
はてなキーワード:ママとは
暴力も怒鳴り声もなく、穏やかで「人格者」と評されてきた男です。
4年前に祖母に先立たれてから元気がなく、「やっと奥さんに会えるね」と家族で話していました。
この一言で分かりました。
50年以上連れ添った妻より母親。
これは個人の問題じゃなく、男社会が再生産してきた価値観そのもの。
男は
・ケアされる側
・感情を受け止められる側
・無条件に肯定される側
として育てられ、妻を対等な主体として扱う訓練を受けていない。
モテない弱者男性の「女は冷たい」「ママになってくれない」という怨嗟も地続き。
「いい男」という評価が、どれだけ女の無償労働の上に成り立っているか。
分からないんだろうな。
元増です。
「長女に寂しい思いをさせないで!!」という意見が複数あるけども
うちの家族のことを真剣に考えてくださってありがとうございます!!
今は2歳の次女は、長女とママが二人きりで出かけても明確な言葉で文句を言ってこないけど
次女が成長して色々と物事がわかるようになったら、次女とママの二人きりで遊ぶ日を作ります(次女がママと2人きりで遊びたいタイプの人間に育つかどうかわからないけど⋯)
Aさんというママ友がいる。
誰にでも感じがよくて、声が柔らかくて、よく気がつく人だ。
雨の日は傘を余分に持ってきて、忘れた人に貸す。
子どもが熱を出したと聞けば、買い物のついでにゼリーを差し入れる。
「無理しないでね」が口癖で、悪口を言っているところを一度も見たことがない。
園でも評判がいい。
最初は、すごい人だなと思っていた。
「昨日は何時に寝た?」と笑顔で聞かれた。
たまたまだと思った。
「ご主人、お仕事大変そうですね」
と声をかけられた。
あれ、と思ったけど、偶然だと思うことにした。
直接的な言葉は使わない。
ただ、「心配してる人がいるよ」とか
「みんなあなたのこと気にかけてる」とか、
そういう形で、少しずつ情報が“共有”されていく。
気づいたら、私の体調、夫の帰宅時間、子どもの癇癪の頻度まで、
園の何人かが知っていた。
でも、誰に聞いてもこう言う。
「Aさんから直接聞いたわけじゃないよ」
「みんなで心配してただけ」
Aさんは今日も親切だ。
私が疲れて見えると、子どもを少し預かってくれる。
断ると、悲しそうな顔をする。
「頼ってくれないの、寂しいな」
理由は誰も言わない。
でもAさんは、帰り道で必ず声をかけてくれる。
「無理して輪に入らなくていいよ。
あなた、繊細だもんね」
その言い方が、どうしても引っかかる。
Aさんは、何もしていない。
怒らないし、責めないし、嘘もつかない。
ただ、善意で、人と人をつないでいるだけ。
なのに私は最近、
Aさんの前では、何も話せなくなった。
それでもAさんは、今日も優しい。
「何かあったら、すぐ言ってね」
その“何か”が、
もう私の中にしか残っていない気がして、
少しだけ、怖い。
A子先輩「上司が言ってることわからなくて……増田ちゃん、わかる?上司、気難しくて怖いから私から聞けなくて……」
気難しいけど、別に怖くないですよ?
先輩に与えられた指示はかくかくしかじかってことみたいです。次は自分で聞いてみてください。
A子先輩「子どもの熱出た!帰ります!引継は#@/&だから!!」
お子さん大事ですね、早く帰ってあげてください。
(引継が支離滅裂だ……その仕事あなたが1人で抱えて進捗共有してなかったやつですよね。上司と一緒に関係者にも頭下げておきます。)
A子先輩「いきなり何の引継もなく2週間休んじゃってごめん!増田ちゃん代わりにやってくれてありがとう」
お子さん2週間も入院なんて、付添もあってたいへんでしたね。先輩も身体を休めてください。
あと、次からは、他の人と同じように、チーム宛にこまめに進捗を共有していただけたら嬉しいです。
A子先輩「うちの子も小学生になったし、増田ちゃんに子供産まれたら今度は私が絶対に恩返しするね」
ありがとうございます、ようやく私も授かったのでお休みいただきます。
このチームは女性2人だけなので、お互いに支え合っていきましょう!
