
はてなキーワード:ミキサー車とは
1994年、あの時、壁画法の解釈が拡大してグラフィティは肥大化していった。スプレー缶は飛ぶように売れて、すべてが無地の壁に吹き付けられた。ラクガキを消すには上書きをするしかなく、上書きできるのはより優れたグラフィティのみ、これを犯せば裁判。場合によっては私刑で、その最高刑は極刑だった。
2024年、今、もはやまっさらな壁など見当たらない。コンクリートが重力に逆らって立てば、生乾きのうちに壁画になる。いかなるミキサー車もスケートボードに乗った悪童を2,3人は引き連れているといった次第だ。30年前と違うのは遊び心。壁画の殆どは広告であり、すべてに自然に、あるいは義務感を帯びて唐突に3次元コードが埋め込まれている。半VRグラスを介して3営業セカンド以内に購買の意思決定が行われる。本人が決めるのではない。18年以上グラスを着用している責任能力のある成人本人から学習したモデルが機械的に500ms以内に決定、本人の拒否が2.5秒以内に行われなければ購買が成立する。広告は、機械とシステムが行う作用になった。
義務教育の遠心力で飛び出したガキが壁画の制作過程を出稿主か代理店かに見せて報酬を受け取る。多くの場合は公共の配信サービス上に動画が上がるので、それをもとにウマそうな場所を特定して上書きする。
元動画に紐付けられたマウントは、その手早さによっては追加報酬が得られる。元動画を上げたガキは数時間分の報酬しか得られなかったりなんてことはザラで、腕が悪いなら夕方にこっそり上げるのがスジだったりする。昼は不良が、深夜はバイト帰りの専門学生が、朝はプロが徘徊しているのだ。
しかしこうも過熱すると壁画を消してしまうということにも利益が発生する。法律上それは許されないはずだが、色彩過敏科のある10床以上の規模の医療機関を構成する壁、清掃会社の本棟東側の壁、にはあらゆる清掃が可能等々の例外がある。そこにライバル会社の広告を出稿させ、消してしまう。清掃の場合、動画に上書きの証拠を紐付ける必要はなく、ストリートビューが更新されるまで発覚しない。消えている間は無駄な広告費が発生する。それはライバル会社の利益といえる。
そして2025年、近未来、下井草というとらえどころの無い土地では「童z(ワッズ)」「株式会社アトカブ」「キエルヒャーCorp北日本支部」による、傾斜60度以上の平面の塗り合い、毛試合が始まろうとしていた…長い長い戦史はライフの西側の壁から始まる。
■挨拶がコラァ!だったおじさんの話
私の地元は地方都市の都市部から1時間ほどかかる、まあそこそこの田舎町で、住宅地を少し外れると田んぼや放置された畑が広がっているような土地柄だった。田舎特有の濃い人間関係や噂話は大嫌いだったが、むせ返るほどの草木の緑や、稲穂が金色に輝いて風に揺れる様を見るのが好きだった。
私の実家周辺は1人の地主が土地を抱えており、そこの地主はコンクリートミキサー車の運転手と、稲作農家の兼業農家だった。父の古い知り合いで、安く土地を譲ってもらったと聞いた。丘の上で見晴らしの良い実家を家族は全員気に入っていて、仕事のことや人間関係の面倒ささえなければ、今でも私はその周辺の土地に家を建てたいくらいだ。
土地を買った時私はまだ幼かったので、地主のおじさんのことを、私は「タロのおじさん」と呼んでいた。タロというのは、地主の家で飼われている犬の名前である。このタロのおじさんというのが中々にファンキーな親父で、幼い頃から度肝を抜かれてきた。
まず、小学校からの帰り道、農道をぼんやりしながらひとりで帰っていると、後ろから「コラァ!!」と声がする。「コラァ」なんて可愛いもんじゃなかったかもしれない。「グォラアア!!」とか、そのくらいの勢いがあった。気がついたら後ろに馬鹿でかいコンクリートミキサー車があり(移動音に気づかなかった私も大概だが)、その窓から、タロのおじさんが強面でニヤついている。なおこれが彼の精一杯の笑顔である。いつも目は笑ってない。
