
はてなキーワード:ライバルとは
日本では全く知られていないが、10月24日に「HaloWorld Championship 2025」というイベントが開催される
https://www.halowaypoint.com/esports/halowc
平たく言えば人気FPS「Halo」の大会なわけだが、この場でHaloシリーズの何らかの新作が発表され、その中にはPS5版も存在するのではないか、という噂で持ちきりだ
Haloシリーズはマイクロソフト傘下のスタジオが開発する、マイクロソフトのゲームを象徴するタイトルであり、主人公である「マスターチーフ」は任天堂でいうところのマリオやピカチュウに相当するキャラクターである
それが、マイクロソフトが販売するゲーム機「XBOX」のライバルであるPS5にも登場するとなれば、そのインパクトはかなりのものになると思われるが、筆者個人はそれほどの事態にはならないだろうと推測する
なぜなら、奇しくも先日、マイクロソフトのゲーム事業のトップであるサラ・ボンド氏がインタビューで「ゲーム機の独占タイトルは時代遅れ」と発言したばかりである
https://news.denfaminicogamer.jp/news/251023x
実はここ一、二年ほど、マイクロソフトはかつてXBOX独占だった数々の自社傘下スタジオ開発の人気タイトルをPS4やPS5向けに発売してきた経緯がある
また一年前、Haloシリーズの開発を担当していた「343 Industries」が「Halo Studios」へと改称し、さらに開発エンジンを自社独自のものからUnrealEngineに切り替えると発表もされていた
UnrealEngineはソニーも出資する、複数のメーカーのゲーム機に対応した開発エンジンであり、プレイステーションやニンテンドースイッチ向けの開発実績も豊富だ
こういった直近の流れを知っている者には、PS5版Haloの登場は以前からの既定路線として比較的静かに受け止められることだろう
正式発表された模様
https://www.theverge.com/news/805174/halo-campaign-evolved-remake-xbox-ps5-release-date
そう思っていた時期が私にもありました。
で、前、タイトルの様な事をいったところ、袋叩きにあったのでその記録である。
要するに
ということだね。
本当は性能などであかんのに政治家に金を払ったことでゴミが導入されてしまうこと。
典型手例はロッキード事件。ロッキードL-101とDC-10。当時の田中角栄がロッキードから金をもらってL-101買ってしまったと言う話。
このロッキードの機体はここまで世界中で手段を選ばない拡販を下にもかかわらず、ライバル機DC-10に対して半分しか売れず、日本以外でも問題になってロッキードは旅客機から撤退している。
要するにゴミを売りつけられたわけだな。
また当時、ロッキードと日本では軍用機等の共同開発も進んでいて、この汚職によって全部吹っ飛び、酷いことにあなった。
国の規制というのは良くも悪くも色々な理由があり、規制緩和することは議論があるが、
やってはならんのはある企業だけは規制を厳しく、ある企業は緩くするみたいなのはやってはあかん。これは競争を歪めるからだ。
これが大問題になったのがロッキード事件。ロッキードが株式を利用して便宜供与し、インフラ事業に参入しようとしていたリクルート社に色々な便宜を図ったり、不動産開発でリクルート系だけ規制を解除させたり、当時最先端のスーパーコンピュータを妙に安く払い下げたりとやりたい放題を行った。
本当は競争が正常に働いてより良くなるはずだったのに妙なものができあがり、さらに行政の規制パワーでそれを使うしか無い状況に追い込まれ、一般人が損をするというわけだ。
反社会的連中が政治家と繋がると、政治家が持っている忖度させる力が暴走してしまう。
その影響力を背景に摘発を逃れたり好き放題される。
