
はてなキーワード:一過性とは
最近、ブログやSNSで記事を書いていると、ふと気づくことがある。自分が「これ、めっちゃ良いこと書けた!」って思って書いた記事が、意外と反応薄だったりする一方で、なんか軽い気持ちで書いた愚痴っぽい記事や、誰かをちょっとディスった記事がバズったりする。というかそう言う記事しかバズらない
例えば「職場のあの人がムカつく」とか「世の中のこういう風潮、クソくらえ」みたいな、ちょっと毒っ気のある記事。こういうの、なんでか知らんけど、めっちゃリツイートされたり、ブックマークされたりする。
コメント欄も「わかるー!」「ほんとそれ!」みたいな共感の嵐。自分としては、「いや、こんなんでバズってもな…」ってちょっと複雑な気持ちになるんだけど、でも、なんでこういう記事がバズるんだろう? そこには何か理由があるんじゃないかって、最近よく考えるんだよね。
まず、なんでこういう「愚痴系」や「ディスり系」の記事がバズるのか、考えてみた。ネットを見てると、こういう記事にはいくつか共通点がある気がする。
愚痴とか批判って、読んでる人の「わかる!私もそう思ってた!」って感情を刺激するんだよね。職場で理不尽な目にあった人、SNSで変な絡まれ方した人、みんな何かしら「ムカつくこと」抱えてるじゃん? そういう人たちが、自分の気持ちを代弁してくれる記事を見ると、「これこれ!」ってなる。共感って、ネットで拡散する最強の燃料だよね。
冷静で理性的な分析記事より、怒りとか悲しみとか、強い感情がこもった記事の方が人の心に刺さる。だって、感情って伝染するもん。読んでる側も「うお、わかる、ムカつく!」って一緒に盛り上がっちゃう。逆に、データだらけの真面目な記事って、読むのに頭使うから、ついスルーされがち。
愚痴記事って、だいたい短くてストレート。難しい言葉使わず、誰でもパッと読める。だから、忙しい人でも「2分で読めるし、ちょっと見とくか」ってなる。SNSのタイムラインで流れてきたとき、スクロール止めるハードルが低いんだよね。
これ、ちょっと怖いんだけど、特定の誰か(上司とか、インフルエンサーとか、世の中の「マナー警察」とか)を悪者にして、そこにみんなのフラストレーションをぶつける構図、めっちゃ効くよね。「あいつらが悪い!」「ほんとそれ!」みたいな感じで、読者が一体感を感じる。敵を作ると、仲間意識が生まれるんだよね。
でもさ、こうやってバズる記事の「法則」を考えてみると、なんかモヤモヤしない?だって、こういう記事って、結局「負のエネルギー」で動いてる気がするんだよ。誰かを叩いたり、世の中をdisったりすることで、みんなの溜まったストレスを発散させてるだけ。確かにバズるし、瞬間的な注目は集まるけど、これって本当に「良い記事」なのかな? なんか、もっと違う形で、読んだ人を元気にしたり、やる気にさせたりする記事って書けないもんかなって思うんだよね。
バズる記事が持つ「負のエネルギー」には、実はけっこう問題があるんじゃないかって、最近気づいた
1.一過性で終わる
愚痴や批判の記事って、瞬間風速はすごいけど、すぐに忘れられる。だって、読んだ人は「わかるー!」って盛り上がるけど、結局その場でストレス発散して終わり。次の日には別のバズり記事に流れてく。なんか、ファストフード食べて一瞬満足するけど、すぐお腹空くみたいな感じ。
愚痴系記事って、読者を「共感して終わり」の受け身な状態にしがち。読んだ人は「うんうん、わかる」ってなるけど、そこから何か行動しようとか、考え方を変えようとか、そういう次のステップに繋がりにくい。
これが一番モヤモヤするんだけど、こういう記事って、だいたい「悪いのはあいつら」「世の中がこうだからダメなんだ」って責任を外に押し付けるよね。確かにスッキリするけど、でも、それって読者に「自分は何も悪くない」「自分は被害者」って思わせるだけじゃない? それ、なんか健全じゃない気がするんだよね。だって、世の中を変えるには、結局自分も何かしないといけないわけじゃん?
