
はてなキーワード:リレーとは
さっきケンタッキー・フライド・チキンの店舗前を横切ったらさ、よく見えねーけど、なんか女子高生っぽい白い制服の集団が、楽しそうにしてたわけですよ
それをみて思ったのがさ、俺は結局、女子高生になりたかったというか、女子高生である瞬間が欲しかったんじゃねえかってこと
厳密に言うと女子高生ならなんでもいいってわけじゃなくてさ
・パッと見でなんの部活に入ってるかわからない(運動部の快活さも、吹奏楽部や美術部の陰湿さもない)
・それなりに朗らかだけど、なんとなく笑顔に陰があるような感じがする
・カバンに古い映画(バックトゥザフューチャー等)のキーホルダーをひとつだけ付けている
・電車の中でスマホを見ないようにしているが、それは謎の見栄によるもので、家ではメチャクチャスマホを見ている
・写真に映るのをなんとなく嫌がる
・運動神経が悪い
・陰口を言わない(人のことをあまり悪く思わないので、言えない)
・授業に出てきた本(現代文の小説や、世界史で紹介される名著)を買って読んでいる(が、中身はそこまで分かってないらしい)
・仲のいい2人くらいの女子だけは(名前)ちゃんと呼び、あとの人は全員(苗字)さんと呼ぶ
・どうでもいい雑学に強い
・星とかに詳しい
・川が好き
・授業中はメガネ
・猫がいると「お、ネコだ」と言うが、近寄らない
・静かだけど喋ると面白い人、的な扱い
・駅のホームで、人がいない端っこのほうに行きがち
・登校時間が遅い
・友達といるときは箒でエアギターやってる姿などもまれに見られる
・無地の服を着がち
・授業中、全然寝ない
・髪は後ろで括っていることが多い
・スマホケースに何の装飾もない
・体育祭のフォークダンスでは、わりとちゃんと手を繋いでくれる
・踊り自体は下手
そんでさ、ケンタッキー・フライド・チキンで楽しそうにしている3人組の中の、いちばん大人しそうな子が俺でさ、でも、会話の中でちょいちょい面白いことを言って、「もー増田ちゃん!!」とか言われてるってこと
3人が解散したあと、笑顔で2人を見送って、スッとクールな表情になって歩き出すんだけど、足元で小石を蹴ったりしているということ
イヤホンを取り出して聴き始めた曲は、British Grenadiersみてえな、クラシックなのかなんなのかわかんない、聴けばわかるけど聴こうと思って聴いたことはないような曲であるということ
駅のホームで偶然彼女を見かけて、会釈をしたら、向こうも眉を上げてはにかみながら会釈を返してくれて、しかもなんか片手まで挙げてくれる、ということ
そういう感じのね
Permalink |記事への反応(20) | 14:44
https://togetter.com/li/2617426
町内会の話。
コロナ禍で、都内に居る意味が希薄になり、都心から電車で1時間くらいの都市の中古住宅を購入して住み始めたのが4年ほど前。
空気も美味しく、朝取れ野菜も安く、美味しく。家も広くなり、ペットも自由に飼えて、温泉は車で30分。
中古住宅のローンは、都内に居たときの駐車場代ほどで、控えめに言ってもQOLは100倍ほど向上。
都心まで1時間は、遠いと言えば遠いが、週に数回程度の出社であればトータルでは引っ越して大正解といった状況。
本題の町内会だが、引っ越してすぐに誰ともなく加入の話が届き、加入は自由とのことだったが、自分は加入した。
町内会費は、年額3000円。元記事に比べればかなり良心的である。
加入後すぐに、町内一斉清掃があり、新参者は参加すべきであろうと、朝の9時に近所の公園にいったら、
え?一人しかこないの?と度肝を抜かされながら、
「みなさん来るんですか?」と聞いてみたら、
「私も10年ぶりに組長だからきたけど、来るかわからない」というので、
それはそれは、安堵しながら。結局2人で、草刈りして終わってしまった。
実際公園と言っても、小さな公園で、2人で30分もやれば済む程度のものであった。
地域的には、田舎といっても過言ではないだろうが、中古で購入した物件の周りは比較的新興住宅街なので、
都心のマンション暮らしからの、新参者的には、嬉しい誤算である。
代表組長→組→班 といった構成になっており。班が大体10世帯前後で構成されている。
その10世帯で、班長を持ち回りで担当するのが、うちの班の習わしらしく
その持ち回りの一体どこに組み込まれたのかそのロジックは不明だが、
ちょうどうちが今年の班長担当ということで、今年の春から班長をやらさせていた頂いている。
2,年に2回の理事会の参加。
3,町内会費の集金。(これはややめんどくさいが引っ越してから一度も話したこと無い人たちに会えてよかった)
この3つである。
この年度初めの理事会は、班長も参加する年一の大規模なもので、
一つ心に残ったのは、よくネットでも話題になる、ゴミ捨て場問題の話で、
会長が、この自治会は地区の価値を高めるためにあると思って活動しているので
できれば、未参加の方を排除するのではなく、ご賛同頂いている方にご納得いただける活動を前向きに推進していきたい。
みたいなことを言っていて、個人的はとても良い考えと、地区だなと思った。
