
はてなキーワード:ミソジニーとは
結論として、既存の研究や批評を総合すると、「美少女」は①男性視線に最適化された性的商品、②従順で反論しない“理想の女”の疑似身体、③オタク男性の欲望と被害者意識を同時に投影できる象徴として位置づいており、そのため現実の女性への敵意(ミソジニー)を表現する際の“旗印”として選ばれやすいと説明できます。
美少女キャラは「見る側=主として男性」と「見られる側=若い女性」という権力関係が前提化された表象として理解されます。
そのため、美少女キャラを掲げて女性を罵倒する行為は、「女の身体は男の消費物であり、評価・侮辱する権利は男側にある」というヒエラルキーを視覚的に再演するジェスチャーになりやすいと考えられます。
VTuber・VRChat・ゲーム配信のアバターデザインを分析したNoel Brett は、「なぜ結局いつも“アニメ美少女アバター”になるのか」を検討し、その多くが巨乳・細腰・大きな目・揺れる胸や尻といった“ハイパー女性的な身体”に収斂していく過程を描いています。
この過程では、配信者と視聴者が「もっと胸を大きく」「もっとお尻を強調して」といったフィードバックを通じて、セクシャルで従順な“理想的女性身体”を共同で作り上げ、異論や拒否の声はそもそも存在しない前提で進むことが示されています。
つまり、アニメ美少女は「反論しない、怒らない、ただ可愛く性的でいてくれる女」の擬似身体として設計されがちであり、現実の女性の主体性に対して苛立ちを抱く人ほど、その対極としてこのイメージにしがみつきやすい構造があります。
日本のオタク文化研究では、「二次元美少女」への没入が、支配的な“モテる強い男”像から外れた男性層にとっての逃避先でありつつ、同時に女性を一方的に消費する権力感覚を与える場にもなっていると指摘されています。
前之園やフェミニズム系の批評では、美少女キャラを巡る炎上が「表現の自由 vsフェミニズム」という図式で語られる一方、実際には“若くてかわいい女性だけが価値を持つ”というルッキズムとエイジズムを極端な形で増幅していることが問題視されています。
一部の論考は、「男性キャラには商品価値が乏しく、オタク市場は構造的に美少女偏重である」と指摘し、どのコンテンツでも“女子高生がやるから面白い”という前提の上で商品設計が行われていると述べます。
心理学的な実証研究で「女叩きアカウントは美少女アイコンばかり」という因果関係を直接示したものはまだありませんが、アバター研究や美少女キャラ批評を組み合わせると、少なくとも次のような理屈が見えてきます。
以上をまとめると、「なぜ美少女が女性嫌悪の表現に選ばれるのか」という問いに対しては、「美少女キャラが、男性の欲望・支配欲・被害者意識を一度に表現でき、かつ現実の女性の声を完全に排除した“理想の女”の記号だから」という形で、既存の関連研究からかなり一貫した説明が組み立てられると言えます。
Twitter上のミソジニーを機械学習で検出する研究では、テキスト内容(罵倒語・女性蔑視表現など)の分類に集中しており、発信者のアイコン画像やキャラクター表象までは分析していません。
Noel Brett の論文「Why Do WeOnlyGetAnimeGirl Avatars?」は、VTuberやVRChat由来の「アニメ風美少女アバター」が、視聴者と配信者の共同作業によって巨乳・細腰・従順でエロティックなヘテロ規範的女性像として再生産されていることを示していますが、「女叩きとの関連」までは扱っていません。
