
はてなキーワード:マダムとは
* 出勤再開とオフィスの提供物:リモート生活が終わり出勤者が増加。オフィスにはウォーターサーバー、運が良ければコーヒーやスープのサービスがある。
* 筆者の状況:
*オフィスは水とインスタントコーヒー飲み放題。
* 筆者はコーヒーをブラックで飲みすぎた結果、体質的に合わなくなり、紅茶派に転向。
* 午後の「ホッと」を求めて:
* 当初は朝淹れた紅茶をタンブラーで持参(タンブラー利用への自己ツッコミあり)。
*昼過ぎに紅茶がなくなり、寒い時期になり、ウォーターサーバーのお湯では物足りなくなる。
* 「お湯を飲んでもホッとはしない」。寒さによる鬱の小さな版として、**淹れたての紅茶による「ホッ」**を午後に求める。
* 別のコンビニで見つけたリプトンイエローラベルは「あまりのまずさ」に飲むのを断念。
*オフィスの近くの洋菓子店は、1pc 250円もするのに「鼻が曲がりそうなほど臭いフレーバードティーしかなかった」。
* 古のインターネットでの「にわか」批判を認識しつつも、ルピシア一択。
*店舗でのモヤモヤ:店員に「贈り物ですか?」と聞かれることへの違和感。紅茶好きは自分で選びたいため、プレゼントは「ナンセンス」だと考えている。
*マリアージュフレール: 「素敵なマダムがイケメンから紅茶を買うという体験を得るための店」(最近はそうでもない)。味が好きならルピシアのメルシーミルフォアで代替可能。
*ティーポンド:ストレートティーを買うには悪くないが、ブレンドは高価で、立地も不便。
* その他:フォートナム&メイソンはデパ地下で素通り、カルディのジャンナッツは「架空ブランド」。
*個人経営の専門店: 昔のレビューで「ダージリンは高いのでやめたら?」と嫌味を言われた例から、斜に構えたイメージを持ち敬遠。
4.100円均一での決定的な悲哀
* 茶葉の購入と百均への移動:
*オフィスに置く用のベルエポック(茶葉50g)を購入後、百均へ。
* (後悔:コスパの呪いでティーバッグで買うことに気づかなかった。)
*ティーバッグ用ではない、球体や深型のティーストレーナーを探すが見つからない。
*紅茶用品:昔ながらの取っ手付きの茶漉し一つのみ(「紅茶にも使える」程度)。
*感情: 「しんみりと悲しい気持ちになった」。便利なグッズが並ぶ百均で、紅茶用品は昔ながらの「台所で眠っているような茶漉し」だけ。
* **「世の中の紅茶飲みは冷遇されている」**という主張。
*自己認識と考察:冷遇は我々紅茶飲み側の**「こだわりが強い」**ことの裏返しかもしれない。
*ルピシアで茶葉を買う、百均で茶漉しを買う、といったユーザーは想定されていない可能性。
* 汎用の茶器ではなく、特定の口径の茶漉しをハンズやAmazonで購入。
*ガラスでジャンピングを見る演出や、陶器にティーコジーといった「ほっこりした演出」は不要。
長いリモート生活が終わり、会社に毎日出勤する人も増えたことだろう。私もその一人である。
オフィスには大概ウォーターサーバーとかがあり、運がよければコーヒーやスープまで出てくるやつが置いてある。
残念ながらうちは水オンリーだが、インスタントコーヒーは飲み放題となっている。
コーヒーも好きなのだが、ストレートコーヒーにハマってブラックで飲みまくっていたら腹を下すようになってしまった。
しかも、淹れたてのやつだ。
タンブラーで紅茶飲むなと怒られそうだが、カップを持っていくほどではなかった。
だがそれは気温が高いうちだけだった。
朝淹れのお茶は、昼頃にはなくなる。
その後はウォーターサーバーの胡散臭い水素水とかを飲んでいたが、最近寒い。だから赤い栓から出るお湯を飲む。