これは、性分なのだが、ごちゃごちゃ何時間も誰もやりたくないという話し合いが大嫌いなので、
「組長の仕事はなんですか?」と聞くと、
担当班の(3から4班分)の回覧板が月に1回届くので、各班の班長にそれを配るのが、組長の仕事だというので、
それなら、時間をかけて決める価値も無いほど些細な仕事量だなと思って。
実際に組長の仕事は、本当に班長にの仕事にプラスしてこれだけだったので、即答で決めて良かったと思うのだが、
突然インターホンが鳴り、玄関を開けると、町内会の会長、副会長が立っていた。
「何事ですか?」と聞くと、
「代表組長をやってほしい」という。
「代表組長ってなんですか?何やるんですか?」と聞くと、
「組長の代表で、仕事は年に2,3回の理事会の会合、夏祭りや運動会も手伝ってくれると嬉しい、でも仕事優先でもOK」という。
まぁ、、、、、会合や、イベント事を断る自由があるなら、、、、
それに選ばれた上で、組長、更には代表組長を担当する機会など、この後の人生で何度あるだろうか?と考えると。
めんどくさいが、逆にこんな機会はそうないのかな?と思って、
これは、ただの組長とは全然違って全ての仕事を受けるとするならばそれなりハードである。
ざっくり仕事をまとめると、
各種イベントは、夏祭りや、地区の運動会、用水路の清掃活動など、毎月1つくらいは何らかの活動がある。
とは言え、立候補ではなく、お願いされてやらせてもらってる立場と、
仕事優先でOKという言質があるので、(そんなものなくても多分大丈夫だが)
連絡はあるけど、行けたら行きますが通用するので、大変ではない。
とくに予定がなければ、
運動会でリレーのアンカーとして走って地区優勝に貢献したりと、楽しんでいる。
これを書くきっかけとなった、元記事の「お金の使い方」だが、、、
町内会の、理事の一員という、一生に1度のあるかないかの機会。
正直、この役を受けた理由の半分くらいは、お金の使い方見てみたい!!という気持ちがあったのは事実。
で、実際のところ。
例えば、理事会の会合で、お弁当とお茶と思ったら、お弁当とビールだったとか。
夏祭りの打ち上げが、会費3000円だけど、たぶん5000円くらいの料理でてるとか、
実際あるけども、、、
ビール報酬に費やした時間を考えたら妥当どころか、時給100円みたいな話で。
そんくらいは貰ってもバチはあたらないよなぁというレベル。
なり手が少ないということは、この程度のビールでは足りてないというのが現実なんだと思う。
実際にやってみると、
昨今、メールやLINEやスケジューラーで予定を組む以外の方法は、驚きとともに新鮮。ポスト開けるの遅れたら普通に参加できないじゃん!とか。
(飲み会でマジ物理的な連絡びっくりしまたーみたいなこと言ったら、会長とLINE交換して、LINEでスケジュール届くようになりました・・・)
驚くほど古い仕組みで動いてるところにもびっくりすることはあるけど。
毎年やれとか、◯◯部の理事とかは、やばい仕事量なのを見てしまったので、やりたくないけど。
最後に、余談というか予測だけど、自分みたいに代表組長で割と前向きに参加してる人少ないだろうから、
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。
エッセイ的な部分で書かれていることに、
現代(2025)にならなければピンとこない考え方、
彼のエッセイは普段我々が感じているけれども言語化出来ていない、していない部分を高い文章スキルで言語化していることに特徴がある。
そうだったのか!!と膝を打つような気づきを与えられたとか
そんなこと考えたこともなかった!!
その人はあまり上手く社会に出るまでの助走期間を頭の体操に使えていなかったのではないかと思う。
もちろん、日本の我々が読んで、米国社会特有の事情などに初めて接することで驚くことがあるのは当然であるが、それは別の問題。
(これは元増田に対する反論とかそういう類のものではない。なんとなく思いついたことをリレー式に書いただけの内容の希薄な文章。)
趣味で繋がってる友人の一歩手前くらい知人って距離感で一緒に飲もうやって話になったんだよね。
私の場合それは合意したし、乗り気だった。飲み自体も楽しくはあったんだけど、終わった後かなり濃密なボディタッチされて絶望したことあったな。
なんつーか、それまで人間として信頼というか尊敬の一歩手前くらいまでいたんだけど触られた瞬間キモ!って思ってしまいそれまでの像がガラガラと砕け散る感じがした。
で、次に考えたのが「いかに殺されずに/怪我させられずに/強姦されずに帰宅するか」つまり相手を逆上させないように振舞えるかだった。
直接的にキッパリと「身体に触れるのはやめて下さい」と断って、俺を痴漢扱いするのかと逆恨みされるかも知れない。そうなったら危害を加えられる可能性は高い。
婉曲に「やめてよ」とアクションしてみても俺の好意を無碍にするのかと怨恨をこじらせストーカー化するかも知れない。そうなると今後の社会生活が面倒になる。
発想が飛躍しすぎだろうか?
