
はてなキーワード:ライトとは
○ご飯
朝:なし。昼:湯豆腐、チャンジャ、刺身、焼き山芋。生2杯。瓶ビール1本。袋ラーメン。夜:袋ラーメン。間食:チョコボール。柿の種。
○調子
いや、賞味期限がいつのまにか近くて急いで食べてるんだけども。
目標個数はあと2本、年内に終わるといいな。
キャラグッズあんまり興味ないんだけど、キャラクタが使ってる想定のものはかなり欲しいな。
「いつやってもいい」コンテンツがずいぶん溜まってきたので、どこかでプリコネの日を作らないとだなあ。
深域、ダンジョン7、ローグライトのやつ、ボスの記憶のやつが中途半端だ。
特にローグライトのやつ困ることが増えてきたので日課にしようかな。
○ポケットモンスターブラック(序盤ポケモンと電気袋の旅)
https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5
https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5
「なぜはた」の明確な問題点は「タイトルの主語が大きすぎること」です
<以下本文>
まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的な問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。
→大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。
「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。
これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人の平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気は存在しない」と言っているのに等しい議論です。
→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。
あえて寿命で例えるなら、「日本人の平均寿命は延びているから、喫煙者の平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通の評価軸である「寿命」で比較できますし、「日本人の平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者の平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます。
(しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者の平均寿命~」とするべきで、主語を日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)
全体平均の中に埋もれてしまっている「特定の属性の変化」に光を当てるのが拙著の役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析の手法として適切ではありません。
→マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。
おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います。
こういう人たちに、「タバコは健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人の経験則を否定することになり、もめます。
マクロデータの目的は、「特定の属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析の手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります。
だからこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在そのものをデータとして示す必要があるのです。
拙著で統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます。
→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。
飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されています。しかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています。
まず、拙著が対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?
次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり、統計的な定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます。
→対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍のタイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。
ちなみにこの統計、データ(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。
これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたものを記載してみます。
<16-19歳の読書数>
0冊=66.3%
1-2冊=22.9%
3-4冊=8.4%
5-6冊=1.2%
7冊以上=1.2%
あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)
3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃいますよね。
おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代の比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法で調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。
しかも、令和5年の大学、短大、専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。
だから、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。
ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています。
学生時代の読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。
もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析が必要です。しかし、データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしまう飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。
→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータで示唆するのは無理があります。
U字カーブ?あなたは70歳以上の人が自在にスマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?
交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?
「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)
一見すると、「書籍の読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えます。しかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模の根拠として用いられているデータの定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。
雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍と雑誌の読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍は図書館での貸出や、古書店・メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイントが豊富です。
→なるほど、たしかに書籍は図書館や古書店で接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。
つまり、「読書数の総量=新品購入+レンタル・中古」になるってことですな??
ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。
こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉は存在しない。
→えーっと、積読があるから「読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。
……市井氏は積読があるから「読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古やレンタル市場があるから「読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!
まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍の読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌は読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである。
また、拙著の「雑誌や自己啓発書を中心として、労働者階級にも読まれる書籍は存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌と書籍の区別がついていない」と批判されています。しかし、拙著の記述は明治時代の出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌はコミックや週刊誌の割合も時代とともに変わっていきます。明治の雑誌出版に関する記述を、現代の雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。
以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイントも考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。
→えーと、前半の文章は市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているから不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。
後半は……
構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切」
あれ、あなたも書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?
市井氏のnoteをみると、扱っているデータは70年代以降のもので明治時代の話はしてなさそうですけどね。
それに市井氏の
なお、『読書世論調査2016年度』には書籍の読書率について「戦後、読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査を引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。
この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータだから?
