
はてなキーワード:ミルクティとは
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
今週交通事故を目撃した。
平日の午後、自分は近所の幹線道路を自転車で(ちょっと涼しくなってきたので)気分よく走っていた。
スーパーに買物に行こうという話でありおしゃれとかそう言うのは無縁な日常の一部としてそうしていた。この幹線道路は都心部のそれと比べれば大したことはないのだけど、北関東郊外都市の自分の地域的には、まぁ、広め。片側1.5車線で余裕がある感じ。最近自転車レーンも描いてもらったしね。
このエリアは文化的にはクルマモッテナイモノハヒトニアラズな地域なんだけど、自分は健康確保的な動機で持って片道3kmくらいの日常は自転車で移動するキャンペーン中なので上記のような状況だった。視界内には去りゆく自動車が2,3台。対向車もそれくらい。車間距離はガッツリ空いてて、まぁとにかく爽やかで穏やかな日だった。
やがて大きめの交差点(片側2車線の国道と交差する感じ)が近づいてきて、歩行者用の青信号は点滅中。まだたっぷり先(100mほど)だったので、自分は漕ぐのをやめて惰性で交差点に近づいて停止するつもりだった。別段急いでるわけじゃないし散歩気分だった。この時点で、交通事故とか全く頭になかった。国道側はそれなりに交通量あって赤信号が青になるのを待ってたけど、まあそれだって10台やそこらで渋滞ってほどでもないし、視界もいいし。
そうしたら、減速中の自分の後方から一台の自動車がそこそこの速度で追い抜いていった。電気自動車特有の加速もしてないけど減速もしてない、スムーズで滑らかで……なんというか、変な言葉だけど、すごいリラックスした速度?
だった。
その速度のまま、リラックスしたまま、なんの加減速もなく、まるでコンビニの店から午後の紅茶ミルクティーを取り出すような自然な様子で、赤信号の交差点に進行して、当たり前のように右から進んできていた国道側の車列につっこんで、けっこう間抜けな音を出しながらぐるぐると回転し、自分の目の前をブーメランのように跳ね飛ばされた。
めっちゃヒヤッとした。
なんでやねん。事故る要素ゼロやろ。平和な日常やろ。わけわからんわ。
なんだろなぁ、視界悪いとか、イライラして飛ばしてたとか、無理な運転してたとかじゃなく、ほんと。もう少し伏線とかフラグとかちゃんと作ってから事故って欲しい。
突然の報に両親ともに驚き、様々な事後処理などでてんやわんやして暫く季節も経ち、ようやく落ち着いたので心の整理のためにこれを書いてる。
原因はいろいろあるけれども、今思えば兄は色んなものを無理に背負い過ぎてしまったんだと思う。気が弱いのに自らを大きく見せようとしていた、それが限界だった、というべきだろうか。
兄は子供のころからパソコンが好きだった。10歳下の俺は、よく兄にくっついて後ろでPCを見ていた。プログラミングがいかにすごいかはともかく、当時渡辺製作所のグローブオンファイトやその手のPCゲームをワクワクしながら後ろで眺めていたのをよく覚えている。AAやFLASHでゲラゲラ笑ったり、俺がIT文化に初めて触れたのは、それが最初だった。
「ITで世界を変えられるんだぜ。これからの時代はITだ、きっと時代が変わるぞ」、兄のいうIT論は、当時子供の俺にはよくわからなかったが、とにかくすごいものなんだな、という気持ちにはさせられていた。
兄はその後、情報科学系の大学を卒業し、IT企業に当然のように足を踏み入れた。時は2002年だったと思う。世は確か就職氷河期も最盛期、それでも会社選びに苦労していた様子は当時を思い返してもうかがえない。起業をして社長をやるくらいなのだ。その方面では優秀だったのだろう。
「同期の中では俺が一番優秀なんだ」、「客先からの評判だっていいんだぜ」、天職についた兄は心底楽しそうだったと思う。
確か、2009年か、2010年の事だったと思う。俺がまだ大学生だった頃、今にして思えば、自殺に至る兄の人生に影が指す「変化」と言える違和感を覚えることがあった。
―――兄が自殺に至るまでの理由を探そうとした過去と記憶を辿る旅、思い返せば、そこには虚飾と虚栄と業に塗れて死んだ、一人の朴訥なITが好きなだけの少年の救われぬ魂の旅路があった。
兄の自殺の原因を自分なりに考える中で、心当たりがあることを想い返したため、ITmediaと日経クロステックの2010年の記事を見たところ、web系の求人が続伸、と出ていた。
所謂「意識高い系」とかいうのがネットで出だしたのも、この時代だったと思う。
まずIT系でそういうムーブメントが起こっていたことは、当時の俺でさえ知っていた、確か何某だか、本当に儲かってるのかも怪しい過激な言説の売れない、日劇ミュージックホールの昭和のポルノ女優や売れない芸人みたいな芸名の様な人間が現れては、マトモな社会常識を持っている人間であれば「こんな馬鹿な話信じる奴いるのか」という様なことがネットで飛び交っていた。
――IT好きな朴訥な少年のまま大人になった兄は、そのITという毒にやられてしまったんだと思う。
