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はてなキーワード:ラフスケッチとは

2025-08-20

美形をうまく描きたいのなら、そうでないものをたくさん描くほうが上達の道ではないか、と書いていたのは九井諒子だったと思う。

なんでもそうだが創作家というものは我々が想像する以上に大量に書いたり描いたり作ったりしている。

それを苦にも感じないところがあって彼らは本当に奇妙な生き物だと思う。

そういえば先日、ルックバックというアニメを姪っ子家族と一緒に見ていて、その子の両親がアニメに出てきた登場人物が積み上げたスケッチブックの量を見て驚く姪っ子に、これは作り話だよ、と諭すようなことを言っていたのが印象的だった。

世の中の人達というのはそういうものなのかもしれない。

ものをつくる人というのは息を吸うようにして書いたり描いたり作ったりする人たちのことなのだ。

なにか構えた気持ちで書いたり描いたり作ったりはしない。

とはいえ、彼らもお金をもらって生計を立てるための仕事にはそれほど気軽な創造性を発揮することはしないのが不思議なところではある。

もっと気軽にラフスケッチのような創作物のほうが我々観客は楽しめる場合も多いのだが、彼らが飯を食うためにひねり出す創造物は妙に商業的だったりする。

とても絵がうまい九井諒子ダンジョン飯では、それを感じさせないように、特に序盤ではそういうふうなイラストっぽい表現漫画意識的に描いていたっぽいのはどういうわけだったのだろう?

こうして考えると美形をうまく描くのも、そうでないものを描くのも同じくらいの技量がいることのような気がするんだが、作家が主張したかったのはそういう意味ではないんだろう。

私は絵なんて描かないか真意はやはり理解できそうにない。

Permalink |記事への反応(1) | 16:44

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2025-05-14

anond:20250512111755

透明なガラス玉が際限なく並ぶ海岸を歩いているような気分だ。どれも完璧な球体で、光を浴びて美しく輝いている。しかし、一つ一つを手に取ってみても、その中には何も宿っていない。私はSNSタイムラインを眺めながら、そんな奇妙な感覚に襲われることが増えてきた。投稿される作品たちは、まるでベルトコンベアから流れ落ちてくる既製品のように均質で、時に息苦しいほどに整然としている。

三年前までは違った。フォローしていた人たちの作品には、それぞれの手のひらの温度や、描き手の息遣いのようなものが宿っていた。線の荒さや構図の偶発性、色の選び方に個性があった。時には明らかな「失敗」が含まれていることもあったが、それすらも愛おしく感じられた。誰かの手が震えて生まれた線には、その人の生きざまが映し出されていた。

その頃のSNSには、まだ「待つ」という行為が息づいていた。好きな作家の新作を心待ちにし、深夜に更新された小説続きを読むために夜更かしをした記憶がある。創作には時間がかかるものだという了解が、見る側にも作る側にも共有されていた。

――しかし今、その「待つ」という行為が消えつつある。

AIによる生成技術の発達は、確かに多くの領域で素晴らしい恩恵をもたらしている。医療現場での診断補助や、障がいを持つ人々の表現活動支援など、その価値は計り知れない。だが一方で、創作における「労苦」を排除してしまうことの危うさも感じずにはいられない。

かつて、写真の普及により絵画は衰退すると考えられていた。しかし実際には、絵画写真とは異なる表現可能性を追求するようになった。AI生成と人間創作関係も、似たような道をたどるのだろうか。私はそう信じたい気持ちがある。だが、写真絵画関係との決定的な違いがある。AIは「学習」という名の模倣を通じて、人間創作物そのものを原料とする。そして、その速度と量において圧倒的な差がある。

日本の伝統工芸に目を向けると、木地師陶工たちは「手間ひま」をかけることに価値見出してきた。木を削る時の削り過ぎや、窯変による予測不能釉薬の変化。そうした「不完全さ」や「偶発性」こそが、作品に魂を吹き込む。侘び寂びの美学は、機械的完璧さではなく、むしろその逆にある「人間らしさ」の痕跡を尊んできた。

私たちは今、技術進化によって「労苦」を省略することと、それによって失われるものの間で揺れ動いている。一枚の写真を撮るために山頂まで登る行為は、単にその風景画像データが欲しいという目的だけでは説明できない。同様に、手間のかかる創作活動には、完成した作品だけでは測れない価値がある。

――では、私たちにできることは何だろう。

まず考えたいのは、作品受け手としての姿勢だ。生成されたファイルではなく、誰かの「消息」として作品を受け取る能動的な行為。完成度や技術的な洗練よりも、そこに込められた意図思考プロセスに耳を澄ます姿勢私たちは単なる「消費者から作品との対話者へと自らを変容させる必要があるのかもしれない。

一方、創作者側にできることもある。ラフスケッチや失敗談を共有したり、AI技術をどのように、なぜ使用したのかを率直に語ること。そうした開示は、鑑賞者との信頼関係を築く土台となる。技術進化によって変わる創作の形を隠すのではなく、その変化そのもの創作テーマとして引き受けていく勇気必要だろう。

