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はてなキーワード:一種とは

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2025-07-16

頓珍漢って

漢方一種

Permalink |記事への反応(0) | 14:46

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2025-07-15

anond:20250715160855

二十一集会結社及び言論出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

○2検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

検閲は、狭義には国家等の公権力が、表現物(出版物等)や言論を精査し、国家が不適当判断したものを取り締まる行為をいう[1]。言論統制の一種である

Permalink |記事への反応(2) | 16:13

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2025-07-14

anond:20250714232239

藁人形論法一種かな

Permalink |記事への反応(0) | 23:37

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朝食に和菓子を食べてはいけないのか

から和菓子を食ってるって言うと、たいてい微妙空気になる。「え、甘いの?」「それって朝ごはんになるの?」っていう、バカみたいな反応が返ってくる。そっちはマーガリンどっさりのパンとか、砂糖まみれのグラノーラを平らげてるくせに、こっちが桜餅食ってると「それはないでしょ」とか言い出す。そのダブスタに本人が気づいてないのがまた面白い

和菓子って、朝に食べちゃいけないものなんだっけ。誰が決めたの。朝からハレの気分になっちゃいけない法律でもあるのか。ちょっとくらい気持ちが上向いたっていいだろ。なんで朝は「質素で慎ましく」みたいな謎の美徳を押しつけられなきゃいけないんだ。朝だからって、全員が黙って白米噛んで反省モードに入る必要ある?

「朝食はパンご飯か」って議論も、あれ一種思考停止でしょ。選択肢が2つしかない前提で話す時点で、もう視野狭窄に陥ってる。しかもその中で「どっちが健康か」「どっちが効率的か」って、ちまちま優劣つけようとしてるのが泣ける。正しさを競いたいなら、文句あるやつは朝から自分の正しさをコーンフレークにでもかけて食ってろ。

自分はただ、朝に練り切りを食べたい。それだけのことにいちいち周囲の理解を求めなきゃいけない空気が異常。そういうやつらは、周囲に合わせることと自分意志を捨てることの区別がついてない。誰かが枠の外のことをやるとすぐ警戒するくせに、自分では一歩も出ない。怖いからだろ。はみ出すのが。自分の内側に空っぽなまま生きてきたからだろ。コンビニが「朝の〇〇セット」とか売り出せば、条件反射でそれを選ぶ。思考停止って、こんなに気持ちいいんだな。知らなかったよ。

どら焼きを朝に食ってるだけで、「それってどうなの」って言われる社会ってなんなんだよ。こっちは甘いもの食ってるだけで、別にお前らの生活否定してるわけでもないのに。むしろ否定してくるのはそっち。朝食ごときにまで正しさを持ち込んで、他人ジャッジしないと不安で仕方ないんだな。哀れというか、もう病気じゃん。そのくせ「個性大事」みたいなことは平気で口にするんだから、始末が悪い。

からこっちはこれからも朝に和菓子を食う。お茶を淹れて、ゆっくり噛んで、ちょっとだけ静かにうれしい気持ちになる。それがそんなに気に入らないなら、せいぜいコーンフレークでも噛み締めて、自分の正しさに酔ってろ。

Permalink |記事への反応(3) | 23:07

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2025-07-13

参政党のことは、はっきり言って好きじゃない。

動画で流れてくる主張はどれもこれも極端で、正直なところ1ミリ賛同できない。消費税ゼロとか、農作物を国が全部買い取るとか、非現実的しか思えない。日本人ファーストというスローガンや、憲法を創り直すという話も、危うさを感じる。SNSカルトとか低能とか言われているのも、まあ分からなくはない。

でも、不思議と彼らを応援したい気持ちがある。

というのも、彼らが極右排外主義的な思想を持つ人々の受け皿になってくれているからだ。 彼らがいなかったら、こういう人たちの票や声はどこへ向かうだろうか。おそらく、自民党内の右派議員さらに先鋭化させる圧力になっていたんじゃないか

そう考えると、参政党は自民党にとって一種デトックス装置として機能しているように見える。彼らが存在することで、自民党は良くも悪くも普通保守政党でいられる。過激な層を参政党が引き受けてくれるおかげで、自民党が極端な方向に振れるのを防いでくれている。これは、日本政治の安定にとって、実はすごく大きなメリットなんじゃないかと思う。

最近世論調査でも、参政党は野党の中で一定の支持を得ているらしいし、彼らの活動熱量無視できない。


から自分はこれから参政党に票を入れることは絶対にない。だけど、自民党浄化してくれるフィルターとして、彼らには今のポジションで頑張っていてほしい。矛盾しているようだけど、それが今の正直な気持ち

Permalink |記事への反応(0) | 18:16

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鈴竹や葛のように、他の植物の生育を妨げる神吉は、天糸瓜一種ククルビタシンの毒があるらしい

Permalink |記事への反応(0) | 14:36

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2025-07-12

anond:20250712215528

たぶんだけど、今「推し」という言葉を使う人は、ゲームやグッズ課金常軌を逸した散財することをセルフ肯定するために使ってるんだと思う。自己暗示一種

俺は、スマホゲームしてて好きなキャラが出来たとしても、好きは好きで、金払いと好きを直結させるのはなんか違うと思うから別に凸とかしたりしない。

まあ昔のソシャゲなら好きなキャラにだけ投資してればTUEEEできたかもしれないが、最近スマホゲーは特定キャラだけ課金して強くするのは普通に罠なんだよね。

しろキャラが持つ戦略ストラテジーを活かすために幅広くキャラを迎えていった方がよく、どのキャラもそれなりに好きになれる人のほうがゲームを長く楽しめる。

推し活動をしている人たちは、身を削ってお金を注ぎ込むという愛情表現だけじゃなく、たとえばゲームなら装備厳選とかに時間をかけたり、頭を使って好きなキャラを輝かせる色んな発想を見出すような表現をすることの配分を増やしていったほうが、健全ファン活動できると思う。

一昔前は「推し」というと、一途な偏愛象徴だったが、今ドキのオタクになるほど、「推し」は軽率にどんどん増やしていくものになりつつあると思う。「推し変」ではなく「推し増し」。博愛箱推し、とまではいかずとも、「推し」は多ければ多いほど人生充実するよね、という価値観になりつつあると思う。

そうなってくると、必然的に、お金みたいな現実的に限りのあるリソース依存しない愛し方を覚えていけるはず。

Permalink |記事への反応(0) | 22:06

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#創作BL蔓延する“愛”の名を借りた加害性を考える

1.はじめに

オリジナルBLを書くようになり、創作BL界隈と呼ばれるところに足を踏み入れた。そこで目にした作品の傾向や、それを取り巻く倫理観に強い危機感を覚えたため、ここに記したい。

私はBLというジャンル自体否定するつもりはない。むしろ、多様な愛の形や関係性を描く創作可能性を信じているからこそ、現在の状況に警鐘を鳴らしたいのだ。

2.加害を描くことと美化することの違い

まず明確にしておきたいのは、私は「加害を描くこと」自体問題視しているわけではないということだ。

刑事ドラマ暴行シーンが描かれても、それは暴行肯定にはならない。なぜなら、その行為犯罪として、加害として描かれているからだ。登場人物視聴者も、それが悪いことだと理解している。