これで大問題になったのが佐川急便事件な。佐川急便を通して反社から金が流れており、反社側は銀行から不正融資を受けたり、総会屋として好き放題やったりとやりたい放題だった。
これはドストレートに、金丸が5億円献金を受けた一方、不正融資5200億円とかとんでもない損害が出てる。
これは、大小様々あるものの、政治家にはこの手の話が沢山持ちかけられるかららしい。
なので、無制限に乗っかると社会がヤバイと言うのは肌で感じるからだそう。
にもかかわらずそれに乗っかる奴は正真正銘の悪人か、自分では善人でそれは必要悪だと思っている歴史を学ばない愚者かどっちかで、だから厳しいのだそうな。
エセックス伯爵ロバート・デヴァルーとそのライバルだったソールズベリー伯爵ロバート・セシル。
エセックス伯はイケメン高身長で軍事的英雄だが短気で激情家で政争には弱い。
ソールズベリー伯はせむしの低身長で陰気な顔の宮廷役人で、道化のように振る舞って人に取り入ることや人を取り込むことが得意。
結局、エセックス伯は政争で敗れて反乱を起こすが失敗して処刑。
映画や舞台などを見るとエセックス伯が主人公でソールズベリー伯は大抵悪者。
また、女王は男性としてエセックス伯が好きなのに、言うことを聞かなかったり激情的で宮廷でトラブルを起こす彼に手を焼いており、最後は鎮圧と処刑を命じたが複雑な思いを抱いていた。
一方でソールズベリー伯には「大きな派閥を率いる有能な家臣」程度の感情しかなかったようで、政治に関することをのぞいて手紙をやり取りしたり、彼のことを話題にしたりすることは一切なかった。
結局、人は見た目が全て。
イケメンで高身長の軍事的英雄だったら反乱を起こして処刑されても主人公として扱われ、ブサイクでせむしだと政争に勝利して天下人になっても人からは好かれない。
お前イラストの発注したことある?めちゃくちゃチェック入るし、某自動車メーカーとかならちょっとでも違う箇所あると永久に修正くるぞ そのくらいチェックするライバル社の製品なんて描いたら出禁だぞ まじで
アイドル業界ドキュメンタリー映画。伝説的なアヴァンギャルドアイドルグループ「BiS」の第二期オーディションの様子と、そこから落選したメンバーで結成されたBiSの公式ライバルグループである「SiS」というグループのメンバーと関係者の顛末を描く。
面白かった。89点くらい。
もちろん映画としてお出しされており、さらに「アイドル業界」という何でもありの界隈から出てきた作品である以上、個々の映っていることのどこまでが「リアル」でどこからが「やらせ」かは不明ではあるのだが、ドキュメンタリー映画のジャンルの中でも珍しい「撮れちゃった」系の作品である。
姉妹作としてBiS側のドキュメンタリー映画として「劇場版BiS誕生の詩」が存在しているがこちらはいたって正常な異常なアイドルオーディションからデビューまでを描いた作品になっている。
BiSオーディション内で仕掛けられた様々な目を覆いたくなるような、フェミニストが憤死してそのまま灰になり朝焼けに溶けていくような企画の話はいったん置いておいておく。これはBiS誕生の詩と内容がほぼ同じなので。
簡単に言えばオーディション参加者とハメ撮りビデオ撮りたいAV監督にオーディション参加者が逆ドッキリしかける感じの企画である。これだけでうわああああって感じになる人も多いかもしれないけど、まぁ8年前の話だからね。
この作品の主役はアイドルたちではなく周囲を取り巻く大人たちである。
1人はBiS、BiSHなどの売れっ子アイドルをプロデュースしてきた渡辺淳之介。
1人は彼の大学時代からの友人で彼に誘われて同時期にアイドル業界に入った清水大充。
清水氏は渡辺氏がプロデュースするBiS二期の担当マネージャーであり、SiSのプロデューサーに就任する。
SiSのデビューに向けて準備を進めるも、元々抱えていた業務に忙殺されてSiSにリソースを割けない日々が続く。衣装も用意できなければ歌割りも決まらない。オリ曲も用意できずにライバルグループのプロデューサーである渡辺氏が気を使って用意してくれる始末。
