
はてなキーワード:ルサンチマンとは
今更だけど、先の参議院選挙で参政党に投票した人達をバカにする事を批判する声が強いのが納得いかなかった
つーかそもそも参政党に投票した人々が弱者や負け組だって認定が大きな間違いなんだよ
競争社会から溢れた負け組が排外主義に走るという、分かりやすい物語で語る人達が多かったが、
でも参政党の支持層って元々自民を支持していた人が多いようだし
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/withbloomberg/2060337?display=1
参政党支持者の中で、「現在の自民党への評価は、かつての安倍政権の頃と比べて悪くなった」と感じている人が97%に上るなど“安倍政権を評価していたが、今の自民党に失望している”という人が多くいることがわかりました。
どう見ても「リベラル政党が救ってくれなかった弱者」などではないんだよな
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb47d47609385c95ef23fbbcd19c0d44ff4c9f39
女性が高学歴になるほど婚姻率が上がる今世紀においては、けして低学歴ゆえに判断能力のない無知で愚かな可哀想な人達などではない
持てる者達が、持たざる者達をさらにいじめて苦しめようと躍起になっているのが参政党現象だが?
自分達の子育ての負担を減らしたいがために高齢者を殺せ、外国人労働者を追い出せと叫ぶ参政党支持者の何処が弱者なんだよ
データから分かる参政党支持は負け組のルサンチマンではなく勝ち組の傲慢。
それに対して、共産党、社民党といった昔ながらの野党や新興勢力の中でも立憲民主党やれいわに投票する層の方が、明らかに社会的経済的に不遇な人間が多いんだが?
非正規でしか働けず、結婚できないから男に養ってもらう事もできず、子供も持てず未来に何の希望もない氷河期世代から見たら、
参政党支持の子育て世代は特権階級の勝ち組以外の何物でもないんだから。
有権者の愚かな選択をバカにしてはいけないと杓子定規に述べる人達は
強者が弱者をバカにするのと弱者が強者をバカにするのとが同じなら訳がない
それよりも明らかに貧困率が高く学歴や健康状態も悪い有色人種の底辺層よりも弱者だと本気で思ってるなら、それは差別思想ゆえに感覚が歪んでいるからだよ
幼少期、いわゆるオタクとして育った私には、男たちの集団が常に攻撃的に映っていた。加害を厭わない彼らは、アニメや漫画に登場するような美しさとは無縁で、醜いばかりだった。
思春期になり、彼らからの好意などそもそも欲しくないというルサンチマンが私の内に芽生えるのは、今思えば当然の中二病だった。異性愛を欲しないという姿勢は、どうしようもなく男に夢見てしまう私にとって、困難であるが故に格好良く感じられた。どうにかして男からの好意を拒絶してやりたかった。(実際に好意を向けられることはほとんどなかったが。)
そんな私にとって、性的少数者というアイデンティティは、格好の盾ないし矛のように感じられた。しかも無料だ。オタ活で金のない女学生が飛びつかない理由がなかった。
しかし、無性愛者(アセクシャル)であることは私には難しすぎた。性愛的に寄る方を必要としないという気高さには、弱い私(性欲は強い)がどれだけ嘘を踏み固めたところで、手が届くとは思えなかった。
だから私は「レズビアン」になることを選んだ。そして、必要以上にその自認を痛いほどに主張した。言葉でもツイートでも。それはまるで自分自身に鞭打つようだった。「お前はレズビアンだ」と強迫しなければ、私は同性愛者ではいられなかった。
「私、レズビアンなので。」
と宣言した時に見せる男たちの曇った表情で、傷ついた私の精神が潤っていくさまを、心の裏側で確かに感じた。それは小さな復讐の成功体験だった。その時の私は、ひどく勝ち誇った顔をしていたのだろう。
20代、レズビアンとして恋愛を頑張ってみた。大して持ち合わせのない時間も金もつぎ込んだ。しかし結局、誰のことも心から好きになれなかった。パートナーができることは何度もあったが、その彼女が金銭や心理的な安心に寄与しない分かると、人でなしの心がスッと冷めていくのがわかった。
彼女との破局を正当化するために、いくつもの嘘を重ねた。その行為は、嫌いだった現実の男たちの醜い言い訳と重なった。
あれだけ認めたくなかった「レズビアンのカップルは破局率が高い」という統計に、私もいくらか貢献してしまっていた。
現在、30歳に差し掛かる私には何もない。残ったのは、「男嫌いの男体好き」という、抱えていくのには苦しすぎる醜い実態だけ。
今度はやっぱり、アセクシャルとして生きることを真剣に頑張ってみようと思う。
遅すぎるよな。何年遅れでネットのメインストリームに乗ってなかったんですかって感じがする。
24時間テレビってのは
「障害を抱えている方をピックアップして俺たちから金集めて、しかもギャラ貰えるんだ!」って
国ガチャも成功して障害も抱えなかったくせに同年代より才能もなく努力もしてこなかったニート・フリーター・ワープアが
支援される障害者と芸能人とテレビに対して溜まったルサンチマンを情けなくぶつけにいくのが面白いのに。
どんなに喚いたところで毎年寄付金集めて障害者の方に支援が行き届いてるし、ある程度視聴率もあるから残るんだよ。
悔しかったら寄付金以上の額クラファンで集めて障害者団体に支援して「これで24時間テレビは要りません」とか言えばいいのに。2002年の27時間テレビで湘南のゴミ拾い先にやったったみたいにな。金が無いからそんなこともできねーか?