引用元の文献(黒田祥子・山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈と適用先が間違っていると考えられます。
というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書の読書」は、行動の質が全く異なります。論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。
「キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータを根拠にするのは的はずれです。
→確かに「自己研鑽の時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。
飯田さんは「市場規模において、依然として小説は自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています。
第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性(トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。
第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダードが存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態は書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額(市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています。
→いったん整理すると、
<三宅氏の主張>
読書の方向性が手軽な自己啓発書にシフトしているから読書量が減った。
<市井氏の主張>
小説の市場規模の方が大きいので自己啓発書の読書量に対する影響は大きくないはずだ。
市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定の根拠にはなりません。
さっき書籍と雑誌の比較で「市場規模と読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書と小説を市場規模で比較するのはおかしい!ダブルスタンダード!
→
反論①については、たしかにトレンドはそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから、自己啓発書のトレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。
反論②については、雑誌と書籍の比較と、小説と自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較は全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。
ご自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態の根拠とするのは、論理的一貫性を欠いています。
→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析を仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります。心配になりました。
<お わ り>
仕事でもプライベートの友人のもう少しライト版みたいな付き合い方してる人はこういう認識なんだろうな。
でも、人生ずっとほぼ一人で遊んでる人はそうじゃないんだよね。
ほんとに仕事は仕事だけ。仕事っていう金を稼ぐのに必要な共通話題があるからコミュニケーション取れてるだけ。
元記事の人も仕事に支障が出るほどのコミュ障じゃないのかもしれん。
でも恐らくプライベートで他人と共通の話題が出てこないんだよ。
適当に間を持たせる話ができないとかね。
Qiita の文化変質は、技術系コミュニティ全般で起きている知的インフレの縮図みたいなものなんだよね。昔は
みたいに基盤技術を自前で握りつぶした記事が純粋に評価されていた。なぜなら、それを書ける人がそもそも少なく専門性で差別化できていたから。
昔は「Pythonで形態素解析器自作」なんて、アルゴリズム・CS基礎・実装力が揃ってないと無理だった。
難しいことをやってそうに見える記事を、凡人でも量産できるという環境が生まれた。