恩返し、どこいった?
子供の頃から冬が嫌いで、もはや冬が来るのが怖いくらいに感じていた。
中学あたりから家庭環境が滅茶苦茶になったのもあって、冬になると鬱っぽくなるのが続いていた。今思うと冬季うつ病的なものだったんだと思うけど、食欲増進・体重増加・異様に眠い(保健室で寝てたり眠すぎて学校早退したりしていた)・気分の落ち込みなどなどがあった。とにかく全ての悪いことが冬に訪れているような気がしてしまうのだ。ああまたきっと悪いことが起こるんだ、と謎の思い込みがあり先回りして絶望してしまう。(逆に春先から夏は、これから何をしようかとワクワクが止まらないのでめちゃくちゃ元気である)
社会人になっても冬は相変わらず嫌いで、秋口に冬の気配がし始めると、怖くなってベッドの中で丸まってべそをかいていた。関係ないけど私は恐怖を想像して泣けるタイプだ。小学生の頃スポーツ少年団に入っていて、指導者に言われたことをうまくやれなかった罰として、試合後に1人で運動場50周してこいと言い渡されたその瞬間、しんどさを想像して絶望して号泣してしまい周りが引いていた。感受性が豊かすぎる。
そして今思うけど50周って何?その頃平成中期だが?(脱線がえぐい)
育児をしていると、冬だろうが夏だろうが関係なくやることが膨大にある。子どもは可愛いし予想だにしないことをやるのが面白いし、時々イラつくこともあるけどそれが季節によって変わるってこともない。それもあってか気づけば最近冬の到来に怯えていないな、と今日子どもを寝かしつけながらはたと気づいたのでこのエントリを書いてみた。
もうすぐ息子が2歳になる。
2年前の出産前後を思い出して、あっという間だったなあとしみじみする。あのときも初めての出産のホルモンの暴走や睡眠不足と冬が被って、本当に辛かった。子供が生まれて毎日幸せと感じているのになにか訳のわからない不安感に襲われたり、思考が止まらなくてずっと焦っていたりした。そしてそれをコントロールできないというもどかしさを抱えて毎日育児に奮闘していた。先の見えない不安から早く大きくなってくれと毎日思った。一方でこんなに幸せならなんでもっと早く産まなかったんだろうと後悔して涙を流したりもした。毎日頭の中は抱えるタスクとそれをどのようにこなすかで忙しなかった。
3月終わりのある日に夜、たまたま外に出て郵便受けを見に行ったとき、春の夜風を感じて自然と涙が出た。あぁ生き延びた、と思った。冗談じゃなく、生き延びたんだと思う。産後うつといった診断はもらわなかったから大袈裟なのかもしれないが、そう感じた。
最近、息子は舌っ足らずな声で「ママだーいすき!」というようになった。1歳から2歳への成長は、私にとっては0歳から1歳のそれに比べて大きいものだった。なんてったって明確に意思の疎通ができる!2年前に私が早急な成長を願った未知の生き物は、あっという間にしっかり人間の形になった。手先が器用になったし、生まれた時よりずっと大きくなった足で走り回り、こちらが笑わせようとふざけてやることのツボも理解できるようになったのか本当によく笑う。(もちろん床に転がって泣いたりもする)
去年は1歳の誕生日で準備に張り切って忙しかった。一升餅をやったりスタジオに写真を撮りに行ったりファーストアートを作ったりと、やりたいことをてんこ盛りにした。盛り込みすぎて夫が夕方に疲れて気絶していた。
今年は特別なことは多分しないけど、お誕生日プレゼントを何にするかで秋口から夫と夜ソワソワ会議をする日々を送った。数字の2のバルーンは一応100均で買ってきて用意済みだ。朝起きたらバースデーソングを歌って写真を撮ってプレゼントを買いに行って、それからたくさんおめでとうと言おうと思う。
そして冬が怖いという感覚、皆さんもありませんか?