めっちゃ仲良いわけではなく、なぜか職場まで一緒になってしまった腐れ縁。思い出語るにはちょうど良くて、ステージ違うけどたまに飲む。
だが、たまに頭をよぎる。
こいつは、俺が学生時代好きだと伝えていた女を、女側から告白されたという理由で掠め取ったり、
十年以上付き合っている彼女と、現地妻と、現在同棲している女とで三股をかけていたり。噂では、全員了承の関係だとか
その要領の良さと地頭の良さで手当項目を全て満たし、年齢や実績には不相応な収入を得ていたり、
そのくせ出会う上司や同僚には人がいい奴しかおらず、そいつも別に女癖以外は悪いところがあまりない(甲斐性というやつなのだろうか)ので、とにかくまあ苦労をしていないやつなのだ。
自分もガキじゃないので、苦労を買ってでもするべきなんて青臭いことを信じちゃいないし、むしろ苦労は人を捻くれさせてしまうとすら思う。
実家が太く苦労を知らず、素直に謝れば大体のことは水に流れる環境で育ち、持って生まれた頭と身体でどんどん邁進していく。
ああ羨ましい、とは思わない。恨めしいと思うほどに自分も不遇ではない。
だけど、やはり心がざわざわする。
こんな奴がいていいのか。そう思ってしまう自分がどこかにいる。
1度きりの人生を映画とともに過ごそう、と人生の早い段階で誓って以来、観たい映画を観て、好きな映画を増やして、映画について考えて、様々な映画の情報を得てきた。そのつもりであった。
結果、一人の濃いめの映画マニアが誕生、とはならず、人並みの映画好きおじさんに落ち着いている。
ほんものの映画好き(ここではあえてシネフィルと呼称する)たちは、水を飲むように映画を観る。映画館でも配信でも、映画を観なければ死んでしまうかのように。名作と言われる映画の中でも「パディントン2」とか、「辰巳」なんかの単館の邦画の意欲作も当たり前のように観ている。若きタランティーノのようなハードコア映画オタクというイメージも妥当かもしれないが、SNSを見るかぎりどうやら普通の人々のようだ。要するに見境がない映画マニア。
かたやこちらは日々の仕事をこなし、週末の限られた時間に映画館へ向かい、夜は疲れて眠るか、家族との時間を優先。ひとり夜ふかしして配信を観ようにも眠すぎるし次の日に響くので無理。ほな通勤電車でせめて1本、と思ってもだいたいはメンタル的にはてブやらマンガやらXやらを消費して映画など観れない。
映画館もほぼシネコンで大作、話題作中心。観たい映画がかかればラッキーで、名画座や都心のミニシアターなどへ行くのは至難の業。封切り週を逃せばすぐに上映時間が都合にあわなくなり、新作がかかるオンデマンド型プライベート映画館があればいいのに、と夢想してやまぬ。観たら観たで、ほっとくと内容や気になったシーンを忘れる。
かたやシネフィルたちは縦横無尽にスクリーンを飛び回り、博覧強記の知識を繰り広げ、自論を展開し、興味のままに配信映画を楽しんでいる。てかいつ寝てるの?
