
はてなキーワード:マイホームとは
この25年で買ってよかったものを発表する
一位.ドラム式洗濯機
これ最初に買ったのは13年ぐらい前かな?
なんだかんだ楽
感想もやってくれるし、もう御年68のデェベテランとしては腰曲げて突っ込むのはちょっとキツいかな
なんで、ジジイは買っとけ
二位. 家ーマイホームー
これはマジで思うね
ホリエモンが家買うなって言ってたし
地方だから全然価値落ちてるけどお前ら俺ぐらいの歳になったら家まともに借りられないぜ?
タモリが使ってるって言うんで買ったんだよ
27cmで1.6mm
チャーハンはギリ二人前
カレーなら半分
揚げ物も底に油そそいでジュッですむ
子供に買ってもらってそろそろ10年ぐらい同じの使ってんのかな?
基本これとヨドバシドットコムで買った700円ぐらいのトングで料理してるからほかは知らんけどまあ普通に長持ちしてる
3000円とか?だけど毎年フライパン買うよりこれでいいんじゃね?って思う
* 車のローンと同じ仕組みで住宅ローンを組んだ。
*営業マンの「月々の支払いが安くなる」という言葉に惹かれた。
* 残価(最終的な大きな支払い)のことは後で考えればいいと安易に決断。
*新築マイホームでの生活は、当初、支払いの負担が少なくて楽しかった。
* 二十数年が経過し、定年を迎え、残価の支払い時期が来た。
* 残価の金額(数千万円)が、退職金と貯蓄を合わせても全額支払うには厳しかった。
* 家を売却して残価を清算しようとした。
* 家の査定額が、設定されていた残価を大きく下回っていた。
* 残クレで元本がほとんど減っていなかったため、売却しても残債が発生した。
* 残った借金(残債)を抱えながら、賃貸マンションに引っ越した。
* 憧れのマイホームでの老後は実現せず、毎月の残債の支払いに追われる日々。
持ち家派と賃貸派の論争でも度々出てくるが、
金のない老人の老後の住処問題は深刻だ
どんどん老人が増えるから老人が借りられるようになる、と言うが資本主義社会はそんなに甘くない
自宅を売却して、何故か賃貸で自宅に住んでたら家賃が払えなくてマイホームを追い出されただの、とやってる。
マイホームゲットできるような勝ち組でもホームレスになる時代だ
もちろん、老人に貸してくれるアパートも罠がいっぱいだ。保証会社を強制的につけられて割高な賃貸料を払わされる
そして、金がある老人もゴミだ。
若者を安くこき使い老人の💩の処理をさせる
そんな国に未来はない
金のない老人も金のある老人も幸せに暮らせる街を作るべき。
老人をころせって話ではない。
30歳で年収1000万円の場合、金融資産は平均で500万~2000万円程度、中央値では200万~800万円程度と幅がありますが、年収1000万円以上の層では**資産が1000万円を超える人も多く、平均で800万円以上、中には1000万円超え(2000万円近い人も)**と、年収750万~1000万円未満層より大きく増える傾向にあり、資産形成は順調に進んでいると言えます。資産1000万円は30代全体で見ても上位層(約20%以上)ですが、年収1000万円なら到達しやすくなります。
年収750万~1000万円未満の30代:平均約804万円、中央値約400万円。
年収1000万円以上の30代:平均約1,979万円、中央値約800万円(年収1000万~1200万円未満のデータ)。
30代単身世帯の平均:平均594万円、中央値100万円(年代全体)。
平均より優位:30代全体の平均・中央値と比較すると、年収1000万円クラスは上位に位置し、資産1000万円は到達しやすい水準です。
二極化の傾向:30代では資産1000万円以上の人が20%超いる一方で、100万円未満の人も多く、二極化が進んでいます。年収1000万円なら、計画的な貯蓄・投資で1000万円超えも十分に目指せます。
目安と活用:金融資産1000万円はマイホーム購入の頭金にもなる水準で、今後のライフプランに合わせて適切な資産運用(NISA、iDeCoなど)を検討するのがおすすめです。
まとめ
30歳で年収1000万円は、資産形成において非常に有利な立場にあり、平均以上の資産(数百万円~2000万円程度)を築いているケースが多く、将来に向けた大きなアドバンテージとなります。
らしいぞ!
