
はてなキーワード:モテるとは
この増田の作者です。早稲田大学に入学して1年が経過しました。
ぶっちゃけ、高校3年生の時ほどには何かを成し遂げた感覚もなく1年がすぎました。高校ではそこそこ陽キャに紛れて生きていたワイがどうして今日もこうしてクネクネしているのかわかったので報告します。
まずはお酒とセックスに必要な要素、つまりアルコール耐性が無くイケメンでもなかったのが痛かった。そもそも大規模サークルが毎年摘発されているのに新歓コンパなどで飲みまくっている同級生を見てドン引きしてしまったんですね。そりゃ友達と会えば宅飲みもあるし飲めないわけじゃないんですが、コールやイッキまで行かずとも見ず知らずの人とガッツリ飲める器はワイにはなかったです。あとモテるわけでもなく、またモテるムーブを噛ませる人間でもなかったので、そうやって装うこともできず、なんとなく少しひょうきんなキャラで生き残ってきたワイはあっという間に風の前のチリ紙です。あと、内部推薦組の最初から仲良しがキツいです。入学後の行動指針とかがもう彼らの中で決まっていて、それに食い込めるだけのある意味の必要な無神経さがワイにはなかった…善人には生きる術なし。商学部って学科組織無しの1000人同級生なので、1年の多くを占める必修は1000人からシャッフル。ゆえに授業も全然被らないから、特定の人と親友レベルまでいけず、誰かしらとは毎回一緒に授業を受けるんだけれど、一緒に授業を受けるヤツ止まり。これは地方出身には辛いです。あまりにも。
一応パフォーマンス系サークルに入って、そこでスタッフワークをしています。歴史も長くて、かなりの有名人を輩出してるサークルだけれど、単位や就活とは距離を置いてるサークルです。商学部の情報を得るためには商学部が多いサークルに行かないといけないんだが、そうなるとウェイ系が多く、また就活やらお金やらガメついので忌避してしまった。他にもスポーツ系サークルと趣味系サークルに入って見たんだが、優先度が最初のが高いうちに、あっという間に行かなくなってしまった。兼サーはなかなか難しいです。これもなかなか辛いところです。孤軍奮闘してます。
女子の方が楽器が上手かったり、スポーツができたり、仕事ができたりするので、もうボクは諦めて逆の立場になることにしたのです…😟
今や交際の手段としてポピュラーになったし、セフレや趣味友達を作るのにも役に立つと思う。
陰キャは出会いの絶対数が少ない。マッチングアプリはその出会いの絶対数を大きく引き延ばしてくれる。
陰キャでも簡単に女性と会話ができるし、恋人もセフレも気が合ったり顔が許容範囲内ならすぐ作ることができる。
これがまずい。陰キャはもともとすぐ恋人やセフレが作れるものではない。だから自分がモテる気がして自分への認知が大きく歪む。女性からモテているのではなく、許容範囲の広い女性から都合よく搾取されているだけなのだ。だからマッチングアプリなんてやらずに、目の前の出会いや仕事をこなして、自然発生的に暮らすべきだ。という自分への戒め
結婚相談所で出会った年収2000万女性に気に入られたくて転職したりヒゲ脱毛した男性が振られて、何なんだよおと怒り、嘆いたシーンが話題だ
増田は女だが非モテ腐女子(しかもデブ)なので気持ちはわかるし同じような場面を何度も経験してきた。つまり身分不相応なイケメンやハイスペに恋しては撃沈することを繰り返してきた。その度に怒り、嘆いてきた。
なのでお仲間として言いたいのだが、容姿なり言動なり年齢なり何かしら不利なことは今更どうしようもないので、数打ちゃ当たる戦法でとにかくサイコロを投げる。つまりはだめならサクッと次にいき、何なら同時進行すべきということだ。