4. 負の連鎖を生む
誰かを叩いたり、世の中をdisる記事って、読んだ人の心にネガティブな感情を増幅させる。で、その人たちがまた別の誰かを叩く記事を書いたり、コメント欄で荒れたり…みたいな負の連鎖が続く。ネット見てると、ほんとそういう空気、感じること多くない? なんか、みんなで一緒に落ちていくみたいで、怖いよね。
どうすればもっと「良い記事」を書けるんだろう? 読んだ人をやる気にさせたり、ポジティブな行動を促したり、世の中をちょっとでも良くするような記事って、どうやったら書けるのか
共感は大事。やっぱり、読者の「わかる!」を引き出すのは、記事の第一歩。でも、そこから一歩進めて、「じゃあ、こういう時、どうすればいい?」って具体的な提案を入れる。例えば、「職場のあの人がムカつく」って話なら、「こういう人とどう付き合えばストレス減るか」「自分の心を守る方法」みたいな実践的なアドバイスを添える。読者が「わかる!」で終わらず、「よし、ちょっとやってみるか」って思えるような記事。
怒りや不満じゃなく、希望とかワクワクとか、ポジティブな感情を刺激する記事って、実はもっと強い力があるんじゃない? 例えば、「こんな面白い挑戦してる人がいた!」とか「自分、こんな失敗したけど、こうやって乗り越えたよ」みたいな話。読んだ人が「自分も何かやってみようかな」って思えるような、エネルギーを与える記事。
3. 読者に「考える余地」を残す?
バズる記事って、だいたい結論がバーン!って提示されてるけど、逆に、読者に「あなたはどう思う?」って問いかける記事って、もっと深い議論を生むんじゃない? 例えば、「世の中のこういう問題、みんなはどう思う?自分はこう考えてるけど」みたいな感じで、読者に考えるきっかけを与える。コメント欄が荒れるリスクもあるけど(笑)、でも、ちゃんと議論が生まれたら、めっちゃ面白いよね。
4. 「自分ごと」にしてもらう?
責任を他人に押し付けるんじゃなくて、読者に「あなたもこの問題に関係してるよ」「一緒に変えていかない?」って呼びかける。例えば、環境問題の話なら、「こういう小さなアクション、実はあなたもできるんだよ」って感じで、読者を「消費者」じゃなくて「参加者」に変える。そういう記事って、読んだ後になんか行動したくなるよね。
正直、愚痴や批判の記事を書くのは簡単だし、バズるのも気持ちいい。でも、なんかそれだけじゃ物足りないんだよね。だって、ネットって、ただのストレス発散の場じゃなくて、もっとすごい可能性がある場所だと思うから。読んだ人が「自分も何かやってみよう」「世の中、ちょっと変えられるかも」って思えるような記事を書きたい。それが、ブログやSNSで発信する意味なんじゃないかな。
でも、こういう「良い記事」を書くのって、めっちゃ難しいよね。バズる記事の「即効性」に慣れちゃうと、ついそっちに流されそうになる。読者の心をつかむには、やっぱり共感や感情の力が必要だけど、それをどうやってポジティブな方向に持っていくか。そこが、ライターとしての腕の見せ所なのかも。
これは本当にすごい。世界にも色んなミームがあるけど、淫夢のサウンドでの強さは半端ない
爆発四散してなかったことになってるけど、プロのアーティストもリミックスを出すくらい
先にコンポーザーを挙げたが、動画編集者、ピアニスト、その他メジャーマイナー問わず本物が多数通り過ぎていった
淫夢という切り口からプロの仕事を見させてもらって、その豊かで育まれた文化的土壌は未だに我々に栄養を与え続けてくれている
絵があり音があり文脈があり中の人要素があり、総合芸術作品を徹底的に分解した結果、何にでも適用できた
テキストだけで淫夢をやっている人もいるし、ジャンルとして成立しうる幅が確保されていて、一過性のミームでは終わらなかった
淫夢系社会学者の仮説の1つとして、淫夢はアナーキー的社会運動の代替という説がある
世の中のクソさへの反発を資本家や政府に向けるのではなく、淫夢の創造によって社会の破壊を目論むという説である
