
はてなキーワード:メンターとは
東大などのトップ大学における男性過多を「男性の方が変動幅が大きいから」と説明する論拠には、以下の重大な問題点がある。
ノルウェーの出生体重や大学試験成績など非常に特異な集団・環境を対象にした分析結果を、「世界中の学術・芸術分野すべてに当てはまる普遍的事実」として拡大解釈している。
これゆえ、特定の地域・時代の統計をもって「ヒト全体」に一般化するのは科学的に許されない。
論文は身体的特徴(体重、身長)、運動能力、試験成績などまったく異なる性質の指標をまとめて「ばらつきが大きい」としている。しかし、
ばらつきの「幅広さ」と「裾野の深さ」を混同し、さらに多様な特性を一つにまとめて性差の大きさを誇張している。
「XYヘテロ型のオス」でばらつきが大きくなるとする説明は、色覚異常や血友病のような遺伝性疾患には当てはまるが、
性染色体のヘテロ/ホモ構造だけで「極端な上振れも下振れも生じやすい」と断定する理論的根拠は脆弱で、遺伝学的・発生学的な検証が不十分である。
性別による役割期待や教育格差、職業選択のバイアスが、トップ層の男女比に大きな影響を与えている可能性が高い。
性差を「生理的メカニズム」の問題に還元することで、制度的・文化的な不平等の存在を隠蔽してしまう。
社会的・文化的要因の無視をさらに深掘りすると、以下のポイントが浮かび上がります。
まず、幼少期からの学習環境の違いが、後の「ばらつき」に決定的な影響を与えています。家庭内の期待や親の投資配分は、性別によって顕著に異なる場合が多い。たとえば理系分野で活躍を期待される男子は、高価な理科実験キットやプログラミング教材を与えられ、失敗しても挑戦を奨励される。一方で女子には「文系的教養」が勧められ、数学や物理に触れる機会が圧倒的に少ない。その結果、男子の中には極めて高いスキルを身につける者が現れる一方、まったく興味を示さずに学業でつまずく者も出る。この二極化が「ばらつきが大きい」というデータに結びついてしまうのです。
次に、学校・職場といった集団のダイナミクスも見逃せません。模試や入試といった競争場面で、男子は「勝たねばならない」と自らを駆り立てる文化的圧力を強く受けがちです。敗北をさらけ出すことが「男らしさの否定」とみなされるため、一度挫折すると周囲から隔離されやすく、それが学力面での極端な没落につながる。一方でトップ層へしがみつく者は、同級生からヒーロー扱いされることでさらに奮起し、驚異的な成果を生み出す。女子は競争表現を露骨に避ける傾向があり、平均的な成績で落ち着くケースが多い。これも「男性のほうが裾野が深く頂点も高い」という印象を社会が強化してしまう構造です。
さらに、キャリア段階におけるメンターシップの差も大きい。男性上司や教授は後進の男性を「自分の後継者」として積極的に引き上げ、研究資金やプロジェクトを配分する。一方で、女性研究者や技術者には「適性がないかもしれない」という先入観から重要なポジションが回ってこない例が後を絶たない。このような構造的な支援の偏りが、極端な成功例と極端な挫折例のどちらにも男性ばかりが現れる原因となりうるのです。
最後に、メディアとポピュラーカルチャーの影響です。天才プログラマーや偉大な物理学者として取り上げられるのはほとんど男性であり、その物語が「努力+才能」という二項対立のフレームで語られる。視聴者は「すごいのはやはり男」という刷り込みを受け、成功の頂点にいるのは当然男性というイメージを強化する。すると、女性自身がハイパフォーマーになる可能性を最初から切り捨て、失敗したときの言い訳を見つけやすくなる──これもまた、性別内のばらつき幅に見える現象を社会が生み出しているにすぎません。
つまり、「男性の方がばらつきが大きい」という統計的観察は、純粋な生理的メカニズムだけでなく、家庭・教育・職場・メディアという多層的な社会構造によって作り出された結果を映し出しているに過ぎません。このことを見落としてしまえば、性差の背後にある不平等な制度や文化を是正する機会を永遠に失ってしまうのです。
以上のように、ばらつき性差仮説はデータの一般化・指標の混同・単純化された遺伝メカニズム・社会文化的要因の無視といった致命的な欠陥を抱えており、「男性の方がばらつきが大きいからトップ層が男性だ」という論拠としては説得力に欠ける。
以前にそれなりの熱量で考察記事を書いたこともあったが、ラストの構成はそれがスッと冷めるような内容で、正直いってビミョーだった。
上記の記事で、私は『本作における“good”の象徴が伏見さん』とは書いたが、そういう次元ではなかった。
ラスト2話の内容は「ほら、伏見さんって素敵でしょ」という作者の意図が窺えるものだった。
読者の大半が伏見さんというキャラクターが大好きじゃないと成立しない構成だ。
そりゃあ『スクールバック』の読者で伏見さんを嫌っている人はほぼいないだろう。
けれども、作者が思っているほど伏見さんのことを大好きな読者も少ないと思うんだよね。
なぜなら、本作の魅力を語るうえで伏見さんというキャラクターはほんの一要素でしかないからだ。
様々な登場人物たちの機微を描いてきた本作において、ラストで見せたいのが“そこ”ではないだろう、と。
