
はてなキーワード:レントゲンとは
先日、酔っ払いに殴られた、6発
警察も来てその場で逮捕、パトカーに乗る寸前まで暴れ、往生際の悪さに少し笑った
翌朝殴られたアゴがカクカクする、一応病院に行って、レントゲンも撮って、骨には異常がないことを確認してもらった
幸い痛み止めを飲んだり、固いものをたべないようにしたりすると1週間程度で治った
少し時が経ち、相手が示談したい、と言っていると警察から連絡があった
まあ痛みも引いたし、誠心誠意謝ってきて、病院代に少し色をつけた金額を出してくれるなら示談にしてやろう、と思っていた
電話で話をしたのだが、第一声が酒に酔って覚えていない、という言い訳、まずは謝れよ
その後謝ってはきたが誠意が無いのが伝わってしまった
示談をしたい、という話で電話をしたのに示談の話は一切しないので、こちらから持ちかけてみた
実害が出ているし、正直謝罪だけじゃ許す気にはなれない、示談について弁護士の方と話したりしたんですか?と伝えると相手は豹変した
弁護士を雇う時間もなかった、お金を取りたいのか?お金も資産も何も無いぞ、と言い始めた、お前が殴ってから3週間くらいあったやんけ
挙句、私のせいで歯が折れて、足も怪我してしまったという、私は1発たりとも殴ってはいないのに
今は元気で話が出来る程度の軽い怪我だろう、人を殺してないだろう、と開き直られたりもした、いくら欲しいんだ?100万か?と煽られもした、お金ないんちゃうんかい
俺にも生活がある、とか、こちらの事情を一切くまず言い訳と保身に走る、そのような態度で示談が成立すると思っている頭に驚いた
示談というのは大抵、謝罪と誠意があって成立するものであると認識している
その誠意が、お金であったり物品であったり、はたまた指であったりして、それで手打ちにしてくれないか、というのが一般的な認識であろう
相手が言うには、私も相手も相応の怪我をしたので喧嘩両成敗にしろ、そうしないならこの時間は無駄だね、警察とよく話し合ってくれよ、と言うのである
こいつ民事と刑事の違いすら分からずに示談とか言い出したのかよ
もう住む世界が違う、お金の有無は分からないが少なくともモラルと知性、思いやりの気持ちは無いのだろう
診断書をとり、警察署に出向き、被害届を出したとて、傷害と器物損壊程度なら執行猶予が関の山であろう
30万程度取れれば御の字であろうか、弁護士を立て、弁護士費用を差し引いたら私の手元にいくら残るのだろうか
そもそも、支払い能力がなければ弁護士費用は私持ちなのだろうか
もうやめた!と投げ出せればいいのだが、どうも相手の態度が気に食わないのである程度痛い思いをして欲しいのでそうもいかない
なぜ私がこんな思いをしなければいけないのだろうか
無敵の人とはよく言ったもので、太刀打ちできないのかもしれない
諸君らの名案があれば教えて欲しい
・誠意がないなら刑事でやってもらうしかないぞ相手は懲役チラつかせないとビビらねえタイプだろ
とりあえず自分なりに調べて、損害賠償命令制度ってのを使ってみようと思う
弁護士に聞いてみたりするけど、不起訴や起訴猶予になったりしない限りはこれが一番楽っぽい
とりあえず刑事で、絶対不起訴や起訴猶予にすんな、懲役が罰金か執行猶予かはどうでもいい、ってことは担当の警察官に伝えようと思う
と書いたあとで気付いた、多分コイツ資産もなんも無いし嫁も子供もいないんじゃないか?
懲役?そんなもん行ってやるわい!どうせ日雇いのその日暮らしで前科ついてもええやろ!!どうせ棺桶に片足突っ込んどるし!!みたいな
懲役上等、罰金上等の無敵の人に脅しが通じるわけが無い、そもそも社会的にも経済的にもダメージはゼロなのである
再度頭を抱える増田であった
・増田氏も反撃したのではないか?歯が折れたっていうし、酔っ払いに6発なぐられっぱなしってのも考えにくい。
・トラブルになって、相手もケガしてるようですが、相手はいつケガしたのですか?
それが殴られっぱなし、歯が折れたってのもどのタイミングやねん、って感じ
私も酔っていたのもあるが記憶違いでないのは警察が防犯カメラを見て確認済
そもそも反撃したのなら、私も悪かった、手打ちにしよう、と言うよ
・交通事故の保険屋が良い例だけど、原則として加害者と直接話すのは避けた方がいいと思う。事態を悪化させるか徒労に終わるだけで、碌な事にならない。
今回の件で本当に痛感した
まさか誠意のこもっていない謝罪のみだとは思うまい、今後の糧にする
・「その誠意が、お金であったり物品であったり、はたまた指であったりして、それで手打ち」。指で手打ちにするような稼業のおひと?
指と手打ち、さらに手を出された(殴られた)のシャレのつもりだったんだ
分かりにくかったな、もう少し腕を上げて再挑戦するよ
・後学のためにも、示談や諦めるのでなく、民事でも刑事でも手続きを進めてほしい。証拠の残らない喧嘩等ではなく、警察も確認済みなのであれば尚更。少なくとも それが一番相手へのダメージになる。
付け焼刃の知識なのだが私が診断書を提出すると、暴行事件から傷害事件にランクアップし、相手へのダメージも大きいらしいので今は診断書を取る準備をしている
・ 誠意の有無は別にして示談を向こうから持ちかけてきたってことは少なくとも刑事は取り下げしてほしいはずで無敵の人ではないのでは?(警察官あたりから示談を教唆されたのでなければ)
示談をしたい、と言ってきた時点で同じことを思ったが、示談が民事であり、警察が介入できないことを理解していない時点で本人の意思で示談しようとしたのではない、と感じた
普通なら示談するために謝罪以外の何かを用意すると思うのだがそれすらしない、その話をすると激昂するというのは余程の世間知らずか、示談した方がいいんじゃない?と言う言葉に対し生返事をしたのだろう
6発殴っただけで相手は救急車も呼んでいない、大したケガでないし謝れば許してくれるよ、とでも知り合いに言われたのだろうか
私の物差しでは測れないような人なので確信は無いが、何となくそんな感じがしている
まあ、今度警察署に赴く際に聞いてみることにするよ
Permalink |記事への反応(11) | 20:04
で?
AI に置き換わるんじゃないんですかー? すかー? すかー? w
IT人材って、ディスプレイの前に頭が一つ据えられてればいいってものじゃねーんだわ。
ってそこら辺歩いてる兄ちゃんにキャッチボールやらせてメジャーリーガーに仕立て上げるの、無理でしょ?
人間、できることとできないことがある。
リスキリングすりゃなんでもできるようになる。
わけがない。
今ですら、IT人材っていう名札つけてるだけのポンカンがドヤ顔してディスプレイの前に鎮座してて、「地獄のスパゲティ☆フジツボ重ね♡」を粗製濫造してるのに、これに加えてスパゲティを茹でることもできない「人材」がAI担いで入ってきたら、崩壊する。
現に米の国ではAIベビーシッターとか想像通りの仕事が増えつつあるようだし。
ちょっと想定よりは早かったな、という気がしなくはないけど、それだけ調子に乗ってアホみたいにAIでコードを大量出力させたんだろう。
建築とか機械とか、実際に物理的な構造が見えるものと違って、システムは目に見えないロジック、タイミング、リクエスト、データ移動の塊。
それが見えない、気付けない、考えられない人にはそんな世界があるとか想像もできないから、できる人との差が認知できないのよな。
そんなのが、自分が見える範囲で生成AI使ってプログラムをよってたかって大量生産するってのは見えない力を弄ぶようなもので、デーモンコアとか違法投棄されたレントゲンの放射線源をいじくり回しているようなもの。
死ぬで。
見える世界の差ってのは、街角の将棋愛好家の読み手と、A級棋士の読み手の差と言ってもいい。
「俺も藤井7冠と同じ、初手7六歩だと思った」
の、「俺の7六歩」と「藤井7冠の7六歩」は、結果だけ見りゃ同じ「7六歩」でも、その裏の読み手の厚さ、裏付けの差は圧倒的なんよ。
で、何? 79万人?
