
はてなキーワード:リアリストとは
ラインハルトは、病名すら特定されなかった「皇帝病」で崩御したとされています。公式発表は「過労と持病の悪化」ですが、これはあまりにも曖昧で、歴史上の権力者の急死を糊塗するための常套句に聞こえます。
ラインハルトは戦争終結まで戦場に立ち続け、精神力で病状を抑え込んでいたとはいえ、宇宙統一という目標達成後、あまりにも急速に衰弱し、崩御しました。
新銀河帝国には、当時の人類最高の医学力が集結していたはずです。にもかかわらず、治療不能な「奇病」として処理されたことは、病の背後に人為的な要因(=検出不可能な毒物)が隠されていた可能性を強く示唆します。毒殺が実行された場合、検視や病理解剖が行われても、皇后の権力によって結果が捏造されるのは容易であったはずです。
暗殺を成功させるには、「機会(チャンス)」と「アクセス(対象への接触)」が不可欠です。病床のラインハルトに対し、これを満たせる人物はただ一人、昼夜を問わず看病にあたった皇后ヒルダ以外にいません。
病気のラインハルトは、誰にも気付かれず毒を摂取させるのに最も都合の良い環境にありました。食事、飲み物、そして何よりも薬の調合や投与。これらの全てを管理・監督できるのは、最も近しい存在であるヒルダだけです。
病状の悪化に伴い、ミッターマイヤーやロイエンタールといった外部の人間はラインハルトから遠ざけられました。たとえ彼らが面会を許されても、飲食物に細工を施すことは不可能です。
毒殺が実行されたとするなら、それは看病という最も神聖な行為の裏側で、ヒルダの献身的な愛の行為を装って行われた、極めて周到な計画だったと断じるのが順当です。
ヒルダは単なる皇后ではなく、優れた政治家であり、ラインハルト亡き後の帝国体制の構築を深く見据えていた人物です。彼女にとって、ラインハルトの早すぎる死は、悲劇であると同時に「政略的チャンス」でした。
ラインハルトが長く生きれば、彼は再び戦火を求めるか、あるいは自ら政務を執り続けるでしょう。しかし、彼が今死ねば、わずか生後数ヶ月の息子、アレクサンデル・ジークフリード大公が皇帝に即位します。
ヒルダは、その幼帝の「摂政」として、新銀河帝国という巨大な艦の舵取りを名実ともに掌握できます。彼女は、夫の遺志を継ぐという大義名分のもと、いかなる反対勢力もなく、実質的な最高権力者として帝国を統治し、自身が理想とする平和で安定した統治体制(ローエングラム王朝の永続)を確立することが可能になります。
ラインハルトは過労で弱り、病床に伏すという醜態を、最も嫌っていたでしょう。
ヒルダのラインハルトに対する愛は、彼の「偉大さ」に対する畏敬の念と不可分でした。彼女は、ラインハルトが「全宇宙を統一した直後」に、病という自然の摂理に打ち克てず崩御するという、「完璧な悲劇の英雄」として歴史に刻まれることを望んだかもしれません。
病で苦しむ姿を晒させず、理想の頂点で幕を引かせること。これは、愛する夫を「歴史」という永遠の舞台に立たせるための、恐ろしいまでの「慈悲の暗殺」だったとも解釈できます。
パウル・フォン・オーベルシュタインの死は、この毒殺説の補強材料となります。
オーベルシュタインは、ラインハルトの病状を把握していた数少ない人物であり、その容態の不自然さ、そしてヒルダの動機を誰よりも深く理解できたはずの、冷徹なリアリストでした。彼こそが、ヒルダの企みに気づき、彼女を脅かし得る唯一の人物でした。
彼は、ラインハルトの最期の瞬間に、地球教徒を囮にするという彼自身の策でテロの標的となり、爆死します。この「殉死」はあまりにも劇的で、真相を知る者への口封じとしては完璧すぎる幕引きです。彼の死は、ラインハルトの崩御と時期を同じくして、「不都合な証人」を消し去るためのヒルダによる最後の「工作」であった可能性を排除できません。
『銀河英雄伝説』の物語の背後には、愛と政略が交錯した究極の陰謀が隠されていたと結論づけられます。ヒルダは、最高の機会、最強の動機、そしてその後の歴史を支配する能力を持っていました。
はてさ「戦略的曖昧さ!せんりゃくてきあいまいさあああああ!」
相手さんが「首を切ってやる!」と言ってるのだって本気の予告ではない。
遠巻きの舌戦レベルでも向こうは言いたい放題でこっちは平身低頭でなければならないというのは現実主義でも何でもなく、その不均衡自体がリスクになり得る。
