Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「三ノ宮駅」を含む日記RSS

はてなキーワード:三ノ宮駅とは

2025-08-20

8月3週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

🎵音楽ライブ文化

---

🍜食べ物飲み物外食

---

🏢仕事転職・学び

---

🏠生活日常地域

---

💪健康・体調・運動

---

💻テクノロジー社会経済

---

1週間分の総括

この1週間のオープンチャットは、**音楽食べ物を軸に、仕事・学び・日常生活まで広がる多彩な雑談空間**となった。

大きな特徴は、

といった、軽妙な雑談と深い考察が同居すること。

総じて、参加者同士のリアル生活実感と知的好奇心が交差した、にぎやかで多層的な対話の場となっていた。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

Permalink |記事への反応(0) | 23:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-01-26

1日で市の全住民くらいの数が乗車する駅

政令市レベル)      なし

川口市八王子市レベル) 新宿駅 600000人

施行時特例市レベル)   東京駅横浜駅大阪駅 340000人

             品川駅 250000人 

             川崎駅高田馬場駅名古屋駅 180000人前後

             上野駅京都駅 150000人前後

             札幌駅武蔵小杉駅三ノ宮駅博多駅 100000人前後 

人口50000人で市を目指す)西川口駅静岡駅姫路駅 50000人前後

((歌志内市レベル)    花巻駅武蔵高萩駅丸亀駅佐世保駅など 3000人前後

Permalink |記事への反応(0) | 07:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-07-17

「19才の胸は触ったが、39才の足は触ってない」夜行バス内で団体職員痴漢

夜間の高速バス内で女性2人の体触る 容疑で33歳の男逮捕「胸は触ったが、足はよく覚えていない」

original夜行高速バスの車内で女性2人の体を触ったとして、兵庫県警葺合署は16日、県迷惑防止条例違反の疑いで、山口市団体職員の男(33)を逮捕した。

逮捕容疑は15日午後10時35分ごろから翌日午前5時半ごろまでの間に、走行していた山口京都行き高速バスで、左隣の座席女性(19)の胸と、右後ろの座席女性(39)の足を触った疑い。

同署によると、バス三ノ宮駅バス停留所(神戸市中央区)で途中停車した際、女性2人がバス運転士相談運転士警察通報警官が到着するまで、男は気付かなかったという。同署の調べに対し、男は「胸は触ったが、足はよく覚えていない」と容疑を一部否認しているという。

https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/202207/0015476514.shtml

Permalink |記事への反応(0) | 18:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2021-02-22

国鉄の残り香があったこ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hms_ulysses/status/1363263554728517633