でもなんか、違うのだ。
お湯を飲んでもホッとはしない。
人間は寒くなると鬱になるとか言うが、それの小さい版だ。ホッとしたい。
そして紅茶を求めてコンビニへ行ったが、下手するとティーバッグすら売っていない。
私ははしごをして別のコンビニへ行き、リプトンイエローラベルを手に入れたが、
あまりのまずさに飲むことを断念した。
また次の日も午後になってもお茶が飲みたくなり、
オフィスの近くにある洋菓子店を訪れたが、1pc250円はするくせに鼻が曲がりそうなほど臭いフレーバードティーしかなかった。
私は諦めてルピシアへ行った。
ルピシアなんかで紅茶を買うやつはにわかだ、と古のインターネットではよく叩かれてた気がするのだが、
茶園もののストレートティーは当時から評価されていた気がするし、私も買ってるが、
よく飲むのはベルエポックというタージリン系のブレンドティーだ。
背伸びをしてストレートティーを買いに行っているうちに福袋に入ってたかなんかで飲んで、これでいいやってなった。
ルピシアに行くと特徴的な声の店員が贈りものですか?お伺いしましょうか?みたいなことを言いながらやってくるが、
贈り物なんか買ったことはない。この駅ビルが新装開店した当初からずっとだ。
お茶をプレゼントするなんて多分ナンセンスだ。おそらくは紅茶好きは自分で選んだお茶を飲みたい。
というか、店のちょっと入り組んだところでストレートティーを物色してる客が贈り物を選んでいると思うか?
お前たちの顧客は入り口の一番目立つ棚にあるギフトボックスをスルーして、袋入りの茶葉を見ている客が、
誰かのためのプレゼントを迷っていると思うか?
というもやっとした気持ちはあるが、とりあえずルピシア一択だ。
マリアージュフレールは素敵なマダムがイケメンから紅茶を買うという体験を得るための店だと思っており、
あまり飲んだことはない。
今は垢抜けないモブの男、垢抜けないモブの女が店になんとなく立っているし、
制服も素敵なイエローのスーツでもなくなった気がする。店によるかもしれないが。
マルコポーロを飲んでいる自分ではなくマルコポーロの味が好きなら、
ティーポンドは清澄にできた当初、またハイソぶってる小綺麗な店ができたと思ったが、
ストレートティーを買うなら悪くない。ブレンドは高いので飲んだことない。店もターミナル駅にあるわけじゃないし。
フォートナム&メイソンなんかの大御所はデパ地下で素通りしたことしかないし、カルディにあるジャンナッツは架空ブランド。
ダージリンは高いのでやめたら?と嫌味を言われたと低評価をつけられているのを見たことがある。
でも個人店全般にそういう斜に構えたジジイがやっているイメージを持ったからわざわざ行こうとは思わない。
ここまで書いて、私自身もその嫌味なジジイじみていることに気がつく。もうすぐでこの日記は終わりにする。
それで、会社に置く用のベルエポック(袋入り茶葉50g)を買って、
百均に来た。よく考えたらティーバッグで買えばいいのだが、コスパの呪いにかかっているので気が付かなかった。
今やディスカウントショップの互換となった百円均一。日本国民の暮らしを支える一部になっていることは間違いない。
だってちょっとした茶器を買う店が思いつかないんだから。(よく考えたらあったけど)
ただの"茶漉し"ではなく、なんか球体になっててカップに鎮められるやつか、カップで直接淹れられる深いやつ。
でもなかった。
コーヒー用品は5種類くらいの素材の違うドリッパーやペーパーフィルターなどの小道具がたくさん。
紅茶用品といえば、昔ながらの取っ手付きの茶漉しだけ。紅茶用品というか、紅茶にも使えるって感じ。
それを百均で買ってどうする?
