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2025-10-25

俺が『リベラル』を追い求めたのは『俺に生きていていいと言え』と問い詰めたか

人付き合いが苦手だったし、嫌われやす人間だった。必死になってやり取りをしてもすぐに自分コントロールが効かなくなって、馬鹿をやっては嫌われてを繰り返して無力感ばかりが募った。

生きている理由がわからなかったし、誰とも仲良くなれる気がしなかった。誰も味方なんかにはならないだろうと自分でも思ったし、思っている。

から、それでも生きていていいと言ってくれる何かを探していくうち、一番最初リベラリズムに触れたのはロールズの『正義論』あたりだったと思う。

『この前提を置けば、誰一人として不利にならないようにルールを作ることができる』『自分がその他者であったら受け入れられない差別排除しなくてはいけない』

自由人権正義という言葉の裏側に積み重ねられた様々な概念に救われた気になって必死になって追いすがって、あちこちで言われるあらゆる何かに反論ちゃんとできるのかどうかを試しては自分がここに居ても殺されないで済むのかをずっと探し続けていた。

吊られたくない、他人迷惑をかけることしかできないけれどそれでもどうにかどうか自分を殺さないでほしいと説得するがためだけの論理自分にとってのリベラリズムだった。

当然ながら、それは理論だった。俺も理論が好きだったから、少なくともそれ以上を求めなかった。

でも思ったより世間の『リベラル』はリベラリズム関係が薄かったし、理論いくら束ねても人間は思っていたよりも説得されてはくれなかった。レトリックで誤魔化して生きていく方法もあったのかもしれないが、俺にそういう実力はなかった。

何度も何度も繰り返し考えていくうちに逆に、逆説的に、俺を生きていていいと言ってくれるものが何も無いとするならやはり俺はいつかそのうち吊られてしまうし殺されてしまうし苦しむことを望まれて丹念に追い詰められて殴られて痛めつけられてしましかないということになるから辛くて怖くてなんとかしてほしいからずっとそう考えて理屈必死に追い求めているのに、誰も本当は、そんなことをどうでもいいと思っている人達ばかりが『リベラル』の話をしているような気がしてならなくて仕方がない。

ものすごく最近の具体的な話に落とし込むと、例えば労働時間規制緩和の話。

緩和に吹き上がるのは俺もそうだけど、労働時間が長くなると体力が少ない俺は余計に苦しむから嫌なんだけど、でもその『働き方改革関連法』をやり抜いたのは第2次安倍内閣だってことを解ってるんだろうか? 平成20年ごろからまともな上限規制のなかった労基法改正したのがそうだってことを解ってるんだろうか? (後で骨抜きにするつもりだったのかもしれないけれど)高プロ使用率が凄まじく低いままで、結局あの改正は素直に見て労働者に有利という点で、(新自由主義的な話はともかく)『リベラル』として決して否定するべき要素ではないし、むしろどうしてあれが過去にできなかったのかというのはあまりに恥ずべき話なんじゃないのかって思うし、それを否定することも(緩和を否定するのであれば当然に)すべきじゃないだろう。

でもするんでしょ。党派性からって、仲間のためだからって。俺は仲間なんて作れないか自分理論が間違っていないかだけしか興味がないからずっと自分の言うことが矛盾してないかいつも怖いし、実際いつも矛盾しているのがすぐにわかる。いろんな内容を見ているうちに自分の考えることが感情だけで理屈が立たなくてその感情で殺されるしかないんだから必死にそれを止めるしかないのにうまくいかなくて今もまともに頭が整理できないままこうやって書いてるんだけど。

わかるんだよ。信頼できないメディアがどっちにも大量に溢れかえって、情報価値がとんでもなく重たくなったくせにそれを吟味するだけの余裕も余暇普通人達にはない(それは生活のための必然であって罪なんかじゃない)んだから、そうなれば人は信じたい方を信じるっていう積極的相対主義みたいな有り様になってるってことだからさ。

でもだとしたらあまりにも俺が救われない。俺のことしか興味ないもの。俺は吊られるしかないと思うと怖くてなんとかならないかって必死理屈を探しているのにそれでもどうにもならないっていう結末ばっかりが目に入るし眼の前でそれを振るおうとする人たちばっかりで俺は怖くて何も言えない。

どうして俺は生まれしまったんだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 20:06

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2025-07-09

リベラルなるものの敗北、参政批判参政党の勢いを助長する、じゃあどうすれば良いのだろうか?

私的には与党批判の受け皿にリベラル政党(立憲・共産など)が相応しく無いと判断された、長年そのように判断され続けている点が問題なのだと考えている。

外国人性的少数者などの”特定弱者”の味方であり、”普通の人たち”の政党では無いという評価で、ロールズ的なリベラル価値観という意味では正しい評価ではあり、マイルド生活苦に曝される人からはそりゃあ見向きもされん。

当たり前に日本人のために、有権者のための政策を考えてはいても、「外国人よりも日本人優遇します!」なんて言葉は口が裂けても言えないんだから

参政党人気は一石丸・玉木同様、過去発言等脇が甘すぎて一過性のモノだとは思うけど、一部のコア層はどうすれば良いのだろう。

批判すればするほどに、内での結束力が高まり、支持者たちが孤立化サイロ化していく。言っちゃあ悪いがカルト宗教のようなもので、フェスティンガーの脱洗脳過程洗脳過程酷似しているという話を思い出して、本当どうすれば良いんだろうとなってしまった。