マジで、彼らはどうやってたくさんの映画を観ているのだろう。XやFILMARKSにいる彼らの視聴頻度は半端ではない。生活のほとんどを映画に捧げなければ得られないほどの鑑賞数に戦慄してしまう。年間100本なんて余裕である。本数なんて気にしたことない(Ⓒ邦キチ)のは真理なのである。
コスパ、タイパなんて言い方をするずっと前、例えばレンタルビデオでDVDを選ぶ時、上映時間が120分を超えた作品を敬遠したり、どうしても観たい作品じゃなければもっと短い作品を選んだり、なんなら映画じゃなくてもっと高尚な時間の使い方、例えば脚本を書いたり本を読んだり?いろんなことに夢中になったり飽きたり?しなければ、と言い訳して結局借りずに過ごすなんてしょっちゅうだった。
どうせロクな時間を過ごさないくせに。映画の1本を観るよりも豊かな時間・体験なんて滅多にないのはわかっているくせに。
結局、自分はそんな性分なのだ。シネフィルたちのように、映画を通じて世界に、他者に、翻って自己にすら興味を抱き続けられないのだ。他人に興味がなく、ただの一つの娯楽として映画を観ている普通の観客なのだ。そして、映画という人生を通じて好きなものにすら一貫した興味を持ち続けられないのだ、と自己憐憫している間に、彼らは今日も映画を観ている。
映画だけじゃなく、他の文化、読書でも音楽でもマンガでも観劇でも、きっと同じように感じる自分のような人はいるのだろう。
マニア度の上を見たらキリがないけれど、せめて躊躇せず、好きな文化に飛び込んで触れていたい。
なのに好きと生活を両立させるのに精いっぱい。なまけものだと自嘲しながら、うらやむのだけは止められない。マニア、フリーク、キチ○イへのルサンチマンを抱えた普通の人々。
今日もシネフィルになれない。ほんとうにそんなものになりたいのか?と自問しつつ。
香港民主化デモの本質は、中国本土に対するルサンチマンの爆発だった。
香港では中国本土からの観光客に対するヘイトスピーチが雨傘運動以降盛んに行われた。
ヘイトスピーカーはマナーの悪さやら、越境出産やらを槍玉にあげて、香港停滞の責任を中国人になすりつけた。
ヘイト願望が先に来て、つじつま合わせに悪口をひねくりだしてるにだけであって、現状への不満を攻撃しやすい相手に向けているだけだ。
中国人のマナーが良くなろうが、越境出産がなくなろうが、惨めな現状など変わらない。
香港民主化デモが示したのは、実態がルサンチマンとヘイトの政治運動だとしても、民主だの人権だの自由だのというキレイゴトを掲げれば、多くの支持を得られるということである。
だが民主だの自由だのといった言葉はは考えなしでも思いつく平凡なスローガンに過ぎない。
そして区議選の民主派の地すべり的勝利でかれらの市場価格は最高に達した。
本当であればキレイゴトで自分たちの本音をごまかさず、ルサンチマンとヘイト感情にしっかりと向き合えばよかった。
民主化デモの連中は「自分」というものを問い直さずに、ひたすら他人を攻撃し続けた。
本来なら、デモ隊はかれらを叩きのめす敵というよりも交渉相手とみなすべきだった。
高まった市場価格を取引材料に譲歩を引き出すのが政治運動のセオリーである。
が、コンプレックスにまみれた人間はとやかく人を攻撃したがるものである。
こうして収拾のつかない自体に陥ったデモ隊は、結局本気を出した中国政府に叩きのめされてしまった。
中国政府の強硬な姿勢に文句を言う人が多いが(実際問題も多い)、仮に民主化運動が成功したとしても決して香港は良い方向には向かわなかっただろう。