淫夢もミームであるので常に追加の素材が供給されるが、ある一定の拡大を見せたところで別ジャンルとして切り離す性質がある
クッキー☆しかり、KBTITしかり、syamu_gameしかり
このポストは、X(旧Twitter)上で見られるような、短い詩的な形式で書かれた投稿で、作者の内面的な孤独感や欲求不満をユーモラスに、かつ切なく表現したものです。表面上は風俗店(お金を払う短時間の性的関係)を題材にしていますが、比喩やオチを交えて、心のつながりを求める人間的な渇望を描いています。全体として、日常の悲哀を軽妙に昇華させた「ブラックユーモア」的な味わいがあります。以下で、構造的に分解して解説します。
- **表層**:風俗通いの虚しさ(お金で買う一時的な快楽の限界)。
- **深層**: 心のつながりを求める孤独。性的欲求を超えた「愛情」や「絆」の渇望。
- **ユーモアの要素**:風俗嬢を「猫」に喩える比喩で、シリアスな内容をコミカルに転換。作者の貧困や現実の制約を自嘲的に描き、読者に共感や笑いを誘います。
#### 行ごとの詳細解説
- **意味**:タイトル的な導入部。風俗店でのサービスを指し、「お金で買う一過性の関係」の儚さを象徴します。「行きずり(一期一会)」という言葉が、刹那的な出会いの寂しさを強調。
- **ニュアンス**: ここで作者の習慣化(「何度も通っている」)を予感させ、依存的なルーチンを匂わせます。現実の風俗文化をストレートに描きつつ、すでに「虚しさ」の伏線を張っています。
2. **何度も通っているが、心が満たされない**
- **意味**: 繰り返しの行為(風俗通い)にもかかわらず、精神的な満足が得られない。身体的な快楽だけでは埋められない「心の空虚」を吐露。
- **ニュアンス**: 「何度も」という言葉が中毒性を示し、作者の葛藤を深めます。ここでテーマが性的欲求から「感情の充足」へシフト。読者が「あるある」と頷く普遍的な不満を表現。
- **意味**:風俗嬢を「玩具(おもちゃ)」に喩え、性的プレイ中の反応(「いい声で鳴いてくれる」)を可愛らしく描写。猫の鳴き声(「にゃー」)を連想させる言葉選びで、すでに「猫」への伏線を忍ばせています。
- **ニュアンス**: 「可愛い」という一言が、作者の優しさや愛情めいた視線を表す一方、「玩具で弄ぶ」という表現が搾取的な関係の冷たさを際立たせます。エロティックだが、どこか哀愁漂う描写で、快楽の裏側にある疎外感を強調。
4. **でも違うんだ 心と心を通わせたいのだ**
- **意味**:上記の快楽は本質的に違う。作者の本当の望みは、互いの心が通じ合う本物の絆(恋愛や友情のような)。
- **ニュアンス**: 「でも」という逆接で感情のピーク。「心と心を通わせたい」というロマンチックな理想が、風俗の現実と対比され、切なさを増幅。作者の純粋さと、叶わぬ願いのギャップが心に刺さります。
5. **でもでも、貧乏一人暮らしだから猫は飼えない 悲しい**
- **意味**:オチの部分。風俗嬢の描写が実は「猫」を指していたことが明らかになり、本当の悲しみの源泉は「猫を飼えない経済的・生活的な制約」。一人暮らしの貧困が、心の伴侶(猫)を遠ざけている。
- **ニュアンス**: 「でもでも」の繰り返しで、諦めのユーモアを加味。「猫」という可愛らしい存在が、風俗の比喩として機能し、性的欲求を「無垢な愛情欲求」に転換。作者の「悲しい」が、全体を優しく締めくくり、読後感をほろ苦く残します。猫好きの日本人文化(ペットが心の癒しになる)を反映した、親しみやすいオチです。
#### なぜこのポストが魅力的なのか
このポストは、笑いと涙の狭間で、心の隙間を優しく突く一品。もし元の投稿者のアカウントや文脈があれば、さらに深掘りできますが、このテキストだけでも十分に作者の「可愛い悲しみ」が伝わってきますね。あなたはどう感じましたか?