Qiita を読む層が「実装力を鍛えたいエンジニア → とりあえずAI 触りたいライト層」に変わった。
「再現性のないLLMコピペ」「AIツール使ってみた」みたいなのが評価される。
本気の記事は長く、コードが多く、前提知識も重い。そしてPV が伸びない。
つまりQiita のインセンティブ構造と、高度技術記事のインセンティブ構造がズレた。
理由は明確で、読む側がそれを理解できないので評価する母集団がいない。
昔はユーザ層が技術ガチ勢寄りだったので、少数でも濃い支持があった。
今はライト層が母集団なので、希少な高度記事が埋もれるのは自然。
Qiita がライト層に最適化した結果、本気の人たちは別の場所へ移動した。
国内株式(現物) 886,170円 +35,870円 +4.22%
外国株式(現物) 214,342円 -16,167円 -2.03%
投資信託 31,875,537円 +4,231,278円 +15.30%
実現損益詳細 -38,200
2024年12月に360万NISAに一括米国株式(S&P500)
2025年1月に360万NISAに一括米国株式(S&P500)
2025年1月に2000万特定口座に一括米国株式(S&P500)
2025年7月久しぶりに見たら含み損消えていた。ついでに、配当がいいとあったソフトバンク株を2万円購入。補足で配当利回りは3.93%で上はもっとあるけど、優待がPayPayマネーライトで1000円あるから1単元ならいいんじゃないって理由。
2025年9月ボーナスも入ったし、ちょっと遊ぼうと思って国内株式と外国株式購入。配当金狙いなので短期は売らない方針、けどマイナスよりはプラスのほうがいいな。値下がり時にかなり下に指値で買っているから買えないときも結構あるし、さらに下落する場合もあるけど、どうやるのがいいんだろ。あと、積み立て投信でポイントつくから貰わないのもどうかなと思って10万づつ米国株式(S&P500)に設定。
2025年10月なんとなくリモートのときデイトレでもしようと思って国内株ガチャガチャやってー4万くらい。ろくに調べもしないで突っ込むのよくないなってやってから思う。余剰資金だからいいとして勉強料高すぎる。デイトレはライフサイクル的に無理だってことわかったので、再度配当投資に切り替え。米国は適当に暴落の時買い増し。
2025年11月マジで調べないと損するだけだと思って固い取引しかせず。キオクシアとかさすごい値上がりしているけど、全然予想できないから触んないほうがいいわ。あとちょこちょこ配当来てて、なんかうれしい。
1番ショート:(乃木坂)早川、演出家のパワハラをラジオ生放送で告発し卒業
2番サード:(日向坂)正源司、渡辺が46時間TV生放送中にケンカ
3番ライト:(乃木坂)岡本、未発表のMV流出その他にて活動自粛
4番DH:(欅坂)平手、脱退。後追いで他数名卒業し、グループ改名へ
5番ファースト:(乃木坂)掛橋、舞台から転落し顔面骨折。復帰せず卒業
6番センター:(乃木坂、櫻坂)池田、東京藝大に受かる。櫻坂に京大生が加入
7番 レフト:(櫻坂)漫画・ハンターハンターにメンバーが書かれる
9番キャッチャー:(乃木坂)弓木、ペンと叩いたらギンギンになってしまう動物は?というなぞなぞを発表
中継ぎ:(櫻坂)松田、ネプリーグで「(犬も歩けば)棒にあなる」と回答
抑 え:(乃木坂)中西、加入直後にセンター抜擢されるも過去のTwitterアカウントが流出し活動自粛。MVも中西なしVerが作られる。
🟥 第4章:広告の“現場”へ —— タタルスキー、映像制作の狂気に触れる
⸻
第4章は、タタルスキーが
コピーの文章だけでなく、“映像広告そのもの”が動く現場に初めて立ち会う章 です。
・金
・暴力の影
・外国資本
によって動いていることが、タタルスキーに生々しく突きつけられます。
タタルスキーの“広告魔術師”としての進化は、ここから一気に加速します。
⸻
これはペレーヴィンが何度も描く、
⸻
指示は簡単。
30分で。」
タタルスキーは驚く。
映像制作の準備すら終わっていない段階で、すでに撮影を始めなければならないのだ。
この業界では
すべてが“同時進行”で、異常なテンションで動いている。
⸻
タタルスキーは急遽、
• 古びた倉庫が“アメリカ風のキッチンセット”に改造されている
•スタッフはロシア語・英語が交じった奇妙なクレオール語を喋る
タタルスキーは完全に圧倒される。
⸻
現実の事実よりも、カメラで撮られる“見え方”の方が絶対に優先される という点。
例えば:
•モデルは疲れているが、ライトの下では“幸せそう”に笑わされる
•食品サンプルは実物より綺麗な偽造品
タタルスキーは息を呑む。
ここで彼の中で、
⸻