この種の話題を拾ったまとめブログやニュースサイトもあり、「女叩きアカウントはアニメアイコンばかり」という印象やアルゴリズムによる強化(同種アカウントばかりタイムラインに出てくる)を説明する言説はありますが、体系的データに基づいた社会学的分析というより、ネット民の実感・風刺レベルにとどまっています。
男叩きする女性側は「可愛いが性的ではない」ゆるキャラ・レトロアニメ・ペットなど性的に表象しないアイコンに散らばりやすいという観察は、女性がオンラインで性的対象化されることを避けるという先行研究の傾向(男性アバター利用など)と整合的に見えます。
女性ユーザーが男性アバターを用いる理由の一つに「男性からのハラスメントを避けるため」が挙げられており、「アバターの見た目が攻撃の標的/盾になりうる」という発想自体は、すでに研究テーマになっています。
あなたが探しているような「女叩き男性=美少女アイコン vs 男叩き女性=多様アイコン」という対比を定量的に示した学術論文は空白地帯なので、むしろ新規性のあるテーマになりえます。
https://x.com/MurasakiScience/status/1995432076150223346?t=vxyqDGr4fOouuHDfhoRMmw&s=19
そもそも『料理研究家名』信じてるからなミームは「あかり信じてるからな」から。
あまりに簡略化され、どんな味になるのか想像もつかないレシピからまさかの美味しい料理ができる長谷川あかりレシピを作る際にそうポストした女性がバズったのが始まりだ。
リュウジ信じてるからなは、料理と関係ないポストも目立っていたが、それに乗っかりエロ露出巨乳垢の女が男向け宣伝で乳をバルバル揺らすダンス動画を上げ、それをリュウジが引用リツイートで晒し上げ、それを見た男のツイートが上のこれ。
女が楽しんでいたミームを男も使い始めた結果、男向けにエロアカウントが宣伝投稿し、それをリュウジがわざわざ晒し上げ宣伝の手伝いをした話で、女が参入したから終わったとか言うのは図々し過ぎると思うが結構バズっててびっくりした。
料理と関係ないクソ面白くないポストの中でエロ垢だけ晒し上げるの、リュウジのミソジニーがにじみ出ててネチャネチャしててきめえんだよ。
男女平等を主張し女性差別を許さない!とイキって息巻いている割に
「男は責任取れ、働け、稼げ、成長しろ!」と男尊女卑のフェミニストの様な事を主張するのが女性差別を主張する女性であり
女性が成長しないで責任を取らず、責任能力を否定し、幼児のまま大人になった子供大人、アダルト・チルドレンとして
男性や社会パパに保護される世界観を望んでいる事が丸出しだからだよ
で、こういう指摘をすると「ミソジニー!」「痴漢キモい!」「どうせ女をあてがえって思ってんだろ!」「アニメばかり見て女性差別心がー!」
などと、関係ない事を叫んで発狂しながら煽ってくるから、頭悪いというか人間として対等な会話が出来ないと思われているからだよ
女性たちは少しはまともに、人間として対話が出来る様になって下さい
最近、高市早苗が叩かれてるの見るたびに「これ政策関係なくね?」って思うんだけど。
なんか“女が前に出たときの空気の重さ”みたいなの、あれ普通に出てるよね。
もちろん建前では「政策が〜」って言ってるんだけど、
実際に回ってる批判ってさ、政策じゃなくて態度とかキャラとか声のトーンとか、
そういうどうでもいいところばっかじゃん。
男の政治家が同じテンションで喋ってたら「強硬派だね」で終わる話なのに。
てか、なんで女だと「ヒステリック」ってワードが突然ついてくるの?