いやだっていきなり身体に侵襲的な行為を加えてくる人間のことを咄嗟に信用し直せっても土台無理な話じゃん。
まぁ文字に起こしてみると過激な文言ではあるけど、実際のところ怯えている様子や態度は見せることなく(そうすると嗜虐心を刺激しそうだったし)なんというか、あくまで「最低限のベースライン」として脳内での危機管理がされてたって感じ。
で、殺されたりすることに比べたら不快感はしゃーないと割り切ってのらりくらりやり過ごすしかねーなと腹を括ってからは虚無の心で対応し帰宅するまでの時間稼ぎを乗り切った。
ここで会話を繋いでこれ以上関係を築くことはしたくねーなと思ったんだが、ブロックしたらこれまた話が拗れそうだな、と。
しゃーねーなと思いつつ適当に相槌だけ打って会話のリレー自体は続けない、ということを繰り返していたら漸く「察してもらう」ことが出来たらしく連絡の途絶えたまま今に至る。
今私が殺されもせず五体満足で(直後は流石にメンタル不調に陥ったが)健康かつ安全に暮らせているのは当時の私の判断のおかげなんだろうか。
いやいや、もしかしたら案外やめてって言えば素直に引き下がったかも知れない。
でもその賭けを自分の命や安全とトレードオフには出来なかった。それだけの話でした。
Permalink |記事への反応(31) | 19:52
子供のころから、僕の心はいつも繊細すぎるあまり、小さなことで深く傷つき、簡単に折れてしまっていた。
学校では友人関係に悩み、授業中のちょっとした指摘にも胸が締め付けられるような自己嫌悪に陥り、家に帰ると涙が止まらなかった。
しかし、その「精神の脆さ」の大部分が、筋力トレーニングによって驚くほど軽くなり、自分でも信じられないほど心が安定している。
以下、長いのでよければ読んでほしい。
幼稚園のころから、泣き虫で人前で発表なんて絶対にできなかった。
小学校では運動会のリレーでバトンを落としただけで、一日中ふさぎ込んだ。
中学生になると、テストの結果が思わしくないと、夜まで布団の中でうなされ、翌朝はまるで寝ていないかのように顔がむくんでいた。
高校生になっても「自分はダメな人間だ」という思考から抜け出せず、文化祭の準備でもイライラして友人と衝突し、自己嫌悪に陥っていた。
大学に進んでからは、自己評価の低さゆえに講義にあまり出席せず、暗い寮の部屋で無気力と羞恥心にさいなまれる毎日。
就職しても、些細なミスで上司に叱られると胸が締め付けられ、仕事が手につかず休職寸前まで追い込まれた。
そんなある時、ある専門記事で「筋トレはセロトニンやドーパミンの分泌を促し、幸福感と集中力を高める」と知った。
思い返せば、運動をすると一瞬スッキリする経験はあったものの、すぐに疲れてしまって運動の習慣化は出来ていなかった。
だから、じっくりと負荷をかけて無理のないように続けていく方針で筋トレに取り組むことにした。
最初の3か月は、週2回のスクワットとプッシュアップを中心とした軽い負荷から始めた。1回8〜10回×2セット程度で無理のない範囲に抑え、フォームの習得と運動習慣の定着を目指した。
この段階では、運動の爽快感によって落ち込みの谷が浅くなるのを感じる程度だったが、自己否定のループから抜け出すきっかけになった。
4か月目に入ると、スクワットの回数を12回×3セットに増やし、ダンベルローイングやプランクを取り入れた。フォームが安定するごとにプレートを少しずつ増やし、自分の身体の変化を実感できるようにした。
この時期には「自分には挑戦し続けられる」という感覚が芽生えた。
朝の目覚めが軽く、昨日の失敗をいつまでも引きずらなくなった。
仕事中、雑音や些細な会話に心を乱されず、自分のやるべきことに集中できる。
プレゼン前も、かつては胸がどきどき震えたが、「伝えたいこと」の構成に思考を巡らせられるようになった。
7か月目以降は、ベンチプレスやデッドリフトなどの複合動作を週3回のトレーニングに組み込み、1回10〜12回×3セットを目指した。
最初は扱えなかった重量が、月を追うごとに10%ずつ増え、そのたびに「もっと自分を高められる」という確信が胸を占めた。
トレーニング前後には適度なストレッチと瞑想を取り入れ、セッション中の「今ここ」に没入する集中力を養った。
筋トレ1回1回が自己制御とストレス耐性を鍛える「精神のレッスン」となり、仕事や人間関係でのプレッシャーにも動じなくなった。
以前は飲み会の雑談に気疲れしていたが、今はリラックスして会話を楽しめる。
休日に趣味の映画を観ても、昔のように心がざわつかず、作品の世界に深く没入できる。
小さな出来事に感情を振り回されない自分に驚きながらも、飾らない日常を心から喜んでいる。
不安の軽減:運動後のエンドルフィンとドーパミン分泌が、日常の小さな不安を和らげるバッファーとなった。
集中力の持続:重いバーベルに全集中することで「今ここ」に没入する感覚が養われ、仕事中の心の乱れが劇的に減少。
自己肯定感の向上:重量アップの成功体験が積み重なり、「自分には挑戦し続けられる」という強い信念が根付いた。
ストレス耐性の強化:ウェイトの重さに耐える身体感覚が、精神的ストレスにも耐えられる基盤を作り上げた。
もちろん、この方法が万人に効くとは限らない。
だが、子供のころから抱えてきた「精神の脆さ」が、筋力トレーニングというシンプルなアプローチで驚くほど軽くなる可能性があることを、同じように悩む人にはぜひ知ってほしい。
筋トレは単なる肉体改造ではなく、心の安定をもたらす最強のパートナーになり得るのだと実感している。
この方法は一例であり、トレーニング強度や頻度は個人差を踏まえて調整することが大切だ。
初心者はフォームの確認と段階的な負荷増加を心掛け、怪我を防ぐこと。
持病や既存のケガがある場合は、専門家の指導を受けることをおすすめする。
子供のころから抱えてきた「精神の脆さ」が、筋力トレーニングという継続的かつ段階的なチャレンジを通じて、1年間で驚くほど軽くなる可能性があることを、同じように悩む人にはぜひ知ってほしい。
駅のコインロッカー、銭湯やジムとかのロッカーは脆弱性がヤバい。
鍵が使いまわしだし複製する時間も十分確保できるんだ。
朝イチで施錠して町の鍵屋にスペアキーを作ってもらって鍵を戻すまでの時間も十分にある。