・Vの言行がイラストのイメージ(ひいては作者のイメージ?)を損なうから下品な(と私が感じる)振る舞いやめて欲しい、関係断ちたいからもうフォローも解除するし絵も削除する
だとしたら、そう思うのは自由だし、まあ然るべき手段で要望(強要ではない)するのも自由だと思う。通るかは知らんけど。あとは双方ビジネス上の話し合いしてくださいでしかない。
・生成AI絵をRpするようなVは自分としては許容できない、生成AI利用してイラスト生成されると困るから(もしくは嫌だから)フォロー解除してイラストも削除する
であれば、それもお好きにどうぞ、今後のお仕事についてもしっかり話し合ってくださいよでしかない。
Vが、フォロー解除やイラスト削除の件について理由がわからない、個人的なやりとりはしてないし本当にわからない、みたいなこと言ったことに対して、取引してるからやりとりあるでしょ、訂正して!っていう主張は、それは「個人的なやりとり」とは言わないでしょう、って感想。意味わからん。
しかも、それを訂正してくれないと「私が自分勝手にフォロー解除・イラスト削除したみたいに誤解されるから訂正して!」って理由づけしてるように見える。いやどっちにしろオレオレ理屈で行動してるのは変わらないでしょう、なにがしたいのかよくわからん。
林敦子と遠矢姫華の情報から離れて生きたほうがいいと思う、精神安定のために
林敦子と遠矢姫華の凶行を「母親」をひとくくりにしてるのだいぶキてるよ、そんなわけないじゃん
父親の家族大量殺人は身勝手な犯行(っていうか嫁への愛憎に子供巻き込み)の差はあるなあと思った
個人的には「被害者が実の子供だから」で心中事件の量刑が減らされるのは不当だと思うから、子供3人も殺したら母親でもなんでもちゃんと死刑検討してほしいな
最近起きた障碍者ママが親権取られるのが嫌で6ヶ月の赤ちゃん殺した事件も、本当に身勝手な犯行なのに、多少は情状酌量されるんだろうな~…
林敦子と遠矢姫華共感ママ、前も見たなと思ったらこの増田と同一人物だった↓
https://anond.hatelabo.jp/20251104103714
別に言ってもめちゃくちゃ怒られるとか家を追い出されるとかはないんだけど、なんか言えない。
25歳になる年で社会人2年目。
システムエンジニアという職に就いていた。
上司がパワハラとか、そういう理不尽があったわけじゃないけど。
やり方が分からない仕事を任されて、何したらいいか分からなくて、どんどん仕事が溜まっていって、毎朝起きるのが嫌になって、ある日先輩に「無理です。」って言って休んだ。
前提から言えば、この事態を招いたのは自分に責任があると思う。もっと先輩を上手く頼る方法があっただろうし、俺は途中からもう諦めて、溜まった仕事を眺めながら、休むまでの数日をぼーっと過ごしていたから。
でも、コメントでいっぱい攻撃されると怖いから、こんな弱い自分を守るために少し保身をさせて欲しい。
俺が一年目に配属された部署は、課長がパワハラ気味なことで有名だった。
実際、俺が配属された部署は配属後すぐに2人ほど、課長との相性が悪かったのか別部署に移って行った。
さらに驚きなのは、俺が入った時点で休職している人がいた。(俺が休職するまで結局一度も会わなかった)
うちの部署は、金融系のシステム開発なんだけど、課長(40代・男)、先輩(20代後半・男)、俺の3人で、個社Sを担当していた。
個社Sの対応が俺の主な仕事であって、俺が頼れるのは先輩だけだった。
課長は、はじめにも書いたが、パワハラ気味で部内でも名が知れた人物だった。
しかし、意外にも俺は可愛がられていた。