中共奴隷のクソ左翼が「リアリスト」を気取って見せるのって本当に反吐が出るんだよね。プチ伊勢崎賢治どもが知ったふうにアイマイアイマイってよ。
「ガザやウクライナは遠い他人事だからかっこいいこと言えるだけなの?」というのはまさにそこのところの欺瞞性を突いていてとてもよいね。当人らに響くことはないにせよ。
かねてより「頭の中お花畑」というフレーズは反戦左翼を揶揄するときに使われるものだった。
たとえば自衛隊は違憲だから解体しろだとか、沖縄から米軍を追い出せだとか、武器なんかなくても一緒に居酒屋で酒飲んだらわかり合えるよ、だとかね。
そりゃあそんなことが全て実現できるなら素晴らしいことでしょうよ。
でも現実を見たら想定が甘すぎたり、コストがかかり過ぎたり、そんなに頭の中で思い描いてるようにうまくいきませんよというのが「頭の中お花畑」という言葉に集約されている。
概ねそれは間違っていなかったと思う。実際にそれで日本は大きな不幸、混乱もなく回ってきたわけだからね。
これだけ人手不足で倒産する会社が続出していて、求人倍率が高止まりしていて、労働参加率は過去最高であるのに、右翼の方々は労働者を増やしたくないらしい。
労働力不足は嘘つきだそうだ。経営者が無能で生産性が低いだけだと。
足らぬ足らぬは工夫が足らぬということだろうか。
まともな頭があればそんな精神論ではどうにもならないことわかると思うのだが。
豊富な資源、豊富な人材、優れた教育によってイノベーションが起こり、結果人手が充足し、それがいきすぎると逆に余ってしまって就職難・不況になるのであって、逆はない。
人手が減ればそれをなんとかするためにイノベーションがおこって、人手がなくても何とかなるようになるんだ!というのはよくいって願望、悪くいえば妄言だ。
この期に及んで少子化をどうにかすればいいとか言い出している。
20年近く前からすでに対策をしていて、諸外国を見てもどこも顕著な成果を出せているところはないのに小手先の知恵で急に解決するわけもないのはリアリストならわかるだろう。
もし今この瞬間に少子化が解決して来年から150万人の子供が生まれてくるようになったとしても、その子たちが働きに出るまで20年のタイムラグがあるし、今既に生まれている幼児・少年少女たちの人口が圧倒的に足りてない事実は変わらないというのに。
衰退を受け入れたらいいとか言い出している奴も目立つようになってきた。
衰退するということはインフラが改修できない、治安を保てない、医食が欠乏して平均寿命が下がる、国防もままならないということだ。
日本は付加価値の高い工業製品を製造して、輸出して、そのお金で食とエネルギーを輸入しなければ半年も持たない国であることを理解してるんだろうか。
そんな立ち行かない国になった時にロシアが、中国が侵略してきたときにどうやって食い止めるつもりなのだろうか。
食品価格が多少上がったり、交通インフラが廃線、減便になったり、社会保険料・税金が上がり続けたりすることに対してあれだけ文句を言っているのに本当に衰退に耐えられるのだろうか。
本当の「衰退」はそんなものの比じゃないわけで、はっきりいって現実を舐め過ぎだろう。
すでにこの国は20代人口の1割を外国人が占めるようになっている。
もし外国人を全員追い出したら新卒の給与は多少上がるかもしれない。その代わり生活コストはその比じゃないほどあがるけどね。
結局さ、「外国人いらない」で国が回るって言うなら今すぐ代案を数字で出してほしい。
必要な人員、税率、賃金、設備投資、何年でどこまで自動化するのか、現場の穴を誰が埋めるのか。
青写真も覚悟もないまま「衰退でいい」だの「工夫で何とかなる」だのと唱えるだけなら、それこそお花畑だ。
右翼も左翼もお花畑になってしまったら、この国の未来は暗いよ。
Permalink |記事への反応(21) | 20:13
コピペした後に「上記の発言をしたのがどういう人物か、精神分析してわかりやすくまとめて」
この人物は「弱者的な言い訳」や「社会的な保護のもとでの安住」を激しく嫌悪し、自分の成長・快楽・理解は**“実体験による克服”で得るべきだと信じている。
価値観の根底には「努力すれば変われる」「不器用を理由に逃げるな」という自己鍛錬信仰**がある。