これでメンテに手間暇がかかるコードを大量生産したら、さらに人が足りなくなるんだよ。
んだよ。
猫の定期検診をしたとき、いい歳なのでレントゲンも撮ってもらった。
特段大きな問題はなかったのだが、腰が悪いらしい。
高いところへのジャンプが辛いだろうがその兆候はあったかと医師から聞かれたが、ずっと一緒にいるのに全く気づかなかった。
うちは出窓に寝床を作ってそこまでキャットタワーから登れるようにしている。これが問題ないのか気になったが、小さな段差であれば大丈夫で、猫も飛びたがるし問題ないとのことだった。
いつから腰が悪かったのか分からないが、もしもっと早く気づけていたら何か対策が打てたのかも。もっと楽しく飛び跳ねられていたのかも。私の知識がないばかりに苦労をかけてしまったのだと思うと辛い。
かかりつけの歯医者から、いつか絶対虫歯になるから抜きましょうって言われてた。
言われ続けて早5年。なんか疼いてきたので紹介状貰って病院に行った。
嘔吐反射がきつくて全身麻酔でお願いしたら2泊3日の入院になった。
10時入院。ベッドに案内されアレルギーについてしつこく聞かれる。
4人部屋。ほかの人たちからは放射線治療とか、脳に腫瘍とか聞こえてくる。
以前ロキソニンで10日以上の便秘になったのでロキソニンは変えてもらう。
ベッドに横になる気になれない。スマホのYOUTUBE か3DSのテトリスで気を紛らわせる。
晩飯、骨の一切ない焼き魚、おぼろ豆腐。普通においしい。ここから絶食。
布団が分厚い。少し寒いがタオルケットだけで寝る。ほかの人がトイレに行くだけで目が覚める。
手術は4人目。16時開始予定。昼から点滴。
この時点ですごい怖い。3DSのテトリスとカルドセプトが無かったら耐えられなかった。
気を紛らわせるには反射神経と両手を占有するテトリスが最適だと思った。
予定が押してるのか18時開始。病衣に着替えて手術室に歩いてく。髪の毛キャップをかぶり無影灯のベッドに横になる。
心拍数は100ぐらい。酸素マスクをつけて深呼吸する。麻酔が流されて気を失う。
なんか楽しい夢を見てたら目が覚める。終わったらしい。すごい解放感。痛みはあるが終わったことの喜びが大きい。
いろんな管を外されてベッドに移動してもらう。20:45妻に終了の連絡。
2時間たって水と痛み止めのカロナールを飲む。さらに2時間後トイレに行く。2時間おきに看護師さんが血圧と体温を測りに来る。
術後4時間で流動食は食べられるらしい。残してあったが断った。
病室に戻って身支度。退院が早かったので会計が間に合わないとのこと。次回払う。費用はだいたい10万円。
先生の診察。レントゲン確認して抜歯の予定決めて終了。10時退出。
痛みはまだ全然耐えられるレベル。モノ食べてるときは痛むけど、普段はあんまり感じない。
たかが親知らずでここまで丁寧にやってくれるのは、今の日本でしかありえないなと思った。
ありがとうございました。
重度の突発性難聴を発症してから、タイムリミットの一か月を迎えた。
結論からいうと、高圧酸素療法+ステロイドの組み合わせによって、少しだけよくなった感じだろうか。
1000Hz以上の音が100dBぐらいではあるが聞こえるようになった。
平均的な日本語の周波数域が125-1500Hz、英語の周波数域が2000Hz-12000Hzらしいので、日常会話のギリギリ上限ぐらいが聞けるぐらいだろうか。
女性の高い声は聞きやすいが、男性の低い声はちょっと聞き取りにくいぐらいの感じかな。
音楽も低音のベースは聞こえないけど、普通の楽器の音色なら結構聞けるようになりました。
どちらにしても、聞こえる方のもう片耳で拾えばいいので、不便ではあるけど致命的ではない感じかなあ。
//全身ステロイドはステロイドパルスとは厳密には違うという指摘を受けたので、全身ステロイド療法と変更します。
初期: すべての周波数が聞こえない
ステロイドの鼓膜内投与を毎日1週間: やはり、すべての周波数が聞こえない
高圧酸素療法+ステロイドを毎日1週間: 3000Hz(100dBで聞こえる) 4000Hz(110dBで聞こえる) 8000Hz(95dBで聞こえる) 一方、他の低音は聞こえない
高圧酸素療法+ステロイドを毎日2週間: 1000Hz(105dBで聞こえる)2000Hz(110dBで聞こえる) 3000Hz(95dBで聞こえる) 4000Hz(110dBで聞こえる) 8000Hz(95dBで聞こえる)
やはり、高圧酸素とステロイドの組み合わせは意味がある。ってはっきりわかんだね・・・。
耳鳴りの音はやはり日による。
でもこれはもう慣れるしかない。それは前に急性感音性難聴になったときから理解している。
これをなんとかしてくれと言っても、どうせ最後にはデパス渡されるだけだ。現代医学では無理だからデパスでも飲んで寝てろみたいな感じ。これを昔された時には悔しくて泣いた。理不尽だが慣れるしかないと悟っている。日によって静かな時もあれば少しうるさい時もあるが、そういうものだと思うしかない。
下り階段も普通に降りれる。歩き初めのふらつきもかなり解決された。
1か月たったので治療はこれで終わりになってしまったので、あとは補聴器とかそういう話になるのかな。
CHatGPTによると、100dBぐらいの重度難聴のケースだと、超パワー補聴器(スーパーパワー補聴器)が必要らしい。
普通に買うと片耳20-30万円程度。公的補助があれば数万円だが、片耳は正常に聞こえるので身体障碍者手帳はおそらくもらえない。
後悔としては、やはり初期から高圧酸素療法(HBOT)を使っていれば・・・と思っている。
特に、回復する可能性がより高い最初の2週間の急性期からHBOTを併用していたら、もっと良い未来があっただろう。
あの2.6倍よくなる可能性が高いという論文をもっと早く見つけていれば・・・というが悔やまれます。
この病気にかかった方は、ぜひ初期からHBOTが使える医療機関にかかり、初期からステロイドとの併用をされれば、完全回復への道があるのかもしれませんね。
https://www.juhms.net/anzenkyoukai/shisetsu/kantou/
https://www.juhms.net/hbo/ninteishisetsu/
前の項目にも書きましたが、高圧酸素(HBOT)は1回1万円程度(3割負担で9200円)、高額だけど限度額申請が通れば当月はそれ以降0円になるので、負担はそこまで重くないはずです。
ただし、毎日通って、治療に2時間ぐらいかかるのが難点ではありますが、耳が生涯聞こえなったり不自由になるよりはマシでしょう。
これをゲーム風にいうと、ステロイドに高圧酸素のバフをかけば2.6倍効果的って感じですかねえ。
死にかかっている内耳の神経に対して、回復の薬を届けるときに、高圧酸素でバフをかける。
HBOTは、DQで言えばバイキルトであり、FFでいえばヘイスト、FF5調合のサムソンパワーやドラゴンパワーであり、女神転生でいえばタルカジャであり、ぷよぷよの元ネタでいえばダイヤキュートである。なんかそう思うわ。
バフをかけて殴るという王道の戦略を取るのは正しいと思うので、これが標準的な治療方針になってほしいものだわ。
また、高圧酸素の需要が増えれば、多くの医療機関でも導入されるようになるだろうし、価格競争も起きるんじゃねと思う。
