
はてなキーワード:ロールモデルとは
やったーーーーーーー!!!
しかも総理大臣にもなっちゃうんだって!?うわーー!日本初女性総理!?!?!?すっげーーーー!
女性でもなれるって証明したのすごすぎ!!!なれないんじゃなかったんだ!これは後の人たちにとってとても大きなロールモデルじゃん!
みんなも喜ぼうよ!!!!
ついに高市早苗が自民党総裁に選ばれたな。初の女性総理の誕生だってことで、テレビもネットもお祭り騒ぎだけど、ちょっと待てよ、と。俺はどうしても手放しで喜べない。
たしかに、女性が総理大臣になるってのは画期的なことなんだろう。でも、その初の女性総理が、高市早苗であり、その前に都知事として名を馳せたのが小池百合子であるという現実に、俺はむしろ構造的な闇を感じる。
彼女たちに共通するのは何か? 優秀で、努力家で、そして「子供を産んでいない」ことだ。
結局、今の日本で女性がキャリアの頂点を目指そうと思ったら、出産や子育てという人生の選択肢を捨てないと無理、っていう何よりの証明じゃないか、これ。高市総理の誕生は、「女性もトップになれる!」という希望のメッセージなんかじゃない。「子供さえ産まなければ、女でも総理になれるぞ」という、あまりにも歪で残酷なメッセージなんだよ。
これのどこがロールモデルなんだ。多くの女性にとっては「やっぱり無理じゃん」っていう絶望的なモデルケースにしかならないだろ。
こういう社会構造の問題を無視して、「日本の伝統的な家族観が大事」とかフワフワしたことを言ってるのが、参政党みたいな連中だ。あいつらの言う「伝統」ってのは、結局、女性に「家庭か、仕事か」の二者択一を迫る古い価値観そのものじゃないか。高市みたいなキャリアを選べば子供は諦めろ、子供を産むならキャリアは諦めろ、と。そのどちらにも当てはまらず、仕事も子育ても両方必死でやってる大多数の女性たちの苦しみなんて、あいつらの頭には微塵もない。口当たりのいい言葉で現実から目をそらさせてるだけ。本当にタチが悪い。
俺が本当に「時代が変わった」と思えるのは、小渕優子みたいに、子育てしながら政治家としてキャリアを積み上げてきた人が、当たり前に総理大臣になる社会だよ。仕事と家庭の両立という、この国で最も過酷なタスクをこなしながらでもトップに立てる、という前例ができて、初めてスタートラインだ。
高市総理の誕生は、女性活躍のゴールじゃない。むしろ、いかにこの国が「子供を産む女性」に対して冷たく、不寛容であるかを象徴する、皮肉な記念碑みたいなもんだよ。
高市がロールモデルとして他と違うところはワークライフバランス崩れるくらい働いてるのに家庭ちゃんと持ってるところだからそこは抜いちゃいけないだろ
ワークライフバランスぶっ壊れるくらい働くけど結婚して家庭を持って、子供は産まないけど養子は取る
ロールモデルが出来た
どんどん働いて社会的地位を駆け上がって欲しい
欲しくない子供なんて産まなくていいしやりたくない結婚もしなくていい
奈良で育った高市さんも「諦めさせられて」きた。大学は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したのに、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。
今も話題の地方と女性の学歴格差を努力で克服している。しかも1980年代のことである。
wikipediaには短大以外に学費出さないと書かれてたがソース不明だったので鵜呑みにしないが、昭和かつ地方という時代ではそれくらいの抑圧があったとしても不思議ではなく
上記記事にも「女だから」学ばせないと直球の「女に学は要らない」を受けつつ6時間の通勤という尋常じゃない努力で克服してきたことが明らかだ。
高市早苗は夫のことを自力で介護せざるを得ない状況になっている。
高市早苗のライフ(私事)とは実は、殆どがケア労働である夫の介護であることは明確である。
おそらく夫に対し「首相になったら介護はしない」などと約束してたのではないか。政治家と介護の二重苦から開放された喜びでつい口に出ちゃったんだろうが、
『夫のケア労働からの開放』とでも表現すれば左派は絶賛せざるを得ない内容であり、自民党内というホモソーシャルの抑圧のせいでフェミニズム文脈で言えないだけである。
また会見でも「介護問題」について早くも言及しており、実体験からくる最重要テーマとして掲げてるのも納得だろう。
地方と女性の問題、夫のケアといったテーマはフェミニズムでも頻繁に語られる現代の重要テーマであるのは言うまでもないだろう。
ちょっと思想がフェミニズムの主流と合わないくらい大したことじゃないくらい
ほんこれな
最近の日本じゃ The Alters やスパイダーバースのフレイバーレベルの反体制描写ですら、
