
はてなキーワード:ムンクとは
エーリッヒ・フロム「愛するということ」★★★
フィリッパ・ペリー「身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本」
宇佐和通「AI時代の都市伝説:世界をザワつかせる最新ネットロア50」
深津貴之、岩元直久「ChatGPTを使い尽くす! 深津式プロンプト読本」
大宮冬洋「人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方」
飯田一史「「若者の読書離れ」というウソ:中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ「誰もが嘘をついているビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」★★
恋紙屋「夜にバニーは(ベッドで)跳ねる」
「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」於・松濤美術館。
「新江ノ島水族館」
やっぱりエーリッヒ・フロムはいい。たぶん自分が特に気に入っている思想家だ。
このあたりからスピリチュアリズム、自己啓発の背景にある思想とその明暗をテーマに本を選び始める(陰謀論まで行っちゃったのも含めて)。
多分最後にSF小説を読んだのはこのあたり。SFっぽい漫画は読むことがあっても小説は読んでいない。新人賞を追うのも去年あたりでやめている。
余談だが、自分が好きなSFは科学や技術、それから人間の未来を選ぶ力を信頼したものだった。もちろん、社会学的なものや悲観的なものも大好きだが、それらはどちらかと言えばaquired tasteである。一番深く心が動くのは前者だ。
ところで、わざわざ買った同人誌をメモしてもしょうがないかもしれないが、書かないにもなんだか居心地が悪い(記録魔)。
岡奈津子「新版〈賄賂〉のある暮らし市場経済化後のカザフスタン」★
アナ・カタリーナ・シャフナー「自己啓発の教科書禁欲主義からアドラー、引き寄せの法則まで」
ジェイムズ D.スタイン「不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力」★★
尾崎俊介「アメリカは自己啓発本でできているベストセラーからひもとく」★★★
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ」六巻
岩宗治生「ウスズミの果て」一巻~三巻
こるせ「伽藍の姫」一巻~二巻
岩宗治生「ウスズミの果て」 四巻
肋骨凹介「宙に参る」五巻
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!ピラミッド透視とツタンカーメンの謎」
「NHKスペシャル堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオの実像に迫る」
「ニーア・オートマタ End of Yorha edition」(XYエンド以外回収)
「彼女たちのアボリジナル・アートオーストラリア現代美術」於・アーティゾン美術館。
「コレクション展 第2期 特集:新収蔵作品のご紹介」@岩手県立美術館
小岩井農場まきば園
八月は読んだ本が少ない。普段通勤時間に本を読んでおり、お盆休みがあったためだ。
代わりにというわけではないが、ちょうどゲームをクリアした。普段ゲームをしないので難易度を下げて楽しんだ。別にやり込みたいわけではなく、ストーリーを終えればそれでいいと感じている。だが、自分の人生でゲームは必須の要素ではない気がする。
ところで、数年ぶりに(十年近い?)アニメを見たのだが、これはたまたまコロナから避難するために泊まったホテルで視聴した。一話完結だし、青春時代を思い出すし、あまり疲れない。テレビ番組が記載されているのは、自分がテレビを見る頻度の少なさを示している。
レト・U.シュナイダー「続狂気の科学: 真面目な科学者たちの奇態な実験」★★
トーマス・トウェイツ「人間をお休みしてヤギになってみた結果」
中村圭志「亜宗教オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで」★★★
ロジャー&チャーリー・モーティマー「定職をもたない息子への手紙」
烏谷昌幸「となりの陰謀論」
今井むつみ「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策」
岡瑞起、橋本康弘「AI時代の質問力プロンプトリテラシー 「問い」と「指示」が生成AIの可能性を最大限に引き出す」