これを見て思い出したこと

国鉄が分割民営化されJRになってすぐ、子どもながらにまだ「国鉄」と言い間違えることも多かった頃の話。

三ノ宮駅のコンコースサーティーワンアイスクリームの店ができた。

サーティーワン子どもお小遣いしょっちゅう買えるようなものではないが、何回か利用しているうちに違和感に気づいた。

店員さんが全員おっちゃんなのだ

アイスクリームを受け取るときに感じていた違和感はこれだった。普通大学生アルバイトみたいな店員さんばかりだから

しかし、おっちゃんたちはいつもニコニコしながらアイスを売ってくれていたからまあそんなもんかと思うようになっていた。

そしてここが他の店と違う点はもうひとつあった。

アイスの盛りがやたらいいのである

当時はレギュラーとかジュニアといった料金体系ではなく、1スクープは1サイズだったはずだが、やたらと玉がでかかった。

食べ盛りの10代でさえ、ダブルにしたら溶ける前に食べきれるかどうか心配になるような大きさだった。

そんなわけで、サーティーワンを食べるなら三ノ宮駅に行くべし、ということになっていた。

数年後、そのサーティーワンは閉店して、店舗は跡形もなく撤去された。

三ノ宮駅サーティーワンなくなっちゃったよ、あそこ大盛りでよかってんけどなー」と親に話すと、

「あそこは国鉄からJRに移れなかったおっちゃんの受け皿だったのではないか、全員定年になって閉店したのではないか?」と言われた。

その話をしたときもまだまだ子どもだったので「そんなもんか」と思っただけだが、あれから30年近く経っていろいろ背景を知ると趣深い。

あの特盛りアイスおっちゃんたちのヤケクソのたまものではなかっただろうか。

国鉄マンがあのピンク制服を着て研修を受けていたときはどんな気持ちだっただろうか。

あ、後継のJR西日本と言えば悪名高き日勤教育とかそんな体質と言われているよな、とか。

あのおっちゃんたちは労組とどう関わっていたのだろうか、とか。

他の駅でも、西日本以外の会社でも、そんな店はあったのだろうか。

ひとつだけ救われることは、おっちゃんたちが私たちアイスを手渡してくれるとき笑顔だけは、本気で子どもをかわいがっているときのものだと信じられることだ。

Permalink |記事への反応(2) | 09:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2021-02-14

anond:20210214091150

大阪駅・・新宿駅(周辺の雰囲気ターミナル機能

新大阪駅・・品川駅(どちらも新幹線の駅があるオフィス街

本町駅・・東京駅ビジネス街でそれぞれの中心部

難波駅・・渋谷駅(周辺の雰囲気ターミナル機能

天王寺駅・・上野駅動物園など共通点が多い)

三ノ宮駅・・横浜駅(周辺の雰囲気位置的に)

日本橋駅・・秋葉原駅電気街にある駅)

京都駅・・大宮駅新幹線駅があるのと位置的に)

京橋駅・・池袋駅(それぞれの副都心的な地域

天下茶屋駅・・北千住駅下町にあり乗り換え駅)

恵比寿町駅・・浅草駅下町でどちらも終着駅がある)

新神戸駅・・新横浜駅中心部にはない新幹線駅)

淡路駅・・明大前駅私鉄線が交差する下町

新今宮駅・・日暮里駅私鉄のサブターミナルで下町

心斎橋駅・・明治神宮前若者の町で地下鉄しか通っていない)

千里中央駅・・吉祥寺駅(近くに大きな公園がある私鉄終着駅商業施設が狭い範囲に集まっている)

芦屋駅・・田園調布駅高級住宅街にある駅)

西宮北口駅・・自由が丘駅私鉄線が交差する高級住宅街

堺東駅・・千葉駅政令指定都市中心部

ユニバーサルシティ駅・・舞浜駅(USJ=TDL)

大阪港駅・・葛西臨海公園駅水族館公園がある)

千林駅・・巣鴨駅(おばちゃんの町)

上本町駅・・高田馬場駅私鉄のサブターミナルで予備校が多い)

Permalink |記事への反応(2) | 09:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2019-01-28

ハクキンカイロ(白金ベンジンを使うタイプ)

兵庫県三ノ宮駅から西に歩いたところにある、生田神社の近くの東急ハンズハクキンカイロの燃料用ベンジンあり。

3C寝具コーナー。

900円程度。

また、ハッキンカイロの給油カップは、メルカリよりハクキンカイロ純正ショップの方が安い。

メモ

Permalink |記事への反応(0) | 21:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2018-11-21

JR三ノ宮駅構内で電動ドライバー所持 容疑の男逮捕 兵庫県警

https://www.sankei.com/west/news/181121/wst1811210020-n1.html

 JR三ノ宮駅構内で電動ドライバーを所持したとして、兵庫県警葺合署などは20日、県迷惑防止条例違反の疑いで、神戸市長田区の無職の男(51)を現行犯逮捕した。「電動ドライバーを持っていたが、不安にさせるつもりはなかった」と容疑を一部否認している。

 逮捕容疑は20日午後9時55分ごろ、神戸市中央区布引町JR三ノ宮駅ホームで、長さ34センチの電動ドライバーを所持し、乗客らに不安を覚えさせたとしている。

 葺合署によると、男は電車に乗り三ノ宮駅で下車。同じ電車に乗り合わせた乗客が車内で電動ドライバーを持っている男を不審に思い、三ノ宮駅で駅員に連絡した。駆けつけた駅員が電動ドライバーを取り上げ、110番した。