フランクに話しかけてくれることもあったし、飲み会に誘われることはしばしばあったし、2人きりでランチに行ったこともある。
でも最後まで、心を許してなんでも話すような関係性にはならなかった。
課長が飲み会の場で人の悪口を話す時は、「知らないけどそうなんすね、気をつけまーす」みたいなスタンスをとって誤魔化すことしかできなかった。
先方とのオンラインミーティングでは、なぜか俺が課長に冷たく詰められる場面があった。
課長と話しても無愛想だし、なんか怒られても嫌な気持ちになるから極力自分から話しかけに行かないようにしていた。
それでも、課長が理不尽な災害(自分にはどうしようもできないこと、という意)ではないと思っていた。
例え嫌な気持ちになるだろうなーと思っていても、仕事の話はしなければいけなかった。
まあ、1ヶ月に数えるほどしか話さないのは、課長にしてはあまりにも課員とのコミュニケーションを疎かにしているのでは、と言いたい気持ちを抑えて、これはお互いの問題なので。
次に先輩の話をしよう。
先輩はめちゃくちゃ明るくて面白い人だ。
先輩は技術屋的にはかなりできる人だった。
でも、仕事ができる人ではなかった。
メールもチャットも催促されてからやっと返信するか、それでも返信しないことすらある。
あと、先輩は朝に弱かった。
俺も朝は昔からめちゃくちゃ弱いから人のことは言えないけど、当日に午後休にしたり、テレワークにしたりなんてのは日常茶飯事。というかほぼ毎日。
でも、なんかいつも明るいし、先輩にしかできない仕事があったから、なあなあで許されたいた。
もちろん課長には度々注意されていたが。
俺が頼れるのは先輩だけだった。
だけど、先輩は保守対応で忙しかったり、先述の通り会社にいなかったりすることも多くて、1人で何も分からない仕事を抱える時間も多かった。
最後は先輩に聞いても分からない仕事で、苦し紛れに「どうすればいいか全く分からないです」って言ったら、色々こうすればああすればって教えてくれたけど、結局分からなくて、もう誰にも聞かなくなって詰んで終わり、という感じ。
とりあえず、年末まではこのままでもいいかなっていう気持ちなんだけど、唯一やらなければならないことはこの状況をママに話すことだ。
俺は実家住みで、パパ、ママ、俺、弟の4人で暮らしている。ママと弟は仕事をしていて、パパは冬になると鬱になる体質で、最近はなんとなく仕事に行っていない気がする。
パパのうつ病体質は筋金入りのもので、ここ13,4年くらい治っては罹っての繰り返しだ。
パパがうつ病のときはどうしても家全体が暗い雰囲気に包まれる。いつも死んだような顔をしているし、寝るかパソコンで動画を見るかしかしていない。
ママには仕事を休んでいることを言わなきゃいけない気がしている。今日はリモートワークだったの?とか今日の昼は何食べたの?とか今年は何日まで仕事なの?とか聞かれるけど適当に誤魔化してる。
もしかしたらもうバレてるのかも。
あー、仕事どうしようかな。
1ヶ月休んだらもう働く気なくなっちゃった。
でもなんか最近はこのままは嫌だな、みたいな気持ちもあって、YouTubeに動画投稿とかしてみてる。
6本くらい投稿したけど10-30回再生とかで現実の厳しさを知った。まだやってみる。
全然関係ないけど俺の部屋めちゃくちゃ寒くてさ、半分外なんじゃないかってくらい寒くて一日中布団から出られない日もある。一年中春みたいにあったかかったらいいなとか、誰でも一生に一度は思うことを一日に一回は考えてる。
パパに似て寒さにはめちゃくちゃ弱いなあって思う。
なんというか、例えば、家で働いてるわけじゃないから、
パパもママも怠けてばかりで働いてないよね、みたいなこと家で子供に言われるみたいな…😟