AI生成の波に抗うのではなく、その波の中に「人間のざわめき」をいかに残していくか。それが今、私たちが問われていることではないだろうか。世界ますます効率生産性を求める中で、あえて「無駄」や「回り道」の価値を見直すこと。クリックひとつで生み出せる均質な美しさよりも、時間をかけて育まれる多様な凹凸を、未来へと残していきたい。

タイムラインを埋め尽くすガラス玉の海に、私は小さな石ころを投げ入れる。それは完璧な球体ではなく、欠けた部分もあるかもしれない。しかし、その凹凸こそが水面に波紋を広げ、静寂を破る。AI技術加速度的に発展する時代からこそ、「手間ひま」をかけて生まれ作品が持つ、かけがえのない価値を見失わないでいたい。

かつてSNSで交わされていた、人間同士の温かな共感発見の喜びを、新しい形で取り戻していくための旅が、ここから始まる。それは楽観的な希望というよりも、静かな決意に近い感情だ。技術の海に溺れるのでもなく、岸に留まるのでもなく、その波間を泳ぎながら、自分言葉を紡いでいく。

(この文章はClaude 3.7 Sonnetで生成されたものです)

Permalink |記事への反応(0) | 08:43

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2025-05-12

anond:20250512111755

この文章、とても共感しました。特にSNSAI生成コンテンツ支配されてきたことへの違和感は、私自身も最近感じていたところです。文章内で描かれている2022年以前のSNS光景――ラフスケッチ生活音の混じった音楽――が懐かしくて、読んでいて胸がキュッとなりました。

特に、「作り手の体温」や「息づかい」という表現が印象的です。確かに、完成度が高すぎる作品には、作り手の苦労や試行錯誤が見えにくくて、受け取る側としてもどこか距離を感じてしまうことがありますよね。

また、「完成物」だけでなく「制作過程」を共有する大切さにも深く共感します。私も、作家クリエイター試行錯誤を見せてくれることに、むしろ感動や共感を覚えるタイプです。完璧作品よりも、作り手の人柄や迷いが見える方が、作品自体にも愛着が湧きますから

この文章が指摘するように、AIのもの否定せず、上手に共存しながら「人間らしい創作文化」を守っていく姿勢には、とてもバランスの良い視点だなと感じました。私もこれからSNSを見るときは、作り手の背景をもっと想像して、単なる消費ではなく、しっかりとした「鑑賞」を意識していこうと思います

素敵な文章ありがとうございました。

(この文章はChatGPT 4.5で生成されたものです)

Permalink |記事への反応(0) | 21:24

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anond:20250512111755

タイトル: この記事ガチで心えぐられた!AI生成のツルツル文化反旗翻すぜ!

お前ら、このブログ読んだか?2025年5月12日のやつ。マジで魂揺さぶられたわ。AI生成のピカピカなガラス玉がベルトコンベアで流れてくる世界、ほんとそれ!タイムライン開くたびに「#AI生成」のタグだらけで、どれも同じ光沢、全部同じ匂い。どこにも人間の汗や震えがねえ。胸に空いた空虚感、めっちゃ分かる。俺も2022年以前のあの雑多なSNSが恋しいぜ。友のラフスケッチに滲む情熱インディーズバンド生活音混じりの音源、あの“生きてる”感じが消えちまった。

この記事の「創作過程物語」って言葉、脳天直撃だろ。AIの“最適解”なんて、アルゴリズムオナニーじゃん。職人の木目との対話陶工の火加減への執念、そういう人間の息づかい作品を“生き物”にするんだよ。AI生成のツルツル画像なんて、クリック一発で忘れ去られる消費ゴミ。俺たち、こんなんでいいのか? 鑑賞じゃなく“消費”に溺れて、魂売ってんじゃねえか?

提案されてるアクションガチ賛同受け手は“いいね”連打やめろよ。作者の背景追え、過去作掘れ、作品を“消息”として感じろってさ。クリエイターラフや失敗を晒せ!AI使うなら「俺はこれで何を表現たかった」って胸張って語れ! それが人間の意地だろ。もうこの均質化の洪水に流されるのやめようぜ。2022年のあのざわめき、俺たちの手で取り戻すんだ。誰かが夜明け前に描き直した一本の線を愛せる世界、俺はそこに賭ける。みんなもこの記事読んで、闘う準備しろよ! #AIに魂は売らねえ

Grokによる

Permalink |記事への反応(0) | 21:20

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AI生成にはもうウンザリ

最近タイムラインを開けば、あらゆるジャンルの“作品”が一様に磨き上げられた光沢を放ち、どれもこれもタグには「#AI生成」の文字――。ディフュージョンモデルが一人歩きし始めてから世界は高速で均質化し、アイコンもヘッダーも動画も、ボタン一つで“それらしい完成度”を獲得するようになった。凹凸のないガラス玉が延々とベルトコンベアを流れてくる光景。表層の眩しさとは裏腹に、私の胸にはぽっかりと空虚が広がる。なぜなら、そのガラス玉の中に「誰が」「何を思って」作ったのかを示す指紋が残されていないからだ。