最近、台湾有事とかきな臭いニュースが増えたよな。アメリカと中国が睨み合ってて、日本も他人事じゃない、みたいな。正直、このまま戦争になったらどうしようって、漠然とした不安が頭をよぎる。
そんなことを考えてたら、ふと、今の高齢者世代ってめちゃくちゃ幸運だよなって思った。
あの人たちの親の世代は、第二次世界大戦で焼け野原になった日本で必死に生きてきた。そして、その子どもである今のジジババたちは、物心ついた頃には高度経済成長が始まって、日本がどんどん豊かになるのをリアルタイムで体験してきたわけだ。
若い頃は頑張れば頑張っただけ給料が上がり、終身雇用と年功序列に守られ、マイホームと自家用車を手に入れるのが当たり前の夢だった。なにより、彼ら自身は戦争を知らない。平和で豊かな日本しか知らないまま、その恩恵をさんざん享受してきた。
そして今、俺たち若い世代が必死に納めた年金で悠々自適の老後を送り、これからの日本の未来に漂う暗雲なんてまるで他人事。自分たちが死んだ後のことなんて、知ったこっちゃないんだろう。
もし、本当にこの国が戦争に巻き込まれることになったら?最前線に立たされるのは、俺たち世代だ。経済がめちゃくちゃになって、貧しい暮らしを強いられるのも、俺たち世代だ。
でも、その頃にはもう、今の高齢者たちはとっくにこの世にいない。彼らは、戦後の復興が生んだ豊かな果実だけをさんざん味わい尽くし、自分たちは一度も戦争を経験することなく、「古き良き日本」の思い出と共に、俺たちの資産を食い潰して逃げ切るんだ。
俺たちがこれからどんな地獄を見るかもしれないのに、彼らは最高のタイミングで生まれ、最高の時代を生きて、すべてから逃げ切る。
まあ、どうにもならんのだけどな。ただの愚痴だ。
最近、台湾有事とかきな臭いニュースが増えたよな。アメリカと中国が睨み合ってて、日本も他人事じゃない、みたいな。正直、このまま戦争になったらどうしようって、漠然とした不安が頭をよぎる。
そんなことを考えてたら、ふと、今の高齢者世代ってめちゃくちゃ幸運だよなって思った。
あの人たちの親の世代は、第二次世界大戦で焼け野原になった日本で必死に生きてきた。そして、その子どもである今のジジババたちは、物心ついた頃には高度経済成長が始まって、日本がどんどん豊かになるのをリアルタイムで体験してきたわけだ。
若い頃は頑張れば頑張っただけ給料が上がり、終身雇用と年功序列に守られ、マイホームと自家用車を手に入れるのが当たり前の夢だった。なにより、彼ら自身は戦争を知らない。平和で豊かな日本しか知らないまま、その恩恵をさんざん享受してきた。
そして今、俺たち若い世代が必死に納めた年金で悠々自適の老後を送り、これからの日本の未来に漂う暗雲なんてまるで他人事。自分たちが死んだ後のことなんて、知ったこっちゃないんだろう。
もし、本当にこの国が戦争に巻き込まれることになったら?最前線に立たされるのは、俺たち世代だ。経済がめちゃくちゃになって、貧しい暮らしを強いられるのも、俺たち世代だ。
でも、その頃にはもう、今の高齢者たちはとっくにこの世にいない。彼らは、戦後の復興が生んだ豊かな果実だけをさんざん味わい尽くし、自分たちは一度も戦争を経験することなく、「古き良き日本」の思い出と共に、俺たちの資産を食い潰して逃げ切るんだ。
俺たちがこれからどんな地獄を見るかもしれないのに、彼らは最高のタイミングで生まれ、最高の時代を生きて、すべてから逃げ切る。
まあ、どうにもならんのだけどな。ただの愚痴だ。
最近、台湾有事とかきな臭いニュースが増えたよな。アメリカと中国が睨み合ってて、日本も他人事じゃない、みたいな。正直、このまま戦争になったらどうしようって、漠然とした不安が頭をよぎる。
そんなことを考えてたら、ふと、今の高齢者世代ってめちゃくちゃ幸運だよなって思った。