幸いにも結婚相談所ではお互い合意の上でそれができるシステムがある。嘆いている場合でも怒っている場合でもない。すぐに次のマッチングをお願いすべきなのだ。世の中には低年収で容姿レベル低くても優しくて家庭的な男性が好きな女性もいる。それにあたるまで根気強くサイコロ投げ続けることが大事だ
しかし、われわれのような人種は「この人だ」という人を見つけてからモテるために動き出そうとするので良くない。そして一本釣りに失敗して不貞腐れて努力をやめてしまう。これは一番良くない。パートナーが欲しいなら常に動いていなければチャンスは巡ってこない。突然始めた一本釣りで成功するのはすでにモテるための努力をやりきった人だけだと思っておけ。
あの番組の男性は転職して土日休みになり年収も20万アップしている。せっかく転職したのに振られたと感じたようだがむしろ逆で、恋愛パワーで億劫な転職活動をクリアできて待遇アップにつながってラッキーと考えるべきなのだ。これで次はもっといい条件で婚活、恋愛市場に出られるのだから。そうやって地味なレベルアップを続けてチャンスが来るのを待つんだ。
追記:
出かけてたら伸びていてびっくりした。いろんな意見、ありがたく、時に興味深く読みました。
・断われ→以前しつこく誘われて断ったとき、数日間露骨に不機嫌になられたことがある。同じ職場に敵意を持って接してくる相手を作るストレスと、受け取るストレスを天秤にかけ、とりあえず我慢している。
期待させるような事はしてないつもりだが、相手は私が美容院に行っただけで「俺を意識しておしゃれしたのかい?」というような事を婉曲に言ってくることがあり、もう何をしても期待を持たせるのかもしれない。出家すればいいのか?
・通報、相談→相談すべき上司(ギフティングおじとは別人)がそもそもセクハラおじなので……。皆事なかれ主義なので、多分自分が悪目立ちすることになって終わりだと思う。変な噂になるのも怖い。
・お菓子配りおじさんについて→よくお菓子をくれた優しい年配男性がいたのを今思い出して、一緒にしてしまったなら申し訳なかったと胸が痛んだ。「これ余ったからあげるね」みたくなんにも恩に着せず、次会った時に感想を伝えると「そんなことあったっけ?忘れちゃった!」とすっとぼける、人を喜ばすのとパチンコが好きなだけの良い人だった。性欲を向けてくるとか見返りを要求するとかがない、特定の人間をターゲットにしたのでもないギフティングおじは光のギフティングおじだと思う。
:追記おわり
桃山商事というPodcastで、ギフティングおじさんという言葉が使われていた。職場の女性にプレゼントをあげるおじさんの事だ。そこには「ありがとうと言われたい(承認されたい)」「男らしさ(物を買い与える太っ腹さ)を見せたい」「あわよくばワンチャン」などの、何重にも重なったどうしようもないマスキュリニティがあるわけだが、何を隠そう私もギフティングおじさんの被害(あえて被害と言う)に遭っている。
そのおじさん(アラフィフ独身、いない歴=年齢)はある時、「(苗字)ちゃん、うちの妹と同じ名前なんだよね。誕生日いつ?」と聞いてきた。雑談の流れとかではなく、背後からいきなり話しかけられてそれだったので、個人情報をぼかすところまで咄嗟に頭が回らず、うっかり馬鹿正直に答えてしまったのが運の尽き。
ギフティングおじさんは毎年誕生日プレゼントを渡してくるようになってしまった……………。
4℃のネックレスとかほど露骨ではないが、3000円〜5000円くらいする。ちなみにおじさんには過去に連絡先を聞かれているが理由を付けて断り、何度も食事(飲み)に誘われているが全て断っている。コミュニケーションの潤滑剤としての雑談はするが、プライベートに関わる事は一切話していない。そういう距離感で接しているのだが、おじさんはそれをどう受け取っているのか、「そろそろ届くんだよなァ〜、誰かサンへのプレゼント」と数日前から人前で思わせぶりに予告し、誕生日当日は「後でプレゼント渡すからネ」とウキウキで囁いてくるのである。
