【速報】町山智浩、チームみらいの当選率を不正だと疑い右左共闘を呼びかける」は複数のまとめサイトに転載され、大きな反響を呼んだ。
最も象徴的なレスは**「Qアノンを馬鹿にしてた町山がメロリンQアノン化するとは思わんかった」**(ID:ENb/mE2a0)。「メロリンQアノン」とは山本太郎のタレント時代の持ちネタ「メロリンQ」とQアノンを掛け合わせた造語で、れいわ支持の立場からQアノンと同じ行動をとる町山を完璧に表現した。
他の注目レスとして、「極中道で左っぽい政策も右っぽい政策も言ってるから、イデオロギーが濃い人間には意味不明で不気味に見えるんやと思う」(チームみらいが左右両方から攻撃される理由の分析)、「マジで町山は映画だけやれ」、「SNSで政治レスバしてるやつって最後陰謀論者になるよな」などがあった。
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この騒動の核心は、**町山智浩がまさに自分が長年批判してきた行動を再現した**という圧倒的な皮肉にある。
町山はトランプ支持者やQアノンを批判する著書を複数出版してきた。『アメリカ人の4人に1人はトランプが大統領だと信じている』(2021年)、『アメリカがカルトに乗っ取られた!』(2022年)、『ゾンビ化するアメリカ』(2023年)、『独裁者トランプへの道』(2025年)。2021年の著書では「Qアノンは陰謀論者」「選挙ではバイデンに票を盗まれたと主張する」「選挙前から世論調査ではトランプの支持率はずっとバイデンを下回っており…そういう理屈がトランプ支持者にはまるで通じません。これはもはや宗教です」と書いていた。
2020年11月のTBSラジオ『たまむすび』では、トランプの不正選挙主張を「とんちんかん」と断じ、「4万票の不正っていうのはちょっと無理だろう」と論じていた。ところが2026年2月、町山自身が**根拠なく380万票の不正を示唆し、ムサシ陰謀論を含むアカウントを大量拡散し、票の数え直しを要求する**という、トランプ支持者と完全に同型の行動をとった。
TJK(@ZTJK1)の「町山智浩がチームみらいの獲得議席に陰謀論を捏ねくりはじめてて、バイデンに負けた時のトランプ信者みたいになっている」という指摘は、多くのユーザーが独立に到達した結論でもあった。チャック荒井(@arai_y5561732)は「町山智浩さんは左が負けるたびにおかしくなっていくように見える」と評し、ニコニコ大百科の掲示板では「見えないものが見えるようになった町山さん 映画評論も見えないものを見ていた可能性が浮上」という辛辣なコメントも残された。
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## 町山の主張はなぜ成り立たないのか
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町山智浩の2月8〜10日の言動は、単なる映画評論家の暴走エピソードにとどまらない。**イデオロギーに基づく認知バイアスは、知識量や批判能力とは独立に作用する**ことの鮮烈な実例である。トランプ支持者の陰謀論を5冊の著書で解剖した人物が、自陣営に不利な選挙結果に直面した途端、分析対象と同じ行動パターンに陥った。「結論先行で根拠が入れ替わる」(はてな匿名ダイアリーの分析)という構造は、彼が批判してきたMAGA運動そのものだった。
注目すべきは、この現象が町山個人の問題を超えて、**れいわ・参政党・日本保守党・ゆうこく連合という本来対立する勢力が「チームみらい叩き」で合流した**という構図である。極中道を掲げるチームみらいは左右双方のイデオロギー濃度の高い層にとって「意味不明で不気味」(5chコメント)な存在であり、それゆえに左右の陰謀論が同期した。316議席の自民党ではなく11議席のチームみらいを標的にした事実自体が、この攻撃の動機が政策的批判ではなく感情的反発であることを示している。
赤:小林良輔・吉岡佐柚奈@ザテレビジョン 緑:上田哲嗣・江川奈央子@月刊スカパー! 白:田中雄二・高橋美樹@TVnavi 青:三宅俊郎・木塚里帆@TVガイド
青13
緑18 赤 8 白23 赤12 青11 赤16 白 × 青21
緑 3 赤14 赤22 白 9 緑15 白10 白 7 赤 ×
緑 5 青24 赤 1 赤 4 緑 × 赤 2
青 6 > 10
白17 赤 × 白19 白10 青20 青25
+--+--+--+--+--+
| 赤 | 赤 | 赤 | 赤 | 緑 |
| 青 | 赤 | 赤 | 赤 | 白 |
| 青 | 青 | 赤 | 白 | 緑 |
| 青 | 青 | 青 | 青 | 青 |
| 青 | 青 | 青 | 青 | 青 |
赤: 8枚 ○ 8 × 2
緑: 2枚 ○ 4 × 1
白: 2枚 ○ 7 × 1
青: 13枚 ○ 7 × 0
BSジャパネクストがリニューアルBS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや2025年4月からtverを含め見逃し配信あり
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・02恵方(巻
・03いきものがかり
・05龍が如く
・07 [近似値]13 (か国
・08板垣李光人 いたがきりひと
・11[Alexandros] アレキサンドロス
・12 14
・13キャベツ
・14 [どちら]左 耳
・15 津(市
・16蛇足
・17 [新クイズ:15枚で当てましょう]夏目漱石 なつめそうせき
・18ピンク・レディー
・19 ポエニ(戦争
・21 『僕には)鳥(の言葉がわかる』
・22 [3択]6 5(kg
・24 [何の頭文字][AC]copyrightコピーライト
・25長嶋茂雄(賞
・26 [3択]5 00(秒
・30e群馬(県
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(日曜本放送)このあと14:15からは「人生に魔法をかける ロングブレスで激変物語 【2日間で驚きの腰痛改善】」→14:45BS10からのお知らせ
16:00-17:55HOUND DOGLIVE Autumn Special2025
(01日日曜日)
ttps://note.com/yonahajun/n/nc1e0ecbf599f
つけてみてあれだが文章ましてや表題に(笑)だのなんだのと書くのは死ぬほどセンスがないと思っている。
ダサいし古いし文章でそういうことを補足すること自体ナンセンスだ。そして「こんなことを書けるオレカッコイイ!!」という見てるだけで嫌になるナルシシズムが滲み出ている。
ここまでネット社会が普及した今日、こんなくそダサい文章など見かけることは稀だろう。
言ってしまえば滑り散らかしているネタを延々と披露する痛い芸人みたいなものだ。
ところがこういうくそダサいセンスをなぜかイケてると勘違いして使用しているイタいおっさん(46歳)がいる。そう、我らがホンモノ!與那覇潤である!