銭湯のロッカーの鍵なんて短い片面にしかギザギザがない。あんなの茶をしばいてる間に出来上がりよ。
銭湯とか防犯カメラを付けにくいエリアなんて入れ食い状態なわけ。
あんな他人だらけの無防備な空間なんて狙われ放題なわけ。銭湯なんて大半の人は他人をジロジロ見ないからな。
容姿を見て狙いを定めたら去った後など悠々とやられ放題なわけ。
奴らは身元割れない方法で換金性の高い商品をゴッソリ購入するスタンバイして臨んでるからな。
なんなら犯行後にしれっとカードを元に戻して発覚を遅らせたりするからな。
アホな事言うようだけど、これがまず第一。
財布・スマホ・時計・鍵の類は物理鍵だけのロッカーに残さない。
最近はロッカーとは別に貴重品専用ロッカーとして自分で暗証番号設定できるロッカーが設置してある所も出てきた。
駅のロッカーなら最近は交通系ICカードで施錠解錠できるヤツあるからそれ使え。
どうでもいい財布に現金1000円くらいとカモフラージュのポイントカードを数枚入れておけば仮に開けられた場合にそのダミーだけ持って行かせるという対策。
自分はそういう目的でも小銭入れと札入れをセパレートで使ってる。
無論、くまなく物色された場合は無力。
容易に盗まれることは理解できたかと思うけど、捕まるのも容易なのだ。
なのでこの手の犯行に及ぶのは窃盗団の下っ端で損切りをしやすいヤツか、ただの間抜け。
先週の水曜日、久々に電車を乗り間違えた。乗る予定だった快速に間に合わず、鈍行に飛び乗った瞬間、スマホがないことに気づいた。鞄の中をひっくり返しても出てこない。心臓がキュッとなったまま、僕はそのまま降車ボタンを握りしめた。
「終わった……」
そんな気分で座席に突っ伏していたら、隣のサラリーマンが「スマホ出しっぱなしだよ」と僕のスマホを差し出してくれた。自分のズボンのポケットからスルリと落ちて、あのとき僕は絶望と救いを同時に味わった。
金曜日はカフェで原稿を書こうと思って早めに家を出たのに、規約改定の通知メールに気を取られて、気づけば店内の電源コンセントには誰かのスマホが4台も占領していた。まるで現代の寺院か何かかと思うほどの勢いで、人々はスマホを充電していた。僕は仕方なくスタバの横のコンビニでコーヒーを買い直し、立ち飲みで原稿を打った。
土曜日は久々に友人とオンライン飲み会を開いた。Zoomで顔を合わせた瞬間、「なんか肌が綺麗になった?」と言われて、30分でスキンケアの話を延々と聞かされた。結局、カメラ越しに高級クリームの通販サイトを3人で覗き込み、散財の予感で夜を終えた。
日曜日の夜、ベッドの枕元には充電器に繋がれたスマホが三つ並び、通知音がリレーのように響き渡った。僕はそれを全部サイレントにして、慌ただしく歯を磨いた。鏡の前で自分の顔をじっと見つめ、明日からまた乗り過ごさないようにと心に誓った。
最近の僕はこんな感じで、電波と通知に囲まれながら小さなドラマを繰り返している。平凡な日常のはずなのに、たまに訪れるほんの少しの異変が妙に心に残る。おそらく、これが僕という人間の「仕草」なんだろう、と思う。
そして火曜日。朝のカフェラテを買いに近所の自販機へ向かったら、100円玉が詰まって落ちてこない。自販機を揺すっている僕を、横を通り過ぎる小学生が不思議そうに見つめていた。結局、お釣りレバーをガチャガチャと引きながら、後ろに並ぶ人たちの視線が背中に刺さるのを実感した。
同じ火曜日の夜には、久しぶりに夜風に当たろうとベランダへ出た。腕時計を忘れて外に出たことに気づいて、一瞬「時間なんてどうでもいいか」と思った。でも、空に浮かぶ月を見たら、何かを忘れていた自分を思い出した。たぶん、大切な約束だった。
水曜の昼下がり、オフィスの自分の席に戻ると、机の上に見知らぬ封筒が置いてあった。開けてみると、先輩からの差し入れの焼き菓子と「頑張れよ」とだけ書かれたメモが一枚。小さな包みと一言が、妙に心に沁みた。
そして今、また週末が近づいている。僕はスマホを手に取り、見慣れた通知アイコンを見つめたまま、ふと思う。「こんな些細な出来事が、いつか大袈裟な物語になるのだろうか」と。カチャリとロックをかけて、その疑問をそっと胸にしまい込んだ。
自分も体育ド下手でさ、マラソンは学年のビリ、リレーは迷惑かけるだけだった。なんで走るのかわけわかんないよ。普通に生きていればそんなに長く・早く走る必要はないのに、なぜわざわざ人体に負荷をかけるの?って今でも思う。
今世界陸上やってるみたいだけど果てしなく意味わかんないもん。
美術館は夫婦で行けばいいじゃん。お金があるならヘルパーでも雇って自分の時間を作りなよ。あとディズニーは本当に親子で行けないのかな?ディズニーでなくても花畑に行くとか、家族で楽しめることはあると思うよ。
内容、拝見いたしました。
常に横に補助員が居ないというところからすると、発達障害でも軽度なのかと思います。
子どもの母親は、うつ病になったため、二人のケアをしていた状況でした。
リレーで同級生と手を繋ぎ、導かれて一緒に走ったという姿。ショックなのは分かります。
しかし、日常生活補助の先生が常に介入してくれていたこと、またパニックになった場合に保健室が避難所として常に機能してくれたことで、なんとか通常学級に所属させていただくことができました。
もちろん(ということであってはならないのですが)、同級生とその親からは、かなり嫌われていました。
言葉はかけられないのでどんな嫌われ方をされているかは全くわかりませんが、無視されている事は確実です。
しかし、だからどうということはありませんでした。私も彼らに関心がありませんので。
子どもが小4になったあたりで、妻がパワハラにより鬱病に陥ってクビになり、私はコロナの影響でフルリモートワークになりました。
コロナの影響で補助の先生もこれなくなり、これが常態化します(これについては、良かったのか悪かったのか、判断付いていません)
その頃から、私はリモートワークであることと、管理職で労働時間に自由度があることを活かし、濃密にケアをするようになりました。
気をつけたのは、
・学校で何があったかを聞くこと(毎日を同じ日にしないように起こった事をユニークな事象として解釈し、それをなるべく面白おかしく解釈してコメントを入れること)
・家が、最終的な逃げ場所になること
