
はてなキーワード:ラーメン二郎とは
でもこれってさ、都会に産まれてたら達成出来ていなかったんだよなあ。(別に結婚や子供が一番な幸せだ!と言うつもりはないからな)
都会生まれ育ちだったら、おそらく増田は独身でラーメン二郎を楽しみにアニメ鑑賞するだけのおっさんだったと思うんよ。
おそらく人生の選択肢として「結婚」すら現れなかったと思うの。
田舎というか地方だから分不相応の幸せを享受出来ていると思ってる。
優秀な人、全てにおいてではなくなんでもいいから一つにおいて優秀な人は都会だと物凄く輝けると思う。
でも増田みたいに全部が普通or平均未満の人間は都会だと何にも出来ない気がする。
田舎は才能を埋もれされるが、都会は普通以下らにとても厳しいと思う
都会への解像度が低いだろうが、この考え間違ってるのかなあ。
結論:同じ人が作っても味が変わる。美味い日もそうでもない日もある
感想を言い合おうにも互いが同じ味を口にした保証がないから、あまり味の話はしない(悪い日のディスリにもつながるので)
美味い不味いは食べるまで分からず、同じ日の違う時間でも違ったりする
これを味ブレと呼ぶ
それが二郎であり、だからこそ「レベルの高い合格点を超える二郎オールウェイズ出してくれる」が名言として扱われている
これが味の話で寡黙になる理由だ
ラーメン二郎は多くて安くて美味くて早い。これが全てなんだよ。
これを踏まえていない議論は全て読むに値しない。
まず麺が多い。「小」を頼んでも普通の店の3玉くらい入っている。
チャーシューも分厚いのが2,3枚入っている。普通のラーメン店のチャーシュー麺の1.5倍は肉が入ってる。
トッピングのヤサイだって、ちょっとした野菜炒めくらい入ってる。
異常に多い。ハッキリ言ってドカ盛りの店だ。
世の中にドカ盛りの店があるのと同じように、世の中にラーメン二郎がある。
ラーメン二郎は異常に安い。
その上ラーメン二郎は店で豚骨を炊く贅沢なラーメンだ。それが2~3人前の量で700円。
何故商売が成立しているのか不思議なレベル。ラーメン二郎は異常に安い。
原価厨もびっくりだわな。
完全なる調和がそこにはある。
雑に作っているように見えて、あれが完成形なんだよ。
ネットの野次馬共がうまいと思わなくても完全に自由だが、俺達にとってはうまい。それだけの話だ。
フランス料理やインド料理やジョージア料理が人を選ぶのと同じように、ラーメン二郎も人を選んでいるだけだ。
豚の餌だなんだと言って見下しているやつは、ラーメン二郎に選ばれなかっただけだ。
ラーメン二郎は早い。人気のラーメン二郎には長蛇の列ができるが、他の行列のラーメン店と比較すると列はすぐに捌ける。そして着席してからはあっという間だ。
茹でるのに時間がかかる極太麺なのに、だ。
ラーメン二郎が早いのは、ラーメン二郎がロット制を導入しているからだ。
例えば席が14あれば、7人が1ロットだ。
一度に7人前の麺を、並んでいる時点で茹でておく。そして着席したらすぐにラーメンを出せるようにしておく。
「ロット制」によってラーメン二郎は原価率が極めて高い料理を高速で客に提供し、薄利多売でビジネスを成立させている。
ラーメン二郎がチンタラ飯を食う奴に厳しいように思えるのは、ラーメン二郎がロット制を導入しているからだ。
7人のうち1人でも遅い奴がいると、あらかじめ茹でてある次の人の分の麺と席が無駄になる。
原価率が極めて高いラーメン二郎にとって、これは致命的だ。
ただ、ロットからはみ出るほど遅くなることは、普通に食っていればまずない。
ダラダラ会話しながら食べたり、腹いっぱいなのに残すのが申し訳なくてダラダラ食ってたりしなければ普通は大丈夫だ。
食える量を注文して黙々と食えば何の問題もない。
今回は20分で炎上したが、麺料理なんだから20分を超えるなんてことは基本無い。
ラーメン二郎は何故多くて安くて美味くて早いのか?