問題は、同じような行為が「愛の表現」として美化されてしまうことにある。BLボーイズラブという名前が示すように、このジャンルは「愛」を描くものということが前提にされている。しかし、実際には愛ではない行為が愛として包装されてしまうことで、読者の認識が歪む危険性がある。

例えば、ストーカー行為を「一途な愛」として描く、相手意思無視した性的行為を「愛が抑えられなかった」として描く、といったことだ。これらは現実では明らかに加害行為だが、「愛」の文脈に置かれることで美化されてしまう。

では、どうすればよいのか。加害的な要素を含む関係性を描くとしても、それを以下のような視点で見直すことが重要ではないだろうか:

・加害は加害として認識し、美化しない

・読者が「これは愛ではない」と理解できるような文脈提供する

・適切な注意書きやタグで、問題のある内容であることを明示する

こうした配慮があれば、複雑な人間関係や心の闇を描くことも可能になるかもしれない。重要なのは、「愛だから許される」という論理安易に使わないことだ。

答えは一つではないし、表現方法も多様であるべきだ。しかし、作品社会に与える影響について考えることは、創作者の責任の一部ではないだろうか。

3.問題点:倫理の不在

合意のない関係を"愛"として描く傾向

ヤンデレ攻め」「執着攻め」といった言葉で美化される、合意のない関係性。これらを愛の一種として扱うことには深刻な問題がある。

加害は加害として認識しなければ、人の認知はたやすく歪む。読者も作者も、愛という名の加害をしないために、されないために、合意のない関係は愛ではなく加害だと示さなければならない。

「愛してるから仕方ない」「相手のことを思ってのこと」という論理は、現実加害者がよく使う言い訳と同じ構造を持っている。フィクションであっても、この構造を無批判に美化することは危険だ。

愛という名の支配を、愛として終わらせない描き方もあるのではないだろうか。

未成年を性対象として扱うことの問題

「年の差BL」と名付けたところで、未成年を性対象とするのは搾取であり加害である。そのことに無自覚であるのは、社会構成員として未熟であると言わざるを得ない。

例えフィクションであっても、未成年性的搾取肯定してはいけない。作品内で加害であり搾取だと明示的に示す必要がある。

フィクションから」「実在しないから」という言い訳は、その作品を読む現実人間への影響を軽視している。

年齢差自体否定するのではなく、未成年の時期における搾取構造問題視する姿勢が大切だ。

反社会的勢力を美化する描写蔓延

「かっこいいアウトロー」としてのヤクザ過激性的描写のために用いられる反社会的勢力。これらがBLの名の下に愛の文脈に組み込まれることで、反社会的勢力存在を間接的に肯定することに繋がる。

現実反社会的勢力は、多くの人を苦しめる存在だ。それを恋愛舞台装置として消費することの問題を、作者も読者も自覚すべきである

現実反社会的勢力がどのようなものであるかを調べ、「危なくてかっこいい」だけで終わらせない描き方を模索することも可能ではないだろうか。

兄弟家族間での恋愛関係の歪みと無批判な消費

兄弟BL」にも深刻な問題が潜んでいる。

家庭内権力差を利用した支配という形になりやすいことに加え、兄弟距離感や支え合いという要素が、健全人間関係の中で描かれるのではなく、「恋愛」「性的関係」によって"昇華"されるという描写が多い。

これは「愛=性的でなければ完成しない」「人間関係価値性的関係によって最大化される」という、非常に歪んだメッセージ流通させている。

読者も作者も、「でも兄弟って元から距離近いし……」「他人より理解あるし……」みたいな家族ならではの絆を都合よくロマンチックに換算してしまっている。

これは現実の加害構造(例:近親間の性的虐待)でもよく使われる「お互い理解があった」という"言い訳構造"と同じものだ。無自覚に"現実の加害の語り口"を踏襲してしまっているという恐ろしさがそこにはある。

もし家族の絆を描きたいのであれば、それを恋愛性的関係昇華させる以外の方法もあるのではないだろうか。深い信頼関係無償の愛、互いを思いやる気持ちは、恋愛関係でなくても十分に描けるはずだ。「愛=性愛」という固定観念から自由になることで、より豊かな人間関係描写可能になるかもしれない。

もし家族の歪みを描きたいのであれば、より慎重になる必要があるだろう。決して愛ではないことを明示し、望んだ人のみが読めるような配慮がいるのではないだろうか。

4.SNS構造が生む倫理の軽視

拡散のために倫理犠牲にする構造

SNSにおいては、扇情的過激な内容ほど注目を集めやすい。フォロワー数や「いいね」の数が創作者の承認欲求を満たす指標となる中で、倫理的な配慮よりも話題性が優先される傾向がある。

タグ文化機能不全

本来であれば、問題のある内容には適切な注意書きやタグをつけることで、それを見たくない人を守ることができるはずだ。しか現実には、タグ形骸化していたり、そもそも問題意識がないためにタグがつけられていなかったりする。

過激表現競争

もっと刺激的に」「もっと話題になるように」という競争の中で、倫理的な境界線がどんどん後退している。「BL過激であって当たり前」という風潮が形成されていくのは危うい。

5.私はBL否定しているわけではない

BL自体が悪いのではない。問われるべきは、それを創作・発信する人々の倫理意識だ。

#創作BLタグが加害の美化や反社会的価値観の拡散に使われてしまうのは、本来BL価値貶めることでもある。

6.作品を発表する場とその影響への自覚

SNSにおいては、扇情的表現前後文脈から切り離されて拡散されることもある。自分は気を付けていると思っていても、想定外の読者に想定外の影響を与えてしま可能性がある。

創作者には、自分作品社会に与える影響について、より慎重に考える責任がある。

7.おわりに

私はSNSでの創作発信から距離を置く決断をした。フォロワー数や反応の数に一喜一憂し、過激表現に手を出しそうになる自分に気づいたからだ。

しかし、創作を続けたい気持ちは変わらない。創作必要なのはフォロワーではなく、自分の納得と尊厳だと思う。

問題のある作品を無批判に消費し続けることは、その価値観を間接的に肯定することになる。読者も作者も、一人ひとりがもう少し立ち止まって考えてみてほしい。

Permalink |記事への反応(0) | 18:20

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2025-07-10

YouTube政党名を検索すると見えてくる世の中

YouTube政党名を検索してみてほしい。

立憲民主党国民民主党日本維新の会公明党共産党れい新選組検索すると、それぞれの政党主義主張を伝える動画がずらりと並んでいる。

一方で自民党検索すると、批判的なニュースメディア報道や、過激サムネイルを用いたクリックベイト動画が大量に表示され、肝心の主義主張を探しにくい状況だ。

参政党はニュースメディアで取り上げられること自体が少ないが、それでも過激サムネイル動画散見される。

私はどちらの政党も支持していないので個人的には関係ないが、この状況は果たして健全と言えるのだろうか。

これも一種情報戦だとすれば、有事の際にどれだけの人が冷静かつ正確な判断を下せるのか、疑問を抱かざるを得ない。

Permalink |記事への反応(1) | 22:59

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弱者男性が「嫌なら逃げてもいいんだよ」を真に受けてて笑った