・自己肯定感の向上は無理には目指さず、低下を招かないことだけを気にすること(医者は自己肯定感の向上を物凄く気にしますが、いろいろ理由があってあえて無視しました)
です。
(診断があった時に精神科の先生から説明がありましたが、)自閉症と多動症は重度でなければ次第に改善してくることが多いそうです。
実際に子どもは、少しづつ多くの人の中に居てもパニックにならないようになり、自分の症状に自覚が出て対処方法を考えて行動するようになっていきました。
中学では、通級がありました。
通級は情緒障害に対応していたはずですが、実際の指導内容は知的障害者向けの内容でした。
そこで夏休みのタイミングで、校長等を巻き込んで、情緒障害やPDDがどういうものか、知的障害とはどう違うのか、どういう治療法が提案されているのかを 60ページくらいのスライドに纏めて説明し、理解を求めました。
通常学級の先生もそれを見て、どう対応すればいいのか理解してくれました。
そうする中で通級指導教室の先生も、通常学級の先生も、対処がうまくなってきた関係で、通常の授業に常に出れるようになりました。
何件かイジメ事案はあったものの学校側の対処が成功し、こちらも発生しただけで重大事案にはならずに収まるようになっています。
相変わらず、学級の大半は無視をしているようですが…学級での必要な連絡が停止する事がないようになっているので、問題はないでしょう。
先日授業参観に行ったところ、子どもは通常学級のグループワークで積極的に発言して、課題に取り組む姿が見えました。
去年までは全く見られなかった行動で、その成長ぶりに涙がながれそうになりました。
ここまでつらつらと、私の経験を話してまいりました。
そうですね。今は辛いとおもいます。少なくとも、私は辛かった。
しかし、絶望せずに、何ができるかを考えて行動していくことにより、定常発達の子では味わえないような成長の実感を得られました。
今は、そういう特別な成長実感の機会を与えてもらえたんだと、前向きに考えております。
以上、何かの参考になれば幸いです。
(今の問題は…ここまで改善していることを全く精神科の先生に伝えるのを忘れていたことです。先生はまだ中等症だと思っており、怒りとともに特別支援学校を勧められているんですよねぇ…。どうやって説明しよう)
■自閉の年長息子(5)の運動会はとても上出来だったが悲しくて涙が止まらない
これを書いているのは運動会の当日だが、涙が出てきて止まらないため、吐き出させてほしい。
年少・年中の運動会の際は、ほかの子に比べてできない点が目立ち(たとえば、お遊戯をまったく踊らないなど)私は大きなショックを受けたため、今回も同じようにショックを受けるのだろうと身構えて行ったのだった。
クラスごとのリレーでは、あらかじめ運動会担当の先生から、「練習したが気分にムラがあり、走らず応援に回るかもしれない」と言われていた。
ただ、一応リレーの順番の中には含まれており、走る想定であるらしい。
話を聞いたときは、「単純に走ることはできるのにリレーになるとできないんだな」と不思議に感じたが、やっぱり集団行動は難しいんだな・・と、わかってはいるものの悲しくなってしまった。
息子はうまく走れるのだろうか。バトンを受け取ったらどうなるのだろう?走れるのか?
大勢の人の目に注意を奪われて、立ち止まったりどこかへ行っていまったりしないだろうか。
とうとう息子の番になった。
どちらかというと、お友だちが先導する形で、息子はそれに引っ張られる形で。
息子は「リレーを頑張ろう」という表情ではなく、どちらかというと戸惑ってる顔だった。
「なんでこんなことしてるんだろう?でも手をつながれているから走っている」ってかんじだ。
サポート役の子が協力してくれなかったら、息子はきっと走れなかったのだろう。
ゴールできてほっとした半面、ああ、なんか、ほんとうに息子は障がい者なんだな・・と落ち込んでしまった。
障が者が健常者に手を引かれて走る、という光景はテレビかなんかで見たことがある。
そこに息子が当てはまるなんて・・・その瞬間まで全く想像していなかった。
もう、障がい者確定なんだな。
小学校では支援級に入ることになるかな・・・と思っていたが、支援学校も検討すべきだったろうかと後悔した。
そもそもなんでリレーができないんだろう?ただ走るだけなのに・・・
言葉は若干遅れているものの、コミュニケーションはとれるし、知的な障害があるとは感じられない(境界域ではあると思う)んだが・・
障害物競走では、最初の障害物は難なくクリアできたが、最後の障害物の前で立ち止まってしまった。
おそらく、すでにほかの子がゴールしてしまっていたため、この障害をどのようにクリアすればよいのか(見本がないため)わからず、困ってしまったのだと思う。
その場で困惑した表情で、気力をなくしたようにへたり込んでしまった。
先生が手を差し伸べてくれてゴールはできたものの、2周目はやりたくないと拒否していた様子が見えた。
そもそも当日朝は、運動会にはいきたくないとかなりごねていた。
実際に運動会に参加してみて、本人にとってはかなり苦しい作業なのだと想像できた。
「他の子ができることが自分にはできない」のはつらいし、プライドもずたずたになるだろう。
ああ、これからどうなんだろう。
昔クラスにいたあの子のように、クラスのみんなから外れてしまうのではないか。
私があの子を奇異の目で見ていたのと同じように、息子もクラスの子から敬遠されるのだろうか・・
これを書いているのは運動会の当日だが、涙が出てきて止まらないため、吐き出させてほしい。
年少・年中の運動会の際は、ほかの子に比べてできない点が目立ち(たとえば、お遊戯をまったく踊らないなど)私は大きなショックを受けたため、今回も同じようにショックを受けるのだろうと身構えて行ったのだった。
クラスごとのリレーでは、あらかじめ運動会担当の先生から、「練習したが気分にムラがあり、走らず応援に回るかもしれない」と言われていた。
ただ、一応リレーの順番の中には含まれており、走る想定であるらしい。
話を聞いたときは、「単純に走ることはできるのにリレーになるとできないんだな」と不思議に感じたが、やっぱり集団行動は難しいんだな・・と、わかってはいるものの悲しくなってしまった。
息子はうまく走れるのだろうか。バトンを受け取ったらどうなるのだろう?走れるのか?