我が家にも長らく使わなくなったただの茶漉しくらいある。
インスタグラマーがバカの一つ覚えみたいにこれ欲しかった!って動画にして、
即完売するようなグッズが売りではなかったのか。
それが、こんな台所で眠っているような茶漉し。
私はしんみりと悲しい気持ちになった。
でも、それは違うかもしれない。
贈り物で紅茶なんてナンセンスと言うように、我々のこだわりが強いのかもしれない。
そんなユーザーはもはや想定されていないのかもしれない。
たしかに、ヴィンテージのポットに合う口径の茶漉しをハンズまで買いに行ったり、なくてAmazonで買ったりしていた。
発売当時に偶然見つけて以来、ずっと使っている。
我々がガラス製でジャンピングを見て喜ぶと思うか?陶器にティーコジーを着せていた頃もあった。
これさえあれば、2杯目もあったかいままだ。
このように、我々は気難しいのだ。
Permalink |記事への反応(38) | 20:16
ちくしょう、サツだ! 奴らはいつもこうだ。張り込みには絶好の場所と見せかけて、俺のささやかな楽しみを台無しにしやがる。
窓の外、路地を挟んだ向かいのビル。そこから聞こえる、低い、忌々しい声。俺は震える手で、グラスに残ったチョコレートパフェの最後のクリームを掬い上げた。
この店を選んだのは失敗だった。街で一番古い、目立たない、最高の和風抹茶パフェを出す店。俺の秘密の逃避行にぴったりのはずだった。
無視だ。今、俺には重要なミッションがある。それは、ベリーパフェを食べ終えること。冷たいアイスと甘酸っぱいソースが、胸のざわめきを一時的に鎮めてくれる。
ふと見れば、店のマダムが心配そうな顔で俺を見ている。俺は力なく笑い、テーブルの上に置かれたメニューを指差した。
「マダム、プリンアラモードパフェと、それから、季節のフルーツパフェ、お願いします」
合計5杯。俺の人生の最後の晩餐が、こんなにも甘くて冷たいものになるとは。
扉が勢いよく開く音がした。サツだ。だが、間に合う。俺はカツンとスプーンをグラスに当てた。
「お前ら、待てよ。この最高の甘美を味わい尽くすまでは、俺を捕まえられねぇ」
テラス席に座って、風が髪をくすぐるのを感じながら一息ついてたら、ついウッカリ肘がテーブルに当たってカップがガシャーン!
「あ゛あ゛あ゛あ゛!!」ってなるじゃん?
ところがだ、私が慌ててティッシュを探してるうちに、目の端に何かがチラチラ揺れてるのを感じたんだ。
見ると、床にこぼれた紅茶の水たまりの真ん中から、小さな光の粒がフワフワ集まってきて、気づけば全身キラッキラの小人みたいなやつが立ってた。
「あなた――飲んでいたのは金のコーヒーですか? 銀のコーヒーですか?」
おいおいおい、なんだこの展開は。金のコーヒー? 銀のコーヒー? 私は紅茶だよ、紅茶。
そいつはめちゃくちゃ不満そうに眉をひそめて、ちっちゃい腕を組んだ。
こっち見上げながら、こんなことを言いやがったんだ。
「魂の錆びを磨く術?」
問い返す私を、妖精は嘲笑うみたいにクルッと一回転してこう続けた。
「金のコーヒーは──希望を、銀のコーヒーは──絶望を、そして紅茶は──無邪気という幻想を宿すもの。だが無邪気は真実を映さぬ鏡。あなたの胸の奥で、何が渇望しているのかは、見せぬままだ!」
はあ!? 訳がわかんない。紅茶を飲んだだけなのに、なんで私の心を見透かされなきゃなんないのよ。
「だったらアンタ、私に何を望んでんのよ?」
妖精は少しだけ不敵に笑ってから、ひらりと空中で舞い上がり、テーブルの上に飛び移ってこう言った。
「それでも紅茶という虚飾を選んだあなたに告げる。今夜、月の影をすくい取る旅に出なさい。そして金と銀の杯を見つけし者のみが、本当の味を知るでしょう――」
――ああもう何言ってんのコイツは。旅になんて出ないっての!
シュワシュワした魔法の粉を振りかけるみたいに、妖精がキラキラと輝きながら飛び去っていくのを見届けたあと、私はポカンと口を開けたまま紅茶をすすった。
あれ?紅茶を手に持ってる?