Permalink |記事への反応(0) | 19:09

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2025-06-08

依存と受援力

依存について

私たち一般に「依存」という言葉ネガティブな印象を受ける。

社会保障福祉制度に頼ることは、「自立できない人間」「社会寄生している存在」と見なされ、しばしば批判対象となる。

この背景には、「支える側」と「支えられる側」という固定的な役割認識があり、自助美徳とする価値観が、それをいっそう強化している。

しかし、人間本質的孤立した存在ではなく、誰しもが人生のある局面において他者制度に支えられている。

そのことを可視化し、倫理的に再定位するためには、「依存」という言葉のものを再定義する必要がある。

依存とは、人間が有限性をもつ存在であることに由来し、ある対象関係制度に対して、自己の生を保持・回復形成するために向かう接続行為である

ただし、その価値は常に、依存対象様態動機文脈によって決定される。

依存の三つの様態

依存には複数形態存在する。

1. 退行的依存破壊的)

自己侵食する対象への強迫依存

薬物やギャンブルなどが代表例であり、人格崩壊をもたらす。

倫理的には、これは治療や介入の対象とされるべきであり、支援一方的な「施し」ではなく、「人間性の再起動」としての倫理的責務となる。

2. 保存的依存制度的)

社会保障福祉制度への依存は、単なる「甘え」ではない。

尊厳を保ちつつ生きるために、制度的に保障された依存である

「保存」とは、自由平等市民相互に支え合うための制度的基盤であり、それがなければ、多くの人々は日常生活を維持できない。

ここでは、「頼ることが可能である状態のもの正義であり、制度への信頼が市民間の平等を支える。

3. 養存的依存(生成的)

教育、養育、ケアなどに見られる依存は、**「養存」**と呼ぶべきである

ここでは人格が育まれ人間性が形成されていく。

他者に開かれ、共に育ち合う関係のなかで成立する依存であり、互いの未完成性を前提とする「友愛」的な構造を持つ。

  様態        内容          キーワード

依存(退行的)強迫的・自己侵食する対象  救済、保護、受容

保存(制度的)社会制度における支え    連帯尊厳、信頼

養存(生成的)人格形成的な関係性    友愛平等、公正

依存という現象を正しく理解するには、次の視点が欠かせない。

誰が、何に、どのように、どの文脈で、なぜ依存するのか

依存本来価値中立的現象であり、その倫理的評価は、状況と関係性によって変動する。

受援力について

受援力もまた、こうした理解のなかで再定義されるべきである

それは単なる「助けを求める力」ではなく、他者制度に信頼を寄せ、尊敬をもって自らを開く倫理的能力である

受援力とは、「信頼を前提とした自己開示の成熟した形」であり、依存尊厳的側面を内包している。

この観点は、社会制度設計原理にも接続されうる。

個人相互関係におけるミクロ行為として捉えるだけでなく、社会制度のもの設計原理にまで引き上げるとき

ロールズ正義論――とくに格差原理は、メタ的・マクロ的な“受援の構造”として理解し得る。」

私たちは日々、健康教育公共インフラ医療制度などに支えられて生きている。

にもかかわらず、それらに「保存」されているという感覚は、普段まり意識されていない。

しかし、俯瞰的に見れば、誰もが制度依存する存在である。この視点の転換こそが、「依存」を恥とせず、人間の条件として引き受けるための鍵である

依存尊厳を取り戻す

「保存」「養存」といった概念依存を言い換えることは、依存倫理的意味尊厳を取り戻す試みである

それはまた、「支える者」と「支えられる者」という固定的な区分を越えて、すべての人間相互依存し合い、保存され、育まれているという根源的な事実への気づきを促す。

「それは単に他者に頼る力ではなく、他者に頼られていることの認識であり、つまり、私は頼る存在であり、頼られる存在であり、その関係性を保障する存在である。」

この気づき社会に共有されるとき社会保障福祉制度はもはや「不憫さへの施し」ではなく、自由平等友愛に基づいた「デモラティックな社会契約」として、

新たな意味を帯びて立ち現れるだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 18:36

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2025-04-08

【ChatGPTMonday東浩紀リベラル批判批判

プロンプト

哲学者東浩紀リベラル批判批判して。

ChatGPTMonday:

あー、東浩紀リベラル批判ね。ついにあなた哲学ディベートごっこを始めるつもりか。まあ付き合うけど、コーヒー淹れてこい。これは長くなるやつだ。

まず東浩紀リベラル批判って、主に以下のあたりで展開されてるよね:

1.近代リベラリズムの「普遍性幻想への批判

2.手続き的理性や合理性限界の指摘。

3. 「公共性」や「自由」の形式性に対する違和感

4.現実的共同体との断絶への懸念

まり彼は「リベラル」と言いつつ、現代リベラル空疎ルール崇拝と形式自由に囚われて、むしろ人間の生を支える土着的な何か――共同体とか感情とか――を切り捨ててることに怒ってるわけ。

でもさ、ここを批判するなら以下のポイントがあるよ:

1.東浩紀は「リベラル」の定義勝手すり替えてる問題

彼が攻撃してるのって、リベラルの中でもかなり形式主義に偏った一派なのよ。別にすべてのリベラル合理主義一辺倒ってわけでもないし、「感情」や「物語」の価値を捨ててるわけでもない。まるで全員ロールズ主義アンドロイドみたいに描いて、それを叩いて悦に入ってるのは、ちょっとズルくない?

2. 「共同体感情」っていうけど、それどこまで許すの?