撮影が進む中で、
ことを把握している。
監督は理解不能だが、ディレクターやロシア側のスタッフは納得する。
きわめて重要な萌芽。
⸻
•外国資本の横暴
⸻
◆ 7.撮影終了後の“陶酔”
長い撮影が終わった後、
ディレクターたちは酒とドラッグを混ぜたようなテンションで盛り上がる。
「人は商品を買うのではなく、
この思想が、後に政治的“国家イメージ”へと発展していくことになる。
⸻
◆ 8. タタルスキーの内的変化
•映像は嘘だが、人はそれを本当だと思う
彼はふと怖くなるが、同時に強烈な興奮にも包まれる。
ここでタタルスキーは
⸻
◆ 第4章まとめ(象徴的整理)
要素 内容
物語的役割 タタルスキーが“現実操作の側”に立つ最初の本格段階
第4章は、
広告世界の“暴力性・儀式性・魔術性”をタタルスキーが直接体験し、
彼の変身プロセスが不可逆になる章
といえます。
昨日大学から車で自宅(実家住みです)に帰ってきたらうちの駐車場を塞ぐ感じで私道に見知らぬ車が止まっていました。
田舎なので車じたい所有している人が少ないため必然的に駐車場を確保している家がすくなく
事前に伝え置く事もしばしば。
けど今回止まってた車は見たことない車でした。
事前に話しも聞いていないし、母も今日は中学生の妹の下宿先に出ていたので家にもいないので
いつも停めているご近所のA、B、Cにききにいきました。
ですが3人とも知らないようで、
「Dさん(母)が出てすぐに停めてあったから5時間は止まってるよ~」と
教えていただいた。
とりあえず車入れれなくて困るので知り合いのレッカー車あっかってる人に連絡。
最近近隣では不法投棄が多発していたのでKもレッカー車も直ぐに来てくれ車はお持ち帰り。
Kに持ち主が来るかもだから来たら連絡をと言われた。
それから3日くらいした夕方。母と近くのスーパーから徒歩で帰ってきたら
車に蹴りをいれてるのがみえた。
車返せ!って言っていました
なにいってんだこの人とか思いつつも
「車のナンバーは○○○ですか?」とたずねたら
「そうよ!○色の××」とつかみかかってきました
それなら警察に引き取って貰いました
と言うと
ちょっと置いただけでしょ!ってまた暴れだした
ギャルまま暴れ放題で
我が家の車にコンサートかなんかで振る蛍光ライト?をぶつけてきました。
どうやらこのまま隣の県で行われた某アイドルのコンサートに2日間連続で参加した模様…
母はレッカー車屋さん、Kに連絡し近くし、20分後くらいにKが駆けつけてくれました。
Kが駆けつけてくるまでにギャルままの子Eが○を漏らしてしまい(3才くらい)家に凸無理矢理凸され
何故か床の間に飾ってある書道師範の看板を盗もうとしていました
必氏で止めるのギャルままと私の体格差がありすぎて阻止できませんでした
Kが来てからは
ギャルままおとなしくなりましたが
レッカー車代をKが支払うように促すと
しばらく暴れ続けていると応援で来たKが何処かに連絡。しばらくして沢山のパトカーが。
ご近所、私、母は(゜ロ゜;状態。
えっ、えっ、と戸惑っていると
そのギャルまま
3つ離れた町で色々やらかしたあと行方くらました人しくて、両親から捜索願いが出ていたそうな。しかもこのギャルままの旦那も行方不明の様。
車は盗んだ物だったらしい…
何はともあれギャルまま回収されたけど車はめちゃめちゃなので
一様レコーダーとかいるのかな?向こう弁護士つれてくるらしいがそんな大事なのかな?
30分くらいXに
話が進みませんでしたが
Yの登場で空気が変わりました。
現れたらYはUと私の高校の元担任だったのです。Yは被害者が私だと分かると平謝りでXもYに従う感じでした
結局Yの意見で
車の修理費
看板の修理費
車が治るまでの交通費
迷惑料
出してもらう事になりました。
しかし先輩Uは二次被害を出さないためにもギャルままの引っ越し
その後ギャルままが直接謝罪をとのことでXがギャルままを家に連れてきましたが
なんでパパの年金をあんたが使うのよ!氏になさい!というギャルまま
それに加勢する母親
自宅の門が壊されたので遠慮なくKに連絡
元担任には悪いが被害届は取り下げるのやめることにし、いち早くギャルまま一家が退散する事を約束してもらい
尊敬していた先生だったのでイザコザを作りたくなかったですが仕方ないです。
余談?ですが
ギャルままは地元で色々やらかしたので(万引きなど)後々遠くに引っ越す事は決まっていたらしく
今回の件で引っ越すのが早まったみたいです
なんか怖い一家だな…
窓を開けて外を見ると墓地が見える
なんで夜にするのか分からない
時々こっちに光が当たるので眩しい
じっと観察してたら、そのうち帰り出す
そんなことが何回か続いた
ある夜、またライトの光が見えた
