
はてなキーワード:マーケティングとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2663109
もともとは「高市総理は敵をdisらない」、「いやいや、支持者がdisっているだろう」みたいな話だったけど、この支持者によるdisりって政党が何かしようがしまいが勝手に起こるモノで、"外注"とは違うように思うんだよな。
"外注"って言うと悪い政治家が裏で糸を引いて支持者を操り、敵対政党を攻撃してるみたいになってしまう。
そして案の定というか、はてブみたいな特定党派への憎しみが強いところにそうした言説が流れ込むと、たちまち「○○党ガー」という陰謀論に変わっていく。
ブコメでは自民批判の大合唱だが、支持者による他党へのdisり合戦なんてどこもやってることでしょ。
主張に対する主観的な正しさのジャッジを除いて客観的に見れば、自民支持者だけが特別悪辣な言動をしていたとは思えないし。
なんなら、これは俺が左派寄りのエコーチェンバーにいるからそう感じるだけかもしれないが、「#ママ戦争止めてくるわ」(=自民は戦争をする党というdis)を筆頭に、バズらせ力なら左派の方が勝ってるくらいじゃないか? 結果はむしろマイナスに働いた感はあるが……。
物量に関しては圧倒的に自民支持者によるdisの方が多かったように見えるけど、これはそもそも民主主義における支持者による草の根応援活動って、もともと人気政党の方が参加する人数も増えて、勝ってる方をより勝たせる仕組みなので、悪辣さとはまた別な気がする。
(そうした偏りを生む仕組みを好ましくないモノとして一定の規制が必要では? という主張には一考の価値があるが、それはまた別の話なので置いておく)
陰謀論に傾倒するより考えるべきは、今回の選挙で「他党への批判は支持者がやってくれるから自分達は自己アピールに注力して多角的な選挙戦術を行った政党」は昇り調子で、逆に「支持者が他党批判をしているのに自分達まで批判に一生懸命になって有権者に食傷気味にさせ、しかも自己アピールが疎かになっていた政党」は結果が振るわなかったという、選挙における広報・マーケティング戦術の部分だと思う。
清繭子さんという早稲田大学政治経済学部卒で出版社勤務の経歴を持ち、WEB連載に加えて書籍も出版しているプロのエッセイストが発端です。
出版社での勤務によってマーケティングの手法は熟知しているかと思われます。
繰り返し小説家になりたいと言い続けているため、おそらく手段を選ばず名を売りたかったのでしょう。
左翼どころか、経歴及び文章の内容を見るに、当人は多分ネオリベ。比例区はチームみらいに入れてそう。
後ろめたく思う必要がないのはその通り。
責められるべきだとしたらあたかも市井の一主婦のような態度で振る舞った清繭子さんであり
騙された人達は悪くない。
@cobta
「#ママ戦争 を素朴な声だと感じて投稿したのは左翼に見えて失敗だった」と反省をお見かけたので。あれを失敗と呼ぶ人がいますが本当のところは不明です。たぶん結果に関係ない。あれはきっと憲法改正を止める上で必要なプリミティブさを持つ言葉です。後ろめたく思う必要はなく、大事にしたいです。
SNSではチームみらいのショート動画が得票の割に再生数少ないと指摘されているが、マーケティングの観点からは的外れ
なぜ彼らに支持が集まったのか。理由は極めてシンプル。みらいの提示した政策パッケージが、他党と比較して設計強度が圧倒的に高かったから。ただそれだけ。
得票分布のヒートマップを見れば一目瞭然だ。江戸川区や葛飾区では低調だが、中央区・港区・千代田区といった、いわゆるパワーカップルや高度専門職が集うエリアで支持がある。ここの支持層は日頃から膨大な文書を読みビジネスを動かしているホワイトカラー層だ。残酷なほどに、平均年収と支持率が正の相関を描いている。