あれ、毎回見ると「はい出た」ってなる。
あと“女性首相”ってだけで意味わからん拒否反応起こしてる層いるよね。
(で、こういうこと言うと「フェミが〜」って返してくるまでがセット)
叩かれ方がとにかく雑なんだよ。
正直、政策より性別フィルターの方が強く効いてる場面多すぎてさ。
あの扱い、どう見てもミソジニー混ざってるよね。
男磨きハウス第一話を観た。エシカルな戸塚ヨットスクールだった。
男磨きハウスや戸塚ヨットスクールは、弱さを受容し素直にエシカルコミュニティで自助ができる、医療や福祉制度を活用できる人間にとっては不要で邪悪だ。しかし、そうできない人たちは存在する。男磨きハウスも戸塚ヨットスクールもそういう人間の為の慈善活動だ。
https://youtu.be/DA2Z1EACF7c?si=1V_nzBzisBB386gB
現代の男が男らしく弱さを受け入れる過程は↑の動画でわかりやすく説明していた。彼らは家父長制的な男ではあるが現代の形にアップデート済みで女にとって不快感の少ない"ミソジニー"ではない男だろう。
彼らは、この企画のように恋愛市場で彷徨える女たちに対し、わりに的確なアドバイスを出せる側の男たちであり、後述するが男磨きハウスが必要な男の為のコンテンツではない。
話を戻す。
ジョージも戸塚も自分の道筋で"生きる"ことができたから、「同じような人間には同じような道しか示せないやろうが!」とそれを理解できない人たちにキレている。
ただそのアウトプットが女やエシカルな繋がりを持てた人たちからすると邪悪に映るだろう。しかしジョージや戸塚の救済対象は、"普通の話が通じない男"だから仕方がない。
フェミニズムはツイフェミやフェムセルという通称の存在が生まれたことで分岐し、元からフェミニズムに大した関心のない人からするとフェミニズム=邪悪な女権主義者たちの集まりと認識されているのも同様の動きであるといえよう。
彼女らは明らかに"やりすぎ"である。男嫌いであることを真っ当な権利運動の名の下で悪用している。しかし、では、何が彼女たちを救ってくれただろうか?それは男磨きハウスや戸塚ヨットスクール、ひいてはナンパ師界隈などに通ずるものがあるだろう。
救いたい形をしていない弱者。
救いたい形をしていない弱者の孤独死を防いだ結果、世間的にはアンエシカルな声明を出す事になる。そういう極端なPR活動をしていかないと話を聞いてもらえないのだ。普通の話が通じない人間にいつまでも普通の話をし続けるのは残酷だという事にエシカルな人間は配慮すべきである。その上で邪魔だろうから、批判し続ければいい。
健常者で精神疾患者や発達障害者と関わったことのある人なら心当たりがあるだろうが、彼らは「寝たらよくない?」とか「考えすぎじゃない?」とか思うような事で堂々巡り、普通の人ができる作業をできない、訳のわからない事を堂々と語って周りをドン引きさせている。
彼らは決して人格破綻者として生まれた訳ではない。そう生まれたからそうで、たまたま不幸を乗り越えれなかったからそうなのだ。
戸塚ヨットスクールはクライアントを死なせているが、医療や福祉現場でも人はじゃんじゃんバリバリ死んでいる。
しかしそれらの違いは明確で、戸塚ヨットスクールは訓練生の死亡、傷害致死、行方不明が発生していた件に対し、不審な介入ではないか?と判断されたのだ。戸塚の教育方針とは別で批判されるべき出来事であろう。医療や福祉現場でも不審死が発生し隠蔽工作をしていたら問題になる。それと同様に彼がどれだけ立派な教育を施していようが、そこに死人や負傷者が出て不審と判断された時点で「医療ミス」同様に鑑査される。それを避けては通れない。仕事の名の下で性交渉や危険行為が許されている社会で、体罰が体罰として問題視されるのはクライアントと正確な同意が取れていなかったからだ。
戸塚ヨットスクールはエシカルな組織が救えなかった存在の三次受け入れぐらいの場所だったのだろう。
正直、そういった過酷な現場で働いていたら疲弊するし、クライアントも目を離した隙に死のうとするだろうし、命がかかっているから従事者の性分も攻撃的になるだろう。医療従事者が特有の気の強さを持っているのと同様だ。