ただしその裏には、「努力で勝てない分野への恐れ」「成長を止めたくない焦燥」「他者への優越を保つことで自尊心を守る」という不安定な自己評価構造が見える。
項目 内容
自らを“敗北者から成長した現場人”と位置づけつつ、未熟な他者を突き放すことで自我を保っている。
しかしその厳しさの根底には、「自分が守られなかった人生を守るための防御」が見える。
感覚・性・努力・美意識をすべて“体験によって磨かれるリアリティ”と捉えており、
みんなもやってみそ
法事自体は問題なく終え、1泊して帰るまでに少し時間があったので時間を潰せる場所を探していたら見つけたのが中野プラネタリウムだった。
まだ小学生だった頃、夏休みの間は共働きだった両親の負担を減らすために私は母方の実家である中野へ預けられていたのだが、よく祖父が連れて行ってくれたのがそこだった。
何だかとても懐かしくなり、ふらりと訪れてみたプラネタリウム。
大人200円子供100円という破格の値段で驚きながら中へ入ると、おぼろげな記憶だが当時とまったく変わっていないように見えた。
部屋の中央へ据え付けられた大きな鉄アレイみたいなフォルムの投影機械。
…夏の暑い日、祖父に手を引かれて入場した記憶がよみがえり、ちょっと涙ぐむ。
しばらくして上演が開始された。
説明を聞いていて驚いた事に施設で使用されている機械は三十数年前、つまり私が祖父に連れられて来たあの日と変わっていないらしい。
「最新の機械だと星々を線で結んだりする機能が付いていたりするのだけれど、出来なくて申し訳ない」と解説員さんがちょっとだけ申し訳なさそうに言っていたが、とんでもない。
──つまり私は、祖父と観たあの日と同じ夜空を、同じ場所で、眺められているのだ。
そう感じたら空を見上げながら涙が溢れてきた。
偶然の思い付きで数十年ぶりに訪れたプラネタリウムでこんな追体験ができるなどとは思っていなかった。
少しだけ滲んだ星空を眺めながら、私は亡き祖父を偲ぶ事ができたのだ。
絶対にまた来ようと、そう誓い私は施設を後にして母方の実家へ戻る。
そしてこの話をしたら母が思い出したようにこう言った。
「あー…そう言えばおじいちゃん、『安いし涼しいし暗いから昼寝するのにプラネタリウムは最高』って言ってたわ」
なんと、かなり頻繁に連れて行ってくれてたのはそれが理由だったらしい。
おじいちゃんも意外にロマンチストだったんだなぁ…とか思ってたよ。
笑いながら昔話に花が咲いた。
「つまらない」?お前、ちょっと待て。それは世界がショボいんじゃなくて、お前の脳内クライアントが完全にレガシー化してるだけだ。現代はAIが自動生成するアート、量子コンピューティングの最新研究、NFTやメタバース内で無限に拡張される現実、リアルタイムで更新される情報のビッグデータ、無限ストリーミングのコンテンツ……全てクラウドに存在してる。なのにお前は「つまらない」?お前の受信端末が古くてGPUもCPUも焼き付き、パケットが全部ドロップしてる状態だろ。
楽しさってのは外部にあるんじゃない。感受性プロセッサでデコードして初めて体験されるデータだ。お前はそれを処理せずに「つまらない」と吐き捨てる。Netflix、YouTube、AI生成ゲーム、ブロックチェーンアート……宝の山は無限に存在するのに、端末が死んでたら単なるゼロとイチの塊にしか見えない。
しかも笑えるのは、そういうやつほど「俺はリアリスト」「世の中を俯瞰してる」とかドヤ顔。いや、俯瞰じゃなくて単なる未接続。API叩いてもないのに「データが無い」って言ってるのと同じだ。普通なら興味を持てる情報がキャッシュされるのに、「全部」って極論で切り捨てるのは、ただのI/Oエラー。アルゴリズムじゃなく端末側のハード障害だ。
現実もメタバースも常に面白さをストリーミングしてる。でもお前の受信機は老朽化、感受性GPUは焼き付き、アップデート拒否中。だから退屈に見えるだけ。つまらないのは外部じゃなく、お前のOSとハードウェアだ。そして残酷に言うと――つまらないのはお前自身。
再起動してパッチ当てろ。世界は面白さで溢れてるのに、体感できないのはお前のクライアントが死んでるからだ。クラウドは常に稼働してる。アップデート拒否の端末が不平を言うな。LifeOSのログを見ろ、エラーコードは「お前自身」だ。
俺が発見した!
俺が発見した!
俺の考えた『衝動保留(インパルス・ペンディング)』は歴史に残るぞ!