そして彼らは、テキストを読むことに苦痛を感じない。むしろ15秒で消費されるだけのコンテンツに情報の欠落を感じ、不信感を抱くものだ。彼らはみらいのマニフェストを実際に読み、その持続可能な社会保障システムへの再設計案を自分で咀嚼し評価した。
一方で、ショート動画をバズらせていた他党の支持者は長文のテキストを読む習慣がなく、あるいは複雑な因果関係を理解できなかった。
誤解を恐れずに言えばショート動画というフォーマット自体が思考のリソースを節約したい層に向けた麻薬のようなものだ。それに脊髄反射して投票行動を決めてしまう層と、文章を読み込んでその実現可能性と自身の資産への影響を計算して投票する層の間には、富の格差以上に深い絶望的なまでの認識力の断絶が横たわっている。
おもしろいのは、この支持が都心部だけに留まらなかった点だ。これは陰謀論で言われているのとは異なり、東京ほどではないにせよ、一次情報に当たり政策を読み解くことができる層が関東以外にも残っていたという証左だ。場所がどこであれ、読む人は読むし、理解する人は理解する。動画しか見ない層を最初から相手にせずとも、文書を読める有権者だけを効率よく囲い込めばこれだけ戦えるということが証明されてしまった。
だが、ここからが大変だ。キャズムを超えマジョリティ層まで届かせるつもりなら、ショート動画でしか物事を判断できない層に向けて政策の解像度を極限まで下げたコンテンツを作らなければならない。論理を感情に翻訳し、正しさを削って分かりやすさを取る。 次の戦いはそこになるだろう。
はっきり言って失恋したとかで泣くような人間を若干冷笑していた節がある。恋愛で一喜一憂するなんて女々しい。漢なら当たって砕け散れ!などど思っていたのも束の間、本当に砕け散ってみるととても耐えられそうにない。寝ても覚めても悪夢が続いているような感じで、今ならbacknumberでさえ共感できる。
相手はバイト先の先輩だったんだが、急にご飯に誘って基地外と思われるほどの距離感とかでは全くなく、休憩が被れば一緒に話したり、ゲームの話題でdmのやりとりをできるくらいの仲だった。
その先輩を飲みに誘った後、気になっている旨を伝えて2回目のご飯に誘ったら、「好意には応えられないけどまたご飯に行こうね」とのこと。半年前からの片想いも虚しく散ったわけだが、何よりも苦しいのは、先輩に迷惑をかけたり気持ち悪がらせたりしてしまったかもしれないということだ。
人に好意を伝えることは独りよがりで暴力的な行為になりうるというのは重々承知している。相手だって人間なのだ。昔読んだ横槍メンゴの「クズの本懐」を思い出す。「興味のない人から向けられる好意ほど気持ちの悪いものってないでしょう?」まさにこの感じだ、タイピングしてきてまた涙が出てきた。好きな人を気持ち悪くさせてしまって申し訳ない。顔ない、横転、墓地が無料のうちに急いで死ぬべきだ。平安時代ならこんなとき、袖を濡らすとか血の涙で手紙を書くだとかいうけれども、気持ちの悪い人間が泣きながら増田を書いたところで何の詩的情緒も感じられない。とにかく何か別のことを考え続けないと涙が止まらないのだからしょうがない。
問題は、仮に先輩を気持ち悪がらせてしまったとしても、ここで先輩に対して「変なこと言ってすみません。全部忘れてください」とか謝罪したところで、それはそれで先輩がたとえ社交辞令でもまたご飯行こうといってくれた優しさを無下にすることになる。はっきり断ってくれた先輩はむしろ優しいし、正しいし、そういうところが好きなんだよな。振られたけど間違いなく最高の一日だった。