メディアに見える範囲でも、トランプ関連は頑張っただろ赤沢さんとかも、なにいってんだこいつ…😟
1人目の子の時は何もかもが初めて行うことだから新鮮だった。それが2人目になると同じ作業を繰り返してる気持ちになる。
多分病気なんだと思う。
泣いてるのを見たら前回のお世話内容を確認して授乳/オムツ/抱っこを繰り返す。
上の子は3歳。
やれることが増え、出かけられる場所も増えた。
ポニーや馬車に乗ったり、遊具のある公園スペースあったり、ウルトラマンショーのようなショーがあったり、屋内で子供向けのおもちゃがたくさんあるスペースがあったり、暖かい時期は噴水で水遊びもできたり…
余談だけど保育園で「馬さんに乗ったの」って自慢しているらしい。親目線まだと可愛いけど保育園のお友達目線だとちょっとウザいなって思う。
でも新生児がいると行動範囲に限りが出てきてなかなか行けない。
泣き声がうるさすぎてイライラする。
そしてわずかばかりの下の子が寝た時間は起こさないようにと物音を立てることが許されない。家事が進まない。
妻は産後2ヶ月でまだ重いものを持てないからゴミ捨てできないって言う。
でも4kgの下の子を抱っこできるからゴミくらい持てるんじゃないかなって思うのは言い過ぎ?
朝ごはん作って、食べさせて、保育園に送って、洗濯して、夕飯の買い出し行って、夕飯の仕込みして、保育園のお迎えして、夕飯作って、食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけして
そこにずっと泣く2番目の子。
やりたいことをやりたいタイミングで出来ない。
これは職場でもよくある。だから事前にできるだけ準備をしておく。仕事は大体それで解決できる。
でも子どもは予測不可能。うんちして泣く、おしっこで泣く、眠いのに上手く眠れなくて泣く、自分のゲップ音に驚いて泣く、ママが良いのにママが上の子の相手していて泣く、授乳して欲しいのにママのうんちタイムでお預けくらって泣く…。
時々こいつさえいなければ…と思う自分がいて何もかも嫌になる。
でも世間から見たら自分が異常者なんだよね。それが余計に辛い。
この時間に起きてお世話してると気分が沈む。
下の子(2歳の娘)にどうしても手がかかるので
6歳の娘は「ママは妹ばっかり見てズルい」と妬む
母と娘2人の3人で外出して遊んでも、やはり親は妹中心の対応になってしまうから、
冬休みは園に冬期預かりをお願いして
長女は「なんで自分だけ園に預けられるんだ」と思っている
今は体力残ってない。
長女も次女も殴り倒したくてたまらなくなる瞬間があるけどちゃんと理性を保って我慢してる
もし、私が3人目の子供を産んでいたら、林敦子や遠矢姫華のように自分の子供全員殺してると思う
林敦子も遠矢姫華も子供3人の面倒を見ることに疲れて自分の人生に絶望して殺したんだと思う
林敦子にいたっては、不登校の息子1人だけを、殺すならまだ、(決して許されることではないが)社会に適応できない息子に相当いらついてたんだなと想像できるが
よっぽど3人の子供に尽くすことに愛想がつきたんだろう
我が子にばっかり時間がとられて、自分のことが二の次三の次になるのも嫌だし
母親ヅラして、それなりに聖母のフリをして、子供がどんなに荒れてても私はあなたの味方ですよって態度取らなきゃいけないのつらい
子供1人育てているだけで限界が来て、精神疾患になってしまう、育児のキャパが子供一人分しかない母親だって世の中にはいる。子供1人でキャパオーバーの母親はあまり育児を楽しめないタイプなんだと思う
私のキャパは子供2人分だけ。なんなら、1.5人分くらいしかないのかもしれない。1人なら余裕があるけど2人でもうキャパギリギリか