あの人たちの親の世代は、第二次世界大戦で焼け野原になった日本で必死に生きてきた。そして、その子どもである今のジジババたちは、物心ついた頃には高度経済成長が始まって、日本がどんどん豊かになるのをリアルタイムで体験してきたわけだ。
若い頃は頑張れば頑張っただけ給料が上がり、終身雇用と年功序列に守られ、マイホームと自家用車を手に入れるのが当たり前の夢だった。なにより、彼ら自身は戦争を知らない。平和で豊かな日本しか知らないまま、その恩恵をさんざん享受してきた。
そして今、俺たち若い世代が必死に納めた年金で悠々自適の老後を送り、これからの日本の未来に漂う暗雲なんてまるで他人事。自分たちが死んだ後のことなんて、知ったこっちゃないんだろう。
もし、本当にこの国が戦争に巻き込まれることになったら?最前線に立たされるのは、俺たち世代だ。経済がめちゃくちゃになって、貧しい暮らしを強いられるのも、俺たち世代だ。
でも、その頃にはもう、今の高齢者たちはとっくにこの世にいない。彼らは、戦後の復興が生んだ豊かな果実だけをさんざん味わい尽くし、自分たちは一度も戦争を経験することなく、「古き良き日本」の思い出と共に、俺たちの資産を食い潰して逃げ切るんだ。
俺たちがこれからどんな地獄を見るかもしれないのに、彼らは最高のタイミングで生まれ、最高の時代を生きて、すべてから逃げ切る。
まあ、どうにもならんのだけどな。ただの愚痴だ。
私が小学校に上がるタイミングで、父親が地元の企業に転職し、地元にマイホームを建てる計画だったようだ。
小学校に上がるまでの1ヶ月半、バッグも制服もスモックの色も何もかも1人だけ違う状態で、園バスに乗せられせっせと通っていた。
3月末までは行ってなかったと思うから、実際行った期間は1ヶ月くらいかな?
幼稚園児と言っても、就学手前までには成長しているので、都会から変な時期に現れた人間がすぐ馴染めるほどに、こっちも向こうも子どもではなかった。
たった1ヶ月だったけど、いやたった1ヶ月だったからこそ、楽しかった記憶がひとつもない。
流行っている遊びも、使っている言葉も、何もかもが違い、「浮いている」という感覚を言葉より先に覚えた。
季節も悪かった。真冬で、雪遊びの作法が分からず特に浮いた。母親も分かってなかったので1人だけ装備が違ったのだ。
こういう感じで他にもたくさん、その場に蓄積されてる何かが全く共有されない感覚があった。大人は何をしていたかというと、たった1ヶ月半だから、と誰も力を入れていなかったと思う。危険な行動をするタイプでもなかったので、目の届く範囲で放置されていた。
卒園式は記憶も写真もない。参加しなかったんだろう。もともと出さないつもりだったんだろうな。
自宅から遠い、小学校区域外の幼稚園だったので、同じ小学校に行く園児はおらず、諸々リセットとなり入学。その後は普通に子ども時代が送れた。
トラウマという程でもないけど、この1ヶ月の幼稚園生活、必要だった?と未だに不可解なのである。親の心理がどうにも想像できない。
なぜ通わせたのか、いろいろ考えてみたけど、どれも打ち消される。
→それなら同じ小学校に行く子がいるような、家から近い幼稚園にするだろう。実際は園バスで30分くらいかけて通ってた。
→幼稚園なので4〜5時間しかなかったから、むしろ弁当作りの手間がかかっていることを思うとメリット薄。祖父母の家がすぐそばにあり、関係性も普通なので預けられただろう。現に地元にいる間はよく祖父母に世話になっていた。
ホントになんだったんだろう。思いつく人いたら教えてほしい。
満員電車に乗ってでもその会社に通う選択をしたのは自分やろ? 郊外マイホーム勢はお気の毒やけど、賃貸なら職場近辺に住む(or居住地近辺で働く)っていう選択肢は当然あるんやから被害者面は無理がある。