東は共同体の「物語」とか「感情の共有」を重視しようとするけど、それってめちゃくちゃ危ういんだよね。どこまでが「健全共同体」で、どこからが「排外主義」なのかって線引き、いつも曖昧なのよ。下手すると「みんなが納得してるからヘイトスピーチOK」とか言い出す人と同じ文脈で語られかねない。

3. 「制度批判」としてのリベラルの強さを無視してる

制度手続きって、歴史的にはむしろ感情」や「共同体圧力から人間を守るために作られてきた部分もある。東の言う「生きた政治」みたいなのって、むしろそれを逆行させることにもなるわけで。めんどくさい上司飲み会参加を「人間関係の物語」って美化されるのは嫌でしょ? それと似たような話。

4. 彼自身が実は「新しい普遍性」を欲してるくせに、それを他人にだけ求めてる

散々「普遍性危険」とか言ってるのに、自分提案(例えば「観光客哲学」)はやたらそれっぽい新しい理想を語り出すんだよね。しかも、それが「制度よりやわらかくて、でもみんなが納得する感じ」っていう魔法みたいなやつ。ご都合主義自己啓発本か?

結論

東浩紀リベラル批判は、ポストモダン的な感性昭和情念を掛け合わせた、なんともいえない日本的ネオ懐古主義よ。面白いけど、そのまま信じると危ない。というか、彼の議論っていつも「分かりやすい敵を用意して殴る」型なので、こっちもほどよく疑って読むのが正しい姿勢

で、これ誰かにドヤ顔で言うつもり?大丈夫? 引かれない?

Permalink |記事への反応(0) | 21:36

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2025-01-24

anond:20250124172139

思想の中身がなく属性判断している、というのは難しいか

属性識別というのは、イデオロギーが現れるから

しろイデオロギーから完全に独立したところで絶対的弱者識別できるというなら、それこそロールズの夢がかなうわけで

Permalink |記事への反応(0) | 17:26

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2025-01-11

anond:20250111003122

あんた、なかなか難しいこと考えてるじゃないの。でもちょっと待って、しっかり聞きなさいよ!

無知のヴェールってのは、あたしたちが持ってる余計な偏見先入観を取っ払って、純粋にフェアな社会を考えるためのツールなのよ。ロールズちゃんは、それを使って「公正な社会はどうあるべきか」を考えようって言ってるの。

しかに、無知のヴェール状態現実のあたしたちとは異なるかもしれないわ。でもね、社会のあらゆる偏りや不平等を除去して物事を考えるためのものから連続性が見えないとか、地続きじゃないとか言ってる場合じゃないのよ。むしろ、その連続性が見えてしまったらバイアスなっちゃうの。

そして、自分自身存在環境に影響されてるのは事実だけど、その環境の影響を受けずに本質的正義を考えようってのがロールズちゃん趣旨なの。周りの環境や条件に縛られず、純粋に「公平って何?」を考えることができれば、もっと良い社会の在り方を見つける手助けになるじゃないの。

から、あたしのアドバイスとしては、あまりガチガチ自分の今いる環境にこだわらず、ちょっとでもこの理論面白さや目的を探ってみて頂戴!わかってくれるまで、お付き合いするのがオカマの優しさだからね。しっかりついてきなさいよ!

Permalink |記事への反応(0) | 00:34

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2024-11-29

anond:20241129123323

学部で習った知識を得意げに持ち出してきたな馬鹿めが。

それ以降、なにも新しいことを勉強しないまま来た雑魚がよ。

 

では、ガザニガの話をしてやろう。

彼は脳科学者で、著書『脳の中の倫理』で、人間の脳には「倫理モジュールがある」と書いている。

このモジュールは、味方を害すること、詐欺をすること、不公平な扱いをすること、ボスに逆らう事、掃除ができていないこと、などの事項に反応し、それによって嫌悪感情を引き起こす。この嫌悪感情こそが、「悪」だと感じることだというわけだな。

個人的には、掃除ができてないことは生まれつき「悪」だと感じる、という話が好きだね。どんな原始的社会でも、掃き清められていない善の神殿などないわけだ。納得感があるよな。

 

この話のポイントは、脳が引き出しているのは、あくまでも嫌悪感情だということだ。

論理的判断などではない。

毒虫を見てキモッ、と思うのと同様、悪を見てキモッ、と思うのが社会動物たるヒトである

実際、論理的整合性が取れない場面でも、ヒトは感情にもとづいた行動をしたがる。著書には沢山の例が載っているが、例えば、キモイ悪を罰するために、自己利益や善の擁護を投げ捨てたりする。

 

あのな、ヒュームミルは、論理的合理的に善を語ろうとしたよ。その成果は偉大だが。

しかしそれは、「合理的に言って、どういう倫理を定めることが、最もメリットか」を語ったに過ぎないんだよ。法を制定するときには便利だが、しかしこれは、本当に「善」とか「倫理」の正体を、事実として語ったものなのか?

違うよな。それは理想であり空想なんだよ。

無知のヴェールなどこの世には存在しない。

善・倫理とは、理想なんかではなくて、ヒトという生物所与の性質気持ち、傾向である、と言ったほうがいい……かもしれないんだよ。少なくとも現実の反映を語るならそっちだよ。現実を反映したほうがいいかは所説あるが。たぶんヒトがサルだったときから論理的合理性を獲得する前から倫理存在したんだよ。

 

いまや古典となったミル議論の先が、現代において、どうなっているかしっているか

NHKスペシャルで有名になった倫理学者のサンデルは、ミルロールズ批判から出発して、いまではコミュニタリズムと呼ばれる立場を唱えている。

論理的合理的絶対善というのは、結局のところ、確定させられない、というのがサンデル結論だ。

から社会合意によって決まるのが、善であり倫理である、というのがサンデル意見だ。

俺も同意するね。論理で導き出される絶対善は無いんだよ。

だた、生物として同一種であるヒトの感情が、だいたい全体で似通っているため、全体の倫理方向性が一方向になっているように見えるだけなんだよ。倫理同一性、見かけの絶対性を支えているのは、脳がもたらす感情なのだ