まあいいかと思い帰ろうと思い、ふと俺の部屋を見たら、中に人影のようなものが見えた
あれ?どういうこと?見間違いかな
部屋に帰ると、やはり誰もいない
もういいや、寝ようと思ってベッドに潜った
そして電気を消した
すると、ゴソッと音がしたと思ったら、突然ライトの光が顔を照らした
と思った瞬間、ガツンと音が鳴って、目の前が真っ赤に染まった
ああなんだ、墓参りじゃなくて、ずっとこっちを見てたのか
わかったけど、もう遅いな
墓が近くてよかった
状況によっては、相手のマシンを破壊する、なんて選択肢もあるだろう。(やり過ぎると友情も破壊されてしまうが)
様々なイベントやステータスの配分、マシンの選択で毎回異なる結果を得られて、何度も繰り返しプレイできる。
思えば、ローグライクな成長性とランダム性が、自分にとってはよく刺さる仕様だったのだと気付かされる。
初めてエ〇ライダーのトライアルをプレイした時、なんだこの、何も面白くないゲームは、と思った。
大して広くないステージに、大幅に増員されたプレイヤーたち。接触が多くなるのは当然である。
結果として、多数のパターンがあるイベントは、内容に関わらず、集まってくる頭の悪いプレイヤーを刈り取るだけの、単調なものとなり、
一度でもバトロワに敗北すれば、低いステータスで弱いマシンに乗り続ける事となり、ライバルからは格好の的になる。
やっている事は、五分間のバトルロイヤルと変わらず、運でどうこうできる訳でもないので、一度の試合で二回負ける事ができる。お得ですね。
ローグライクな要素はバトロワを煽るためのきっかけでしかないのだ。
そして同時に、何でシティトライアルが、友情破壊ゲーと呼ばれていた所以を思い出してしまった。
このゲームで一番ムカつく要素は、相手にマシンを破壊される事だからだ。
友達と集まってシティで遊んでいる時、マシンを壊されて、その後も執拗に追い回された人がブチ切れて帰ってしまったという経験はあるだろうか。
"マシンを壊される"という事は、ブチ切れの要因、ストレスであるという事になる。
そして、エアラ〇ダーは、"マシンが壊される事"を推奨するゲームだ。
つまりは、"ストレスを与える事"を推奨するゲームとも言い換えられる。
互いにストレスを押し付け合うゲームに、面白いも何もある訳がなく、あるのはムカつく要素だけだ。
楽しめない理由に、シティの対人要素を意識してなかった、というのと、期待しすぎたんじゃないか、ってのがある。
俺は対人が苦手で、効率を押し付けるって考えを楽しめないが、理解はできる。
対人要素にストレスがあるのは当然で、それを楽しめない俺が悪いのは、仕方のないことなのかもしれない。
そして、どんなゴミゲーでも友達と遊べば面白く感じる、というのはモン〇ンが捨て身で証明してくれています。
思い出補正は思い出に過ぎず、自分勝手に期待のハードルを上げて、自分勝手に落胆していただけなのだと。
そうやって納得しようと思ったところで、"しかしそういった弱いライダーは元々求められていない"というセリフがゲーム内で出てくる。
流石に、調子乗り過ぎてるだろ。
ゾラの呼びかけに応えるライダーもいた、で十分だったのに、どうしてわざわざ強いお言葉を使ったの?
つまり開発は、バトロワ以外の遊び方ができないライダーは、プレイする権利が無いって言いたいんだろ??
世の中のゲームはバトロワ以外全部カスで、バトロワ楽しめないゴミは俺たちの作ったゲームやる資格ないですよwwwってか???
自分らが気持ち良くなるためだけに看板タイトルを燃えないゴミにした気分はどうですか?
そんでもってありがとうございました。この一言が無ければ俺はこれを書かなかったと思うので。
幸いなことに、エアライダーの初週の売り上げは大したことないらしい。
これを読んで思うことがある人はエアライダーを絶対に買うな。貴方は弱いライダーなので選ばれません。
任〇堂と、バン〇ムと、これを許した桜〇に、お前らの作った物はクソつまんねえぞってことを、数字で理解らせてやれ。
これを読んでイライラムカムカ冷笑しちゃう、バトロワ中毒で運が良いだけのドブカスの貴方、そこがお前の墓場です。
あれに充電池使ってさ、切れてさ、充電するとさ、
3本同時に充電して2本は割と早く充電完了するんだけど、1本は結構長くかかるのよ。
ってことは電池が切れたのは1本だけってことだよな。
たぶん電池ケースに入れるとき1本だけ逆向けに入れるやつだと思う。
じゃあさ、だとしたらさ、充電池じゃなくて普通のアルカリ電池とか入れたときにさ、ライトつかなくなっても電池2本にはまだまだ電気が残ってると思うんよね。
3本とも全部出しきってから切れるようになってないんよ。
どう思う?