大勢の人の目に注意を奪われて、立ち止まったりどこかへ行っていまったりしないだろうか。
とうとう息子の番になった。
どちらかというと、お友だちが先導する形で、息子はそれに引っ張られる形で。
息子は「リレーを頑張ろう」という表情ではなく、どちらかというと戸惑ってる顔だった。
「なんでこんなことしてるんだろう?でも手をつながれているから走っている」ってかんじだ。
サポート役の子が協力してくれなかったら、息子はきっと走れなかったのだろう。
ゴールできてほっとした半面、ああ、なんか、ほんとうに息子は障がい者なんだな・・と落ち込んでしまった。
障が者が健常者に手を引かれて走る、という光景はテレビかなんかで見たことがある。
そこに息子が当てはまるなんて・・・その瞬間まで全く想像していなかった。
もう、障がい者確定なんだな。
小学校では支援級に入ることになるかな・・・と思っていたが、支援学校も検討すべきだったろうかと後悔した。
そもそもなんでリレーができないんだろう?ただ走るだけなのに・・・
言葉は若干遅れているものの、コミュニケーションはとれるし、知的な障害があるとは感じられない(境界域ではあると思う)んだが・・
障害物競走では、最初の障害物は難なくクリアできたが、最後の障害物の前で立ち止まってしまった。
おそらく、すでにほかの子がゴールしてしまっていたため、この障害をどのようにクリアすればよいのか(見本がないため)わからず、困ってしまったのだと思う。
その場で困惑した表情で、気力をなくしたようにへたり込んでしまった。
先生が手を差し伸べてくれてゴールはできたものの、2周目はやりたくないと拒否していた様子が見えた。
そもそも当日朝は、運動会にはいきたくないとかなりごねていた。
実際に運動会に参加してみて、本人にとってはかなり苦しい作業なのだと想像できた。
「他の子ができることが自分にはできない」のはつらいし、プライドもずたずたになるだろう。
ああ、これからどうなんだろう。
昔クラスにいたあの子のように、クラスのみんなから外れてしまうのではないか。
私があの子を奇異の目で見ていたのと同じように、息子もクラスの子から敬遠されるのだろうか・・
これを書いているのは運動会の当日だが、涙が出てきて止まらないため、吐き出させてほしい。
年少・年中の運動会の際は、ほかの子に比べてできない点が目立ち(たとえば、お遊戯をまったく踊らないなど)私は大きなショックを受けたため、今回も同じようにショックを受けるのだろうと身構えて行ったのだった。
クラスごとのリレーでは、あらかじめ運動会担当の先生から、「練習したが気分にムラがあり、走らず応援に回るかもしれない」と言われていた。
ただ、一応リレーの順番の中には含まれており、走る想定であるらしい。
話を聞いたときは、「単純に走ることはできるのにリレーになるとできないんだな」と不思議に感じたが、やっぱり集団行動は難しいんだな・・と、わかってはいるものの悲しくなってしまった。
息子はうまく走れるのだろうか。バトンを受け取ったらどうなるのだろう?走れるのか?
大勢の人の目に注意を奪われて、立ち止まったりどこかへ行っていまったりしないだろうか。
とうとう息子の番になった。
どちらかというと、お友だちが先導する形で、息子はそれに引っ張られる形で。
息子は「リレーを頑張ろう」という表情ではなく、どちらかというと戸惑ってる顔だった。
「なんでこんなことしてるんだろう?でも手をつながれているから走っている」ってかんじだ。
サポート役の子が協力してくれなかったら、息子はきっと走れなかったのだろう。
ゴールできてほっとした半面、ああ、なんか、ほんとうに息子は障がい者なんだな・・と落ち込んでしまった。
障が者が健常者に手を引かれて走る、という光景はテレビかなんかで見たことがある。
そこに息子が当てはまるなんて・・・その瞬間まで全く想像していなかった。
もう、障がい者確定なんだな。
小学校では支援級に入ることになるかな・・・と思っていたが、支援学校も検討すべきだったろうかと後悔した。
そもそもなんでリレーができないんだろう?ただ走るだけなのに・・・
言葉は若干遅れているものの、コミュニケーションはとれるし、知的な障害があるとは感じられない(境界域ではあると思う)んだが・・
障害物競走では、最初の障害物は難なくクリアできたが、最後の障害物の前で立ち止まってしまった。
おそらく、すでにほかの子がゴールしてしまっていたため、この障害をどのようにクリアすればよいのか(見本がないため)わからず、困ってしまったのだと思う。
その場で困惑した表情で、気力をなくしたようにへたり込んでしまった。
先生が手を差し伸べてくれてゴールはできたものの、2周目はやりたくないと拒否していた様子が見えた。
そもそも当日朝は、運動会にはいきたくないとかなりごねていた。
実際に運動会に参加してみて、本人にとってはかなり苦しい作業なのだと想像できた。
「他の子ができることが自分にはできない」のはつらいし、プライドもずたずたになるだろう。
ああ、これからどうなんだろう。
昔クラスにいたあの子のように、クラスのみんなから外れてしまうのではないか。
私があの子を奇異の目で見ていたのと同じように、息子もクラスの子から敬遠されるのだろうか・・
これを書いているのは運動会の当日だが、涙が出てきて止まらないため、吐き出させてほしい。
年少・年中の運動会の際は、ほかの子に比べてできない点が目立ち(たとえば、お遊戯をまったく踊らないなど)私は大きなショックを受けたため、今回も同じようにショックを受けるのだろうと身構えて行ったのだった。
クラスごとのリレーでは、あらかじめ運動会担当の先生から、「練習したが気分にムラがあり、走らず応援に回るかもしれない」と言われていた。
ただ、一応リレーの順番の中には含まれており、走る想定であるらしい。
話を聞いたときは、「単純に走ることはできるのにリレーになるとできないんだな」と不思議に感じたが、やっぱり集団行動は難しいんだな・・と、わかってはいるものの悲しくなってしまった。
息子はうまく走れるのだろうか。バトンを受け取ったらどうなるのだろう?走れるのか?