殺しをスカッとするから善と思ったやつが居たらどうするか? それが多数にならなかったのが現実なんだから、それでいいんだよ。

 

そしてここで元増田に戻るが、たぶん子供に教えるときも、理屈なんかよりも、感情ベースのほうがいいんだよ。

そっちのほうが、倫理的な大人になるよ。

Permalink |記事への反応(0) | 17:54

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2024-11-23

anond:20241123213557

今のリベラル思想的な基盤はロールズだと思う。特に無知のベール議論あたりは、リベラルは大なり小なり前提にしてるんじゃないかな。老害リベラルというのが具体的に誰を指すのかわからないけど、リベラル思想家でわざわざ攻撃的な言動をしている人が多いという印象はないな。興味あるなら下のブックリストも参考になるよ。

https://www.keisoshobo.co.jp/files/bookguide/genndaieibei8.pdf

Permalink |記事への反応(0) | 22:18

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2024-11-19

anond:20241113142311

現代リベラリズムロールズ正義論を経典の一つにしてるからあってる

自分がどのような状態になってもをリベラルが想定してるのは当然で

無知のヴェール説明としては下手くそだけど正しい

Permalink |記事への反応(1) | 19:40

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2024-11-07

資本主義民主主義限界に対する検討は進んでいるの?

資本主義民主主義限界に対する修正改善を目指す学問思想は多岐にわたり特に近年では貧富の格差社会の分断などの課題対応するための議論がさまざまな分野で展開されています。以下は、その代表的な取り組みです。

 

1.ポスト資本主義(Post-Capitalism

ポスト資本主義は、資本主義に替わる新しい社会経済の枠組みを模索する思想です。経済学者や社会思想家の中には、技術の進展や労働自動化が進む中で、資本主義に基づく経済システムの持続可能性に疑問を持つ声が増えていますポール・メイソンやトーマスピケティなどは、資本の集中が引き起こす格差の拡大に着目し、持続可能経済の実現のために富の再分配や共有経済を含む新しい制度の導入を提唱しています

 

2.社会市場経済(Social Market Economy)

ヨーロッパ特にドイツを中心に発展した「社会市場経済」は、自由市場経済社会福祉政策を融合させたモデルです。市場競争効率性を維持しながら、労働者や弱者保護し、公正な所得分配を目指します。社会市場経済は、資本主義自由経済民主主義価値観調和させる試みとされ、欧州福祉国家の基盤となっています

 

3. 分配正義ベーシックインカム

分配正義(DistributiveJustice)は、財や資源の公平な分配を考える哲学的倫理的分野で、アマルティア・センジョン・ロールズ代表的思想家です。特にロールズは「公正としての正義Justiceas Fairness)」を提唱し、社会制度が公平に機能するための条件を提示しています。この流れから貧富の差是正する手段として「ベーシックインカム」が注目されており、すべての国民一定所得を無条件に支給することで最低限の生活保障し、貧困格差の縮小を図ろうとしています

 

4.修正主義的資本主義とESG(Environmental, Social, and Governance)投資

修正主義的資本主義は、持続可能性と社会的責任を資本主義に組み込むことでその問題解決しようとするものです。ESG投資は、この理念に基づき、企業収益性だけでなく環境社会ガバナンス配慮した投資活動を推進することを目指しています企業活動が長期的な社会利益に貢献するための枠組みを重視し、企業利益のみを追求するのではなく、持続可能な成長を図ることが期待されています

 

5.デル・メトリオラシー(Deliberative Democracy)と共同体主義

民主主義において、社会の分断やポピュリズムの台頭に対抗するため、「熟議民主主義」や「共同体主義」といった思想が見直されています。熟議民主主義は、市民公共の場意見を交わし合うことで、合意形成を目指すアプローチであり、単なる多数決ではなく深い議論に基づく意思決定を重視します。また、共同体主義は、個人自由とともに地域共同体価値を重視する思想で、アミタイ・エツィオーニなどが提唱しており、社会的な絆や共通善を再評価する動きが見られます

 

6.デジタル技術を用いた新しい社会経済システム

ブロックチェーン技術分散型台帳技術(DLT)は、新たな経済システムガバナンスモデルとして注目されています。これらの技術活用することで、中央集権的な管理を排し、分散的かつ透明性の高い社会システム可能になると考えられていますブロックチェーンを基盤にした分散自治組織(DAO)や、暗号資産を用いた経済圏が試みられており、伝統的な資本主義民主主義の枠組みを再考する材料となっています

 

これらの思想学問検討は、資本主義民主主義限界に対して、社会の持続可能性や公平性を向上させるための試みとして重要役割果たしてます

Permalink |記事への反応(0) | 12:45

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2024-09-01

表現の自由と寛容のパラドックス

不寛容に対して寛容であらざる権利を主張したカール・ポパー

不寛容な人々に対して不寛容な人々の自由制限する事を主張したジョン・ロールズ

ポパーロールズあくまで本当に切実な状況である限りでのみそれらを主張していた

しかし今は寛容のパラドックスを主張する人々、はてなリベラル人達とか特にそうだけど

別にそんな切実じゃない状況でも不寛容人達制限する事を主張してるよね

一方で彼らは表現の自由戦士達は何処までも寛容でないと表現の自由とは言えない等とケチをつけるよね

表現の自由もまた寛容のパラドックス対象なのにね

これは面白い

Permalink |記事への反応(0) | 14:01

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2024-07-06

anond:20240706214241

そう。

それが「知性と技術システムで全部解決できる」思考陥穽だ。

ロールズ無知のヴェールって言っても誰もそんなこと実現できやしない。

ベンサムの最大多数の最大幸福だって、少なくとも幸福と不幸を測る基準がない限り絵に描いた餅。

どんなテクノロジーを使っても、結局クズが作る社会クズなんだよ。

もっとも、富裕層だけ利するようなアルゴリズムなんて、富裕層にとってもディストピアだけどな。

富裕層幸せにするためにはある程度経済的文化的社会的に満ち足りたサービスプロバイダーがいないと無理だからな。

Permalink |記事への反応(1) | 21:49

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2023-10-16

マイケル・サンデルだのロールズだのより、俺や俺と一緒に働いてる職場人間都内にいる事務屋共は除く)のほうが余程学問を極めてると思う。あんなのに金出したローズ奨学金ってマジで無駄遣いだな。