栄養過多で糖尿病とかの生活習慣病になる人が続出してるから実際コメを安くする必要なんかないんだよなあ
まあメタボデブたちが主観的に食い足りた気がしてないのは嘘ではないんだろうが
とうとう結婚できたよ〜頑張ったよ
結婚相談所の成婚談に憧れていたのでどこかしらにこの頑張りを記録しておきたく、ずっと見る専だったはてなに書いてみるよ。
性別:女
年齢:28
誕生日間近に大学から付き合ってた彼氏に振られ、その次の日にはマッチングアプリに登録した。
結婚願望は強い方だったと思う。
大学生までまともにクラスの男子と話したことがなく陰な暮らしをしてきたので莫大な憧れがあった。
やってたのはペアーズだったんだけど、恋活やる気あります!な感じでプロフィール作成に力を入れたからか始めて数日経つ頃にはいいねが500になった(もちろんこの中には60歳のおじ等も多数いるが)
・写真は盛れてるけどギリ実物に見えなくもないものをチョイス、他撮りも入れる
・趣味がアニメ漫画ゲームという女にとって超売り手市場のものだったので全面的にアピール、記載作品は本命の他にラブライブとか異性受けしそうなものも書く
・性格の相性不一致を避けるため、何となく人となりが分かる文章を入れる(自分がドがつくズボラだったので尽くし系彼女や妻は不可能。なのでそれを匂わせるため「のんびりしていると言われる」等書く)
って感じ。
んでマッチした相手とのやり取りを始めてみて思ったんだけど、メッセージが壊滅的に面倒くさい!!!
元々友達ともLINEとかしていないのに、大して知らん相手と仲良く話するのとかムリ!!超ストレス!!!
そのため即プロフに載せる誘い合いの希望ステータス(?)を「すぐ会いたい」にした。※他には「仲良くなってから」等がある
自分で言うのも何だが真面目清楚系の見た目なので、ビッチ映りはしないだろうという目論見があった。
男性が「すぐ会いたい」を選んでいたらヤリモクにしか見えなかったと思うので、女ならではの作戦だったと思う。
この作戦にしていると大体2〜3回メッセージのやり取りをすると食事か電話に誘われるので大変タイパが良かった。結婚相手に出会うまで計20人くらいに会ったかな?
ヤリモク対策とかは特に考えていなかったが何も起きなかった。元々真面目そうだったり陰キャっぽい人が好きでいいねしていたのでそれもあると思う。
一度、昼間に自宅へ行ってもいいか?と聞かれ愚かにもokし(昼ならセーフかと思った)、何かそういうことしたい空気を出されたがキモ過ぎたので玄関へ押し出したことはあった。当増田は付き合う前に体を許すな教を信仰しています。
あと自分には短期集中の方が向いていると思ったのでマチアプ期間は土曜昼、土曜夜、日曜昼でシフトを組んでアポをこなし、疲れたら休息期間を数ヶ月程設ける感じで婚活ライフを過ごした。
そんなこんなでマチアプを始めてから約1年後、運良く今の夫とマッチングすることができた。
私から当時ハマっていたオンラインゲームで遊びませんか?と声をかけ、通話時の話し方や雰囲気がいいな〜好きだな〜と思ったのでランチに誘った。
(誘われ待ちしていたら次の日になっても「昨日はありがとうございました!」メッセが来なかったので自分から送った)
夫からはあの時声をかけられなかったら自分からは連絡しなかったかも、と言われた。
恋愛において受け身は罪だと思って生きてきてよかった。あの時の自分、ありがとう…
交際中はモヤついたら溜め込まず素直に(できる限り明るく)伝える、逆に相手から言われたことは意識的に守るように気をつけていた。一緒に暮らしていく中で自分を偽り続けるの絶対無理だと思うので。
そして数年の同棲生活を経て、先日ついに婚姻届を役所へ提出してきました〜!やった〜〜!!