隣のテーブルのマダムがこちらを一瞬見たが何事もなかったように視線を戻した。
なんだか胸の中をコポコポと紅茶の気泡みたいな疑問が浮かんで、気づけば誰もいないテラスには、こぼれた紅茶の水たまりだけがゆらゆら揺れていた。
やっぱり紅茶こぼれてるじゃん。
私は何食わぬ顔で、紅茶を最後まで飲み切って何食わぬ顔で店を出て、何食わぬ顔で歩き出した。
まあ、こんなこともあるか。と切り替えて現実に集中することにした。
でも自分でもわかってる心の何処かで思ってるんだ。
私はH(ものによってはG)の75。大きい方の分類なると思う。
なぜならこの大きさだと「大きくていいですね」「もっと華やかに」とか言ってくる店員ばっかりだから。「大きくいいわねぇ~」「どんなものを食べたのかしら?」「どうやって大きくしたの?」っていうマダム系定員が一番嫌。知るかよ。勝手にデカくなった。
ゴテゴテレースを勧めてくる、谷間を出すブラを勧めてくる、なんか見せる前提のデザインを選んでくる。
私は毎回それに「大きすぎても服は合わないので…」「胸に合わせたらデブっぽくなるので…」「谷間なんて蒸れるだけなんで」「というかレース系は肌荒れするので」「運動する時邪魔なので」って答えているけど「でも大きい方がいいですよ!「せっかくですし活かしましょう!」って言われる。
母に相談したところで「巨乳自慢」「贅沢な悩み」「ない人のことも考えろ」「デカくていいじゃん」しか言われない。きっとこれを見ている人も「どうせ自慢」としか言わないと思う。自慢の域はもう越えてんだよ。身長180cmじゃなくて2mはデカすぎんだよ。
ネットじゃ「モテていいじゃん」とか馬鹿がよ。体目当ての奴にモテて何が嬉しいんだよ。体目当てで喜ぶタイプじゃないんだ私は。
というか私はモテておりませんので、その理論は通用しません。彼氏いない歴年齢。その一点だけでモテるわけないじゃん。というか、体だけでモテたいとかキショすぎて無理。感情ってもんがあんだよ。繁華街を歩いていて、明らかに胸を見られるの嫌すぎんだよ。みんながみんな、私の体みてみて!したいわけじゃないんだから。
好きなデザインのブラはサイズないし、服だって胸に合わせりゃ他はダボダボだし、「モテるでしょw」ってキショイこというやつはいるし。
何事もほどほどが一番なんだよ。身長2mの人だって困ってんだろうが。いとこが2m近いが日常生活苦しんでんぞ。一緒だよ。
今回はいままでのブラがさすがに合わなくなったし、通販はフィット感が博打すぎるので試着と買いに行った。
担当の店員さんが巨乳だった。そういえば巨乳の店員さんは初めてだなと思い、「すっきりさせるやつがいい」とお願いした。ヒアリングのチェックにも『締まるライン』『ホールド力』に記入した。
でも「どーせ超フリフリの谷間&大きさ強調されるブラを持ってこられるかなぁ」と思っていた。
しかし、店員さんが持って来てくれたのは私が望んでいた通り引き締まるブラだった。
店員さん「これならダボッとした服を着なくていいです!」
試着した時に私が「すごい!ぼわっとした感じじゃない!小さくなった!」って感動すると「そうでしょうそうでしょう!これ、めっちゃシュッとしたラインになるんですよ!」って喜んでくれる。
強調したくないことをわかってくれたのか、ゴテゴレレースみたいのではなく、少ない中シンプルデザインを持って来てくれる。今まで出会った店員と全然違う!チップあげたい!