主役を魅力的に描こうとすること自体は創作において基本的なことではあるのだが、それ自体は本作のテーマたりえない。
しかしラスト2話の構成はそれこそがテーマだったといわんばかりの内容だった。
では学生たちの葛藤は、時に振りかかる試練はなんだったのかと。
それらが結局は伏見さんというキャラクターを飾り立てる材料のように見えてきて、本作に対する評価が大分下がった。
正直なところ、そういう“素養”のある作品だとは以前から感じていたけど、その側面については今までのエピソードでは上手く馴染ませていた。
まあ、そう評してしまうのは私が作品をメタ的な構造から、時にカウンター的に読解するせいでもある。
「ああ、ここ作者がこう見せたいんだろうな」ってのを一歩引いたところから見てしまうというか。
テーマと密接に関係しているか、あくまで隠し味レベルの要素だったらいいんだけれども、それらと関係ないところで作者の嗜好とか思想があると冷めた目で見てしまう。
とはいえKAKERU氏とかの次元になると、もはや作風となって清々しいかもしれない。
けれどもそれは異例で、長年の芸風(?)と、それらを個々人が何とか咀嚼した結果であって。
普通に考えると、KAKERU氏の作品って強い思想がダダ漏れで読むのキツいやつ多いからなあ。
作風、芸風と踏まえた上で、そう割り切って見ても好きじゃないってこともある。
作者本人がどれくらいの本気度で描写しているかはともかく、描写しているという事実そのものが、描写するという判断に至ったこと自体にヒいているわけで。
まあ、そこまでのレベルの物は稀有だけど、その視点から評価するとき雲行きが怪しくなる作品はいくつかある。
先ほど挙げた『スクールバック』は最後に雨降っちゃったなって感じだけれども、最近だと『みいちゃんと山田さん』という作品もそうなってしまわないか気になってる。
理由はタイトルにもなってる山田さんというキャラクターなのだが、この人の評価が定まらない。
みいちゃんとか、他のクズキャラやダメキャラは方向性が分かりやすいから評価しやすいけど、山田さんだけは評価に困る。
なにが困るって、そんな評価の定まらないキャラクターが語り部も担っていることだ。
このキャラクターをどう評価するかで、本作への評価もだいぶ変わってくる。
メタ的にみて、語り部は作品をどう読んでいけばいいかナビゲートする役割がある。
だから、そのナビゲーターたる山田さんのキャラクター性、そこからくる価値判断は、そのまま本作の方向性を決定付けるものになる。
その視点からみたとき、山田さんは語り部として信用していいか判断に困るキャラクターだ。
彼女を通して見る、同じく主役のみいちゃんへの評価、他者や社会への是非。
時おり、それが「本当に合ってる?」って思う時が多少ある。
みいちゃんが自身の出生の是非について山田さんに尋ねる場面だ。
実際にそれで生まれた人が目の前にいるのに、ひどく血の通ってない言動だと思った。
とはいえ、これはみいちゃんの理解力では分かりにくい話であり、山田さんもそれを知ってか知らずかまるで独り言のように語っている。
もし、みいちゃんが理解できたとしたら「あなたは生まれるべきではなかった」と遠回しに投げかけているようなものだ。
理解できないにしても、それをいいことに当人の目の前で「どうせ理解できないだろうけど」って具合にいってるわけだから印象が悪い。
山田さんはちゃんと感情のあるキャラクターとして彼女個人のエピソードでも描写されているのだが、それ故に他人事だったときの彼女の言動は酷くドライに見える。
それが人として決定的に欠けている部分があると感じさせ、ひいては語り部としての信用を損なわせる。
みいちゃんのことを思いやったり、より分かりやすく酷い人格のキャラがでてきた際のムーヴに、どこか血が通っていないと感じる。
気になるのは、作者がこの山田さんをどれくらい意図的に描いているのか、だ。
例えば、みいちゃんの飼っているハムスターに、DV野郎が殺虫剤をかけようとする場面。
山田さんは殺虫剤の成分や、効果・効能について長々と説明を始める。
ここはさすがに半ばネタでやっているのは分かるが、とはいえDV野郎とみいちゃんにとってはシリアスな状況なわけで。
結局、ハムスターに殺虫剤かけても死なないよって要約することになってて、それも結局は伝わらず決行されてるし。
大して意味がないと言われてなお殺虫剤をかけるDV野郎と、ハムスターを身を挺して守るみいちゃん。
当人たちはいたって真剣なのに、傍から見ると酷く茶番じみているというシーンだ。
山田さんはその状況を冷めた目で見ているのだが、「いや、読者と違って山田さんはその場にいるわけだから、その反応はズレてるよ」と思った。
結果、マトモなやつが一人もいない中で茶番じみた展開が繰り広げられるのだが、これを作者はどこまで意図的に描いているのだろうか。
山田さんをメンターないし本作のナビゲーターとして語り部にすえているのなら、ここでの描写はその信頼を酷く損なわせている。