最近コンビニにいつもいる店員の女の子を、少しずつ好きになってる気がするんだが。アプリとか婚活とか恋愛の場以外での恋がダメな時代になってるというウワサを、ごく最近聞いて、うろたえてるんだよ。
恋する気持ちなんて完全あきらめてたから、四十手前での初恋に新鮮な気持ちを感じてる。けれど好きの思いを抑え込むつもりでいた。いたんだが、先日のハテナブックマークを読んで「え? ウワサは一過性のブームだったにょ?」とかすかな希望を感じてしまっている。どっち? これ、どっち?
追記・
ス、スマン、我に返ってみれば匿名ダイアリーの日記で個人的な想いを打ち明けたのも今朝が初めてだわ………。いま突然猛烈なスピードでブックマークと返信をいただいてて、ありがたいと思うと同時に、過呼吸になりつつある。ハァ… ハァ…落ち着けワイ
Permalink |記事への反応(11) | 08:58
が象徴してるんだが、いわゆる「箱推し」が無効な時代に入ったっぽい。
これが一過性で終わる(すぐにまた大きな塊ができる)可能性もあるがたぶんしばらく続く。
でも「人」単位や政策単位で解像度高く政治シーンをフォローしていくなんてふつうの生活してたらまあ無理だから。やってるつもりで切り抜き動画とかの安いプロパガンダ鵜呑みにするのがオチだ。
すると衆愚化は進行する一方。「アメリカは日本の数年先」のセオリーをそのままトレースしていくことになる。
MAGAと糞リベのせめぎ合いというのはあれは左右のイデオロギー対立ではない。もっとソリッドな分断そのものだ。
「箱」が細分化するのは個々の主権者の一票がその意志を裏切ってわけわからんやつのためにカウントされないということであり、表面的にはよいことのように見える。だが結果は期待を裏切るだろう。
俺は高市さんの人となりや政治的な姿勢については全くと言って評価してないけど、それでも高市さんが首相になるのは意味があるので、今回は首相になってもらえばいいんじゃないかと思ってる。
初めてというのはともかくめんどくさいのである。首相ともなると、諸事のお膳立ては周りがやることになるんだけど、そこに前例がない場合にはイチからそれを組み立てなくてはいけない。細かいところでは儀礼上の慣行とかもある。例えば、大相撲の天皇賜杯は女性が土俵に上がらないとするならどうするのかみたいなことを周囲が調整しなくちゃならない。周囲のリソースだって限られてるので、遊説のスケジュールや演説のスピーチ原稿考えなきゃいけない秘書官が、それ系の雑事に時間を取られることもあるだろう。
周囲の受け止め方も初めての女性ともなると色々ある。マスコミの報道とかもめんどくさい。本来は政策に関して議論しなきゃいけない会議時間とか報道リソースがそういうことに一部費やされてしまう。
しかし、女性首相、ということに伴う事象は一過性のものである。最初の女性首相がその辺のことを受け止めてくれれば、次からの女性首相は先代がやってくれたレールに従って動くことで大幅に負荷が軽減されるのである。私は高市さんを評価しないが、来るべき次の「本格的な女性首相」がそうしたことで面倒を抱え込まないためにも、高市さんがやってくれればいいんじゃないかと思うのである。
野球でいうなら、野茂や伊良部やマッシー村上さんとかが色々とめんどくさいところを引き受けてくれたからこそ、イチローとか大谷翔平が活躍できてるんだとかそういうことである。
なんか知らんが、ガチっぽい
2年前に比べて10倍に迫る規模で輸出が進む、2024年には大体15億杯分くらい輸出している
