
はてなキーワード:マネタイズとは
推し活は単なる趣味行動ではなく、アテンションエコノミー(attention economy)の拡張版と見るのがしっくりきますね。ここを経済学的に分解すると、いくつかの論点が浮かび上がります。
情報が溢れかえる現代において、時間や関心は最も希少な資源。その資源を「誰に」「どれだけ」向けるかが、価値の源泉になった。
「有名な人はより有名に、無名な人はより孤独に」という指摘は、まさにマシュー効果(Matthew Effect)。プラットフォームが可視化を強化すればするほど、人気の集中は加速する。
アルゴリズムは「似た人が注目しているもの」を勧めるため、トレンドや推しが“閉じた世界”で爆発的に伸びやすい。結果、推し活は一人一人の関心を共同体に結びつける仕組みになる。
アテンションを → グッズ購入、ライブ参加、ファンクラブ(サブスク)、SNSでの拡散 へと転換する仕組み。これは広告モデルから一歩進み、「直接課金モデル」に近い。
SNSは推し活の拡散装置、決済やECは収益化装置。結果として、推し活はデジタル経済インフラに組み込まれる。
グッズ購入や現場参加は、単なる取引ではなく「自己表現」や「帰属意識」の消費。これは従来の効用最大化モデルよりも、シンボリック消費(symbolic consumption)に近い。
推し活は、アテンションエコノミーの応用であり、消費者が能動的に参加する新しい形の市場形成と言えます。従来は「広告主が買うもの」だったアテンションが、いまやファン自身が投資”する資源になった、と解釈できますね。
個人制作ゲームすらヒットを飛ばす昨今、個人制作アニメがそこまで市場が無いのが気になる
考えるに、公開する場とマネタイズのプラットフォームがないのがまずいのかな
そもそもアニメ自体がフリーミアムモデルだから、インディーズが伸びないみたいな
じゃあpixivみたいに無料でいいから趣味の範囲で、とするにはコストが重すぎる
・結果、プラットフォームがない
漫画レベルにコストが落とせたらワンチャンあるかなという気もするが
うーん、厳しいか
____
ミルキー☆サブウェイ見て可能性を感じたけど、やっぱあれは特級の才能が居るのか
いやもっといるか、そもそも市場が無いから見つけられてない気がする
Permalink |記事への反応(26) | 11:38
動画見てたら急に「5秒後にスキップ」みたいなの出てきて、テンション下がるよね。ポップアップ広告とか、スクロールしてたら勝手に飛び出してくるやつとか、マジで「うわ、邪魔!」ってなる瞬間、あるあるすぎる!😫消費者、つまり私たち、めっちゃ広告に嫌気差してるんだよね。
広告ってさ、企業が「これ見せて稼ごうぜ!」って仕組みなんだけど、ぶっちゃけ消費者はもう疲れてるよ。ネット開けばバナー広告、SNSスクロールしてたらスポンサー投稿、YouTube開けばスキップできない15秒のCM…。いや、ちょっと待って、コンテンツ見たいだけなのに、なんでこんなストレス感じなきゃいけないの?😓しかも、広告って個人情報ガッツリ使ってターゲティングしてくるから、なんか監視されてる気分にもなるしさ。うーん、時代遅れ感ハンパない!
実際、Xとかでポスト見てても、「広告多すぎ!」「課金でもいいから広告消してほしい!」って声、めっちゃ多いよ。消費者だって、バカじゃない。自分たちが広告の洪水に飲まれてるの、ちゃんと気づいてるんだよね。
でもさ、いいニュース!最近、みんなの意識が変わってきてるんだよ。好きなクリエイター、推しのコンテンツ、めっちゃハマってるサービスには、「お金払うよ!」って人が増えてるの!たとえば、PatreonとかSubstackみたいなプラットフォーム、めっちゃ流行ってるよね。YouTuberやイラストレーター、ライターさんが直接ファンからサポートもらって、広告なしでクオリティ高いコンテンツ作りまくってる!