なかなかお目に掛かれないからなぁ
ただまぁ下記のようには思う
描写が過激過ぎるから締め出しはありつつも、『はだしのゲン』や『日本昔ばなし』が生まれ、
パクさんが『火垂るの墓』を残してくれて良かったよな
というか、極端に振れずに、"適当"であることを良して生の力強さを肯定した、
今後、おそらく日本に生まれないだろうと思われるタイプのインテリ・エリートで、なおかつ偉大な大衆芸術家だからな
答えを出ないことを考え続ける作品を作るのも、答えが出ない作品を作って商業ラインに乗せるのも、
ちなみにワイ的には、疲れて帰ってきた時に、辛い状況の時に、
難しい/説教くさい話は観たくないって考えは、理解・共感できるけど、
⭐️主人公の資格がない人物を主人公に取り上げて、人との繋がりについて思いをはせる大切さ⭐️
私たちはアニメーションで、困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いて来た。
しかし、現実には決して切りひらくことのできない状況がある。それは戦場と化した街や村であり、修羅と化す人の心である。
そこで死ななければならないのは心やさしい現代の若者であり、私たちの半分である。
マルコを取り巻く人々は悪人であってもときに良心のうずきに悩まされ、善人であっても善人であり続けられるほどの強さがなく、
常に人生と社会に対してとまどいつつ向き合っている弱い弱い私たち自身の姿でした。
私たちはここでおそらくはじめて、"主人公" たる資格に欠けた"人物"と"社会"を主人公にしたアニメーションを作り上げたのだと。
⭐️A or B と極端に振れるのではなく、答えが出ないことを自分ごととして考え続ける大切さ⭐️
日本では――日本の観客に関しては、清太について同情的なところが大多数だったんですね。
これは、(公開)当時とても意外でした。
というのは、作る時に私は、清太っていうのは、ある意味では非常に今の子どもたちに似ていると思っていたんです。
「お金があればなんとかやっていけるだろう」と思った。
それで、おばさんに頭を下げたり、屈服したりせずにやっていけると思ったんですね。
(清太の)お母さんが、これは原作では病弱なんですが――
そういう自信があったから、「自分たちだけでやれる」と思った。
こういう在り方は、今の子どもに非常によく似ていると思うんですね。
その――人々と、なんとか折り合いをつけて。
もしも屈辱的であっても、頭を下げなくちゃいけないところは、頭を下げて。
なにしろ自分だけじゃなくて、妹も一緒に生活していかなくちゃいけないんですから。
それでやっていく――ということができずに、すぐキレたりとか、そういうのありますけれども。
お金を持ってさえいれば、コンビニに行けばなんでも買えるし。今。
で、清太も、それを間違えたんだと思うんですよ。
お金を持っていれば、なんとかなると思ったんですよ。
実際に、僕自身が知っているわけで。
それでも歯を食いしばって、我慢して、生き抜いた人はたくさんいるわけです。
ところが、清太という子は、それを耐えることができない。
耐えないで、なんとかやっていけると思った。
子どもなんですね。
自分たちだったら、やっぱり清太側(清太タイプの人間)になるけれど、
でも、清太側にいれば、
という風に見てくれる人がいればよかったんですが……
そうじゃなくて、ただ――同情的に見る、というような。
そうなっていたような気がしますね。
それは当然だと思うし、むしろ、出てくれるくらいの方が良かったと思うんですね。
取るべき態度ではなかったんじゃないか? あの時には――
という風なことを、
清太と節子は "家庭生活" には成功するけれど、"社会生活" に失敗するんですね。
いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。
しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。
お向かいの娘に「うちらも2階の教室やからけえへん?」と誘われても、
「ぼくらあとでいきますさかい」と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない。
置かしてもらった親類の未亡人は嫌味を次々いい放つけれど、
あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。
清太はそれを我慢しない。
「ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。」
そして無心に"純粋の家庭"を築こうとする。
そんなことが可能か?