これは今日も今日とてこのホンモノをいじり倒して遊んでみる試みである。
・・・どうでもいいことだがこのはてな匿名ダイヤリーで與那覇のことを書いているのは私だけなのに、全然反応がない。與那覇がもし話題沸騰な人ならもっと取り上げられて然るべきなのだが・・・。このダイヤリーが注目されないのもひとえに「ホンモノ」が社会での影響力を持っていないせいである。
與那覇よ、お願いだからもっとまともな文章を書いて早く浮上してきてくれ(苦笑 「ホンモノ」リスペクト!)
それか10万部を超えるベストセラーでも書いてくれればいいのだが・・・。もっとも、対談で分量を水増しするようなセコい書き方をしているホンモノにどこまでやれるか・・・。
與那覇は「味付け」に自信があるようだが、当たり前なことで同じような味付けのまずい飯しか出さない店なんか閑古鳥が鳴いて当然だ。最近、玉田敦子がせいだいに與那覇に対してやらかしたせいでその記事は例外的にバズったようである(よかったね笑)
まあこれは玉田が下手を打っただけの話でどうでもいい。勝手にすればという感じである。(あまりに議論のレベルが低すぎるのでURLを貼ることすらだるいので詳細は「ホンモノ」のnoteを参照されたし)
ここで問題にしたいのはホンモノの影響力が他のインフルエンサーと比較しても全然伸びていない点である。
ttps://note.com/yonahajun/n/n61a4919560c9
今のままだとnoteでは與那覇が目の敵にしている「令和人文主義」の代表格三宅香帆には到底及ばないし、以前與那覇が愚弄した谷川嘉浩には著作数の差で全く勝てそうにない。
ttps://note.com/nyake
ttps://researchmap.jp/y-tanigawa
それにしてもこの二人の影響力と仕事の多さはすさまじい。常人ではないと思い知らされる。それに比べて・・・noteという限られた言論空間SNSで駄文しか書けないホンモノも少しは見習ったらどうか(笑)
悔しかったらベストセラーになるような本でも書いてみれば(苦笑)
今の路線を突き進めばせいぜい「劣化白饅頭」くらいが関の山だろう(爆笑)
白饅頭はnoteで「成功」した一人としてみて間違いなかろう。その主張の是非はここでは置くとする。
ttps://note.com/terrakei07
改めて三宅と白饅頭と比べてみるとnoteを「主戦場」にしているはずの「ホンモノ」のダメダメっぷりがすまじい(笑)これがかつて一世を風靡したはずのヒョーロンカの姿ですか(苦笑)
こう書くと「ホンモノ」は「SNSのバズりだけで右往左往するな!」と噴き上がりそうである。
しかし、どうやらnoteが伸び悩んでいるのは與那覇も気にしているようで・・・こないだの玉田敦子の一件がばずったのを大はしゃぎしていた(詳細は與那覇note)。やっぱりSNSの反応気にしてるじゃねーか(爆笑)
まあせいぜいオープンレター騒動の敗北で溜まっている残党が噴き上がった結果、久々に得られた自己肯定感でうまい飯でも食えばいいんじゃないんですかね(適当)
そういや呉座は日本歴史学協会との裁判で敗訴したそうだが、與那覇からは特に何の声明もないし、先に挙げた與那覇の2025年を総括する記事でも注目すべきトピックなのに何の反応もない
ttps://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20251111/1762873018
ttps://agora-web.jp/archives/2053751.html
かつて與那覇は歴史学協会の声明を批判し、これに同調した歴史学者を「言い逃げ屋」として批判した。しかし、司法判断が決した今、何らかの声明を出さないと自らが「言い逃げ屋」それ自体だったということになっている(苦笑)
これが2021~22年ごろなら「司法はキャンセルカルチャーに加担したあああ!!ホンモノたるオレサマが反論を立ち上げるぜ!!!」とぶちぎれそうなんだけど、どうしたの?もう飽きたの(笑)
それか裁判で勝訴を続けている歴史学協会の弁護士の神原元にビビってるのかな(笑)
かつてあれだけコミットした呉座の一件において注目すべき裁判を「スルー」した。これこそ「歴史否定主義」なんじゃないですかね(苦笑)こうなってくると呉座を利用していただけという見解がますます「的中」してしまうんだが、もう與那覇からすればそんなことはどうでもいいのだろう。
こういう肝心なところで逃げちゃうから「ホンモノ」はダメなんだよねえ…。だからこうして舐められるしバカにされる。徹頭徹尾こんな有様でよく人のこと言えるな(呆)恥も外聞もない「ホンモノ」は流石っすね(苦笑)
まあ威勢のよさとは裏腹に過去にボコされた相手にはトラウマがあるみたいで「あのとき息の根を絶つべきだったと思うね。🙂」とまで愚弄されてもダンマリだから、根は臆病なのかもしれない。
ttps://bsky.app/profile/yunishio.bsky.social/post/3lhvappgeo22r
なんども繰り返すが都合の悪い事実は全部書かずに無視して無かったことにするのが「ホンモノ流」なので、今後も與那覇がやらかした時に取り上げ続けて徹底的にいじり倒していきたい。
ttps://kscykscy.exblog.jp/18241381/
ttps://watashinim.exblog.jp/18496216/
與那覇といえばこの上記の批判とそれを無視した與那覇に対するさらなる批判を忘れてはいけない。この件は今の「ホンモノ」を騙る與那覇にとって最も不都合な歴史の一つなので毎回のように擦り続けたい。
都合の悪い指摘を無視する、間違っても訂正しない、事実を認めようとしないこういった「ホンモノ與那覇」が批判する専門家たちの最たる例こそが「歴史学者與那覇潤」であった。ちなみに「歴史学者與那覇潤」の不都合な事実はまだある。今後機会があれば示していきたい。これらを見れば與那覇が言う「ホンモノ」などというものといかに自身がかけ離れているかわかるだろう。何度でも言うが歴史云々言うなら十数年前の自分の著作の間違いと、なぜその間違いを今日まで放置してきたのか、今後どうすべきか、なぜ自分のことを棚に上げて人を批判できたのか、全部納得ゆく説明ができるはずだ。何せアナタ、「ホンモノ」なんでしょ(苦笑)(え!?できないの!?)