林敦子や遠矢姫華の事件記録を読めば、私が子供3人産んだら、毎日毎日イライラして、ある日プッツンと線が切れて、彼女たちのように自分が産んだ子供達全員殺すんだと思う
子供を望んで産んだのは自分なのに、頼まれてもいないのに、勝手に産んで、自分の限界を超えるような育児をしておいて、
[追記]
あいつら(遠矢姫華と林敦子)とは違って、私はまだ子供2人だから大丈夫!!と自分に暗示をかけるのは、大事だと思います。
遠矢姫華と林敦子の気持ちはこうだったんだろうなと想像して、共感はできるけど、
子供達を殺したあの2人のことは本当に大嫌いです。嫌悪してる。遠矢姫華は死刑になってほしかった。
実際、娘達が成長したらどんどん「大丈夫」になっていくんだと確信しています。小学生のママさんたち、楽しそうだよね。
私のママ友はお子さんが小学生になったら1人で旅行してました。
子供達が小学生になったらなったでまた、子供が幼児のときとは違う大変さがあるんでしょうが。
子供の進路のことで子供と揉めて号泣したりしてるお母さんの話とか聞くと大変だなと思う。
私自身は世の中にたくさんいる一般人の母親のうちの1人に過ぎず、
子供に手をかけて逮捕されるようなタイプの母親ではないので、安心してください。
私はどこにでもいる普通の子持ちオバチャンのうちの1人でしかありません。
私には実現させたい夢があるので、自分の大切な子供達に酷いことをやって、逮捕されて刑務所に入ったり、裁判にかけられたりしてる時間はないんですよ。そんなくだらないことしてる時間はもったいない!!
子供が長女だけだと、それはそれで精神的にも経済的にも楽だったろうけど
絶対に物足りない人生だったから(長女ごめん)、次女を産んで大正解だったと思ってます!!子供3人育てるのは絶対に無理だけど子供2人なら、なんとかなるさと思って夫と選んだ道です。
Permalink |記事への反応(27) | 12:40
間もなく卒園なので、可能ならそれまでに伝えたいけど多分言えないのでここで置いておく。
通ってる保育園では連絡帳に子供の前日の様子や近況を゙書く欄があって、そこに親は記載し登園時に先生に渡す。お迎えの時にはその連絡帳に先生からのコメントが毎日添えられている。こちらが書いた内容への返信だったり、その日の子供の様子だったり書いてある。
時々、先生のコメントに「お母さんすごいですね!」とか「(子供のわがままがひどいぜみないなこちらの記載内容に対して)ちゃんと聞いてあげるママ、優しい!」とか書いてある。これがほんとうにありがたい。
子育てしてて、こんなド直球で褒められることはほぼないのでほんと、ほんとうにありがたい。
さらに登園した時に、着替えやらなんやらを子供の引き出しにしまっていると「毎日お着替えご用意ありがとうございます!」と声をかけてくれる。歯の浮くようなセリフに見えるが、こんな言葉に本当に救われる。
保育士さんの何気ない言葉に本当に救われて生きていると伝えたい。
どこにも話したことも書いたこともない、これまでを誰かに聞いてほしい。
ただ職場がプライベートの持ち込みを好ましく思っていない雰囲気なので、あくまで仕事上の付き合いしかない。
毎月、月収の半分以上を使い込んでコンサートに行ったりCDを積んだりする。
もちろん、貯蓄はほとんど無い。
でも、少なくとも今はこれでしか心の穴を埋められないのだ。
私は小さい頃の記憶が全くと言っていいほど無い。
両親は普通の人だったし、普通の家庭だったけど家族間のコミュニケーションが少なかったように思える。
母親が癌になってから、コミュニケーションはますます減った。自分の病気のことで精一杯だったんだろう。