そうしてなんとかかんとかデビューライブにこぎつけた前日。清水氏の過去の重大な背信行為が大きく発覚し、渡辺氏から清水がプロデュースしたというだけでもうSiSというユニットは続けられないと告げられてしまう。この背信行為が何なのかは結局作中では語られないが、その後、彼は全アイドルのマネジメントから外されていることからも、大まかな想像はつく。
しかし彼は周囲のコアな仲間にはそれを話すがSiSメンバーにはそれを告げずデビューライブを決行。
フサフサの頭で謝罪する清水氏に対して、彼を信じた俺が間違っていたと頭を丸めて登場する渡辺氏。
インタビューで「デビューライブやったことだけは俺がやったことで唯一の正解だった」と語る清水氏に対して、渡辺氏との食事会で「黙ってあれやったのだけは理解できない。頭おかしい」と語るSiSのメンバーとそれに同意する渡辺氏。
解散したSiSのメンバーを「他にやってあげられることはない」と自分がプロデュースする別グループに編入することを決める渡辺氏に対して、メンバーが結局渡辺氏を取ったことに「渡辺のところに行くのだけは絶対にないじゃん。勝手にやってろよ、ぜってぇ売れねぇよ」と罵倒し悔し涙を流す清水氏(頭を丸めている)。
元SiSのメンバーが「SiSを通じて渡辺さんと仕事ができるんじゃないかと思っていた」と語られるショットなども途中で入り、元々渡辺淳之介プロデュースのBiSのオーディション参加勢であるというところを考慮しても残酷な現実が見せつけられる。
そもそもこのSiSのプロデューサー就任もおそらく「同期の渡辺が有名プロデューサーとしてブイブイいわせている」ことに対する嫉妬の念もあったんだろうなぁと考えると非常に胸が痛い。彼が最も後悔している瞬間に「SiSやりますって言ってしまったこと」と語っていたのも、おそらくそういうことだと思う。
GANG PARADEに移籍した3人がライブ会場の階段で清水氏と再会するシーンがある。おどおどと敬語で活躍を祝う清水氏に対してメンバーの一人が「全然よくはないけど、結果的にこうなったのはよかったのかなと思ってる」と語る。こうなったのは、というのは憧れの渡辺氏のプロデュース下でアイドル活動できていることということだろうから、なかなかクリティカルな一言でぶっとんでしまった。
才能にあこがれて無鉄砲に飛び出して才能に焼かれて墜落した、イカロスみたいな話だなぁと思ってしみじみとしてしまった。
俺はこの映画の特にこの二人の対比がすげーよくてそこを中心に感想を書いたけど、このドキュメンタリーには山下百恵というレコード会社のインターン生が「アイドル業界のちょっと外から」オーディションから解散までの騒動を眺めるフレッシュな視線が盛り込まれていたり、この映画の監督がオーディション生を好きになっちゃって落選後にホテルでイメージビデオ取らせてと頼むも、彼女はオーディション同行していたAV監督とホテルに行っちゃってしょんぼりしてその辺の公園で飲んでたギャル2人のインタビュー動画を撮ったり(キモい)とか、当然前半のイカレオーディションパートも面白いし多面的な楽しみ方ができる作品になっている。
アイドル系のドキュメンタリーは結構見たけどその中でも「そのアイドルを知らなくても楽しめる」出色の出来だと思う。
まだ夢の中か?まず冷水浴びろ。体が震えるくらいのやつだ。
ぬるま湯に浸かって「整う〜」とか言ってる場合じゃねえ。寒さで目ぇ覚まして、血管締めて、脳みそに酸素ぶち込め。そこからだ、戦闘モードは。
次に走れ。息が切れるまで走れ。フォームとかタイムなんざどうでもいい。呼吸が荒れて心臓が破裂しそうになってからが本番だ。
あの瞬間、脳内の「もう無理です」って声を無視して一歩踏み出せるかどうか。それが、おまえの限界を決めてんだよ。
そして家に戻ったら、鏡を見ろ。そこにいるのは昨日までの甘ったれか?それとも今日から始まる野獣か?
