
はてなキーワード:一人カラオケとは
コミュニケーションにやや難がある友達と10年付き合っていたら、いつのまにか難があるどころではなく厄災レベルになっていた。
自他境界があいまいなコミュニケーション破綻モンスターになって、そろそろ耐えられなくなって友達をやめたんだが、10年の付き合いの中で私が助長させてしまったんじゃないかと気がかりではある。
とにかく何でもかんでも私のいうことは全否定してくる事と、A子が誘い受けタイプの会話泥棒で自分の話ばかりしたがる事が辛かった。
私「次右だって(駅の案内板を見ながら)」
A子「違うよ!右だよ!」
私「右って言ったよ?」
なぜこんなことを言うのかというと、A子の中では「いつもドジで間違う私子とお姉ちゃん気質でしっかり者のA子」というセルフイメージが強固に根付いており、
旅行に行き、A子が予約したホテルをA子が地図アプリ見ながら案内してくれている時も、
急に「ねえ、お姉ちゃんやめてもいい?」と言い始める。
私は長い付き合いの中で「道がわからなくなったけどわからないとはプライドが邪魔して言えないから、『お前の世話を焼くのは疲れた』というスタンスにしたいんだな」と察することができた。
そもそも最初に「私が道見るわ!まかせて!」とA子が宣言していたんだが、
そこを突っ込んでも空気がギスギスするだけなので、何も言わずに私が地図アプリを見て目的地に無事到着した。
A子が案内していた道と正反対の位置にホテルはあった。謝罪はなかった。
共通の友人は変だなと思いつつも、A子が10年来の付き合いである私に対してしかこの悪癖が出ないので『そういうのが許されている関係性』なんだと思っていたみたい。
私はその場の空気が壊れるのが嫌な臆病者だし、人に強く言えない性格なので、ただ察してあげていただけである。
ここ数年は自分で作り上げた設定を信じすぎて、目の前の現実をアクロバティックに無視してる感じが本当に怖かった。
後者はA子がよくやる悪癖で、相手の知らないものをわざと話題に出して「何のこと?」と質問させることで自分の話したい話題を喋りまくる。
自分の話したいことだけ話したいから、話の前後関係なんか気にしない。
誰かが喋っている内容も、自分の話にするために誰も知らない情報だけ話したりする。 どういうことかというと、
B「最近この映画みたんだけど、めちゃくちゃおもしろかった!」
私「それ見たかったやつだ!この監督好きだもんね。ホラー得意な人だし」
怖いところは、私やBはFGOというソシャゲを知らないのである。やったこともない。
ぐっさんパイセンが誰かも知らないし、このあとベラベラ喋る内容の全てが知らない話だった。 とりあえず話し相手から「なんの話?」「それは誰?」というリアクションが返ってきたら自分の話をしてもいいんだと思ってる。会話泥棒してる自覚なし。
こういう時は発言自体をスルーしないといけないんだけど、普通の人は会話の中で誰かがいった発言をそのまま無視できない。
付き合いの長い私が、
「うちらFGOやってないから!笑 今は映画の話ね!」といって軌道修正するしかない。
一対一になると本当に酷かった。
フェードアウトすると決めた日は、会ってすぐの会話が本当に酷かった。
私「久しぶり〜!元気だった?」
友「まあね!てか☆☆(人名①)の新規絵実装で○○(人名②)大発狂でワロww⬜︎⬜︎(人名③)もサイコパスすぎるwwwほんまおもろいwww」
時間をかけて聞き出した本当の内容は以下。
「(私子が知らないソシャゲRに出てくるキャラクター)☆☆の新規絵実装で(私子が知らないオタク友達である)◯◯大発狂でワロww(私子が知らないソシャゲのイラストレーターである)⬜︎⬜︎も(こんなに人をよろばせられるなんてある意味)サイコパスすぎるwww」
わかるわけない…と思ってドン引きした。
昔はこんなにひどくなったけど、多分私がいつもちゃんと話を聞いてあげるせいで年々ひどくなっていった印象。
丁寧に「それはなんのこと?」と聞いてあげたからこんな酷くなったんじゃないかと思う。
その結果1時間ぐらい私の知らない興味のない話を聞くはめになっても文句言わなかった私が悪い。
ここ数年は遊んでも「会わなきゃよかった…」と思うぐらい疲れるようになっていた。普通の会話ができないし。
目の前の現実よりも「設定」のほうが真実で、コミュニケーションは察してちゃんどころかエスパーじゃないとわからないレベルの会話内容当てゲーム。
この二つの悪癖が悪化しているのって私が助長させたせいなんじゃないか?