つまり、大人なら誰もがその思いを持っているのと同じように、創業者にも学生に栄養のあるものを腹いっぱい食わせてやりたいという思いがある。
大盛りを「小」として出すのも、創業者の心意気だ。
驚くほどの大盛りを「小ですw」と言って出す創業者と、それを見てワクワクする学生。ラーメン二郎の原点は、この風景にこそある。
想像してみろ。
知ってる人は知ってるだろうが、創業者はハゲたメガネのオッサンだ。
おしゃべりが大好きで、いつもニコニコしながら客と喋っている。81歳という高齢だが、今でも本店では朝から総帥が厨房に立っていることがある。
総帥は81歳なのに太っている。きっと自分のラーメンをいつも食べているんだろう。信じられないことだ。
慶應義塾大学の学生の多くはBMW(ベーエムベー)を乗り回すボンボンだが、中には苦学生だっている。
ラーメン二郎はヤサイもニンニクも背脂も無料トッピングだ。苦学生は普段ヤサイなんて食えない。苦学生はヤサイとニンニクとアブラの食いだめをするためにラーメン二郎にやってきている。
物価高でラーメン1杯700円は総帥にとって正直キツいが、ハゲたメガネのオッサンは学生の前では強がって「何って...小ラーメンを出しただけだが?」と強がる。
武士は食わねど高楊枝って言うだろ?
武士たるもの、特大を出しても、「これは小だ」と言い張らないといけない。
俺達大人からすると下らないこだわりのように思えるが、総帥はシャイだからそういうやり方しかできない。
慶應義塾大学の学生は生意気にも頭が良いから、店が物価高でキツいんであろうことくらい理解している。
こんなに安い値段で腹いっぱい食わせてもらって大丈夫なのかな、なんて内心では店のことを心配している。
しかし決してそんなことは口にしない。
在りし日のラーメン二郎には、遊び心に溢れる創業者の心意気と、生意気だけど謙虚な学生の、二人の世界があったはずだろ。
儚いし、いじらしいだろ。
ラーメン二郎は特殊な環境かもしれないし、人も選ぶかもしれない。けど、何も知らない上に、知らない文化にも敬意を払えない奴に好き勝手言われたら悔しいだろ。
実際には俺もお前も学生ではなく、ただのハゲたメガネのオッサンだ。それに、俺達が行く店は本店ではない。そこに総帥はいない。総帥の弟子か、孫弟子がいるだけだ。
だとしても俺達は、ラーメン二郎に並んでいるときだけは慶應義塾大学の苦学生で、店員は総帥のスピリットを心に秘めているんだよ。
俺達は、ただ総帥の心意気をありがたく思っておけばいいんだよ。
お前は慶應生として世界に羽ばたいて出世してもいいし、出世しなくてもいいが、オッサンになっても2年に1回くらい店に行って、心のなかで創業者の体調を心配しながら、そんなことは決して口にしないで小ラーメンを啜って、ベトベトの赤いカウンターに座りながら学生の頃の美化された記憶でも思い出しておけばいいんだよ。
薄味の二郎もあるっちゃある
結局二郎って豚肉スープなんで、スープの濃度x醤油(カエシ)の濃度で味の濃さが決まる
なのでケチって豚減らしたり、高齢店主だったりすると薄ぼんやりとした味になる
(麺上げが下手すぎて湯で汁でスープが薄まるカスみたいなオペレーションの店もあるっちゃある)
直系だけでも全然違うし、何なら同じ店でも人や時間で味ブレがある
なぜラーメン二郎で味の話がされないかというと、自分と他の人間が食ってるものが同じである保証がないからである。
意外でしょ!