心情的には、べつに現代の青少年たちとだけ類似があるんじゃないと思うんです。
マイホームとか核家族とか、個室やオートバイを子どもに与えるとか、
大人もみんな清太になりたがり、
自分の子どもが清太的になることを理解し、認めているんじゃないんですか。
出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい。
それが現代です。
それが、ある程度可能なんですね。
清太の心情は、痛いほどわかるはずだと思います。
でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。
清太と節子が生きた時代というのは、
それにもちろん軍隊、内務班、分列行進「歩調とれ!」と、
ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。
社会生活の中でも最悪最低の "全体主義" がはびこっていたんです。
清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。
"純粋の家庭"を築くというのは、おそろしく反時代的な行為ですよね。
現代の青少年が、私たち大人が、心情的に清太をわかりやすいのは、
時代の方が逆転したせいなんです。
こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。
いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。
全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。
清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか。
ぼくは、おそろしい気がします。
あのおばさんのような人間にすぐになってしまうんじゃないかと。
見た人はそこに怯えて欲しいんです。
今は善人かも知れないけど、必ずしも善人を貫けないという危険性は、
常に孕んでいるということ、その心配とか。
もう一方これは(作中で)全然描かれてないんですけど、じゃあ孤立しないでやろうとしたら、
いっぺんに隣組とかがんじ絡めで、あの時代だったら、要するに集団主義の中に落ち込むんですね。
同調していかないと、あらゆることに同調していって、もちろん戦争には協力するわけだし、
言いたいことも言えないっていう状況を招く。
どっちに転んでも難しいよね。
女性初が高市さんじゃ嫌だとぐちぐち言う人にはそれじゃあ誰ならよかったのって思う
私が支持できるような人じゃなきゃ嫌だ嫌だと何十年待つつもりなの?
べつにいないでしょ?
そんなことより大事なのは日本の首相像に女性が加わったことだと思うんだよ
女性はリーダーになりたがらないと言われるけどそれはまだまだロールモデルが少ないから
でも今の若い人や子どもたちは首相が女性で首都の知事も女性の国で生きることになる
高市さんや小池さんの姿を見て育った女の子の中から次の女性首相や女性知事が生まれるんだよ
その中にはいずれあなたが理想とするような女性リーダーも生まれるでしょう
しかもアファーマティブアクション(いわゆる“下駄”)などでもなくちゃんと実力で
私が子供のころなら考えられなかった
時代が変わったんだよ
すべてはここからだと思う
総理大臣のイラスト(女性) | かわいいフリー素材集 いらすとや
あのいらすとやさんですら今まで男性総理のイラストしかなかったんだ!!
すごくない?