電動ドライバーを素で持っていたのか………

つーか無職がなぜ電動ドライバーを持ってるんだ………

Permalink |記事への反応(0) | 11:34

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2018-04-28

市の名前の駅よりも大きな駅があるの

神戸駅よりも三ノ宮駅の方がデカいみたいなの。

他にもあれば教えて下さい。

Permalink |記事への反応(2) | 19:10

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2016-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20161127121939

三ノ宮駅周辺は美味しいカレースタンドが多くて最高。

ココイチの味ってハウス業務レトルトカレー以上の満足度はないし。

Permalink |記事への反応(0) | 08:39

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2016-05-06

自動車という馬鹿げた大量殺傷凶器を動かすから大事故が起き続けている。この害物が蔓延してなかった時代交通亡者などわずかだった。

その現実がはっきりわかる人はマトモ。

それを認められないチンピラ自動車原理主義イカれたクルマキチガイカス

市長の車は対向車線にはみ出し…正面衝突6人死傷

http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000074186.html

市長の車は対向車線にはみ出し・・・正面衝突6人死傷(16/05/06) -YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=MXQpc9BSSls

神戸三ノ宮駅前で自動車暴走歩道につっこんで5人重軽傷 運転の男を逮捕朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/articles/ASJ534226J53PTIL00N.html

自動二輪自転車には逆立ちしても無理なテロのような大惨事を、自動車は全国で頻発させている。

http://greentoptube.hatenablog.com/

大阪梅田では自動車が突如歩道につっこんで11人が死傷

東京池袋でも自動車が突然歩道につっこんで5人が死傷

京都祇園では歩道のない生活道路を自動車暴走して19人が死傷

京都亀岡では通学路を登校中の児童と引率の保護者の列に自動車がつっこんで10人が死傷

もちろん、すべての現場は血濡れの地獄絵図。

自動車は、あまりにも異常で、イカれた凶器だ!

銃の引き金に指をかけながら走り抜ける人が異常者なのと同じように、自動車はそれと同等の加害性で人々を死傷している。

そして、自動車運転手自身歩行者に次いで死者が多い。

共に加害車両自動車という大量殺傷凶器。

上で紹介した自動車惨事は、全体のほんの一部。

自動車は年間4000人以上を殺害しており、あまりにも書ききれない。

自動車運転手らの順法意識モラルも最悪、劣悪で、日本は諸外国より交通事故死者における歩行者割合が多い。

つまり、自動車への規制強化、取り締まり強化、課税強化、歩行者自転車という弱者保護優先するインフラの整備が全く足りていない、という現実が見えてくる。

ここまで読んで、自動車が、いかにテロのような惨事を容易に起こす害物かがよくわかる。

子供のらの喉を傷める排ガスや、人々の生活を壊す騒音公害の元凶でもある。

人々の生活を壊す騒音ランキング 1位は「バイク車などエンジン音」アンケート結果

http://chosa.nifty.com/manners/chosa_report_A20130823/4/?theme=A20130823&report=4&theme=A20130823&report=4

http://chosa.nifty.com/cms_image/chosa/report/130822002729/20130823_04.gif

自動車本質的邪魔迷惑公害性が高く、テロのような惨事を頻発させる害物。

そんな害物は

・買わない

・持たない

・運転しない

を徹底するぐらいが良心良識善意に基づく道徳的生活スタイルだと断言できる。

自動車運転不要で暮らせる地域への移住も進んでいる。

自動車に執着するのは極めて自己中心的傲慢迷惑かつ、なによりテロのような惨事を起こす危険な思想である

自動車などという1トンを超える阿呆な重量を持ち、専有面積・幅も邪魔危険迷惑で、そのうえ後続車が速度超過の危険運転交通犯罪行為脅迫しながら強要してくるJAPANの異常な自動車ドライバー界。