それで思ったんだが、人間の矜持として先輩に恨み節になったりするのは絶対に違う。なぜなら好意を発露した自分がすべて悪く、先輩をこれ以上傷つけるようなことは断じてしてはならないからだ。そして振られた側は、相手に罪悪感を抱かせたり、これ以上気を遣わせたりしないためにもう何もすべきではない。
何もすべきではない。これが一番つらいのだ
もし何かできることがあるなら何でもする。好きな子のためなら泥水だってすするぞ、ズズズッとな。でもこれがもう何もすべきじゃないんだ。先輩とは友達以上の関係になれることは確実にないし、必要以上に連絡を取るべきではなく、もちろんバ先で少しも態度に出すべきではない。だからやり場のない思いをクネクネ書いているわけだ。世間一般的には失恋について、時間が解決するだとかいうけれども、その時間経過が一番難しいンだよな。backnumberや諸々を冷笑していた自分が情けない。失恋は何でもないよくある些細な悩みで、身近に起こりうるんだから作風やマーケティングは完全に正しい。恋愛はいつの時代も普遍的な一大コンテンツだ。失恋系Vtuverにでもなって赤スパで儲けたい。
先輩は「自分から人を誘える人は強い」と言っていた。自分としてはかなり勇気を出して先輩を誘ったつもりだった。でも出すべきじゃない勇気もあったらしい。
実際それはそうで、成人過ぎてこれまで気になっている人をデートに誘うなんてことは初めてだったし、それを普通にしているような人は本当に強いと思う。だからせめてもっと強い人間になれるように恋愛だけではなく人に積極的に声をかけ誘える人間になりたい。
一方で、今回みたいに出すべきではない勇気を出した場合、人を誘う強さは相手に不快感を与えうる。
かといって、人に声をかけないのは何も学んでない。私はもっと強い人間になりたい。
結局のところ、相手を不快にさせたり自分が傷ついたりする覚悟と責任を背負ったうえで人と関われる人間が強いということなんだろうな。
あと俺の伝え方が悪かったんだろうけど、
そんなもん例えば仮にも周囲に気を遣いすぎて現状をブレイクできない(それがまず描けてやいけど)彩葉に対して
かぐやは破天荒でそういう日常を壊すキャラ…って枠組みだけど、それ出来てねーじゃん。
なんでかっていうと視聴者を少しでも不愉快にさせられないから、コンプラ破るような行動を排除してるからだよね。だからキャラにも魅力がなくなってる。というのは、まあ言い訳だよね。コンプラ守りながら描写もできるよね。でも怠ってるよね、何故なら製作陣が無能か怠惰、その両方だからだよね。
そんでそういう舐めた作品を許容するカスが視聴者だからだよね。
そういう意味で、この作品褒めてるクリエイターは信用できないよね。
そりゃそうだよな、こういう作品売れてた方が都合がいいもん。
小説まで読んだ上で製作陣がキャラクターの精神を軽んじてるのはもう明白だけど、
この作品ってとことんメカニズムやエンジニアリングを軽んじてるじゃん?
(それでSFです笑みたいな面してるのもムカつくが)
VRまわりの小道具もカスだし(ガイドブックにその辺の設定まるでないのがマジでビックリしたわ)まあコンタクトでいいじゃん、みたいな。「こんなもんでよかんべ」という。
加えてライブにしろ義体にしろ配信にしろ「目標をどう実現するか」というエンジニアリングを「お前ら馬鹿だからどうせこういうのつまらないっしょ笑」みたいな舐めで省略しだす。
で、ワールドイズマインもアレなわけじゃない?歌のことも舐めてるわけじゃん?
精神を軽んじて物理を軽んじて文化を軽んじて、何なら軽んじてねえの?マーケティング?
で、そういうコストかかるものをやらない作品でいいや、って客多い方がいいもんなクリエイターは。
客には馬鹿であってほしいよな?