胸に合わせると着れる服がない、体にフィットするタイプだと上半身が膨らみ過ぎてデブになる、シャツはワンサイズ上になり袖丈があわない、運動する時くそ邪魔、うつ伏せは論外(マッサージ行けねぇ)、変な男に絡まれる…諸々の巨乳悩みを理解していた。
「これならスーツでも大丈夫」とか「ニットも安心して着れます」とか「抑えたいですよね。辛いですよね」とか「胸の形によって相性がありますから、合うのを徹底的に探しましょう」とか。
値段も「大きいと高くなっちゃいますよね…安いのもあるのでそちらも着てみましょう」と、本当に悩みに適したものを探してくれて2時間くらい試着も含めていっぱい探してくれた。汗びっしょりにさせてすみません。ありがとうございます。
結果、めちゃくちゃいいブラに出会えた。胸が強調されず、ダボッとした服にしなくてもよさげ。そして、揺れない!圧倒的なホールド力。しかも谷間ができずに蒸れも少ない。ワイヤーがあるけど感じない。
嬉しすぎて小躍りして帰宅しちゃった。
【追記】
同じ悩みの方がメーカを知りたい!ということで…。
1950年ごろからブラジャーを販売している日本のメーカーです。買ったのは重力に負けねぇブラ。
今回、無料診断ってのを利用した。どうやら専門カウンセラーだったので詳しかったのかも。
今まで、店舗にいた適当な店員さんにみてもらってたのがよくなかったのかもしれない。
あと、2時間なのは私がわがままなだけだったので…すみません…。ちゃんと文章以上に「神ですね!」「さすがですね!」ってお伝えしています!
良きブラライフを!
Permalink |記事への反応(29) | 17:30
元増田です。忘れてたけどデュピクセントは冷蔵保存必須だから開業医と連携してるような小さい薬局だと取り扱いないかも。
俺はマダム先生から紹介状出してもらって近所の総合病院で診察、総合病院の隣の薬局で処方してもらってる。
いずれにせよ長年なかなか治らない人にはステロイド以外の治療はチャレンジする形あると思います。
姪っ子に直接言うより親(増田のきょうだい)にさりげなく話した方がいいかもです。本人が言われなくても一番気にしてるので…。
糖尿病のエントリーがあがってたけど、アトピーも最近新薬の進歩がすさまじいので書いておきたい。
ちなみにワイは幼児の頃発症、高校生くらいまではあまり問題なかったけど社会人になってから増悪、そこから10年くらい苦しんだけどデュピクセントという薬でほぼ完治した。デュピクセント治療前は三週間に一回くらい通院してたけど、今は半年に一回も行かないくらいで済んでます。
1、ステロイド
いろんなランクのを使ったけど、ひどい時はストロングでもほぼ効果なし。
全身常に赤いし、関節はひび割れ、顔のむくみもひどかった。多少の波はあったものの、10年くらいこの症状が続く。
身体的なつらさもあるが、何よりビジュアルがひどかったので今でも鏡や自分が写真に映るのを見るのが怖い。何より快復していかないと自分の中で諦めが先行してしまい、治療も投げやりになってく悪循環が続いた。
とはいえ軽度であればステロイドのプロアクティブ療法で十分なケースもあるので、ステロイド自体を軽視するのは避けたほうがいい。
ステロイドとは作用が異なる免疫抑制剤。かゆみを抑えるのだが、塗ったところがほてるという副作用がある。これで逆にむずむずしてしまったためやめてしまった。
3、コレクチム
2020年の新薬。炎症が起きるメカニズムを途中で阻害してくれる。
プロトピックのような副作用もなく割と効果があったように思うが、若干お高いのと、小さいチューブの薬剤を毎日全身に塗るわけにもいかないので根本的な解決には至らなかった。
4、デュピクセント
2018年の新薬。それこそ糖尿病のインスリン注射のように腹に自己注射する。多少の痛みはあるが、ふくよかな腹のおかげで毎回憂鬱になるような痛みではない。
2021年くらいに当時通っていた皮膚科のマダム先生に紹介されて試した。これまでの薬に比べてバカ高い(3割負担でも一本1万円以上。年々下がってはきている)が、効果は絶大だった。
投薬したその日の夜にはかゆみが落ち着き始め、数日すると表皮に人の色が徐々に戻っていった。さらに1-2ヶ月でどんどんひび割れなどのダメージが快復、1年程度でほぼ完治した。
今はヒルドイドで風呂上がりに顔を少し保湿する程度。ステロイドは一切使っていない。デュピクセント自体も病院の承認の下で月1本程度で収まっている(本来は2週間で1本)。
金はかかるものの、費用対効果と通院を減らすタイパを考えるとQOLの上がり方は他の薬とは比較にならない。
確定申告や高額医療費の制度を使えばある程度は負担も緩和できる。
さらにモイゼルトとかブイタマーといった新薬もここ2-3年で出てるけど、デュピクセントでほぼ治っているのでお世話になっていない。