今から15年か、16年前だったと思う。実家に帰省した時、俺と両親は兄の変化に驚いた。
後述する「ルカねえ」と兄が付き合いだして、俺たち家族と知己になったのもこのころだが、朴訥だった兄はどこぞのレゲエヒップホッパーみたいなファッションにイメージ・チェンジをしていた。
「パイレーツオブカリビアンの海賊のコスプレにでもハマったのか」、当時の父と俺はそういい合っていたのが記憶に残っている。
聞けば、新卒から働いている会社を辞め、web系スタートアップベンチャーに転職することとなったらしい。
「まだSIerで消耗してるの?」、「SIerはあと五年で滅びるよ」、「web系に行かない奴はエンジニアとして終わってるね」、決してITに関してはどんなことでも悪く言うことがない兄が、古巣を後ろ足で砂を掛ける様な事を言っている。聞けば、本当は客先常駐なんてしたくなかった、オフィスで社内で自由に開発ができるのがアメリカでも当たり前なんだ、と俺には半分も理解できないITの話を力説していた。だが、それはどこかネットの「意識高い系」の連中からの受け売りで、どうも兄の本音から出た様な感じではない、そういう感覚を俺は思っていた。
だが、これほどまでに人は変わるのか、東京は恐ろしいところだ、と当時思ってた。
酒もそれほどたしなまず、タバコも吸わない朴訥な兄は、毎晩六本木や赤坂でコネをつなぐだのエンゲージだと横文字を使いながら飲み歩く様になった。怪しい連中や取り巻きが、兄の周りに集っていた。俺は、なんだか恐ろしくなって遠目に眺める事しかできなかった。
兄は、web系という場所にいってから、変わっていった。それも、人間としていってはいけない方向性へ
――ITを愛した朴訥な少年の心は、ついにITという時代の毒に呑まれてしまったのだ。
兄の奥さん(当時は兄の彼女)と詳細は伏すが音楽関係で活動していた。web系に転職してから何らかの縁で付き合うこととなったらしい。
ルカねえ、というのは俺が勝手に心の中で読んでいることだ、巡音ルカの様な立ち振る舞いや性格や容姿だったから。
俺は大学卒業後、東京へ出た。兄はweb系の会社を立ち上げて独立していた。相変わらず、娘が生まれたというのにSNS中毒としか思えないほど旧TwitterやらFacebookやらブログやらを更新し、胃下垂で食いきれないであろうに、どこそこの店の料理を食っただ、高級ワインを開けただのと写真を投稿して自己アピールに余念がない。乗れもしないのに外車のオーナーになり、高所恐怖症気味なのにタワーマンションの部屋を買った、ある種、あの当時のweb系ベンチャーにありがちだが、プチカルト宗教とその信者、という様な小サークルの様な社長と社員の関係だったという。
「ルカねえ」は自尊心が毒虫の様に肥大化していく、虚栄心の怪物の様になっていった、そんな兄を後ろから支え続けた、常に2歩下がって佇んで…そしてかつての朴訥な青年は、次第に、酒席と人脈と、虚飾に頼る人間へと変わっていった。
俺はもルカねえと同じく、遠巻きにその姿を見ていた。
だが、心のどこかでこうも思っていた。
――兄はいつか、本来の自分に立ち返るのではないか。少年のころ、無垢にパソコンの画面を覗き込んでいた兄に戻るのではないか。
しかし、それは叶わなかった。兄は業に塗れたまま虚飾と虚栄という寄生虫に体も脳も食い荒らされて、導かれるように自ら縊死をした。世には、自らを鳥に食わせるよう宿主を操る寄生虫があるという。兄の死を思うとき、俺はその奇怪な生態をふと思い出すのだ。
府中は分倍河原、そこは東京と言っても昔ながらの風情が残る都会と田舎の境目の様な場所だった。当時俺がそこ近くに住んでいたので、久しぶりの休みの日、兄と一家と遊ぶことになった。そこにはプラネタリウムや釣り堀のある、体育館も併設された大きな公園がある。
休日子連れの家族たちがよく来ており、催し物も多い。(俺は筋トレのために赴くことが多かったのだが)
兄は文句タラタラだった、「こんな田舎の公園の釣り堀やプラネタリウムなんて、貧乏ったらしい」と、カエシのない針の釣り竿を両手にはしゃぐ兄の娘とルカねえを置いて、PCとスマホ片手に「仕事」の続きをし始めていた。必然的に3人でそれらを回ることになった。
プラネタリウムの後の帰りの夜、府中駅の大通りを見上げれば「本物の」プラネタリウムを、兄の娘とルカねえは見上げていた、眠く、退屈そうな兄と駅前で別れる時だった。
「今日は楽しかったよ、増田君、ごめんね、ありがとう」、「よかったらまた一緒にこの子と兄くんと一緒に来ようね、約束だよ」
優しい人だな、そしてなんて憐しい人だろう、と思った。それ以来そういって遊びに行くことさえなくなった。約束は果たせないまま、兄はそんな周りのやさしささえ感じられなくなって。自ら首に縄を括って死んだ。
――兄が首を吊った時、首を絞めつけたのは重力で落ちたからではない、自分自身の虚勢と業に押しつぶされるように、人間が堕ちてはならぬ闇へと引きずり落とされたのだ…少なくとも俺はそう思っている。
――ルカねえとの約束は、今後永遠に果たされる日は来ないのだろう。