こうやって社会は変化していくんだね
Permalink |記事への反応(16) | 18:17
30歳男、平均年収、過去に大きな問題はなく、本当に普通に生きさせてもらってきました。
交際している彼女がDINKs希望と言うことを最近知りました。
当初はそれでも二人の生活で満足できるものだろうと考えていたが、時間が経つにつれて自分の子孫が欲しいと思うようになってきてしまった。
男が育児休暇、育児休業、産前産後休暇など可能な限りの休暇をとり、男性側がどれだけ育児に積極的に参加するといっても、
出産は女性しかできず、育児全般においても肉体的・精神的な負担は女性の方が大きいです。
その壁は越えることはできません。
子どもを産むために結婚するのではないし、女性は出産する機械ではありません。
たとえ職場復帰ができたとしても以前と全く同じように働くことはできずキャリアで諦めてもらう部分があります。
出産を経ることでのホルモンバランスの変化で、日常生活に支障が出てくることもあるかと思います。
説得というのは言葉の選択が悪いですが、男側が子どもが欲しい、女性側が子どもはいらないという考えの中で、
どうしても説得という表現を使わせてもらいますが、上記のことを納得してもらうには、
そもそも女性側が子供は欲しいという考えが根底にないと無理なのではないか、、、と考えてしまいます。
重たい荷物を持つことも、車をメインで運転することも、そんなことと軽視されがちですが、それを完全に放棄することもできません。
また、男女の機会が均等な職場においても深夜までの残業の状況を比較すると未だに日本の社会では男性の数の方が多いのも事実ではないでしょうか。
肉体的性差がある中で、自分の役目をまっとうしたいと思っています。
自分が死ぬまでの将来を考えた時に一番身近な親がどうしてもロールモデル、見本になります。
私が十分に恵まれていたと思います。文字通りの「普通」という実現が一番難しい生活をさせてもらえました。
自分の子孫を残すことで親からの生命をつなぎ、自分が幸せだったように子どもにもそのような生活をさせてあげられるように、
努力しても良いのではないでしょうか。そうやって、親に感謝したいと思うことはおかしいのでしょうか。
医療のケアが必要だったり、養育が難しい子どもが生まれるかもしれません。
色々な事実が簡単に手に入る情報化社会の中で、現実的、理論的に考えると、子どもを持つことは割りに合いません。
希望すれば子どもが持てるわけではないということを前提として考えています。そもそも妊娠自体が奇跡です。
私の立場では、男が子どもを持てればいいのに、と考えてしまいます。
この話題を彼女に話しても、建設的な話に繋がらないことが経験から分かっており、自分の中でモヤモヤとするばかりで、
街中の人生相談にも行ってみましたが、まずは結婚して、それから彼女に安心をしてもらえれば、子どものことを前向きに考えてくれるようになる、
という結論が多かったです。
ただ、それは自分側の話だけを聞いた第三者の意見であり、私側に有利な話をすることで対価を得ることが目的なため、
丸呑みできませんし、もしそうならなかった時には、「自分は子どもが欲しい」という無言の圧力を何十年と彼女にかけ続けることになります。
さっさと彼女にこの考えを伝えられればいいのですが、できるだけ自分の中で思考をまとめたいです。
世間から見てズレているのは私のほうでしょうか。ご意見をお聞かせいただければ幸いです。
Permalink |記事への反応(30) | 00:09
そもそもやろうと思えない社会の閉塞感、絶望感、それを醸成してる上の世代の腐敗に問題がある。
視点を変えてみれば分かる。
ただ過当競争によって、厳しい受験戦争を勝ち抜いたとしても、それを発揮できる求人が存在せず、過労を強いる3K労働しかないわけ。
だからすべてを諦め、欲望を捨て、日本で言うところの若者の住宅購入離れ、車離れ、恋愛・結婚離れ、といったことを正当化し、低水準の生活に思想とライフスタイルを最適化していくことで、消費主義社会に反発するようになっている。
日本においても本質的には同じで、稼いで成り上がっていくという生き方に憧れも尊敬も抱けないから、向上心を抱かないという人が増えている。
上の世代の人が時代に応じて価値観をアップデートできず、若者にとってのロールモデルになれなかったことを顧みず、若者の価値観を理解せずに、若者たち自身の判断力の問題として責任転嫁してしまう、そういう傲慢な態度こそが嫌われ失望されている原因だ。
特に愛国を気取る盲目な人間ほど、上の世代の醜悪さを直視しようとせず、目を滑らせて見ないふりをしている。バブリーでイケイケだったおかげでネガティブ面を覆い隠せていた時代の幻影が脳にこびりついている老人は現実の閉塞感を過小評価する。
税金だけでなく、社会保障費や民間による強制徴収も含む。むしろこれらのほうが「税」というラベルから逃れているので、「天才的」と呼ぶのにふさわしいかもしれない。
他になんかある?