ちなみに、先に挙げた要求は與那覇が他者に要求し続けていることであって、自身が自ら実践せよと言っているだけで何ら不当なことはない。それができないということは、結局與那覇は紛い物でしかないということではないか。自らの姿勢と歴史がそれを物語っている。先の『朝日新聞』の記事には代表作が『中国化する日本』であったことからも、未だにかつてのネームバリューで飯を食っているのは明らかなワケだから。過去の栄光を否定することすらできない、間違いを放置する與那覇にどうして他者を説教する資格があるのか。ましてや「裁判」などと片腹痛いとはことのことである。
ここに今回からは「呉座裁判の決着に沈黙した」という、また一つ、「ホンモノ」をいじり倒せる事実が蓄積されたということで、喋れば喋るほどボロが出る「ホンモノ」にこれからも注目したい。
あと、ここまで()でいろいろと「ホンモノ」リスペクトで書いてきたが、もう飽きたし自分で書いてて共感性羞恥心に加えて当事者としても恥ずかしいしダサくて仕方ないのでやめておく。
よくこんな文章恥ずかしげもなく書けるね。
で、本題はここからである。「與那覇潤は二人いる!?」というのが本題でここから突っ込んでいきたい。
ttps://bsky.app/profile/seika-aoshima.bsky.social/post/3mbmatco3n223
目に留まったこちらの投稿。何やら與那覇が『朝日新聞』で掲載した記事らしい。
この「うわぁ…って感じではある」というのは何ともリアルだが、その通りである。普通のそこら辺の人が與那覇の記事を見たらドン引き一択だろう。
ttps://www.asahi.com/articles/ASTDS24D6TDSUPQJ008M.html
で、なんでこの人が與那覇二人いるのかと言ったのか。早い話がnoteと朝日の記事がかけ離れているからだ。
全文はプレゼントされた記事でざっとしか読めてない。内容は引用しない。なぜなら有料なので、ここは著者とメディアに敬意を払うべきであるし(皮肉抜き)、何よりルールに則る必要がある。有料記事をそのまま転用するのは著作権的にアウトである。そこで、ここではSNS上で観測できるコメントのなかからいくつか気になったものを抜粋したい。
ttps://x.com/miyukinatsu/status/2007273385085284649?s=20
與那覇潤「歴史を取り戻すことは簡単ではありません。それなら何を新たな基盤にして『人は意外に共感しあえる生き物だ』という深い安心感を、支えてゆくのか。孤独なままその日ごとの話題に『いいね』を押しあい、浅薄に共感をむさぼる相互不信の社会を、今年で終わりにする時です」
なんかいいこと書いてそうだけど、noteでは「ニセモノ」を人民裁判で罰せよ!とわめいている。
それに共感して「うおおおおホンモノ與那覇様すっげー!人民裁判待ったなし!」という人も真面目に出てきている。
ttps://x.com/paravola/status/2005889274340929911?s=20
こんな分断を嬉々として喜ぶ人を煽るような状況で、與那覇や彼の支持者とどうやって「共感」して「安心感」ある社会を作れというのか。不信と憎悪をまき散らかし、相手を罵倒してばかりの與那覇がよくも「共感」などということを言えたものだ。これが彼に傷つけられたり、踏みにじられてきたりした者たちの本音だろう。私からすれば自分の所業を棚に上げてきれいごとばかり言う與那覇の言葉に説得力などないというのが正直なところである。朝日の記者は「ホンモノ」をちゃんと見たのだろうか。この記事を見てもし良いことを言っていると思う人がいるのなら、與那覇のnoteを見てみればいい。どこに「共感」「安心感」があるというのか、説明して欲しいところである。
「浅薄に共感をむさぼる相互不信の社会」に一役買っているのは與那覇自身ではないだろうか。
何せ間違いを犯して認めない奴ら(人選は與那覇)を裁判で裁けなどと言っているのである。正気の沙汰ではない。これが「相互不信」を招く愚行でなくてなんだというのか。そんな無茶苦茶な「人民裁判」こそ「相互不信」の温床になりかねない。次に裁かれるのは誰だとお互いに過去の発言や言説を探りあって次々と告発しあうのだ。まるで與那覇がスターリンになったかのように、與那覇に密告しあう社会がお望みなのだろうか。こうしてお互いに不信感を強める密告社会の出来上がりだ。少なくとも與那覇が旗を振る「共感しあえる」「安心感」のある社会など、全く安心できないし共感できそうにもないのは私だけではないはずだ。こう書くと「きさまあああホンモノをスターリンになぞらえるとは!?侮辱かああああ!?」とぶちぎれそうだが、そうたとえられたくないなら裁判だなんだと物騒なことを言うべきではないだろう。まあ「息の根」を絶てばよかったなどという人の発言をスルー出来るほど寛容なら何の問題もないはずだ。
果たして激烈な他者への批判を繰り返す與那覇と、共感と安心感を説く與那覇。どちらがホンモノなのだろうか。どちらかが嘘をついているのだろうか。
正解はない。奇妙なことに激烈な批判によって相手を引きずりおろして叩き潰したい與那覇と、それでも共感できる社会を目指したい與那覇は同居している。
不思議なことだ。だが、これこそが今の揺れ動く與那覇を物語っているように思う。彼自身、本当は「ニセモノ」を裁く裁判なんてやりたくないしやる気もないんじゃないか。一見して強い言葉を使ってみても、そこに具体性も中身も何にもない。あれだけ執着した呉座裁判の結果に無視を決め込んだのが全てだろう。その場その場で相手を貶す言説をまき散らし、自分が気持ちよくなれば後はどうでもいい。で、新聞ではお行儀のいい共生論を謡ってみて自己顕示欲を満たす。で、飽きれば「忘れる」。無だ。今の與那覇をたとえるならそれしかない。
ちなみに、與那覇は専門家大失墜!Vやねんホンモノ!などと盛大に謡っているが、別に専門家が失墜した形跡はほとんどないし、そもそも與那覇の見ている世界はX(Twitter)の狭い世界だけの話であって、世間全体で見ればそもそも與那覇を知っている人さえ少ないのが現状だろう。
コロナについてもいまだに議論が続いていて、日本でも多くの死者数を数えている。
ttps://www.kasai-yokoyama.com/media/news/960/
ワクチンの害等についても今後議論しなければならないが、コロナを軽視することに警鐘を鳴らす本も出ている。與那覇はネットの「つまみ食い」の知識で知ったかぶりするのではなく、こうした議論を真正面から受け止めて反論を考えてもらいたいものだ。
ttps://akebishobo.com/products/covid19?_pos=1&_sid=8ab0f2dfa&_ss=r
このような様々な議論から逃げてネットの記事や自分に都合のいい事実しか捉えないところは『中国化する日本』から何も変わっていない。