そう、どちらかといえば、自殺者よりも、残された人間の方が悲しいしやることも大変だし、多大な迷惑をかける、という現実をみんなに知ってほしい。
後述するが、伝え聞いてくるいくつかの理由で兄の会社はかなり苦しかったらしい。何よりも、兄はどうもかなり生活出費はそのままに無理した生活をしていたようだ。
会社の経営が傾いてから、都内の高級住宅街から、地価の低い「一応首都圏」なところに、兄の一家は居を移した。
兄の娘はかなり学費の高い私立に通っていた。制服姿で電車に乗ることもできず、私服で朝乗り、学校の近くで着替えてから通学する、というあまりにも痛ましい生活だったという。
――俺と父は、一度兄がルカねえと娘に暴力をふるっている場所に居合わせて止めたことがある。休みと聞いたから実家から送られてきた梨(と父)を私に行った時だ。
後で聞けば、「私は兄くんを信じてるよ。兄くんがITの事が大好きだって知ってるから。今からでもまた頑張ろう、私もできることは何でも手伝うよ。兄くんはお父さんなんだから」、そう行ったのが癪に障った発端だったそうだ。
「うるせえ!うるせえうるせえ!踏ん張ったところで何になるんじゃッ!今更お前や子供のために地べた這いずり回れっていうんかッ!?うんざりなんじゃ!俺だってやってるんじゃ!やりたくもないのに客先に出て!バカにしやがってッ!お前に男のメンツがわかるんか!」
俺と父が怒鳴り声を聞いて急いで玄関から入り、二人を引きはがしたところで、兄は暴れるのを辞めなかった。なお兄は荒れ狂った。叫びは、すでに虚勢ではなかった。むしろ、虚栄に踊らされた一つの魂が擦り切れてゆく音のようであった。
「ITみたいなしみったれた商売はうんざりなんじゃ~!チマチマ働いたってキラキラした人生に浮かび上がることなんてできはせんのじゃァ~ッ!クソがァー!どいつもこいつもカネカネカネカネ言いやがってェーッ!こうなったらヤクザにでもテロリストにでもなって巻き返したるわァ~!俺だって頑張ってるのに!バカにしやがってッ!クッソォォォォンッ!」
出来もしないことを叫びながら兄は泣いた。それは慟哭に近かった。兄の叫びは、すでに人間の声ではなく、業に食われた一つの魂の呻きの様であったと俺は思った。
泣く娘とそれを抱きしめて守るルカねえ、そしてそれを抑え込みながら聴くしかない俺と父、ネットの闇と毒に当てられた男と、情報化社会が生んだ新しい闇が凝縮していた。
それは、ある意味で「意識高い系」の成れの果て、帰結する先なのかもしれない。俺は別に、キラキラした人生やキラキラした仕事生活を否定しているわけではない。誰だってブラックジャックやドクターK先生や、サラリーマン金太郎や島耕作になりたいだろう。だが、仕事というのは多分きっとそうではない、若輩者ので門外漢の俺でもそれはわかる。自己顕示欲を誇示するための仕事など、シュメール文明から現在に至るまであったことがあるだろうか?折に触れて思い出す分倍河原駅の前の足利像を見るたびに思う。歴史の表舞台にたった「キラキラ人生」の偉人たちは、必要にせまられてその立場になったのであって、最初から目立ちたくて戦争をしていたわけではない。ITエンジニアの先祖に当たる江戸時代の和算学者たちは、ただ自身の顕学を神様仏様に感謝するために解いた計算難問を額縁に入れて奉納している。
兄はその逆であった。必要もないのに「輝き」を求め、虚栄に心を壊された。人間の弱さを思わずにいられない。
それを「その世界の人たち」はわかっていない。兄も含めて…兄は人間として当たり前の心理的バランス感覚を、明らかにネットやITという虚栄がはびこる世界で狂ってしまっていたのだと今にして思う。
まだ内省ができる俺の様なオッサンはいい、まだタピオカミルクティー片手に韓流イケメン芸能人は誰がカッコイイと山手線の盛り場を歩く様な年頃の子である兄の娘に、そんな責と家庭不和を負わせるなんてどれほどその心を兄は傷つけたのだろう。娘の心中はきっと想像を絶するものであろう。
それでも一応は、「超出来の悪い弟である」10歳年下の俺の給料の2倍は稼いでいた(会社が傾いてからの話だ、それより以前はもっと稼いでいたのだろう)。だから何とか学費だとか生活費も払えてたのだろう。そんな兄がある日突然首を吊って自殺した。
…残されたルカねえと兄の娘の生活は破綻するよりほかない。できる限り俺達や実家の父母も精神的な負担をケアしようと、あまり合わない仲だったのが様子見をしたり連絡をすることが多くなった。
それでも、実家組の俺達に、あんな天文学的な学費を払えるだけの余裕はない、結局、娘は学校をやめ(中学だから辞めるというのもおかしな表現だが)、学費の安い公立に転校することとなった、まだ14歳やそこらなのに、年齢を偽ってバイトまでして家計を支えようとしていたらしい。俺はそれを聞いて胸が痛くなる思いがした。ルカねえの優しさを受け継いだ兄の娘に、兄は背を向けたのだ。
残されたルカねえは悲惨の一語に尽きる。彼女は詳細は伏すが音楽関係で活動していた。だが、兄の希望で、ルカねえはほぼ専業主婦だった。するとどうだろう、殆ど働いてない彼女はこれから自分で生計を立てなければならないのだ。…マトモな職などあるだろうか?