今は小さい町医者のクリニックにすらレントゲン室があったりするし、この手の機器の需要が高まり、値段が下がり多くの医療機関で最良の治療が受けられることは、多くの人に恩恵があると思うんよね。
あー私も痛いです。かなり前にしゃがめなくなって、そのときは総合病院でレントゲンだけとって、
かなーりたって、今めちゃ痛い。幸いなことに歩けるんだけど、
前屈姿勢を続けたらかなぁ、めちゃくちゃ痛い時があって。困ってます。
多発性腫瘍はぼこぼこ再発してるし、前の手術跡は問題ありで10年前から体調悪いと出血する。
でも元気に見えるらしい。
母の友人で膝関節の手術受けた人が立てなくなり、車いすになって施設に入ってらしたよ。
綺麗でしっかりした方だったけど施設変わられたのでそののちは知らないの。
いろいろ口コミ調べて、執刀回数と得意な手術とかグラフになって報告されてる病院とかもあるし
俺も難病だが、一度目の発作時はやはり誤診だった。その1年後くらいに発作があり難病が発覚、今まで悩んでた諸症状は難病のせいだとようやく判明した。難病は症例少ないからなかなか診断つかないんだよな。
誤診した医師にはつらくて腹立つだろうけど、20年前と技術も違うしね。当時はまだレントゲンを蛍光灯で見てたでしょ。いまはデジタルで解像度は段違いだし、CT断層画像もかなり一般的になってきた。
人工関節も進化してるだろう。20年前よりいいやつがつくなら良いじゃない。あとは同じ症状で悩んでる芸人とか見てると元気出る。
同じ病気やで。レントゲンで異常が出てるレベルなら確定で良いと思う。
病気って診断がつくまてが一番しんどいと思うねん、ようがんばったな。ウォーキングは一旦控えとこか。
そして、病気は病気や。うまく言語化できないけど、命に関わらないからマシだとかそういうカテゴライズはあとからついてくるもので、病気は病気だし、手術は不可逆的な体の変化なんや。だから主はそれを嘆いたり悲しんだりしてええんやで。
私は人工関節ではなく骨切りを選んでいまもリハビリに通ってる。一緒にがんばろな。
よかったのかな。
特発性大腿骨頭壊死症。
大腿骨の付け根が壊死して、そのうち激しい痛みと歩行ができなくなる病気らしい。
原因と治療法がないために難病とされていて、人工関節に置き換える手術などが必要らしい。
もともとヘルニアがあって、足の痛みはそのせいだと整形外科の先生に言われたのが20年近く前。
その時は股関節のことなんてろくに調べてもらえず、ヘルニアの手術をしようと紹介状を書いてもらったのに大病院の大先生に門前払いされてしまったことが原因で病院嫌いになり、それ以降は自己流の保存治療を続けていた。
ぎっくり腰の症状が出ている中、やっとの思いで病院にたどり着き、待合室で予約時間から2時間以上待たされた挙げ句、ろくに話も聞いてもらえないで5分で追い出されたときの惨めな気持ちが分かるだろうか。
手術にリスクがあることくらい100万回調べた上での覚悟を持って望んだのに、ろくに人の話も聞かないで「今はそんな状況じゃない」とだけ言われた。
予想すらしてなかった一言に何も言い返せず診察室をあとにした。
紹介状を書いてくれた整形外科の先生が太鼓判を押す名医から言われたのだからそれが正しいのだろう。
何度も自分を納得させようとしたが、腰に痛みが走るたびにその時のことを思い出して奥歯を噛み締めた。
そんな事もあって、それからの20年間はちょっとした痛みなら耐えることが当たり前になっていた。
あまりにも痛みを表に出さないので、知人からすっかり腰痛は良くなったものだと勘違いされたこともある。
そんなわけ無いだろ。毎日痛みと戦って、自分に今できることだけ必死にやってるだけだ。
医者が当てにならない以上、そうやって自らを奮い立たせる以外にできることはなかった。
だから、足の痛みも、自分の努力が足りないのだと、筋トレやウォーキングの頻度を増やすことで解決しようとしていた。
ところが、それとは反するかのように、足は毎日少しずつ痛みを増していった。
1年前は痛みなく歩けたのが2万歩だったのが、段々と数千歩でかばうような歩き方になって、今はひどいときは寝起きから片足を引きずるような状態だ。
これではあまりにも日常に支障があると思い、とうとう観念して整形外科に行ってみることにした。
勢いのある若い先生も、最初は人の足をアチラコチラと動かしながら「臀部のストレッチ不足ですね!」なんて決めつけてたものの、念の為撮ったレントゲン写真を観て空気が変わったのを感じた。
一言目は「ここではこれ以上診断できないので、大きな病院の紹介状を書きますね」だった。
さっきまでの自信と勢いはどうした。
左足の大腿骨に比べて、右足大腿骨の付け根部分(骨頭というらしい)が明らかにまだらに透けているのがわかった。
「写真を見る限りこの部分が壊死をしていることで痛みが生じています。恐らく、というか間違いないと思いますが、これは難病に指定されている病気です。」
正直、この人は何を言っているのだろうと思った。
足の痛みはヘルニアが原因で、そのヘルニアは手術するような状況じゃないと門前払いされて、その後ずっと耐え続けてきていよいよ耐えられない痛みになってきたのだから治療すべきはヘルニアだろう。
ストレッチや筋トレなどどうしたら痛みがなくなるか問いかけてみても、医者は「今ここでできることはもうないです」ときっぱりと答えた。
どこの病院に紹介状を書いたらよいか問われたので、ひとまず調べてから改めてお願いしたいといい、その日の診断は終わった。
それで今増田を書いている。
やはりまだ現実を受け入れられていない。
信じようとした医療に見捨てられてそこからは根性論だけで痛みに耐えてきた。
はてなに長寿のために何万歩歩けという記事が上がってくるたびに、そんなものは歩くことができた人間が語るだけの生存バイアスだと苛立った。
その反面、痛みごときで死んでたまるかと意地になって歩き続けてきたことが、むしろ自分の肉体を使用期限を短くしているだけだった。
この20年近く、ある意味生きる原動力になっていたような憤りはどこに向かえばよいのだろう。
ありきたりな言葉で言えば、なぜ自分がこんな目に合わないといけないのだろう。
整形外科の医者が言うには、恐らく人工関節に置き換える手術になるだろうとのことだった。
今まで腰痛以外に大きな病気もしてこなかったので、手術という響きにもそこそこの抵抗感がある。
しかし、やはりそれ以上に、ここまで痛みに負けないぞと自分を奮い立たせて努力し続けてきたことが徒労だった事実に心が折れそうになっている。
頭の中で雑音が響くたびに、「よかった?なにがよかった?今まで散々痛みに耐えてきて良くなると信じて頑張ってきて、その全てが無意味だったのに?」とまた別の雑音が脳をかき乱した。
紹介状を書いてもらったとして、これでまた誤診だったり門前払いにあったりしたら、自分の心は耐えられるのだろうか。
逆に思っていた以上に深刻な状況を言い渡されたらどうすればいいのか。
仕事が手につかず2日かけてちょっとずつ書き足しつつ増田を書いたが結局何が言いたいでもない自分語りにしかならなかった。
この虚無感とどうやって向き合えばよいのだろう。
なんかごめん。みんなあったかいよ。
確かに20年前に見つかったからってその時の症状で手術するかと言われたらしなかったと思う。
20年前の痛みと自分の中では連続しているつもりだけど、別の要因だった可能性だって当然ある。