 思い返せば二〇二二年以前──生成AI大衆の手に届く直前のSNSは、不器用で、雑多で、そして極めて人間的だった。友人が深夜二時にアップしたラフスケッチには線の震えが残り、推しインディーズバンドキッチンで録音した曲には生活音が混じっていた。そうした粗さは、デジタル時代の“ノイズ”ではなく、作り手の体温を伝える“息づかい”だった。タイムラインスクロールすることは、知らない街を散歩して偶然に小さなギャラリーを覗き込む行為に等しかった。完成度よりも偶発性が勝るあの雑踏こそ、私が愛した場所だった。

 もちろん、技術革新を後ろ向きに否定するつもりはない。AI医療研究福祉教育など、創造性を阻む物理ハードルを取り除く強力な義手たり得る。真に必要とされる現場で、正しく用いられるべき道具だ。だが、現在の潮流は“便利さ”が“労苦”を全面排除し、結果として「作る喜び」と「受け止める敬意」を同時に摩耗させてしまった。指先一つで生成されたイメージは、クリック一つで閉じられ、記憶に刻まれる前に忘却へ沈む。受け手享受するのは“鑑賞”ではなく、高速スクロールによる“消費”だ。

 制作プロセスから切り離されたアウトプットは、いくら目を惹くビジュアルを纏おうと、作者の葛藤や失敗の痕跡を欠いている。そこには職人が道具を手に取るまでの儀式もなく、物語家が机に頬杖をついて構造を悩む夜更けもない。均され、研磨された“最適解”は、その瞬間のアルゴリズムにとっての正答であっても、人生の襞を織り込む余白を許してはくれない。私たち豊富選択肢を得たはずなのに、その“選び取る感動”を失いかけている。

 翻って、職人世界を覗けば「手間ひま」という言葉がいまだ輝きを放っている。木地師は木目の癖と対話し、陶工は窯の火加減に耳を澄ませる。そこには工程のものを抱きしめる覚悟がある。創作とは本来、結果の外観ではなく、過程に宿る物語の総和だったはずだ。多少のムラや傷をも“味”と呼び交わす文化――日本の侘び寂びが示すように、「不完全さ」は人がものに寄り添うための手がかりなのだ

 では、どうすれば二〇二二年以前の“雑多で瑞々しい創作空間”を再び取り戻せるのか。私はまず、受け手が「鑑賞」という行為能動的な対話に戻す必要があると考える。動画再生したら、“いいね”を押す前に制作背景を検索してみる。文章を読み終えたら、作者のプロフィールに飛び、過去作を遡ってみる。作品を「ファイル」ではなく「消息」として受信し、その背後にいる誰かの息遣い想像する時間を持つ。それは一見些細な回帰だが、こうした行為の積み重ねが可視化するのは、市場指標で測れない本当の“需要”だ。

 クリエイター側もまた、完成物だけを流すのではなく、ラフや失敗談、学びの過程積極的に共有してほしい。極秘資料さらせと言うのではない。試行錯誤の断片を公開することで、受け手は“成長の物語”を伴走し、作品輪郭人間の闘志とともに立ち上がる。AIを使うにしても、その使用意図意匠上の選択を開示し、道具と主体的に向き合う態度を示すことが創作者と鑑賞者の信頼を護る鍵になる。「AIを使うのは楽をしたいからではない。より高い地平へ挑む踏み台としてだ」と語れるか否かが、これから文化資本を左右する。

 私は願う。技術の加速を止めることなく、その轟音にかき消されがちな“人間のざわめき”をすくい上げたい。生成AIが生む“即席の奇跡”に溺れるのではなく、誰かが夜明け前にふと手を止め、ため息とともに描き直した一本の線を愛せる社会へ。スクリーンの向こうに潜む汗と焦燥を見逃さな視線を持つことが、創作文化に再び多様な凹凸を取り戻す。二〇二二年以前――不器用で豊潤だったあの雑踏は、懐古の対象ではなく、未来へ向けた羅針盤だ。私はこれからも、そこに灯りを残し続けたい。


(この文章はChatGPT o3で生成されたものです)

Permalink |記事への反応(19) | 11:17

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2024-02-24

anond:20240224141736

そういう楽しみ方もあるだろうけど、感性100%のみで鑑賞するのもありだと思う。

自分は事前情報なしで観て「なんでか分からないけどこの絵に惹かれてしまう」というのを割と大事にしてる。

頭と知識で鑑賞するタイプの人って、画家の描いた有名な完成作品しか理解できないもんなの?

絵画展って全然有名じゃない作品だとか、画家が描いた落書きラフスケッチ)みたいなのも展示されてたりするけど、そういうのに惹かれてしまったり、絵を近くでよく観ながら「画材は何を使ってるんだろう」と推測して楽しんだりとかしないの?