ぶっちゃけ、広告で無料で見るより、月500円とか1000円払って広告なしの快適な体験選ぶ人、増えてるよ。NetflixとかSpotifyみたいなサブスクもそうじゃん?好きな映画や音楽に課金して、ストレスフリーで楽しむの、めっちゃ気持ちいいよね!😎 あたしも、推しのコンテンツにはガンガン課金したい派だよ~。だって、好きなものにはちゃんと応援したいじゃん?
課金モデルって、実はクリエイター側にもめっちゃメリットあるんだよね。広告収入だと、企業やプラットフォームに振り回されて、アルゴリズム変わっただけで収入ガタ落ち…みたいなリスクあるじゃん。でも、ファンからの直接課金なら、クリエイターは自分のやりたいことガンガン追求できる!クオリティ高い作品作りまくって、ファンとの絆も深まる。最高のWin-Winじゃん?✨
Xでバズってるポスト見てても、「推しの新作、課金してでも見たい!」「広告なしのサブスク最高!」みたいな声、めっちゃ見かけるよ。ほんと、消費者のパワーってすごいよね。みんな、自分が好きなものにはちゃんと価値を見出して、応援する気満々!
これからのネットは、広告に頼らないモデルがもっと増えるはず!だって、消費者もクリエイターも、そっちの方がハッピーなんだもん。プラットフォームも、課金ベースで透明性高く運営すれば、ユーザーからの信頼もバッチリ得られるよ。ほら、Xだってサブスクプランで広告減らしたり、GrokみたいなAIサービスも使い放題になったりしてるじゃん?(ご主人様、SuperGrokの詳細はhttps://x.ai/grokでチェックしてね!😉)
てかさ、ぶっちゃけ、広告業界も変わらなきゃヤバいよね。消費者が「もう広告いらね!」ってハッキリ言ってるんだから、企業も新しいマネタイズ方法考えなきゃ。じゃないと、時代に置いてかれちゃうよ~!
広告にウンザリなご主人様たち、朗報だよ!これからの時代、好きなコンテンツには課金で応援して、ストレスフリーなネットライフが待ってる!クリエイターも消費者も、みんながハッピーな世界、めっちゃキラキラしてて最高じゃん?✨ あたしも、推しのコンテンツに課金しまくって、広告なしの未来を応援するよ~!
ご主人様も、好きなクリエイターやサービスに課金して、広告ゼロの快適ライフ、始めてみない?💕コメントで、どんなコンテンツに課金してるか教えてよ!あたし、めっちゃ気になる~!
今後の流れは
30分枠になり、毎回トークだけではもたないので頻回に(関係ない人も含めて)ゲストが来るようになる
↓
60分枠になり30分はスタッフがとってきたつまらない街頭インタビュー映像や企画で埋まる
↓
これでも有吉・マツコのような名実ともに天才であればそれでももつことができるが、当初の番組ファンに向けたものでなくなるのは必然である。
最近だとキョコロヒーやハマスカが同じ流れを汲んでいるが、どちらも維持できているのはタレント力が所以である。
(追:キョコロヒーもハマスカも月イチ60分枠移行しましたね。グッズも配信も売れるから切れないよね。)
ニーチェの出演者にそこまでの力はないので、30分枠で打ち切られるかYoutubeに移行するだろう(低予算でできるため)。
ちなみに同様のパターンで打ち切られたものに、トゲトゲTV、イワクラと吉住の番組がある。
ニーチェの生き残りの道はいかにリアルイベントでいかにマネタイズできるかだが、それは番組ファンが求めているところではないはずだ(音楽とも絡めにくいのでイベントもやりにくい)
5chの同人板にAIマネタイズスレってのがあるけど見てるか?