サボって作ったもので馬鹿が喜んで小銭投げてくれた方が都合いいもんな。計算で作ったものが計算通りウケる世の中であってほしいんだよ怠惰だから。
だからこの作品褒めてるやつは客を馬鹿にしてるとかじゃなくて、客に馬鹿であってほしいというスケベ心があって、それを表明してる。
そういうのに乗せられんなって言ってんだよな。
もともと、双子が子づくりさせられる部分だけがある日突然アフィカス垢によって流されるようになって普通に不快だな~と思ってたら、どんどん不快感が上がるような広告ツイートになっていった
最初は子づくりさせられるとこだけだったのに、ある時から双子がだるまになってて、そんで最近は胎児ラーメン
キショすぎるから出さないでほしい。ブロックしてもブロックしても次から次へと流れてくるんだけど
でも自分だけかと思ってたら(お恥ずかしながらエッチなイラストをいいねしまくっているので、そのせいでこれも流れてきたのかと思っていた)みんな言い始めたから違うんだってなった
あの作者に対して悪く言いたくはない。あくまでもあれはXのマーケティング広告機能の話だと思うし。
ただ、隠れていたものをほじくり出されたのは申し訳ないが、こうして表に出てきた以上は引っ込んでいてもらいたい
選挙マッチングという仕組みは、一見すると民主主義の効率化装置に見える。
質問に答えれば、自分と政策的に近い政党や候補者がランキングされる。
政治を知らない人にとっては入口になり、情報格差を縮める便利ツールにも思える。
選挙マッチングとは、政策選好の測定装置ではなく、選好の生成装置である。
測っているように見えて、実際には作っている。
つまりこれは、統計的インターフェースを装った政治的誘導であり、より正確に言えば工作のためのプラットフォームになり得る。
工作という言葉を聞くと、多くの人は陰謀論を連想して思考停止する。
単に他者の意思決定を、自分に有利な方向へ動かすための設計を意味する。
広告も、マーケティングも、SNSアルゴリズムも、すべて工作である。
そして政治は消費よりも致命的だ。
つまり、政治における工作は、単なる情報操作ではなく、社会の支配構造を設計する行為になる。
しかしマッチングは、質問項目を通じて意見を低次元のベクトルに圧縮する。
ここで何が起きるか。圧縮とは情報の破壊であり、破壊される情報は設計者が選べる。
つまりマッチングは「この国の政治はこの論点でできている」というフレームを強制する装置になる。
政治とは本質的に「何を議題にするか」のゲームであり、「どう答えるか」は二次的だ。
しかも選挙マッチングは、その世界観を「中立な診断テスト」の形で提示する。
中立に見えることが最大の武器だ。これは医療診断の権威を政治に転用した詐術に近い。
人間は「あなたはこのタイプです」と言われると、それを自己理解として内面化する傾向がある。
つまりマッチング結果は、単なる推薦ではなく、アイデンティティの付与になる。
たとえば「格差を是正するために富裕層への課税を強化すべきだ」という問いは、一見公平に見えるが、すでに「格差は是正されるべきである」「富裕層課税は是正の手段である」という価値前提を埋め込んでいる。
問いは中立な容器ではない。問い自体が論理式であり、前提を含む。言語は常に誘導する。質問を作るとは、政治的現実の記述ではなく、政治的現実の編集である。
ここで「いや、回答者が自由に答えればいいだけだ」と言う人がいる。
しかしその反論は、情報理論的に幼稚である。人間の意見は、質問形式に依存して変化する。
フレーミング効果、アンカリング、選択肢の提示順序、否定形の有無、尺度の粒度。
つまりマッチングは、ユーザーの「元々の意見」を測定しているのではなく、質問に曝された後の「変形された意見」を測っている。
しかもマッチングは、最終的に「あなたはこの政党と一致度85%」のような数値を出す。
ここで人間は数値に弱い。数値が出た瞬間、それは客観的事実のように見える。
だがその85%は、設計者が定義した距離関数の結果でしかない。重み付けを変えれば順位は変わる。