中国からは圧倒的1位、米国からもデータによるが3位くらいに選ばれている
(イギリス、フランス、日本みたいな感じ。出国数だけで見ればカナダやメキシコに劣る)
鬼滅など、今や米国でもZ世代の40%くらいが週1回以上日本アニメを見ている
問題は、こんなに強いトレンドがあるにも関わらず言うほど儲かってない気がする点
インバウンドは儲かってる、うん兆円単位で、デジタル赤字に対抗できるくらいに儲かってる
抹茶は金額ベースだといっても100億円とかそのレベルらしい、それでお茶不足が起きてるからデメリットも大きい
アニメブームも、いうて数千億円の規模だ、兆円ってところまでどうもいかない
インバウンドもこれ以上物理的に無理だし、これ以上やると観光地の住人がブチ切れてしまう
あと、一過性なのかどうなのか読めないからどこまで取り組むべきか対応も難しい
何かもったいないよね
金くれちゃ
> けど姉もちゃんとした職について今も働いてるし、劣等感を抱くようなところは一切ないと思う。子育ても実家の両親に頼りつつ3人も育てていてすごいと本当に思う。
更年期障害だろうけど、落ち着いてるタイミングでこれ言ってあげたら割と収まりそうだけどね
姉弟だったら弟が優遇されるのが世の常、私も弟については色々思うこともあるし、正直大人になってからの方が呑み込めなくて色々思い出す(親から自立して解放されたのと、弟が明らかに小さくて守るべきものではなくなったことでどうしてこんな不公平な目に、という気持ちが押し殺せなくなる)
自分の人生に今はもう満足してるから私の不満は一過性のものだけど
お姉さんは自分では自分の人生に満足できてないんだろうね、弟の方が優秀に見えて内心見下してるんだろうと思ってしまったり
あとこういう兄弟格差は親が100%悪いから、あなたが謝る必要は全くない
そこはお姉さんは少し幼稚かなと思った
親は一度は謝るべきだと思うけどね
最近の流行りの映画やTVシリーズときたら、中身がないどころではない。
あれは世界全体の価値観のコンパスが壊れ、社会が完全にサイコ化した結果の、汚らしい産物だ。
自己陶酔的な映像の垂れ流しは、もはや自己放尿レベルの、どうしようもない醜態だ。
いや、制作者と視聴者がお互いの糞尿を讃え合うダブル放尿の図、と言い直すべきか。
我々が今消費している「エンターテイメント」は、人間の業や社会の矛盾をえぐり出すどころか、三つの致命的な病に侵され、脳味噌が腐った結果の映像化だ。
一つ目の病、そして最も悪質な癌細胞は、「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」が逆差別の権化へと変質したことだ。
かつては「不当な差別を是正する」という建前だったものが、今や「差別者(白人男性とされる)を罰する」という集団リンチの道具に成り下がった。
物語における「公正さ」は、冷徹なロジックや真実の追求ではなく、「弱者と定義されたグループを常に善とし、それ以外のグループを悪役、愚者、あるいは無能として配置する」という、幼稚で露骨な加点・減点法に置き換えられた。
その結果、何が起きるか。ストーリーの必然性やキャラクターの有機的な成長は無視され、配役や設定がまず「ポリコレのチェックリスト」によって決定される。
優秀でカリスマ的なリーダーは、特定のマイノリティから選ばれなければならない。従来の主人公像、例えば白人男性などは、無能な脇役か、過去の過ちを悔い改める象徴としてしか描かれない。