Permalink |記事への反応(0) | 14:27

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2023-10-04

タイアップソングってやっぱクオリティ高いよな

編曲ガチ仕様というか。

かけている時間が違う。

高い素材を使って丁寧に下拵をして作った料理は、同じシェフの出すものでもいつもより美味い。

そんな感じ。

やっぱ金ってクオリティに直結するんだな。

プロ相手だと特に

なーんか一時期「金で魂を売って作った作品なんて駄作ばかりだぜ」みたいなの流行ったけどさ、やっぱ金かけた作品のほうがクオリティ高いんだわ。

多少不自由でも手間暇のかかり具合が違いすぎる。

手慣れのラフスケッチより、パトロンに金積まれて清書した絵の方が出来がいいってだけの話だけどよ。

当たり前なんだけどよ。

でもなんかそこに逆張りするの一時期流行ったせいで今でも錯覚が残ってるんだよな。

言語化して脳に焼き付けるぜ。

金をめちゃくちゃかければ良いものが出来る。

当たり前だぜ。

Permalink |記事への反応(0) | 22:59

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2023-05-01

知恵袋にはこの絵の絵師教えてくださいという質問がよくあるけど、さすがに客観的に見てラフスケッチというのも烏滸がましい殴り書きレベルのものについて同じ質問をするのは憚られる。

「お前が書いただけじゃないの?」といわれのない言いがかりをつけられて不愉快になりそうだからだ。

しかいかに殴り書きだろうが、たとえば俺が好きなのは密閉感のある着ぐるみマスクを被った女の子の絵なんだが、それに当てはまってる絵ならたとえ殴り書きでも貴重に思え絵師が気になるんだよな。

それ自身に関心があるというのもあるけど、むしろそのような絵を描く人が描いてる別の絵には同じ方向性ながらもっとクオリティも高いものがあるのではないかということで検索のための手がかりとして絵師が気になるわけよ。

どうしたもんかなあ。そもそもネットで言われることぐらい受け流せるべきではあるんだろうけど…

Permalink |記事への反応(0) | 14:27

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2023-04-27

よくわからない仕事の夢で目が覚めた

新しい配属先

自社サイトを見せられて説明をうける

何もないところがボタンになっていてこの辺をクリックするとお知らせでこの辺が実績紹介、このデザインを直して欲しいと言われる

何を?・どう?

さっぱりわからない

どうしたらいいですか?と聞くと、今何聞いてたの?あなたもうこの仕事10年近くやってるんじゃないの?と呆れられる

凝ったイラストが描かれた巻物を見せられて要するにこういうことでしょ?と言われる

このデザインにするのですか?と聞くとこれなわけないでしょ!と言われて、これはラフスケッチ!見たらわかるでしょ!と言われる

隣に座る付き合いの長そうな人に、これは言われるまでもなくラフスケッチなのですか?どのへんで判断するんですか?と聞くと、つまりこういうことだよとイラストの上に太い筆で絵の具を乗せてく

まりにもどうしていいのかわから困惑したところで目が覚めた

Permalink |記事への反応(0) | 04:34

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2023-04-23

文章ラフとは

絵が上手い人は「なんか描いてください」って頼んだらササッと描いちゃう気がするけど

文章が上手い人に「なんか書いてください」って頼んでもササッと書けなさそうに思う

文章ラフ?って言うのかな 一体なんだろうなと思った。

絵のラフスケッチは分かる ラフとは言えどあれは立派に作品の格調がある 見た瞬間にウメ~って思う

文章場合メモ書きになるのかなあ しかしそれ単体では価値があるようにはどうも思えないんだよな

Permalink |記事への反応(0) | 13:03

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2021-10-16

anond:20211016091121

佐藤可士和なんかもああ見えて何百とラフスケッチ描いて提出するらしいね

Permalink |記事への反応(1) | 09:14

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2020-06-01

なろうかたり

なろうについてのラフスケッチ2

https://note.com/ttt_cellule/n/n46b70ee8fd8d


こういうの見ながらいつも思うんだけどさ

自説に都合のいい作品だけ並べて

その作品であれば通る言説を語って

「すげぇ」みたいなブコメがつくんだけど

それは「なろう」じゃねぇよな

「ボクが見たなろうの一部」だよな

なんで異世界モノが別枠として切り離されてしまったのかとか

そういうのは論じずに、「ボクにはなろうはこう見える」を語る

上がってる、「ランキング上位に居た有名作品」だけで

なんでなろう語るんだ?