ハッキリ言うと、無法者チンピラの集まりだ。

そんな人格破綻な異常者クズの仲間にならないが、良心良識ある人間の努めだね。

歩行者死亡や自動車運転手死亡における加害者のほぼ100%自動車であり、交通刑務所懲役者のほぼ100%自動車運転手

実名公開、顔の公開、懲戒解雇刑務所懲役につながる場合も多いのが自動車交通犯罪

http://www.geocities.jp/masakari5910/satsujinjiken_kiken_chishi.html

http://ecx.images-amazon.com/images/I/61A1q3r9IjL.jpg

日本交通亡者割合は、歩行者自動車特に多いツートップ状態。共に自動車からの加害による=自動車が減れば重大事故も減る。

テスラ最高経営責任者

『人々は人間が運転する自動車禁止し、違法化するだろう。なぜなら自動車危険すぎるから。』

http://jp.techcrunch.com/2015/08/12/20150811driving-your-car-will-soon-be-illegal/

プロレーサーの青山さん

自動車免許なんて取るな!自動車など運転しないにこしたことはない。』

http://blog.livedoor.jp/show10a/archives/51777782.html

「車なんか危ない、乗らないほうがいい、乗らないことにこしたことはない、

車はステアリングちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう」

そうなのだ、車は自分だけでなく他人人生簡単に壊してしまう恐ろしい乗り物なのだ

もっと単刀直入に言えば、

「最も身近な殺人兵器

自動車運転中に脳梗塞、そのとき タレントシェリーさん体験

http://www.asahi.com/articles/ASJ325521J32PTIL01Z.html

梅田の(暴走自動車11人死傷の)事故インターネットニュースで知った。

「だれでも加害者になり得る怖さがある」と改めて感じた。

シェリーさんはあの日以来、一度も自動車を運転していない。

テロのような惨事を起こす自動車の運転なんていう危険行為は、しないが最善

http://anond.hatelabo.jp/20160505211025

自動車という爆弾と同等の凶器は、買わない、持たない、運転しない、が人々の安全環境を守る。『自動車を運転しない思いやり』を広めよう。

http://anond.hatelabo.jp/20160505213350

そして自信過剰自動車運転手が死んだり人を殺したりしまくってるんですよ。運転しないが良識ある最善な姿勢です。

http://anond.hatelabo.jp/20160506002158

自動車ほど邪魔迷惑で大量殺傷な害物は他に無い

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1462266817/

【金食い虫】自動車は負債であることが明らかに【持たぬが最善】

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1460502065/

2016年こそ車を捨てます。その34[転載自由に]

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1455104512/

オランダノルウェーをはじめ、多くの都市規制や排除が進む公害車両である自動車

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1461543122/

渋滞自動車がウザすぎ【事故

http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1421931492/

自動車という占有面積的に邪魔迷惑危険な乗り物が、道路の安全根底から破壊し、子供らの安全と命を奪っている。

http://www.city.omuta.lg.jp/kouhou-web/13-09-01/images/t01_01.jpg

http://art38.photozou.jp/pub/247/1476247/photo/136155727.v1386408744.jpg

市民60人あたりの移動手段における占有面積 専有面積がスマートで、排ガス騒音ゼロに近い乗り物を活用していきたい。

http://livedoor.3.blogimg.jp/himasoku123/imgs/9/5/952362b2.jpg

http://www.tkz.or.jp/con13.html

自動車利用推進の馬鹿が起こす渋滞で、進路を阻まれ救急車

占有面積害が凶悪自動車。そんな害物の乱用が蔓延し、自動車流入制限自動車課税強化など自動車抑制施策が不十分なために渋滞公害発生、

渋滞で動けない救急車(警察車両消防車両も) 失われる人命。

自動車乱用は重大事故を頻発させるどころか、救急車の到着も阻害し、人々の救急救命邪魔している。

http://www.youtube.com/watch?v=uC9IPDyFgs8

道路を広くすると渋滞さらにひどくなる:研究結果    結局は自動車への課税強化規制強化で自動車自体を削減していくしか解決は無い。

http://wired.jp/2015/03/19/traffic-jam/

事故を誘発した自動車違法駐車に6千万円の賠償命令消防車救急車の行く手を阻む違法駐車緊急事態現場への到着、未だ遠く

http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html

自動車路上駐車運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円

http://web.archive.org/web/20150717053222/http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html