質問の重要度を均等にするのか、特定争点を強調するのか。政策一致をコサイン類似度で測るのか、ユークリッド距離で測るのか。曖昧回答をどう扱うのか。未回答をどう補完するのか。
これらの選択は数学の衣を着た政治判断である。数値は政治的意思決定の上に乗っているだけで、政治判断を消し去ってはいない。
選挙マッチングが工作になる第二の理由は、二値化による思考破壊だ。
政治的問題の多くはトレードオフである。たとえば防衛費増額は安全保障を強めるが財政を圧迫する。
移民受け入れは労働供給を増やすが社会統合コストを伴う。規制緩和は成長を促すが安全性を下げる場合がある。
現実の政治判断は、複数の目的関数の同時最適化であり、パレートフロンティアの上での選択である。
ところがマッチングは、これを「賛成か反対か」の単純なビット列に変換する。
つまり政策を理解する能力ではなく、反射神経を測るテストになる。こうして政治が「道徳クイズ」へ堕落する。
利害調整、官僚機構の制御、外交交渉、予算編成、法案作成、危機対応。政策は宣言であり、実務は別物だ。
マッチングはこの現実を完全に無視し、「政策の一致度」という最も分かりやすい幻想だけを見せる。
これは、料理を評価するのにレシピだけを見て、調理人の腕も厨房の設備も無視するようなものだ。
ランキングは、人間の意思決定を強制する。上位にあるものは正しい気がする。これは認知心理学のヒューリスティックであり、探索コストを減らすために人間が採用する合理的なバイアスだ。
マッチングはこのバイアスを利用し、ユーザーの投票行動を数候補への収束に導く。
これが何を意味するか。選挙マッチングは、選挙市場における需要の誘導装置になる。検索エンジンの上位表示が商業を支配するのと同じ構造が、民主主義に侵入する。
そして最も危険なのは、マッチングの背後にある主体が不透明な点だ。
誰が運営しているのか。資金源は何か。質問は誰が決めたのか。政党の回答はどのように取得し、検証し、更新しているのか。候補者が嘘をついた場合にどう扱うのか。アルゴリズムは公開されているのか。重み付けは固定か。ユーザー属性に応じて変わるのか。
これらがブラックボックスなら、それは政治的レコメンドエンジンであり、事実上の選挙介入である。
しかもSNSのように露骨ではない。教育的ツールを装っている分、遥かに強い。
重要なのは機能である。システムが特定方向への誘導を内蔵しているなら、それは工作機械である。
旋盤が意図的に金属を削っているかどうかなど問題ではない。削る機能があるから旋盤なのだ。
同様に、選挙マッチングは意見を削り、争点を削り、候補者を削り、最終的に投票行動を削り出す。これは政治のCNC加工機である。
もしユーザーの回答履歴が蓄積されれば、政治的クラスタリングが可能になる。年齢、地域、職業、関心領域、回答パターンから、政治的嗜好の潜在変数が推定できる。
これは推薦システムの典型的応用であり、NetflixやAmazonがやっていることと同じだ。
すると次に起きるのは、パーソナライズされた政治誘導である。あるユーザーには経済政策を前面に出し、別のユーザーには治安を前面に出す。質問の順番を変え、回答を誘導し、結果を最適化する。
つまり「あなたの性格に合わせた政治プロパガンダ」が自動生成される。これはもう民主主義ではなく、行動制御の最適化問題である。
ここで反論が出る。「それでも政治に無関心な層が投票に行くならプラスでは?」。
だがこの反論は、民主主義を単なる投票率競争に矮小化している。
無関心層を動かすこと自体が善なのではない。どう動かすかが本質だ。
誘導された意思決定は、意思決定ではなく条件反射である。民主主義は、条件反射の総和を集計するための制度ではない。少なくとも理念上は。
選挙マッチングの最大の罪は、「政治とは何か」という理解を誤らせる点にある。
政治は、単なる政策の一致ゲームではない。政治とは、価値観の衝突を制度の中に封じ込め、暴力なしで調整する技術である。