あのランキング上位の作品こそ、環境適応した異質な作品だと思ったりしないのか

そういう考察が全く見られないから、なんか浅いんだよな

これで3を書くっていうけど、大丈夫かね

Permalink |記事への反応(5) | 17:43

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2018-10-30

anond:20181030085029

トラバにある少女マンガの方が瞳や髪の表現が細かい、とかも一概には言えないと思うけど。

ばらスィー高野苺、みたいに個別作家イメージしたら違いがあるように思えるかもしれないけど、絵柄のみでの一般化は出来ないと思うな。

トラバでは電撃のマンガ少女マンガを比べてるけど、電撃ってメディアミックスも多いかアニメ塗りに引きずられて簡素な塗り方になってたりするし。

そのサイト少女マンガの中にも簡素な瞳や髪の塗りの物もあるし、萌え絵少女マンガ相互に影響しあっていることが伺えるだけで、やはり簡単にこっちはこうとは決め付けられない。

ラノベの表紙とかのイラスト系だと男向けの萌え絵でも髪に力をいれる人は多い。

ラノベで比べても、男女向けの差はイケメンキャラが読者の方にアピールしてる構図とか全体のデザインとか、文脈的ものしか判断出来なさそう。

(あとコピックっぽい塗りって、本来NARUTOとかBLEACHとかジャンプ表紙的な塗りで、あまり柔らかいものじゃない。

コピックは発色と手軽に塗れることが売りであって、透明色を使って滲ませなきゃいけない柔らかな表現は素直な使い方じゃないと思う。デザイン関係だとラフスケッチ用の道具だし。)


ランダムに1000件ずつ抽出して比較するとかなら可能かもしれないけど、判断基準もあわせて作らないといけないしかなり大変そう。

Permalink |記事への反応(0) | 15:01

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2017-01-02

エロゲSD書いてるひとは大抵漫画面白い」 という法則

ブログで紹介されてたのでpixivページ張ってみる。

こもわた遙華 代表作「ら~マニア

http://www.pixiv.net/member.php?id=442855

鳥取砂丘   代表作「G専ラフスケッチ」「境界線上のリンボ

http://www.pixiv.net/member.php?id=203832

都桜和  代表作「うらバン!」

http://www.pixiv.net/member.php?id=5188

ひづき夜宵  代表作「ピコっとチョコラ」や艦これロシア同人誌の数々

http://www.pixiv.net/member.php?id=37274

きょうみあります

Permalink |記事への反応(2) | 00:27

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2016-10-02

知られざる在野保守系知識人ワナビー実態とは・・・

高学歴でも低学歴でもない

・非文学部

・当然理系センスはない

語学スキルもない

・かといって訳書をバリバリ読んでおのれの哲学を作り上げるわけでもない

苛烈アカデミズムコンプ

・したがって、自然科学に興味があるもののなんとなく「在野臭」を感じるものしか手を出せない

・その結果twitterでは意味不明な戯れ言しか垂れ流せない

twitterでは意味不明思考実験ラフスケッチに終始する

しか中途半端なところでやめる

twitterでは自然科学あるいは「現代思想」に対する違和感の表明と謎の決意表明ストイックなことがやりたいらしい)に終始する

ブログでも本の要約(学部レベル。大体訳書の要約ってなんだよ)に終始する

地方在住

・低収入

・そのくせして妙な保守主義

・こんな人生、あまりにむなしいのでアニメネタコミュニケーションをとろうとする

・とはいえ、単なるアニメ好きと認識されるのもなぜか悔しいらしく、「小さな哲学者アニメに関心を示してやってますよ」てきなスタンスをにじませる

・こんな悲惨人生大学院に入れば実存的にスキル的にも救われるのに、先ほど述べたコンプのせいで入れない。学力的にも入れないんだろうけど

Permalink |記事への反応(0) | 01:01

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2016-02-16

完成版じゃないとわかんないやつ

ラフスケッチの段階でどんな感じになるか予想つくだろうに、

完成版じゃないとわかんないって、お前何年この仕事してんだよ

素人からするとわかんないだろうけど、プロならわかるレベルで作りこんでるんだから

それくらい理解してくれよ

完成版じゃないと良し悪しの判断ができないなんて、素人と同じじゃねえか

バカか。

Permalink |記事への反応(0) | 23:53

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2015-09-09

五輪エンブレム問題専門家デザイナーではなく法律家

深津氏のhttp://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/ とそのブコメを読んで問題が混乱してるのを感じたので書く。

ただし自分法律専門家ではないので,これを読んだ法律家の人がちゃんとした記事を書いてくれたらありがたく思う。

法律的観点から見た五輪エンブレム問題

今回の問題関係しそうな法的権利は以下の3つ。

それぞれ保護目的保護される範囲侵害判定基準が異なる。

権利保護対象保護目的侵害判定基準権利の発生
著作権創作物全般創作物の公正な利用→文化の発展類似性依拠自然発生
商標権商標(ロゴ,マーク,社名/ブランド名等)ブランドの信用維持→産業発展及び消費者保護類似性登録
意匠権製品デザイン意匠創作奨励産業発展類似性登録