「嫌なら逃げてもいいんだよ」
「誰も君のことを見ていないよ」

あの手の言葉って、なんつーか一種の慰めだよな。

本気で言ってるわけじゃないっていうか、

本気で受け取るやつがいると思ってなかった。

でもさ、いたんだよ。

弱者男性まさかガチ受け取り。

あ、本気で逃げてもいいと思うやついたんだw

しかも堂々と「これが俺の選択です」みたいな顔してな。

いやいや、見てないわけねーだろ。

お前の格好も、態度も、能力も、全部見られてるっつーの。

面接で何着てきたか履歴書に何書いたか

上司はお前が何分サボってるかちゃんと記録してるっつーの。

「誰も君のことを見てない」ってのは、

「だから気楽にやれ」って意味であって、

「好き勝手に逃げても誰も気にしないよ」って意味じゃないの。

しろ逆。

逃げたら「あ、あいつ逃げたわw」ってちゃんと覚えられてる。

で、案の定ニートになって、社会復帰できなくなったって話。

まあそうなるよね。

逃げた先に居場所なんて用意されてねーもん。

そもそもから社会ギリギリ乗れてたかどうかも怪しいのに、

そこから自分飛び降りたら、そりゃ戻れねーわ。

逃げるなとは言わないけど、逃げるって選択にはリスクあるよな。

それすら理解せずに「優しい言葉だ~」って思って逃げていくの、

なんかもう笑っちゃったよ。

現実って、意外とちゃんと見てるからな。

弱者男性けがそのことに気づくのが遅すぎるんだよな。

Permalink |記事への反応(1) | 11:50

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2025-07-09

日本国民ネオテニーの末路としての今日政治

平成サブカルチャーの変容と社会認識

平成時代を経て、かつて一部の領域限定されていたサブカルチャーは、市民権を獲得するに至った。この過程で、その表現形式や受容のされ方は普遍化し、社会の中に不可逆的に定着したと言える。かつてのマイノリティ文化が、一般的感覚として根付いたのである

オタク文化の受容もその一例である。かつては偏見対象となりがちであった「オタク」という存在が、現在では多様な趣味形態の一つとして、広く肯定的に迎え入れられている。これは、多様性を是とする現代社会において、健全な進展と評価できる側面を持つ。個人情熱が共有され、新たなコミュニティ形成されることは、文化の深化に寄与する。

社会の「キャラ化」現象とその政治的影響】

しかし、この受容のプロセスには、看過できない課題も内在する。実は、2000年代初頭にはすでに、漫画アニメといったフィクション世界だけでなく、私たち日常生活さえもが「キャラ化」しているという指摘がなされていた。東浩紀氏が『動物化するポストモダン』などで論じたように、人間関係や消費行動、さらには自己認識までもが、キャラクター的な記号によって構築される傾向が顕著になったのである

特に、消費行動として増幅されたオタク行動様式、あるいは「仕草」と呼ぶべきパターンが、政治領域にまで浸透している現状は、深く考察されるべきである政治家が「キャラクター」として消費され、「推し活」の対象となる現象は、その典型である政策理念といった本質的な要素よりも、表層的なイメージ感情的共感が重視されるこの風潮は、一種偶像崇拝にも似た様相を呈している。

民主主義健全性への問い:投票意味論的変容とオタク文化帰結

この流れは、投票行為の持つ意味合いにも深刻な変容をもたらしている。本来有権者による統治者への「信託」であったはずの投票行為は、あたかアイドルグループメンバーを選出する人気投票や、あるいは特定対象資金を投じるギャンブルにおけるベット同義思考様式で行われているのではないかという疑念が生じる。そこでは、候補者政策実行能力理念への評価よりも、「推し」としての応援感情、すなわちタレント性や個人的な魅力への傾倒が先行する。

そして、これはオタクとして生きている私自身の感覚であるが、メディアに取り上げられ過熱する消費行動としての「オタ活」は、金銭面はもちろん、精神面や時間をも惜しみなくつぎ込むことを良しとする風潮がある。それができる者こそが“ホンモノ”のオタクであると言わんばかりの圧力すら、時に感じられるのだ。この過剰な消費と「推し」への献身を強いられる状況に、明らかに疲れ始めているオタクも少なくない。

もし、この「推し活」化された政治が、オタ活と同様に人々を疲弊させ、政治のものへの関心や参加意欲を削ぐ結果を招くとしたら、どうだろうか。我々が政治疲弊し、その営みから目を背けるとき、それは民主主義の敗北と同義かもしれない。私たちは、この「政治エンタメ化」とでも呼ぶべき現象に対し、いかに向き合うべきか。そして、その先に真の民主主義的熟議は成立し得るのか。この問いは、現代社会における重要課題であると考える。

※この文章AIが書きました

Permalink |記事への反応(1) | 23:37

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二郎はね、ラーメンじゃないの、ジャンクフードなんですよ。

二郎話題になるのは、良し悪しあるんだけど、今回はハッキリ悪いんだよね。

からちゃんと書いておくんだけど、二郎二郎ラーメンと言うのは、ラーメンじゃないです。別のフード、別の業態なんです。

ラーメンって括りで、話題になってるのに食べずに批判は良くないとか食いに行くのは止めた方が良いです。

これね、同じワインを出すからって言って、サイゼリヤホテルラウンジと、ワインバーを一緒くたにしないでしょ。それよりも違うの。

どれが上等とかどれが良いとかじゃないの、別物なの。

高尾山登山しかったなー、じゃあ来週ロッククライミングに挑戦してみようか!とかならないでしょ、そういうこと。

二郎は、方向性の違うナポリタンみたいなものです

パスタ半分に折って温厚なイタリア人激怒させるみたいなネタあるでしょ。方向性が違うだけでアレと同じなの。

そりゃね、乾麵湯がいてソース絡めて客に出すんだから、そりゃパスタ一種でしょうよナポリタンミートソーススパゲティも。

二郎もね、ラーメンで使うような麵使って、ラーメンで使うようなスープを使って、ラーメンで使うような具材使ってんだからそりゃラーメン一種なんですよ。

でもね、その本質は、お手頃価格でとにかく腹いっぱいガッツリ食わせてくれるジャンクフードなんですよ。

量と価格と、それから味の良さで選ばれる店なんですよ。

二郎は、純然たる嗜好品で、かつ、飯どころなんです

マクドナルドフライドポテトってさ、店で熱いうちに食べたい派なのよ俺は。

世の中にはあれがしんなりしてからの方が良いっていう流派があるのも知ってはいるけど、俺としてはやっぱフライドポテトは熱いうちに食べるのが良いと思うわけ。

そうするとさ、マクドナルドの揚げたてのフライドポテトだされてさ、30分も1時間もかけて食わないわけじゃん。

からうまいものを食うのに時間制限があるのは、そんな不自然なことじゃないわけ。

ほんで、生中とかあるじゃんビールの大ジョッキとかも。

そりゃ、居酒屋乾杯するとき自分ビールのジョッキで乾杯したいって気持ちは分からなくは無いけど、アルコール駄目な体質のヤツだっているじゃん。

そういうやつが、無理してアルコールを飲んでも良いことないじゃん。そこがウーロン茶とかコーラになるのは仕方が無いのよ。だって体質じゃん。無理して飲んでも美味しくないよ。