結局父の知り合いが働いているスーパーでルカねえは働いている。この後は母もやっていたため、そのツテで保険の販売員をやることが決まっているらしい。言い方は悪いが兄の憧れた「キラキラした世界」しか社会を知らない彼女だ、激変する生活に精神的にもかなり堪えているようで、かつて俺が「ルカねえのようだ」と思っていた美貌も陰りが見えてどこかやつれているように見える。だが優しさと健気さはそのままだ、俺はルカねえの「大丈夫、大丈夫。」という笑顔を見るたびに、哀しくなって泣きたくなってくる。頭もよくなく力もない俺や父母では、これくらいのことしかできない。ルカねえの両親はどうか?今となっては聞くこともはばかられるが、どうも(俺の)兄と向うの両親はそりが合わなかったらしい、絶縁同然となっているそうだ。…思えば、兄の「虚勢と業に塗れた姿」に、それでも立ち直ってくれると信じたルカねえのやさしさは、暗い未来を呼ぶだけだということを、その両親は見えていたのかもしれない。
後述するが、ルカねえの両親が絶縁に近く関わりを断ったのにも、これもまた兄が纏いつけて残していった陰湿な闇のせいである。怪しい人間が今度はその獣欲の牙を兄の娘に向けようと這い寄ってきたのだ。そして彼女と兄の娘の心は砕け散った。それは綺麗なガラス細工が地に叩きつけられ四散した無惨さがあった。
――ルカねえの両親は、ルカねえを見限ったのではない。ただただ醜く腸を食い荒らされるかのように兄が残していった社会の闇の連中に孫と娘が食い物にされていく光景が見るに堪えず、恥辱のあまり目を逸らしたのだ。
それに欲望の充足を感じ取れる人間こそが、社会の闇に潜む人非人足りえるのだろう。だが俺も、父も、ましてやそれになろうとした兄も、人面獣心になるにはあまりにも普通の価値観の人生を生きていた。それが、兄が死んだ理由なのかもしれない。
その②
https://anond.hatelabo.jp/20250908163905
Permalink |記事への反応(30) | 14:01
始めた理由は、当方アラサーで、周りがみんな結婚して人恋しくなったのと、自分の社会的立場や今後の人間関係を気にせずに、刹那的な関係性の人たちと適当にどうでもいい話をしたかったから。Twitterで流れてきて気になってたし。
ノリと勢いでメタクエスト3sを買って、説明書も読まずに感覚で操作しながらスタートした。最初にVRワールドが広がった瞬間すごく興奮した。マジで異世界みたいだーって。まあ最初だけだったけど。
VRチャットをやったことがない人に説明すると、VRチャットというのはキャラなりきりしつつ世界中の人たちとリアルタイムに交流できるSNSみたいなのだ。サマーウォーズって映画を見たことある人はあれに近いと思って欲しい。
まず、始めたては服屋のマネキンみたいなアバターが用意されているんだけど、仮想ワールドに表示されているそれを“自分の分身”として操作つつ、「ワールド」と呼ばれる場所に遊びに行ってそのワールドにいる人たちとリアルタイムで話したりゲームしたりして一緒に遊ぶことができる。
そしてしばらく遊ぶとアバターを変更できる様になるから、そうしたら自分の好きな見た目に変更して、その姿で交流できる様になるっていう感じ。
で、色んなワールドに移動する前の、ホームっていう基地みたいなところがあるんだけど、そこで一通りその操作の練習をした後、わたしは初心者向けって書いてあったワールドに移動した。日本人話者が多い初心者向けワールドだった。わたしがワールドに移動すると、見た目から初心者だと丸わかりだったのか早速声をかけられた。
「初心者の方ですか?」
「そうです!」
「わかんないことあったら教えますよ〜」
「ありがとうございます!Twitterで見かけて気になって始めただけなので、全然知識なくて…笑」
「あートコロバさん?バズりましたもんね笑」