せっかくの誕生日にテンションをブチ下げられながら、「嬉しいだろ〜?喜んでいいんだぞ」とばかりに恩着せがましく渡されたでかい紙袋を持ち帰る事になる私。電車でもガサガサするし家の中にも置いておきたくなく、かと言って人として捨てるわけにも行かず、せめてもの抵抗としてずっと玄関先に置いてある。せめて消えものであればおすそ分けと称して同僚にほぼ全部分けてしまって罪悪感と負担感を減らせるのだが、ギフティングおじは「相手の負担を考えて消えものにしておく」などというデリカシーを持ち合わせていないが故にモテた事がない人間なので、気まぐれに消えものを渡してきたり、食べて消すことのできない物を渡してきたりするのである。
げんなりしながら持ち帰り、翌日以降はギフティングおじと普通に挨拶などしていたが、しばらくしておじは物欲しげな顔で「あのさあ、感想聞いてないんだけど?」と言ってきた。
プレゼントの感想をまだ聞いていないぞ、という感想おねだりである。
もちろん受け取った時に礼儀としてお礼は言っている。「高い物をありがとうございます」といった事も言っている。だがそれ以降はあえて触れないようにしていたのである。だってこっちからわざわざ「美味しかったです」だの「嬉しかったです」だの言ったら、ギフティングおじさんのギフティングが止まらなくなっちゃうだろ。
しかし話を振られてすっとぼけ続けるわけにもいかないので、とりあえず「すごく喜んでいる」とは受け取られないよう、淡々と「あ、開けました。家に置いてあります(嘘ではない)」と答えるのだが、感想おねだりおじさんは更に「どれが一番気に入った?」「使ってる?」と掘り下げようとしてくるのである。
やめろ、正直に答えたら「家にあると思うだけで気が重いので早く捨てたい」になるんだぞ。お前が掘ってるのは墓穴だと気づけ。しかしここは職場、私にも社交辞令を言うくらいの社会性は備わっているので、乾いた笑いを浮かべながら「いや〜、もったいなくて使ってないです〜」などと答える。それがギフティングおじをますます勘違いさせてしまうことは薄々わかっているが、かと言ってそれ以外のムーブも取れないことは普通の社会性を持った女なら理解してくれることと思う。
かくしてギフティングおじは感想おねだりおじとなり、自分のギフティングを女に褒めさせ、悦に入るのである。最悪のオナニーだ。
せめてこれを読んでいるおじ共が自己満足のギフティングを行わないよう、ここに警鐘を鳴らしておくこととする。
「俺だけは違う。◯ちゃんは喜んでる」などと現実逃避するなよ。即日メルカリに出すくらいの胆力がない限り、相手は100%迷惑してるからな。
追記:
参考までに、どうしてもギフティングしたい、感想おねだりはしないしメルカリに出されてもいいからギフティングだけはしたいおじのためにギフティングをできるだけ無害化する方法を書いておく。
・金額は3000円未満(交際しているわけではない、職場で会うだけの他人の距離感で、退職の餞別や結婚祝いでもないのにそれ以上の高額を使うな。最も適切な金額感は「スタバカード700円分」程度だ)
・「気持ち程度のものだから、いらなかったら誰かにあげていいからね」の一言のみ。他に余計なことは言うな。恩に着せるな。「俺はこんなに気を遣ってやったんだぞ」という類の事は一切口に出すな。相手には喜ぶ義務があるなどと思うな。
・形が残らないギフトカードを渡せ。スタバカード、JCBギフトカード、クオカード、アマギフカード、ローソンなどのオンラインギフトも良いだろう。ただしオンラインギフトを送るから連絡先を教えろなどと要求するな。あらかじめ連絡先を知っている関係でのみ、オンラインギフトは許される。