さらに言えば、政治は時間軸を含む。短期の人気政策と長期の持続可能性は対立する。
インフレ抑制と景気刺激は対立する。社会保障の拡充と財政規律は対立する。現実は多目的最適化であり、単一の正解はない。
ところがマッチングは「あなたの正解」を提示してしまう。この瞬間、政治は宗教化する。正解があると思った人間は、対話をやめ、敵を作り、道徳で殴り始める。
そして皮肉なことに、選挙マッチングは中立ツールを装うことで、政治的責任を回避する。
推薦した結果が社会を破壊しても、運営者は「我々はただの情報提供をしただけ」と言える。
しかしそれは、銃を売った者が「撃ったのはあなた」と言うのに似ている。形式的には正しいが、本質的には責任逃れである。推薦とは介入である。介入は責任を伴う。
選挙マッチングは、政治の理解を深める装置ではなく、政治の複雑性を圧縮し、認知バイアスを利用し、意思決定を誘導する装置である。
ゆえにそれは工作である。工作とは「誰かが裏で悪意を持って操っている」という陰謀の話ではない。設計された情報環境が、個人の選択を体系的に変形するという、構造の話だ。
そして現代社会において最も危険な工作とは、強制ではなく、便利さとして提供される。
人は鎖で縛られるより、最適化されることを好む。摩擦のない誘導は、抵抗されない。選挙マッチングが普及すればするほど、人々は自分の政治的意見を「診断結果」として受け入れるようになる。
そうなったとき民主主義は、熟議ではなくレコメンドによって動く。これは政治の消費化であり、最終的には政治そのものの死である。
日本経済の停滞を「需要不足」や「デフレマインド」といった心理現象に還元する議論は、だいたい自己満足の物語で終わる。
問題はマクロの気分ではなく、ミクロのインセンティブ設計と市場の競争構造にある。
成長とは、資源配分の効率化と生産性上昇の結果であって、祈祷ではない。
したがって日本経済復活の鍵は、内向きの保護と規制で安定を買うことではなく、グローバリズムを極大化して競争圧力を最大化し、資本・労働・技術の最適配分を強制的に起こすことにある。
グローバリズムとは、感情的には「外国に奪われる」物語として語られがちだが、経済学的には比較優位と分業の徹底である。
比較優位が働く世界では、各国は自国が相対的に得意な領域に資源を集中し、不得意な領域は輸入する。
これにより総生産が増える。ここで重要なのは、これは「善意の国際協調」ではなく、価格シグナルによる資源配分の自動最適化だという点だ。
国境を越えた競争は、企業の非効率(ぬるま湯組織の怠惰)を破壊し、利潤最大化行動を通じて生産性を引き上げる。
国内市場に閉じている限り、日本は既得権益の温床としての規制に守られ、競争の欠如から技術革新の圧力が弱まる。
これは市場の失敗ではなく、政府の失敗が温存される構造である。
日本が直面している本質的問題は、成長率の低下というより、全要素生産性(TFP)の伸び悩みだ。
TFPは精神論では増えない。TFPが増えるのは、技術進歩、資本深化、そして競争による淘汰が起きるときだけだ。
つまりシュンペーター的創造的破壊が必要であり、その燃料が国際競争である。
国内でゾンビ企業を延命させ、非効率部門を温存し続ける政策は、資源の誤配分を固定化し、成長率を削る。
これは典型的な政治的資本主義、すなわち市場を装った官製配分であり、自由市場とは逆方向の制度だ。
日本の労働市場は、硬直性と内部労働市場の過剰保護によって、人的資本の再配分が遅い。
解雇規制、年功賃金、過剰な雇用保護は、表面的には安定を提供するが、実態は労働移動を阻害し、成長産業への資源移転を遅らせる摩擦コストである。
グローバル競争が激化すれば、企業は利潤率を維持するために組織改革と賃金体系の合理化を迫られ、結果として労働市場の柔軟性が増す。
これは「労働者いじめ」ではなく、労働が最も高い限界生産性を持つ場所へ移動することを可能にする制度改革である。
さらに資本市場の観点でも、グローバリズムは不可避の処方箋になる。