友人の自他境界を曖昧にさせたのは、コミュニケーションの負担をほとんど私が担っていたからなんじゃないか?と思うと憂鬱
一人カラオケに足繁く通っているが、日によって部屋が変わる
アプリで予約するだけなので店員が手動で部屋を選んでるわけではない
だから小部屋だったり大部屋だったりする
今回はその部屋の種類について書く
ここはハズレ。椅子が二つあり、2畳ほどの広さ。
少し広め。
いつもはこれくらいの部屋。
今日はここだった。音が響いていい感じ
追加料金がかかるが、気持ちよく歌える
あと、お座敷部屋(6人用)とか、シアタールーム(6人席)とかのときもある
他の店舗には、ギタールームや、ボルタリングルーム、屋外バーベキュールームもある
一人でバーベキューは流石に通されないと思うけど
・高校野球をしてたけど守備が下手で、毎日ゴロ捕り(基礎練習)を人の10倍くらいして人並みに守れるようになった
・英語が苦手で中学から全然分からなかったけど、単語のアウトプットを延々とやってセンターの英語は7割取れた
・歌が下手でカラオケは忌避してたけど、大学時代に一人カラオケで何度も練習して、今は人と行っても普通に歌えるようになった
ポジティブに言えば、素の能力が低かった事で努力する才能が磨かれて、方法論を身に付けたと言える
歳を取ると誰でも能力が衰えて、相対的に才能で何とかしてた人は苦労してる印象を受ける
私は字下げ増田じゃありません。普通の増田です。でも字下げにするだけでみんな見なくなります。不思議ですね。
特に、裁判の結果みたいな内容にするともっと見ませんよね。タイトルも入れないと、もっと見られません。みんな字下げを無視する傾向にあるからです。そのようにトレーニングされている訳です。
だからここに何を書いても読まれません。「今日はお休みだから一人カラオケ行くぞ!快活クラブも行くぞ!」と書いてもバレません。
「雨すごいって聞いてたけどそこまででもなかったよね」という世間話を書いても読まれないのです。
一昔前のいわゆるぼっちに対する反応というのは如何なものであったか。現代におけるぼっち(とりあえずこの文章での定義は友達がいないor友達がいるがあえて1人で行動することを好む人間とする)の立ち位置はどのようなものになるのだろうか。2014~2017年最初の3年はぼっちに対する当たりはまぁまぁ強かったように感じる。ひとりでどこか出かけるというだけでお前1人なんてマジかって感じだったし。そうだったから自分自身が恥ずかしかった記憶もある。ただそのころに「一人旅」がピックアップされ始めていたこともあり、ぼっちに対する意識が少し変わりつつあった時期なのかもしれない。しかしそれでも「一人カラオケ」「一人旅」という言葉が出ている時点で本来大多数で行う必要がないが大人数で行うことが暗黙の了解とされていたことに対して、新たな考えであったことは確かである。2018~世間の考え方も少し変わったように思う。集団であること、誰かといることが当たり前であるという考え方に変化が生じたように思う。これはLGBTQへの寛容さなどと一緒で、他人と違うことを茶化したり、差別的な意識を持つのはやめようという考え方が広まってきたことと連動しているように思う。そのため、ぼっちでいることに対してとやかく言われることは無くなった。世間のぼっちに対する目は確かに変わったのである。しかしこれはいつ壊れるか分からない橋を渡っている感覚に近いのではないかと感じる。少数派への尊重は建前でしかないからである。少数派はどこに行っても少数派であり、他者とは異なった姿を取る。それまで当たり前と信じていたことを人間は早々変えられない。ぼっちだから、LGBTQだから。少数派の主張が通りやすい世の中では必然的に多くの人が窮屈な思いをする。それまでの当たり前を安易に共有できなくなり自分の発言に自信がなくなる。そして限界が来たら多数派であることで暴力を振るう。多数が認めることが普通で、常識で、当たり前であると。
知らなかった。
イライラした時、適当にくだらんこと書くと、なんだかスッとすることに気づいた。
今までは、何か反応が欲しいから推敲したり、ネタを探したりしてたけど、そんなこと考えずに思いのまま書いてもいいんだな。
例えば、俺が洗濯し始めると隣の部屋のやつも洗濯し始めてなんか怖いとか、
最近は少し高い食パンにチョコレートソースをかけて食べるのがお気に入りだとか、
一人カラオケにハマってたら音域がヒゲダンレベルまで伸びたとか、
スタバで席予約の札をテーブルに置いてからカフェラテ買ったらその席を他のカップルに座られて何も言えなかったとか、
ニトリでラグを買って開封したら思ってた色じゃなくてニトリに持っていったら全額返金してもらえたとか、
そういうどうでもいいエピソードを適当に気ままに書けばいいんだ。
増田っていいところだな。これからもどんどん書くことにするよ。
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