これは、物語の毒気を抜いたのではない。物語そのものを、政治的なプロパガンダの道具として捻じ曲げ、特定の層への「逆差別」を公然と行うという詐欺行為だ。
この歪んだ手法の結果、生み出されるキャラクターはステレオタイプな正義感にまみれた、薄っぺらい張りぼてとなり、観客の心に響くはずがない。
二つ目の病は、世界規模の承認欲求の暴走であり、三つ目の病は社会全体のサイコ化だ。
コンテンツは、「誰かに褒められるため」に設計された空虚なパッケージと化した。深みも葛藤も、真の痛みもない。
あるのは、「私たちは正しい」という安っぽい自己満足だけだ。さらに、この感情の鈍麻したサイコな時代では、人々は感情の機微ではなく、過剰な暴力や極端な設定というジャンクフード的な刺激を求める。
ポリコレという名の検閲棒で殴られ、創造性を失った制作者は、その空虚さを埋めるために、表層的なショックや混乱を物語にぶち込む。
15年ほどPTAやってて、メンバーには本当におつかれさん、本当によくやり切ったなと思うとともに、ここ数年のお遊戯みたいなエレポップ路線になりだしてからは引いて見てた。
ドーム埋めて、海外ツアーもやって、いつも一過性のテクノグループが往年のバンドのように愛されて、それはやっぱりよそのJ-POPのアーティストがビビッてできないような攻めた曲を出してたからだし、ライブでは見た事ない度肝を抜く演出があったからこそだと思うんだよ。
オリンピックのオープニングアクトもほぼ確約までいったのに空中分解して、続けるためのモチベーションの葛藤もあったんだろうと思う。36-7歳だもんな。ギラギラするのももう無理あるよ。人の身体は、特に女性の身体はライブのクオリティを保持し続ける為のものじゃないし。適齢でライフイベントを迎えずに脂肪を削ったメンバーの身体は、骨ばって見えてなんかつらかった。時の経過は誰しもが、それぞれのやり方で受け入れる。きっと、彼女らも彼女らなりに受け入れての事だったんだろう。
復帰の時期ももう予定はされているのかもしれない。最期にやった2部構成のライブは老齢を迎えた古参も取り込める手応えがあったんじゃないかな。でもな、お遊戯はPTAのコーナーだけで十分なんだよ。攻めた曲と度肝を抜く演出でカムバックしてくれるのを待ってるぜ!
お前らの「一過性のマイブーム」とかいう薄っぺらい消費の仕方にマジでイライラしてる。
数年前、大喜利できるアイドルが珍しがられて、オードリーの番組のまとめとかでゲラゲラ笑ってたくせに、自分が飽きた瞬間に「え、まだやってんの?」とかほざく神経が理解できない。
お前の興味が失せただけで、なんで相手が消えてなきゃいけないんだよ。
そもそも「当時は珍しかった」って何様だよ。大喜利できるアイドルが話題になった時、お前らは「新しい!」「面白い!」って騒いだが、それは単にお前らが知らなかっただけだ。
アイドル業界ではとっくに多様なスキルが求められてたし、バラエティ対応力なんて昔から重要な要素だった。
お前らが気づくのが遅かっただけで、「発見した」気になってるのが滑稽すぎる。
それで数年経って、久しぶりに見たら同じメンバーが残ってて「E?」って顔してるの、本当に浅い。
お前の中では「一過性のブーム」で消費し尽くしたつもりでも、彼女たちはプロとして継続してキャリアを積み重ねてるんだよ。
「声優界はアイドル化で引退が早い」とか言ってるが、それも的外れだ。
声優もアイドルも、それぞれ業界構造が違うだけで、どちらも厳しい競争の中で生き残ってる。
「本家アイドルの方がビジネス構造が頑強」って、何を根拠に言ってるんだ?