アンケート用紙にあったwebアンケートはこちらのQRコードを読み込み忘れたから代わりに感想をここに書こうと思う。
演劇は一応、年に2、3回くらい気になるのがあれば観るけど...みたいな感じで、とにかく期待してがっかりするのも嫌だし、傷つけられるのも嫌だから、警戒して警戒して観終わるまで警戒し続けるのが癖になっている。
ちなみにいいへんじの公演は初めて見た、そして恥ずかしながら出演者はじめ誰のことも存じ上げずただタイトルだけで気になってビビりながら予約してしまった。
自分はクィアでセクシュアリティもジェンダーアイデンティティも明かさないけれど、少なくとも黙ってたら無いことにされがちな存在だ。自分自身でも自分が何者なのか油断したら自分の輪郭も分からなくなりそうなくらい。
「われわれなりのロマンティック」を観て、驚いたことがある。自分が想像したことのない、想像するという発想すら思い浮かばない「未来」みたいなのが「存在する」かもしれないということに気づいた。
自分のこの性的指向、性自認の人間の未来に、こういうことが起きる可能性もある、その場合にはこんなことが起きる可能性もある、と、知らない未来みたいなのがなんか沢山出てきて本当に驚いた。
自分が「将来」を想像できていなかったことに初めて気がついた。
なんていうか、自分にも「将来」があるってことに、初めて気がついて本当にどうしよう、という気持ちが正直なところだ。そういえば「将来」になる前に死ぬか、もしくは永遠に将来が来ない生活を送るような感覚でいたな。
「小中学生の性的少数者が当事者として物語(ロールモデルとか?)に触れられるように....」みたいな話を聞いたことはあったけど、自分は成人してから自分のことに気がついた人間だから、それは大事なことだけど自分とは関係ない話、自分は対象ではないことだと思っていた。
だけど、めっちゃ自分の話でもあったんだということに今回のことで気づき本当に驚いている。
もしかして「一般的」とされる、シスヘテロ異性愛規範に当てはまれる人たちは、普段から将来像みたいなものを小さい頃から数えきれないほど、いろんなメディアで、テレビcmや教材のレベルで触れてきたのか??と思うと、まじかよ!いいな!!!!!おれも沢山ほしい!!!!!!知りたい!!!!!!!!
ほんでずっと自分が遠い話として見てきたいろんな物語はなんだったんだろう。友達とどっちのキャラがいい?みたいなのも、もしかして互いに違う感覚のまま話してたんかな、とか色々思い出した。
引っかからない点がないわけではなかった、グラウンドルールの1番に「何でも話していい」があるのに、「相手のジェンダーやセクシュアリティを決めつけない」とかがないのは気になったし、あと開演前と終演後のBGMが割とガチャガチャしていてプレイリストを順番に流している感じも気になった。上演の中にある音楽と同じくらい大切に扱ってくれたらいいのにとちょっと思った。
そんなんもちょこちょこ思ったりもしたけど、でもとにかく、本当に、自分にとっては本当にびっくりする出来事で、とんでもないことを教えてくれたからありがとうという気持ちでいっぱいである。
自分が登場人物全員をキャラクターと俳優の姿をしっかり認識して観終われたのは、書いた人が、つくった人たちが丁寧に向き合ったからだと思う。2人とか、3人だけじゃなくて、9人で書いてくれたから、9人の俳優がいてくれたから最後まで座って観ていられたし、助けられた。
最終公演まで、みんな元気に駆け抜けてほしい。
そして座席の数がゆるす限りできるだけ多くの人がこの公演を見て、分からなくても考え続けて生きていってくれたら、自分は多分どこかでほんの少し救われる。
もし自分みたいな人がいたら、演劇を観たことがない人でも、試しに、恐る恐るでいいから観に行ってみてほしい。東京の三鷹ってとこでやってるよ。