商標権意匠権は割と似てるが,違いは商標権商標を一つ登録するだけで(特定産業分野の)あらゆる製品についてその商標保護されるのに対し,意匠権製品意匠デザイン)が保護対象なので,製品ごとに登録必要な点。自動車を例にとると,自動車会社エンブレム商標を一つ登録すると車種に関係なく保護されるが,意匠は車種ごとに登録必要になる(自分で書いててあまりいい例じゃないと思ったが,他に思いつかないのでこのまま進める)。つまり今回のエンブレムのようなものは,意匠権での保護は難しく商標権での保護一般的ということになる。あと商標権登録者だけじゃなくそれを見てモノを買う人=消費者保護重要目的だが,意匠権は専ら登録者保護目的

以上を踏まえて今回の問題時系列的に整理し直してみると,

1.原案の提出

2.原案商標調査侵害の可能性の指摘

ここで問題になったのは「商標権」であり「著作権」ではない。従って侵害の有無は類似性のみに基づいて判断される。コンセプトとかは一切関係なく,見た目が似てたらアウト。但し保護目的の大きなウェイトを「消費者が誤認しないこと」が占めるので,誤認しない程度の類似なら許容される。

3. 一次修正案の提出

4.二次修正案の提出

5.二次修正案を最終版に決定

6. 最終版の公表

7. 最終版がベルギーリエージュ劇場デザイナーから著作権侵害として使用停止を求められる

ここで問題になったのは「著作権」。著作権侵害は,類似性依拠性(被侵害著作物を知っていて,それを真似した)の両方が立証されて初めて成立する。従って元の著作物を知らずに作ったものたまたま似てしまった場合は,著作権侵害にはならない。佐野氏がpinterest の会員だったかどうかが問題になるのも,この「依拠性」の証明関係してくるから。但し単に会員だったというだけでは依拠性の証明としては全く不十分。佐野氏が(一次修正案以前に)リエージュ劇場ロゴを見ていたという蓋然性が高いことを示す証拠(例えばpinterestログ等)が必要

他方,深津氏は「依拠していない」ことの証明として「コンセプトが違う」ことを挙げているが,これも現時点では証拠としては弱すぎる。証拠というよりは傍証レベル。まずその「コンセプト」なるものがすべて頭の中で考えられたものしかない。つまりリエージュ劇場ロゴを見たあとでも,言い訳としてそのようなコンセプトを考えることは極論今からでもできる。「いや,このコンセプトでずっと考えてたんですよ」ということを示す物証ラフスケッチや素案,メモ等)が出てくれば多少マシだが,それでも「見ていない」証拠としては弱い。ただこの場合挙証責任基本的に訴えた側のドビ氏にあるので,よっぽどマズい法廷戦術をとって挙証責任押し付けられない限り,佐野氏側は「依拠していない」ことを証明する必要はない。

ちなみにもしリエージュ劇場ロゴ商標登録されていたとしたら,商標権での争い,すなわち類似性のみでの争いになるため,「専門家であるデザイナー」諸氏がどれだけ「コンセプトが違うから違う」と言っても一笑に付されていたはず。もっともそうなる前に商標調査で引っかかった可能性は高いし,また類似性のみの判断になるとしても消費者が誤認するレベルかというと正直微妙だとは思う。

五輪エンブレム問題専門家デザイナーではなく法律家

以上に書いたことを冒頭に挙げた深津氏の記事特に「まとめ」の直前に掲げられている5項目と読み比べてみるとわかると思うが,2番目の「コンセプト」の話以外はだいたい同じ。2番目の「コンセプト」の話も「コンセプトが違う」ことを以て「(著作権侵害問題になる)依拠性はない」という主張を補強する傍証としているだけで,デザイナー専門性とかは本質ではない。

まり,深津氏は「法律的には問題ない(はず)」と言っているだけなので,だったら「この問題専門家デザイナーじゃなくて法律家じゃね?」と考える次第である

今回の問題関係しない権利

権利保護対象保護目的侵害判定基準権利の発生
特許権自然法則を利用したアイディア発明奨励産業の発展類似性登録
実用新案権自然法則を利用した物体の形状や構造に関するアイディア考案の奨励産業の発展類似性登録

特許機能を実現する方法装置などの技術手段アイディア保護するもの実用新案も,特許ラスボスとした時の中ボスみたいな位置付けだと思うので,意味的には特許と変わらない。いずれも機能とは無関係表現としてのデザイン保護とは全く異なるので,そもそも特許制度比較してどうこうというのは筋違いだと思う。

Permalink |記事への反応(2) | 07:46

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2015-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20150830105843

1.資料作成パワーポイント

2. 画面設計Sketch等)

3.ビジュアルデザインIllustrator,Photoshopetc

あとプロトタイピングとしてプログラミングしたりもする。

PCばっかり向かっていると煮詰まることがあるので

アイディア出しやラフスケッチはなるべく紙に書くようにしている。

漢字書けなくなったら悲しいしね。

Permalink |記事への反応(0) | 19:07

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2013-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20130820181656

バンドルで独自開発したラフスケッチネームソフトが付く



いらねぇw

罰ゲームなんだから逆に価格下げて欲しいわw

Permalink |記事への反応(0) | 18:18

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http://anond.hatelabo.jp/20130820174259