與那覇の記事に出てくるのは無名のツイッタラーばかりだ。そんな狭い世界で社会がどう、学問がどう、歴史がどう、コロナがどうの等言ったところで誰が見て納得するのか。専門家批判は間違っていないが、それの対抗言説として取り上げるのが怪しげな陰謀論者や無名のおかしなツイッタラーでは話にならない。おふざけもいい加減にしろというところだ。そんな井の中の蛙になり下がった状況で一体全体どうやって社会をひっくり返すような専門家批判、裁判などやろうというのか。そんな求心力は與那覇には全くないことは明らかであって、與那覇がしゃしゃり出たところで他の批判者に叩き潰されるのが関の山だ。先の不都合な事実を指摘されれば與那覇は一発で吹き飛ぶ。「お前にそんなこと言われたくないし言われる筋合いもないし言う資格もねぇよ!」これでお終いである。「大審問官」になどなれるはずもない。なんせ「息の根」を止めようという人にさえまともに怒りをぶつけられない臆病で繊細な與那覇だ。そんな彼に世間を向こうに回して大立ち回りをすることなど、出来ようはずがない。
もし仮に彼がそんな裁判を開くなら、過去の業績や寄せられてきた数々の批判、そして與那覇がいかにそれを無視し続けたか(先の指摘、何度でも繰り返したい)が白日の下に晒されるだろう。そうなったら、與那覇はどう弁明するつもりなのか。まさか自分だけが無傷で済むと思っているのか。
結局のところ與那覇の致命的弱点は針小棒大に物事を捉えること(例えばネットの炎上事件でもって歴史学はダメ、大学はダメだというとか、コロナについては西浦の八割削減に意味がなかったという点や陰謀論者の医者たちの言説でもってコロナは大したことないと言い募るなど)、都合のいい事実だけを議論に反映させるチェリーピッキングを繰り返して議論を組み立てることにある。『中国化する日本』で犯したのと同じ過ちをずっと繰り返している。これも「訂正」「反省」を怠った結果なのである。
先日のブログで示した向野正弘もこうした独りよがりな與那覇の痛烈な批判者だ。もし、裁判が開廷すれば「ホンモノ」の欺瞞は余すことなく暴かれるだろう(続)
「売れている」、「活躍している」、「若い」、「美しい」、「才能がある」。
アンチはそのような対象にまるで磁石に引き寄せられるように、、、である。
当たり前だろ?って。
売れてなければ、その存在を知られることがないんだから、アンチは形成されない、と?
果たしてそうだろうか?
私はそうは考えない。
アンチというのは、その対象に対して「引きずり下ろしたい」という醜い感情を抱いていて、それが行動のモチベーションとしか考えられないからだ。
彼の、何がいけないのか?
トレースをすることか?
否。
否、否、否、否、そうではない。
アンチが納得しないのは、江口寿史がイラストレーターとして地位を確立していることに対する「嫉妬」だ。
もしも、江口寿史氏が名もしれぬ、どっかの高校生で、たまたま何かの拍子に炎上しただけだったのなら「再炎上」なんてしない。
偶然で、たまたま炎上したんだけど、その炎上に対して、今回江口寿史氏がしたような釈明をしたとしたのなら、一部批判を受けても「再炎上」なんてしなくて、「無視」されただろう。
炎上直後の釈明なら再炎上しただろうが、しばらく期間をおいて冷ましてからの釈明だったなら、名も知れない誰かのことなんてもう「無視」である。
なぜなら、その高校生は「嫉妬」の対象ではなく「リンチ」の対象であっただけだからだ。
たまたま、そこにいたストレス発散のための殴れる対象であったに過ぎないからだ。
彼は、この危機を乗り越えれば、クリエイターとして再び軌道に乗ることだろう。
そんなことはさせない。
絶対にそんな事はあってはならない。
と、「嫉妬」に駆られたアンチたちが群がるようにして集まり炎上させるのだ。
それはなぜか?
それは何者にもなれなかった彼らの中に燻り続ける怨念のようなものだ。
何者にもなれなかった誰か、たち。
そのことを理解すれば、すべてを読み解くことが出来る。
ただこのような真実を書くと、アンチたちはその「図星」に対して必死に否定をしてくる。
それが、もっとも真相をついていて、もっともそのアンチの痛いところだけに、否定してくる。
でも、もうやめなよ。
醜いだけだよ。
それよりも、何者にもなれなかった、才能も努力も、運を掴み取る必死さもなかった自分のことを責めるのをもうやめなさい。
「年老いて」「醜く」「輝きを失った」自分に落胆するのはやめなさい。
それを続けている限り、あなたは他人に嫉妬するだけの醜い何かでしか無い。
そういう人こそ、よく自分のなかの心の内を覗きなさい。
この文章がどうしようもなかったので、どこかどうしようもないと思ったのかを具体的にいくつか挙げていく。
https://note.com/bungakuplus/n/n7f809eebf081
初めに断っておくと、自分は人文系の修士卒で、人文学が大嫌いなわけではもちろんないが、大好きなわけでもない。令和人文主義なるものにも特に思い入れはない。強いて言えば三宅『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んで、「ノイズ」だとか「新自由主義」だとかいう謎ワードで強引に議論を進める本だな、と少し不愉快になったくらいだ。
だが、『なぜ働いていると…』を読んでいるときは軽くイライラした程度だった一方、この文章は読んでいて本当にウンザリしてしまった。「令和人文主義として括られるコンテンツ群は経済的に余裕のある正社員の方を向いている」という主張単体なら(妥当性や是非はともかく)理解はできるが、他の部分があまりにどうしようもなさすぎる。
学術を標榜しているわけでもない文章に対して重箱の隅を突いても仕方がないので、特に重要かつ特にどうしようもない点をいくつかピックアップして突っ込んでいきたい。
この文章が話題になった理由の大半は、「令和人文主義として括られるコンテンツ群は正社員の方を向いている」という指摘がウケたからだろう。自分はこの指摘の妥当性を判断できるほど「令和人文主義」に詳しくないので、ここについては一旦受け入れてもよい。
だがこの文章は、明らかにそれを超えた主張を行っている。著者によると、現代はグローバル化と新自由主義が進み、企業による統治がどんどん進行しているという。そして、令和人文主義はその流れに待ったをかけず、抵抗もしないので、資本の装いをした専制に加担している、ということになるらしい。
わけの分からない言葉が既にたくさん出てきていることはさておいても、「何をそんな大袈裟に騒ぎ立ててるの?」と思わずにはいられない。一部の作家やコンテンツクリエイターが、人文知をビジネスパーソン向けに売り出したとして、それが社会に与える影響などどう考えても微々たるものだろう。そもそも、令和人文主義なるものが盛り上がったところで、「市民」やら「マルチチュード」やらに向けて人文知を発信する人というのは(この著者のように)存在し続けるだろうし、仮にそうした人々がいなくなったところで、そのことによってその「資本の装いをした専制」やら「市民の権利縮小」とやらが進むとは思えない(進むのかもしれないが、そこに人文知のあり方はどういう形であれ大した影響を及ぼさないだろう)。人文学がどういう層に向けて発信され、どういう層に受容されようが、それが社会の流れを大きく変える、などと本気で思っているのだろうか? 人文知をビジネスパーソン向けに売り出すことが、企業による統治(これもなんなのかは結局よく分からないけどね)に加担することになるとして、それが何か大きな問題をこの世界にもたらすなどと本気で思えるだろうか?