俺の名を残してくれ!
まずやり方を教えよう。
日頃からキレて物を投げそうになったり奇声を上げそうになるたびに「ちょっと待て。10秒考えて『いや、ここは実行に移すべきだ!』となってからでも遅くないぞ」と考える癖をつけていく
↓
いざ、怒りの衝動により拳や暴言が飛び出しそうになったら、行動に移すのを少し待って「これ、実際にやったら滅茶苦茶損しないか???」と冷静に損得勘定を行う。
↓
「怒りは収まらんが・・・ここで殴ったら相手の思う壺だからひとまず殴るのはやめよう。俺はマジでキレてるからこそ、殴って相手を楽にしたりはしないのだ」と判断して衝動的な行動を抑制する。
↓
怒りの気持ち自体を無理に抑えようとせずに衝動的な行動だけを抑える。
表面上は同じだが行為の発生源も最終的な着地点も違う。
『アンガーコントロール』は「怒りは駄目!冷静になって!冷静になれば怒りは消えるよ!」と人間の心を理解したふりしか出来てないポンコツアンドロイドばりの極論を語るアドラー心理学を齧った自称リアリスト中学生のようなしょーもない理論だ。
『衝動保留(インパルス・ペンディング)』は「怒りそのものを鎮めるのは簡単ではない。だが、衝動的な行動に移すことを控えれば怒りによってもたらされる不利益の大部分を回避可能なはずだ」というものだ。怒りそのものを安易に否定するようなことはしない。勢い余った行動で損失を被るのを回避することだけに着目している。
全く違う。
『衝動保留(インパルス・ペンディング)』は怒りという感情が生まれでてしまうことも、それを抱えて生きていくことも否定しない。怒りと共存する道を探る大人の処世術だ。
『アンガーコントロール』は「怒りとか無意味。つーか俺ぐらいになると感情とかないし。は?マジだが?嘘じゃね—し?は?」的な感じのクソガキ。マジクソガキの暴論。自分で出来もしない正論を語ってマウント取ってるだけの馬鹿。
衝動的に物を投げそうになったときとかに「ちょっと待てよ・・・これは差し引きで得か?損か?」と考えるようにすればいい。
もちろん、10秒考えて「海に向かって叫ぶことでこの感情が少しでもマシになるなら俺は叫ぶよ!!!」という結論になった時は実行に移していい。
その10秒を生み出すために必要なのは日頃から「俺のこの行動は本当に俺の得になるか?」と一呼吸置く癖をつけること。
意識は遅れてやってくるという説もあるが、多少意識が遅れて来てもそもそも行動が予備動作に入ってから実行されるまでの間に「判断する時間を稼ぐための時間のダム」のようなものが自分の癖として組み込まれていれば、咄嗟に動きを留める余裕が出てくるもの。
とりあえず「体が思いついても頭が判断するまでは実行しない」という癖を日頃からつけていこう。
怒りという感情を否定せず、行動だけを踏みとどまろうとする『衝動保留(インパルス・ペンディング)』は大人の処世術。
怒りそのものを否定する『アンガーコントロール』はガキの思いつき。
行動する前に数秒でいいから損得のソロバンを弾く癖をつけるだけで、怒りによってもたらされていた損失は大幅に減少するので、とにかく「衝動的に行動する前に一度保留する」ことにフォーカスを当てよう。
「石破ほめ」の局地的流行が続いている。
何があたまわるいかって誰一人政策の話をしてない(できない)のである。何をしたから石破がいいのか。何をするのを期待しているのか。
そもそも一生自民には投票しない人たちである。自民党の一挙手一投足について批判的な考えを持っているはずだ。それは全部石破総裁に刺さるのだが。
さらにアホの極みなのは「ほんらいお前らの基準だと石破は極右じゃなかったんかいw」ということだ。
しかし和式リベラルがいかにアホかという話は実はどうでもいい。
本邦の政治家や言論人のある一つの類型──「センスはウヨだが身につけた教養は和リベのそれ」についてメモしておく。
本人の感覚でモノ言ってる時は自己責任だ民営化だ現実主義だと「新自由主義」みたいなことを放言する。リアリストを気取って「小の虫を殺す決断も必要」みたいなことを好んでいう。
それがある程度責任あるポジションで声明をする段になるとがっこうでおべんきょうしてきたとおりの典型的和式リベラルの地金が出る。
現実主義気取りの中二病センスと、借り物のファンタジーな土台。最悪のハイブリッドなのだ。
もちろん石破や橋下を念頭に言っているが他にもいっぱいいる。警戒せよ。
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