アンケート用紙にあったwebアンケートはこちらのQRコードを読み込み忘れたから代わりに感想をここに書こうと思う。
演劇は一応、年に2、3回くらい気になるのがあれば観るけど...みたいな感じで、とにかく期待してがっかりするのも嫌だし、傷つけられるのも嫌だから、警戒して警戒して観終わるまで警戒し続けるのが癖になっている。
ちなみにいいへんじの公演は初めて見た、そして恥ずかしながら出演者はじめ誰のことも存じ上げずただタイトルだけで気になってビビりながら予約してしまった。
自分はクィアでセクシュアリティもジェンダーアイデンティティも明かさないけれど、少なくとも黙ってたら無いことにされがちな存在だ。自分自身でも自分が何者なのか油断したら自分の輪郭も分からなくなりそうなくらい。
「われわれなりのロマンティック」を観て、驚いたことがある。自分が想像したことのない、想像するという発想すら思い浮かばない「未来」みたいなのが「存在する」かもしれないということに気づいた。
自分のこの性的指向、性自認の人間の未来に、こういうことが起きる可能性もある、その場合にはこんなことが起きる可能性もある、と、知らない未来みたいなのがなんか沢山出てきて本当に驚いた。
自分が「将来」を想像できていなかったことに初めて気がついた。
なんていうか、自分にも「将来」があるってことに、初めて気がついて本当にどうしよう、という気持ちが正直なところだ。そういえば「将来」になる前に死ぬか、もしくは永遠に将来が来ない生活を送るような感覚でいたな。
「小中学生の性的少数者が当事者として物語(ロールモデルとか?)に触れられるように....」みたいな話を聞いたことはあったけど、自分は成人してから自分のことに気がついた人間だから、それは大事なことだけど自分とは関係ない話、自分は対象ではないことだと思っていた。
だけど、めっちゃ自分の話でもあったんだということに今回のことで気づき本当に驚いている。
もしかして「一般的」とされる、シスヘテロ異性愛規範に当てはまれる人たちは、普段から将来像みたいなものを小さい頃から数えきれないほど、いろんなメディアで、テレビcmや教材のレベルで触れてきたのか??と思うと、まじかよ!いいな!!!!!おれも沢山ほしい!!!!!!知りたい!!!!!!!!
ほんでずっと自分が遠い話として見てきたいろんな物語はなんだったんだろう。友達とどっちのキャラがいい?みたいなのも、もしかして互いに違う感覚のまま話してたんかな、とか色々思い出した。
引っかからない点がないわけではなかった、グラウンドルールの1番に「何でも話していい」があるのに、「相手のジェンダーやセクシュアリティを決めつけない」とかがないのは気になったし、あと開演前と終演後のBGMが割とガチャガチャしていてプレイリストを順番に流している感じも気になった。上演の中にある音楽と同じくらい大切に扱ってくれたらいいのにとちょっと思った。
そんなんもちょこちょこ思ったりもしたけど、でもとにかく、本当に、自分にとっては本当にびっくりする出来事で、とんでもないことを教えてくれたからありがとうという気持ちでいっぱいである。
自分が登場人物全員をキャラクターと俳優の姿をしっかり認識して観終われたのは、書いた人が、つくった人たちが丁寧に向き合ったからだと思う。2人とか、3人だけじゃなくて、9人で書いてくれたから、9人の俳優がいてくれたから最後まで座って観ていられたし、助けられた。
最終公演まで、みんな元気に駆け抜けてほしい。
そして座席の数がゆるす限りできるだけ多くの人がこの公演を見て、分からなくても考え続けて生きていってくれたら、自分は多分どこかでほんの少し救われる。
もし自分みたいな人がいたら、演劇を観たことがない人でも、試しに、恐る恐るでいいから観に行ってみてほしい。東京の三鷹ってとこでやってるよ。
女。33歳。大好きな友人にちょっと困っている、というか、どうしてあげたらいいんだろう?と思っている。