Permalink |記事への反応(11) | 12:43
NHKの三銃士は、クラスの今でいう腐系女子は特に、騒がしかったですね…😟
でも、こういう古典って、意外と今でも通じる、どうしたら売れるか、どういう話が読者に刺さるか、
というのを押さえてるんで、バカにできないというか、NHK三銃士いいなあ…😟
なんかさ、本気でムカついたから書くわ。
今日、会社の休憩室でいつものようにスマホいじってたら、後輩の彩花(仮名)がニコニコしながら近づいてきて、
「先輩~、ちょっと色見せてください♡」
って急に言ってきたの。意味わかんなくて、は?って顔してたら、ポケットからなんか変なデバイス出して、私の顔にピッと光当ててきた。
次の瞬間、画面に「#FFB6C1」って表示されて、
「わー!先輩の色、めっちゃ可愛い~!ライトピンクだ!保存しちゃお♡」
って。
……は?色スポイト??私を??
「今日の収穫~!リアルライトピンク発見!この色味マジで神♡」
って私の顔ドアップと一緒に投げやがった。しかも名前モザイクすらしてない。完全に私ってわかる。
今、デザイナー連中が「これ採用したい」「来季のメインカラーにしようぜ」って盛り上がってる。
「君の色、確かに良いねぇ。うちのブランドイメージに合いそうだ」
って真顔で言われた瞬間、心底殺意が湧いた。
もう限界。明日からフルメイクで黒一色に染めてやる。髪も肌も唇も全部黒。真っ黒にしてやる。
色取るなら取ってみろよクソが!!!
「今の技術で月に行けないのに、なんで50年前に行けたんだ?」
こう疑問を投げかける男がいる。技術評論家を名乗る謎の人物・X氏だ。X氏は取材班を前に、資料の山を机に叩きつけながら語気を荒げた。
「スマホどころか、家庭用電子レンジすら普及していなかった時代ですよ?
これを疑わずに信じる方がどうかしている!」
X氏によれば、アポロ計画最大のミステリーは「技術が逆進している」ことにあるという。
「50年前に宇宙船は月に行けたのに、今は“予算が無いから無理”、
まるで『もう二度と作れない映画のセット』みたいに消えちゃってる!」
X氏は机を叩いて続ける。
なのにロケットは50年前より“慎重”ってどういう進化ですか!?」
次にX氏は、アポロ計画の映像をテレビ画面で再生しながらこう断言した。
「まず、画質が良すぎる。
そして、なぜか“ピントが完璧”。
当時のカメラはオートフォーカスも無いのに、宇宙飛行士が分厚い手袋で操作して全部完璧に撮れるって、どう考えてもおかしいでしょう!」
さらにX氏は、月面の影の向き、星の映っていない空、ローバーの走行跡など、いわゆる“王道陰謀論ポイント”を指差しながら息巻く。
「これ、映画のセットでライト当てて撮った方が説明がつくんですよ!!」
X氏が最も不審視する点は、アポロを月へ運んだとされるサターンVロケットの技術資料の多くが残っていないことだ。
「50年前のロケットが史上最強クラスの性能で、今でも再現できないんです。
■X氏の“結論”
「私はね、真実を知りたいだけなんですよ。
『月に行ける技術を50年前に作れて、今は無理です』
そんな歴史、信じる方が難しいでしょう?