腰痛は相変わらず生活を制限してて、でもあのときの若さで手術するほどじゃないっていうのは医者の言う通りなのだと思うのだけど、せめてもう少し寄り添ってほしかったと思うよ。
その時のみじめさが思い出されてこれから大きな病院に行くのが不安でしかなかった。
自分はこれほどつらいのに、あの時はその道のプロからそんなものは大した痛みじゃないって言われたんだよ。
それで頑張って痛みに耐えてきたら、今度は難病ですって言われて、はいそうですかってすぐに納得できるほど人間ができてればよかったのかな。
ちらしの裏に書いた愚痴にこんだけ寄り添ってもらえただけでも運がいいのだと思う。
珍しい病気だけに身バレしたくないけど誰かの希望になるようなことがあれば書いてみようと思うよ。ありがとう。
Permalink |記事への反応(25) | 10:24
初潮なんてそれまでの短い人生の中では最も印象深い出来事の一つだろうに、全く覚えていない。私はこんな風に、たまに不安になるくらい子供のころのことを覚えていない。
でもまあ、中学の時点では始まっていたと思う。プールの授業を見学していた記憶があるから。
肌が弱かったので、蒸れたり濡れた感じがしたりというのが不快だった。ちなみに神アイテムのウィスパーは1986年に発売され、2018年に販売を終了したらしい。自分で生理用品を買うようになってからはずっと使っていて、でもこの記事にある通り近年はソフィとかの方が快適だったので買ってなかった。長年お世話になりました。
生理痛も出血量もひどい方だったと思う。高校時代、部活のお使いで生理2日目に電車ででかけたとき、あまりに生理痛がひどくてホームでしばらくうずくまっていたのをいまでもよく覚えている。貧血もひどくて、鉄剤を飲んでいたのでいつもお腹が緩かった。
高校時代は水泳部で、タンポンの使い方を覚えた。母親は何も教えてくれなかったので(聞かなかった私も悪いが)、生理関係は水泳部の友達にずいぶんと教わった。
大学時代の生理の思い出は特にないな。ただ、とにかく定期的に来ていたことは覚えている。ほぼぴったり28日周期。1日目が一番生理痛が重く、2日目が出血のピークで5日くらい続く。そんな感じ。生理痛はひどくても薬を飲むのに抵抗があったので我慢していた。いま思えば普通に病院に行って薬をもらっておけばよかったのだけど、自分のその状態が異常だとは思っていなかった。小さいころ薬で蕁麻疹が出たことがあり、よほどのことがない限り薬は飲みたくなかった。いまならためらいなくバファリンを飲む。マジで楽。
生理との付き合い方がガラリと変わったのは30歳直前、海外に出てからである。ある事情で2年ほど海外で過ごすことになり、薬局で普通に売られている低用量ピルを飲んでみることにしたのだ。
いやこれが楽。あり得ないほど楽。いままでの苦しみは何だったのかというくらい楽。血栓のリスクがあるのは分かっていたけど、結局帰国後も個人輸入して飲み続けた。この経験はのちに少しだけ役に立つ。
ピルをやめたきっかけは東日本大震災である。直接の被害はなかったものの家が被災して帰れず、それどころではなくなってしまった。まあ潮時である。
東日本大震災の時は奇しくも生理中で、避難させてもらった親せき宅に着くまで半日ほどナプキンが交換できずに膀胱炎になってしまった。避難先は病院が普通に機能していたので薬を処方してもらえてすぐ治ったものの、被災して膀胱炎に苦しんだ女性も多かったんじゃないだろうか。
ちなみにこのとき私はうつ病の治療中で、抗うつ剤と睡眠導入剤の減薬をしており、抗うつ剤は順調に減らせていたものの眠剤はなかなかやめられなかったが、自宅に帰った数日後にスッパリと辞めた。普通に震度5~6の余震が来るので、眠剤で眠りこけていたら死ぬからである。なによりも、日中気を張りすぎているのか眠剤が効いてくる前に眠れるようになっていた。でも余震が来ると一瞬でぱっちり目を覚ます。いま思い出してもあのころの精神状態は異常だった。
ピルを辞めてからも、生理はきっちり28日周期でやってきて、でも昔ほど生理痛はひどくなく、出血量も減った。ピルの影響なんだろうか。
出産後も割とすぐ生理は戻ってきた。母乳の出が悪く、産後1か月で完ミ(って久しぶりに書いたな!「完全にミルク」の略である)に移行したからだろう。
私はすさまじい産後うつで(そのときのことを増田に書いてバズった。皆さん暖かい言葉をありがとう。元増田は元気だろうか→https://anond.hatelabo.jp/20201012164343)、心療内科での投薬開始と同時に、生理前の気分の落ち込みがひどいということで、今度はちゃんと産婦人科でかつて飲んでいたピルと同じものを処方してもらった。不安なく飲み始められたのは若かりしころの経験のおかげである。ちなみに抗うつ剤も前と同じものを処方してもらった。こちらの方が恩恵がでかい。抗うつ剤は自分に合うものを当てるまでが大変だから(前回大変だったから)。
産後うつは投薬と休養、出産からの時間経過によるホルモンバランスの落ち着きにより2年ほどで寛解し、抗うつ剤ピルともに投薬終了。しばらくはまた規則正しく来ていて、生理痛は重かったり軽かったりだったが、5年くらい前、45歳から、周期が乱れ始めた。しかも、よりによって早い方に、である。
28日周期だったのが、26日、24日、23日・・と早まってきたのだ。普通に生理痛もあり出血量もあるのに、その頻度が増えたということ。おかげで旅行の予定がとても立てづらくなった。勘弁してほしい。
で、突然50日くらい来ないというときも出てきた。ついにあがったか?!と思ったらまた始まる。その繰り返し。若いころなら迷いなく病院に行く周期の乱れ方だが、この歳だと普通にあることなので判断が難しい。長年子宮頸が軽度異形成~異常なしをフラフラしていたので余計に心配だったが、定期検査では特に大きな異常はなかった。
そして、今年の4月26日、前回から21日後というだいぶ早い周期で生理が来て以来、今日まで101日間来ていない。
閉経の定義は、生理が1年間来なかったこと、だそうなので、正確にはまだ閉経とは言えない。ただ、なんとなく体型や気持ちの変化があり、もう来ないような気がしている。
正直、生理が来ないのは楽だ。ナプキンは信じられないほど進化しているとはいえ、不快なものは不快である。生理痛も、薬を飲めば落ち着くものの、ダルさまでは消えない。それがなくなったのだ。
ただ、これからは別の不安におびえることになる。まずは骨粗しょう症である。私はすでに同世代の91%ほどしか骨量がない。そして私の祖母はひどい骨粗しょう症で、90を過ぎて大腿骨を骨折したが骨がもろすぎてレントゲンに写らなくて固定ができず、でも折れた骨がこすれて痛いということで足を切断した。怖くてしょうがない。
ホルモンバランスの乱れというのもある。これは産後うつで嫌というほど感じたやつだ。2回もうつ病に罹っているんだから絶対にリスクが高い。
更年期障害も避けられない。どういう症状が出るかは分からないが、生活に支障をきたすようなのが来ないのを祈るしかない。
そして、いま強く感じているのは確実に死に近づいているという恐怖である。
出産後も感じたことだけど、明らかに生物としての役割を終え、後続に道を譲る時期が来ているのを感じる。
生理だけではない。関節は痛いし老眼は進むし、寿命にはまだあるかもしれないけど体はどんどん衰えていく。
子供を見ていると、年寄りから死んでいくのは全くもって正しいと断言できる。とはいえ死の恐怖が消えるわけではない。
だからいまは、せめて健康寿命を延ばそうと、せっせとストレッチしたり運動したりしている。
若いころからは考えられなかったが、1日に1時間は自分のメンテに当てている。
とりあえず自分の子宮および卵巣お疲れさま。13歳で初潮だとしたら、36年間、ブランクは多少あったもののずっと働いてくれた。こんな風に人生の途中から始まり途中で終わり、かつこれほど長い間続いたものは他にないと思う。無趣味だし。
Permalink |記事への反応(15) | 00:32
先月不妊治療のクリニックを夫婦揃って受診し、二人でいろいろ検査を受けている。
昨日主治医から「次の検査はコレ。来週来てね」と言われたのが卵管造影検査だった。
ざっくり言うと子宮の中に造影剤流してレントゲンを撮り、詰まりが無いか確認するらしい。
調べてみるもどうも痛みを伴う検査だそうだ。主治医は「ちょっと痛いかもしれません」と言っていたが、ネットで検査受けた人の感想を調べると「重い生理痛みたい」「全く痛くなかった」と人それぞれだった。
人によるとはいえ、自分がどちらになるかは当日受けてみないと分からないしなー。怖いなー。でもいざ妊娠出産となったら、比べものにならないくらい痛いだろうしなー。夫は出すもん出したら終わりでいいなー。
そんな気持ちでずっとネットで体験談漁ってたら土日が溶けた。不安に思っているからマイナス方面の感想が目につくだけだと信じて、何とか当日を乗り切りたい。
7年前の春、親に見捨てられ1週間軒下で鳴いてた子猫4匹を拾った
即日病院に連れて行って栄養剤を入れてもらったが、うち1匹は保たなかった。手のひらサイズの小さな命はあっさり行ってしまった
残りの3匹は当時ルームシェアしてた友達と24時間交代で2時間おきにミルクを飲ませ、排泄の補助をし、遊びブラッシングをした
3匹のうち1匹は引き取り手が見つかり残り2匹はルームシェアを解消する際それぞれが引き取った
それがうちの子が1歳のころ
それから6年いつでも一緒だった
うちの子は小さい頃から食事のえり好みが激しく、食べたくないものは絶対に食べないしお気に入りのものも次第に飽きてしまって食べなくなるのでずっとフードジプシーで体重もなかなか増えないしいつもほっそりとして、そんな中でもちゅーるとカニカマスライスのおやつは口をつけてくれるので毎日の最後の手段としてとてもお世話になった
元気に遊び、元気に排泄し、寝て、気に入らないご飯は放置して、好きなおやつを食べて
2週間ほど前から水を異常なほど飲むように
おしっこの量も増えた
猫に詳しい人ならシニア猫にありがちな腎臓病だとぴんとくると思う
人も同じだが、腎臓病に完治はなく食事療法など対処療法がメインになる
とりあえず腎不全むけのフードで食べてくれるものを用意して、水を飲ませるようにしてなんとか病院につれていける時間を作ろうとした
その間に猫の様子は少しずつ変わっていった
食事量はますます減って、水をますます飲むように。それでも遊ぶし飛ぶしで楽観視していた
3連休に入った頃
猫の様子が急変する
ご飯どころかちゅーるすらほとんど食べなくなり、じっと座っている時間が増えた
ジャンプが以前よりできなくなって歩く際もふらふらとしている
ふとした時に急に大声で鳴いて何かを訴えている
何も口にしていないのに突然ペロペロと口を気にし出す
焦った、焦ったが連休中もあっていつもの病院は予約が取れないしこの猛暑つれて出かけるのも躊躇われた
迷いながらもいつもとは別の病院へ
元々3kgない子だったがその時点で2kgを切っていて、咥内の診察では歯ぐきがしろく貧血だろうと言われた
血液検査やレントゲン、エコーと詳しくしらべましょうと言われ、2時間ほど預けた
診断は多発性嚢胞腎
腎臓内に嚢胞(水分のはいった袋)形成され、徐々に肥大し腎臓の機能を停止させてしまう
みせてもらったレントゲンは嚢胞が肥大しきって真っ白、エコーは嚢胞の数が多すぎてうちの子の映像は黒い穴だらけだった
フィルター機能がガバガバで体内に留めておかなくてはいけないタンパク質まで垂れ流しになっていると
そして腎臓は赤血球をつくる指令をだすホルモンをだすが、そのホルモンが出せないので貧血になっていると
そして脱水もある。あんなに水を飲んでいるのに
その話を聞いてる時点でそんなの生きてられないだろうとはっきり感じた
入院での延命治療や毎日の通院での治療も選択肢として提示されたが、私は自宅での看取り看護を選択した
看護といっても粗相をするわけではないので水を飲みたがったら用意してやり、時折フードやおやつを差し出し、鳴いたらそばで撫でてやり、嫌がる猫の口にシリンジをつっこんでに自己満足的にミルクを飲ませてやるだけだ
翌日からは水もほとんど飲まない。飲みたがるが目の前まで行っては飲まずにうずくまり、また欲しがるのを繰り返す
流れる水が大好きな子なのでいつもトイレのタンクから流れる水やキッチンシンクや洗面台に登って水を欲しがったが、もう跳べない。にゃあと鳴いて私に抱かれて登って、水を飲もうとして、飲めない
こんなに死のサインばかりなのに、まだ懸命に生きてる。呼吸をしている
まだ私に愛されようと鳴いて弱々しくすり寄ってくる
苦しいだろうに、楽になってもいいのに、生きようとしている
多発性嚢胞腎は遺伝子疾患らしい
片親が同様の疾患であれば子は50%の確率でこの病の遺伝子を受け継ぎ、そして必ず発症する
そんなこと思っても仕方がないのに
家で猫を看ている時間は一人で考えることが増える
どうしてこんなに急変したんだろう、もしかしてこの子の特性だと思っていたものは実は症状で若い頃から苦しかったんだろうか
病院に連れて行くのはストレスになるからと極力控えていたのは間違いで、もっと頻繁に連れて行くべきだったんだろうか
早期発見できていたとて、私は賢明に治療したんだろうか、いまでもこの子の苦しい時間が長引かないようにと思っているのに、その選択が取れたんだろうか
塩分と着色料を考えてそんなに頻繁にあげられなかったカニカマを差し出すと、食べたそうに匂いは嗅ぐけれど口はつけない
続き
そもそも増田は裁判所やメディアに嫌われてるらしいが、第〇生命や〇村不動産の顧客らに容疑がかかりそうな殺人を追及しているためだろう
尼では身に覚えのない定期便が追加されており(注文時刻のブラウジング履歴もなかったが)、回収業者に来てもらって玄関で応対したら、靴箱の上に置いたスマホが消えた、という事件が発生した。
回収業者が不審な動きをしたことはなかったように思うが、スマホにコールしても電源入ってないし、すっぱり姿を消して気味悪い。
野村證券でパス盗難が発覚とか、大本営発表のいうセキュリティがどう信じられるというのだ。誰が狙われてるやらだ。
鍵穴レントゲンでも取れば、合鍵だって作れるだろうし。福島原発を爆発させて、ガイガーカウンターの値を高くしておけば、放射線使ってもバレないよな。
<追記>
スマホは床にあった書類箱の中で、メモリいっぱいの状態で発見された。留守電が動かなかったということである。
書類箱は常に棚に置かねばならないことが分かった
ちゃんとした検査ができる大病院に紹介状とか書いてもらえば? 原因不明だと書いてくれないんかな?
専門医だと個人クリニックをやっていたとしても特定の日には大病院で勤務されているケースがあって、よくわからない場合は、大病院への紹介状を書いてくれたりするんよね。
手間かかるから初手で大病院に行きたいけど、紹介状がないと今は1万円ぐらい追加でかかるからねえ。
ただし裏技があって、特定の科に掛かりつけていると、他の診療科にも紹介状なしで初診料だけでいけるというものがある。
もし皮膚科で医者に定期通院しているなら(6か月以内に再診してもらっているなら)、大病院の方に変えるというのもあり。通院圏内ならば。
あとはAIに症状をプロンプトで丸投げてして、これはどの病気の可能性があって、何科に行けばいいのかを聞いてみるとかかなあ。
ただ、今のAIに医療診断を任せるのはさすがにリスクがあるからなあ。
何より血液検査やレントゲンの写真とかをAIは読み込めないしね。
17世紀、ドイツの錬金術師ヘニッヒ・ブラントは大量の人尿を蒸発させる実験中に、夜光を放つ不思議な物質を偶然取り出しました。これが元素「リン(黄リン)」の発見です。ブラントは「賢者の石」を求めて尿に含まれる未知の物質を探していましたが、その過程で思いがけずリンに辿り着きました。当時は元素概念すら確立されておらず、尿から得られた発光物質は人々を驚かせました。その後、リンはマッチや肥料、発煙弾など幅広く利用され、化学の発展に寄与しました。初めて人類が人為的に発見した新元素として、科学史に残る画期的発見です。
張衡が発明した地動儀の復元模型(国立科学博物館の展示より)。内部の倒立振子が揺れ方向を検知し、龍の口から玉が落ちる仕組みになっていた。
今から約1900年前、後漢の科学者・張衡(78–139年)は世界初の地震計「候風地動儀」を考案しました。酒壺のような青銅製の容器の周囲に8匹の龍、その下に8匹の蛙を配置し、地震動の方向によって対応する龍の口から玉が落ちて蛙の口で受け止める仕掛けです。132年、この装置は都では揺れを感じない地震まで検知し、数日後に遠く離れた隴西の地震発生を的中させたと『後漢書』に記録されています。当時としては驚異的な精巧さであり、内部構造の詳細は文献から推測するしかなく、現代の科学者が再現を試みても完全には解明できていません。まさに古代中国の科学技術の粋と言える発明です。
技術水準との乖離:2世紀に既に地震の方向検知装置を実現しており、同様の概念が西洋で登場するのは1500年以上後。
19世紀末、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンは真空放電管の実験中に未知の透過放射線に偶然気づきました。1895年11月8日、暗室で陰極線管に黒紙を巻いていたところ、2m離れた蛍光板がかすかに光る現象を発見したのです。彼はこの正体不明の光線を「X線」と命名し、妻の手を写した世界初のレントゲン写真を撮影しました。X線は人体や物体を透過するため医学への応用(レントゲン診断)を飛躍的に進展させ、物理学にも原子や放射能の研究など新たな道を開きました。当時の常識では考えられなかった「見えない光」を発見したこの出来事は、まさに幸運と洞察が生んだ科学革命でした。
古代インドで生まれ、中世イスラム圏で広まった「ダマスカス鋼」は、波紋状の美しい木目模様と伝説的な切れ味で知られる名刀の材料です。炭素を多く含むるつぼ鋼から鍛造され、高硬度かつ靱性を両立したこの鋼は、当時の他の金属材料を凌駕する性能を示しました。しかし18~19世紀までにその製法は途絶え、「失われた技術(ロストテクノロジー)」の代表例となりました。現代の材料科学者や刀鍛冶が文献と顕微鏡分析を基に再現を試みていますが、完全に同じ構造・性質の鋼を作ることは依然困難です。近年の研究では、ダマスカス鋼中に炭化物ナノ構造が存在することが判明し、その卓越した性質の一端が解明されつつあります。とはいえ、中世の鍛冶職人が達成した奇跡の技を完全に再現するには、さらなる研究が必要です。
東ローマ(ビザンティン)帝国が7世紀以降に使用した秘密兵器「ギリシア火薬」は、水上でも燃え続ける恐るべき焼夷剤でした。粘性のある可燃性液体に点火して敵船に噴射するこの兵器は、帝国の海戦における切り札となり、数々の勝利をもたらしたと伝えられます。しかし当時の技術水準で如何にこのような燃焼剤を製造できたのかは謎で、製法は厳重な軍事機密として一子相伝され、帝国の衰退とともに14世紀までに失われました。松脂・ナフサ(石油)、生石灰、硫黄、硝石などを混合したのではないかとも推測されていますが正確な配合は不明です。専門家は「水面でも燃焼を持続し消火困難な点で、現代のナパームに近い化合物だったのではないか」と推測しています。このようにギリシア火薬は史上初の化学兵器とも称され、その実態は今も歴史家や化学者を惹きつけています。
エジプト・ギザに聳えるクフ王の大ピラミッド(紀元前2500年頃)は、古代世界七不思議に数えられる史上最大級の石造建造物です。230万個以上、重さ数十~数百トンの巨石ブロックを極めて精密に切り出し、隙間なく積み上げた構造は、現代でも驚異とされます。ピラミッドの各面はほぼ正確に東西南北を向き、高さ146mもの建造物を当時の人力と簡易な道具のみで築いたその技術力には謎が残ります。どうやって巨石を運搬・加工し、精巧に積み上げたのか、統一的な説は無いものの、直線傾斜路や螺旋状の内部スロープを用いた説、てこの原理や水を使った浮力輸送説など様々な仮説が提唱されています。近年の研究や実験考古学により一部再現も試みられていますが、それでも「完全には解明されていない」のが実情です。大ピラミッドは古代人の英知と膨大な労働力が生んだ奇跡のモニュメントと言えるでしょう。
1796年、英国人医師エドワード・ジェンナーは、牛痘にかかった乳しぼり娘が天然痘に罹らないことに着目し、8歳の少年に牛痘膿を接種してから天然痘ウイルスを植え付ける実験を行いました。結果、少年は天然痘にかからず、世界で初めて予防接種(種痘)が成功しました。この功績により天然痘ワクチンが開発・普及し、人類はついに致死的感染症であった天然痘を制圧、1980年には地球上から根絶するに至ります。興味深いことに、後年の研究でジェンナーが用いた牛痘ウイルスは実は馬由来の近縁ウイルス(馬痘)だったことが判明しており、この成功は偶然の産物でもありました。当時はウイルスも免疫も未知の時代で、民間伝承と大胆な実践から生まれた種痘法は、医学史上もっとも奇跡的な発見の一つです。
1928年、英国の細菌学者アレクサンダー・フレミングは培養中のブドウ球菌の寒天培地に偶然生えた青カビに気付きました。奇妙なことに、カビの周囲だけ細菌の発育が阻止されており、このカビ(Penicillium属)が細菌の繁殖を抑える物質を産生していると推論しました。フレミングはこの物質を「ペニシリン」と名付け発表しますが、当初は抽出精製が困難で実用化には至りませんでした。その後、第二次大戦下の切迫した需要もあって、フローリーらのチームが生産性の高いカビ株を用い大量生産法を確立し、ペニシリンは遂に人類初の抗生物質として実用化されました。これは敗血症や肺炎など多くの死病を治療可能にし、無数の命を救った医学の革命です。「偶然から生まれた最も重要な発見」とも称される所以です。
古代中国・唐代において、不老不死の霊薬を求めていた道教の錬丹術士たちは、硝石・木炭・硫黄を調合中に思いがけず激しい燃焼・爆発を起こしました。これが世界初の火薬(黒色火薬)の発明とされています。錬丹術の文献『丹経』(孫思邈による7世紀頃の著作)には硫黄などを調合する記述があり、「手順を誤ると爆発する」と警告されています。この記述が火薬誕生につながったと推定されています。発明当初、中国では花火や兵器に火薬が用いられ、やがてモンゴルを経由してイスラム世界からヨーロッパへ伝播し、中世後期以降の戦争の様相を一変させました。火薬の登場は兵器の火器化を促し、城塞や甲冑の概念を刷新するほど後世に絶大な影響を与えました。錬金術の副産物とも言える偶然の発明が、人類の歴史を大きく動かした例です。
ギリシャのアンティキティラ島の沈没船から発見された「アンティキティラ島の機械」の主残存部品(国立考古学博物館所蔵)。複雑な歯車が幾重にも組み合わさっている。
1901年、地中海の難破船から発見された錆び付いた青銅塊は、後に古代ギリシアのアナログ計算機であることが判明し、世界を驚かせました。紀元前後1~2世紀の製作と推定されるこの機械には、少なくとも37個の精巧な歯車が組み込まれており、太陽や月の運行、日食・月食の周期、オリンピア競技の開催周期までも再現・予測できる構造でした。解析によれば、ハンドルを回すことで内部の歯車列が天体の位置を演算し、文字盤に年月日や天文現象を表示したといいます。このような複雑な機械装置が再び歴史に現れるのは、それから実に千年以上後の中世後期であり、アンティキティラの機械は「古代のオーパーツ(時代錯誤的産物)」とも呼ばれます。当時知られていた天文学知識を凝縮し、高度な金属加工技術で実体化したこの機械の存在は、古代人の科学技術水準に対する見方を一変させました。現代の研究チームがX線断層撮影などで内部構造を解析し、復元モデルを制作していますが、それでもなお解明されていない点が残るほどです。アンティキティラ島の機械は、人類史上最も再現が難しい奇跡的発明として堂々の第1位にふさわしいでしょう。