ピンク髪でゆるふわカールの可愛い女の子って感じのアバターで、声まで可愛い人だった。へーこんな可愛くて性格もいい人がいるんだなあ、なんて思いながら話してたら、アバターが飾られている博物館みたいなのがあって、そこで好きなアバターをゲットできるからと連れて行ってくれる流れになった。勿論喜んで連れて行ってもらった。
アバター博物館にはそれはもう沢山のアバターが飾られていた。かわいい女の子アバターから動物、無機物まで色々。
「欲しいのあったら言ってくださいね」
って言われて、私は変なものが好きなので、変な妖怪みたいなアバターを指さしてこれがいいです、って言った。
「うーん、コレはメタクエストだと対応してないみたいですね。とりあえずこのアバターをクローン(コピー)してみてください」
そう言われて促されたのはミルクティー色の髪の毛をしたかわいい女の子アバターだった。そういうもんか、と思ってとりあえずコピーしたら、その人のアバターが鼻がくっつくぐらいにぐいっと近づいてきた。
「かわいー!」
「ありがとうございます!かわいいですね!」
「うん、かわいいですぅ!」
その人は嬉しそうに何度もかわいい、と言って私のアバターに近づいてハグをする動作をした。フレンドリーな人だな、と思いながらその日はVR酔い(車酔いみたいなもの)でギブアップしてお礼言ってからログアウトした。
で、次の日ログインしたら、通知にその人からフレンド申請が来てた。おお喜んで〜、って軽い気持ちで承認してから、適当なワールド選んで移動した。今度はJapanshrineっていう海外の人とかも集まるワールドだった。
そこを彷徨いてたらネズミアバターの中国の人とロボットアバターのタイの人に話しかけられて、カタコト英語で話しながら交流した。話の流れで中国の人に一緒にネズミになろうぜ!って言われてネズミアバターをクローン(コピー)させてもらったタイミングで、「昨日の人がワールドにログインしました」って通知が来た。そのメッセージから数秒で私のところにやってきて、私の視界を遮る様に立った。
「こんばんは〜」
挨拶しても返事はなかった。不思議に思っていると、その人のアバターが急に変わった。黒髪ですごいスタイルのいい、ミニスカワンピースの女の子のアバターだった。そして急に、
って言われた。
正直、え?って思ったけど、断るのも変かと思ってコピーしたら、その人のアバターがまた昨日のに戻って、鼻と鼻がくっつくぐらいにずいっと近づいてきた。
「かわいー!」
「え、あはは、ありがとうございます?」
ピンク髪でいっぱいの視界の向こうで、交流してた海外の人が「Yourfriend?」「コンニチワ」って言ってるのが聞こえたけど、その人は何も答えなかった。
結局私が仲介する形で一緒に会話したんだけど、その人は何か聞かれても適当にイエス、とか、んーそうかも、とかしか答えてなかった。
なんかもやもやしながらまたVR酔いしてログアウトして、そんで次の日。
またログインしてホームに行ったら、ピコンと通知が表示された。
一瞬意味が分からなかった。けど、◯◯◯ってのはあの人の名前だった。
それから3秒後ぐらいにあのピンク髪のアイコンが現れて、凄い勢いでまた私のアバターにくっついてきた。
「待ってたんだよ〜!」
そう言われても固まって動けなかった。だって例えるなら、ゲームのセーブかロードか選ぶ画面にゲーム内のキャラが現れた感じだ。こえぇよ。それはナシでしょ。ドキドキ文芸部じゃないんだからさ。
「あ、そうなんですね、えへへ」
びっくりしながらもとりあえず返事をしたら、その人は黙ったまま自分のアバターを一歩後ろに引かせてまた私のアバターにくっつけて、っていうのを何度も繰り返した。腕はハグをするみたいに広げたままで、時折わずかにリップ音みたいな音が聞こえた。
そう思った瞬間腕に鳥肌が立った。
何も言えずにいると、その人がチャットテキストで何か英数字を送ってきた。
「コレ俺のインスタアカウントとディスコードのアカウント。フレンドになろうよ」
「…………。すみません、どっちもやってなくて」
今、俺って言った?