結局、この著者は人文知の力を(良い側面にせよ悪い側面にせよ)過大に見積もりすぎているか、社会にとって大して重要でない人文業界の内輪の話を針小棒大に騒ぎ立てているか、そのどちらかにしか見えない。
著者の世界観だと、現代はグローバリゼーションによって国家が退潮し、新自由主義によって企業による統治が進行し、結果、イーロン・マスクを代表とする「企業」、その鉄砲玉をつとめる「国家」(ドナルド・トランプ)と、グレタ・トゥーンベリを代表とする「マルチチュード」とが統治のあり方を巡って火花を散らしている、という時代らしい。
ふーん、勉強になるなぁ。でも気になる点がいくつかある。確かに、GAFAMなど超国家的なプラットフォーム企業が国家による統制の効きにくい存在になってきているというのは多くの人々が危惧しているところだ。なぜそうなっているのかと言えば、一つにはネットワーク外部性によってこれらのプラットフォーム企業がグローバルなレベルで独占的地位を得ているからである。プラットフォーム企業はこうした独占的地位をもとに、プラットフォーム内での取引のルール作りや契約の執行といった「統治」を行っている。だがこれは、「法の支配」が欠如しているとしても、「市場の論理」による統治として理解されるところの新自由主義とは別のものだ(なんといっても独占企業なのだから)。これが民営化やら競争やら自己責任やらとどう関係するのかも不明である。そもそも本稿では、新自由主義は「統治の担い手を企業に任せる」思想とも、「市場の論理で世の中を支配することを当然と見なす」思想とも言われている。だが企業と市場はもちろん別物であり、企業はときに/頻繁に市場の論理に抵抗する(上に見た独占はその最たる例だ)。いったいどっちなの?
そして、トランプとマスクの間で一時的な野合が成立したことをもって、企業と国家が同じ利害を共有しているなどと言えるだろうか。MAGAの政策が多くの企業にとってプラスだったとはどう考えても言えないだろう。というか、むき出しの国家利害がここまで顕在化している時代に、国家は資本の傀儡だとか昔ながらの主張を繰り返すこと自体、お笑い種である。ロシアはどうなるの? イスラエルは?
その上、いまさら「マルチチュード」なんか持ち出していったい何になるというのか。国際的な非国家主体による集合行為にそれほど期待をかける根拠がこの数十年で何かあっただろうか? アラブの春やオキュパイ運動はどういう結果に終わったんでしたっけ? 少なくとも、国家にもはや問題を解決する能力がないというなら、マルチチュードにはもっとないだろう。
この文章の後半部で異様に感じたのは、法律(法学)の称揚だ。ここまで法学を推す人文系というのはなかなかお目にかからない。
この文章は、人文学を学ぶ学生に向けて、(人文学者にならないならば)企業に行ってマーケターやコンサルやITエンジニアになるのではなく、法律を学ぼう、という呼びかけで締めくくられている。王道は人文学者として企業の統治に対抗する統治理論を打ちたてることで、法律を学ぶのはあくまで邪道だ、という主張からして失笑ものだが(いったいどこまで人文学に期待をかければ気が済むのだろうか)、一番よく分からないのは、人文学徒が法律を学ぶといったいどういう仕組みで社会が良くなるのか、だ。人文学の研究を続けていけないと思った学生が、コンサルやらITエンジニアの道には進まず法学を学んで、企業法務や法曹系の職に就いて、それで……、それでいったいどうなるんだ? そもそも人文系で研究職に進むことを一度は考えるような人間って日本にどれくらいいるのだろう。そういう人たちがコンサルに行くか法律を学ぶか、ということがいったいこの社会のどれほどの影響をもたらすというのだろうか?
そもそもこの文章では、人文学というのは法学に連なる学問であり、統治について論じるものだということになっているが、これ自体かなり奇妙な認識だ。この文章内でも「政治と文学」という対比が持ち出されているように、人文学に「統治に関する学問」とは別の要素が含まれているのは明らかだ。というか、人文学の多くは別に「統治」には興味がないだろう。
著者の法律推しは、経済・企業を貶めながら政治・市民を称揚する昔ながらの共和主義っぽい構図が前提にあるということを除けば、いったいどこに由来する世界観なのかすらよく分からない。著者本人が法務の道を選んだと書いているので、そういう個人的な関心以上の話ではないようにも思うが、別にそれはどうでもいい。問題は、飛躍した議論に基づいてよく分からない進路提言を行っていることだ。
結局この文章は、人文業界内でのポジション取りゲームにしか見えないし、外野からは「人文学徒の世界観がいかに現実から遊離しているか」のサンプルとしてしか受け取られないだろう。人文系の修士卒として、またこの手の世界観にハマっていた過去がある人間として、「いつまでこんなことやってるの?」と言いたくなる。
本当に統治の話がしたいなら、変な人文書なんか読まず普通に社会科学とか公共政策の本を読めばいいのにね、としか思えない。人文学全般がこれからどうなっていくのかは知らないが、人文学を学んでこんなわけの分からない話をしだすくらいなら、確かに法学を学んだ方が個人にとっても社会にとってもずっと有益だと思う。著者にとっては法学はあくまで邪道なようだが。
考察する若者とか、働いたら本が読めないとかなんとか言っとりますが、専攻は万葉集。古典には強くても、世評みたいなのは専門じゃない。なのに何かしらんけどネットで流行りの話題を出版社がタイムリーに書かせとる。なんか専門書書かしたれよと思うが、博士課程とはいえ研究期間短いなら難しいか。それで時流に乗った本書いて短期的に受けても、受ける分かりやすい構図は穴があるのが次第に分かってくる。専門じゃないんだから厳密なことしとるわけじゃないし出しとる出版社見たらそうやって分かるんやが、世評は厳しい。突っ込みどころ入れるのが売れるコツや言うけれど、若い書き手使い潰すんはどうなんかね。
エッセイストではあるんだけど、それを才人として過剰に持ち上げる周辺のおじさんたちがキモい話と言っても差し支えない
まあくるまはASD的傾向自認があって自覚的に動いてるからまだ大人しいんだけど、三宅さんは来てる波に全力で乗ろうとするから周りがワオワオする