と言う意味で、二郎ってのは、いわゆるファミレスとかの飯に比べればボリューミーで、濃厚で、それでいて美味しく食うためには手早く食べ終わってあげる必要があるものなの。

少量でとか、興味本位でとか、時間をかけてとか、そういうの全部違うのよ。

定期的にすげー高級店でパシャパシャ写真撮ってり動画取ったりして炎上してんじゃん。アレと同じなのよ。

二郎はね、そういう業態のお店じゃないの。そして、お店の事情になんで客が付き合わなきゃならないかって言うと、客がそういう店を失ったら困るから

究極的にはね、バーで安い酒頼んで延々とマスター口説いてたら出禁になった、うちは今後客同士も口説くのは禁止です、とかそういうのと同じなの。

二郎の三つの話、店と常連と、素人(一見客)

店の話

二郎とか二郎系とか二郎インスパイアかいろいろあるけど、ぶっちゃけ二郎というある種のジャンクフード概念名前がついているの。

情報を食ってるとかって話じゃなくてね、二郎で出されるラーメンって、もう二郎しか表現しようが無いのよ。ジョジョ立ちに新しい単語付けてもしょうがないでしょ、ジョジョ立ちなんだから

ほんで、今回炎上したというか話題になったのは、ロットって単語公然と使われて、それっていわば蔑称と言うか、自虐と言うか、使っちゃダメだろ、という単語だったから。

考えてもみてくれよ、政府が答弁で「刑務所のくさい飯も改善の傾向がみられます」とか言い出したら騒然となるでしょ。いやみんなそう呼んでるけど公式に使っちゃダメだろって言う。

ロットとは

二郎ラーメン屋とは異なる業態って話はしたな。二郎系では、大鍋で5人分の麺をゆでたりするの。これが1ロット5人な。

そうすると、5人が一斉に店に入って、5人が一斉に喰い終わって、次の5人がまた食い始めてってのが、効率が良いのはわかるよな。

これがロットを守るってことな

逆に言えば、1人食って残ってると、追加で入れられる客が4人になって、1ロット5人でゆでてるから1人分は捨てるしかなくなる。

これがネタとして語られるロット乱しと呼ばれるものな。

コミケで高速で列捌いているところに、急に小銭入れからもたもた小銭出されたらちょっと困るなあとかそういうネタなわけよ。

常連客の話

常連客っていってもさ、要は飯を食いに行ってるわけよ。

並んで二郎喰って出てくる。店によって合う合わないはあれどもそれに違いは無いのよ。

居酒屋なんかでも酔って店員さんに態度悪かったらやっぱ嫌な感じじゃん。別に客が偉いわけじゃないじゃん。単なる客じゃん。

今日食える分量を注文してある程度の時間で食い終わるってのは、それの延長にあるのよ。

素人(一見客)の話

まあ蔑称なんでコレも店で絶対に使ってくれるなよみたいな単語なんだけどよ。

冒頭言ったけど、二郎を食いに行くのと、ラーメン店に行くのは別物なのよ。

行ったことない人はさっきチラッと思ったと思うんだけど、ラーメン1杯づつ作れば廃棄とか出ないじゃんって。

じゃあ逆に聞くけどさ、5人前作れるのと同じ時間を、なんで1人前作るために使わないといけないの?営業時間内にどれだけ客を捌けるかは売り上げに直結するわけだよな。

二郎は、鍋で多人数分を一気にゆでることで、時間圧縮して提供している業態の店なわけ。

なんでそんな業態に協力してるかって言うと、単に飯食うところが減ったら困るからだよ。あと、普通に食ってれば自然にそうなる。

これを普通だと思わないのが、いわゆる素人(一見客)で、そこお断りって感じは多分にある。

新規参入の無い業界は廃れるのでは?

そう思っていた時期が俺にもありました

でも今は違う。

結局のところね、二郎とか二郎系とかを食う連中ってのは、普通に食って食いきれるのよ。

無理してるとか情報を食ってるとじゃなくて、飯を食いに二郎を食いに行ってるの。

んでこれは修行とか練習とか訓練とじゃなくて、もう最初からそうなの。二郎に行けるやつは二郎に行くし、二郎を食いきれないヤツはもうずっと食いきれないの。

そんで、食えない客に食わせて育てるみたいな業態はもう二郎じゃないわけよ。

そしてこれは客側にも言えて、じーさんばーさんになって二郎が食えるかって言ったらたぶん無理なのよ。いるかもしんないけど。

まり人生のある時期にしか食えない期間限定フードでもあるわけよ。永遠に続く業態なんてたぶんないでしょ。それからすると二郎ッて概念はずいぶん長く生き残ってる。

から二郎に無理して行くことは無いし、事前に調べてムリそうだなと思って行く場所じゃないわけよ。そういう場なのよ。

ホテルの高層ラウンジで女とか男とか口説いたり口説かれたりする場所でさ、軽食サンドイッチ10人前頼んでモリモリ食うのはやっぱ場違いなわけでしょ。

二郎は旨いのか?

そりゃ人間は旨いもん食いたいんだし、食う人にとっては旨いに決まってる。

ただ万人受けする味かって言うとそうじゃないし、散々言ったようにラーメン店とは異なる業態の店だからサービスも味って言うなら二郎は向いてない。

からまあ二郎を、いつか行ってみたいラーメン店と考えてるのはたぶん向いてなくて、二郎を食うやつは考えた時にはもう並んでる。そういう店なんだよ。

Permalink |記事への反応(11) | 19:44

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anond:20250709145145

結婚前には「そういう性格で損をする姿をたくさん見てきて、自分が支えになってあげたい」と言ってくれていて、多分妻も俺には感謝してくれている(と前に言っていた)のだけど、同時に一種嫌悪感が芽生えてきたのかもしれない。

生活不自由はない、子ども友達に恵まれてすくすく育っている、そんな環境がかつて彼女のお義父さんが築いた家庭のようになってきているのかなと考えている。

一度話し合ってみるよ。けど、俺の周りには不機嫌な人というのがいなくて、そうした人が何よりも苦手だから対話で変わらなかったときのことも考えてみるよ。

Permalink |記事への反応(1) | 16:02

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のたうつヌケヌケブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/4772921786707068737/comment/Gl17

女性権利擁護からゾーニング等の折合つけることは

ポルノ表現流通の維持にも繋がるのに、

規制」と叫ぶことで反左派思想を優先してるよね。

一方で行政からの抑圧は許容する点、反マイノリティで悪い一貫性はある。


ゾーニングコントロール」出来ちゃうんだなあこれが…折…合…?

規制を叫ぶことで反左派思想を優先してるよね。

そして行政からの抑圧を許容する点、反マイノリティで悪い一貫性はある。

認知プロファイリングいただきましたあん

「えっ」「えっ」てなっとるやろがい~


https://b.hatena.ne.jp/entry/4772921786707068737/comment/worris

◎法華狼さんが本文で言及済みの論点

ブコメで得意気に蒸し返す光景をこのところ何度も見ていて、

ああ歴史修正主義者の手法だなあと思う。

“ABEMAに出演した時の吉良よし子氏”“ゾーニングもまた表現規制一種


https://b.hatena.ne.jp/entry/4742477410485629295/comment/worris

ブコメで得意気に…て誰が?スター付け然り

光…景…? 手…法…?