一番腹立つのは、お前らが「消費者」として上から目線で業界を評価してることだ。
「いいことだと思います」って、何様のつもりだよ。
お前らが勝手に消費して、勝手に飽きて、勝手に忘れて、久しぶりに見たら「まだいた」って驚く。
アイドルが「まだやってる」んじゃない。お前らが勝手に離れただけだ。
そして戻ってきた時に、継続してる相手を見て驚くって、どれだけ自分勝手なんだよ。
本当に応援してるなら、一時的なブームに流されずに継続して見守れ。
それができないなら、最初から軽い気持ちで消費するなよ。お前らの薄っぺらい関心に振り回される側の身にもなってみろ。
「え、まだやってんの?」じゃない。
「ずっと頑張ってたんだな」って思えよ。
その程度の想像力もないのか。
何年か前、ちょっと話題になったじゃない?アイドルなのに大喜利が出来る!!みたいなの。
最近では最早定番すぎて常識でさえあるからめずらしくもないけど当時は珍しかった。
自分もオードリーとかがやってる番組のまとめをみたりしてゲラゲラ笑ってた。
で、タイトルの通り。
そういう自分の中での一過性のマイブーム(うわ!懐!)が終わってすっかりそのアイドルを見なくなって数年が経ったときにさ、
ひさびさにみたそのアイドルグループにそのまんま当時のアイドルたちが残ってて、E?ってなってしまった。
なんか最近の声優界はアイドル化が激化した結果すぐ引退するとか言われてるみたいだけど本家アイドルそうじゃないんはビジネスの構造がより頑強でまともということでいいことだと思います。
日本だって、外国人労働者がどんな在留資格で働いているか、説明できる人はほとんどいない。「技術・人文知識・国際業務」と「特定技能」と「技能実習」の違いを即答できる日本人なんてまずいない。
何となく思ってたんだけど、この辺りの知識があればもうちょっと「JICAアフリカホームタウン」の件とか慎重になれたんじゃないか…。そういう意味では、理解しているはてなーもたぶん全然いないよね。
少なくとも日本では、査証(ビザ)と在留資格は別なので、新規に「ホームタウンビザ」を作ると聞いても「在留資格はどうするんだ…?」となる。
一方で、日常的には「在留資格の更新」を「ビザの更新」と言っているように混同されうる概念だから、在留資格の新設を意味する可能性も否定できない。
しかし、今度は国会を通じて法律の改正が必要だという話になるんだよね。在留資格は入管法の別表に定義されているものなのだから。
こうなると、所詮少数与党に過ぎない石破政権ごときが単独で決定できるものではなくなってしまう。
といっても、これは基礎中の基礎の話でしかないから、そう判断する自分は半可通でしかなく、知識豊富な皆さんは内閣が新規に外国人を長期滞在させられる裏技を知っているのかもしれない。
それならその手の細かい知識をもっと共有していってほしいと切に願う。
どう結論づけるにしても、「移民を受け入れない」が国是にも関わらず30年以上にわたって外国人労働者の受け入れを拡大してきた国で、
今更「外国人の受け入れ拡大反対」の標語を1個増やすだけでは何も変わらんと思うし、もっと具体的な議論を積み重ねていかなければならないはずだろう。
https://www.shenmacro.com/archives/39203716.html
”本邦の物価上昇が止まらない。コアCPIが日本銀行の物価目標である2%を上回るのは40カ月連続となる。コアコアCPIは4ヶ月連続の3%超えである。諸外国と同様、2022年のインフレ高騰は一過性であり対処しなくても前年比では落ち着いてきたが、その後も次々米価格高騰など次々と日銀にとって不幸な出来事が続き、2025年中のチャートを見ると明らかに物価目標を超えるインフレが定着しつつある。この「不幸な出来事」は偶然の連続に見えるかもしれないが、本質的には円安が放置されたことが背景にあり、それが様々なところで火を噴いているのである。”
Q.
A.