以下、友人をAちゃんと呼ぶ。高校の時、お互いアニメ好きで仲良くなった。一緒の大学を受験したが、私は落ちてFランに進学。彼女はきちんと合格して、今ではテレビでCMが流れているような会社に勤めている。週5でリモートもできる。羨ましい。
彼女はきづいたら舞台俳優のオタクになり、ガチャ、ランダムグッズ、前方席の購入などなどあらゆる課金耐性があった。推し俳優のためなら全国に飛び、有給は平日の舞台ですべて消化するような人だったのに、最近は力を入れていたコンテンツへの執着が薄れているらしい。気づいたら化粧っけも貯金もないただのアラサーになっていた、と自虐する。
そして、会うたびに
「まともな人生を送れてなくて辛い」と言うのだ。
キラキラ大手企業には、結婚出産子育てなど社会的に正しいとされる人生を順当に歩む人が多い様子。同期にはもう小学生の子どももいるのに、まだ男性と付き合ったことすらない。だけど、もう人生に恋愛はいらない、と言い切れるほど諦めてもいない。
最近では、「私の運命の人どこかなー♡」が口癖だ。そんなこと言うタイプだっけ???でも、じゃあどうしよっか、と聞くと、「アプリはだめ」「結婚相談所は変な人が多そう」とか言って、半年経っても何も進展なく、ただウジウジしていた(ようにみえる)。同じ会社の男性に言い寄られたときは、「顔が好きじゃない」とふっていた。ひぇー。
毎回会ってもそんなことばっかり言われるので、正直困ってしまう。いつもはぐらかしてる。だって、結婚したい(男女交際を経験してみたい)けど、これまで会社やコミュニティに出会いがなかったんなら、行動するしかないのよ……………
たしか彼女は20代後半の頃に一回アプリをやったことがあって、そのときは成果が出なかったんだよね。
でも私はアプリ賛成派。会社で言い寄られる相手やタイミングは選べないけど、アプリならある程度タイミングをコントロールできるしスペックで足切りもできるじゃん。それに、私たちはもう35歳に近いアラサー。よほどの美人じゃなければ遊び目的で選ばれる年齢ではない。方法を間違えなければ、(好みかどうか、長く続くかは別として)誠実な男性と出会えるはず。
それが嫌なら街コンとかでもいいのよ。アプリの有象無象とは違い、数千円の会費を出す余裕のある男性に絞られるでしょ。
キラキラ会社にいるからおかしくなるんだよ。うちの会社に来てごらんよ。当社の40代後半女性陣はみんな未婚すっぴん小デブ。若くない、美形でもない、金持ちでもない「普通の独身女性」として生きるロールモデルがたくさんいるよ。まあ、私はそれを見たからこそアプリ始めたんだけど…。そんで、たまたま出会った男性と交際して半年が経つ。
彼女がそんな調子なので、私に彼氏がいるカミングアウトのタイミングを逃してしまった。以前、別な彼氏の存在を話したら、もうこれ以上喋らない方がいいな…と思うくらいあからさまに態度が変わった。そんなことになったら、オタク喪女っていう安心要因から私が外れちゃうもんね。言えねーよ。
そういや、パラサイトシングル仲間のうち1人が実家を出ただけでも焦って一人暮らし用の物件を探していたな。結局お金なくてやめてたけど。今も推し活への興味は薄れつつ、某アニメ映画を10回観たと言っていた。熱意がどうってより、もう心の穴を埋める作業なんだろうね。
を経てからなのかなーと思う。
一人暮らしはやることがいっぱいあるから、生活>推し活に価値観を置き換えよう。
推し活への興味がすくなくなって、はじめて彼氏彼女をつくれるんじゃないかな…。暇があればイベントや映画に行く習慣をやめないと厳しそう…。コンテンツに失望したらやめられるかな?私は推し声優の匂わせがきっかけで、ゆるおたになりました……。そのあと街コン何回も行って、なんかキモくて、もういっそ死にたいけどその前に誰かに愛されてみたくてアプリ始めたの。はずかしい。