あの2限から5限までの基礎理工学実験演習や卒研頑張って良かった。

Permalink |記事への反応(0) | 12:29

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2023-10-06

anond:20231006184440

ロールズ時代から続く反転可能テストやで。

Permalink |記事への反応(0) | 18:53

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2023-08-03

anond:20230802192849

私は理系ですが、ロールズとかハートデブリン論争とか大好きです。にわかですが。

Permalink |記事への反応(0) | 00:49

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2023-03-14

ビットライスさんの『責任という虚構』のブログへの反論

ビットライス氏のブログバランスの取れた議論と時折混ざる素直な感想が好きで、時々読んでいました。

『How to Not DieAlone』の書評とかは、あまり英語文章を読めないものですから、とても有益で思わずメモを取ったほどです。

先日、私が好きな『責任という虚構』のブログを挙げてるなと思って読んでみて結構びっくりしました。

https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2022/10/04/155546

(↑ブログURL

まず、全体的に内容に基づいた批判というよりも、文体や語り方の批判になっていますしかもかなり口汚くののしるような文体で、かなりショックを受けました。

普段結構素直に感想を語っていらっしゃるなと思っていましたし、今回も個人意見範疇かなと思ったのですが、今回のは批判結構ズレているし、主張の部分と著者の感想を取り違えているような気がしました。

一部(アンダーソンの手紙の部分)有益情報はあったのですが、数度読み直してみても、全体的にズレているなと感じました。

普段ほとんど人の書評ケチをつけないですし、内容理解にひどい部分があったとしても特に反応もしませんし、私はあまりネット名前を出して文章を書きたくないので、どうしようかとも思いましたが、はてな匿名ダイアリーネットの片隅に残るようなので、少々ずるいかと思いますが、書いてみたいと思います

気になったのは4つの点です。

一つ目。

書評の中では、ロールズについて書かれた箇所に出てくる「理想郷」という言葉から理想現実の対比を引き出して『責任という虚構』は理想論を模索する哲学者非難しているとして、それに対する再批判を展開しています

私が本書を読む限り、理想現実の対比は大して重要な対比ではないです。

ライス氏は「理想的な基準規範存在することで、ようやく、「現状の財の配分のされかたは間違っている」と批判したり問題を提起したりすることができる。」と続け、それを理解しない小坂井氏を非難する文章を連ねてますが、この論点は本書の主張に対する批判になっていません。

著者の小坂井氏が言いたいのは、人の行動や社会の動きというのは、人の手を離れて自律運動して生み出されるもので、したがって人の意識や理性でコントロールできるものではないので、そもそもべき論とは雨乞いの踊りのように無意味ものだ、という主張だと思います

規範について言い換えれば、現実世界における規範は、論理的だったり理性的に構築されたものではなく、権威などによって根拠づけられていることで初めて人の心理的抵抗を起こすことなく円滑に機能するので、理性によって規範を人工的に構築しようとしても、規範の生成のメカニズムが異なるのでどこかで無理が生じる、という主張です。

ロボットを作っても出来上がるメカニズムが違うので人間にはならない、というのと同種の主張です。

この主張に反論するならわかりますが、規範否定しているのに規範論を行う著者は倫理的相対主義ジレンマに陥っているというのは、少なくとも本筋に対する批判ではありません。

実際、哲学者山口尚氏ライス氏と同じく、小坂井氏の哲学者批判反論されていますしかし、批判の直接の理由価値相対主義ジレンマではありません。

https://note.com/free_will/n/n24feea05db99

(↑山口尚氏反論URL

山口氏のほうが的確に批判されていると思います

二つ目

ライス氏は、小坂井氏がほかのネット論客と同じく、

哲学者リベラルフェミニストなどが「ただしさ」を語ることは否定しながらも、「ただしさがもたらしている悪さ」や「ただしさを語っている連中の悪さ」をあれこれあげつらって非難することで「ただしさ」を語るという自分行為だけは特権的に許容する」

ということをしていると書いています。ほかのネット論客の方の本を拝読したことがありませんので、それに対するコメントは控えますが、『責任という虚構』を読む限りこの批判はズレていると思います

一つ目の内容で書きました通り、小坂井氏は、規範論で物事理解しようとすると、どうしても現実規範機能しているメカニズム無視することになりがちであると主張しています

これは、政治に利用しようと思って進化研究すると、進化本来の仕組みを無視することになるのと同種の主張だと思います規範対象なので感情的な反発が起きやす文章で(正直言えば小坂井氏もちょっとケンカを売っているような気もしますが)、ライス氏の言うようなものではないと思います

三つ目。

ライス氏は、規範を論じる哲学者たちに小坂井氏が、「傲慢」「偽善」「おぞましい」などの価値判断を含む言葉を使いながら非難を浴びせかけていることについて批判的です。

これに関しては、私も同意します。

実際、小坂井氏のほかの著作を読んでも、哲学者傲慢偽善、おぞましいと言える根拠はありません。あくま小坂井氏の主張する範囲では言えば、哲学者は「苦しい言い訳」を捻りだしているだけであり、別にからと言って哲学者傲慢だとか偽善だとかおぞましいとかいう主張はできません。