国際資本移動が自由化されれば、国内企業は株主価値と資本収益率を世界基準で問われる。
企業統治の改善、資本コスト意識の浸透、非採算事業の切り捨てが進む。
ここで起きるのは道徳改革ではなく、資本市場がもたらす規律である。
規律とは、企業にとっては不快だが、社会全体の資源配分にとっては必要不可欠な強制力だ。
日本ではしばしば「産業保護」「食料安全保障」「経済安全保障」という言葉が万能の免罪符として使われる。
しかし、これはレントシーキング(政治的に利益を獲得する活動)の温床であり、保護の名を借りた独占の固定化である。
関税、補助金、参入規制は、短期的には国内企業の利潤を守るが、長期的には技術革新を止め、価格を引き上げ、消費者余剰を破壊する。
これは国益ではなく、特定業界の利益を国益と錯覚させる政治的マーケティングに過ぎない。
市場の競争が消えると、品質改善もコスト削減も止まり、経済全体が静かに腐る。
グローバリズム極大化の真価は、輸出拡大ではなく輸入拡大にある。
輸入とは敗北ではない。輸入は、安価で高品質な財を国内に導入し、国内の生活コストを下げ、実質賃金を引き上げる。
ここで「貿易赤字は悪」という素朴重商主義を持ち出すのは、経済学的には前時代的である。
経常収支は貯蓄投資バランスの鏡像であり、貿易収支だけを道徳的に裁くのは会計の読み間違いだ。
また、日本のイノベーション停滞は「技術力の低下」ではなく、インセンティブの弱さとして理解する方が筋が良い。
国内市場で規制と補助金に守られていれば、企業はリスクを取って研究開発するより、政治的ロビー活動で安定利潤を確保する方が合理的になる。
これがレント志向経済の病理だ。グローバリズムの極大化は、この病理を破壊する。国際市場で勝たなければ利益が出ない環境に置かれれば、企業は嫌でも技術投資と経営改革を行う。
日本が復活するには、国内で「再分配を厚くして安心を与える」よりも、成長率を引き上げてパイを拡大する方が合理的である。
成長のない再分配は、結局インフレ税や国債依存という形で将来世代に押し付けられる。
インフレは常に貨幣的現象であり、財政拡張による需要刺激で成長を捏造しようとすれば、最後は貨幣価値の毀損に行き着く。
日本が必要としているのは、マネーの増量ではなく、生産性の上昇である。
日本経済の復活とは「世界市場の荒波に投げ込まれ、勝ち残れる構造を作る」ことに尽きる。
自由貿易、資本移動の自由化、移民・高度人材の受け入れ、規制撤廃、競争政策の強化、企業統治改革。
すなわち市場の価格メカニズムを最大限機能させ、資源配分を最適化し、利潤動機を通じてイノベーションを誘発することだ。
グローバリズムを恐れる態度は、実のところ競争を恐れる態度であり、競争を恐れる経済は停滞を選ぶ経済である。
日本が再び成長するために必要なのは、国内のぬるま湯を温存する政策ではない。
世界市場という冷水に飛び込み、競争圧力を極大化し、創造的破壊を起こし続ける制度設計である。
参政党はどうでもいいけど
正直日ごろの発達障害者に対する世間の扱いを見てたらこれで参政党を叩くのは薄ら寒いんだよな
いま話題のSweetchild o'mineのMVを久しぶりに見たら(Axl Rose格好良すぎ。ジャンキーだとしてもこれくらいシュッとしてる方が断然ビジュアルに優れている)、
初めてMV見たけど、Heartのコンセプトは何なんだ?時代に合わせて変わってる感じなのか?
Barracudaはちょっとプログレ感がある。でも、Heartってもっと有名な曲あったけど全然違う感じだったよな
(Barracudaも「ばらくーだ!」って節だけは知ってたから超有名なんだろうけど、これよりももっと落ち着いた感じの曲が有名じゃなかったっけ?
多分だいぶ後の曲だよな。Vo.ももっと老けてるし。同じ人だよな?→今調べて来たけど「Alone」だな。あんな曲なのにギターの女の人の動きがものすごい激しいのが印象的なMV
全然関係ない話になったけど、本当になんで閃光のハサウェイでGuns?