民主や自由で経済が上向くでもなし、中国と香港の力関係が変わるでもなし、当然ルサンチマンは解消しない。
亡命した民主派の闘志たちはウジウジ恨み節をのたまわっているだけで、民主化デモがなぜ失敗したのかというと反省はなんらしていないようだ。
ルサンチマンにむきあわず、お題目のように民主・自由を言い続けても香港は何も変わらない。
応援したいとも思えないし、実際、日本ではすでに飽きられている。
香港デモは天安門事件と同じようにかつてニュースを騒がした一事件になりさがった。
天安門事件の関係者たちも現在ではお行儀のいいことを並べるばかりで、はっきり言ってつまらない。
いまやデモ発生から6年にして香港の人々はあれだけ嫌っていた中国に「北上消費」しに盛んに通っているという。
どうも香港は中国より下、ということを認めざるをえないらしく、ある北上消費をする香港市民によると深センは香港より物価も安いしサービスも良いそうである。https://www.fnn.jp/articles/-/896155
民主と自由への願いが切実なら、それを叩き潰した中国への憎悪はすさまじいだろう。
しかし彼らの「願い」とやらの強さは香港の中心街をシャッター街にするかわりに深センに金を落とす程度のものらしい。
ルサンチマンをごまかすための民主や自由にふさわしい末路である。
香港民主化運動は中国政府の弾圧により挫折した、というのが一般の評価である。
民主化運動の目的が「自由で民主的な香港の実現」とするならば正しい評価と言えよう。
しかし、少なくとも雨傘運動以後の民主化運動は大陸へのルサンチマンとヘイトを解消する道具として民主と自由を掲げたに過ぎない。
このように民主化運動の目的を見直せば、2019年の香港民主化デモは大成功だったと言える。
お題目の民主と自由は叩き潰されたが、これによって香港と中国の上下関係は疑う余地なく確定した。
「こちらのほうが上だったのに・・・」というくだらない思い込みが崩れ、中国が香港の上に立つということが自然なことになった。
香港人は香港が中国に飲み込まれることを受け入れていれてしまえば、なんのことなくルサンチマンは見事に解消される。
これは有能な同僚に対して劣等感を抱くとしても、社長にはそんな感情を持たないことに似ている。
こう考えると中国政府の強硬な姿勢も国家安全維持法の極めて厳しい内容も香港人への温情だったかのように思える。
中途半端に妥協しても鬱屈した香港人のコンプレックスは残り続ける。
そうであれば、ここは徹底的に香港人の反抗心を潰し、中国の一都市として香港アイデンティティを「再編集」し、ルサンチマンを解消させるほうが愛情と言うもんだ。
香港はいまや「中国の香港」となった。人々の意識の上でそうなりつつある。
教育も変わっているし、海外移住と本土からの香港へ移民の増加はこれに拍車をかけている。
これに外野から文句を言うのもそれはそれで自由だが、民主と自由を勝手に香港に期待したために出る言説にすぎない。
https://tansajp.org/investigativejournal_category/soredemo/
あのさぁ
「参政党は将来のお前を傷付ける」とかでもねえの
このクソきもい記事の羅列が、今、生きている俺を、傷つけているし、この国はお前らのせいで十分壊れてるし、これ以上悪くはなり様がないんだよ
でそういう人がいたところで「参政党支持者の戯言」みたいに一気に認知のシャッターをガラガラ降ろして完全防御態勢になって絶対とり合わないだろ?