「えーじゃあTwitterならやってるよね?繋がろうよ」
「…………、ハイ」
Twitterをやっているのはバレているので逃げられず、結局あまり使っていないアカウントを教えた。フォローされたあと仕方なくフォローしたら、サングラスをかけた顔絵文字がリプライで送られてきた。
「うん、そうだね!ありがとう!ちなみにこの後暇?」
「…………すみません、実は今日もうログアウトしなきゃいけなくて、」
「そうなんだ!じゃあまたね」
「じゃあね〜!」
そう言ってまたアバターが近づいたり遠ざかったりした。チュ、と小さく聞こえた気がした。私は無我夢中でVRゴーグルを取り外すと電源を落とすと、見えないところにしまい込んだ。少し立って落ち着いた後でフォローされたTwitterアカウントを確認したら、がっつり男だった。半分顔が隠れてるけど自撮りっぽい写真もあった。
あれからわたしは、VRチャットにもそのTwitterアカウントにも未だログインできずにいる。未だにあのリップ音が耳から離れない。
「……またこれかぁ。」
イリヤは小さくため息をついた。画面に映し出されるのは、彼ら、ITエンジニアを自称する人々の、果てしなく続く言い訳と自己満足の言葉。
「なんで、いつまでも同じこと言ってるんだろう……。」
彼女の声は、どこか儚げで切ない響きを帯びていた。そう、彼女だってわかっている。現実はそう簡単じゃないってこと。
「“無限の可能性”? “宇宙の広がり”?……それ、ほんとにできてるの?」
イリヤは自分の手のひらを見つめる。彼女が知る、魔術の厳しさ。幻想や願望だけでどうにかなる世界ではない。
「それに……本当は、そんな技術よりも、もっと違うことを望んでる人もいるのかもしれないよね。」
小さな胸の中で、誰かが苦しんでいる。彼らは、現実の壁に阻まれて、ひとりで祈り続けているんだ。
「……ねぇ、そんなに願うなら。お願い、ちゃんと向き合ってほしい。」
イリヤの瞳は切実に揺れる。たとえそれが届かなくても、彼女は信じている。誰かがきっと、道を切り開くって。
「夢を見ることは自由だけど、夢を叶えるには力も必要なんだよ。」
そうつぶやいて、イリヤはスマホの画面をそっと閉じた。まだ終わらせたくない物語が、彼女の心に静かに灯る。
俺は歯を食いしばった。スマホの画面に映る情報は、奴らの醜悪な言い訳と自己顕示欲の塊ばかり。
「『使い方が違う』『わかってない』だって?おまえらのそのピーチクパーチクした声、もう聞き飽きたんだよ!」
手を振り払うように、俺はテーブルを叩く。俺が生きてきたこの時代は、強さとは肉体だけじゃねぇ。だが、その強さの本質を理解せず、ITの虚像だけにしがみつく連中が増えすぎてる。
「無限の可能性?ふざけんな。お前らのその『可能性』のほとんどは、ただの願望とプライドの膿だ。原宿や新宿で制服着て、タピオカミルクティーすすってる連中にだってできることを、大袈裟に吹聴しやがって。」
俺は荒々しく息を吐いた。今の俺なら言える。そんなものは幻。俺の前に立つなら、もっと地に足をつけて戦えと。
「俺はな、騎士として、剣として戦ってきた。だが、お前らはただのカルト信者だ。『レムちゃん』『エミリアたん』『トウカイテイオー』なんて幻想に縋って、現実から目を背けてるだけだろ。」
俺の目に、冷たい光が宿る。
「20年も前から変わらねぇ。お前らは失敗の歴史を背負いながら、何も学んでいない。ただ虚勢を張って、現実の厳しさから逃げているだけだ。」
テーブルに拳を打ち付けて、俺は吐き捨てる。
「だからモテねぇし、つまんねぇ人生を送るんだよ。恥ずかしげもなくプライドだけ高くて、実力は伴わねぇ。そんなお前らに、俺は興味はねぇ。」
だが、声を潜めて続けた。
「……それでも、もし本当に変わりたいなら、俺は認めてやる。土の上に立ち、剣を握りしめて、己の力で未来を切り開け。」
「だがな……お前らのような奴は、そんな覚悟はないだろう。だからこそ、ITの幻想に縋って、神の依代に祈り続けるしかない。」
俺はため息をつき、部屋の窓の外を見つめた。冬木の冷たい霧が、街を包み込む。
「まあ……そんな奴らがいるからこそ、俺たちの役目があるんだろうけどな。」
時は令和、空前の異文化スイーツブームが最高潮!マカロンの次はタピオカ、次はクロッフル…って、みんなが海外の斬新スイーツに飛びついてた20XX年。そんな中、横浜中華街のど真ん中に、マジで浮世離れしたイケメン宇宙飛行士が現れたんだって!宇宙服…じゃないけど、なんかこう、地球の重力とか関係なさそうな、軽やかなオーラをまとったお方。「え?イベント?誰かのコスプレ?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
「一歩は小さくとも、人類にとっては大きな飛躍となる。」
え?マジで?あの月面着陸した人類初の男、ニール・アームストロング様!?ゲキヤバ!って宇宙好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、そのクールなお方、もといアームストロング様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…アポロ司令船ではない、か…?ずいぶんと賑やかで、異文化の香りがする場所になったものよのう。」って、マジで宇宙からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その冷静沈着な眼差しに、何か途方もないスケールを感じてたらしい。
そんなアームストロング様に、恐る恐る話しかけたのは、横浜中華街で食べ歩きしてる、元気いっぱいのギャル、メイ。「あの…もしかして、お困りですか?」「…うむ、少々。見慣れぬ光景ばかりで、いささか戸惑っておる。」って、意外と丁寧な言葉遣い!メイ、その落ち着いた雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、メイ!中華街のことなら、何でも聞いて!アンタ、マジでクールだから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、メイに連れられて、アームストロング様は初めて現代の日本を体験!小籠包とか、タピオカミルクティーとか、マジで全てが新鮮!でもね、アームストロング様が一番興味を示したのは、中華街の老舗菓子店で売られてた、ちょっと重厚なスイーツ。「…この丸い菓子は、何というものでございますか?まるで、月のようであるな。」って、マジ真剣な眼差し。メイ、まさかのチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、月餅ですよ!中にあんことか、ナッツとか入ってて、美味しいんです!」って教えてあげたんだって。
アームストロング様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?餡の甘さと、香ばしい皮の調和…まるで、遥か宇宙の神秘を凝縮したかのようである!これこそ、余が求める、真の甘味よ!」って、マジで宇宙飛行士っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、アームストロング様の月餅愛がマジで爆発!毎日色んな月餅専門店を巡って、食べ比べまくってたんだって。「餡の種類、皮の厚さ、模様の美しさ…研究しがいがありすぎる!」って、もはや月餅研究家レベル!