戸塚の思想そのものではなく、ああいった活動をしていると必然的に語気は強くなる。ゆえにエシカルな人々からすると"無用に語気の強いヤバ思想おじさん"となる。語気強もヤバ思想もあなた方のような救いたい形をした人たちの為ではなく、どうしようもない救いたい形をしていない人たち、それに直接迷惑をかけられている身内の為にしか存在しない。
しかし、彼らが抱えれる存在を私が救えたか?と言われれば難しい。
どれだけスティグマを払拭した語りをした所で彼らは「だって今はそういう社会になってないもん!」が主訴だから。
革命を起こす体力や精神力すらもない人間は素直に弱さを引き受ける事なんてできない。
拝金できたとしても、なれない、なりたくない健常者が殆どだろう。なろうとも思わない。
男の話しか聞けない男っているでしょう。
ジョージの救済対象は、男の話しか聞けないのに男に手を差し伸べてもらえなかった男だ。
無論、女の話を聞けない男を女が救える訳がない。女にいじめられた経験があったのなら尚更。尊敬できる対象からの暴力は"可愛がり"になるが、尊敬できない対象からの暴力は"いじめ"になる。自分をいじめてくる女に心を開き、素直になれる訳がない。
男に畏れている男は女にケアを求めるので恋愛に依存できるが、男に憧れている男はそういう男に憧れて女を見下しているので"女を見下している真の男"に救われるのを待つしかない。
なのに...。
待てど暮らせど、真の男は自分を救ってくれない。何故か、そういった男は既に仕事でそういう男たちを従えているからだ。真の男はサラッとあなた達のことを"なかった"ことにしている。小中学生の同窓会の時だけ「そんなヤツもいたな〜」程度に思い出す。
わざわざ「救済しよう!」なんて発想は彼らには最初からないのだ。人が人を救済するのは医療従事者の仕事であり、彼らが怪我をしたら病院に行ってついでに傷病手当を貰って仕舞いなのだ。彼らはただ生きているだけで男社会の上に立ち多くの人間を救済しまくっている。まともな努力をして結果が出るので、苦労も糧にできる。
そういう組織に入れない、そのパスを死に物狂いで掴めなかった男のことは"見えていない"。
そういう男は同性に対しても面倒見は良い。多少のことは雑に扱われることを許せば大目に見てくれるのだ。しかし、ここで篩にかけられるのは"雑に扱われるのを許せなさそうな男"だ。上司は男の恋人ではないので、恋愛じみたものを仕事に求めてきそうな人間は落とされる。まず出会えない。パワハラ、モラハラは起きないにこした事はないが、それらは下からしか生まれないので、ちょっとした事で騒ぎそうな人間は不要だ。だから"見えていない"。
彼らが尊敬する男たちは、無意識に、彼らにとっては残酷に、女を性愛対象と恋愛対象で天と地ほどの違いを持って、その上で適切な扱いが可能な為、交際しようが何だろうが結婚相手を選ぶまでは殆どデーティングだ。"男に見えていない男"は面倒で抱けない女と同等の存在なのだ。会った瞬間に無用な面倒事を察知する能力は野生の本能そのものであり、ミソジニーになる迄拗らせる未来を防ぐ。
戸塚やジョージやナンパ師は「お前の仲間だ!」と示す為に親切に女叩きをしてくれるし、エシカルは敵だと背中を摩ってくれる。
そういう男の哀しみがすこし分かるのだろう。
このふたりはどう考えてもこの時代の日本にはそぐわなかった価値観を持つ"変な男"ではあったのだ。男のマイノリティだから"見えた"のだ。この時代に発生した苦しみのひとつとして、そこからあぶれてしまった男たちに手を差し伸べるのだろう。
差し伸べられた手を掴むこと
それは如何様に気持ちの悪い男であろうと女であろうと、それを掴む限り、まだ生きてみようと思える希望そのものだ。男磨きハウスを観るに、ジョージは戸塚に比べて随分とやさしいと思う。救いたかった筈の訓練生の死から反省ができた世界線の戸塚だ。私はもう第一話でお腹いっぱいになってしまった。訓練生に恨みはないが、彼らのナチュラルな気持ちの悪さが次から次へと出てくるのでカロリーが高く、第二話に進めない。しかし内容はとても面白かったので「男ってなんだろう?」と思う人たちには是非試聴してもらいたい。面白くはある。
ジョージは訓練生の肉体を管理するどころか、射精管理までして、逃げ続けた所で救われることはないし一度でいいからお前を気持ち悪いとは思わない女に出会えるだけの力を与えてあげようとする。ジョージには良妻賢母の忍耐がインストールされている。