父親は仕事に一生懸命だった。朝早くに家を出て、遅くに帰ってくる人だったので一緒にご飯を食べることがあまり無かった。
小さい頃の家での記憶は、母親が癌になってから自然派ママやスピに傾倒してしまい添加物にこだわり始めて、家のご飯が美味しくなかったことぐらい。
テストの成績も悪くなかった。
人生の大きな転換期だった。
それまでに2回転校している私は3回目の転校をすることになった。
私は日中は叔母の家に預けられ、そこのルールで過ごし、父が仕事から帰ってきてから自分の家に戻るという生活を中学卒業までしていた。
家に戻ったらお風呂に入って寝るだけだったので、この頃も父親とのコミュニケーションはあまりなかった。
この頃から人に何かをお願いしたり、おねだりするのが極端に苦手だった。今もそう。
ただ、部活が父親の指定でスポーツ限定だったのでやる気がなくサボっていた。
私は本当は美術部が良かったのだ。
再婚相手(以後、義母)は最初はとても人当たりがよく優しい印象だった。
私に新しいお母さんが出来たと思った。
不思議な気持ちだったけど、やっと私の事を見てくれる人が出来たようで嬉しかった。
壁を蹴る、暴言を吐く、泣く。
その矛先は私にも向かった。
暴言を吐かれ、私の顔について難癖をつけてきた。
義母はアルコール中毒だったけど、頭が良い人だったから何も言い返せずただ泣いて受け入れるしかなかった。
父親は16年一緒にいる私より、知り合って2年ぐらいの義母と、義母との家庭を選んだのだ。
私は高校入学あたりから学校での人間関係も上手くいかなかった。
中学の時から仲が良かった子(以後、A子)が、別のグループを形成してしまい私が仲間外れのターゲットになったのだ。
当時スマホが徐々に普及しはじめて、昼休みにはスマホをこっそり触ったり友達と写真を撮ったりするのがよくあった。
まだ私は仲間外れにされている自覚はなくて、いつも通りA子の横にいた。
A子は横にいたまた別の子と自撮りを始めたので、私も入れるやつなんだと思い込みカメラに映った。
今でも覚えてる。私が入ってる写真が嫌だったA子は不機嫌になって大きく舌打ちをして、目の前でその写真を削除したのだ。
この事がきっかけで自分は友達から嫌悪されている対象なんだと知り、ショックを受け、クラスに上手く馴染めなくなった。
その頃から成績もガクッと落ちて、定期的に学校を休んでは自室に引きこもるようになった。
もちろん一人暮らしだった。家を出ていくように言われた。
食費や光熱費、スマホ代を払う必要があったので、日中は学校へ行き夜は飲食のアルバイトをする生活に明け暮れていた。
めっちゃ勉強をした私は晴れて学校を卒業し、無事に希望していた会社へと就職が叶った。
仕事するならこのスキルを活かせる仕事が良い、と思って学校へ入ったのでやっと人生が報われたと思った。
でも、実際の仕事をしてみると楽しいより苦しいことのほうが上回っていて、理想と現実のギャップに悩まされている。
常に自分の中の知識にアップデートが求められて、なんだか息苦しさを感じる。常に泳ぎ続けなきゃいけないマグロのよう。
入社早々そこそこ大きなミスをやらかしたし、何度注意されたか分からない。しかも打たれ弱い。
期待の新入社員だっただろうに、上司はきっと扱いに困っているのだろうと思うとなんだか申し訳ない気持ちになる。
入社から3年目で、中学時代の友達(以後、B子)とシェアハウスをすることになった。
当時私はB子ととても仲が良かったので、何があっても上手くやっていけると思っていた。友達と暮らせることがとても嬉しかったのだ。
駅から徒歩15分、新しめの2LDKの部屋を借りて新生活を始めた。