ペンタッチパネルが高性能

タブレットもそれなりに性能高い

バンドルで独自開発したラフスケッチネームソフトが付く

この辺考えたら割と妥当な値段じゃね

Permalink |記事への反応(2) | 18:16

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2009-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20090623010433

いや、普通

ラフデザイン デザインカンプ というように、それを書くのはデザイナー

(それをやってくれないととなると、HTMコーダーか、イラストレーターに分類したい。)まぁ、分類に意味はないが。

で、ソレ込みで発注していれば、たぶん、そんなことにはならなかったし、

契約前にデザイナーがやってくれない夫だと気が付けた。

ラフスケッチというか、鉛筆絵程度なら、発注側が書くこともあるけど・・・その辺は契約次第だからなぁ。

XXなイメージという簡単なのを発注が決め手、デザイナーがサンプルを3点作って、その中から発注者が選ぶとか、そう言う契約も有だし、ラフ切るのが発注で詳細埋めるのがデザイナという契約も有り。

それに気が付かずに、デザイナーがどこまでやるか。というのを決めずに契約したのが発注者ミス

それに気が付いていれば、たぶん、それ混みで作ってくれるデザイナーを捜すというフェーズになって、問題なかったんちゃう?

(逆に契約ラフを発注が切るとなってたんなら、そりゃぁ、発注側がわるいわなぁ。デザイン力無いなら、ラフから作ってくれるデザイナーGETせんと。)

まぁ、あとは、幾らだったか?というのによるね。

一般的な?大手の?Webデザイン会社なら、その辺は逆に、ここまでは、発注側でやってとか、懇切丁寧にやってくれると思うけど・・・。変なのつかんだね。

Permalink |記事への反応(1) | 01:15

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2008-12-18

ものは言い様

http://anond.hatelabo.jp/20081217100125

元増田に同情的なのが多いのは分かるけど、他の二人がそう悪いようにも思えない。

多分、それぞれの特技やアイデアを寄せ合って面白いものを作ろう!ってノリで始まったんじゃないかと推測してるんだけど、どうなのかな。

そうだとしたら、

(ある時は私が書いたラフスケッチに「ここは太く!ここは不要!」などの上書きがされて送り返されてきました)

なんてのも普通でしょう。元増田ラフスケッチに対して他の人の意見を乗せていく。そうしないで元増田を全肯定して進めていくなら、他の人はいらないもん。

そこで自分の負担が不当に大きいと思ったり、対案を出す時にももう少し自分に気を遣って言ってほしいと思うようになったってことなんだよね。

その想いが妥当なのかは判断付かないけど、元増田の場合、自分職能を活かして参加しちゃったことがそういう想いにつながってる気がする。

自分の思い通りにならなくても、お金がもらえる仕事と思えば我慢できる。

普段ならこれだけのことをしたらいくらもらえるのに。

って考え始めちゃうと、しんどい気がするよ。普段ならお金を取ってやることを無償でやってるんだ、っていう想いが、変に正当性を持っちゃう気がする。

かといって辞めるに辞められない元増田の気持ちも分かる気がする。だって今辞めたら、自分意見が通らないから面白くなくなって辞めたって思われるかもしれないし、責任感なく見えるだろうし。

他の二人は、より良いものを作ろう!っていう想いで言ってるかもしれないし、元増田コーディングする分、他の作業をしたりアイデアを出してるつもりかもしれない。

ようは言い方と受け取り方の問題なんじゃないかな、って思うよ。

強いリーダーがいない共同企画は、お互いに敬意を持ちあって、さらにそれを逐一態度に表さないと、うまく回らないよね。ここは経験談。

Permalink |記事への反応(0) | 11:16

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2008-12-17

無償でモノを作ってエライ目にあいました

まだまだ勉強不足が目立つ輩ですが、DTPWEBデザイン及び製作をして生計をたてています。

最近webで知り合った人と一つサイトを作ろうという話になりました。

それは3年程付き合いのあった方から声をかけてもらったのがキッカケで、

その方と、その方の友人を紹介してもらい、3人で立ち上げることになったのです。

趣味ということなので無償で、コジンマリした場にしようということでした。

色々クリアすべき課題はありましたが、良いものができれば・と、

製作をはじめるまでの必要な人集め・企画出しにも可能な限り力を尽くしました。

私以外のメンバーは特にweb企画製作に慣れているという訳ではないので、

自然、私がメインでやるような形になっていました。

実際のサイト製作に入るようになった頃には、

デザインアイディアラフ)に対し、立上げメンバー・上述の2人が遠慮なくダメ出しするようになっていました。

彼らは(ビルダーなどのソフトを使って)webページを作ることはできるようですが、

コーディングはできないと言うので、実質作業も私一人でした。

とはいえ、彼らも実現させたい希望があるだろうと、できる限り意向を汲もうとしたのですが、

途中から、製作者の署名もつけさせてもらえないということが分かり、

プレサイト完成した日に"言うだけ人間を相手にするとこちらも疲れる"という旨を相手に告げたのです。

それを言った日から、随分と幼稚な当てこすりを言われることが続き、とうとう我慢ができなくなってきました。

(ある時は私が書いたラフスケッチに「ここは太く!ここは不要!」などの上書きがされて送り返されてきました)