最先端のラーメンを食う者は、二郎よりはるかに味の強いラーメンを食べる機会が多い
特に昨今はスープの上に浮かべる油の発展が著しく、濃縮された煮干し油のボシ感の強さは、好きでも苦手な人が出るくらい。
それに比べたら二郎なんて工夫もない単調なスープなんで、たいてい味もボヤケテるし、うま味調味料かカエシの塩分で無理やりビシッとしてるのもあるかって感じ。
今日は久しぶりに五反田の豚山に行ってきたけど、全豚山の中でも最も安定していたはずの五反田ですら、
あのセメントのようなどんよりしたスープではなく、割と醤油が決まった微乳化から非乳化よりの一杯を提供された
このランダム性が飽きの無さを生み出していると言っても過言
ラーメン二郎では、食べ終わった後のどんぶりをカウンターの上に伏せて置くのがマナーとされています。これは、店員さんが片付けやすくするため、また、次の客に席を譲るという意味合いもあります。
ラーメン二郎では、店によってルールが異なる場合がありますが、基本的に食べ終わったどんぶりを伏せて置くことは共通のマナーとして認識されています。これは、店員さんがスムーズに片付けを行うための配慮であり、また、次の客がスムーズに席に着けるようにするためです。特に、混雑時にはこのマナーが重要になります。
- 食べ終わったら、箸を丼の縁に軽くかけ、丼をカウンターの上に移動させます。
- 丼をカウンターの上に伏せて置きます。
- 丼を伏せる際は、できるだけ静かに、他の人に迷惑にならないように行います。
- 席を立ち、お店を出ます。
ラーメン二郎の中の人は、賄いも二郎だし、食べたいものを食べさせていると思っていると思いますよ。
家系というか、ラーメンショップなんだけど、しょっぱいお店とそうでは無いお店が極端だったりする。
それでも、ラーメンショップが癖になるのはちょっと分かるような気がする。
ただ美味しくないお店に当たった時は悲惨だった。
ラーメン二郎についてモヤモヤ考えていたことを書いてみようと思います。
実は昨日7/8、増田で話題になっていた「二郎系のロットがどうのこうの」って投稿が消えてて、それをきっかけにいろいろ考えたんですよね。
ラーメン二郎って、「中毒性がある」とか「一度ハマると抜け出せない」とかよく言われますよね。
でも、ふと思ったんです。あれって、本当にラーメン自体が美味しいからなんでしょうか?
もしかして、カリスマ的な店の雰囲気とか、あの独特なルールに従って食べる“儀式”みたいなものにハマってるだけなんじゃないか、と。
あと、あのとんでもない量に圧倒されて「すごいもの食べたぞ…!」っていう達成感に満足してるだけ、とか。
そう考えると、ラーメンそのものの味とはちょっとズレてる気がするんですよね。
なんとなく、「これが通なんだ」って悦に浸ってるだけなんじゃ? って思えてしまうことがあります。
使ってるのは浅草開化楼の極太麺で、これがまあ太くてごっつくて、なかなか啜れない。
スープはというと、ひたすら濃いだけ。個人的には「うーん、これは…」って感じでした。
もちろん、トッピングも例の通り。モヤシ山盛り、ニンニク、背脂。
最初は全部普通で頼んだけど、さすがに2回目は「全部少なめでお願いします」ってなりましたね。
ただ、それでも「3回目はいいかな」って気持ちになたのが正直なところです。
それでも、ある人からは「この店、本家の二郎より美味しいよ」なんて話も聞いたことがあって。
いや、それって逆に「じゃあ本家って…?」って疑問が湧いてきたりもします。
人気店ならではのシステムとして、「ロット」なんて言葉もよく聞きますよね。
でも、ああいうのも含めて、なんというか「店に食べさせられてる」感がちょっと苦手なんです。
「これがうちの流儀だから」って一方的に押し付けられてるような雰囲気を感じてしまうというか。
ラーメン二郎の中の人って、自分たちのラーメンを「食べたい」って思ってるんでしょうか?
なんだか最近、それすらちょっと疑問に感じるようになってきました。
もちろん、好きな人がいるのはわかりますし、否定したいわけでもありません。
ただ、自分にとっては「本当に美味しいラーメンって何なんだろう?」と考えるきっかけになった、という話でした。
Permalink |記事への反応(24) | 14:16
増田の価格感覚は正しい(だいたいの二郎インスパイヤは1000円くらい)