「不快なものを見て顔がひきつった」という表現は、一般的には「あまりにも不快だったため、無意識に顔の筋肉が硬直し、引き攣るような表情になった」という意味です。これは一時的な感情的・生理的な反応であり、特定の病気にかかったという意味ではありません。
顔がひきつるの意味
顔がひきつるとは、緊張や驚き、不快感、痛みなどの強い感情が原因で、顔の筋肉が一時的に硬直する状態を指す日常表現です。
「不快なものを見て顔がひきつる」場面は、嫌悪や困惑などの感情が表情に現れたことを意味し、病気や疾患と直接関係はありません。
病気との違い
顔の筋肉が明らかに日常的・持続的に引き攣ったり、ピクついたりする場合は、ストレスや疲労以外の病気(例:顔面けいれん等)の可能性も考えられます。
単に「不快なものを見て顔がひきつった」だけなら、ほとんどは一過性の生理的反応であり、病気とは区別されます。
使われ方の例
緊張した場面や予想外の出来事に遭遇したとき、不快感や羞恥心などで「思わず顔がひきつる」という表現が使われます。
近所のまいばすけっとには有人レジと無人レジ(キャッシュレス専用)がある。
「無人レジは操作が不安」とか言うけど、行列で数分待つほうがよっぽど不便だろう。
本当の理由は、単純にクレジットカードを日常で使わない層が多いからじゃないか。
財布から現金を出す感覚で「今いくら残ってるか」を把握できるほうが安心する。
請求が後から来るカードは「気づかないうちに使いすぎそう」というイメージを持たれやすい。
さらに日本のキャッシュレスは乱立していて、残高がバラバラに散らばる。
結局「どこにいくらチャージが入ってるのか分からない」状態になるのが、現金より面倒に見える。
これじゃ普及しないのも当然だ。
「共通残高」で一元化できりゃいいが、事業者からすれば残高ビジネスやポイント囲い込みを手放すことになるので、進んで導入する理由がない。
韓国みたいにカード利用額に応じて税額控除があれば、人も店もいやでもキャッシュレスに動くだろう。
つまり、キャッシュレスが広まらない理由は「災害が多いから」とか「高齢者が多いから」といった理由じゃなく、制度設計の問題だと思う。
とても重要な視点です。「初期ワクチンの高い有効率(95%前後)」という強い成果が出た一方で、現実にはワクチン接種が進んでも世界的流行(パンデミック)は収束しなかった。ここから浮かび上がる反省点を整理します。
一般社会では「感染そのものを止める」と期待され、「感染阻止=パンデミック収束」と誤解されました。
実際には感染予防効果は一部しかなく、無症候感染や伝播は残存。
➡️ 今後のワクチン開発では「発症予防」と「感染予防」を分けて設計・広報する必要がある。
初期試験は武漢型株を対象にしており、変異株(α、δ、オミクロン)で効果が急落しました。
ワクチン効果の持続期間が短く、ブースター前提の戦略になった。
➡️ 持続的な免疫誘導・変異への柔軟対応(mRNA更新や多価ワクチン)が必要。
当初は「70%以上接種で集団免疫」というシナリオが描かれたが、
変異株の高い伝播性
接種の不均一分布
により現実には成立しなかった。
➡️感染症ごとに“集団免疫が成立しうるか”を精密に検討すべき。
ワクチン導入と並行して、**検査・隔離・換気などの非薬理的介入(NPI)**を長期的に持続させる体制が十分でなかった国も多い。
「ワクチンが出れば全て解決」というメッセージが、社会の油断や対策解除の早まりにつながった。
➡️ワクチンは単独ではなく、公衆衛生対策の一部として位置づけるべき。
「95%有効」の数字が、一般市民や政治決定者に「感染も95%防げる」と誤解された。
➡️科学的限界を誠実に伝えるリスクコミュニケーションが不可欠。
臨床試験段階では数百人規模の観察で、安全性シグナルを確認。多くは局所反応や発熱など一過性のもの。
承認後に数千万規模で接種が進む中で、死亡例、重篤例(心筋炎、血栓症、アナフィラキシーなど)が顕在化。
➡️重篤な副反応、有害事象の発見と公表の遅れが不信感を助長した。