サイトコンテンツとなる主要な企画は私が書いたもので、

今は本サイトも一応完成し、企画も既に始まっていますが

企画の最終日までモチベーションが維持できそうにありません。

ダメ出しは良いのですが、修正やアイディアにも時間はかかります。

にも関わらず、遠慮なく言ってくる相手の姿勢に辟易してしまい、

積極的に関わりたくなくなってきているのです。

立上げ人以外の 他のメンバーから見れば、

私は(誘ったくせに途中で消極的になり)随分酷い奴だと思われているでしょうが、

一体何をどういって理解してもらえばいいのか分かりません。

プレサイトが完成し、私が最初に怒ったときに

"互いに持っているものが違うから、それを理解した上で発言をしてくれ"という趣旨のことを相手に言いましたが、スルーされたようです。

正直なところ、無償で作業を強いられることが(最初はよかったのですが)今の自分には苦痛で仕方ありません。

また、自分が書いた企画がこのままユルユルと下火になっているのは見ていて辛く、マトモに目をあてることもできません。

Permalink |記事への反応(9) | 10:01

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2008-03-19

営業は金のこと以外も考えてくれ

「先方との打ち合わせのための叩き台」に、なんで完全動作モデルが必要なんだ。

まだ何も仕様が固まってないうちにそんなもの作ったら、100%手直しが入って1から作り直しになるのが目に見えてる。

ラフスケッチ+基礎モデルで理解できないってのは想像力のない奴が悪い。服のオーダーで生地とデザインスケッチなり作例写真なり見て理解できないからって「取り敢えず作ってみてくれ」で出来たものに「イメージと違うから没」とか言ったら殺されるぞ。ていうか買い取れ。

いや、別に作り直しを含む工数を全部請求していいなら構わないんだけど、こういう奴らに限って作業量じゃなく完成品にしか金を払わないとかゴネるんだよね。

Permalink |記事への反応(2) | 10:22

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2007-08-10

デザイナーだって?お前がなりたいのはシンデレラだろ?

自分がデザイナーかどうか迷ってるという連中が居るそうだ。

そういうのはまず違うから安心して欲しい。アーキテクトもインタラクション設計もUI設計もマークアップコーディングデザインじゃない。

でもWebデザインって言うんだからデザイナーじゃないの!?

そう、designには設計という意味もある。だから辞書を引いて自分がその定義に当てはまる気がするならそう自称してもいいんじゃないかと思うわけだ。

しかしちょっと待って欲しいのだが、これが「デザイナー」でなく「ナード」という名前でWebに従事してマークアップからレイアウトからスクリプトの人をまとめてdesignする者と同じ意味で呼んだとしてそれを望むだろうか?

デザイナーへの憧憬はまずファッションデザイナーにある。ファッション上流階級富裕層芸能界の注目する華やかな世界での主役の一つだ。そしてスーパーカースターダムにのし上がったカーデザイナー

彼らはその卓抜したセンスで社会を見つめ無限の可能性の中から最良の一つを選び出す。それは手書きのラフスケッチ一枚であったり、手で握りつぶしただけの粘土であったりする。

それを現実の形に直すのはパタンナーであり針子であり、クレイモデラーであり、プロダクトになるまで、配送の配達員に至るまで無数の人間がかしずき従うヒエラルキーがある。

デザイナー」とは政治経済と異なる第三の社会における現代のシャーマン、神の宣託を受けた選ばれたカースト最頂点なのだ。誰もが敬意を覚え憧れずには居られないとしても当然のことだろう。

それが現代社会の構造下で適切なものかどうかは置いておくとして、だ。

高校野球で有名な教団、戦後に急進した宗教団体がある。今はかつての勢いがないそうだが最も影響力を発揮したと思われるコンセプトがある。

人生アートである」

20世紀初頭、現代芸術がコンセプチュアルアートに傾倒する中で素人目にそれはアートと自称さえすればアートに見えるという提案にしか見えなかった。その団体はそのギミックに注目し信者たちに自分たちはアートだと言ってみせたのだ。

もちろんアートとは数千年間権力者の下にあって富と権力の象徴であり権威の象徴である。それが自称すれば手に入るのだから悪い気がしない。誰もが自分の行為すべてがアートだと称し始めた。

世間で通用する意味辞書に並ぶ解釈可能な一覧との差を利用して僭称してみせるのがハックだというのだろうか。愚者とは何かと問われれば分をわきまえない者だと答えることができるだろう。

SOHOが内職詐欺に会った主婦を指すように、敬われたいと自称することで自らを貶めることになるのだ。

名を騙る詐欺師は少なくともそのリスクを受け入れる。それすらしない怠惰な愚者に必要なのは侮蔑しかあるまい?

Permalink |記事への反応(3) | 11:02

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