・センスを見せようなどと思うな。モテてないおじにセンスなんてねえんだから。俺には本来モテるポテンシャルがあるのだから例外などと勘違いもするな、40過ぎて独身、彼女もいた事がない、それが全てだ。だからギフトカードなんだが、もし他の事情でギフトカード以外にするなら、せめて無難な菓子とかにしておけ。ローソンに売ってる不揃いバウムとかでいい。コンビニに売ってるリンツとかフェレロとかでいい。金額やブランドによって自分に価値を乗せようとするな。大して収入変わらねえんだから変な見栄を張るな。祝いたい気持ちに必要なのは、相手の負担にならない程度にしておくという配慮だ。デパ地下だブランド物だ、感謝のカツアゲのような押し付けがましいチョイスはやめろ。ブランド物をもらって嬉しいのは、「センスの合う、同世代の、恋愛対象になる異性」限定だ。お前じゃない。おじはどうしたら相手にとって無害かだけを考えろ。
・感想おねだりは絶対にやめておけ。渡した時のリアクションがお前が受け取れる見返りの全てだ。それに満足できないなら、他人に物を贈ろうなどと思うな。
Permalink |記事への反応(15) | 07:58
彼はかっこいい海外の音楽を聴きながらかっこいい自転車に乗り、かっこいいウェアを着て、かっこいいバックパックにバスケットボールを入れ、ひとりで練習出来るコートに向かう。
「かっこええ…」
当時の私はそう思った。多く人が思ったであろう。小学校中学年くらいのことである、真似をすることにさほど時間は要さなかった。
ポイントは音楽、自転車、ウェア、バックパックにバスケットボール、屋外のバスケットコートである。
流川はウォークマンを使って音楽を聴いていたがこちらは小学生。今の時代なら子供でもスマホにイヤホンは標準装備に近いが、当時の小学生にそんな高尚なものはない。みんな本当に鼻水をたらしいてる時代である。
しかし外せないポイントである為、近所の本屋に向かいかっこよさげなCDを買った。
T-BOLANのByeForNowである。確か千円くらいだった気がする。小学生には高級品であるがポイントだから押さえなければならない。
次に自転車。当時すでに自分の自転車を持っていたので困ることはなかった。
ただ、濃い緑色ででっかいカゴと荷台がついており、かわいい車の絵が描いてあった。ハンドルの先のひらひらでスピード感の演出もできる仕様であった。
次はウェアである。当時、車を横から見た目を書いたかわいいデザインが多くあった。私はそのトレーナーがとても気に入っており、ウェアに関することに悩みは生まれなかった。
下は半ズボンしか持ってないからそれで。ショートパンツではなく半ズボンである。
バックパックとボールであるが、ボールは家にドッジボールがあったので解決。問題はバックパック。ものを運ぶためのリュックと言う概念は当時の小学生には存在せず、出かけるときは半ズボンにウエストポーチ一択である。しかし唯一持っていたバックパックっぽいもの、それが家庭科(当時は「生活」って言ってた気がする)で作ったナップサックである。いろいろな乗り物が描かれたかわいいデザインである。これでバックパックも解決。
結果、ハンドルの先にひらひらが付いたでかいカゴと荷台のついたチャリにまたがるかわいい車の絵が描いてあるトレーナーとデニムっぽい半ズボンを着た小さいナップサックにドッジボールを入れている流川楓が誕生した。
こんな恐ろしいひどい事件、赤の他人である自分達ですら加害者が憎くて堪らないのに、被害者はきっと想像を絶するほど加害者が憎くて、苦しめて苦しめて殺したいに違いない!被害者に刑を決めさせればいい!