自動車占有面積的に救急車警察車両消防車自衛隊車両レスキュー隊等の緊急車両の通行を妨害する公害車両

http://www.insightchina.jp/newscns/wp-content/uploads/2012/12/1355219091.png

http://www.mori-syo.police.pref.hokkaido.lg.jp/koutsu/ihoucyuusya/image/ihoucyuusya1.gif

自動車運転やめて!」家族の叫び  

http://www.asahi.com/articles/ASJ226CYBJ22ULZU00G.html

「もうやめてください。誰かを巻き添えにしたらどう責任をとるんですか!」

自動車の運転中に発作が起きれば、アクセルペダルを踏み込んだまま、倒れ込むことも。

https://www.youtube.com/watch?v=A_t62W_0fs4

もちろん自動車は全速前進。

暴走しつづける。

また、自動車による大量殺傷は、睡眠不足や各種体調不良時にも起こりうる。

自動車大惨事ブレーキ痕が無い場合も多い。

人だらけの都会や都市部でこれが起きたらどうなるかは、検索すればいくらでも凄惨現場の様子をレポートする記事が出てくる。

こんなことが、人だらけでごったがえす観光地都市部で起きたらどうなるか?

大勢の人々が自動車歩道に突っ込んだりするテロにより犠牲になっている現実。

都市部の人々も、国民すべても、もっと遠慮なく自動車への規制強化、取り締まり強化、罰則強化を議員、知事警察等に要請し続けて良い。

それが確実に通行人のリスクを減らし、安全を向上させるのだから

そして、自動車という大量採用害物が子供の列につっこんだらどうなるか?

10人以上の死傷者を出した惨事物語っている。

亀岡市登校中児童交通事故死事件 -Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E5%B2%A1%E5%B8%82%E7%99%BB%E6%A0%A1%E4%B8%AD%E5%85%90%E7%AB%A5%E3%82%89%E4%BA%A4%E9%80%9A%E4%BA%8B%E6%95%85%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

亀岡市立安詳小学校へ登校中の児童と引率の保護者の列に軽自動車突っ込み、計10人がはねられて3人が死亡、7人が重軽傷を負った。原因は遊び疲れと睡眠不足による居眠り運転

京都亀岡事故から4年 「事故のない社会議論 京都学園大でシンポ(1/2ページ) -産経WEST

http://www.sankei.com/west/news/160424/wst1604240041-n1.html

憎むべき蔓延する自動車交通犯罪一覧。警察に取り締まり強化要請を。

・速度超過(制限速度を1kmでも超えれば速度超過の危険犯罪運転に該当。事故を起こせば危険運転の罪に問われ交通刑務所服役等厳罰もある。)

・車間距離保持義務違反(十分な車間距離を取ることの必要性理解できていない危険交通犯罪運転。

 特に自転車歩行者に対して側方安全間隔1.5m以上を取らない危険な追い抜き含め、万が一の安全が確保できない危険運転蔓延している)

 また、歩行者自転車への強引な追い抜き及び幅寄せは、暴行罪(懲役二年以下)の厳罰となる。

・横断歩行者妨害等(横断歩道歩行者自転車のために道を譲らなければ交通犯罪に該当。

国内ドライバーの9割以上が違法行為を繰り返している。先進国ではありなえい無法状態事故になれば交通刑務所行き。 http://blog.jablaw.org/?eid=1074745

・合図不履行(右左折、車線変更より3秒以上前に出さないと交通犯罪に該当) 

歩行者側方安全間隔不保持等(いわゆる強引なスレスレ追い抜き 対自転車に対しても蔓延) ・追越し違反

指定場所一時不停止等 ・踏切不停止等 ・通行帯違反 ・警音器使用制限違反(クラクション違法使用)

駐車違反(自転車往来妨害、重大事故を誘引し三千万円以上の賠償命令も) 