決めるのはおまえ自身だ。成功ってのは、運でも才能でもねえ。決意と継続だ。「やる気が出たらやる」なんて言葉を口にする時点で終わってる。やる気は結果だ、行動の副産物だ。
誰かに褒められるために走るな。SNSで「頑張ってる自分」を見せるために努力するな。そんなもんは自撮りダイエットと同じだ。
本物の努力は黙ってやるもんだ。成功者は静かにやる。失敗者ほど喋る。覚えておけ。
それからな、人生はマラソンなんて優しいもんじゃねえ。殴り合いだ。しかもルールなし。
油断した瞬間、誰かが殴ってくる。休んでる間にライバルは100歩先にいる。いいか、休むなとは言わねえ。だが、立ち止まるな。「一歩進む」だけで勝てる奴が大半だ。
今日も動け。汗をかけ。苦しめ。誰も見てなくても全力でやれ。そうすりゃ、数ヶ月後には、怠けてる連中が「どうやったの?」って聞いてくる。そのとき、おまえは笑ってこう言えばいい。
「おまえが寝てる間に、俺は走ってたんだよ」
さあ、立て。水を浴びろ。今日が変わる日だ。
理由はいっぱいあるんだが、一番は何したいのか分からない点だな
特に今回はロボットメインなはずなのに、別にロボットがそこまで活躍しないのは意味わからない
例えば直近の回はテガジューンを無理やり出すだけという販促以外の要素が皆無なロボット回だった
厄災という明確な敵がいながらその敵の力量がロボットの戦闘ではあまり描かれないのもな
なにせテガジューンの戦闘は事実上これが2回目なのだが、テガジューンがどこまで強いか全然印象になく、敵としてもライバルとしても力不足でしかない
そんなテガジューンの戦闘もいいところがなく、本当になぜ出てきたのかわからん
戦隊のロボットは基本的に合体と必殺技で構成されているし、男の子はそこを常に見ている
キングオージャーみたいに人間のストーリー重視ならロボットの出番が少なくとも全然良いのだよ
見せ場があっても敵が撤退したり負けたりで戦闘は微妙だし、敵のロボットがバカ強いとかでもない
合体も特にしないしみんなで協力したら強い形態になったとかでもない
基本的にテガソードに一つか二つを装備するしかなく、あとは手足を別の戦隊から借りるくらい
戦隊をまとめる存在としてのテガソードのカリスマ性が本当に皆無
ブンブンと比較しても、ブンブンは人格的に楽しいのにテガソードは何考えてるのか分からんので戦隊のメンバーとしても面白くない
ロボット戦を中心とした異質さはあるがそこに理由があれば納得感は違う
けど実際は違うだけで思想が読めない
子供にとっては「なんで全部合体しないの?みんなで合体すれば強いじゃん」としか思わないよ
ロボットに乗るときにスーツを変える理由も基本一人でしか操縦しない理由も敵が大きくならず他の雑魚が操縦するロボットと戦闘する理由もない
全部単に変化球をしているだけ
あ、そうそう、一つ褒められることはある
玩具としてはよくできてる
惨憺たる結果の小泉陣営、更に投開票前日にもかかわらず祝勝ムードだった「政界の今川義元やんけ」「ドラマとかでやるフラグやないか...」
海道一の弓取り今川義元を知らんニワカかよ。こういうのは登山家馬謖とか生兵法の趙括やろ。
2025/10/07
「海道一の弓取り」。
その最後のやつでも10年以上前だけど、そこからアップデートされてない感じね。
名門なので公家文化も取り入れてるし輿にも乗る。(文弱のデブ、みたいなイメージはここから)
(この規模の大大名なのに戦場で首取られるのは割と珍しい。あとは龍造寺隆信とか?)
でもでも、桶狭間の最期のため・信長家康と対比でsageられたために必要以上に暗愚扱いにされてきたんじゃないか?
当時は海道一の弓取り(東海道一の戦上手)と呼ばれて恐れられたんだ!
義元は有能!