そう思いがちだ。
たとえ重犯罪でも。
それは、汝の敵を愛せよという精神ではない。
一番有名なのはストックホルム症候群だ
誘拐や監禁などにより拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、さらには信頼や結束の感情まで抱くようになる現象。
解放後に犯人をかばう証言を行う者や犯人に恋愛感情を抱く者までいるという。
逃げられない状況下では、犯人を好きになるしかない。また、犯人の優しさや人間味に惹かれてしまう。
虐待すればするほど子供は親を慕うものになると小山晃弘も言っていた
酷い毒親、虐待親でも慕う子供は山ほどいる。大人になっても洗脳が解けないことはザラにある。自分の親が毒親だなんて認めたくないことだから。
家庭という閉鎖的な空間で虐待に晒されているとそれが普通だと錯覚する。親との温かい思い出もある。親の機嫌をとるため、親のことを好きになる。虐待を受けても、自分が悪い子だからだと思い込む。
大事にされるのに慣れなくて、優しい養親に反発したり、殴るパートナーを選んでしまったり、自分の子に同じことを繰り返したりもする
性的虐待も同じ。
性的虐待を受けても父親を嫌いになれない、あれを除けばいい父親だと言う少女や女性は少なくない。
自分から求めてしまった、快感を感じてしまったという体験談も…それが罪悪感を植え付ける
自分の中のダメージを少なくするために、なかったことにしようとして被害後も加害者に普通に接したり、あろうことが加害者に好意を持ってしまう人もいる
レイプから始まる恋は実際ある、と小山晃弘も言っていた。まぁ関係ない人のコラ画像を使ったりしていて悪質だが。
「学生時代痴漢にあって、最初怖かったけど快感に目覚めてしまった」と語る裏垢もあるし、それを見て勘違いしてしまう痴漢野郎もいる。
ストックホルム症候群と同じく、ダメージを少なくするための防衛機能なのだろう
加害者に好意を抱いたり、快感を感じたりはしなくても、加害者を憎まず「自分が悪いからだ」と自分を責めて終わってしまう人もいる。
「他人のことならあなたは悪くないと言えるが、自分の被害に対しては自分が悪いのだと思ってしまう」と語る性被害者は少なくない
ネットでは「いじめたやつ許せない!」的な声ばかりが大きいが、「いじめられたのは自分が悪いのだ」と結論付ける被害者は少なくない。
昔リア中の時に朝日中学生ウィークリーを読んでいたが、いじめ相談的な投書欄に「いじめられる方にも原因がある」的なのが殺到した時期があった。しかも、「いじめられた自分はこうやって乗り越えた。だからいじめられる方も変わるべきだ」的な投書もあった。
「いじめた子に謝って今では親友です」「いじめてきた子に自分も不愉快にさせたと謝って今では親友です」的な体験談を複数見た。
そこに、ストックホルム症候群的な心理はないといえるのか。
いじめられっ子を助けたら、そのせいで自分がいじめのターゲットになり、あろうことが助けられたいじめられっ子がいじめる側に回る
「鬼」とかいう話題の漫画でもあったよくあるケースだけど、これもいじめられっ子がいじめっ子を憎んでないからだと言える。憎んでないから媚びるし、一緒に恩人をいじめる
体罰もそう。
「悪い自分を殴ってくれた先生に感謝してる。体罰は必要だ」と語る大人は少なくない。
「言うこと聞かない奴は殴る。殴った子ほど後に慕ってくれる」とのたまった顧問もいた
意外なことかもしれないが、加害者を憎むより、自分が悪いと思う方が楽なのだ。憎むのはエネルギーが要る上に、被害は自己肯定感を失わせ、自責に向かわせる。
更に問題なのが、「被害に遭った自分が悪いのだ」を他人にも押し付ける奴がいることだ