https://anond.hatelabo.jp/20251224183925
長々と書かなくても
で通じます。
いろんなところで言われてるから皆さんご存知だろうとおもうけど
リクルートは、人々のライフイベント(進学、結婚、就職、住宅購入)において、「本来は個人的・文化的な営みだったもの」に「不安」や「情報不足」という不全感を定義し、それを解消するためのインフラ(ゲートウェイ)を提供することで巨大な市場を作ってきました。
呪術回戦のように「存在しなかった問題を定義して市場化するビジネス」がクッソうまいんだよね。
リクルートのビジネスモデルは、以下のステップで「ゲートウェイ(門)」を構築します。
不安の言語化: 「今のままでは損をする」「選ぶ基準を知らないと失敗する」という空気を作る。
標準化(マニュアル化): 複雑な事象に独自の指標(偏差値、相場、トレンド)を持ち込む。
ゲートウェイの設置: その不安を解消するために「まずここを通らなければならない」という入り口(メディア)を作る。
| 事業名 | 定義された「新たな問題(不安)」 | 構築されたゲートウェイ(解決策) |
| --- | --- | --- |
| ゼクシィ | 「地味婚は恥ずかしい」「結婚準備の仕方がわからない」という結婚式の様式化への不安。 | 結婚準備に不可欠な「マニュアル」としての雑誌。結婚式の豪華化・標準化を促進。 |
| リクナビ | 「新卒は一斉に動かないと乗り遅れる」という就職活動の同期化への不安。 | 企業と学生を一括でつなぐ唯一の窓口。就活の解禁日やルールの固定化。 |
| スタディサプリ | 「地方では質の高い授業が受けられない」という教育格差の可視化と不安。 | 低価格でトップ講師の授業を受けられるプラットフォーム。独学の「不安」をアプリで管理。 |
| ホットペッパー | 「どのお店が良いか選べない」「クーポンがないと損」という選択の失敗への恐怖。 | 飲食店や美容院の情報を網羅し、クーポンという「選ぶ理由」を提供。 |
| SUUMO(スーモ) | 「不動産屋は怖くて情報が不透明」という住まい探しの不信感。 | 物件情報をオープンにし、キャラクターやランキングで「住まい探しをエンタメ化」。 |
| リクナビNEXT | 「今の会社に居続けてもいいのか」というキャリアの停滞への不安。 | 常に「別の選択肢」を提示し続けることで、転職を「当たり前」の文化へ。 |
あなたが挙げた「批評ができない若者」という問題設定も、リクルートの手法に酷似しています。
問題の捏造:若者が「考察(自分なりの読み解き)」はしているが「批評(客観的・構造的な評価)」ができていない、という新たな欠落を定義する。
不全感の煽り: 「今のままでは浅い」「真の知性ではない」と定義することで、若者や教育界に不安を植え付ける。
ソリューションの提示: その「批評の作法」を教えるメディア、書籍、あるいは講座を「ゲートウェイ」として設置し、そこを通ることで「正解」が得られると錯覚させる。
これは、リクルートが「自分らしい結婚」という言葉を使いながら、結果としてゼクシィが推奨する「型」に人々をはめ込んでいった構造と同じです。
「自由な選択を促すふりをして、特定の門を通らなければならない状況を作る」のが、このゲートウェイビジネスの真髄と言えます。
不全感の煽り
仲間内で語録でやり取りし
語録を知らない人に疎外感を与える
みたいな感じなので、別に淫夢なんか分からなくても困らないよねって思う人が淫夢ネタを学ばないように、三宅さんのいう問題提起も自分は関係ないと思うならわざわざ相手しなくていいよ
三宅香帆氏の考察する若者たち、前書きと目次だけ読んだけど、こんなの読まなくていいって思ったよ。
筆者の言いたいことを大した裏付けもデータもなく主張してるだけって分かるもの…。
あなたの主張はもっともだし、だからこの先は、三宅香帆氏のことなんか放っておいて、自分の好きな本を読むといいよ。
以前話題になったnoteのことも、それっぽいデータは出していたけど、学問的に成り立つのか?と言われたら耐えられないデータだよ。
三宅香帆氏の本が売れてたり話題になってたら「ああ、また適当なこと言ってるだけなんだな」って思っておけばいいよ。
出版社としては売れれば正義だし、そりゃたくさん本を出させるよね。
ただそれだけ。
初めにこのことを書かなければならないと思った。
なぜなら本書において三宅香帆は信じられない前提を置いている。
若者は、自分が面白いと思う物や好きと感じることが自分では分からないという前提だ。
だから初めに書く。
私は自分の好きなものや、自分の嫌いなものを確かに自分で判断することが出来る。
その上でこの本は面白くないと感じるし、筆者のことは嫌いだ。
私は23歳の男だ。地元の友人は結婚ないし婚約をしている中で、そろそろ若者としての賞味期限切れを感じつつあるが、若者という立場で文章を書く。
本書で述べられる考察とは何か。
それは既に存在している正解を探す行為であり、そこから与えられる「報われた」という感情が報酬となって流行を見せているという主張が展開された。
変な家、あなたの番です等で正解のある内容を考えることでほっとして安心できる。これが若者の思考であり令和でウケる要素があると書かれた。
そこには正解を当てたという「意味」があり、これがあるからこそ物語を楽しむ時間が無意味であることの恐怖を和らげることが出来る。
だからこそ答えがある場所に、成果が得られそうな場所に集まる。
そうして物語を楽しむという行為が報われるという行為に奪われていくという話だ。
この流れを聞いてどういった印象を受けるだろうか。
何が良いのかも判断が付かず、それらしいものに絡めとられていく様子が私には浮かんだ。
私はこの主張に否を突き付けたい。
確かに若者が好みそうなコンテンツ、作品が計算して作られることはあるだろう。
だがそこに乗っかるのはあくまで自分たちが楽しいから、自分たちが良いと感じるからのはずだ。
ネガティブな感情に追いやられ、そればかりしか楽しめなくなる集団が多数派かのような内容を押し付ける行為は認められない。
一読した部分では分からないことや読み取り難い部分があり、作品に再度触れながら仮説を立てたり根拠を探したりした。
が、それでいい。何故か?