んで人権派弁護士とかポリコレ社会学学者とかをゾロゾロ揃えてポリコレまみれの裁判官にポリコレ主張して刑務所に送ろうとしてくるわけ
そういう風にさ~相手を差別主義者って罵って倫理的強者のポジションからマウント取って殴りまくって
「差別主義者」って認定したお前らの敵に、そいつが顔晴らして失禁しながら「ごべんなざい(泣)・・・あなたの考えが正しいです・・・可及的速やかに自殺します・・・」って土下座させる以外のやり方取ってないし取る気も無いじゃん
なんていうかお前らの宗教に完璧に恭順する以外の意見が認められる未来ってお前らの中にないんだよな、少なくとも見えない
どんだけ差別を否定しようと「差別主義者と認定する人」「差別主義者と認定される人」の前者であること、自分が前者でいられる構造は絶対崩さないように死守しまくるわけ
お前らが求めてるのは相手を差別主義者って罵って誰からも批判されず気持ちよく相手を殴る権利であって差別のない世の中でも苦しみのない世の中でもないよね
実際お前らは強いよ、”差別主義者認定権”ってほぼ流動性ないもんな
俺のような中高年男性というのはポリコレバトルで完璧なまでに負けてるわけだ
一挙手一投足が差別とみなされ相手の差別主義に怒っても「怒りの原因はお前の差別主義だ」というクソデカラウドボイスと税金を投入されまくった異常にデカいリソースの暴力に押しつぶされて死ぬだけ
だったらもうお望み通り人権なんか捨ててなりふり構わず戦うしかねえし自分にギリギリ有利か少なくとも一方的にマウント取られないフィールドかつ合法なのは現状選挙くらいってことになる
戦いの結果お前らごと自分も滅ぶならそれも仕方ないね、ワンチャン滅びなかったらラッキーだし既に私生活が滅んでるようなもんだし引き分け以上には持ち込めるじゃん
いいじゃんwwwwwwwwwwwwwお前らがルサンチマンに負けてるのクッソ気持ちいいぞwwwwwwwwwwwwwwwwwww
だからさぁ
参政党に入れられるのが嫌なんだったら参政党に入れたくなるような 棄民 を作るなって話なんだよな
ルサンチマンとか馬鹿にする前に人にルサンチマン生み出させるような構造を作んな
お前が極力視界に入れないようにしてるおっさんだよ オ ッ サ ン
お前「健常者のオッサン」の持つ人権に配慮したこと人生で一回でもあるか?ハゲて脂ぎってて加齢臭たっぷりで童貞で風俗通ってるしエロ漫画も大好きで女性を性的消費(笑)しまくってるオッサンがお前が大切に思う人と同じ人権を保有していることに我慢できるか?
ちなみに我慢できない奴の方が多い。そこは安心しな。お前は多数派なんだよ
多数派には少数派を守る義務が?ないです。なぜなら少数派は差別主義者だからです。差別主義って罵っておけばあなたは最強です。よかったね
でも参政党に入れられたくないんだったら目の前のオッサンを大事にしろ、キモいからって排除するな。そいつも票を持ってる
ただそれが示されただけの、水が低きに流れるがごとき自然な結末じゃないっすかね
以上
まぁ俺は私生活が滅んではいないし比例は普通に減税重視で国民民主に入れたし参政党なんか全く支持してないけどな
エリート意識丸出しで自分の入ってるカルト宗教の啓蒙活動に邁進する前にいきなり差別認定して殴り始める前に相手を一人の人間だと認めてその声聞けよって話そんなに難しいかぁ~?まあ難しいかもしれんなお前には
んじゃ「お先に」
Permalink |記事への反応(23) | 18:50
きっと底知れぬ不安や生きづらさを抱えている人が、たくさんいるはずです。
でも、その原因は、特定の集団や政策によって引き起こされているような単純なものではありません。
私たちが暮らすこの社会はとても複雑なシステムをしているため、そこから生まれる不安や生きづらさの原因も複雑です。
ムラ社会、長時間信奉、自己責任論、家父長制、自他境界の弱さと侵害、人治主義の横行などなど。
社会的・文化的要因が非常にたくさんあり、それらが複雑に絡みあって、この国の危機が生じているのです(※思いついたものを文末に18ジャンル108項目ほど掲載してみました)。
ですが、これだけたくさんの社会的な病理を抱えているにもかかわらず、私たち日本人はこれまでしっかりと解消・改善を進めて来たでしょうか?
政治に限らず、学校、職場、家庭、地域、マスメディア。あらゆる場面であらゆる取り組みが必要なはずなのに、残念ながらほぼ全て手つかずの状態ではないでしょうか?
そうして不安や生きづらさの社会的要因や文化的要因を解消・改善しようという努力をほとんどして来なかったこと。
それこそが、私たち日本人が感じている不安や生きづらさの最大要因なのだと思います。
ところが最近、この構造を極度に単純化し、私たち日本人の不安や生きづらさが「○○のせいだ」と、特定の集団や物事等が原因であるかのような言説が広がっています。
リベラルのせい、オールドメディアのせい、ワクチンのせい、財務省のせい、フェミニズムのせい、ジェンダーフリー教育のせい、ポリコレのせい、等々。
発信者によってターゲットは様々ですが、その中でも昨今急速に広がっているのが、外国人・移民や、彼らに対する優遇が原因であるかのように語る言説でしょう。
ですが、私たちの暮らしの不安や生きづらさを生み出している原因は、本当に外国人・移民なのですか?