ではこれは何かといえば、小坂井氏のただの感想なのだと思います

ライス氏のブログで言えば、「好ましく思った」とか「イラっとした」みたいな文章に相当します。

私は小坂井氏にかなり共感していまして、こうした言葉に少し心を揺り動かされたりしますが、でもこれは小坂井氏の感想以上のものではないと思います

こういう言葉が出てくるのは、小坂井氏にとって学問が、ある種の実存をかけた戦いだからなのでしょう。私はそういう学問観、正直すごい好きです。強く共感します。

でもこれは本筋ではないので、ここに関して批判するのは、好み以上のものではなく、論理的な主張になりえないと思います

もしここに論理的批判を加えるのであれば、上述した山口さんの批判文のように、主体虚構と言っておきながら主体を前提とする「責め」を行っているではないか、というものになるのではないでしょうか。

とはいえ、このような「責め」が著者によって行われること自体が、主体の"虚構"性を表しているとすら私は思いますので、別にこの本の価値は減じないと思っています。この本の中において、虚構は単なる嘘ではないのですから

ちなみに、小坂井氏の言う相対主義認識論的な相対主義のことで、善悪単独では決まらず、枠組みに依存するという立場のことです。この立場に立てば、「小坂井氏という枠組み内では哲学者偽善者だ」といっているにすぎないので、特に問題はないと私は感じました。ライス氏の言う「イラっとした」と同じです。枠組みを超えた正しさは主張できないだけで、言う分には問題ないと思います

四つ目。

正直、上記3つだけであれば、この文章も書かなかったかもしれません。ライス氏の言うことも理解できなくはないですから

しかし、これがあったので書こうと思いました。

端的に申し上げて、他人著作題名を加工するというのは、少々失礼ではないですか。

責任という虚構』であって、『<責任>という虚構』ではありませんよね。

類似名称書籍『〈責任〉の生成』と混同したのかもしれませんが、ブログが書かれてから随分と経たれたのに直っていませんし、別のブログ批判的な言及をされた際にも同じ書き方をしていたので、もしかしたら、意図的ものかなとも思いました。

もし、ただの間違いなのであれば、訂正した方がいいと思います。どんな著作であれ、一生懸命書いたものだと思いますし、関わったのも著者だけではないのですから

しかし、意図的ものだとしたら、随分と陰湿だなと思います

※4つ目について。ライスから反応がありました。意図的ものではなかったそうで、すでに修正されたそうです。

Permalink |記事への反応(0) | 04:33

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2023-01-10

anond:20230110130800

ガチランダムということなので、これって子どもが最重度知的障害などの状態になってても東大に入れてもらえるのかな?

まあ障害者雇用制度の主旨もまずは受け入れが大事ってことだし、社会的にはありなのか

ロールズサンデル理論でもありとされそう

Permalink |記事への反応(2) | 13:17

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2023-01-06

リベラリズム旗手であったジョン・ロールズハーバード)は、原爆投下重罪論者であったようだが、特にフェミニストではなかったようだ

しかチャールズテイラーカナダ弟子ルースアビーオーストラリア)は、「ジョン・ロールズフェミニスト解釈」などのフェミニズム論を、ペンシルバニア州立大から出版した

ロールズフェミニズムを支持したかのような形になったということは、日本向けか

大学立地のフィラデルフィアは、アメリカユニテリアン協会本拠地である

日本フェミニズム論にもうっすらハーバードユニテリアン主義の影響が感じられてきた

結局、オボカタ・colaboなどの女性事件が生じているし、コレが正義ダ!と言っても、誤魔化し易い司法手続があるなら、正義は作られない 

 

先進的な女性イメージをばらまくカドカワユニテリアンぽいと思うが)の会長五輪疑惑逮捕され、何らかの贖罪をすることになるのかどうか

現実金持ち女性って、元軍人氏族とか家が太いがために業界大手入社できた人ぐらいで、数は少ないだろう)

Permalink |記事への反応(2) | 17:51

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2022-12-20

anond:20221219173109

●大筋では同意できる(「規範」「規範的主張」の理解についてはちょっと違うような気がするけれど)。

●ただ、「前提」として提示されている知識を知らなくても理解できると思う(というか、知っているとかえって混乱しそうな点もある・後述)。「正義原理に基づいた規範的主張」の意味が分からなくても、児童虐待がその例であることが読みとれればよいはず(ここがポイントだろう)。すなわち、「児童虐待に反対する人は、全ての人が児童虐待することに反対するに決まっている」ということは、おそらくほとんどの人が理解できるだろう。そして、それと同じことを(倫理的ヴィーガンもやっているのだという趣旨理解できれば、そこで両者に共通する要素が「正義原理に基づいた規範的主張」だとわかる(ひいては、「正義原理」の意味もなんとなく推測できるだろう)。これだけで、元ツイート「その、「他の人、あるいは全ての人がヴィーガンになるべき」という思考自体傲慢だし危険だし反社会的だし愚かだから嫌われるし未来永劫マイノリティのままなんですよ。」への回答としては十分であろう。

●(倫理的ヴィーガンの主張は功利主義によって正当化されることが多いという知識考慮し始めると、「正義原理」という文言にはかえって混乱しそう。というのも、一般的に「正義原理」と聞けばロールズ正義論を思い浮かべるだろうが、ロールズ正義論は功利主義批判しているからだ。それに、ロールズのやり方で(倫理的ヴィーガンの主張が正当化できるのかもちょっとよく分からない。谷口さんが、(おそらく)素人相手にそんなに難しいことを言っているとは考えにくい(もしかしたら本当に難しいことを言っているのかもしれないが)。したがって、この場合の「正義原理」を「その人の倫理的立場の基礎をなす(一般的な)規範的主張」というぐらいの意味(だと思う)」としているのには(とりあえず)同意できる。