ここではアトピーの話しかしていないが、慢性的な症状が続くタイプの病気も年々治療法や付き合い方が変わって気がついたらいい治療法が出てくることもあるので、専門医にかかるのは本当におすすめします。
春からここ4ヶ月ほど、仕事が山場を迎えてしまい、月金はほぼ24時前後の帰宅という状況だった。
で、まだまだあるものの、一山超えて休暇が取れそうだったので、この3連休に1つ足して4連休として、そのうちの3日を二泊三日の旅行に充てることにした。
自分はJREバンクに口座を持っており、どこかにビューーーン!の割引優待があるので、行き先はJR東日本に決めてもらう。
どこかにビューーーン!は自分で選んだ4候補の中から最終的にJR任せになるのだけど、東北、秋田、山形、上越、北陸のうち、上越・北陸の候補に当たりやすい配分になっているらしく、今まで2回して新潟・長野だった。
なので、今回も新青森、秋田、盛岡、上田の候補で応募したときに上田になるかもと思っていたが、果たしてそうだった。
まあでもこの候補も「どれが当たっても観光できそうだ」というところだったので、割引率とかは深く考えずに上田を楽しむことにした。
とはいえ、上田に関しては真田幸村と別所温泉くらいで自分的に刺さる「コレ」といった目標がなかなか出てこない。
長野の人は真面目だそうだが、新潟の「バスセンターのカレー」とか長岡の「松田ペットの謎看板」みたいな、ちょっと変な名所を面白がっていくようなところはあっても良いように思う。
まあともかく、1日目は上田城と柳町を見学、2日目は別所温泉、3日目は街ぶらしながらお土産選びでもしようとなった。
東京駅から新幹線に乗り、12時頃に上田駅に到着、7月の上田は低温サウナのような蒸し暑さだった。
現地の温度計を見ると36℃。
あまり動き回りたくもなくなるようなとんでもない暑さだけど、昼食は上田でとるつもりで駅弁も食べてなったので、当地の名物であるあんかけ焼きそばをたべに日昌亭に向かう。
さすが上田は山間の街である、遠景には緑の山が聳え立っている。
14:30ランチタイム終了の日昌亭に13:30に到着したのだが、住宅街の中にあるのに、店内は待合が5〜6組ほどいて、「暑すぎで街では人見かけなかったのに、みんなこんなに焼きそば食うために外に出てきたんか」という光景であった。
しばらくして席に着くと、あんかけ焼きそばが出てくる。
柔らかさを残しながら揚げ焼きにしたような麺に、野菜とチャーシューが乗った餡がオン。
味は一口食べて「めちゃくちゃうまい!!」という感じではないが、毎日食べても飽きそうにない優しい味であった。
ご当地焼きそばというのは結構面白いので、あったら食べるようにしている。
腹ごしらえもすんで上田城へ。
上田の駅に降りてから至る所で六文銭を見かけるので、上田の人たちにとって真田氏は大きな存在なのだなあと感じる。
あまり戦国マニアではないので、楽しみ方がわからなかったのだが、だいたい土足厳禁なことが多いやぐらに靴のまま気軽に上がれるのは良かった。
上田城は戦国時代、城の東に川が流れており、攻撃しずらい立地であるようだった。
上田城内は今は真田神社となっていたので参拝。別に勝負事をしているわけではないが、もしもの時、日本一の武士のご加護があるやもしれない。
日本家屋が並ぶ風流でこぢんまりとした通りなのだが、ここには日本酒ランキングサイトSAKETIMEで3位に輝く信州亀齢の酒蔵がある。
あまり全国に流通しないそうで、安定して買うならここなのだそうだ。
お土産にカップ酒でもあれば買いたいところだったのだけど、カップ酒はやめてしまったそう。
自分で瓶を買うほど飲むタイプでもないので、ここは見学だけして帰ることにした。
お土産や兼観光センターのようなところで休んでいたら、見たことあるキャラクターの木彫りが。
そういえばという感じなのだが、上田は映画サマーウォーズの舞台となったところらしい。
映画で描かれている日本の夏の原風景のような田舎町ってこの辺りなんだな。
一旦、ホテルルートイン上田グランデにチェックインして、夕食は上田名物の美味だれ焼き鳥にすることにした。
にんにくと野菜と醤油ベースのタレにドボンと漬けて焼き鳥を食すもので、ネットで調べたら、うまい店は上田駅構内にあるとのこと。
ホテルも近いし良いじゃないかということで素直に上田電鉄脇の焼き鳥屋に。
五本串を頼んだのだが、美味だれという振りかぶったネーミング、駅ナカという立地でありながら、ちゃんとうまい。
上田の暑さで汗をかいたので、塩味がしっかり効いている鶏肉が舌に嬉しい。
さらにここでは地酒が飲めるので、先ほど見送った亀齢を飲むことに。
甘さがあってしっかりした味わいだけど、不思議と飲み飽きることがなく、優しくバランスの取れた味わいだった。
上田に行ったら是非飲んでみるべきだと思う。
日本酒ずきは買ってもいい。
