
はてなキーワード:ルパン3世とは
白銀御行(かぐや様は告らせたい)
竹取物語の話題になった際に、「自分が帝の立場になってかぐや姫から不死の薬をもらったら不死の薬を飲んでどれだけ時間がかかってもかぐや姫を迎えに迎えに行く」と言う。これまでの日本の創作ではヒーローが不老不死を否定するかっこよさ(煉獄杏寿郎、賢者ゲド、ルパン3世、星野鉄郎、キャプテンハーロック、ぬーべー、服部平次etc)が表現されてきたが、このキャラの場合ヒーローが不老不死を肯定するかっこよさが表現されているところが新しいと思う。
ギターやジグソーパズルなどやりたいことがたくさんあるので不老不死になりたいという考えを持つ。シンプルでありながら今までこういう考えのキャラはいなかったという意味で斬新だと思う
・名探偵
この世で最も興奮するワード。
僕はなんだかんだ頭でっかちな理屈先行の感想を書きがちだが。その実、名探偵キャラに興奮しているだけなことが多い。
全て好きだがあえて選ぶなら、石崎幸二かなあ。
・普段は助平でだらしないが一度ピンチが訪れると武器を抜き颯爽と解決する人
冴羽リョウ、ルパン3世、ダグラスカイエン、僕はこういう男に憧れているのだ。
・友達が多い
フィクションで個の力は弱いが繋がる力は強いみたいなキャラも好き。
・同性愛
男性と男性、女性と女性、そのどちらでも、僕は非常に収まりがよく自然な形だと感じる。
異性愛の方が理由や根拠を示してもらわないと納得しづらいことが多い。
・幽霊、妖怪、怪獣、モンスターなどが人間社会に溶け込こもうと努力する様
大昔、おばあちゃんの家に遊びに行った時、こっそりお仏壇の奥に隠してあったのを見せてもらったことがある。並んでるピカピカの金の延べ棒。
ルパン3世や漫画でよく出てくる延べ棒より小さいサイズだったけど、形は全くアニメと同じで、ななめ四角で刻印みたいなのがあって、まぎれもない「お宝!」感にすごくドキドキした。
「孫の数だけ買っているの。おばあちゃんが死んだら一つずつあげるから、大事にしてね」
それから20年ちょっと後におばあちゃんは亡くなった。ちょっとした資産家だったおばあちゃんの財産は、家業をついた娘の1人(母の姉妹)がうけついだけど、孫に用意された延べ棒の話はでてこなかった。亡くなる数年前からボケてしまってたし、誰にも伝えてなかったのかな。
財産を受け継いだ娘のひとりも急な病気で亡くなり、おばあちゃんの孫のひとり(私のいとこ)が財産をうけついだけど、やっぱり延べ棒の話は出てこなかった。
人の財産に口を出すのは災いの種。「延べ棒あった?」って一度も聞いたことはないけれど、孫に用意したことが誰にも伝わってなくて、どこかで処分されちゃったんだろう。
札束みせられたんだったら、多分こんなに気にならなかった。ピカピカでずっしりとした秘密のお宝、おばあちゃんがこっそり見せてくれたあの延べ棒、もう一回見たかったな。
【追記】
え、いっこ880万円!?
ぼんやりした記憶だと、いっこ100万円ちょっとって言ってたと思うんだけど。。。って調べたら、金の値段ってめちゃめちゃ高くなってるんだね。
880万円×9人(孫のかず)で8000万円の金塊かー!
ほんとのお宝だ!!
〇〇を批判するなら××も批判しろ、という言い方・論法には、いくつかの問題があるように思っている。
まず、一つ目。
この言い方は、おそらく「(ほぼ)同一のものA、Bがあった場合に、Aを批判する者はBも批判しなければならない」ことを前提としている。
これはもう価値判断の話かもしれないが、私は、この前提には同意しない。
仮にこれが国家による取り扱いの話だとしたら、国家が不平等な取り扱いをするのは問題だろう。
これに対し、個人の場合、同一のもののうち、一方を批判して他方を批判しない、というのは自由ではないか。
(自由とか言い出したら矛盾や誤りを含めて何を言おうが自由なんだけど、論理的な誤りがないということ。)
一方を否定し、他方を肯定するのはダブスタとの批判を免れないだろうが、他方に対して言及しないのはそう問題がないように思える。
私の立場からすると、AとBがほぼ同一なことを前提に、「Aを批判するなら、Bは肯定しないんだよね?」という問いかけなら許容できる。
逆に上記の前提を肯定するとすると、例えば、ある殺人者を批判した人は、およそあらゆる殺人者を逐一批判しなければならない、ということになるような気がするが、それで良いのだろうか?
二つ目の問題は、AとBについて、批判されるべき事情が(ほぼ)同一か、という問題である。
これは個別のA、Bごとの判断になるが、「Aを批判するならBも批判しろ」といわれているとき、この同一性があやしいように感じることが多い。
そうすると、AとBがどのように違うのか、という点に議論がシフトしていき、本題である「Aは批判されるべきか」という話がどっかに行ってしまうことが多いように思える。
例えば、三億円事件の犯人を批判してる人がいたとして、「じゃあジャンバルジャンも批判するんだな?」とか「カリオストロのルパン3世も批判するんだな?」と言うような。
場合によっては、AとBの違いが議論されることで、隠れた前提や差別意識が明らかになったりすることもあるのかもしれないが、ほとんどみたことはない。
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