今川家の合戦の大将ってだいたい義元の師僧の太原崇孚(雪斎)がやってた。
つまり「海道一の弓取り」今川義元はそもそも出馬をしていない。
なんか義元ってなんでも雪斎に相談して二人で物事進めてたのね。
雪斎は60歳ぐらいで亡くなるんだけど当時としては長生きの寿命。
義元としても今川家としても当然「雪斎死後」の準備をしているべきだった。
でも雪斎亡き後、大きな合戦の大将を任せられるスタッフは育ってなかった。
それは義元との関係性も含むよね。
充実した国力を背景に大軍団を自ら率いて尾張に侵攻したんだけど(上洛しようとしてた説もある)
大将の自分自身が泥にまみれるような危険な接戦や敗戦を経験するけど
配下部将たちとの呼吸や連絡も上手く合わなかった。
沢山スタッフがいても誰が使えるか、誰が気が利くかは分からない。
妥当な指示を出しても頓馬なことして陣営を窮地に陥らせる者もいる。
いきなり大軍勢を率いていきなり決死の突撃を受けたせいで今川軍はきちんと機能しなかった。
義元は30後半の頃に雪斎に死なれて
雪斎死後国政整わずと評されてたぐらいで
惰性で拡大しながらもグズグズと崩壊の兆しが見えていたのかもしれない。
全体的に進次郎は今川義元に似ている。
似てないのは死んでないこと。
あとこのまま既定路線に乗ってるだけでいつかはトップに立てそうなこと。
あとは党内または野党に、織田信長と言えるほどのライバルが現れるのか。
現れてくれなければ国の未来は暗そう。
次世代機の計画が未だに社内で宙に浮いたまま(発売するかどうかも決定されてない)になってるという噂もあるけどな
マイクロソフトが自社開発ソフトをライバルのプレステに複数投入すると昨年あたりに予言した人物が噂の出処なのでわりと信憑性があったりする
というのも、はとっちが水尾の表面的な部分でなく、本質的な部分を好きになっているといくら物語中で描かれていても、それを"消費"する人たちが「地味で目立たないアタシの良さに特別気づいてくれるイケメン男子のラブコメ」みたいな誤った受け取り方をして再出力してるのが、二次創作やらコメントやら見てるとわかってウンザリしてくるからだと思う。
萌えてる当事者たちは絶対そんなことないって反論するだろうけど、でも水尾が少しでもブサイクだったら絶対今みたいに萌えてない。なぜなら、男女でかなり距離の近い関係性を築けているヨンスや野呂みたいなやつらとの関係性で恋愛萌えしてるやつ、マジで一人も見たことないから。実際はああいうやつらと親交深めていって結婚しがちなんだけどね。
鷹見単体、もしくは鷹見と水尾両方から恋愛的な矢印向けられてるやつとかはめっちゃ多い。結局そういうことなんだろう。
鷹見とはとっちの関係性をすぐ恋愛に持ち込む人とかも嫌なんだよな。あそこは原作者から直々に恋愛関係にはならないと言及されてたのに…。
「これ鷹見絶対はとっちのこと好きなやつじゃんーー!!」みたいに騒いでる人を見てる時の感情と、こないだ、エレガント人生のお二人が結婚した時に見かけた理解ないコメントに感じた感情は似ている。
男女というだけでライバル心や友情などの感情が全て恋愛に集約されていくのが嫌だ。
前々からマイノリティを丁寧に描く作品の割に読者の理解が追いついてないと感じている。
桃やたまきの話の時も「男を知ったら治る」「今はまだ思春期でわからないだけ」みたいな、当事者には絶対かけちゃいけないタイプのコメントとかかなり見かけたし、それと根本は同じ問題な気がする。
細々と裏でお仲間同士妄想するのは誰も止める権利ないし別にいいんじゃねとは自分も思うんだけど、この作品自体がキャラクターの感情や考え方、それとおんなじような立場の現実の人たちのことをすごく丁寧に扱ってくれる作品だからこそ、妄想癖の人たちに表に出こられた時の嫌悪感が出てしまうのかなとは思う。
まあジャンプラだし、いろんな年齢層の人がいるんだろうなとは思う。
個人的には鳩野の恋愛の動向は追いたいが、恋愛がメインになってしまったらそれは最初にあったふつうの軽音部の良さが無くなってしまう気がするので、恋愛展開は反応も良いし求める声が大きいとは思うんですが、あくまで軸は恋愛のみに限らず思春期少年少女のいろいろと、音楽であってほしい。