Permalink |記事への反応(0) | 00:40

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2025-07-08

anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

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2025-07-07

[読んだ]石岡丈昇のエスノグラフィ入門を読んで

子の付き添い入院経験してそれを何かの形にしたいと思っているのだけれど、その「形」とエスノグラフィは8割くらい被ってる気がする。「当事者研究」とも近い。

この本は、私が付き添い入院と付き添い入院の間、数ヶ月の在宅治療中に、「なんかメンタルが整うような本ないかな」と思って立ち寄ったスーパーの中にある本屋で、めぼしいものが見つからず、「じゃあ新しい学びでも得るか」と立ち寄った新書コーナーで見つけた本だ。「エスノグラフィってなんだっけ?」と思って手に取ったが、初めて知った言葉だった。

買って一日で読み切ってしまった。

この本では「エスノグラフィとは何か?」という問いに対し、冒頭に結論となる文章が書かれている。初見では分かりにくい文章だが、その中で登場するキーワードを、各章で細かく説明する形で理解を深めていくようになっている。

私の感想もその文章の各キーワードについて、「付き添い入院中に私がやってたのってエスノグラフィなのかな〜違うかな〜」など、思ったことを書いていく。

その文章説明をするところの前に「はじめに」と第一章の「エスノグラフィを体感する」があるので、そこの感想

はじめに

エスノグラフィは社会学の一部らしい。私は社会学部卒だったのでこの本を手に取ったのも必然だったか、という気持ち。あとこの「はじめに」の中に「在宅酸素療法」という言葉が出てくるのにも驚き。子がまさに酸素療法中だったので、「空気って大事なんだな」って話に非常に縁を感じた。

第一章 エスノグラフィを体感する

賭けトランプと棺の話面白い。ざっくりこの辺まで立ち読みして買うのを決めた。

エスノグラフィは何も隠されてはいない、ありふれた日々の「生活を書く」ことを基本にします』。付き添い入院が行われている小児病棟は、隠されているわけではないけど、限られた条件の人しか参加できない。ただ、そこでは少し変わってはいものの確実に生活が営まれている。

フィールドで見た場面と研究主題接続:これが私の書きたいこととエスノグラフィの違い。私特に主題っぽいものを持ってない。「貧困」とか「差別」みたいな。多分。問題意識はあるんだけどそれをいま書いて訴えたいかと言われると、ちょっとピントがズレる。

フィールド自分普段生活二重写しにみる:これはそう。付き添い入院を知らなかった私には戻れない。

フィールド調査十戒:これは基本的に「部外者」としての考え方だ。「当事者」として病棟にいた私が、より理性的振る舞うために何が必要だったか考えさせられた。寛大であることと関わる人を中傷しないことは難しかった。私は「奪われた」寄りの人間だったから、無駄に奪われないために戦う必要があったし、中傷もした。「そういう考え方もあるね」と俯瞰することもないではなかったけど。フィールド文化歴史を知るために調べて歩き回ることは意識した。付き添い入院がどういった背景で行われているのか調べ、実際に入院する前に病棟見学もさせてもらった。情報があまりにも少ないことが不安を生んでたからだ。偉そうにしないこととただの見学にならないように記録することも「部外者」の発想だと思う。

書くことについては、私は完璧に考えがまとまってから書くのでも、書きながら考えが立ち上がってくるのでもなく、考えた端から書きつけていかないと気が済まないタチ。不安や怒りといった感情とこれからすべきことは何かといった思考が絡まった状態脳内にあるので、言語化して要らない感情は捨てて、必要思考を拾い上げていく。整理してまとめ上げるというよりは断捨離

章間にあるコラム全部面白いストリートコーナーソサエティの付則が面白いって書いてあるのと似てるかもしれない。

さて本題の結論となる文章こちら。

エスノグラフィは、経験科学の中でもフィールド科学に収まるものであり、なかでも①不可量のものに注目し記述するアプローチである。不可量のもの記述とは、具体的には生活を書くことによって進められる。そして生活を書くために調査者は、フィールドで流れている時間参与すること必要になる。こうしておこなわれたフィールド調査は、関連文献を④対比的に読むこと着眼点が定まっていく。そうして出来上がった⑤事例の記述を通して特定主題(「貧困」「身体」など)についての洗練された説明へと結実させる。
①不可量のもの (第二章 フィールドに学ぶ

妊娠中に子が先天性心疾患を持っていることがわかった。付き添い入院必要があることが分かったのは生まれて1か月が経ったころ。2か月で手術をし、付き添い入院が始まり、4か月で退院した。現在子は7か月で、この先もう一度、手術と付き添い入院の予定がある。そしてその母親である私は、大変な記録魔である。それも、数字の記録はあまり続かず、起きたことを起きた時に感情と共に記録することを、携帯が普及し始めた学生時代からずっと続けてきた。そのため、子の病気に関することや私の生活についての数千件にも及ぶメモが分単位で記録されている。これは、不可量のものが記録されたフィールドノートになるのか?

客観化の客観化:エスノグラファーが研究対象に参加しようと努力するのに似て、私は自身自身の置かれている環境を観察できるよう、自分の心から離れた位置から事象を捉えようと心がけてたように思う。発生時点では一人称的な見方になるし、ショックも受けるが、落ち着いたら、相手立場に立ったり、制度面での欠陥がどこにあるのかを考えたりもした。冷静になりたかったし、付き添い入院経験したこと有益にしたかった。

この章に出てくる市について『2024年能登半島地震被害に遭った地域にある』との記述を見て驚く。待ってこの本いつ出たの?2024年9月!?出版されて一年経ってない本を私はいま手に取って「やべ〜めっちゃ今私が知りたかった視点だ〜」とか思ってるの!?「いまーここ」すぎる。

生活を書く (第三章 生活を書く)

私が付き添い入院中記録していたことは100%これだ。事件もあったが、日常をひたすら記録していた。というか、育児日記を書いているママ大勢いるから、生活を書いている人はたくさんいるんだろう。参与ではなく当事者研究に近い行い。

アフリカの毒については、退院後の外来で、他のママが「あの環境って独特ですよね。なんか連帯感というか」となんだか楽しげに言っていたのが印象深い。子の命が懸かっているので、アフリカのように無限に往復したい場所ではないのだが、そこを無視すれば、一種の寮のような共同生活は他にはない体験ができる場所だ。具体的にどこがとは言いづらいが、非常に「日本的」だとも感じた。

フィールドを『問題地域としてのみみなすような態度を取らない』ことは、付き添いが始まる前はどうしてもできなかったことで、始まってみて「どこにいようが日常は続くな」と思うようになったことを思い出した。ちょっと石岡先生の言いたいこととズレてる気もする。