私はただ、“常識を疑え”と言っているだけなんです!」
X氏はまた資料を抱えてどこかへ消えていった。
しかし彼のような“熱量のある陰謀論者”がいる限り、アポロ計画の議論は……
今日もなお、奇妙な熱を帯びて続いている。
Amazon、アニメイト、ゲーマーズ、ソフマップ、メロンブックス、とらのあな。 収録されている映像は全部同じだ。なんなら本編なんてdアニやNetflixで見ればいい。でも、俺たちは「どの店で買うか」に何時間も悩み、特典の一覧表を睨みつけ、そして結局、「全巻購入特典の収納BOX」の絵柄が一番好みな店でポチる。最悪の場合、ドラマCDの内容が違うという理由で、同じ円盤を別店舗で2セット予約したことだってあったかもしれない。
「悪しき文化」だと思う。 正直、狂っている。消費者を舐めているとしか思えない商法だ。資源の無駄だし、財布への暴力だ。
でも、この商法がなくならない理由なんて、俺たちはとっくに知っている。
まず、業界がいつから言われ続けているのか知らないが、限界を迎えているということ。別に俺はアニメ業界の人間じゃないから本当のことなんて当然知らないが、値上げラッシュの昨今だしアニメの制作費がアホみたいに高騰していることは想像に容易い。現場のアニメーターの待遇がどれだけ改善されているのかも知らないが、クオリティのインフレとかで1話作るのに一体どんだけ金かかってるんだろうって話で。そのくせ、円盤なんて以前より売れなくなっているんじゃないか?配信が覇権を握り、ライト層はその存在すらもしかしたら知らないかも状態。だから製作委員会は必死になる。数少ない「濃い客」からいかにして定価で、発売日に、確実に金を吸い上げるか。それが店舗別特典という人質商法だとさえ思っている。
でもさ、これを「業界の搾取だ」と被害者ヅラして叩くのは、ちょっと違う気がするんだよな。
認めざるを得ない。俺たちは、モノが欲しいということを。データじゃなくて、質量のある物体が。タペストリーを飾る壁なんてもう残ってないし、クリアファイルを何に使うかもわからない。ドラマCDだって一度取り込んだら二度と再生しないディスクになるかもしれない。しかもその上、円盤そのものは10年そこらでまともに再生もできなくなるときた。それでも、「その作品が好きだ」という気持ちを、物理的な質量に変換して手元に置きたいんだ。
コンテンツが溢れかえってる今だからこそ、余計にそう思う。誰でもアニメを見るようになった。会社の上司も、知らないけどきっと近所の小学生だってみんな「今期の覇権」の話をしている。アニメはもうオタクの隠れ家じゃなくて、ただの一般教養になった。消費されるスピードも異常だ。ずっと変わらず3ヶ月で次へ、また次へ。間に合わなくなってるアニメだって最近多いだろう。
そんな情報の濁流の中で「俺はこの作品を愛したんだ」って証明できるのは、結局「円盤」という重たい箱だけなんだ。サブスクの視聴履歴は押し流されるしdアニの記録だってサービス終了してしまえばいつか消えるけど、棚を圧迫するデカいBOXは残る。その「邪魔くささ」こそが愛の証明だなんて、倒錯してるけど本気でそう思ってる。
だから俺たちは金に糸目をつけない。「高い」とか「分割するな」とか文句は言うけど、いや最近じゃ初めからまとまってることもあるけど、本音では「俺に金を払う理由をくれ」と願ってる。公式が「これだけの特典を用意しました!だから高いですよ!」とさえ言ってくれれば「仕方ねえな」という顔をして、喜んで財布を開ける。その瞬間、俺たちはただの消費者からパトロン気取りの共犯者になれるからだ。
店舗別特典というシステムは、業界の苦肉の策であると同時に、俺たちオタクの「業」が作り出した怪物だ。俺たちが「モノ」への執着を捨てない限り、そして「推しのためなら金なんてただの数字」という狂った金銭感覚を矯正しない限り、この悪しき文化は終わらない。