人と付き合ったら人生のゴール全部解決ってことはなくて、自分の至らなさは自分で解決するしかないことにむしろ気づくんだよ。自分はまったく特別じゃない。夫婦共働きで家買ってローン組んで…って私の生活に起こり得ることだってわかったとき、かなり驚いた。
ていうか、そんな悲観せずとも、多少出遅れても最終的には納得する男性と付き合えると思うよ。私の欲しいもの、Aちゃんは全部持ってる。これからもそうだと思う。だから私のこと安心材料にしないでよ。あとTwitter見るのやめた方がいいと思うよ…なんかこないだの会話で言ってること、ほとんどTwitterで見たことばっかりだったから………………
不安なのはわかるけど、じゃあどうしたら不安じゃなくなるか一緒に考えようよ。できる限り力になりたいから………そんで早く私に彼氏がいることを言わせてくれ!!!!!たのむから、35歳で死にたいなんて言わないで。私以外の他人に愛されてからにしてよ。
https://comic-days.com/episode/2550912965303326240
「男女関係が嫌だから避けてます」ってきちんと説明してるイケメンに
「自分はそういうのじゃない、友達になりたい」つって信用を得たのに
直後にそういうのになってるのはさすがに騙してると言っていいし大分不誠実なのでは?
少なくともこれ男女逆だったら許されないと言うか
信頼を踏みにじってナアナアでごまかす男のロールモデルを少年読者に学ばせてしまう~とかなんとか
「ぬいペニ」は勝手に相手をぬいぐるみ扱いして騙されたとか言う失礼な概念だったけど
これはきっちり「自分に下心はない」って言ってガード解いておいて下心あるんだから明確な騙し討ちだろ
落ち度のある主人公過ちのある主人公をそれだけで拒絶はしないんだけど
この主人公はそういう自分の卑劣さに向き合わずになんか小動物とか子供みたいなムーブで
「いっぱいいっぱいなんです!」って感じで押しきろうとしてるのが好かん
客観性も高い知能もある女が
みたいな話なら面白いけどこの主人公はなんかはっ倒したくなるな
変な学びを得たわ
あのな、世の中なんてのは全部人脈で成り立ってんだよ。
一緒にゴルフしてくれたからっていう理由で某国大統領に日本の総理大臣が気に入られて、いろいろ優遇してもらえたわけ。
政治家とか元政治家と仲がよければ、五輪とか万博とかドでかい仕事を引っ張ってこれるわけ。
国家間が人脈で動いていて、国家が推進する国づくりが人脈で動いていて、民間企業はそのおこぼれを食ってるだけ。
でも、不可能と思われるようなことを可能にする技術なんかより、爪に火をともすような努力でのコスト削減なんかより、デカい仕事もってくるほうが評価されるわけ。
なんでかって、そりゃ儲かるからな。
だいたい、技術とかコスト削減なんてのは、社内によく精通しなきゃできないけど、社内じゃないと通用しないスキルだからな。
そういうやつらは、どんなに給料安くたって、やめないから、安く買いたたける。
人脈は別だ。
クイズ番組とか見りゃわかるだろ。
高学歴芸能人だって、せいぜい漢字の読み書きができるくらいしか違わない。
人脈があるから、適切な人材に仕事を任せられる。他部署ともうまくやる。それだけ。
エリートで日商簿記なんかやるやついねーし、プログラミングスクールに通うやつだっていねーよ。
結局、仲良しごっこが一番なんだよ。
コミュニケーションをとって人脈を作る。
やることは、それだけ。
会社員のロールモデルはな、はやいうちに信頼ポイントを貯めて仕事を任されて、成功させる。
入社のタイミングで学歴とか資格とかが目立ててれば、スタートラインでちょっと有利に立てるが、使えるのはそのときだけ。
仕事を任されて成功させたら、それが自分の名刺になって、頼った頼られたを繰り返して人脈ポイントを貯めていく。
社外とも関わって、顔を売っていく。
氷河期はそれができなかった。
だから、もう、手遅れなんだよ!