私たちを日頃苦しめている物価高も、所得の伸びや労働分配率が低いのも、無くならないイジメやハラスメントも、もたらしているのは外国人・移民なのですか?
「日本人ファースト」なるもので外国人・移民に対する規制を厳しくして、それらが解決するのですか?
彼らが語る「日本の危機」の大半は、「生活の中で直面している不安・生きづらさ」ではなく、「ネットの誰かによってもたらされた不安」や、「スマホが無かったら生まれなかった不安」に思えてなりません。
少子化問題でも、子供を産まない働く女性や、男女共同参画のせいにするような言説が叫ばれています。
国家のために出産の意思に介入しようという発想自体が非常に問題ですが、明らかにそこに因果関係はありません。
女性の職場進出が日本より進んでいるのに日本より出生率が高い国もたくさんあるのがその証左です。
このように、複雑な構造の極端な単純化やデマによって、特定の集団や政策等に不当に原因を帰属させ、責任転嫁する他責的言説のことを「スケープゴーティング」と言います。
ドイツ国民が感じていた経済的不安・社会的不満・敗戦の屈辱感などの原因を、ユダヤ人や共産主義者、ヴェルサイユ条約、その他の少数派に転嫁する形で支持を拡大しました。
まさに今、それと非常に近しい「他責的言動」が広まっているように思うのです。
その背景にはやはり、SNSの普及とその構造の問題があります。
タイパ重視に伴うわかりやすさの過剰評価と、「事実<分かりやすさ」への価値逆転
そういう環境下だからこそ、インフルエンサー、まとめ動画、情報商材などによる「スケープゴーティングコンテンツ」が、陰謀論や反知性主義、ストローマン(相手の意見を歪めて攻撃する手法)等とともに急増しています。
注目すべきポイントは、選挙に限らず、様々な分野でそのようなコンテンツ・言動が広がっている点。
そして、政治思想や支持政党に関係無く、スケープゴーティング自体が、ポピュリズム等とともにネットのカルチャーや人々の思考回路に深く浸透してしまっているという点です。
つまり、①SNSの構造的問題により、②陰謀論、反知性主義、ストローマン等とともにスケープゴーティングが生じやすくなり、③その結果ポピュリズムや排外主義の拡大に“も”つながったという流れがあります。
一部の人々は、排外主義に反対の声をあげており、それ自体は絶対に必要なことです。ですが、①という根っこの部分に対応しない限り、排外主義の蔓延も止まらないように思うのです。
そこで私たちは、ITプラットフォーマー、国・政府、マスメディアに対して、以下のような方法でスケープゴーティングの蔓延を止めるよう強く要請したいと思います。
(1)ITプラットフォーマーに対して…スケープゴーティングの拡散を抑える仕組みを速やかに整備・強化すること。たとえば、アルゴリズムの見直しや(広告も含めた)ファクトチェック/スケープゴーティングチェック表示機能など。
(2)国・政府に対して…(1)を進めるための法令を整備すること。地域や学校でデマやスケープゴーティングに対する注意喚起・啓発を行うよう要請すること。
(3)マスメディアに対して…スケープゴーティングの問題について積極的に警鐘を鳴らすこと。政治家・著名人・インフルエンサーの発言のファクトチェックや「スケープゴーティングチェック」を選挙に関係無くその都度行うこと。
是非ご賛同いただければ幸いです。
なお、この署名は特定の政治家・政党を対象とするものではありません。あくまでスケープゴーティング自体の問題を問うものであり、同じ問題意識を持っている方は、支持政党に関係無く賛同をお願いします。
加えて、デマや差別の収益化問題に関しても、規制を求める署名キャンペーン「#デマや差別の収益化を法律で禁止して !IT企業に対応を義務付けてください」を実施しております。こちらも合わせてご賛同よろしくお願いいたします。
一方で、私たち市民一人ひとりも、スケープゴーティングに対してしっかりと防衛しなくてはなりません。