大勢の人の目に注意を奪われて、立ち止まったりどこかへ行っていまったりしないだろうか。
とうとう息子の番になった。
どちらかというと、お友だちが先導する形で、息子はそれに引っ張られる形で。
息子は「リレーを頑張ろう」という表情ではなく、どちらかというと戸惑ってる顔だった。
「なんでこんなことしてるんだろう?でも手をつながれているから走っている」ってかんじだ。
サポート役の子が協力してくれなかったら、息子はきっと走れなかったのだろう。
ゴールできてほっとした半面、ああ、なんか、ほんとうに息子は障がい者なんだな・・と落ち込んでしまった。
障が者が健常者に手を引かれて走る、という光景はテレビかなんかで見たことがある。
そこに息子が当てはまるなんて・・・その瞬間まで全く想像していなかった。
もう、障がい者確定なんだな。
小学校では支援級に入ることになるかな・・・と思っていたが、支援学校も検討すべきだったろうかと後悔した。
そもそもなんでリレーができないんだろう?ただ走るだけなのに・・・
言葉は若干遅れているものの、コミュニケーションはとれるし、知的な障害があるとは感じられない(境界域ではあると思う)んだが・・
障害物競走では、最初の障害物は難なくクリアできたが、最後の障害物の前で立ち止まってしまった。
おそらく、すでにほかの子がゴールしてしまっていたため、この障害をどのようにクリアすればよいのか(見本がないため)わからず、困ってしまったのだと思う。
その場で困惑した表情で、気力をなくしたようにへたり込んでしまった。
先生が手を差し伸べてくれてゴールはできたものの、2周目はやりたくないと拒否していた様子が見えた。
そもそも当日朝は、運動会にはいきたくないとかなりごねていた。
実際に運動会に参加してみて、本人にとってはかなり苦しい作業なのだと想像できた。
「他の子ができることが自分にはできない」のはつらいし、プライドもずたずたになるだろう。
ああ、これからどうなんだろう。
昔クラスにいたあの子のように、クラスのみんなから外れてしまうのではないか。
私があの子を奇異の目で見ていたのと同じように、息子もクラスの子から敬遠されるのだろうか・・
来年の息子は、幸せを感じられる日々を過ごせることを願いたい。
Permalink |記事への反応(30) | 17:05
弱者男性だが、大体世間ではチー牛オタク弱者男性で運動も勉強も仕事も出来ないというのが定説になっており
リベラルやフェミニストほどそれを口汚く罵る傾向があるのは増田なら周知の事実だろう(複垢フェミなどのフェミ系とかよく目にするだろうし)
俺自身は勉強と運動に苦手意識があり年収も低いから間違ってはいないだろう
他の弱者男性増田たちも身体スペックは様々だろうし良かったら書いて欲しい
父親が陸上競技のエリートで(元県記録持ち)増田は運動よりゲームっ子だったが、遺伝なのか足だけはクラスで速かった
自分はテニス部だったが、周囲曰く不良の人間だったのでサボりの常習犯でもあった
テニス部のペアがかなり悪い奴で部も不良が多く(学校で酒のんだり軽かったり重かったりする放火騒動を起こしてる。増田は周りの認識とは別に真面目に生きたいと思ってたので犯罪とイジメはしなかった)
3年間の間にテニス部の顧問は俺の存在を無視し、練習を教えた事はなく俺はテニス部の友達から全ての技術を教わった
こんな状態なので俺の部活での成績は地方大会で良くて4回戦レベルで終わり二度と部活動はしたくないと思った
なおその不良一味の一人が後にあるスポーツで日本代表のメンバーになる
年末で祖父母の家に行くと従兄弟たちがいつもいるが、自分以外は全員クラスで一番ぐらいに足が速く体育祭ではクラス対抗リレーやクラス選抜リレーのアンカーを務めていた(陸上部はいなくて大体サッカー部か野球部)
増田はクラス対抗リレーで3回走らされたりクラス代表の選抜リレーに参加はしていたが、別に一番速い訳ではなかった
100mを中学生時代にギリギリ12秒台で走れて幽霊部員の割に速いねって言ってもらえても11秒で走れる訳ではなかった
なので若干親戚内ではこの時点で引け目はあった
ちなみに従兄弟は勉強も仕事も出来て、年収は聞いてないが平均年収が900万以上の有名な企業に新卒正社員で入ってるので年収は高いだろうと思われる
あと、仲の良かった従兄弟はイケメンで妻子持ちだが、俺と同じくグレてた従兄弟はイケメンで元ホストだが独身だ
多分弱者男性というのはスペックより環境で生み出されるのだろう
逸れた話を戻すと
大人になってから筋トレを始めると、人生初めてのベンチプレスに挑戦したその日に90kg、次の日に100kgを挙げる事は出来た
バーベルスクワットがシンプルにおっかなかったのと、俺みたいな筋トレカジュアル勢はジムのフリーウエイトエリアの空気が苦手なのだ