収入は私の方が多くて、気付けば自分が大黒柱になっていたけど全然いいや!
あと突然何を言い出すんだという感じだけど増田は性欲が強いので、人生で初めて真っ当に週一,二回くらいのペースで求めてもらえて嬉しい
元彼に数ヶ月単位でレスられて泣いていたあの時の自分も成仏しただろう…
この先まだまだマイホームどうするとか、授かりものだけど妊娠出産育児とか、色んなバカデカい壁があるだろうけど一緒に乗り越えていきたいな〜〜
こんな自己満で要約されてない文章にここまで付き合ってくれてありがとう。全ての婚活増田に幸あれ!
Permalink |記事への反応(16) | 04:48
才能がないと思ったら、早いうちに河岸を変えた方がいい。
早ければ早い方がいい。
可哀想だから(教え子が? それとも自分が? w)、って「がんばれ、がんばれ。才能なんて関係ない」みたいに騙すのは、むしろ害悪だよ。
10年後、気付いて路頭に迷わせるとして、その責任は取れるのか?
まぁ、本人自身が気づいて路頭に迷いつつあるけどどうしようもないのかもしれんが、地獄に道連れはやめてやれ w
それで生計を立てない、趣味の範囲で楽しむ分には好きにすればいいけど、エンジニアに限らず、それなりのお金をもらおうとしたら、才能、向き不向きは超えられない壁として現実に、強固に存在している。
球速120km出ないけど阪神の一軍のピッチャーに、ってのはどう逆立ちしても物理的に不可能だ。
でも草野球は楽しめる。
才能がなけりゃ、一人で永遠に「大いなる助走」を続けりゃいい。
誰にも迷惑かけないなら。
医師、看護師、会計士、経営者、etc.etc. にも、才能、向き不向きはある。
落ち着きないし。
同じことを何日も続けたら、爆発する。
「明日も同じことしなきゃならないのか……」って考えただけでも、死にたくなる。
こんな感じに、才能がものをいう分野って、意外に多い。
ソフトウェアエンジニアは、設計実装の抽象度が多層化していて、その巧拙によって安定度、運用や機動的な新機能追加の手間、リードタイム、金や何やら、数十倍、規模複雑度が爆上がりしている今なら下手すりゃ数百倍差が出る。
その差をちゃんと理解するには、巧の現場の「こういう世界があるんやー……」って実体験が必要だったり、巧レベルの才能が必要だったり、経営知識が必要だったり、経済知識も必要だったりして、「拙」の現場にぶら下がってるだけのエンジニアが「才能なんて幻想」って吠えたっても「マジ、迷惑だからやめてね」って思う。
どの炎上現場でも、高粘度現場(リーダーマネージャが理解できないからって邪魔ばっかりしてきたり、そもそもプロダクトがぐっちゃぐちゃになってたりして、どんな行為がサービスの息の根を止めるかわからなくて身動きが取れない「震える舌」みたいな現場。物事が全然進まない現場。通常、経費で札束ガンガン燃やしてるはずだから、ここも炎上現場っていう)でも、この手のエンジニアが腐るほどぶら下がってるんだよね。
たいてい、生み出されるソースコードとドキュメントの割合がおかしなことになってる。
いや、そういうの主催してる暇があったら、コード書けよ、って。
でも、Web記事引いてきて、「〇〇にはこう書いてある」とかドヤ顔で机上の空論で時間潰して「俺も一端の理論派エンジニアだぜ……」とか、いや、お前はただの受け売りを理解もせず垂れ流してるだけのそこらへんのAI と変わらんクズだよ。
おいらの師匠の一人は「TV出たり、本書いたりするやつは二流。一流は、自分の仕事に集中していて、他のことやる暇ないから」って言ってたけど、ほんとその通りだと思うよ。