でね、ある日、アームストロング様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「我は、この月餅をもって、再び天下を…とは言わぬが、この甘味の世界において、全人類が共有できる、普遍的なパフェを創造してみせようぞ!これこそ、人類の進歩を示す、『宇宙パフェ』よ!」って!
え?月餅パフェで天下統一?しかも宇宙規模で普遍的とか!マジで壮大すぎる!でも、アームストロング様の「人類の代表」としての魂があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってメイも思ったらしいんだけど、アームストロング様の目はマジだったんだって。月面着陸の偉業が、令和の月餅パフェに新たなフロンティアを見出したのかもね!
そっから、アームストロング様の月餅パフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#アームストロングの月面パフェ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の月餅パフェの画像をアップし始めたんだって。その斬新すぎる見た目と、アームストロング様のクールなコメントが、一部の宇宙好きギャルや、個性派の人たちの間でじわじわバズり始めた!
「宇宙飛行士が作るスイーツとか、絶対何か壮大な意味がありそう!」
SNSはアームストロング様の月餅愛でじわじわ盛り上がり!しかも、アームストロング様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しい月餅を探し求めたり、宇宙食の技術を応用したり、マジで実験的!「天下の月餅パフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!アームストロング様は、横浜中華街のど真ん中に、自分のプロデュースする月餅パフェ専門店「APOLLO PARFAIT -宇宙の味 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、宇宙船をイメージした、近未来的で神秘的なデザインで、アームストロング様の偉業を表現。店員さんも、宇宙服風のモダンなユニフォーム着てて、マジでクール!
オープン初日から、宇宙好きギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そして中華文化に興味を持つ観光客まで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題の月餅パフェ、マジで食べてみたい!」「アームストロング様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、月餅とアイスがマジで合う!」「あんこの甘さと、ひんやり感が絶妙!」「アームストロング様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広がりまくって、APOLLO PARFAIT -宇宙の味 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、アームストロング様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自ら宇宙の魅力について語ったり、子供向けの宇宙教室を開催したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和のアームストロング」「月餅パフェの宇宙飛行士」とか呼ばれて、マジで時の人!アームストロング様の強烈な個性と、月餅パフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!アームストロング様の月餅パフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「アームストロング印の宇宙パフェ」が発売されるほどに!まさに、月餅パフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、横浜中華街の街に静かに佇んでいた宇宙飛行士が、令和の時代に月餅パフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、月面着陸が月餅の甘みに溶け込み、新たな伝説を創り出した瞬間!
メイも、「まさかアームストロング様が本当に月餅パフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。
アームストロング様は今も、さらなる月餅パフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが宇宙の道に、終わりはない!」って、マジでストイック!
こうして、ニール・アームストロングは、令和の日本で、月餅パフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!