山本栄二、中山雅司「国連入門 ――理念と現場からみる平和と安全」
瀬野反人「ヘテロゲニアリンギスティコ 〜異種族言語学入門〜」一巻。
ヤン・シュヴァンクマイエル「蟲」@シアター・イメージフォーラム
「大長編 タローマン万博大爆発 TAROMAN」@TOHOシネマズ渋谷
皇室の文章は結構フランクで楽しい。あと、著者略歴に「二〇一九年、即位」と書かれていて、何も間違っていないのにレア過ぎてちょっと笑ってしまった。
僕は超細密画はあまり評価していないのだが、諏訪敦は結構気に入っている。たぶん作品に取り組む姿勢やモデルに対する丁寧な態度が好きなんだろう。それから、母を亡くして、具象表現ができなくなったらしい。残酷な言い方が許されるならば、芸術家が傷ついたり何かを学んだり、逆に精神が安定してして作風が変わってしまう瞬間に、とても興味がある(藤田嗣治が戦後に人工的な人形のような子供たちばかり書くようになった契機が知りたいし、精神が穏やかになった後のムンクの作品にも関心がある・結婚後にシーレの作品が良識的になってしまったのにも)。
今月は久しぶりに映画が見られてうれしい。シュヴァンクマイエルの作品は自分の過去の作品を解体し、評論するような内容だった。
高野秀行「酒を主食とする人々エチオピアの科学的秘境を旅する」
島本英明「もっと知りたいモディリアーニ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
新見隆「もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
末永幸歩「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」★★★
今泉忠明 (監修)「おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」
高野秀行は定期的に読んでいる。アート・ビギナーズ・コレクションも定期的に読みたくなる。次に何を読むか迷ったときに重宝する。ただし、美術館に行く途中で読むと、なんだか美術鑑賞に向けるエネルギーをそこに分けなきゃいけない感じがしてしまう(図書館で借りているので読むタイミング的にそうなることがある)。なお、このシリーズは冊数が多い割には下山観山や英一蝶の巻がない。あと、本によっては作者の思想がすごく偏っている。
松井文恵、安田茂美「写実絵画とは何か?ホキ美術館名作55選で読み解く」
ジョナサン・カラー「文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)」
秋月龍珉「無門関を読む」
アンドリュー・スチュワート「情報セキュリティの敗北史:脆弱性はどこから来たのか」★
尾崎俊介「ホールデンの肖像ペーパーバックからみるアメリカの読書文化」★★
六畳「××××の結果で×××する××」(苦手な人がいるだろうと思うので伏字)
「カルン・タカール・コレクションインド更紗世界をめぐる物語」於・東京ステーションギャラリー
「CREVIAマチュピチュ展」於・森アーツセンターギャラリー
30周年記念展「ALL OFEVANGELION」於・東京シティビュー
平等院鳳凰堂、鵬翔館、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアム。
「知的探求フロンティアタモリ・山中伸弥の!? ヒトはなぜ音楽を愛するのか」
自分は欲望をコントロールできず、性欲などに負けてしまう人間の話が好きだ。現実の生活では正しくいるよう求められるのだから、せめて虚構の中では人間のダメさを許してほしい。そうでなければ、現実世界で良識を守れない、とまではいわないが、ダメな人をダメなまま表現されていると、それを読むことで、何か許されたような気持ちになれる。
他には禅問答について読んでいる。
あと、尾崎俊介がロマンス小説について述べているあたりが面白かった。なんでジェンダー平等が叫ばれる時代に、一見するとあえて古典的に見えるストーリーが必要とされているか、一つの知見を得た。
J. R. R. Tolkien「TheHobbit」Harper Collins Publishers。和書文庫換算二冊。★★★
尾崎世界観「祐介・字慰」★
丸谷才一「輝く日の宮」★★
「ファーストコンタクト 窓口基作品集 【電子コミック限定特典付き】」
「落下の王国4Kデジタルリマスター」於・ル・シネマ渋谷宮下。