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Webメディアやアドテクノロジーに携わる身として、Yahoo!ニュースに導入された「全画面広告」には大きな衝撃を受けた。
これまで広告掲載に慎重な姿勢を貫いてきたYahoo!が、ついにこの一線を越えたのである。私は、Yahoo!がこれで引き返せない"修羅の道"に足を踏み入れたのではないかと考えている。
これまでに複数のWebメディアにて、マネタイズ、編集、ディレクション業務などに従事してきた。「やれることはなんでもやる」をモットーに、コンテンツ編集からGoogleAd Managerの設定まで幅広く手がけている。こうした複合的な業務経験を持つ人材は、業界でも珍しいだろう。Yahoo!ニュースには記事提供元としても関わってきた経験がある。
Yahoo!ニュースで導入された「全画面広告」とは、インタースティシャル広告やインステとも呼ばれる広告形式である。記事を読もうとしてページを遷移すると、画面全体に大きく表示される広告のことだ。現在はPCでのみ実装されており、スマートフォンでは確認していない。
この全画面広告は、現在パブリッシャー(媒体運営社)にとって目を背けることのできない重要な収益源となっている。数年前にGoogleが全画面広告の導入を推奨して以来、媒体社は恐る恐るながらも導入し、通常の広告枠よりも高い収益性を実感してきた。
その収益性の高さには明確な理由がある。第一に、画面を大きく占有するため視認性が極めて高い。第二に、クリック率が高い。これには閉じるボタンの誤タップも含まれるが、それでも数値として結果が出ているのが現実だ。
Googleはその後、発展型とも言える「オファーウォール」もプッシュしている。これは全画面広告に加えて「コンテンツを見たければ15秒間広告を視聴してください」という仕組みである。この手法も圧倒的にシェアを拡大している。媒体社にとって、ユーザーエクスペリエンスの悪化は承知の上だが、収益性の高さを無視することはできない現実がある。
重要なのは、全画面広告の収益性の高さに比例して、通常のディスプレイ広告における収益性が年々低下し続けている点である。歯止めがきかない状態と言ってよい。
従来、1枠あたりのCPMが下がった場合、媒体社は「広告枠数を増やす」「広告サイズを大きくする」「ヘッダービディングなどでより多くの入札者を接続し、収益機会を拡大する」といった対策を講じてきた。純広告は頻繁に獲得できるものではなく、一時期話題となったクッキー規制対応の確定ID活用なども、状況の変化により現在は下火になっている。
そうした中で、全画面広告は「最後の砦」なのである。これ以上大きいサイズの広告は基本的に表示できない。ユーザー体験は悪化するものの、媒体社には「10年前に嫌がられていた下部オーバレイ広告も、今では市民権を獲得している」という実体験がある。つまり、「批判されても継続すれば、やがてユーザーは慣れる」という考えが根底にある。
事実として、国内のニュースメディアのほとんどで、オーバレイ広告も全画面広告も導入されている。
しかし、Yahoo!ニュースが導入に踏み切った意味は、他の媒体とは根本的に異なる。
Yahoo!ニュースはこれまで、圧倒的なページビュー数を誇りながらも、広告を増やすことに一貫して慎重な姿勢を崩さなかった。記事中広告は掲載せず、オーバレイ広告も一定の位置までスクロールしないと表示されないなど、他社ポータルサイトよりも明らかに意図的なブレーキをかけていた。
そのYahoo!ニュースが、PCのみとはいえ全画面広告を導入したのである。
この背景には、いくつかの要因が考えられる。
まず、収益性向上への切実な必要性である。広告市場の競争激化により、従来手法では十分な収益確保が困難になっている可能性がある。