路線バス等優先通行帯違反 ・割込み等 ・無灯火 ・携帯電話使用等 

進路変更禁止違反 ・通行区分違反 ・飲酒運転(基本的実名報道され、刑務所懲役率も高い)


横断歩道でさえも歩行者自転車安全が、自動車交通犯罪暴行行為により侵害されています

横断歩道、93%の無関心   横断歩行者妨害等違反の自動車の多くは、速度超過も併せて犯しているという惨状は、取り締まり強化要請の継続で打破しよう。

http://pon-s.tea-nifty.com/blog/2006/08/zebra_crossing.html

信号横断歩道自動車の9割が減速しない:Vitz and Eco life

http://heritage.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/yomiuri-online-.html

87%違法運転、というクルマ社会惨状 ( その他社会学 ) - ujiin -Yahoo!ブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/nmiaitjhuaabghna/8409954.html

停止しないドライバーが3割?いやいや、警察相手に抜け抜けと交通違反宣言するドライバーが3割ということ。

http://d.hatena.ne.jp/delalte/20130329/1364566973

コンビニ自動車突入従業員が死亡…増えている高齢者の踏み間違え事故

http://matome.naver.jp/odai/2140996709947920201

診療所クルマ突っ込む、4人が負傷

http://response.jp/article/2015/08/16/257973.html

70代女性の車が病院に突っ込む 2人けが

http://mainichi.jp/articles/20151127/ddp/041/040/018000c

薬局に車突入4人死傷 64歳男を逮捕 藤枝

http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/206679.html

建物内でさえテロのような惨事安全破壊する自動車

クルマ離れは善』

クルマ離れは正義

なる言葉の重みと正当性が、わかる。

自動車を運転するという行為は、現場地獄に突き落とす惨事発生率を著しく高め、人々の安全根底から破壊する。

自動車運転を避けるという良心良識ある生活視野に入れて、人々の命を最優先にする最善な判断をし続けたい。

自動車を運転しない。この最善を。

Permalink |記事への反応(1) | 19:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2015-06-22

戦前関西鉄道関東の各社と比べると比類なき発達をしていた。

京阪複々線は、昔からあるのがすごい。

1933年昭和8年)12月29日蒲生信号所 -守口駅複々線化。当時私鉄最長。

京阪の子会社が作った新京阪線(今の阪急京都線)の地下線の西院駅 -大宮駅間は1931年開業

天神橋駅 -大宮駅間をノンストップ34分の俊足だった。

鉄道省は、対抗して関西急電と呼ばれる、料金不要優等列車を設定。1936年には、流線型の車体デザインの52系(流電)を投入。現在新快速の礎を築いた。京都駅 -大阪駅間を34分、大阪駅 -三ノ宮駅間を25分。

大阪市営地下鉄御堂筋線は、1933年昭和8年)5月20日:1号線梅田駅(仮) -心斎橋駅間 (3.1km) が開業

開業当初、御堂筋線わずか1両編成での運転だったにも関わらず、当時からすべての駅のホームが、将来を見越して17 m 級車による8両編成に対応するように建設されていた。

さらにいうと、東洋初の東京銀座線と比べると電車が一回り大きい。

近鉄前身ひとつの参宮急行電鉄は、大阪 -伊勢間130km超の長大電車路線を作り、1932年昭和7年)には、上本町駅 - 宇治山田駅間を2時間1分で走破した。ライバル鉄道省準急列車は、3時間、鈍行は5時間かかった。20m級車体で最高時速110km/h、二等客車並のクロスシートが装備された。21世紀初頭の電車と遜色ない性能があった。

阪和線前身の阪和電気鉄道では、1933年超特急の運転を開始、阪和天王寺 - 阪和東和山間を45分で結んだ。表定速度81.6km/h。まじで速いよ。特急こだま号が登場するまでの日本で最速の鉄道だった。

戦前の話じゃないけど、自動改札機1970年台には関西私鉄の主な駅にあった。大阪万博から続く未来がそこにあった。国鉄は人がきっぷにはさみを入れていたけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20150622211206

Permalink |記事への反応(0) | 22:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

 
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp