はてなキーワード:レゲエとは
確かにピータートッシュのLegalizeItが名曲だっていうことはわかるよ。1970年代のレゲエの金字塔。
で世界中で、その、運動?、まあそれが実った結果、各地で大麻いいよ〜ってなったよね。
つまり大麻解放っていうのは、フリーマリファナってのは、大麻が無料になるって意味ではないってことよね。
例えば家庭菜園でキュウリやトマトをプランターで作るように大麻を作ったっていいじゃないですか!
その主張はわかる。ただ申し訳ないんだが、家庭菜園を趣味にしている人は全体の何%だ? いねーだろ、というのが本筋。
んで、家庭菜園の拡大版としての農家を想像しよう。その大量の作物をどうするかというと、売るだろ。
売るってことは商品なんですよ。君ら仲間内で楽しむようなものではなくなってくるわけで。そうなると話が変わってくる。
大麻は野生で育っている植物なのになぜ規制する!、とも言ってたな。
大麻が商品であるが故に、市場に出回っている大麻ってのは、野生では育ちようもないブリブリの麻薬なんですよ。
さらにそれを精製したオイルとか加工商品なんてのはほとんどケミカル製品でしょうね。
家庭菜園でキュウリやトマトを作って食べる楽しみはまだ残っているにしても、スーパーで買う方が楽だし、大部分の人はそうしている。
さらにはもっと美味しいキュウリやトマトを作ることに農家は躍起になり、そういう品種が生まれて、消費されていく。
よりブリブリな品種を求めて投資もされ、マーケティングもされ、若者がお小遣いでそういうマリファナを買う。
結果、どんどん変なものが消費者に向けて売られていく。たしか、踏み石理論が間違っているとも言ってたが、実情は違うよね。
マーケットが巨大であればあるほど、個人の行動なんてのはどうにも変えられるんだろう。
なんでこうなっちゃうんだろうねえ。ピータートッシュも想像してなかったと思うんだよね。
フェミニストからすると、レゲエを踊るときにセクシーな動きをしたりコンパニオンをやったり水着撮影会に出演したりAVに出演したり売春したり萌え絵を描いたりするのは本当の自由意志ではなく、今の日本社会にグルーミングされた結果の認知の歪みでしかない。
この日本社会には『シスへテロ男が性を消費するのは当然だ』という構造があり、そのような構造の元にグルーミングされて、レゲエを踊るときにセクシーな動きをしたりする人やコンパニオンやAV女優や性風俗嬢や看板娘やラウンドガールやレースクイーンやキャンペーンガールや萌え絵を描く女性はそのような職業をすることを「自由意思で選んだ」と錯覚させられている。
ちゃんと『シスへテロ男が性を消費するのは当然ではない』という社会構造を構築して、その上でもそのような行動を選んだ人だけが真に自由意思で選んだ、認知が歪んでいないではない人だよ。
こういうことを書くと、「お前の認知が歪んでいないという保証はあるのか」と言う人が出てくるんだけど、
「今の日本社会には、『シスへテロ男が性を消費するのは当然だ』という構造がある」それは間違いなく事実だ。
それに乗っかっている人は認知の歪みの可能性が否定できない。一方でそれに逆らっている人は間違いなくそのような構造による認知の歪みを受けていない。自明でしょ?
レゲエダンスを踊る人も、ダンスしてる時はセクシーに見られたいけどきつねうどん食べてる時は別にセクシーに見られたくないんでは?
>こういう女は正しい、こういう女は間違ってる」みたいな枠を作りたがる
これはフェミニストではないと思う。
自分からセクシーになりにいく、エロかっこよさを追求すること自体は悪くない。そうでなければマドンナやビヨンセがあんなに女性に支持されることの説明がつかない。
問題は、端から見えるレゲエ、ヒップホップ界隈というのはめちゃくちゃマチズモで男性中心主義で、その文脈でかっこいいというのはどうしても男性中心の枠組みから出られないことだ。子どもならなおのこと、自分が考える「かっこよさ」とは関係なく消費され、搾取される。「自分はそれと戦える」って人はそれでいい、と思うかもしれないが、問題は男性中心のものの見方があたりまえ、いやよいやよも好きのうち、みたいな感覚が正しい世界が続くことにある。精神的にも身体的にも発達途上にある女の子たちにそれを背負わせていいのか?と思うよ。子どもが出演するダンスイベントにでかいカメラ抱えて来るおっさんとか一般的にキモいんだけど、主催者や親や周囲の大人はちゃんと対処してるのかな。
美しさとかかっこよさの基準って社会と切り離すことができないから、その界隈で認められる美しさかっこよさには必ず何らかの文脈がある。それを意識的に乗りこなすか、文脈を少しずつ変えるかで、いわゆる「フェミニスト」は後者なんだと思う。
ただまあ、性的なものって三大欲求の一つであり、暴力的ではあるかな。
深夜にご飯の画像を出す行為を「飯テロ」と呼ぶけど、そういう面はある。
言い出せばフィギュアスケートにも話が拡大するんじゃなかろうか。
これを禁欲的発想で、けしからんと取り締まるのは平和じゃないなとも思う。
レゲエダンスして襲われるってことのない世の中のほうを評価したいな。深呼吸して過剰防衛になってないか、正当防衛だったりしないか考えてみたい。
「セクシーになりたい」「セクシーがかっこいい」の中に内面化された異性視線が100%無いと言い切れるのであれば個人の自由の発露と言えるけど。
「セクシー」という言葉自体が「性」に由来しているし、その言葉を肯定的に使っている時点で、あなたは無意識のうちに性的なまなざしを内面化された社会の被害者と自覚したほうがいい。今は人をほめるのに「セクシー」と言ったら性別問わずセクハラ。
ダンスイベントとかで、たまにレゲェダンスやショーガールのパフォーマンスを見る機会が多くて、前々から思ってたことをここに書く。
レゲエのダンスってかなりエロい動きが多い。例えば、ワイニーっていうお尻を振る動きとか、かなり露骨な表現がある。女性が自ら積極的にエロさを武器にして踊っている。でも、それを見ていてふと、「フェミニズム的に見たら相性悪いだろうな」と思った。
だって、フェミニズムって「男に消費されるな」とか「性的搾取反対」とか言ってるけど、レゲエダンスの世界では、むしろ女が自分からセクシーになりに行ってるわけで。「男にやらされてる」んじゃなくて、自分たちの意思でやってるんだよ。それを「搾取」とか「消費」とか言われても、じゃあ本人たちの意思はどこに行くんだって話。
しかも、レゲエダンスって大人だけのものじゃない。小学生くらいの子でも習ってるし、大会もあるし、YouTubeでもキッズダンサーが普通にワイニーしたりしてる。それをフェミニズムの視点から見ると「性的に消費される!」とか「問題だ!」って言うだろう。でも、そもそも彼女たちは趣味であれ仕事であれ、本人からしたら「好きだからやってる」が多いんだよな。
で、最近では「赤いきつねのCM」がフェミニズム界隈で炎上してたんだよね。普通うどん食ってるだけなのに、「女性の性的搾取!」とか言い出す人がいたらしい。そしたらレゲェダンスなんかもうね。
結局、フェミニズムって「こういう女は正しい、こういう女は間違ってる」みたいな枠を作りたがる。レゲエダンスの女たちは、そういう枠に収まらないからこそ、フェミニズムとは相性悪いんだろうなって思う。
追記:
もっと正確に表現するなら、ただ「エロく」なるんじゃなくて「エロかっこいい」を彼女らは目指していると思う。「性的表現」って言うと下品だとか思われるけど、そうじゃなくて、むしろ彼女はら、エロくなることによって自分の魅力を磨いて、かっこよくなろうとしているというか。これが「セクシー」ってことかなと思う。
追記2:
小学生がレゲェダンスやることについては、本人が「やりたい」って言って、保護者も同意しているんなら、とやかく言うことではないかなと。小学生の未発達な思考や判断だけに委ねるのはマズいと思う一方で、小学生の「意思」は尊重するべきだと考えてるので。(もちろん、親がやりなさいって言ってやらされるなら問題だけど)
追記3
セクシーな振り付けを好んでやっているレゲエダンスと、ただカップうどん食ってるだけなのに異様にクネクネさせてるアニメの違いがわからんのか
Permalink |記事への反応(25) | 13:22
日本語バージョンがある。Stingが日本語で歌っているのがなんか面白い。あとレゲエ感が増している気がする。
ハワイな曲。
なんで「ちょっと待ってください」を選んだんだろう。
サウスパークの曲。
Permalink |記事への反応(13) | 17:39
1975年発売、バンドを代表する曲であり、時代を代表する曲でもある。
ハードロックとプログレッシブロックとオペラを融合させたような組曲となっている。
ミュージックビデオの重要性を世間に知らしめた最初期の曲でもある。
https://www.youtube.com/watch?v=fJ9rUzIMcZQ
1979年に発売されたアルバム『In Through theOut Door』に収録されている曲。
バンド自体はロックバンドの歴史の中でもハードロックを代表しているのだが、この曲はハードロックとはかけ離れている。
シャッフルビート風で始まり、中間部で突如サンバのリズムが始まるという斬新な曲となっている。聞いてみるのが良いだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=I57nIP0vc44
1981年に発売されたアルバム『Reflections』に収録されている。このアルバムは大ヒットしてミリオンセラーになった(それまでにミリオンセラーとなったアルバムは3枚しかなかった)。
「二季」という表題の単語の通り、この曲の前半部分は冬、後半部分は夏のことを言及した歌詞となっており、曲風も歌詞の内容も対照的となっている。
前半部分は遠くにいる別れた恋人のことを想うようなメロウな曲風であり、後半部分は官能的であけすけな逢瀬を描いていてレゲエ風となっている。
https://www.youtube.com/watch?v=jmquxRbIM20
1976年に発売されたアルバム『招待状のないショー』の最後に収録されている。「むすびことば」と読む。
こちらもメロウでアンニュイな曲調から始まり、途中でアップテンポのカッティングギターを織り交ぜた中間部があり、最後の元の曲調に戻る、という複雑な構成をしている。
初期の井上陽水氏のストレートな歌い方がまだ残っている時期である。
https://www.youtube.com/watch?v=0yHlPAY5HzE
1997年に発売されたアルバム『OKComputer』の2曲目に収録されている。
メンバーは、ザ・ビートルズのHappinessis a WarmGunのような組曲を目指して作成したようであり、極めてプログレッシブな曲である。
当時のアルバムの曲には厭世的かつ攻撃的な歌詞が多く、この曲にも皮肉や投げやりな内容が見受けられ、不吉でネガティブな印象の曲となっている。
https://www.youtube.com/watch?v=fHiGbolFFGw
他にもあればぜひ紹介してほしい。
高校1年の頃、高校生活に馴染めない中でバンプの天体観測を聴いた。
クラシックやらカービィ星の泉のBGMやらビリー・ジョエルやらポケモン言えるかなやらモー娘。やらはちゃんと聴こえてたんだけど、たぶん音楽として認識してなかった。
それからしばらくしてからケーブルテレビが家に入ってきて、スペシャとMTVが見られるようになって、そこでミッシェルとかくるりとか10-FEETとかACIDMANとかゆらゆら帝国とかコールドプレイとかレディオヘッドとかBlurとかBeckとかアンダーワールドとかジャミロクワイとか色々なPVを見るようになった。
あの頃は9.11があって(日本の場合は3.11のときもそうだったけど)、音楽シーンはモロにその影響を受けてたり受け流したりしてた記憶がある。
ワールズエンド・スーパーノヴァ、Virtual Insanity、Rabbit In Your HeadlightsのPVは今でも初めて見た時の衝撃を覚えてる。
それと前後して高校を辞めて、俺はしばらく引きこもってYahooゲームのブロキシーとかFlash見ながらくるりのアンテナをヘビロテしてた。
今でもアンテナ聴くとブロキシーのちっさいチャットでネカマとイチャイチャしてた過去を思い出す。
紆余曲折あってバイト始めて、お小遣い制の頃より圧倒的にお金がある状態になった俺は、音楽雑誌を買い漁った。
つってもお小遣い月1000円の頃の貧乏性がなかなか抜けなくて、買ったのは新品のロキノンじゃなく、古本屋に無造作に置いてあったSNOOZERのバックナンバーだった。
編集長のタナソーは昔からエモいんだかキモいんだか意識高いんだか低いんだか意味分からんことばっか言ってるけど、それが無理して村上春樹とか野坂昭如とか読んでた16〜17の頃の俺にはドストライクだった。
古本屋に足繁く通っては欠けてるバックナンバーを買い集めて、いつまでもちゃらんぽらんなチバユウスケやチキンボイスをからかわれてもどこ吹く風なジャック・ホワイトや延々ダサいばっか言ってるギャラガー兄弟やタナソーにジェリーフィッシュを勧めたら「リズム隊軽くね?」って言われてちょっと凹んでるっぽい岸田繁を堪能してた。
そこからはSNOOZERに載ってるCD片っ端からレンタルしてMDに入れて(勿論4倍モードにして)ひたすら色々聴きまくった。
ビートルズ聴くようになったのもこの辺で、曲間で音が途切れないタイプのコンセプトアルバムが好きだったのと村上春樹が何かの小説のあとがきでそれ聴きながら書きましたとか言ってたので、Sgt.Pepper's LonelyHeartsClub Bandから入った。
新聞配達でカブを走らせながら爆音で音楽聴いて、夜明け前の街をひたすら大声で歌ってた。
その後別の高校に入り直した。
昼間働いてた職場に音楽好きの人がいた。俺の住んでた田舎でSNOOZERを知ってる人に会ったのは初めてだった。めっちゃ盛り上がって、Sparklehorseとかレイ・ハラカミのカセットを借りた。特にSparklehorseはカセットとの相性良すぎてヘビロテしてた。書いてても懐かしい。
その後人生最初で最後の彼女ができた。2人きりの車内でシガー・ロスを聴かせたのはちょっとイタかったかなと思うけど、誕生日に栗コーダーカルテット(空気公団だったかも)のCDをプレゼントしたのは喜んでくれてたと思いたい。
だいたいこんな感じ。
ゲーム音楽、クラシック、レゲエ、雅楽とか民族音楽、ゴリゴリのパンクとかメタルはもうちょっとおっさんになってから好きになった。
その辺の良さは初期のニコニコが教えてくれた。
ボカロ全盛期も好きだった。アンハッピーリフレインとかいーあるふぁんくらぶとかドーナツホールとか今でも歌う。ごめんね歌うのがおっさんで。
今はあんま拗らせてない(と思いたい)ので、売れ線の音楽も普通に聴く。
車内でまっしろわーるどとか君に、胸キュン。(まりほりVer.)流してもキモいとか言われなくなったので、良い時代になったなあと思う。
みんなの音楽遍歴も聴きたいなあ。
ほならワイも便乗して昔語りしたろ♪
…89年の晩冬~初春にかけて、ピースボートという団体?事務局?が当時最高で最後の流行を示そうとしていた「反原発」を掲げて、日本列島の原子力発電所の立地場所を海から視察するという名目で「日本一周反原発ピースボート」ツアーを敢行した
大学入学直前の高校卒業旅行としてワイくん厚顔の美少年(18)は乗り込んだ
ところでこのツアー、乗客は船内のイベントの下働きを積極的に参加してこなすことが奨励されており、そこでワイちゃん(18)はまだ『カイジ』を描く以前の作者と出逢ったんや
船内では随時いろんな所でいろんな勉強会というイベントが行われており、彼は美術スタッフとしてそれらの会場に貼り出されるポスターを白の模造紙に「チェルノブイリには行きたくねェ~♪」と忌野清志郎(だよな)を口ずさみながらポスターカラーで描きまくってた
ワイちゃん(18)も何をおもったか彼といっしょの美術スタッフだったので数回ほど世間話することがあった
ツアーが終わって下船したあと、彼から自作といって手紙と『ワニの初恋』っていう人情話のマンガ単行本が届いた
船内での著名人どうしの対談イベントでレゲエを爆音でBGMに流すというMC?みたいなことやってたが、対談の途中でいきなり席を立ってレゲエの音量を調整してまた戻るっていうことしてたのが印象的だった