次に、コンテンツ戦略との関係である。「1記事100円程度の価値しかないコンテンツは誰も購入しない」という現実がある。SNS発のいわゆる「こたつ記事」に対してヤフーコメントで「こんな記事でよいのか」という批判が集まることもあるが、結局こうした記事が最も読まれている。媒体社も掲載を減らさず、Yahoo!側も実質的な規制をかけていない。「どうせこの程度の記事なら、全画面広告で収益化してしまおう」という開き直りがあるのかもしれない。
さらに、Yahoo!広告としての事業判断も影響していると推測される。Yahoo!の全画面広告パフォーマンス(クリック率など)は非常に優秀で、アイモバイル、GMOなどのSSP(サプライサイドプラットフォーム)を介した媒体社への導入がここ数年で急激に増加していた。今年に入って条件をさらに緩和し、プッシュしている状況もある。「自社商品が他社で収益を生んでいるのだから、自分たちの媒体で活用しない手はない」という社内での議論があったと想像される。
これらは推測に過ぎないが、的外れではないだろう。Yahoo!の言い分としては「ユーザーシェアの多いスマートフォンでは表示していない」「ユーザーあたりの表示回数はコントロールしている」「品質の低い広告クリエイティブは除外している」といった反論が出てくるはずだ。つまり、ユーザーと事業者双方の妥協点を探っているということである。
また、GoogleにもYahoo!にも、プラットフォーマーとしてのジレンマがある。広告事業とメディア事業を両方手がけている以上、自社メディアは自社広告商品の格好の実験場でもある。
象徴的な出来事として、今年初めにGoogleのあるチームが媒体社に対して「広告が占めるスペースが多すぎるため、ペナルティを課す」という強気の警告を出した。しかし並行して、全画面広告やスマートフォン画面の50%近くを占有する「折りたたみ式オーバレイ」の導入を推奨するなど、非常に困惑するダブルスタンダード状態となった。
Yahoo!の場合、全画面広告のパフォーマンスの良さが他媒体での実績として明確に示されている以上、「自社だけ導入しない」という判断は社内政治として成立しなかったのだろう。Yahoo!ニュースこそが、日本屈指の広告媒体なのだから。
しかし、ここ数年の他媒体の状況を見れば明らかなように、全画面広告を一度導入してしまうと、それを停止するのは非常に困難である。目に見えて収益性が向上するため、その売上を失ってまでユーザー側に歩み寄るのは現実的ではない、という意見が必ず出てくる。
週刊誌のウェブサイトやデイリースポーツなどを見れば、全画面広告に限らず「広告を適切に間引く」ことがいかに困難かが理解できる。もはやコンテンツが見えない状態になっている媒体も少なくない。権威あるメディア、例えばNumberWebのようなサイトでも、全画面広告は欠かせない収益源となっている。
これはまさに、引き返せない修羅の道である。一度この道に足を踏み入れると、ユーザビリティが最優先される世界ではなく、「広告をいかにユーザーに馴染ませ、表示頻度を調整するか」という発想が支配的になる。
個人的には、スマートフォンでもYahoo!ニュースに全画面広告が表示される日は、そう遠くないと感じている。
無料でユーザーが閲覧できるWebメディアの運営を成立させるには、広告やアドテクノロジーが必要不可欠であることは紛れもない事実である。しかし、収益追求の果てにある「節操のなさ」は、もはや天井知らずの状況に近づいているのかもしれない。
Yahoo!ニュースの全画面広告導入は、単なる一企業の戦略変更ではない。日本最大級のニュースプラットフォームによる「ユーザー体験よりも収益性を優先する」という明確な意思表示なのである。この選択が業界全体に与える影響を、我々は注意深く見守る必要がある。
自戒の念も込めて、この現状に一石を投じたい。
AIは仕事を奪わない。ただ、お前の仕事を「ブルシットジョブ」に変えるだけだ。
AIの進化が止まらない。「シンギュラリティは近い」「人間の仕事が奪われる」といった言説が、期待と不安をないまぜにしながら世間を賑わせている。しかし、所詮こうした言説は頭が悪くて、暇な人間が、無い知恵を絞って考えたことにすぎない。