日常会話の中におけるこまめな情報源の確認(たとえば「え、それってどこに載っていたor誰が言っていた情報?その情報源って信用できるの?信用できるかどうかってどうやって決めているの?」という問いかけ等)
人権や社会構造等にある程度理解のあるAIチャットサービスの活用した簡易チェック ※ただしハルシネーション(AIが事実に基づかない情報を生成すること)に注意
やれることはたくさんあります。
また、個人だけではなく、学校、職場、家庭、地域、市民活動など、暮らしのあらゆる場面でもスケープゴーティングを止める多様な取り組みや活動が必要です。私たちのこの活動もその一つとして機能できればと思っています。
◆(参考)日本が抱える社会問題の社会的/文化的要因(108例)◆
①人権の未確立、権威主義、序列社会、ノブレス・イミュニテ/プルブレス・オブリージュ、身分制人事/身分制給与、スクールカースト
②ムラ社会的同調圧力と排他性、成文化されていない規範の強さ、均質性至上主義、縁故主義/ネポティズム、集団への過剰な帰属意識、他者の目線に対する過剰反応、自己検閲
③事なかれ主義、過度なリスク回避主義、泣き寝入り圧力の強さ、組織の自浄能力の欠如、形式的反省評価社会、加害者更生意識の希薄さ
④空気至上主義、迷惑回避至上主義、文脈理解の難しいハイコンテクストなコミュニケーション、忖度社会、アサーティブコミュニケーションの未発達、コンフリクトマネジメントの未発達
⑤形式主義、前例主義、手段の目的化、名誉への過剰な執着、事前審査偏重社会、長期的視点の欠如、申請主義/プル型公共サービス
⑥根性論、長時間信奉、自己犠牲至上主義、忠誠心評価社会、顧客至上主義、遅刻過剰嫌悪社会、ケア労働の無報酬性・低評価、メンバーシップ型雇用、年功序列
⑦ 家父長制、ミソジニー、ホモソーシャル、himpathy、toxic masculinity、性別役割分業、貞操崇拝
⑧ 各種ハラスメント、DEIの未発達、アンコンシャスバイアス、マイクロアグレッション、セクシズム、レイシズム/ゼノフォビア、エイジズム、ルッキズム/ボディシェイミング、感情労働の過剰要求、レイプカルチャー/ポルノカルチャー/買春カルチャー、性的消費の横行、未成年の性的対象化
⑨ 標準家庭神話、機能不全家族、積極的自己選択ではない家族形成、過剰な家庭教育責任論、母性神話
⑩管理教育、自己肯定感育成意識の欠如、多様なアイデンティティの未発達、ブラック校則、集団行動至上主義、リテラシー教育の欠如
⑪反知性主義、幼稚性賛美、正義フォビア/公正さフォビア、真面目フォビア/正論フォビア、イジメの陰湿性
⑫ 自他境界の弱さと侵害、認知の歪みの放置、わら人形論法の横行、二元論/二項対立思考、ルサンチマン惹起構造
⑬民主主義型コミュニケーション能力の未成熟性、議論フォビア、抗議フォビア、政治的話題忌避主義、ロジカルシンキング/クリティカルシンキングの欠如
⑭立法の不作為と失政、ジャーナリズム崩壊、人治主義/治外法権組織の横行、司法・警察の恣意的判断の介入、セクショナリズムの蔓延
⑮利他主義や社会貢献意識の欠如、冷笑主義、新自由主義、公共概念の消滅、セーフティネットの欠如、依存先の多元化不足/共助コミュニティの崩壊
⑯公正世界仮説と自己責任論/自助圧力、権力勾配性に対する無理解、特権や構造的障壁に対する無理解
⑰経済格差/教育格差、社会資本格差、負担と給付の一致という前提に欠けた政治議論、血縁跡継ぎ社会
⑱ ハレの偏重とケの軽視、穢れの思想、休日分散化の未発達、美談化による本質回避主義
…アホかこのサイトは
確かに誤解されているとは思う
コミュニストというと共産主義を目指している集団みたいに思われがちだが、彼らの行動原理というのは実はただの嫉妬や他責である
俺が不幸なのは搾取されているからだ!俺にはもっと価値があるはずだ!俺以外の奴らが権力を持っているのが不快だ!俺にももっと金と権力を寄こせ!