答えを探し求める過程で作品世界への理解が深まり、これまでの自分では気が付かなかった領域が見えたからだ。
そうして感じ取った部分を基に、またもう一度その作品が好きになる。
時間をかけて丁寧に読み、初めに探していた部分とは違った側面がいくつも見えてくる。
この物語は、もしかしたらこういうことを描きたかったんじゃないか。
改めて考察を終えた後作品を振り返ると、それまでとは全く違う姿が見える時がある。
そんな瞬間が楽しくて、考察をする。
人が考察をするのってそういう部分を求めてるからなんじゃないのか?
コンテンツが語らなかった部分を積極的に読み取ろうとすることで、自分の中で新しい物が芽生える。
受動的な視聴とは違う。
自ら生み出す創作とも違う。
それでも自分の行動が挟まる(ように見える)余地があって、自分の手で何かが変わった体感が得られる。
この能動性に考察との共通項があるからこそ、二つが同時発生的に消費者の中で存在感を放つようになったのではないか。
そこには、コンテンツが溢れるようになった時代も関係しているのかもしれない。
ただそこにあるものを消費する営みに疲れ、一歩積極的な行動に価値を感じるようになった。
そんな背景がもしかしたらあるのかもしれない。
ここまで書いたことと、本書で主張されたことは、どちらが正しいのかは分からない。
著者に課せられたハードルはそんな低い物ではないはずだ。
根拠のない持論を重ねること。
何かの作品に対して向けるなら好きにすればいいが、現実に人間に向けるなら話は別だ。
「若者」達に向かって、生き方や接し方を説く。より上の世代に向けて「若者」との接し方を示す。
分析する力も、説得する力もまるで足りてない。
自身のツイートで若者を救いたいと言っていたが、別にあなたは必要とされてない。
彼女がこの本でやっているのは、勝手に問題意識を植え付けることだけ。
ネガティブな像を作り、最終的に自分の提示する方向性に誘導する。
高級感のある情報商材屋だ。イラストをアイコンにしたビジネスブルーバッジがよくやっている。
もっと根本的にだ。仮に考察の目的が正解当てゲームに主眼を置いた物だったとしよう。
ドラマの正解当てばかりに躍起になってるやつ、見たことあるか?
もっと言えば、そもそも考察でそんなに正解に辿り着いているか??
本書の嫌いな部分はこういう所だ。
自分の言いたいことのために、もっと当たり前のことをいくつも無視している。
娯楽に触れる上で最も嫌われるのは「つまらない」ことのはずだ。
報われるだとか、最適化だとか、くだらないことをごちゃごちゃ語るんじゃなくて、シンプルに面白くないことはしたくない。誰だって楽しいことが好きなはずだ。
失敗したくないだとか、何を言っているんだ。
寂しいならお友達が周りに沢山いるだろ。
他人をわざわざ付き合わせるな。
この本は一時が万事そんな調子だ。
根拠になっていない根拠に著者の妄想が乗っかり、あなたはそう思うのかもしれませんね以上に見どころがない話が続く。
さっき書いた考察という行為に対する私の主張も、別に特段の根拠がある訳ではない。
少なくとも私と私の周りにいる人間は物語を愛するために考察をする。
だったら本を書く前に、そんなことをしなくてよいと直接声をかけるべきではないか。
声をかけた結果の対話でもあれば、この本はもっとマシな内容になっただろう。
やけに人気そうな割に話すことが薄いなと思ったし、Kindle Unlimitedで読んだ『好きを言語化する技術』は途中で投げた。
読みづらい上にnoteで書けよみたいな話ばかりで。
正直批判する側に相当アレなやつが多いし、いちゃもんばかりつけられているように見えた(例えば飯田一史のやり方は気に喰わない)。
実際彼女の著書を最後まで読み切った訳ではないから、一冊しっかり読み切ろうと手に取ってみればこのザマだ。
全く言語化について考えたことがない人間には役立つ部分もあるからだ。
そういう悩みを抱えた人間。
これは対象が明確だ。
そういった人々にとって助けになる可能性はある。
noteやYoutubeで探せばもっと分かりやすく深い内容の物があると思うが、それでも本の価値は0ではない。
誰のことを書いている。
様々な作品に、自分の主張を通すために無理やりな解釈を加え続ける。
これでいいと本当に思ったのだろうか。
内容を磨きあげるためにベストを尽くしたのだろうか。
これでいいと思ったのなら、読者を舐めている。
彼女を擁護する者の中に、彼女と同様に「若者」を舐めている者がいないか。
最近三宅香帆の文章を添削するというnoteが話題になった(https://note.com/kyunkyun_p_d/n/n9cc45ed3d74b)。
私の立場を示すなら、必要な指摘と的外れな指摘が混在していると思っている。
確かに三宅香帆の文章は読みづらいと思うが、それはターゲット層の違いもある。
1-の章立てで指摘されてた表現群はちゃんと狙いがあるし、修正前の方が素晴らしい内容だと感じた。
一方で2-、3-の章での指摘な重要な物もある。
彼女の文章は、読み手がおかしな部分を見逃したり、言いたいことを察したりする必要がある部分がそれなりにある。
例えばこれだ。
https://x.com/tsurezure_lab/status/1989617763934244949?s=20
このツイートに載っている表は『考察する若者たち』の冒頭で出てくる。
この表を持って
『そう、ドラマや映画の「ただの感想」よりも「考察」のほうが、いまや人気なのです。』(Kindle 3ページ目から引用)と主張する。
いやそれは違和感ない??
ショートと通常の合計では考察動画の方が多いかもしれないが、じゃあ考察の方が人気なんですねとスッと飲み込むのはやや難しくないか。
別に大したことじゃないかもしれないが、パッと見で違和感ある主張を並べる理由もない。
一つ二つならまだしも全ての章で強引な主張に溢れている。
これ、本当に本を読まない人間向きの本か?
結構な人数が無意識に、本を読まない人間は論理的思考力に欠ける馬鹿だと考えてないか?
本を読まなくとも、論理展開のおかしさに気付ける人は少なくない。
そんな中で適当な内容ばかり書いてある本を目にすれば、むしろ価値がない物として認識される。
雑に作られた形の壊れた文章を、三宅さんはそういうライターだからで済ませるのは、三宅香帆を一番馬鹿にしてるだろ。
アティチュードばかり頭にあって、目の前の良し悪しについて考えることを放棄してないか?(これは彼女の属性だけで飛びついて批判してそうな側にも言える話ではあるが)
何年も書いてる人間がちゃんと考えれば、もっといい内容を書けるに違いない。
彼女周りの人間及びファンダムは、三宅香帆を過度に低く見積っているように見える。
人を舐めるな。
過去に発売された本達は、彼女の名前が残り続けるにふさわしい内容だったのか?