この上田電鉄ホームもサマーウォーズにバッチリ描かれがれている。
ローカル線の車窓から見える青と緑の光景は「イメージの中の日本の田舎」という感じで、これが見れるなら上田に来るなら夏の方が面白いのかもしれない。
本当に暑いが。
多分43℃以上は確実にある。
あつい中で熱い温泉に浸かって結構タフだったので、日の出食堂で馬肉うどんを食べることに。
馬肉の味もしっかりしているし、卓上の七味唐辛子ともよく合う。
この別所温泉では外湯3つを制覇するつもりだったので、日の出食堂すぐ向かいの石湯に直行。
別所温泉をでて温泉町の方を歩いていくと、遠景の山の中に日本家屋の壁が1枚だけ起立しているような不思議な構造物が見えるのだが、これは常楽寺隣にある別所神社の神楽殿であり、ここから別所温泉の街を一望できる。
都会暮らしではなかなか見ない立派な藁葺き屋根の常楽寺を見た後は下山して、最後の外湯である大湯へ。
3つの外湯の中では最も大きく、内風呂と露天の2つの湯船があるのだが、果たしてここもしっかり熱湯なのだった。
炎天下で歩き回った上に熱湯に3連続で浸かるのは、かなりの荒業だったようで、筋トレしすぎた時みたく膝の力が抜けたような感じになってきた。
エネルギーの枯渇を感じたので、上田駅に戻ってガッツリしたものを食べて栄養補給をすべく、駅前の上田から揚げセンターへ。
ここでもやはり美味だれがバッチリかかった唐揚げ定食をいただいた。
最終日の3日目は特にやることがないが、お土産探しと、地元のスーパーなどを見学すべく街ブラ。
地元スーパーのツルヤはフロアがだだっ広く、キノコの種類が豊富。
お土産はというと、駅前の大正ロマン溢れる門構えのみすず飴本舗でみすずあられと、自分用にジャムをいくつか。
前回、長野に来たときにみすず飴は一度買ってきていたので、もう一品気の利いたものがないかと調べると、エトワールという洋菓子店のものが良いらしく、向かってみる。
店内に入ってリーフパイなどを物色していると、マダムがアロンディールというくるみとアーモンドの焼き菓子を激推ししてくる。
ちょっと圧倒されながら、そこまでいうならと購入。
マダム曰く「宣伝に余計なお金を使ってないのよ」ということらしく、なので知る人ぞ知るという感じなのかもしれない。
その後、地元の銭湯に入ってみたく、街を歩いていると、坂道でチャリの脇におっちゃんが警察に囲まれており、「転けたんかな」と思いながらそばを通りすぎるとおっちゃんが警察に囲まれながら「何みてんだメガネ、◯すぞ!」といきなり音を出すなど、不思議なアクシデントがあってちょっとびっくりした。
空が少し曇って暑さが和らぐ中、地元の銭湯で熱めの湯に浸かり、最後にあまりの美味さに駅ナカの美味だれ焼き鳥をリピートして新幹線に乗った。
出発前はどう楽しんだものかと思ったり、暑さにやられたりしたが、目に沁みるような夏の自然と、食べ物の旨さ、上田はなかなか良い街であった。
皆さんも機会があったら夏の日本の原風景を見に、ぜひ上田を訪れてみてはいかがでしょう。
以上となります。
ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に紅あかい睡蓮の花が咲いているのが見えましたが、それから三つき経ち、庭にコスモスが咲きはじめ、思いがけなく故郷の長兄が、ヒラメを連れて自分を引き取りにやって来て、父が先月末に胃潰瘍いかいようでなくなったこと、自分たちはもうお前の過去は問わぬ、生活の心配もかけないつもり、何もしなくていい、その代り、いろいろ未練もあるだろうがすぐに東京から離れて、田舎で療養生活をはじめてくれ、お前が東京でしでかした事の後仕末は、だいたい渋田がやってくれた筈だから、それは気にしないでいい、とれいの生真面目な緊張したような口調で言うのでした。
故郷の山河が眼前に見えるような気がして来て、自分は幽かにうなずきました。
まさに癈人。
父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜ふぬけたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。
長兄は自分に対する約束を正確に実行してくれました。自分の生れて育った町から汽車で四、五時間、南下したところに、東北には珍らしいほど暖かい海辺の温泉地があって、その村はずれの、間数は五つもあるのですが、かなり古い家らしく壁は剥はげ落ち、柱は虫に食われ、ほとんど修理の仕様も無いほどの茅屋ぼうおくを買いとって自分に与え、六十に近いひどい赤毛の醜い女中をひとり附けてくれました。
それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数度へんな犯され方をして、時たま夫婦喧嘩げんかみたいな事をはじめ、胸の病気のほうは一進一退、痩せたりふとったり、血痰けったんが出たり、きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と違う形の箱のカルモチンを買って来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それはヘノモチンという下剤でした。
自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。
と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。眠ろうとして下剤を飲み、しかも、その下剤の名前は、ヘノモチン。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
[#改頁]
この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細く吊つり上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の東京の風景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド・バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボールなど飲んだのは、れいの日本の「軍部」がそろそろ露骨にあばれはじめた昭和十年前後の事であったから、この手記を書いた男には、おめにかかる事が出来なかったわけである。
然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。
そこのマダムに見覚えがあり、たずねてみたら、まさに、十年前のあの京橋の小さいバアのマダムであった。マダムも、私をすぐに思い出してくれた様子で、互いに大袈裟おおげさに驚き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、
「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」
「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出し」
などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そのうちに、ふとマダムは口調を改め、あなたは葉ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、三冊のノートブックと、三葉の写真を持って来て私に手渡し、
と言った。
私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、すぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかくノートをあずかる事にして、帰りにはまたここへ立ち寄りますが、何町何番地の何さん、女子大の先生をしているひとの家をご存じないか、と尋ねると、やはり新住民同志、知っていた。時たま、この喫茶店にもお見えになるという。すぐ近所であった。
その夜、友人とわずかなお酒を汲くみ交し、泊めてもらう事にして、私は朝まで一睡もせずに、れいのノートに読みふけった。
その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手に私の筆を加えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、なお、有意義な事のように思われた。
子供たちへの土産の海産物は、干物ひものだけ。私は、リュックサックを背負って友人の許もとを辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、
「きのうは、どうも。ところで、……」
とすぐに切り出し、
「このノートは、しばらく貸していただけませんか」
「ええ、どうぞ」
「このひとは、まだ生きているのですか?」
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお店あてに、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は葉ちゃんにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これも不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」
「泣きましたか?」
「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」