下半身のトレは何していいか分からんからレッグプレス175kg(マシンの最高設定)を片足で20回ずつぐらいやってた
運動に対して心理的な苦手意識があったのと、長距離走が本当に昔から苦手で才能もないが、不思議と性に合って継続することが出来た
最初は3キロ程度しか続けて走れず、ちょっと頑張るとすぐにシンスプリントになったり膝やったりしていた(今もすぐに膝は痛くなる)
今は走力は5キロまでなら何とかキロ4分切る程度で走れるが、10キロだと辛いのでキロ5分ぐらいで走りたい程度の走力で、ダラダラとスピードを挙げつつ走れる距離を伸ばそうと思っている
多分ランナーとしてはスピード型(パワー型?)でスタミナが壊滅的なんだろう
この靴なんか合わないんだけど……って思いながらも買った時高かったので未だに履いてる
偏屈な爺さんですまんね
スポーツ全般 ダーウィンが来た クローズアップ現代 警察24時 NHKスペシャル 野球選手の戦力外のやつ 水戸黄門 韓国の歴史ドラマの再放送 相棒 ガイアの夜明け 72時間 角野卓造が飲み歩くやつ……
嫌いなのは宮根とデーブ大久保と古田とヒロミと松ちゃん(もうおらんけど)とか
あとプロ野球は私がパリーグTV契約してるからたまに一緒に見てる 今日も一緒に見てる
父親がバラエティ全く興味ない人で、でもテレビぐらいしか趣味がないからニュース番組ばっかり見てる
毎日21時になったらNHKのニュースウォッチ9見て、そのあと報道ステーション 最後にニュース23
同じ日だとどの番組も似たようなニュースしかやってないんだけど、見るたびにそれなりのリアクションをしてる
昨日はクマのニュースが3回やってたけど3回とも「怖いなあ、金かけて駆除できへんのかな」って神妙な顔しながら見てた
あと野球も好きだからスポーツニュースの時間も楽しそうに見てるな
私が西武好きだから西武の試合のハイライトもかじりついて見てる
弱いな、パリーグはいつもガラガラやな、こいつは出世するんちゃうか、はよ出ていって給料上げてもらえ、って
ニュース23はたまに放送遅いときがあるから、そのときはもう寝るわって言って寝てる
土日になるといつも見てるニュース番組がないから不満げにしてる
有働さんのニュース番組は変な気象予報士が出てくるから嫌いらしい 安住さんのやつは三谷幸喜がつまらないから嫌いらしい
だから土日で野球中継もやってないときは20時頃に布団に入ってる NHKのラジオ聞いて寝るらしい
ちなみに、こんなにNHK見てるのに受信料は1回も払ってない まあ大阪は誰も払ってないから仕方ない
朝も昼も夜もずっとそんな感じ
芸人のバラエティが一番嫌いらしくて、何が面白いのかよく分からないから嫌らしい
唯一見てるのは出川が単車で旅行するやつと路線バス乗り継ぐやつとカラオケ大会みたいなやつ
とはいってもニュースがやってない時間帯はちょくちょくあって、
面白&衝撃映像みたいなやつ(芸人がワイプでリアクションしてる)を仕方なく見てるときもたまにある
そういうときのお父さんを見るのが一番キツい
へえ…ってなるだけで特に面白くないからチャンネル変えるんだけど、他のチャンネルでも良さそうなのやってないから渋々それ見てる
テレビしか楽しみがないのにそれすらも取り上げられてるのがなんとなく気の毒で見てられない
リアルタイムで見ないと駄目な番組ってスポーツ中継ぐらいしかないじゃん
他人ともテレビの話って滅多にしないし サブスクで映画見たとかそれぐらい あとは高校野球の話題ぐらいか
お父さんに合わせてニュースばっか見てるけどぶっちゃけその方が楽しい
Permalink |記事への反応(14) | 02:13
例えば特定の楽曲の歌ってみた(cover)で検索をかけて出てきたやつ全部見る
中堅勢が歌配信リレーをやっていたら、通しで聞いてみるのも良い。
そこらへんになると零細とはいえ零細の理論値、これから伸びていく人が目立つので入りやすい
ASMRは個人勢でも大手企業並に伸びたり企業コラボやってる人も多く、いわゆる別の界隈となる。
あまりガチの零細は目立たないが、ASMR以外の配信はその雰囲気を味わえるだろう
Xやってると稀にIRIAMの広告が流れてくると思うので、そこからライバーを画像検索
VTuberだけのプロ麻雀リーグがあって、配信者としてはこれからでも人として面白い人が多い。
元締めの多井隆晴がV大好きおじさんなので、ここのコラボから発掘していくのも良い
既にほかで書かれてるけど、IRIAMだShowroomだ小さい規模のVはいくらでもいるので、いきなりそういうところに行くのもいい
ただ原石を漁るのって100人見て気に入るの1人いるかいないか、みたいな世界だから、何かしらで発掘をやってきてないと疲れると思う。
俺はニコニコで歌ってみた1000曲聞くとか、Web小説同じ系統500本読んでみるとか、そういうのが好きだから好きでやれてると思う