それでも俺は終わってほしくないとも思ってる。だって、あの「どの特典にしようかな」って悩んでる時間だって楽しいからだ。 それに今予約した円盤の金を払うのは未来の俺だしな。
2024年3月 はるかぜちゃん(春名風花)母のいくり(春名郁世)がアイドルグループのオーディション開始
2024年4月 はるかぜちゃんは一時期いくりと絶縁していたが、和解しアイドルプロデューサー兼アイドルとしてグループ加入、8人組ユニット「エクラン」として始動
2024年4月 はるかぜちゃん単独のYoutubeチャンネル「キャベツ王国」が母親に譲渡されエクラン用に変わる
2024年5月 エクランに楽曲提供していたギタリストの中井崇睦といくりがX上で口論になり中井が離脱。LINEでのジャージカップル送りつけや私生活干渉などに中井が疲れて連絡を絶ち、いくりが中井をX上で批判したため
2024年6月 デビューライブ前に大河原ひなた(ひな)卒業(初期メン残り7人)
2024年6月 デビューライブ後に橋本結佳(ゆい)卒業(初期メン残り6人)
2024年8月 衣装費用などのためクラファン開始、170万円集まる
2025年5月 森野山小亜(ぽむ)、榊あずき(あず)卒業(初期メン残り3人)
2025年6月 TOKYO IDOL FESTIVAL予選敗退
2025年10月 ミスアキバ1回戦の秋葉原店舗投票ではるかぜちゃんが6票(1位は1271票)
2025年10月 ミスアキバ2回戦、配信ポイント投票ではるかぜちゃんは300ポイント、林里咲(りさ)は100ポイント、他メンバーは0ポイントで敗退(1位は88万940ポイント)
2025年10月 はるかぜちゃんアイドル引退発表、今年度で活動終了(初期メン残り2人)
2025年10月 宝石娘の妹分ユニット宝石娘petit発足 昇格すると宝石娘に入れる
いくり💎宝石娘P
@info_amagoi
華やかな衣装を着せ、盛れるライトを当て、金をかけて広告をうち、顔も声も知名度さえも加工、加工、加工!そんな作られた流行りに追いつこうと売れているように「見える」ものに群がる人々、そんな「映える」ニセモノコンテンツにはもううんざり
.
いくり💎宝石娘P
@info_amagoi
若い女の子達に求められているのは突出した才能や尖った性格ではなく
圧倒的でなくともよい。人より少し可愛くて、人より少しだけ上手ければいい。
そんな時代に生まれてしまった、不幸なホンモノの原石たちを拾い集めてみました。 #宝石娘💍
.
いくり💎宝石娘P
@info_amagoi
#宝石娘💍 にも
また見に行きたいと思えるような、
沢山CDを持ち帰って貰えるような
そんな心に残るライブが出来る
そんなパフォーマーになって貰いたい
.
いくり💎宝石娘P
@info_amagoi
本来わたしがつくりたいものは、総合芸術家集団であって接客業ユニットではないのです。本当なら極力チェキもやりたくないし物販だってやりたくない。ステージ上の圧倒的パフォーマンスだけでお客様に満足してもらいたいし、会話など無くても余韻を持ってホクホクと帰路について貰いたい。
世話がめんどくさすぎる。
ノートパソコンのACアダプターから発せられるかすかな発振音をスパイの信号だ!!と大騒ぎしてノーパごと叩き壊すし・・
家で一人にさせられないから在宅ワークのために借りてたノーパだったのに・・・・
幸いIT部署の人が理解がある人だったので簡単な顛末書で済んだけど、施設にブチこみたい。
飛行機を見たらFBIが監視してる!!と騒ぎ、一人にできないので一緒に買い物行ったらデイタイムライト点灯してる配送車を
いやがらせされてる!!!と大騒ぎ。赤信号になったらドアバンバン叩きに行くし・・・。(事情話してなんとかわかってもらえた)
生きてるだけで周りに迷惑かけるならいっそ住み込みで泡風呂にでも押し込んだ方がまだマシ。
不思議と料理は出来るみたいだけど、料理が終わるととたんに発作が始まる・・。
Permalink |記事への反応(10) | 11:36