山口達也に襲われた女子高生をセカンドレイプしてた女性達のうち何人かが「私は電車で痴漢されたことがあるけど自分が悪いと反省したのに」「セクハラでキスなんて私もされる。よくあること」と言っていた。
「私はレイプされても我慢したんだから、痴漢くらいで訴えるなんて甘えてる」
「いじめられる方にも原因がある。自分がいじめられて変わったようにお前も変われ」
「俺の時代は体罰は当たり前だった。体罰が禁じられて甘えたガキが増えてる」
「今はなんでも毒親毒親と。私は暴力アル中etcの親にも感謝してるのに」
「今の女は甘えてるのよ。私は夫に殴られても我慢して尽くしたわ」
これ、全部見た。
人は自分の身に起こった事(幸福でも不幸でも)に理由付けをしたがる。
普通の人でも不幸が連続して降りかかった時に「俺は前世で悪いことをしたのか」と溢してしまう。
「あなたが受けた虐待はあなたが前世で悪いことをしたからです。あなたがその体験をしたいと選んだのです」的なスピには、意外と虐待の被害者がハマってしまう。自分の受けた不幸に理由付けをしてくれるからだろう
殺人事件の被害者遺族なら犯人を憎みまくるはずだって?それが、そうでもない。
「心にナイフを忍ばせて」という、少年犯罪の被害者遺族を追った本では、少年Aに対して被害者遺族が同情的なコメントをするシーンがある
また、死刑賛成派のルポルタージュでは、死刑囚が被害者の兄と手紙で交流し、被害者の兄が「彼を死刑にしないでください」と頼み込むエピソードがあった
死刑反対派の森達也氏も、死刑を望まない遺族は意外と多いと言っていた。遺族と言っても生前の被害者と良い関係とは限らないが…
断っておくが、被害者に原因があるとか被害は大したことないとか言いたいわけではない
むしろ、だからこそ虐待もいじめも体罰も性被害もDVも殺人も、許されないし痛ましいのだ。
もちろん、全ての被害者が憎まないわけではない
加害者が憎くて堪らない、殺したい、そんな人の方が自然だろう。
だが、加害者を憎まない、憎むことすらできない被害者は「意外と」いる。
そして、被害者は加害者の代わりに自分の味方や同志を憎むことがある。
虐待を受けても親を慕う子供は、親から引き離そうとする大人を憎むだろう
発展途上国だかで性的虐待、児童買春の被害に遭っていた女の子が保護された後、不自由に耐えきれず何度も施設から逃げ出して売春しようとしたって、その人の人生を綴った本に書いてあった。きっと、施設に連れ戻し不自由な生活を強いる保護してくれた大人を憎んだのではなかろうか。
前に「九州の田舎に嫁いだ語り手がレイプ未遂に遭って、姑に『みんなあの男に足入れされて我慢してるんだから』と説得されるも振り切って被害届を出したら、『未遂のくせにズルい』と被害を受けた女性達から嫌がらせされるようになった」という地獄みたいな話を読んだ。
レイプ男には仕方ないと諦めて立ち向かわないが、「被害を我慢しない裏切り者」は憎み、嫌がらせする。
ナチス政権下では、ユダヤ人を虐げる中にはユダヤ人もいた。他のユダヤ人と違って特別扱いをされていた。
そんなユダヤ人も、しまいには他のユダヤ人と同じように殺された。
ユダヤ人自身からも、「ユダヤ人が虐げられたのは自業自得」という意見は出ていたのだ
彼らは「あなたはいいユダヤ人だ」と褒められていたのだろう。そして、「他の悪いユダヤ人がいるから私達ユダヤ人は差別されるんだ。本当に迷惑だ。許せない」と思っていたに違いない
あっためた水飲んでる女に何か言ってるのはあっためた水飲むと男にモテると思い混んでいるが自らはそのような真似はしたくない女
でも、具体的にどんな奴のことか、ぼんやりしてる人も多いんじゃない?