四年前に書いた有料note。
対象読者
出てくる病院
・岩橋クリニック
私は28年間アトピーという皮膚の病気に悩まされてきました。この記事を開いたということは、もしかすると皆さんもアトピーで悩んでいる一人なのではないでしょうか。
アトピー治療で有名な病院というのが全国に多くあるかと思いますが、私は主に関西地方で有名ないくつかの病院に通っていました。
その中には健康保険が聞かない自由診療の病院もあれば、脱ステロイド治療を勧める病院もありました。私が複数の病院の治療を経験してきたのは、アトピーがとても辛い病気であり、そして肌をきれいにして周りの人と同じような生活を送りたいという想いがあったからでした。
この記事は、アトピーについて悩んでいる方を対象に、私が通ってきた病院の治療方法を当時の肌や生活の状態を交えながらお伝えすることで少しでも今後の治療や病院選びの参考にしていただきたいと考え執筆しました。
これから読む人に向けての注意点
この記事を読んでいただくにあたって大事な注意点ですが、私は脱ステロイド治療が合わず、今ではステロイドを使った治療をしています。そしてそのことに納得しています。一方で脱ステロイド治療を否定したいわけではありません。
今でこそ一般的には脱ステロイド治療は危険と言われていますが、インターネット上では「ステロイドが危険」とされる傾向が強いように思えます。インターネットの特性としてそのほうが読まれやすいからだと思います。
かつては私も両親もステロイドは危険なので使ってはいけないという認識だけを強く持っていました。
そして、この記事に出てくる病院やその治療方法についても私自身が感じた印象や当時の記憶をベースに記載しています。
なのでそれが絶対正しいわけではありません。あくまで一つの比較できる対象としてこの記事をお読みいただけると幸いです。
この土佐清水病院についての最終的な印象はあまりにも特殊な病院ということです。
生まれてから18歳まではこの病院の軟膏にお世話になりました。VA2やAOAといった名前の軟膏だったと記憶しています。
そもそも私は物心がついてから大学に入学するまでは、そこまでアトピーという病気で肌が荒れたりという経験はなかったのですが、大学入学と同時に夜遊びなどが増えたことで肌が荒れはじめました。
小学校の頃に肌がカサカサしたときなどには土佐清水病院の軟膏を塗っていたこともあり、土佐清水病院に入院することになりました。これが2012年8月、大学一年生の夏休みのことだったかと思います。
大学一年生で遊びたい盛りだったのですが、とにかくアトピーで肌荒れが酷く、夏でも七分袖を着てボロボロになった腕の関節を隠すなど、遊んでいる場合じゃなかったのを覚えています。
入院することになって初めて知ったことなのですが、土佐清水病院は保険が効かないということです。つまり自由診療の病院です。このときにこの病院について初めて少し違和感を覚えました。
入院中の治療についてですが、朝に軟膏を塗ってもらうことや特殊な石の風呂(岩盤浴のようなもの)で汗を流すという治療を行ったことを記憶しています。
また食べてはいけないとされている食品が多く、主に魚や貝を中心とした食事が提供されていました。肉類はなかったような気がします。
生活は朝の軟膏や風呂が終わると、その後は基本的には病室での生活です。
他の病院での入院生活についても今後出てきますが、大体暇な時間が多いです。
先生の診察は講演などで全国を飛び回っている先生が病院にいるタイミングで行われていたようです。なのでおそらく毎日病院にいるということはなかったと思います。
男性の患者がパンツ一枚で並ばされて順番に先生に診てもらうという方式でした。小学生の健康診断みたいなイメージです。ここも普通の病院とは多分違うところな気がします。
アトピー治療の経過ですが、10日ほどで肌荒れがおさまり退院したと記憶しています。
ここの治療をやめるきっかけですが、18歳以上になると軟膏をもらうために先生の講演会で話を聞かなければなりません。当時は母親の言われるがままに参加したので、本当かどうかはわかりません。
ただ「そんな病院があってたまるか」と思い、自由診療であることへの違和感や不信感もあったので両親に相談して病院を変えることにしました。
ちなみに土佐清水病院の軟膏にはステロイドが含まれているそうですが、私が小さかった頃はそのことが伏せられていたと聞いています。世間では魔法の薬だと言われていたそうです。
この病院の最終的な印象は、先生が信用できなかったことと脱ステロイドの効果をあまり実感できなかったことです。
土佐清水病院が特殊すぎる病院であることに違和感を持った私は、そのときに母親を通じて初めて脱ステロイド治療を知ります。おそらく「アトピー治療 →ステロイドは危険」というような知識をインターネットで得たのでしょう。
ステロイドが含まれているという土佐清水の軟膏はいつの間にかどこかに隠されていました。
たしかにステロイドの危険性はインターネットには溢れていたので、私はステロイドという一般的なアトピー治療で使われる薬を使用せずにアトピー治療を行う、いわゆる脱ステロイド治療を行う尼崎医療生協病院に通院することにしました。
この病院は家からも近かったです。2013年の冬だったと思います。
この病院の治療で印象的なことは、先生に「よく遊べ」といわれることです。アトピーの患者はとにかく外に出たがらない、それがよくないとのことでした。アトピーの改善には普通の生活をするのが一番の近道だということです。
唯一特殊だと思ったのは、紫外線かなにかを浴びることのできる機械で治療したことです。レントゲンを撮るときのような機械で全身に光線?紫外線?を浴びせます。おそらく外で遊ぶのと同じ効果なのだと思います。
とはいえ、このときの私は土佐清水病院に通う前の大学生活での失敗もあり、友人と遊ぶことはなるべく控えていましたし、食事にも気を使っていたのでそれほどアトピーが悪化することはなく生活ができていました。なのであまり病院に通院した記憶もありません。
このときの私の願いは、就職するときにはアトピーが治っていること。そして普通の生活を送れるようになっていることでした。
脱ステロイド治療はステロイドを使っている期間が長いほど時間がかかるという治療だと認識していたので、「今は安静にして今まで体に溜まっていたステロイドを抜いていくんだ、将来のために今はあまり遊んだりせずに我慢しよう」という気持ちで生活を送っていました。
しかし、尼崎医療生協病院は2016年に通うのをやめることにしました。
理由としては当時、就職活動をして無事内定をいただくことができたのですが、ストレスもあったのかアトピーが悪化しました。そのときに尼崎医療生協病院で診察を受けたのですが、肌がスースーするような塗り薬のかゆみ止めの効果があまりなかったこと、
そしてその後も「よく遊べ」というような治療方針しか得られなかったこともあり、こちらの通院をやめることにしました。
こちらの病院の印象は素晴らしい脱ステロイド治療の病院だと思います。もし治療方針が体に合うのならその人にとって、すごく良い病院だと感じました。
尼崎医療生協病院のあとは、こちらも脱ステロイド治療で有名な阪南中央病院に通院することにしました。大阪の田舎の病院ですが地方からも入院や通院する人が多くいる病院です。
このときはまだ、ステロイドが怖いという印象は拭えず別の病院で脱ステ治療を継続すればきっと良くなるはずだと考えていました。2016年の夏頃に治療を始めたと記憶しています。
この病院の最初の診察には、今までのアトピーの治療を記した紙を用意して持っていく必要があることや、脱ステロイドだけでなく脱保湿という保湿剤を使わない治療を掲げていることが特徴的でした。
ステロイドと保湿に肌が依存しなくてもいいような強い肌を作るという方針です。
また、日常生活で摂取してもよいとされる水分を指示されるのですが、水分制限が必要な理由を具体的に説明されたことで安心感がありました。かゆみ止めなど内服の薬が出たことも安心感につながった記憶があります。
一方、私生活では先ほど述べたように脱ステロイド治療は時間がかかるという認識であったこと、ステロイドを使いたくないという意志を強く持っていたこともあり、阪南中央病院に通院し始めて半年近く経ったタイミングでは、アトピーの肌荒れが良くなっておらず、就職先の内定を辞退するという選択をしました。
就職するときにはアトピーが治っていることを目標にしていたので、あまりにもショックの大きい選択でした。
そして2017年7月より、阪南中央病院に入院することを決めます。
こちらの病院の入院生活についてはインターネットで検索してみると、入院記のようなものが出てくるのですが、概ね同じような印象を受けます。