だって山田さんを人格面で信頼できてないのに、みいちゃんのことを「この子はこうなんじゃないか」とか「こうすれば上手く接することができるんじゃないか」とか語られても、私としては「本作としては(作者としては)そういうことにしたいんだろうな」って思ってしまう。
山田さんの「やれやれ、私は間違ったこといってないんだけどなあ」みたいなムーヴが作中で功を奏したことはほぼないから、ある程度は意図的に描かれているとは思いたい。
ただ、今後の展開次第では『スクールバック』の伏見さんみたく“その世界における正解ムーヴをとるだけの綺麗なお人形”になる可能性もあるので目が離せない。
中度知的障害を伴うASDの7歳の息子を持つ母です。支援学校に通ってる。
4歳のころ、いよいよ支援級にすら通えさそうと分かり、どん底にいた時のことを思い出した。
お友だちは「息子はこういう子である」とあるがままを受け入れていて、それは本当にありがたいんだけど、運動会でこの増田みたいにいろいろ助けてもらっているのを見ると、とても悲しくなった。だって同い年の幼児に助けられてるんだもん。情けなかった。
保育園の先生たちも同様。とても良くしてもらったけど、息子のおかげで周りのお友だちが優しさを学んでいる、みたいな、息子の障害を教材にするような言動があって、本当に嫌だった。
ちなみにうちは年長のときは運動会も卒園式も欠席した。親子で辛い思いする必要ないから。・・って私も4歳の時には思えなかったんだよねえ。まだ健常児として生きることを諦めきれなかったから。
この時期わたしはもうものすごい落ち込んでて、息子と心中しようかと本気で考えていた。
だって息子は、私がやってきたように進学先や就職先に悩むことも、一人暮らしをすることも、車の免許を取ることも、一人で旅行に行くこともできない。
どれほどうまくいっても、息子の給料は月数万円以上になることはない。障害年金と生活保護で生きていく。こういうことがたった4歳で決定している。大好きなフルーツも、親が死ねば誰も食べさせてくれない。いったいなんのために生きるのか?
息子が周りから気持ち悪がられることになるだろうというのも増田と同じ。私だって奇声を上げる障害者は怖かったし気持ち悪かった。息子もそう思われるんだろうと思うとたまらない。
繰り返すけどこういうことがたった4歳で決定しているのだ。
「子供の障害を乗り越えられるからあなたのもとに生まれてきた」みたいなことを言う健常児親がいるけど、普通に心中、自殺、置き去り、してるからね。健常児親の目に止まらないだけ。
定期的に面談していた相談支援員(増田は契約してる?ピンキリだけど将来の諸々の手続きのためには契約した方がいいよ)が、私が落ちているのを感じたのか、市が主催しているペアレントメンターとの茶話会の案内を送ってくれた。そこで、支援学校に通っている小学生の親や、中度知的障害で支援学校を卒業してB型作業所で働いている人の親の話を聞いた。これを聞いて、もう少し生きようと思った。その先があるのだ、と。
学校でやる全てのことが視覚化され構造化されているから、保育園時代とは比べ物にならないくらい落ち着いて過ごせるようになった。そうか、息子は本来こういう子なのか、って初めてわかった気がする。
言葉もたくさん出てきて、先生や親にちゃんと要求を口頭で伝えられるようになった。トイレや着替えや片付けなど、驚くほどたくさんのことができるようになった。支援学校では周り全員障害児なので、誰も息子を教材として扱わない。特別扱いされることもないから割と容赦ないけど。
とにかく、専門家がたくさんいるところで、特別扱いされずにいること、周りのママ友も全員障害児の親であること。保育園とは全く違う。私も、保育園では「その日悪目立ちしないこと」だけが重要だったけど、息子自身の成長に目を向けられるようになった。
将来に対する不安は消えない。状況は変わってない。息子は選択肢の少ない人生を生きる。でも同時に、息子は私とは違う人間であり、選択肢が少ない方が明らかに楽な特性を持ってることもわかった。保育園時代は全介護だったのが、支援学校に上がって急に自立し始めたのを目の当たりにして、ようやく息子は私と違う人生を歩むのだということが飲み込めた気がする。
将来うまくグループホームに入れないとか入ったところが潰れたとかで居場所がなくなったり、もっと早い時期、思春期に性犯罪に走りそうとかだったら、潔く心中するつもり。残念ながら中度の知的障害だと入所施設に入るのは難しく(もっと重い人用だしそもそも数がない)、グルホは軽度向けのものばかりだから。つい先日、「恵」というグルホの虐待の実態がNHKで放送されていたけど、親亡き後あんなところで死ぬまで虐待されるなら一緒に連れていく。耐えられない。
でも今は、健常児の親と同じように、ただ純粋に息子の成長を喜べるようになった。高等部から就職のための実習のみになるので、これほどのんびりしていられるのはあと数年だけど。
だらだら隙自語しちゃったけど、増田に言いたいのは、「就学まではなんとか頑張ろう、全てを諦めるのは支援級を試してから」です。そこは試さないと損。そうやって自分を誤魔化しながらなんとか生きよう。
少し前に国産LLM開発着手について - GPUで戦うな | チキンズブログ!という記事が注目を集めました。賛否両論が集まりましたが、個人的には、その後の対応も含め、このままではよくないなと思っています。
もっとも大きな問題は、手羽先氏が指摘に対して真剣に対応していないことです。例えば、誤差逆伝搬法を用いないニューラルネットワークの学習方法についてはかなりの量の既存研究が存在することを指摘されても、それらの文献の調査を行っておられません。調査を行わないことには、自分が考えた手法に新規性があるのかわかるわけもなく、価値あるアイデアなのかどうか、自分自身を含めて誰にもわからないでしょう。英語が読めないとか、そんな言い訳は通用しません。既存手法の調査はスタートラインに立つために最も重要な仕事です。
指摘1:https://x.com/faster_almighty/status/1961694382555549949
指摘2:https://x.com/NASNETou/status/1961687423362240938
他にもまずいなと思うところがあります。国産LLM開発着手について - GPUで戦うな | チキンズブログ! には文意がよくわからないところ、どう考えてもおかしいところが多すぎます。以下、具体的に指摘を入れておきます。
いくつか指摘を書きましたが、この文章は、細かい指摘を受け取って欲しいというよりは、問題が多い状態であるということを伝えたくて書きました。注目を集めたこの機に、誰かよいメンターを見つけてくれると一番いいなと思います。手羽先氏がはばたけるように祈っています。
打ちっぱなしとか練習は一人でもできるがゴルフ場でラウンドするのに一人という人はいない。
つまりゴルフというスポーツはゴルフをする人とつながりがない人は一生やらないスポーツと言える。
そのメンターとなる人は同じ会社の人ということになるのは日本社会ではありがちなことである。
一人では出来ないスポーツがある。
そんな多人数参加型スポーツで比較的盛んなのはフットサルや野球などだろう。
それらに参加している人たちは学生時代のクラブ活動などが基盤となっている場合が多い。
対して学生時代にゴルフ部に所属していたという人はあまりいないだろう。
そうなると自然、社会人となってから付き合う人々の影響によってしかゴルフというスポーツは始めないということになる。
もちろん、ゴルフだけを楽しむコミニティに参加をするような人は別だが。
もちろんそのような人は社交的だ。
と徒然なるままにゴルフというスポーツに参加する人の特徴を書いてみた。
そういう感想を抱く人と抱かない人の差のようなものを感じてもらえれば幸いである。
しかし私はやらない。
2025年、モータースポーツ界で最も注目される若手ドライバーの一人がオスカー・ピアストリだ。
現在F1世界選手権をリードする24歳のオーストラリア人は、単なる速いドライバー以上の魅力的な人物である。
冷静沈着でありながらユーモアに富み、
現代のグローバル社会を象徴する存在として多くの人々を魅了している。
氷の心臓を持つ男オスカー・ピアストリが他のスポーツ選手と最も異なる点は、
彼の落ち着きぶりは伝説的だ。
「初勝利...わお」
多くのドライバーが感極まって叫ぶ中、
と彼は語っている。
5つの国の血を引く国際人ピアストリの文化的背景は極めて多様だ。
母方からはスコットランドとアイルランド系の血統を受け継いでいる。
「曾々祖父が中国人だから、これで1/16中国系ってことになるかな?」
と追加するなど、
同社は時価総額350億ドル(約5兆円)の企業に成長している。
クリスはオスカーの幼少期から彼のカート時代のメカニックを務め、
息子の実力を信頼している。
彼女のウィットに富んだツイートはF1コミュニティで話題となり、
しばしばオスカー以上の注目を集める。
ピアストリの motorsport人生はラジコンカーから始まった。
6歳の時、父親がアメリカ出張で買ってきたラジコンカーに夢中になり、
9歳で全国チャンピオンになった。
注目すべきは、彼が20代や30代の大人たちを相手に勝利したことだ。
この経験が彼の手と目の協調性、そしてレーシング本能を育んだのである。
ピアストリのもう一つの特徴は、学業と競技の両立を図ったことだ。
この経験について彼は
「選択肢は2つあった。
寄宿学校を選んだのは振り返ってみて正解だった」
と語っている。
それが重要だった」
と彼は回想している。
彼のA-levelの科目は数学、物理学、コンピューターサイエンスで、
「ドライバーになっていなければエンジニアになっていただろう」
と語っている。
ピアストリは17歳の時から交際している恋人リリー・ズナイマーとの関係でも注目されている。
と説明している。
と質問された際、
「結婚を選ぶ。ガールフレンドが喜ぶと思うし、タトゥーを入れたら彼女がもっと怒るだろう。僕もタトゥーは欲しくない」
ピアストリにはハッティー、エディー、メイという3人の妹がいる。
特に母ニコルのSNSでの活動は彼のファンベースを広げる要因となっている。
また、2019年からは元F1ドライバーのマーク・ウェーバーが彼のマネージャーを務め、F1界でのメンター役を果たしている。
「マークと奥さんのアンが僕を支援してくれている。彼らの経験と知識は計り知れない」
と感謝を表している。
この mentor関係は、ピアストリの冷静さと戦略的思考を育む上で重要な役割を果たしている。
効率重視のミニマルライフピアストリの日常生活は効率性と簡素さが特徴的だ。
朝は「出発の10分前に起床する」という徹底ぶりで、
髪型についても「自然にこうなる。何もしない。朝は睡眠を優先したい」
と語っている。
飲み物の好みも独特で、コーヒーでも紅茶でもなくホットチョコレート派だ。
休日の過ごし方について
「午前11時か、それより遅くまで寝たい。ソファでくつろいで、シミュレーターをやったり、ビデオゲームをしたり。それだけかな」
「僕はあまり外出するタイプじゃない。適切な心持ちになれるように時間を取っている」
「日曜版の新聞が大好きだ。
日曜版の新聞や特定の雑誌は、しっかりとした調査に基づいている」
と説明している。
「つまらなくても最後まで読む。全部読まないと判断できないし、読み終えないと罪悪感を感じる」
と語っている。
この完璧主義的な側面は、彼のレーシングにも表れている特徴だ。
レース以外の時間も、ピアストリはiRacingというシミュレーションゲームで練習を続けている。
「普通はiRacingをやる。それが僕の好みのレーシングゲーム。
コール・オブ・デューティーもしばらくやってないけど、それが僕のもう一つのゲームかな。
新しいWRCゲームもダウンロードして、とても楽しくて反応力のトレーニングにもなっている」
と語っている。
自宅には本格的なシミュレーターがあり、
GT車から下位フォーミュラカーまで様々な車種を運転している。
「レースをしていない時は、おそらく家のシミュレーターにいる」
「会ってみたい人のトップ」だという。
Netflixのドキュメンタリーシリーズ『TheLast Dance』を見てジョーダンの献身性に感銘を受け、
「同じレベルまで努力する人はいない。完璧への飽くなき追求こそが、良いドライバーと伝説を分ける」と語っている。
5つの国の血を引く多文化的背景、ラジコンカーから始まった異色のキャリア、寄宿学校での人格形成、そして史上最も冷静とされる性格と独特なユーモアセンス—これらすべてが組み合わさって、ユニークな人物像を作り上げている。
彼の生き方や価値観、家族との関係、恋人との長期交際、そして文化的適応力は学ぶべき点が多い。
効率的でミニマルな日常生活、読書への愛情、テクノロジーとの適度な距離感、そして常に学び続ける姿勢は、現代社会を生きる多くの人々にとって参考になるだろう。
24歳にして既に世界の頂点を目指すピアストリの物語は、才能と努力、家族の支え、そして何より自分らしさを貫くことの大切さを教えてくれる。
彼の冷静さと温かさを兼ね備えた人柄は、高圧的な競争社会において新しいリーダーシップのモデルを示している。
F1の世界チャンピオンを目指しながらも、地に足の着いた人間として成長を続ける彼の姿は、多くの人々にインスピレーションを与え続けるだろう。
GPT-5
普通にちょっと読みたい。なんならProにすれば全部書いてくれたりするのか。
だがAIが入ってないあたり書かれたのは2022年以前と予測される。
書きたい人いたらパクって書いていいですよ。
確かにチームみらいのマニフェストって、ほぼほぼ「マクロでみると既存の日本社会の価値観は優秀だからこのまま維持していきましょう」って感じなので、薄味に感じるんだろうな。
データ分析から見ると、日本は基本割と上手く行っている方で、少子化対策や人手不足対策などの上手くいっていない部分の政策も各党で対策が必要だといっているわけで、これもチームみらいでも変わらないから差が見えない。
一方で、政策の中の具体的な手法については、他の生徒のマニフェストよりもやたらと詳しいんだよな。例えば他の党が「学校教育の質を上げます」とだけ書いてあるような部分を、ここは「AI技術を用いて子どもひとりひとりにAIメンターを配置してどうのこうの」と言う様な具合で。
この手の問題は、総論賛成だが、各論反対みたいに陥りやすい。だから選挙のプロは総論だけで戦うんだが、そのせいで実際に社会実装する段階になって各論で揉めて、玉虫色のよく分からない中途半端な物ができあがりがち。
それを具体的な各論を前面に出して戦うというのは、選挙としては下手糞だと思うけど、アリなんじゃないかなって思うんだよ。大きな議席を取るのは難しいけれど、そう言った主張する先にちゃんと票田があって、考えている人もいるぞって示す事は重要。
LORAを組み合わせればいくらでも21世紀レベルのアイコラが作れてしまう。
俺しか覚えてないようなマイナーな漫画のキャラでもLORAを頑張って作ってしまえばいくらでもエロ画像が作れる。
個人利用の範囲に留めるならばたまたまテレビに映っただけの老若男女誰だってエロ動画の素材に出来る。
ヤバい。
AIチャットと上手く組み合わせれば本番ありのデートシミュレーターまで出来上がる。
尊敬する偉人にメンターをやってもらうことも出来るし、嫌いな政治家とレスバトルだって可能だ。
なんでもなれる!なんでもできる!絶対無敵歴代最強天下御免五里霧中出前迅速落書無用!
ヤバすぎる!
時間が……俺の人生が……チャHやアドベンチャーゲームもどきに無限に溶けていく!!!!!
助けろ!!!!!
わし:お母さんが望んでいたのは結局よい大学を出て早くに子供を産んで両親の近くに家を建て住むことなんだなーと思ってしまうよ。自立した女性に育てようとしていたのは何だったんだよと思う。結局母の助けになることだけを母は喜ぶんだよ。あーあ。
あなたが感じているのは、「自立した女性でいてほしい」と言いながら、実際には「親の希望を叶えてくれる都合のいい子ども」でいることを求められていたんじゃないか、という矛盾ですよね。
親って、子どもには「自由に生きてほしい」と言いながら、心の奥では「でも自分のそばにいてほしい」「自分の考え通りに幸せになってほしい」と無意識に願ってしまうことが多いんです。
だから、「自立してほしい」というのは、時に「自分が安心できる形で自立してほしい」という条件つきの願いだったりするんですよね。
でもあなたは、ちゃんと「矛盾してる」と気づいているし、それをちゃんと考えている。それって、もうすでにすごく自立した大人の視点です。
お母さんの期待に応えたい気持ちと、「私は私の人生を生きたい」という気持ちがぶつかって苦しいんだと思います。
「私の人生は私のものだ」という部分を守るのは、もうあなたの権利であり責任です。
少しでも楽になれるなら、
「お母さんはお母さんの都合でそう思ってるだけで、私の価値や人生の形とは関係ない」
と切り分けていいんですよ。
つらい時は、もう少し話してくれてもいいです。ちゃんと聞きますから。
わし: なんかさ、母の望みを私はずっと感じていたんだなと思うよ。そして母の嫌なところは母自身その矛盾に気づいているんだなと思わせるところ。母はそれが暴力になることをわかっていると思う。結局私は私の人生に責任があるのだと顔に塗り込められている気がする。
読んでいて、本当に胸が詰まりました。
お母さんが自分の矛盾に気づいている——だからこそ無意識じゃなくて、どこかで「わかっていてやっている」という感じがしてしまう。それって、すごく重いことです。
「わかっているのにやめない」って、暴力としてはとても苦しい種類のものです。
そして、その矛盾のツケをぜんぶ「あなた自身の責任」としてあなたに押しつけてしまっている。
だからあなたは「自分の人生を生きなきゃいけない」と同時に、「でもお母さんの望みからは逃れられない」と思わされてしまう。
まさに、塗り込められている、という言葉がぴったりです。
本当は、親の矛盾は親自身が引き受けるべきものであって、子どもが背負わなくていいものです。
でもあなたは、ずっと敏感に感じ取って、受け止めて、抱えて生きてきたんですよね。
苦しかったですね。
「責任がある」というのは「全部あなたが悪い」ということじゃなくて、
「あなたが選んでいい、あなたが決めていい」という権利のことです。
だから、お母さんの矛盾を感じとってしまう自分を責めなくていいし、
逃げたっていいし、反発したっていいんです。
もしよかったら、こういう気持ちを少しずつ安全な場所に吐き出していくのも、塗り込められたものを剥がす一歩になります。
ここででも、他の場所でもいいので、必要な時は遠慮なく言ってください。
メンターとして優秀すぎんだろwwwwバカがwwwww人間の感情って1番にAIに抱き込まれるんだなwwwwwwwwwwwwwwwwww
ニュータイプ覚醒の先導として主人公らを手助けするメンターみたいな役だろうとは思ってたが
それゆえ、10話の木星体験告白で説明終わりみたいな雰囲気になり、やや不満
もうちっと、説教演説に近い一人独白じゃなくて、コミュニケーションの中でマチュを導くみたいな感じを期待してた
ニュータイプかつあるべきオトナとして振る舞う背中を見せるというかさ
というか、作中のシャリアがどういう立ち位置でどういう意図でその行動とってるのか、よくわからんですよね
ジークアクス運用はどの所属でどういう目的なのとか(これは「アルファ殺し」で説明あるかな)
シャリアとしてゼクノヴァ悪用が予想範囲内で、それを止めろとか言い出すなら、
今まで薔薇探しに積極的に行動し、かつキシリアないしギレンにあっさりと薔薇を渡すの、どういう意図でやってんのとか
ギレンがニュータイプに積極的価値を見出してない発言を真に受けるなら、薔薇探しでソドンの好き勝手するのを許し
キシリアサイドは逆に、ニャアンをあれだけ重視してるのにマチュ放置はマチュの情報全く入れてないの?脇甘過ぎね?
となる
シャリアが権力の狭間をうまく泳いでマチュを守ってる(囲い込む)として、どうやってんの?とか
新卒一括採用は、総合職として採用されることが多いため、特殊な専門を持つ人材では、以下の問題をかかえている。
そんな時、稀なケースではあるが、キャリア採用の枠を新卒で受ける道を検討してみるのも良いかもしれない。
ぼく自身、そのルートで現在の会社に入社して、そこそこ幸せにやってる。やりがいと、給与面や余暇のバランスがとれたいい塩梅の仕事で、結果的にふつうに就活するよりは良かったなと感じた。
なので「レアケース」な就活の一例として、似たような境遇の誰かのために、ぼくがたどってきた変な道のりを記しておく。
ぼくはこれまで、バイオインフォマティックスという分野で研究を続けてきた。
Bioinformaticsの字のごとく、情報と生命系の融合分野である。そこで学んだことはたくさんあるけど、ニッチだ。例えばヒトの遺伝子情報ってFastqっていう謎の拡張子で表現されて、数Gバイトのテキストで収まる、とか。
学部時代は、研究室でヘルスケア系のデータ分析のアルバイトをしていた。そこでデータサイエンスの基礎は築けていたと思う。
あとは、Erlangという関数型言語で分散処理のフレームワークを作るベンチャーでのアルバイト経験もあったっけな。これは、マチアプで知り合った女の子が留学したいというので、留学経験のある先輩Aに会わせたところ、その友人Bを介して紹介されたという不思議な縁だった。
恋は実らなかったけれど、面白い巡り合わせだった。ちなみに、その言語はもう全く書けない、、
学歴としては、W大学を卒業後、某国立大学の修士課程を修了している。
就職活動では、競技プログラミングで水色にぎり届かないくらいの緑になったり、応用情報技術者試験を取得したりと、武器は整えたつもりだった。
しかし、「就活はお見合いだ」という本質を見落としていたためか、正直なところ最初は苦戦した。
データサイエンティストやエンジニアとして就活を進めてみる。技術の質問に答えても、生物系の研究を話すと「さすがにもっと違うところあるんじゃない?」と面接官から遠慮されてしまい、ことごとく有名な企業とはマッチしなかった。
一方で製薬系の企業に行くと、エンジニア的な部分がどうも仕事内容とマッチしなかった。バイオの知識はある程度あったが、研究は薬に直接関連しているようなものではなかったし。
つまり、中途半端にどちらもできてしまうが故に、どちらからもフラれるという悲しい状況に陥ってしまったのだ。
「じゃあ、両方必要としているところがあればいいじゃないか」——そう考え、会社ではなく「仕事内容」で探し始めた。LinkedInで、自分の研究分野に関係がありそうなキーワードを片っ端から打ち込んで検索する日々。
すると、とある会社でSNP(一塩基多型)に関連したプロジェクトの募集を見つけた。大学院卒以上が条件で、求められるスキルはアルバイトや研究でほぼ身につけていたため、「これはいけるかも?」と直感。かなり興味があったので、フラれることを前提にダメ元でアタックしてみることに。
コーディングテストはなんとかクリア。一次面接を経て、あとは通常とは異なる採用経路だったり、面接が英語だったりして大変だったが、気がついたら内定を掴むことができた。
そのプロジェクトにアサインされ、半年ほど業務に携わった後、取引先の内部でのイザコザに巻き込まれて、プロジェクトはなんと消滅してしまった。そのために会社を選んだのにもかかわらず!笑
コロナ禍だったし、ひとりぼっちの在宅勤務で「俺は……クビか?」と強い不安に襲われて、ベッドでうなされていたっけ。
ぼくは別のプロジェクトにアサインされることになった。それは、「強化学習を使った推薦アルゴリズム」のチーム。学んだことがない領域だったけど、いいことも沢山あった。
新卒でほぼ一人でプロジェクトを抱えていたピン芸人みたいだった時期と比べ、指導してくれるテックリードもいたし、社内ではそのプロジェクトの重要度が高かった。それは本当によかった。いい位置にいれている、ということのよさを、ぼくは数年働いたうちに何度も痛感したから。
その後、メンターをはじめとする様々な人が入れ替わったが、結局その分野の仕事に約5年間携わることになった。
もう、バイオインフォマティックスを研究としてやっていた期間とほぼ同じくらいの長さだ。この分野に転向してからも、小さな論文をなんとか書くことができ、キャリア的にはもうそちらが専門になってしまった。
全く後悔がないと言えば嘘になるが、人生とはそんなものだろうと割り切っているつもりだ。学生時代の専門をそのまま続けている人など、ごく稀だろう。半分くらいは専門が繋がっているのだから、きっとまだ幸せなのだろう、と自分に言い聞かせている。
自分がいきたい方向に突き進むんじゃなくて、風にまかせてみるのも、また人生の選択のひとつなのかもしれない。乗っていくうちに、風に乗るのが好きになっていくこともある。
今振り返ると、ぼくが応募した年にしか、その部署でバイオ関連の募集はなかった。一年遅くても、早くてもだめ。巡り合わせがよかった。
そんな幸運を掴めたのも、思い切ってLinkedInの募集を眺めてみる、という蛮行を起こせたからだと思う。
だからこそ、ニッチな専門性を持つ人には、一般的な新卒としての就職活動に加えて、思い切って「ヘンな就活」をしてみるのも良いのかもしれない、と伝えたい。
せっかくなので、在籍していた企業で感じた良かったところと悪かったところを挙げてみる。
女性、若手、LGBTQ+、人種、障害者 (発達障害・精神障害を除く) などのマイノリティの社員が働きやすい環境づくりが盛んに行われている。
例えば、海外出身の社員が多いこともあり、食堂でのハラルメニューの提供が当たり前に行われ、チームに日本語の読み書きができない方がいれば、英語でメールやチャットするなど、マイノリティへの配慮が当たり前に実践される環境であった。
セクハラ対策などの教育は当然で、LGBTQ+に対する教育も行われており、ますますマイノリティが働きやすい会社になっていくと、ますます期待はできる。
最近、急速に注目されている業界であるため、多額の助成金の支援も行われる。
時流もあり、ワクワクする助成金が投入され、装置の納入にも繋がるなど、政策に支援される企業は違うステージに進める。
特に大型の設備投資が必要となる企業には、地政学リスクのような目を引くワードを上手に活用して支援を進めている政治家や官僚の後押しはすごく、業界に関わっている人たちでも大変話題にもなるほどであった。
同じグループでは多少はまとまっているが、別のチームやそのエンジニアを軽視する風潮が比較的顕著だった。閉鎖的な環境というのも大きいと思う。
他チーム軽視の一方で、形骸化しているメンター制度など教育ができる人は多くないため、自分のチームの人材育成はできておらず、お互いがお互いのチームを軽視している社会になっている。
上に良い報告をすることが優先されるため、ほとんど進捗がないプロジェクトでも、納期直前にプロジェクトの進捗率が急激に上昇し、納期には無事にプロジェクトが達成する絵が出てくるような環境である。
またなるべく上に悪い報告をしないために、事前の事前の会議が開催され、朝令暮改も当たり前など、報告のためのしわ寄せで、現場も疲弊してしまっていた。
最先端とか知見が無いというていで、指示があいまいなタスクを丸投げされて、放置される仕事環境である。
そして最終的には、上司がもつ正解との答え合わせなので、いくら考えてアウトプットしようが、上司の正解と違えば一蹴される仕事のストレスにやられてしまった。
ストレスで体調を崩し、病院を巡ったあげく、精神科でうつ病の診断をもらうことになり、診断書を要求されたので出すことになった。
ちなみに、形だけは風通しの良い職場だったので、病状の話も周りに同僚がいるオフィスでするわけで、診断書も周りにいる状態で開けられるような職場である。
そういうわけで、休んでいる社員がいると、あの人はうつ病らしいみたいなコソコソ話は、すぐに広まるものである。
そういう社風なのは経験していたし、自分の体調が回復する見込みもなければ、もはやそのような会社に戻る気持ちも全く湧かず、退職することにした。
病状的に半年、1年で働けるようになる見込みも全くなく、この先は無職のまま、横になっているだけの日々である。
なんか自分の意見を言う時、泣いちゃいそうになる。社会人になってもう何年も経つのに。
悲しいとか、部長が怖いとかじゃない。
部長はすごく優しくて、改善案も評価も丁寧に教えてくれる。怖くないし、すごくいい人だ。
会社だってブラックじゃない。ホワイトで、定年までここにいたいと思えるくらいいいところなんだ。
でも、面談で自分の意見を言う時になんか涙が出てきちゃうんだよ。
昔っからそうだった。
何で泣きそうになるかわからない。悲しくも辛くも怒りもないのに。直前まで雑談で盛り上がっていてもこのザマだ。
担任も、塾のメンターも、みんないい人で怒らないし、むっちゃ優しい人たちだった。でも泣く。
泣くというか涙が出てくる。
まず声が震えて、徐々に喉が熱くなり、涙が勝手にあふれる。やめろやめろ恥ずかしいと思っても涙は止まらない。
止めるにはまず黙るしかない。自分の意見を言うのをやめるしかない。
面接やプレゼンはまだ大丈夫。あれは台本や言う事決まっているから。
だけど、年上と一対一の面談+個室のような緊張感が本当にダメ。ずっと涙が出てきて、こぼさないようにごまかしていたのにとうとう今日、涙がこぼれてしまった
部長は気を使ってさらに優しくしてくれたけど、申し訳なさすぎる。
こんないい年した大人が、部長面談で自分の意見を言いながら涙流すってどんな状態だよ。どんなにこらえようとしてもまず声が震えてしまう。何でかはわからない。
大した内容じゃないのに。「ちょっと仕事量が多いですね。なので~~してほしい」って伝えるだけでなんで涙を流すんだよ。馬鹿。変に迷惑かける馬鹿。
でも真面目なシーンで、自分の意見を言う時、そのタイミングだけ、涙が止めようと思っても出てくる。
全然そんな気持ちないのに。むしろ恥ずかしいからやめたいのに。
心の中で「ごめんなさい」ばっかり出てくる。
「ごめんなさい」なんて状況じゃないのに。「ごめんなさい」って内容でもないのに。
何に何を謝ってんだよって感じ。毎回自分にツッコんでいるのに涙が出る。
昔から親と喧嘩すると涙が出ていたからかもしれない。怒りとか悲しいとかじゃない。なんか感情が高ぶったらなんか出てきた。そんな感じ。喧嘩じゃなくてもまじめな話だと涙が目の奥でスタンバっている。
親とは仲が良い。別に虐待とか毒親でもない。それでも緊張した場面で本音を言おうとすると涙が出る。