ここで『かわいそうでもたくましいでもない』という記述がある。かわいそう、たくましい。この二つは患者家族がめちゃくちゃ言われる言葉トップ2だ。そうね。かわいそうだし、たくましくもある。そのあっさい感想で、あっさい関係性の人たちについてはもういい。だがもうちょっと地に着いた、実際どうなの?というところを知りたい人に対して、私はものを書きたい。この記述太字で書いてあって、後半にも出てくるから先生の中で通底してる考えなんだろうと思うととても嬉しい。

部落の話を通じて「いまーここ」を見つめようという話は、目を逸らしたい気持ちだった。自身の中にもいろんな偏見があって、正すべきだとわかっているけれど、今ちょっとそんな余裕がない。ごめん。の気持ち

エスノグラフィで記述されるのはすでにあるものって話も、私を勇気づけるものだった。こんな当たり前のこと書いてなんになるんだろうと思うような話ばかりだが、丁寧に調べて書けば、論文にすらなるんだと思うと心が晴れた。

買ってから気づいたのだけど、この本には挿絵が入っている。印象的な場面やキーワードをページ一枚のイラストという形でも表している。図表は一個もない。大学教授自身研究と参考文献を大量に提示した、論文に近い新書でこの形式はとても珍しいと思うが、文章だけでなく絵で切り取ってみるのも、エスノグラフィが一つの事例を深掘りし、「何が」を調べるものではなく、「いかに」を調べる学問であるという説明を強化しているなあと思った。

時間参与する(第四章 時間参与する)

その場に見学者としているだけではなく役割を持って参加することを持って「時間参与する」と表現しているようだ。私は当事者なので参与も何も、強制参加させられて日常に帰ってきたのちに、「あの経験エスノグラフィにできないか?」と、入り口ではなく出口としてエスノグラフィを使おうとしている立場である

参与観察はもう少ししたかった。他の家族がどうやって子を看病しているか、一日のスケジュールがどうなっているか経済状況、家族構成、抱えている困難。知り合いになった結果面倒ごとを押し付けられそうで、退院が確定するまで(いざとなったら逃げられる状況になるまで)他者を詮索するリスクを取れなかった。逆に言えば退院が決まってからめっちゃ人と話した。

④対比的に読む(第五章 対比的に読む)

この本を読む以前に私がやってきたことがエスノグラフィ(というか研究)じゃないのはここだなあと。大学時代にやったことだが、研究には先行論文を読むステップが欠かせない。ただ単に「これってこうだと思うんですよ!」だけじゃダメで、「この論文ではこう言ってて、この研究ではこういう結果で、でも自分はここの部分はこう思ってて。で実際調査してみた結果がこれ。ね?あってるでしょ?」みたいな。

そして今日この本を読み終わって思ったのが、「この本を読んだことで、私のエスノグラフィ始まったんじゃない?」ということ。まあ当事者なので完全にエスノグラフィにはならないし、仮説を立てるとか主題を持つとかする気はないのだけど、この部分はエスノグラフィっぽい、ここは違うな、と「対比的に読んだ」ことで、ただの雑記が、研究分析みたいな深みを得そうな気配がした。

それ以外にも「対比的に読む」ことはしていて、いま書こうとしているのと同じ媒体の、似たタイプの作者の書いたものを大量に読んで勉強している。書きながらやっているので、自分がぶち当たっている壁をどう解決しているのか教えてくれる最良の教科書として機能しているし、自分が書くもののどこがユニークなのかを都度確認もしている。

あとここで先生は『容赦なく書き込む』ことを推奨しているので、ここで初めてマーカーを手に取った。私は本を汚している感じがして書き込みをしない。けど、書いた人がそうしてというなら遠慮なくそうする。「はじめに」に書いていてほしかったな。なんでこんなど真ん中で…。先生の言うように初読の読むペースの時間経験の中で重要と思われる部分にマークしていくべきだった。珍しく凄まじいスピードで読んだから、この文章を書きながら再読している時の咀嚼感と全然違う。

対比的に読むことがデータをつくることに関連している:一回目の付き添い入院初体験だったので新鮮な驚きや緊張感で乗り越えられた気がするが、待ち受けている二回目に向けてのモチベがなくて困っていた。どういった姿勢で臨むべきか決めかねていて。そんな悩みに光を差す記述として、『フィールドで得た漠然とした問題意識を明確にするために文献を読み、着眼点を得て、その着眼点気づきを持ってフィールドに戻って、「データをつくる」ためにインタビューフィールドノートの記述をするのだ』(要約)と書いてありました。なるほどな〜と。二回目もやはり逃げられる状況になるまで他者インタビューリスキーではあるけれど、とりあえず一回目の振り返りをして、二回目はどんな記録をしていきたいか見定め、関連資料を探すことをしようと思う。

⑤事例の記述を通して(第六章 事例を通して説明する)

私は日常を書きたいだけで主題がないので、この章は自分のやってることとはちょっと違うかなということが多かったのだけど、主題があるとすればできることはあるなあと思った。前章の対比的に読むことや、社会学文脈で書くこともそうだし、比較するのではなく、対比することもそう。

子の闘病において、病棟で暮らすことと、家で暮らすことのほかに、「外来」という場所がある。退院後も月に一回程度はその病院外来に足を運んで検査をするし、外来を重ねてまた入院することもある。病棟にいるとよく聞く会話に「外来来るよね?」というものがある。最初耳にした時はそんなこと確認してなんになるのかと思ったが、別の日、外来に来た母親病棟にも顔を出すというので、病棟の外に大量の母親たちに、なんと医師看護師病棟保育士まで集合しているのを見た。主題を「人間関係」とかに置いた場合、「病棟」と「家」だけで見たら抜け落ちてしまものがこの「外来」という場所にありそう、対比して調査する場所として必須なのではと感じた。外来もまた病棟とは違った、独特な空気感を感じる場所である

時間的予見を奪う:これは私に取って大きな学びだった。本書ではフィリピンの立ち退きに遭ったスラム住人の例が挙げられていたが、付き添い入院もこの困難を抱えていることを自覚たからだ。付き添い入院は始まる時も終わる時も未定で、予告されるのが数日前だったりする。病気を抱えているから当然だと思うだろうか?では、その入院する病棟が、盆正月GWといった長期休暇にはガラガラになることを知っても同じ感想を持つだろうか?病気の子人質医療者の都合が押し付けられているのだ。あーあ書いちゃった。まだ治療が続くので今は敵に回したくないんだけど、気づいたら書かずにはいられない性分で。先の見通しが立たないことは病児看護において日常になる。生まれから治療が終わるまで、年単位スケジュールが未定になる。純粋病気のせいの部分もあるが、先に書いたように医療者の都合による部分が確実にあるにも関わらず、それは私たちには容易には分からない上、付き添い入院は「家族がどうしてもやりたいっていうからやらせてあげている」ていになっているので、余計にストレスが溜まる。この気づきを得たのは大きかったな。

病棟が長期休暇になると患者が減ることは他の家族のインスタで知った。付き添い入院において背景や論理を知ることは難しい。先にも書いたように詮索することで子の手術や看護といった医療サービスが適切なタイミングや質で受けられなくなるかもしれない不安が付きまとうからだ。医療者の側から観察できればいいのだけど。もしくは保育士や清掃員とかで入るのもいい。