基本的な方針としては、自立した規則正しい生活を送っていく中で肌の状態を良くすること、そして悪化しない生活を自分自身で理解するということです。
朝は7時(くらいだったと思います)に起きて、20時頃に消灯になります。洗濯をしたり布団のシーツを自分で替えなければいけません。看護師さんが勝手に変えてくれるというようなことはありません。
先生の考え方は、アトピーの人は自立できていない甘えている人が多いということなのだと思います。何でもアトピーのせいにしている人が多いというのもおっしゃっていたような気がします。
また、この入院生活でも水分制限は続いていますし、入浴制限というのもありました。入浴制限はたしか脱保湿の考えのもとに行われていたような気がします。
水分制限や入浴制限については先生が肌の状態を診て、量や回数を決めてくれます。
またアトピーに混ざって発症している皮膚の異常に対する処置も適切という話を他の患者さんからよく聞きました。
脱ステロイド治療中の肌の状態を診ることに関して腕の良いドクターだったという印象です。
一ヶ月ほどして退院する頃には、肌の状態かなりが良くなっていました。同時期に入院していた私よりも明らかに肌の状態が酷かった青年もかなり良くなっているように見えました。
また、入院生活の中で人と交流することでどの患者さんにとっても精神的にもプラスになっているようです。
私は退院してからも、水分制限や入浴制限そして適度な運動など健康によいことを続けて普通の生活を送れるように努力していました。しかし、2018年の4月を最後に阪南中央病院での治療及び脱ステロイド治療をやめることにしました。
まず、退院後に症状が良くなるどころか徐々に悪化し始めたことです。水分制限や入浴制限は継続して行っていましたし、入院生活のときほどの規則正しい生活でありませんが、一般的に見れば仕事もしていないので健康的にストレスの少ない生活を送っていたつもりです。
それでもアトピーが悪化したことから、もし普通に働き始めたらすぐに悪化するのではないかと思いました。
そして、入院生活で送ってきたような生活を続けることは、憧れていた普通の生活とは程遠いことに気づきました。
それに伴い、脱ステロイド治療に疑問を持ち始めたことも理由の一つです。このときすでに5年近くはステロイドを使用していないので、いくら体内に蓄積されてるとはいえ、状態が良くならないということは正直考えられませんでした。
また、大学を卒業してから一年が経っていることを踏まえると、今後思うような仕事に就くことは難しいのではないという焦りを持ち始めました。
以上のような理由から、脱ステロイド治療をやめてステロイド治療を行う方へ傾き始めます。
岩橋クリニックは一度診察をしてもらっただけですが、大阪はびきの医療センターを紹介してもらいました。結果的に岩橋クリニックでの診察が私の治療の大きな転機となったと思います。
阪南中央病院での治療及び脱ステロイド治療に限界を感じた私は、ステロイド治療や他の治療について話を聞きたく、次の病院を探していました。
妹もあまり肌が強くなかったため皮膚科に通っていたのですが、それが岩橋クリニックでした。岩橋クリニックはビオチン療法を行っていることで有名です。
私は正直に、ステロイド治療についての心配事を先生に話しました。
「ステロイドは徐々に効かなくなると聞きます、その場合はどうしたらよいですか」
そうすると先生は、「そういう方もいらっしゃいます」と言うだけでした。
ステロイドを出す以上のことは出来ない、それで効かなくなっても医者側で責任は持てません、そういう意思表示のように思えました。
やはりステロイドは危険な薬であると再認識した私でしたが、大阪はびきの医療センターというステロイドの塗り方やステロイドについての講義を行っている病院があるので、そちらに行ってみてはどうかという提案をされました。
私はステロイド治療についてまだ不信感を持っており、この時点ではまだステロイド治療を行うという決断はしていませんでした。
大阪はびきの医療センターでの診察で、私はステロイドを使った治療を行うことを決めました。
最初の診察では、岩橋クリニックでの診察と同じようにステロイドについての質問をしました。
その際に先生から、ステロイドは危険であるという認識は間違っていないこと、それを上手に使わないといけないこと、そのためにはどのようにステロイドを塗るのが正しいかを簡単に伝えられました。
この話は入院中に行われる講義でも聞くことになるのですが、私の中で最も納得のできる説明でした。また、ターク(タルク)という血液検査の値で炎症の具合を数値化しステロイド治療を行うという点も安心できる要因の一つとなりました。
しかし、この治療に関して、最後まで反対していたのが母親で、ステロイドは危険という刷り込みがすごかったのだと思います。
しかし、先生から二十歳を過ぎているのだから自分のことは自分で決めよう、という言葉を診察中に受けたときに、アトピー治療をどこか人任せにしていた自分に気づきました。
そして私はこちらでの入院を強く希望し治療を受けることになります。
まず塗り薬に関しては、頭部、顔、胸、腕や足の関節など炎症の度合いなどによって薬の種類が違っていました。もしかしたら部位ごとの吸収率とかによっても違うのかもしれません。
また、炎症が和らいだ部位に関しては強いステロイドから弱いステロイドに変わります。こうして徐々に弱いステロイドに変えていき、最終的に塗る回数を
先月、新しく配属された職員の健康診断があった。問診や測定が終わって、胸部レントゲンのために上半身を外してもらった時のこと。
その人――というか、そのヒーローの背中に見覚えがあって、「あれ……?」と思った。
顔がほんのり焼き色のついた丸パンで、目とほっぺがつやつや。誰がどう見ても、アンパンマンだった。
でも私が驚いたのは、そこじゃない。
レントゲンが終わった後、万が一の異物確認のためにCTも撮ったんだけど、その断面図を見て驚いた。
中身が……あんこじゃなかった。完全にカスタードクリームだったのだ。
一瞬、「これは報告すべきか?」と迷った。
アンパンマンといえば“顔の中は粒あん”が常識。万が一、何か不具合が起きていたら一大事。
役場からの依頼で行っている健康診断だし、情報共有しておくべきなのかもしれない。
でも――
先生からも何も指示はなかったし、本人(?)も特に体調不良を訴えていなかった。
それに、報告してしまったら、アンパンマンが“カスタードマン”として世間に広まってしまうかもしれない。
それって、本人のアイデンティティに関わるんじゃないかと思った。ヒーローって、そういうことで簡単に信頼を失うことがある。
結局私は、そのことには触れずに、いつも通り診断結果をまとめて事務手続きを済ませた。
後日、そのアンパンマンが子どもたちにパンを配りながら「元気百倍!」って笑っているのを見かけた。
にこにこしていて、特に問題なさそうだった。それを見て、私は少しホッとした。
でも、今でもふと思い出すことがある。
もしあれが“異常”だったなら、私は見過ごしてしまったのかもしれない。
かといって、あのことを報告して、アンパンマンがヒーローでいられなくなってしまったら……それも悲しい。
同僚に少しだけ相談してみたけど、「あー、それ……でもカスタードもおいしいからいいんじゃない?」とか、「本人が元気なら問題ないでしょ」と軽く流された。
それで結局、私は黙っておくことにした。それが一番やさしい選択だと思ったから。
でも今でも時々考える。
カスタードだったアンパンマンに、私は本当に必要なケアをしなかったんじゃないかって。
先月、新しい職員さんの健康診断があった。問診とか身体測定が終わって、レントゲン撮るために上半身裸になった時、その人のお腹に(渦巻き模様の?)入れ墨があるのに気づいた……。
一瞬、どうしようかなって思った。
健康診断って役場からの頼まれ仕事だし、何か報告しなきゃいけないのかなって。
でも、先生からは特に何も言われてないし……それに、もし報告したら、その人に何か嫌なことがあったら嫌だなと思った。人の人生に干渉するのも……と。
結局、その入れ墨のことは何も言わずに、いつものように健康診断の事務手続きを済ませた。
先日、その新しい職員さんが、役場の受付で丁寧に「ありがとうございました」って言ってるのを見かけたんだ。
彼はにこにこ笑っていて、なんだかホッとした。
でも、本当にこれでよかったのかなって、今でも時々考える。
もし役場に報告するのが当然だったとしたら、私は仕事をちゃんとやらなかったことになる。
かといって、もし報告することでその人の就職とか、これからの生活に悪い影響が出ちゃったら、それはそれで心が痛む……。
同僚の看護師に相談してみたけど、「決まりはないから、先生に聞いてみたら?」「どうしても気になるなら、都庁の人事に通報すればいいんじゃない?」「最後は自分の責任だよ」って言われた。
突き放されたような感じだった。
それで結局、私は見なかったことにした。それが本当の意味で、一番いいと思った。
でも、あの時の判断が正しかったのかどうか、今でも時々考えることがある。
こういう場合って、どうするのが一番いいんだろうね?