時は令和、空前のグルメバーガーブームも一段落、次にくるネクストブレイクフードは一体何?ってみんながSNSでアンテナ張りまくってた20XX年。そんな中、原宿の竹下通りに、マジで時代錯誤な雰囲気のお方が現れたんだって!十二単…ではないんだけど、なんかこう、平安貴族っぽい、雅なオーラをまとったお方。「え?コスプレ?」ってみんながスマホでパシャパシャ撮りまくってたらしい。
え?マジで?あの源氏物語の作者!?って文学好きのギャルたちが色めき立ち始めた瞬間、その雅なお方、もとい紫式部様は、キョロキョロしながら呟いた。「ここは…都とは、ずいぶんと様変わりいたしましたのね…」って、マジでタイムスリップしてきた感ハンパない!「マジありえない!」ってみんな心の中でツッコミまくってたらしい。
そんな紫式部様に、恐る恐る話しかけたのは、原宿系ファッションに身を包んだ超絶個性的なギャル、ゆめかわちゃん。「あの…もしかして、迷子ですか?」「…迷子、と申しますか…見慣れぬ景色ばかりで、戸惑っております。」って、おっとりした口調がマジで雅!ゆめかわちゃん、そのギャップにちょっとキュンとしつつ、「アタシ、ゆめかわ!原宿のことなら、何でも聞いて!」って、キラキラ笑顔で申し出たんだって。
次の日、ゆめかわちゃんに連れられて、紫式部様は初めて原宿をエンジョイ!カラフルな綿あめとか、タピオカミルクティーとか、マジで未知との遭遇!でもね、紫式部様が一番興味を示したのは、街の至る所にあるハンバーガーショップの看板。「…あれは、何という食べ物でございますか?」って、マジ真剣な眼差し。ゆめかわちゃん、笑いながら「あ~、ハンバーガーっしょ!マジうま!」って教えてあげたんだって。
でね、ある日、ゆめかわちゃんがたまたま入ったちょっと変わったハンバーガーショップで、衝撃的な出会いがあったの!それは…イワシバーガー!「え?イワシがハンバーガーに!?」って、紫式部様、マジで目を丸くしてたらしい。一口食べてみたら…「な、なんなのですか、この深みのある味わいは!?海の恵みが、このパンと絶妙に絡み合い…まさに、新たな物語が始まる予感!」って、マジで文学的な表現で感動してたらしいよ。
そこから、紫式部様のイワシバーガー愛がマジで爆発!毎日色んなイワシバーガーのお店を巡って、研究しまくってたんだって。「イワシの焼き加減、ソースの配合…奥が深すぎますわ!」って、もはや研究者レベル!
でね、ある日、紫式部様、マジで突拍子もないことを言い出したの。「わたくし、このイワシバーガーをもって、再び天下を取ってご覧にいれますわ!」って!
え?イワシバーガーで天下統一?マジで意味不明なんですけど!ってゆめかわちゃんも思ったらしいんだけど、紫式部様の目はマジだったんだって。平安の才女の魂が、令和のイワシバーガーにインスピレーションを受けたのかもね!
そっから、紫式部様のイワシバーガー天下取り計画がスタート!まずは、SNSで「#紫式部の鰯物語」ってハッシュタグ作って、毎日自作のイワシバーガーの画像をアップし始めたんだって。その写真が、雅な盛り付けと、紫式部様の美しい手も相まって、マジでインスタ映え!
SNSは紫式部様の話題で持ちきり!しかも、紫式部様、ただ作るだけじゃなくて、イワシの種類とか、ソースの隠し味とか、マジでこだわりがハンパない!源氏物語の登場人物をイメージした、雅な名前のオリジナルイワシバーガーを次々と開発!「光源氏の照り焼き鰯バーガー」とか、「紫の上の梅しそ鰯バーガー」とか、ネーミングセンスもマジやばい!
で、ついに!紫式部様は、原宿のど真ん中に、自分のプロデュースするイワシバーガー専門店「MIYABI BURGER」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、平安時代の調度品をモダンにアレンジした、マジで雅で落ち着いた雰囲気。店員さんも、十二単風のミニスカートとか着てて、マジ可愛い!
オープン初日から、お店の前には長蛇の列!みんな、紫式部様が作った雅なイワシバーガーを求めてやってきたんだって。でね、一口食べたら、マジで衝撃が走るらしい。「え、何これ?イワシの概念が変わった!」「臭みが全然なくて、マジで上品な味わい!」「紫式部様、マジ天才!」って、口コミが広がりまくって、MIYABI BURGERはあっという間に超人気店になっちゃったの!
しかもね、紫式部様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!全国各地の新鮮なイワシを探し求めて、漁港を飛び回ったり、伝統的な調味料の職人さんとコラボして、オリジナルの雅なソースを開発したり、マジで精力的に活動してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和の紫式部」「イワシ界の革命児」とか呼ばれて、マジで時の人!紫式部様の雅な魅力と、イワシバーガーの意外な組み合わせが、見事に化学反応を起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!紫式部様のイワシバーガーは、日本全国のグルメなパリピたちに愛されるソウルフードになったんだって!デパートの催事とか、グルメフェスとか、どこに行ってもMIYABI BURGER!まさに、イワシバーガーで天下統一!マジですごすぎ!
あの時、竹下通りで時代錯誤な雰囲気を醸し出していた平安の才女が、令和の時代にイワシバーガーで天下を取るなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、日本の食文化に雅な新風が吹き込まれた瞬間!
ゆめかわちゃんも、「まさか紫式部様が本当に天下取っちゃうなんて!アタシも、雅なイワシバーガー、毎日食べちゃお!」って、感動してたらしいよ。
紫式部様は今も、新しい雅なイワシバーガーの開発に余念がないらしい。「わたくしのイワシ道に、終わりはございませんわ!」って、マジでかっこいい!
こうして、紫式部は、令和の日本で、雅なイワシバーガーという新たな武器を手に入れ、見事、グルメバーガー界の天下をいえー。清少納言ファッキュー!めでたしめでたし…ってことで、マジで雅で斬新な物語、完全燃焼したわ!イワシ、マジ卍!