ある人々にとっての現実の把握:この、たった一つの真相を知るでもなく、多元的見方をするのでもなく、バイアスがかかっていることを自覚しながら観察するのは、当事者としてもいい見方だなと思った。私は当然患者家族であるので、その立場からものを見て言いますよと、自省的なのか開き直りなのか分からない姿勢にも自信が持てるというもの

ミクロ視点からマクロを見る:付き添い入院マクロにまで射程が届く研究対象なのは明らかだろう。付き添い家族ターゲットにしたNPOあるくらいだし。一方でその実態は泣く子と眠れない夜を明かし洗濯をし食器を洗いシャワーを浴びて食事をする、とても地味でありふれたミクロな場面の連続だ。

ルポルタージュとの違い:エスノグラフィは時間の縛りがない事がルポとの違いらしい。なるほど。昨日『ダーウィンが来た』で、動物写真家シロイワヤギを40年追っかけてるっての見たけど、そっちと近いんだろうか。文学とも重なる感じ。先生も書いてるけどエスノグラフィは「読み物として面白いものが多そう。まだ私一冊も読んでないけど、本書で引用されたものだけでも十分面白かった。けど、「研究」でもあるので、主題と紐付けて研究結果が出てくるところが、エッセイルポとの違いだろうか。エッセイでも面白いものはそうした「発見」みたいなのはちょいちょい見る気がするけど。社会学文脈にびたびたに浸って先人たちのあれやこれやを紐づけまくってその上に自分の見た事象から発見記載できればエスノグラフィなのかな。知らんけど。ここは明確な区切りがわからなかった。

長文の研究計画書を書くって書いてあったけど、そこに何書くんだろう?私は主題はなくてフィールド強制的に決められて問題意識(不平不満)と記録は大量にあるわけだけど、大学生とかは、①エスノグラフィというものがあるのを知り、②「子供貧困について研究したい!」とかって主題を決め、③エスノグラフィで調査しようと決めて、④主題関係が深そうなフィールドを探して(こども食堂とか?)、⑤主題に繋がりそうな場面に遭遇しないかな〜と思いながら参与観察するみたいな感じだろうか。やりてえ〜大学生に戻って。

研究お金の話は文系理系も似たような感じだな〜と思った。応用研究は金出るけど基礎研究にはなかなか出ないし長期での研究も難しいみたいなの話。

おわりに

私が今付き添い入院フィールドエスノグラフィができない理由はここまで書いた通りで、問題意識を表出すると角が立つからだなあ。当事者は奪われる側なので。できない分ここで社会学視点からみれそうな表現問題意識については書いたつもりなので、誰かやってください。ほんとはやりたいよ。今すぐ石油王になって付き添い入院病棟を全て個人産院並の、シャワートイレ冷凍冷蔵庫付きで親と子それぞれのベッドがある広めの個室にして、食事もついて、付き添い保育士外注できるようにして、その病棟看護師患者家族全員が参加Permalink |記事への反応(2) | 17:51

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2025-07-06

dorawii

人間の心をAI再現したとかやっていたがああいう試みは意識というものを非生物学的に作り出すためなのだろうか?

もしそうだとしたらアプローチが間違っていると思う。

意識というのは別に意識がある人間とかのような存在と同じ振る舞いをさせたらそこに自動的に宿るという種のものではないことは中国人の部屋の心をAI再現したとかやっていたがああいう試みは意識というものを非生物学的に作り出すためなのだろうか?

もしそうだとしたらアプローチが間違っていると思う。

意識というのは別に意識がある人間とかのような存在と同じ振る舞いをさせたらそこに自動的に宿るという種のものではないことは中国語の部屋が提起している。

実際は本当にそれだけで宿るのかもしれない。しかしそれはわからない。

でも逆のことを我々はよく知っている。

我々が金縛りという夢の一種体験しているとき、傍から見ればなんの反応もない、科学的に意識があるとは認められない状態だが、

実際は本人のなかでは確かにある種の苦痛や、それについて感じたり考える思考フィードバッグ先としての自我(といっていいのか知らないが)がある。

今の科学的な定義ではこのようなもの意識にあてはまらないだろうが、我々が意識と言って指し示したいものにはこういったものも興味関心の範疇として含まれると思う。

意識」と言う言葉を使って何を論じたいのかの目的論的な本質にかえって考えれば、そのように意識定義拡張されるか術語が定義されるべきこと当然である

そのようなものひっくるめた意識を考えたら、意思疎通ができない状態存在にすら意識があるのに、意思疎通できいぇいるような振る舞いをするAIを作ってなんで意識本質に近づけると思えるのか?と思ってしまう。

そんなことを言い始めたらそこらへんの植物や石にすら認識能力はないが「五感を封じられた存在としての」意識はあるんじゃないか、とか極端に走ることになるかもしれないが、少なくとも寝ている人間にすらある種の意識があることは念頭に置くべきだと思う。

この手の概念直観的に感じ取れる人には明白だが、なんのことを言っているのか万人が共有できるように記述することはとても難しい。

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Permalink |記事への反応(0) | 14:16

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anond:20250706095622

しろ女性優遇じゃねって思うんだけど優遇差別一種

高齢女性ドンマイだが

Permalink |記事への反応(0) | 10:45

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2025-07-05

1999年思春期真っ盛りだったけど、「ノストラダムスの大予言」を真面目に信じてるやつなんて周りに誰もいなかったけどな

エンタメギャグとして消費していただけ

ネットでは「予言を信じて人生を棒に振った」みたいな話があるけど、あれも嘘松一種だよな?

そんなに考えなしに生きてるわけないでしょ

Permalink |記事への反応(1) | 08:38

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盗撮が嫌なら自衛しろみたいな話あるけど

下着って服の一種やろ?恥ずかしがるからそれを見て興奮する奴らがいるわけで、

社会全体で堂々と下着晒し続けていれば興味をなくして去っていきそうだがそのへんどうなんだ?

Permalink |記事への反応(3) | 08:37

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2025-07-04

一般論」という地雷

日頃からモヤっとしていたもの言語化たかった。

匿名場所で吐き出したかっただけなのであまり整えていない。

もしこの先を読もうとしてくれる人がいたら、配慮できず申し訳ない。

 

一般論という地雷

一般論」のようなものを書くときが一番気を遣う。なぜなら、一般論は「それに当てはまらない人」すべてから、強い反発を受ける可能性を常にはらんでいるかである

 

このような現象は、今日ネット空間においてはすでに常識の域に達している。特にSNSコメント欄といった即時的な反応が促される場では、発言の一部だけが切り取られ、発信者意図とは異なる文脈拡散されることも少なくない。そうして「私は違う」「そんなのは偏見だ」といった反応が真っ先に表面化する。そこでは、「一部の人にとって事実であること」が、「すべての人に当てはまらいから間違っている」と見なされてしまう。こうした言説空間では、冷静な議論はしばしば感情応酬へとすり替わり、対話の地平は閉ざされてしまう。

 