丸谷才一が相変わらず面白かったので(僕はメタフィクションが好きだ。時にはわざとらしくなってしまったり作者の自分語りに堕したりするリスクもあるが、うまくいくとこれは気持ちがいい)ブコメで進められた全集を手に取ろうとしたら、地元の図書館にはなかった(正確には、引っ越す前の自治体のにはあった)。さてどうしよう。
洋書を読み始めた。あらすじは覚えているが細部はよほど印象的なシーンでないと覚えていない。
トールキンの場合、樹木の描写が細かく、いろんな種類の木が出てくるのだが、そもそも僕のほうが樹木の知識に乏しく、和訳を読んでも細かくイメージできない(束教授ごめんなさい)。児童文学とは言え、二世代前の英語なので語彙やスペルが違うし、手加減せずに平気で難しい言葉を使う。
「ナルニア」を読んだときも、例えば身近でない船舶の部品などの語彙で苦労した覚えがある。
窓口基は暴走するテクノロジーや世界観の考察を楽しんだ。SFが好きだったもう一つの理由であり、一番ワクワクするところだ。この人はグロやゴアも書けるらしいのだが(なんにでも科学的な興味がありすぎて、人体を破壊可能な一つの素材として見てしまっているのかもしれない)、「苦手な人はこの先読まないで」と警告できるので、自分の狂気をコントロールできるタイプの人であり、そこが好印象。
ケーブルテレビで「その着せ替え人形は恋をする」をやっていたのだが、感傷マゾを発症しなかったのは、僕の精神が変化したからかもしれない。原作の漫画を買おうかとも思ったが、実はそこまでコスプレに興味がないと思い直した。そもそも年末年始に向けて漫画をセールで買い込んだが、トールキンを読み続けており、全然手を付けていない。
漫画は小説と同じで、長編を読むには訓練がいる。ご覧の通り短編集や一話完結ものばかり読んでいる。
来年は「指輪物語」の原書を読み終えたら、国連や政治学、第二次世界大戦の日本軍、それから依存症のあたりの知識の補足がしたい。あとは意識の科学だなあ。
洋書だとどうしてもペースダウンする。開き直って冊数を気にしないようになれそうだ。あとは、トールキンを読み終えたらドイツ語をやりたい(言うだけならタダ)。
実際にドイツ語をやるかどうかはともかく、読書記録を始めたのは大学に入ってから二十年、知的な本を読もうと志してからはもっと経過している。いたずらに、明確なゴールもなく、知識を得続けようとする行動パターンに変化が欲しい。美術館についても、あまり行かない場所や行ったことのないところに行きたい。(ただしドイツ語をやって何かの原書に挑戦したら一年がかりのプロジェクトになりそうで、そうなると知識の習得には多大な遅れが発生する)
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ただし、全てが自分の物ではありません。
ムンクに肖像画を依頼して「出来に満足出来ない!」と裁判を起こした依頼主は、「ムンクという賛否両論の画家に依頼したのだから、どんな結果になろうと受け入れるべき」として敗訴したし、エガちゃんも確かにそういう芸だから嫌ならそもそも呼ぶな、呼んだら文句言うなは分かる
でもテレビは基本的に個人で完結する肖像画とは違って、大多数の人に見せるためのものだし、ただ不快であるのみならず問題だとすら思った視聴者が多かったらそれは芸として失敗だよ
泣き方を聞かれた子役が「お母さんが死んだ時のことを考えて泣いてる」と答えた時、雛壇芸人が「頭の中ではお母さん死んでるの?www」と返した頃からそう思ってる
やるなとは思わないけど、やりすぎた!と思った時に視聴者の印象をコントロールする行動を咄嗟にできるのが、現代にああいう芸で売るプロとして最善だったと思う
最善の行動を常に取り続けられるとは思ってないし、ただの極端な理想論に過ぎないけど、でもCM前後に何かしらフォローがあれば、視聴やSNSの反応も違ったんじゃ?とも思う
長年続けてきた芸なのだから何をしても文句を言うべきではないというのはよくわからない
かつて存在したどつき漫才と同じで、時代と共に受け入れられなくなってきたってだけじゃないかな。
今だって頭を叩く程度の漫才はよくあるし、コントの中ではどつかれるし、本核的などつき漫才のコンビでも不快感を笑いに変える方法を身に付けて今でも漫才してる
今回笑いに繋げられなかったのは、緊張と緩和のうち、緊張がずっと続いてしまったからじゃないかと思う
昔は女が『逃げる』のが緩和の役目を果たしてたのではないかな。それだけでよかった
でも現代では『逃げる女を追う』のも緊張のうちに入ってしまう。だから緩和しなかった
そういう意味では、エガちゃんのお笑いは昔は1人でも成立してたけど、今では『セクハラ芸を受け止める側』の行動込みでしか成立しなくなってしまったのでは?
で、その緩和の役目として『CM明けに笑って受け入れている姿を見せる』がある訳だけど、これは受ける側の好意による部分が大きい。別にコンビを組んでる訳ではないし。番組を作る一員である以上やるのがベストではある
ただし今回のように「びっくりして涙が出てしまった」のはコンビでない以上どうしても起こりうる。コンビではないのに、追いかけられた側の生理現象を責めるのは酷だろう。「涙を見せないように下がった。また崩れたメイクを直した」のもプロとして間違ってない
『CM明けに笑って受け入れている姿を見せる』が叶わないのであれば、何かしらエガちゃん本人が動いてフォローを入れるなりして自らの芸を完結させるべきだった。プロ芸人として、芸を完結させて笑いに変える責任があるはずだ。時代に取り残され、失敗した時の想定もせず、やりっぱなし。そんな状態では、芸と呼ぶにはお粗末だ
またいつかエガちゃんの『芸』を見れたらいいなと思う。
たとえば「クー・フーリンの神話について知りたいなー」と思っても
そしたらFGOとか出てこないじゃん?
「クー・フーリンが自分で殺した息子って何て名前だったかなー」と思っても
「クー・フーリン 息子」じゃん?
それで出てくるWikipediaのタイトルにもう名前があるじゃん?
「ジークフリートの愛剣バルムンクをその死後に入手した爺さんって誰だっけ?」と思ったら
そしたら三つ目くらいに「ヒルデブラントです」って出てくるじゃん?
ここまででアフィサイトとか攻略サイトとか鬱陶しいなって思うことある?
「画像検索がアニメキャラで埋まる現象ってなんて言うんだっけ?」と思ったら何て検索する?
そしたら「画像検索汚染」ってワードを使ってるねとらぼの記事が出てくるじゃん?
とりあえずこれでいいじゃん?
あとその検索結果のいちばん上のhttps://togetter.com/li/941530 という記事で
「金剛」で検索しても艦これしか出ないって騒いでる奴がいるけどそんなアホなワードで検索する?
艦これ抜きにしても金剛力士とか金剛山とかいろいろあるじゃん?
と思って実際にそれでググったら見事に戦艦の写真しか出てこないじゃん?
「バステト」だとパズドラしか引っ掛からなーいって騒いでるけど
最低でも「バステト神」でしょ?
いやそれだとさすがに甘いかなーと思いながらもググったら
Google偉すぎない?
そんなんでGoogleに文句言ってるんじゃないですよまったく。
追記。
よく言われることを書いておくけど、
こういうのと
こういうのを
並べてみると笑えるね。
必要に応じて「完全一致」を選択するくらいは私には大した手間じゃないけどね。
Permalink |記事への反応(14) | 18:17
実はこの指摘は結構重要な問題を孕んでいる。元増田は二―トなのかもしれないが、的確に博物館法の矛盾点を突いている。
ブコメでは、ニート割引を認めつつ、その基準としてニートであることの証明をどのようにするかに焦点が当たっている。
(入館料等) 第23条 公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。
ヒャアアアアアアアアアアア!!!!! 無料ですってよ! 奥さぁん!!
この戦後に出たイキリ社会教育系法律は、現行では後段の留保の方ばかりが実態として現れている。
蛇足。公立博物館とは、地方公共団体が設置するものを言う。だから国立の「博物館」は博物館法の範疇外にある。
23条は、私立の博物館や国立の博物館は、対価を徴収してはならない、という規定の範疇にない、ということだ。取ってもいいし取らなくてもいい。どっちでもいい。
サッカーで例えると、サッカーのルールを守ってもいいしコートで野球をしてもいい。
今回ニートが参った東京都美術館は東京都と言う地方公共団体が持っているので、博物館法の範疇だ。だから原則無料にならないとおかしいのだ。
そしていいか? 重要なことは、ニートでも会社員でも大人も子供もおねーさんも、老若男女全員が、全員がだぞ。全員だ。
全員が、無料であるべきなのだ。博物館法は、戦後のあの頃、そう高らかに謳った。
ニートだから入館料無くせ、とか、ちゃんと働いているんだから会社員こそ入館料減らせ、じゃあない。
けど、もちろん現状そうならない。
増田諸賢も解るだろうけど、都美レベルの博物館が全員入館料無料にしたらなんか「ヤバい」という感じはするだろう。
じゃあ何を考えればいいのか。それは、「条文の博物館の維持運営のためにやむを得ない事情」を突きつめることだ。これが重要だ。
ところで図書館法にも入館料に関して、博物館と同じようで、より厳密な条文がある。
図書館が有料だったらビビるよね。現状そうはなってない。その根拠は図書館法に明記されている。
一方博物館法は歴史的な経緯もあって、後段に大切な留保が続いている。
東京都美術館の維持運営のために、ニートからカネを徴収することは「やむを得ない」のだろうか?
そしてもちろん、述べてきたとおり、元来全員が無料であるべきなので、
大人も子供もおねーさんも、つまり私たち全員からカネを徴収することは「やむを得ない」のだろうか?
これを同時に考えなくてはならない。
なんかすげー抽象的な話になってきたと思っただろう。その通りなのだ。
こういう文化に対するカネの投下と見返りなんてものは、解りやすい物差しで測れるものではない。
だから個人個人が気のすむまで、情報を整理して、それで納得してカネを支払って観覧するほかないと思っている。
考えるための材料は色々転がっている。
都美は指定管理者が入っていて公益財団法人東京都歴史文化財団だ。
公益財団法人東京都歴史文化財団はどんなことをしているのか、ウェブサイトを見てみるといいだろう。
ここの財団から展覧会の開催に当たっての資金や、それを企画運営する学芸員の賃金が出ている。
東京都美術館の条例や規則も見るとよい。ここでは使用料は指定管理者に入るとある。
なお入館料の規定は見えなかった。条例・規則作ったやつはよくわかっていて、原則無料であるべきところに規則等で料金を設定しないように配慮したのだろう。
入館料は展示に応じて設定される。「必要な対価」を都度決める、という遵法の姿勢・工夫・配慮が見える。
https://www.tobikan.jp/outline/report.html
都美のウェブサイトには、東京都と全然関係ない諸外国の作品を展示する意義なんかも書かれている。
そして、歴史文化財団の管理する他の施設に足を運んでみよう。庭園美術館が個人的にお勧めだ。
料金高いとか、展示がしょぼい、とか。逆に、いい展示じゃん、とか昔来た時より良くなってるじゃん、とかまた来たい、とか思うかもしれない。
本来無料であるべきところだが維持管理にカネを払ってもいい、と思える仕組みを見つけられるかも。あるいは、逆かもしれない。
とにかく、設置主体の運営がどうなのか。良いのか悪いのか、個人個人がそれぞれの足で稼いで納得するほかない。
つまり何が言いたいかと言うと、どんどん博物館に行きましょう、運営がそれで良いのか、モノを見る延長線で眺めて行きましょう、ということだ。
運営がそれで良いのか、規模や設置趣旨にそぐわないか、一市民として観察していくべきということ。
最近都会の展覧会はどんどん混み合うようになっている。伊藤若冲展あたりからひどいもんだ。
ムンク展も、目玉の展示作品の前はベルトコンベアみたいな感じでただ人々が作品の前を一定のスピードで通りすぎていくだけ。
それでいいのか? と思っている。
メディアとタイアップして、外国人観光客まで絡めて、そこまでしてガンガン人を入れるべきなのか正直わからない。