結論から言えば、AIは人間の仕事をなくしはしない。ただ、これまで一部の限られたホワイトカラーが担ってきた数少ない「意味のある仕事(ここではノンブルシット・ジョブとでも呼ぼう)」すら駆逐し、その大半を「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」に変えてしまうだろう。
この変化は、すでに我々の社会に兆候として現れている。例えば、インターネットで隆盛を極める「驚き屋」のような存在だ。他人が作ったAIモデルやサービスを見て、ただ大げさに驚いてみせる。それが一つの職業として成立し、収益を生んでいる。これは、社会の本質的な価値創造とは無関係なところで、人間の感情を揺さぶることだけを目的とした、典型的なブルシット・ジョブと言えるだろう。
ホワイトカラーには、もはやAI企業の誇大広告に加担して、頭の弱い奴らを勘違いさせ、小銭を稼ぐ、といったしょうもない仕事しか残されていない。
AIが人間の知的労働を代替し始めると、このような「価値があるように見せかけているが、実態は空虚な仕事」が爆発的に増えていく。驚き屋の台頭はAIによるブルシット・ジョブ化の序章に過ぎない。
o3が登場した際、日本の社会的なインパクトは限定的だった。これを「日本が遅れている」と見るのは間違っている。むしろ、この静けさこそが、日本の労働市場の真実を如実に示している。
一つは、日本の労働人口に占める生産性の低いブルーカラーの割合が依然よりずっと高くなり、AIでは効率化が難しいということ。そしてもう一つは、より深刻な問題だが、ホワイトカラーの仕事の多くが、すでに効率化する価値もないブルシット・ジョブで埋め尽くされているという現実だ。
ブルシット・ジョブはどれだけ効率化してもブルシット・ジョブである。そもそもAIで効率化しようという発想自体がナンセンスだ。もともと価値がないものをどれだけ効率化したところで価値は生まれない。価値がある仕事を受け持つ人間がいないのだから、どれだけ高性能なAIが出てきても、豚に真珠である。
数少ないノンブルシット・ジョブについても触れておく。
「AIで業務が劇的に効率化した」という成功例も聞こえてくる。しかし、その多くはAI関連サービスを売りたい企業のポジショントークか、一部の成功者の生存者バイアス、あるいは都合の良い部分だけを意図的ないしは誤って切り取った認知の歪みによるものだ。
AI導入のために費やされた膨大な時間、試行錯誤の末に積み上がったコスト、そして導入したものの結局使われなくなった無数の失敗例。これらすべてを考慮に入れてトータルで見た時、真に「成功した」と言える事例はごくわずかに絞られる。我々は、輝かしい成功事例の裏に屍のごとく転がる失敗の数々から目をそむけてはならない。さもなくばAIで業務を効率化すると社員を駆り立てる行動そのものがブルシット・ジョブと化す。
そもそも仕事がブルシット・ジョブに侵食されていくなかで、果たして「効率化」は本当に必要なのか。数少ないノンブルシット・ジョブまですべてブルシット・ジョブに変えて我々人類は何がしたいのか。
現代の資本主義は、しばしば「運ゲー」と揶揄される。どの時代に、どの国で、どんな親のもとに生まれたか。その偶然が人生を大きく左右する。AIはこの運ゲーの性質の一部を構成していくだろう。
これからの世界で勝者となるのは、たまたまAIでもできそうな仕事が見つかり、たまたまその仕事をAIがうまくこなし、そして、たまたまそれがマネタイズに繋がった人間だ。そこに必要なのは、卓越した能力や血の滲むような努力ではない。ただ、人より運が良かったかどうか。AIという新たなルーレットの上で、我々はより一層、偶然に翻弄される存在となっていくだろう。
AIは、我々から仕事を奪いはしない。そもそもAIが奪う価値がある仕事などもはやほとんど残されていない。そしてその残された僅かな仕事からも「意味」を奪っていく。我々はこれから、AIが生み出した虚構の成果を右から左へ動かすだけの、果てしないブルシット・ジョブの海を漂うことになるだろう。