言葉が歪められる時代の背景

このような反応が広がる背景には、いくつかの社会的技術的要因が複合的に存在している。第一に、現代社会においては、SNSを中心とした短文型のコミュニケーションが主流となったことで、複雑な文脈や前提条件を丁寧に伝えることが難しくなっている。限られた文字数の中では、言葉の含意や立場の違い、推論の過程などをすべて明示することは困難である。その結果、受け手側は自分の都合や経験に照らして、発言意味解釈するようになってしまう。

 

加えて、即座に反応しなければ「遅れている」と感じさせられる風潮も、言葉の受け取り方に浅薄さを加える一因となっている。深く考えるよりも、反射的に「いいね」や「怒り」を表明することのほうが求められる空気の中では、言葉の精密な意味論理性は後回しにされがちである

 

社会構造心理がもたらす“過敏な受け手”の誕生

さらに言えば、現代における情報環境の変化によって、「共通の前提」が失われつつあることも無視できない。かつては学校教育テレビといった、ある程度共有された価値観情報源存在していた。だが現在では、誰もが自分に合ったメディアだけを選び、異なる前提のもとで世界理解するようになっている。結果として、同じ言葉でもその受け止め方に大きなズレが生まれ、誤解や摩擦の温床となっている。

 

また、「私は傷ついた」という表明が道徳的に優位に立つ場面が増えたことも、言葉のやりとりを過敏化させる要因の一つである。「被害者」として名乗りを上げることで、発言者を「加害者」として位置づける構図は、実際の言葉意図とは関係なく、感情的な正当性を発揮することがある。とりわけSNSにおいては、こうした感情の発露が共感賛同を集める手段としても機能しており、結果として冷静な言語理解が後退する傾向にある。

 

日本社会には、「揚げ足取り」を一種の娯楽として消費する文化も根強く存在している。文脈無視して表現の一部を切り取り、そこに「失言」や「差別」を読み取る行為は、しばしば「バズ」として拡散される。その延長線上では、発言者は発言のものを避けるようになり、「誤解されないこと」や「無難であること」が最優先されるようになる。

 

さらに、近年指摘されている若年層の「読解力」の低下も深刻である国際学調査などでは、日本学生の「文脈把握力」や「推論能力」が低下傾向にあるという報告がなされており(2022年調査では読解力に回復の傾向が見られるという結果はある)、それが「言葉意図を正しく読み取る」という基本的リテラシー障害となっている。加えて、ポリティカル・コレクトネスへの過剰な配慮や、道徳的潔癖主義によって「誰も傷つかない言葉」ばかりが優遇される風潮も、発言自由を静かに蝕んでいる。

 

「私は違う」から始まる反発と議論の停止

このような空気の中で、「最近の若者は〜」という言い回しを使おうものなら、たとえ文脈社会的傾向の分析であっても、「若者全体を一括りにしている」という批判が即座に返ってくる。「誰もがそうだと言っているわけではない」という前提が共有されないまま、「自分には当てはまらいか無効である」とする反応が横行している。

 

このことは、言葉意味が「辞書的な定義」ではなく、「自分がどう感じたか」によって決定されつつあることを示している。すなわち、意味のものよりも、「その言葉自分立場に合っているか」「不快感を覚えたか」が優先される。そして、こうした傾向が加速すると、発言者の意図とはかけ離れた解釈が生まれ議論感情応酬へと変質する。

 

たとえ統計事実に基づいた分析であっても、「私は違う」と感じた受け手によって攻撃対象になる。その結果、誰もが「叩かれないための言葉選び」をするようになり、言論空間ますます萎縮していく。

 

言葉を歪めずに受け取る力こそ、現代の最重要リテラシーである

私たちは今、意味よりも「印象」が重視され、論理よりも「感情」が優先される言語空間の中に生きている。そこで言葉は、もはや伝達の道具というより、誤解や攻撃の引き金として機能しがちである。発信者と受信者あいだに共通の前提が欠けたまま、断片的な言葉拡散され、真意とは異なる文脈で消費される。そしてその結果として、言論は萎縮し、対話可能性が奪われていく。

 

このような状況において必要なのは、「傷つけない言葉」でも「反論されない表現」でもない。むしろ必要なのは、「誤解される前提を踏まえたうえで、正しく伝える努力」であり、そして「相手言葉の背後にある意図文脈を受け取ろうとする想像力である

 

言葉本質は、他者との理解可能にする架け橋にある。だが、もしその架け橋を、各自自分立場からのみ眺め、相手の地形を見ようとしなければ、橋はつながらない。今求められているのは、自分の「正しさ」を証明するために言葉を使うことではなく、異なる価値観の中にある他者と、最低限の共通基盤を模索する態度である

 

歪曲されにくい表現とは

とはいえ、こうした現状を嘆くだけでは建設とはいえない。発信者の側にも、「歪曲されにくい伝え方」への工夫が求められている。言葉は常に誤解のリスクを伴うからこそ、意図をできるだけ正確に伝えるための技術必要とされる。

 

まず重要なのは、「全体」と「一部」とを明確に区別する姿勢である。たとえば「人は○○する」といった言い回し一般化の度が過ぎる印象を与えがちであるが、「一部の人には○○する傾向が見られる」と述べることで、誤解の余地を大幅に減らすことができる。

 

また、「主観」と「事実」を明確に分ける工夫も有効である。「○○できる人は素晴らしい」と断定するのではなく、「私は○○できる人に尊敬の念を抱いている」と表現すれば、個人価値観として多少受け取られやすくなる。

 

さらに、評価的な言葉を使う際には、その裏側を補足することが重要だ。「○○できることは魅力の一つだと思いますが、それがすべてではありません」といった言い回しを用いれば、他を否定しているという印象を与えずにすむ。

 

加えて、あらかじめ「例外存在」を認めておくことも有効手段である。「もちろん例外もありますが、全体的には〜」と一文を添えるだけで、多くの批判を未然に防ぐことが可能となる。

 

他にも、「構造的な話」と「個人の話」とを明確に切り分ける、「自分立場視点」を明示する、さらには「断定を避け、開かれた言い回しで結ぶ」といった工夫もまた、誤解されにくい文章表現一助となるだろう。

 

もっとも、どれだけ言葉を尽くし、慎重に表現を選んだとしても、意図的に曲解したり、感情的に反応する人が存在するのもまた現実である。誤解を完全に防ぐことはできない以上、伝え手は「伝える努力」を重ねると同時に、すべての反応に過剰に萎縮しすぎない心構えも求められる。

 

誤解を防ぐ知性が、言葉自由を取り戻す

結局のところ、言葉もつ本来の力を活かすためには、「発信の技術」と「受信の姿勢」の双方が不可欠である。「誤解されるリスクゼロにする言葉」など存在しないが、それを減らす工夫はできるし、誤解を恐れずに語るための勇気責任感もまた、育てていくことができる。

 

そして何より、「自分がどう感じたか」ではなく、「相手が何を伝えたかったのか」を想像する力。これこそが、複雑で断片化した社会における対話の礎であり、今後ますます求められる現代的な知性の一つである

 

言葉自由とは、好き勝手に語ることではない。「伝えようとする意志」と「受け取ろうとする努力」が出会場所にこそ、その自由は育まれる。だからこそ、私たちは互いに知性と誠意をもって、言葉に向き合っていく必要があるのだ。

Permalink |記事への反応(0) | 14:04

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