全くそうは思わない。
三宅香帆本人もだが、彼女を過剰に持ち上げようとする人々の方がより嫌悪感がある。
チェックする人間は何を考えているのか?
売り出したいものがあるなら、付け入る隙を減らすように粗は取り除いておくべきだ。
クオリティの低い物が注目を集めれば批判が集まるのは当たり前だ。
彼女に連なる様々な動きが、本を売り出すために仕掛けるプロジェクトだとするなら、シンプルに全ての能力の限界が近いとしか思えない。
本を出版する人間達は、もっと面白くて、真摯な発信が出来るはずだ。
どうしても自然に差し込む方法が思いつかなかったので、趣旨とは外れる部分を書く。
何故か後半は自分語りになってしまったので本当に読まなくていい。
野村克也、日本歴代二位の通算本塁打数を誇る名打者、かつ名捕手として野球の戦術戦略に様々な形を導入した人物でもある。
彼の特徴はと問われて何を答えるかは人それぞれだが、野球の実績以外にも目を見張る点がある。
正しい数字かは不明だが150冊以上の本が出版され、30冊以上が文庫化されているらしい。
通算150本塁打以上を記録した選手は歴代で180人しかいないし、シーズン30本以上打った選手は今年のプロ野球では2人しかいない。
文筆家としても名選手だったと言えるだろう。
強いて言うなら、楽天の監督を辞めた後の時期の本は面白いかもしれない。
大体のルーキーはストレートに魅力があってプロに入ってくるのに田中将大はスライダーにこそ価値があった。
そんな投手は稲尾和久以来だった、みたいな話はめっちゃ面白い。
逆に言えばそれ以外はあまり見どころがない。
ほとんどの本で話が使いまわされていて、見たことがあるからだ。
そんなに人間新しい話が書ける訳がない。
しかも現場から離れていった彼の野球理論は、今読めば正直古かったり間違っていたりすることも多い。
当時でも検証不能であったが故にまかり通っていたが、今から見ればそれはおかしいと言いたくなる話が沢山ある。
それでも本は売れた。それは詳しい内容以上に彼の人間性に惹かれ、言葉を読みたい。
私もその一人だ。内容の是非とは違う所に読む価値を感じていた。
翻って、三宅香帆はどうだ。
連載をこなし出版をこなし、メディア出演も大量も盛りだくさん。
今回の本を読んでとてもそうは思えなかった。
それでも彼女の本は売れる。それは三宅香帆という名前そのものにファンがいるからだ。
とても既視感を覚える。
ノムさんの本に、今はそんなことないなんて言い続けても野暮だろう。
しかしこの2人には大きな違いがある。
それは年齢だ。
現場で戦う人間は自分たちで新しいことを探すし、話しを聞いたとしても大真面目に捉え続けることは少なかったのではないか。
彼女は違う。今まさにど真ん中で社会に変化を与えようとする側だ。
だからこそ、本の内容が稚拙なのが気に入らない。これでいいとは言いたくない。
本から完全に離れた自分の主張を書くなら、寄り添うのはもういいと社会に対して思っている。
それは社会に余裕がある時の振る舞いだ。
今はそんなものは無い。
むしろ人は1人では生きていけない。
だけどいつか人は支えて、人を引っ張り上げる側に行かないといけない。
今の生活はクソだ。
だから今の社会はゴミだなんて話で終わらせようとするのはもっとクソだ。
でもいつまでも弱いままでいることは出来ない。
腹を括って、自分は強くなって自分は勝ちに行くんだと言い切らないといけない。
三宅香帆の本は優しい。
弱いことを肯定する成分が強い内容だ。
そういう部分が共感を呼んでいることも有ると思う。
でもそれはもう遅いと思う。嫌々ながらも諦めて頑張らないといけない。
ノムさんは、プロ野球選手になってから文字通り血の滲む努力を繰り返して成功したという。
それが答えだろう。
ノムさんも三宅香帆も、精神面でもメッセージが強く受け取られている。
金を残すのは三流、仕事を残すのは二流、人を残すのが一流。
考察する若者たちも、読者の感想は最終章への言及がとても多い。
2人とも人を感化しているし、読者は受け取ったメッセージを抱えて行動しようとしている。
じゃあ、本当に成果を出して、人生を動かしている人はどういう属性なんだろうか。
「必須スキル」は、「必須のスキル」と表現するべき、はよくわからなかったよ。
その他全部読んだけど、三宅氏の方が(文法上間違っていたとしても)読みやすかったな。
もっと堅い本ならアウトだけど。
はてブで褒められてたので読んでみた。
「つくる」への指摘にもなんかモヤモヤしたんだけど、その後の「『必須スキル→必須のスキル』とするべき」って指摘で「えぇ……」となってしまった。
助詞の省略って日本語でよくあるやん……(論文とかには使うべきじゃないだろうけど)
三宅香帆アンチのはてブ民が、disる理由欲しさに「この記事正しい!」って飛びついちゃったのでは……
それとも、「必須スキル」の指摘だけハズレだっただけで、それ以降はそれなりに真っ当な指摘なの?
そこでもう閉じちゃったのでわからん
批評というのは多くの読者に影響を与えるためにあるのであって、三宅香帆さんはその点で明らかに勝者でしょう
これまでの批評は「批評オタク向けの批評」でしかなかったし、批評オタクにしか影響を与えられない批評には存在感がない
オジサン批評家が「正社員向けの思想だ!」とかアホなこと書いてたけど、昔の批評のほうがよっぽどエリーディズムでしょ
https://note.com/kyunkyun_p_d/n/n9cc45ed3d74b:title
文章を簡潔にまとめる力だけは認めよう。
でもお前が直した文章誰が好きなん??
三宅香帆と編集者が積み上げた一次創作作品に偉そうに口出ししてるけど。こじらせオタクがエヴァとかガンダムのストーリーに偉そうに物申してるのと一緒だね。
この本の目的は「言語化することに慣れていない人にも感覚的に分かるように言語化の手順と方法を伝える」であって、「正しい日本語で本を書く」じゃないんだよね。
AIと大喜利するくん、もしかしてこれを読み解く力をお持ちじゃないのかな。日本語は上手なはずなんだけどね。なんでかな?
優しいから教えてあげる。
君はすごいからバズったんじゃなく、滑稽だからバズったんだよ。