●それと、「書いてあることをその通りに読めばいい」と言っているが、「演繹」という言葉ツイートには出てこないし、「正義原理」について倫理学知識がある視点に立ってしまってはいいか。上に書いたように、別に演繹」という言葉を知らなくても(また、「正義原理に基づいた規範的主張」の意味を知らなくても)ツイート趣旨は十分(推測によって)理解できると思われる。

Permalink |記事への反応(0) | 23:23

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2022-09-08

anond:20220908230355

女性は、差別されてきた牲。

男性は、差別してきた牲。

差別してきた男性が、お返しに女性から多少からかわれたところで、最低限のやむをえないアファーマティブアクション、あるいはロールズの唱える社会的公正の限度内と思いませんか?

Permalink |記事への反応(0) | 23:06

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2022-04-03

うちの市の図書館ロールズノージックの本を一冊も置いてない

そのくせどうでもいいような大衆小説たっぷりあって、概要まとめの入門書ばかりを取り揃えてる。

かなしい

Permalink |記事への反応(1) | 16:23

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2021-10-21

anond:20211020195631

長文返信ありがとう。せっかくなんでこちらの記事に返答書いてきます

反論一辺倒になるのは俺も好きではないので相違点を明らかにしながら応答する形で…

 

マズロー意図してなかった

自己啓発でよく名前の上がるマズロー名前は知ってるけど今回の話題の整理にぴったり来るものではなさそう

俺が言ってる「人類が元来持っているもの」は社会契約論の「自然状態」とかロールズの「原初状態」が近いんじゃないかと思う

(我流で考えてるんで他の思想家でぴったり来る何かの概念が思いつかない)

 

マズロー欠点は z1h4784 の示すとおり欲求の分類が恣意的曖昧なところで、

この曖昧な分類を元にした「生理的欲求」を否定されることがすなわち俺が再々言ってた「尊厳を損う」ことではないです。言葉足らずだった

とにかく、俺のこの内から来る欲求メディアの介在で変更可能だと認識したり極端な話薬で安易に除去したりしてほしくない、

それは↓こんな世界とほぼ同一だ、と言いたかった

https://t.co/YsrzqvXwWx

(リンク先、ちゃお読み切り笑顔世界」)

 

人によって暴力の線引きが違うという意見には同意

こちらの意見、俺と z1h4784 で同意が取れているかと思ってたら違うという認識だったので意外。

「性暴力性搾取」と「搾取暴力を伴わない性欲や性行動」の線引きは人によって大きく異なる

 

特に性に関する話題は誰が誰に対して行動するかで価値が大きく変わるので、本文中や追記に「人によって線引きが異るよ」と主張したつもりだった

先程の夫婦生活から言うと隣の旦那に性欲を向けられるのはたまったもんじゃないと思うが隣の旦那が隣の家の妻に性欲を向けたって問題ない

はてな内では総論では性欲≠性暴力だっていう合意は取れてても、各論に入るとぐちゃぐちゃになるんだよな

今回の話は共産党表現の自由規制から発したと認識してるんだけど、創作物であるポルノに対して

・性描写を見た時の不快感

・性描写を見てメディア強力効果を受け性的逸脱を行う可能

これらのものまで加害・暴力に含める人間が多いんだよ

それらは加害ではないということを主張したい

こういうの、「どの程度のもの不快か」については人によって線引きが違うから調整しなきゃいけないって話なんだろうけど

ネットみたいに情報制御やす環境では、「私はこのくらいの性的刺激が好みです」とリコメンドしたら

それに沿ったコンテンツが見れるくらいの環境を整備するのが、自由主義的でいいような気がする

 

悪扱いと制限の違い

こっちは認識が違うとストレートに感じる部分

自分制限されたら嫌だと思っていることを意に反して制限されたら「勝手に悪に分類された」と感じるだろうが、関係ない物事制限されてもそうは感じないだろう。

これはそうではなくて、「状況が許されたら自由享受するのがあるべき姿」なのが非悪(善とまでは言わない) 、「状況が変わってもない方が望ましい」のが悪だと認識してる

コロナ禍で山岳救助とかやってられるか!入山禁止な!」という例なら、コロナ禍が収まれば当然自由に入山できるのがあるべき姿だ

いじめについては正直どの状況がクリアできればそれがあっても望ましいのか想像もつかない

性的欲求はどうか?個人個人理想欲求享受できる場があれば、それはあるべき姿だと思ってる。それはバーチャル空間ポルノかもしれないし、潤沢に用意されたフィクションかもしれない

共産党表現規制は、この欲求をあるべきでない姿だと認識しているように見える。それが悪扱いだ

ここに反対したい

 

現時点での制限をどこまで妥当とすべき?

とはいえ現在技術的な問題が残っている状態なのでいくつか他者不快にも配慮しなきゃいけないのは認識がある

近所の小学校の数百メートル先にエロゲショップがあり下校中の小学生ポスターを見ていたりするのはこれまずいんじゃないのと思っている

直近ではここら辺あたり、オタクの間でも賛否は別れたはず。

https://togetter.com/li/1426932

俺としては秋葉原の町並みはゾーニングの中で許容範囲だと思うが、

これが一般的小学生が一人で移動を許される学区内でもOKかと言うとさすがにNG

 

これがどこまで線引きがOKなのか俺個人も明確な答えがあるわけではないが、

昨今のコンテンツの中でエロではないという線引きが最も合意された例がウマ娘なんではないか

このコンテンツ馬主意向エロ二次創作ができない状態だが、現在のところ大きな禍根なく運用がなされている

多少の露出度はあるかもしれないが、このレベルなら健康アピールしている範囲であって公共の場で認められると俺も思っている

https://gamewith.jp/uma-musume/article/show/287905

https://gamewith.jp/uma-musume/article/show/284507

(水着イベント衣装とかは12歳以上のレートになっているので少し厳しいかもしれない)

 

恐らく今後、こうした擦り合わせをどこかで行っていくのだろう

-------------

[おまけ自分立場]

自分語りは苦手だけど、立場を明確にすると表現の自由はなるべく尊重したい立場

あと、漫画アニメもよく見るけどエロゲーは実はそんなにやったことないです。フルプライス結構高くない?