これはマルクスの共産党宣言を見れば分かるが、要はこういったルサンチマンが彼らの原動力になっているのである
無論、マルクスの時代は封建制であり領主と資本家が結びついて絶対権力の元民衆から搾取していた時代
この体制を覆すのは難しいので、マルクスは共産党宣言で「権力を倒すには暴力革命しか無い」と書いた。それはまあ正しい
(マルクス自体が裕福な貴族で、仕事もせずに遊びまくって借金しまくって追放され、それでも遊ぶのをやめずに得意の口先で金持ちに近づいては借金踏み倒しをしていた糞みたいな人物という事に目を瞑れば)
こういったマルクスに感銘を受けた革命家の多くが、革命成就後に封建主義領主以上の圧政を敷く独裁者となったのは貴重な教訓で
こうしたことから、人間社会は誰も絶対権力を持ち得ない民主主義を少しずつ改良して今に至る。
ただ毛沢東が大失敗し、ポルポトの悪事が世に広まってソ連が崩壊しても尚亡霊のように彷徨うコミュニストの残滓は
民主主義へのの世の中になっても尚権力との戦いを止めない。民主主義社会の権力というのは大衆の集合意思であり、その為のシステムとして選挙があるのだが
選挙で勝てないとなると大衆を敵に回しても革命を目指すがこういったコミュニスト残党である。それは則ちテロリストと同義なのだが彼らは21世紀の先進国に生きながら尚自分が封建領主から搾取されていると思い込んでいる。
彼らの行動の原動力は他責思考と原動力なので、いざ自分が権力を握ると有頂天になって独裁と圧政を始めるのは多くの歴史で証明されているところである。
一方日本共産党だが、彼らは世界の共産党(多くが非合法な反政府組織)とはちょっと違う特異な組織
日本だと共産主義者が最も隆盛を極めたのが1970年代で、連合赤軍が警察の追跡の中あれだけ逃げられたのも、住民の中で赤軍や左翼学生に同情的な一般人が多く、彼らを匿ったり支援したりしたからだと言われている。
こういった多数の一般人を票田とすることで日本共産党は勢力を伸ばした。
宮本顕治の作った日本共産党の当初の理念がどうだったのかは分からないが、民主主義下では国会や自治体に議席を持てば一定の権力を手に入れる事が出来、そこには利権が発生する
いつしか日本共産党はその利権を独占する幹部と、幹部に仕える多くの使用人+利益(票)を生み出す領民という構図の組織になった。領民は収入の1%の年貢と数年に一度の票を捧げる義務がある。
これは株主の為に社長以下強固なピラミッド組織で利益を追求する会社組織と同じだ。会社と違うのは利益の源泉が商取引では無く税金からもたらされるという部分。
日本共産党はその集票力を使って国政や地方自治体に議員を送り出し、議員から利益(収入の一部、政務活動費のバック、秘書給与など全て税金から)を吸い上げる
共産党の議員で医者や弁護士が多いのも、共産党に寄付をして貢献すれば議員になれるから。共産党の支持層というのは日本全体では2%ぐらいだろうが2%あれば比例や多くの自治体に議員を送り込めるのだ。
で、誰を誰を送り込むかは共産党の幹部が決める。自己肯定感の強い医者や弁護士は金を手に入れただけでは満足せず、次は地位や権力を欲しがる。それを金で売る。
マジかよ。そりゃ就職はどうしようもなくて、そのまま、今も、差別とか戦争に期待するほど苦しい立場にいるんだよな、50も見えてるのに日本人である事しか拠り所がないなんて、つらいな。つらすぎる。
でもこれで、ほんとにお荷物世代になっちゃうじゃんか。そんなのつらすぎだろ。2ch→ニコニコのノリで流れてきて精神性だけ幼いまま、世の中とっくに変わってるのに、ダサい愛国やヘイトが沁みるセキュリティの甘い心で生きてきてたのかと思うと泣けてくる。
ルサンチマンがそんなに溜まってたなんて、正直舐めてたよね、日本の全てが。氷河期の事を。黙って消えてくれると思ってたら、数の力で最悪の形で日本社会の足を引っ張り出すの、同じ氷河期としてほんとに辛い、やめてくれ。せめて氷河期党作れば良かったのに。
みんな今からすごい幸せになって裕福になって救われたら、あんな党なんかに入れないだろ…悲しいよ俺は
あの時みんなちゃんと就職できてたら「こんな事」になってないんだよ…誰も悪くない、悪くないんだ、誰か氷河期を救ってくれ。1世代棄民にした重みで社会が壊れるぞ