まず、今回のテーマの「真面目、優しい、知的、高身長、高収入」って、一見モテ要素しかないじゃん?なのに、なんでモテないんだ?って話。
なんでこんなスペックなのにモテないんだ?それは、女性が求めているものとズレてるからなんだ。
女性が求めるのは、「頼れる男」。
優しさも大切だけど、いざという時に頼れる強さがないとダメなんだ。
「じゃあ、どうすればモテるようになるんだ?」って?答えは簡単。
「は?暴力?」って思うだろ?でもよく考えろ。
「外敵への暴力は身内への優しさ」って言葉、聞いたことあるか?つまり、外で強ければ、家庭では優しくできるってこと。
でも、メリットがあるんだから、デメリットも受け入れるべきだろ。
毛玉を取るという習慣が今まではなかったのだが(安い服を1、2シーズンで処分していた)、まだ着れるスウェットの毛玉がさすがに目立ってきたのが気になっていたのである。
ポリエステルのシャギーニット風のマフラーも、最近なんだかみすぼらしくなってきていた。
家に帰り、まずはマフラーから取りかかった。アラフォーにもなる年の功か、やり始めるとコツのようなものがあるのがわかってくる。
長いストロークで一気にやろうとしてはいけない。強い力でもいけない。軽い力と、短いストロークで同じ場所を何度か繰り返しブラッシングして、少しずつもつれを解くのが肝心なようだ。
これはあれだな、老猫のブラッシングと同じだ。
老いた猫は毛がもつれやすくなり、そのためにみすぼらしく見えるのだが、ブラッシングする時は長いストロークで一気にやろうとしても引っかかってうまくいかないのである。細かいもつれをサッサッと小さい範囲で解消していき、その際にブラッシングの方向を一定にすることで、最終的に毛流れが整うのである。
参考 https://youtu.be/pEBXqoopSMo
人間の進化とは外部化の歴史である。消化の工程を調理として外部化したことによって人間は本来消化に使われるエネルギーを脳の活動に回せるようになった。
そして衣服は外部化された被毛である。衣服の手入れをするというのはつまり被毛を手入れすること。猫のブラッシングと同じ要領であるのもむべなるかな。
マフラー一本ブラッシングするのにずいぶん時間がかかったが、新品同様とはいかずとも大分見違えた。非モテ男の清潔感という問題は度々俎上に上がるが、「清潔感を出す」というよりもむしろ「不潔な感じを消す」というのが肝要なのだなと気づく。
毛玉を取り、毛流れの乱れを整えると、実際に付着していたゴミや埃が取れるし、外見の「なんか埃とかゴミとか付いてそう」という印象も払拭される。ピカピカの新品には戻らずとも、それでいいのだ。
毛玉は不潔なものではない。現に私のスウェットは毎回漂白剤を使って洗濯している。毛玉がついていたからといって雑菌が繁殖したりはしない。
⋯⋯のだが、衣服を被毛と考えた時、繊維のもつれ、そして繊維のもつれの成れの果てである毛玉がついているというのは、老いて弱った野良猫のボサボサとした毛のように、不健康さや不衛生さを連想させるのではないだろうか。
衣服の手入れを被毛の手入れと考えるなら、美しい毛並みの被毛の持ち主がモテることは想像に難くない。しかし、モテるモテない以前に、自らの被毛を手入れする時間というのは、重要なセルフケアの時間にもなるのである。
毛玉ブラシをかけていると段々と無心になってくる。一定のリズムでサッサッとブラシをかけていると、曇った銀食器を磨いているような、心地よい集中が訪れる。「今ここ」に意識が集中している感じ、マインドフルネスの瞑想中のような状態になるのである。
と、このような事を考えながらひとしきりブラッシングをし、マフラーとスウェット、ウールライクのコートもきれいに整った。漂白剤に漬けた白Tのようなわかりやすい清潔感ではないが、なんだか丁寧に暮らしている感じがする。
効率と機能性だけを考えるなら毛玉など取らなくてもいいが、効率と機能性だけではなく、人間にはケアが必要なのだ。
男たちよ、そして私と同じセルフネグレクト気味の女たちよ。