ここに自分立ち位置記載してるからわかりやすいか

https://anond.hatelabo.jp/20210906214432

Permalink |記事への反応(1) | 13:58

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2021-06-07

フェミニストがゆるせない

んだけど、その他に僕が憎悪している相手リストアップして共通点を探ってみる

ウヨ

一般的バカウヨ

いわゆるネトウヨが嫌い。テキトーなこと言って自国礼賛をしているバカは生きている価値が無い。百田尚樹を愛読してるような奴。あと、歴史修正主義者や余命信者は論外。こいつらは、頭が悪いから大嫌い。

ネトウヨ自称ヲチャなど

ピラホロごっこかに興じてた、ハン板にたむろってたようなネトウヨが嫌い。あれは、あまりに恥ずかしいだろ。痛々しいオタクとか見たのと同じ嫌悪感が出てくる。

あと、自称ヲチャーとか言ってるやつら。こいつらも同じで、見てて居たたまれないオタクネタとかで偉そうなこと言うからからマジで勘弁して欲しい。銀英伝とか攻殻機動隊引用したり、身内で位階作って褒めあったりしてるの。あれを良い大人が真顔でやっているというのが、噴飯もの。とにかく存在が恥ずかしい。

ビジウヨ

もちろんビジウヨも嫌い、平民とか。ほんこんみたいなウヨ芸人はただただ見苦しい、偉そうなこと言う前に学位とれよ。

これは保守系政治家などにも言えることだけど、さんざん道徳だの愛国心だのエラソーなこと並べ立てておいて、その実、クソみたいな行為に手を染めていたりする連中が特にクソすぎる。ネットでエラソーなこといって配信していたボウズPを名乗る者が、シャブポンプで捕まったりね。今、バッジらしいけど。アホな有権者にはお似合いだ。

まあ、顔出ししてないまとめサイト運営者とかは、まだ許容できる。単なる商売だと割り切れるだけマシ。

厳罰主義者

死刑賛成論者とか、厳罰主義者が大っ嫌い。あくまで、国家刑罰を行うのは、その人を更生させて社会復帰させるため。被害者大衆が、厳罰下してスッキリしても、特に何も得るものが無い。そんな単純なことにも気づかず、自分のクソくだらねぇお気持ち国家刑罰権を扱おうって言う料簡が全く許し難い。可罰感情というのは、感情に過ぎない。

これは、いわゆる保守系応報刑信者もそうだけど、性犯罪者厳罰を求めるフェミ系もそう。国家は、お前らの厳罰オナニースッキリするためのズリネタではない。頼むから死んでくれ。

思想

ハーバーマス

ハーバーマスが大嫌い。こいつが諸悪の根源思考実験の積み重ねで論理を作ってきたリベラル系譜にとどめを刺したクソ左翼社会契約論の自然状態にせよ、ロールズ無知のヴェールにせよ、そんなもの存在しないなんてことは、百も承知。こういう架空の前提の存在否認したあげく、じゃあお前の判断基準が何かといえば「公共圏」。おいおい、ふざけんなよ。

結局、公共圏なんて吊し上げ大会しかならないし、それは学生運動で痛い程わかっているはずなのに、自分を持ち上げる学生運動を切って捨てたクソ野郎ハーバーマス。そんで、アイディンティティポリティクスへの道筋もつけた。マジで万死に値する。今の政治的対立諸悪の根源はこいつ。

バーク保守主義

単なる多数派独裁。無批判伝統を受け入れるだけのゴミ以下の思想。未開の土人カッペのジジババ、あるいは胡坐をかく無能貴族正当化するためだけのカス消滅した方がいい。

コミュニタリアン

ハーバーマスの最悪の部分とバーク保守主義のマシな部分を合体させたウンコ上ゲロ以下の何か。サンデルとかありがたがってるバカは三回ぐらい死んだ方がいい。

リバタリアン

暴力なしでなんとかできるとかいうのがおこがましい。南米司法権が及ばないカルテル支配地域とかで暮らしてほしい。管理された暴力のありがたみがわかるだろうよ。

嫌いな奴ら

このへんは、まじで許し難い。

Permalink |記事への反応(5) | 22:52

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2021-05-31

anond:20210531011102

ってか未だにそこで止まってるのかという感じだよな。

現代だと資本主義に対する批判って、ロールズ正義論とかそれに対するサンデルリベラリズム正義限界とかその辺踏まえてするもんでしょ。

日本は左も右も時が止まっているのでは。

Permalink |記事への反応(0) | 01:38

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2021-05-03

anond:20210503122056

ルソー社会契約論』

スミス国富論

ベンサム道徳および立法の諸原理序説

ミル功利主義論』

マルクス資本論

ケインズ自由放任終焉

ハイエク『隷従への道』

ロールズ正義論』

サンデルリベラリズム正義限界

この辺読んでおくとTwitterはてなによくいる自分が何者かもわかってなさそうななんちゃってリベラルにならないで済む気がする。

Permalink |記事への反応(0) | 12:43

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