見てみないとわからんな。合ってるのかどうか
どんよりした感じの終わりでParadiseCityの方が良さげだけど、筋わかんないからわからん
クソ長い約款に耐えかねて Geminiに投げ込む。家庭用のみ。
で、「この2ファイルの新旧約款で電力利用者の新約款に変更されることによる、メリットとデメリットを教えて下さい」と丸投げ。
すると回答が。
新旧の約款(「J:COM電力 家庭用コース契約約款」およびその新旧対照表)を比較した結果、電力利用者の視点から見た主な変更点、メリット、およびデメリットは以下の通りです。
### まとめ
今回の変更における最大の直接的なデメリットは、**供給トラブル時の料金割引がなくなること**です 。一方で、運営法人の統合による組織の効率化や、社会情勢に合わせた契約条項の近代化(ハラスメント対策)が行われています。料金単価そのものの変更については、この対照表の範囲内では言及されていません。
なお、これらの変更は**2026年4月1日**から実施される予定です 。
で、「3行でまとめて」と投げると
1.供給制限や中止が発生した際の料金割引制度が廃止され、トラブル時の減免がなくなります。
2.カスタマーハラスメント等の不適切な言動に対し、会社側から契約解除できる条項が新設されます。
3.運営法人が一本化され、エリア呼称や窓口などの管理体制が整理・統合されます。
分かりにくいよな。こういう約款が変わっていくのって。
「みらいデザイン」という響きにはワクワクするものがありますが、皮肉なことに、未来を標榜したものほど早く古臭くなってしまうのはデザインの世界の「あるある」です。
なぜあんなに賞味期限が短いのか、いくつかの視点で紐解いてみましょう。
「未来っぽいデザイン」と言われるものの多くは、実は「現在最新だと思われている要素」の詰め合わせに過ぎません。
1960年代の「曲線・プラスチック(スペースエイジ)」 これらは当時の最先端技術を反映していましたが、技術が進んで「当たり前」になるか、あるいは「不便さ」が露呈した瞬間に、単なる「一昔前の流行り」に転落してしまいます。
未来を表現するために、以下のような特定の記号(お決まりのパターン)を多用しがちです。
これらは記号としての意味が強すぎるため、見る側が「あ、これは未来っぽく見せようとしているな」とメタ視点で気づいてしまいます。演出の意図が見えた瞬間に、デザインは「普遍性」を失い、消費の対象へと変わります。
「未来」を追求するあまり、現実の使い勝手(アフォーダンス)を無視したデザインは短命です。
カッコいいけれど座り心地の悪い椅子最初は「進んでいる!」と感動しますが、日常で使ううちにストレスが溜まり、「結局、普通が一番だよね」と揺り戻しが起きてしまいます。
拡大、加速、金属的、人工的
社会が求める「理想の未来像」自体がアップデートされ続けているため、古い未来像に基づいたデザインは、単に「予測が外れた過去の遺物」に見えてしまうのです。
マーケティングやデザインに真剣に取り組んだことがあれば、「みらい」と名乗った瞬間に陳腐化することは自明なことです。それでもあえて「みらい」を名乗るプロダクトには情弱を騙す意図が見え隠れします。
本当に長く愛されるデザインは「未来」を目指すのではなく、「普遍的な課題の解決」を目指していることが多いです。みらいと名乗ることが流行のスパイスを抜きにしても機能するかどうかが、陳腐化を防ぐ境界線と言えるでしょう。
この前Xで禁止カード切られてたやん
荒川和久
「デートでは男が払うべきか?」という「おごり・お ごられ論争」は、「住居は賃貸か、持家か?」と同じ ようにいつまでも終わらない論争のひとつです。いつも 「男はおごるものだと主張する女」vs「女はいつもお ごられて然と思うなという男」の対決構図が注目さ
れますが実態は違います。内閣府の「令和3年度性別による無意識の思い込み(ア ンコンシャス・バイアス)に関する調査」でも調査さ
れてますが、「男がおごるべき賛成」割合は男性37. 3%、女性22.1%という結果となりました。私もこの件 は2015年から継続的にこの調査してますが、ほぼ内閣
府の結果と同じです。 つまり、「デートでは男がおごるべき」と考えている のは、女性の方ではなく男性の方が多い。言いかえる と「男はおごりたい」「女はおごられたくない」とい
うことになるわけです。 論争は「おごられない女」と「金がなくておごれない
男」の間で勃発しているのでしょう。