同棲1年ぐらいが過ぎたころ、B子が全く働かなくったのだ。働かずに引きこもってオンラインゲームをしていた。
まぁ、誰にでもあることでしょうと思って怒らずに。 お金のことはゆっくりでいいから、とにかく休むようにと伝えてあった。
その間の生活費はもちろん全て私。
給料全部使ってかつかつ月はちょ
診断を受けたわけじゃないけどADHDとかASDとかではないと思う。心療内科で軽度の躁鬱はあると言われた
書類の提出期限とか納期は守れるんだけど、毎日時間だけが守れない。早起きしても絶対に5分とか遅刻する
→小学校のときに習い事(クラシックバレエ)をさせられてたんだけど、教育ヒスママだった母親に「学校と塾の宿題と公文終わるまでレッスン行っちゃいけません!」と言われ
習い事の時間始まっても全然終わらないし、全然終わらなくて泣いてしまったから母親がキレてて送迎してくれないしで、子どもの足で号泣しながら走って30分、ついた頃にはレッスンはもう終わってた
先生がいつも厳しかったから、小学生の自分的には人生終わった、、、しんだ、、、ぐらいの絶望だったんだけど、先生は(たぶん何か察して)普通な感じで「一人できたの?今日はお母さんは迎えに来てくれるの?」って言われ拍子抜け
それまで時間守らなかったら(朝家を出る時間とか)母親にヒスられるからビビって守ってたけど、それから↑みたいなことが数回起きて、時間通りに動くことがバカらしくなって(人生終わらないじゃんと思って)、時間を全然守れない人間になってしまった
と思う
中学校は時間通りに行った記憶がない(ほとんど不登校)、高校も遅刻3回で欠席扱いのシステムで週3で遅刻するから出席はギリギリだった。大学は文系で試験一本勝負みたいな学部だったからほとんど行った記憶がない
会社は新卒で入った会社をすぐ辞めて縁故採用の会社に入社、幸い社長に事情を説明して自分だけフレックス扱い(でも最終出勤時間の朝11時も全然遅刻しそうになる)
友だちとの約束も守れないし、自分で予約した店も時間通りに行けない。病院とかも早い整番取れても営業終了ギリギリにしか行けない。15分以上遅刻したら自動キャンセルの店(美容院とかも、13分とか遅刻して迷惑かける
相手を舐めてるからできるんだろ、とか言われてるけど、目上の人がいる集まりにも普通に遅れるし(そもそも会社すら間に合わん)、自分に不利益あるときもちゃんと遅刻する。その時は反省も後悔するけど次もまた同じこと繰り返す
早起きしても無理。なんなら朝は5時には起きてるのに始業の9時に間に合わない(通勤時間ドアトゥドア20分)。何してるのと聞かれたら、掃除とか、、、?何もできなくて玄関で座り込んでぼーっとしてたりもする。高校のときに遅刻の理由聞かれて「家を出るのに時間がかかりました」とか言って意味不明がられてた
予定通りに家を出れない。乗りたい時間の電車に殆ど乗ったことない
家出る45分前から準備すれば間に合う、、、みたいな場合、45分も準備だけにしか時間使えないのが人生を無駄にしてるように思えて、30分前から準備し始めてだいたい間に合わなくなるみたいなことが多い
最近副業バイト(飲食店)始めて油断してて、5分前には着替えて厨房いないといけないんだけど、うっかり油断して店についたのが5分前、厨房に入ったのが時間ちょうどでクソ怒られた(5分前から給料出るから実質遅刻)
今年で30になるけど本当に情けないしやばい
取引先に訪問するときとかは遅刻が怖すぎて1時間前とかに近くのカフェで待機する(これはまだやらかしてない)けどマジで馬鹿らしい
すごく前の時間から待機するか、ギリギリ遅刻みたいな極端なことしかできない
遅刻癖をどうにかしたい
治せた人いませんか?