「なんしよっとかぁああ!!帰りよっとかあ!!」
乗っていくかぁあ!と続いたので、私は大慌てで首をブンブン振って走って逃げた。
タロのおじさんは近所の至る所に出没した。しかし必ず声かけは大音量の「コラァ!!」だった。至極ビビりで大人しい性格だった私はその度に心臓を震え上がらせた。タロのおじさんは大抵、ミキサー車か軽トラかトラクターに乗っており、腰に鎌を携え、作業着か肌着に麦わら帽子をかぶっていた。考えてみてほしい。ビビリの小学生女子がそんな戦車に乗ったモンスターの様な佇まいの親父に毎度コラコラ言われるさまを。第一、何も悪いことなどしてないのに、何故コラから入るのだろう?普通、こんにちは、とかじゃないのか?と幼心に理不尽を感じ、タロのおじさんに会うとすぐ逃げまくっていた。
タロのおじさんは私の実家にも時々出没した。
気がつくと、大きな梯子と枝切り鋏を抱えてやってきて、庭木の剪定をしているのだ。
「庭木が伸びきっとるのが下の道から見えたけぇ切っちゃっとるぞ!!」
母と私はザクザクと切られていく庭木を唖然として眺めていた。帰ってきた父が、若干ハゲになった庭木と庭に散らばった切られた枝葉(ちなみに片付けはしない)を見て驚いている。
それから、父が頼んだわけでも、もちろん母が頼んだわけでもないのに、タロのおじさんは嵐のようにやってきて、勝手に剪定していった。今やったら住居不法侵入罪とかの結構重めの罪になるのでは?と思う。でもタロのおじさんは純粋に親切でやっていたのだと、今なら多少無理矢理だがわかる気がする。
そう、タロのおじさんは基本的にめちゃくちゃアクティブな善人だったのだ。
付近の山に害獣の猪がでれば罠を仕掛けて仕留めるし、子供を見れば怖がられても声をかけて様子を見ているし、隣の土地の雑草や田畑の世話をし、犬も猫も鶏も沢山飼って可愛がっていた。
あの土地のことが好きだったのだろうと思う。多分私も、その一部だったのだ。
今、私は母親として都市と言われる場所で暮らしていて、地域の人との関わりといえば本当に限定的なものでしかないし、そんなおせっかいすぎるほどおせっかいなおじさんやおばさんは居ない。上品で物腰の柔らかい、決して私たち家族に深入りをしない、好ましい距離のとりかたを分かっている人達ばかりだ。田舎者の私はその上品さにたじろぎながら、ここでの人との接し方を学んでいるところだ。
別にタロのおじさんみたいな人になりたいわけじゃないし、私の娘がタロのおじさんみたいな人に会って、「コラァ!」と声をかけられたら、絶対警察に連絡する。絶対にだ。
それでも、タロのおじさんのことが時々懐かしくなる。あの乱暴なおせっかいが懐かしくなる。
タロのおじさんは、マムシに3回噛まれて呆気なく死んでしまった。だから最期に会ったのは、初盆の遺影の前。天国でもミキサー車で乗りつけて、乱暴なおせっかいを焼いているのだろう。
また会う日まで、タロのおじさん。
ミキサー車の運転はいいよね。朝は早いし時間には追われるけど、配送時間は一回90分以内だし、終業は夕方五時頃。そして冬休みが長い。
デメリットはといえば、一度工場を出発すると途中休憩は取れないことと、自分のミキサー車の洗浄という水仕事があること。
工場によっては「はつり」作業(危険・重労働)を自分でやらなきゃいけない。あと最近は24時間営業の所もある。そして二次製品の製造もしているとクソ重い製品を人力で運んでいたりする。そういう職場を選ばないように、大きい工場でミキサー車の運転業務だけを担当するならば、女性でも気力体力のない男性でもできる。