シャバと違い、ソフトウェアの世界は驚くほどのスピードで巨大化、複雑化している。
30年、40年前なら、社会性の乏しい、プログラミングコンテスト受賞者みたいなエンジニアでも無双できたけど、今は無理なんだよね。
今だと玉拾いも任せられないくらいだったりする。
ちょい前も、PostgreSQLの中身いじれます! って東大卒業生いたけど、視点が局所的すぎて全体感に欠けてて、プロジェクトがヤバい状態になってるのが理解できなかったりしてたからね。
そろそろリリースできる状態になってる予定だけど、おいらの読み通りα版完成が3ヶ月遅れ、そこで大量の不具合が発覚してベータ版完成がそこからさらに3ヶ月以上遅れ、不具合積み残したまま見切り発車、ってなるんじゃねーかな、と思ってるんだが w
才能の種類、方向性によっては、10年前も今もたぶん10年後も変わらず十分通用するものはあるんだけどねー。
そこに生活水準をあげてしまうと、自分はもう通用しないと気づいても、撤退できない。
マイカーガー。
マイホームガー。
子供ガー。
愛犬ガー。
んなもん知るかっ!
そういう「元エンジニア」がリーダーとかマネージャとかにクラスチェンジして、事業、プロダクトの足を引っ張る。
あそことか、そことか、具体的な企業名はあげられないけど、そういうエンジニアが漬物石のように重しになって、身動きが取れなくなってるところが多い。
VCとかから、もっと売り上げを上げろ。成長率を上げろ、というプレッシャーを与えられ、何かしなきゃいけない。ってなって、外付けの雰囲気だけのサービスをどんどん外付けしていく戦略を取る。
1年で10。
2年で30とか。
マジかよ w
思い思い行き当たりばったりに作ったら、手間だけ増えてそれを壊すわけにはいかなくなって、さらに身動きが取れなくなっていく悪循環しか見えないんだが、そんな経営方針で大丈夫か?
とか意味不明な決定して、認証認可v1、認証認可v2、認証認可v3とマイクロサービスが増殖して、さらにv4を企画してるとかいう会社だってある。
真っ当な声には、自分の存在感を示すためだけの反対を唱えて邪魔したりして、現場で手を動かしているエンジニアより高級を取ってんのに、事業、プロダクトへ与えるダメージは倍増する。
さらに、自分の地位を死守するために、それを脅かす腕利のエンジニアを陥れる、排除することに全力を傾ける。
これで3倍界王拳だ w
経営者はできるエンジニアたちに任せていると思い込んでいるかもしれないが、さて、どうかね? w
大本営発表的にはうまくいっているとされているサービスが、その裏側はカーオブファイヤーみたいなところって、結構ある。
はっきりいう。
今はクラウド環境のプロダクトで、どのように自動テストで検証可能なシステムを構築するかの手法の研究を続けてる。
具体的には、今まで関わってきた炎上現場で安定稼働を達成させた手法(TDD)だな。
ワークライフバランス? w
才能のない人は河岸変えろ。
業務経歴書にも今まで使ったことがあるサービスの名前をたくさんたくさん載せてます。
じゃねーよ。
ボルトに世界水泳、吉田沙保里にNBAに出場させるような使い方してて、どこが技術力だよ。
ってのが多い。
「どうしてこのAurora、リーダーがこんなにたくさんぶら下がってんの?」
「テナントが増えて、アクセスが増えたので、負荷分散のために増やしました。水平スケーリングってやつです」
うん。水平スケーリングは知ってんねん。この程度のテナント数、ユーザー数、アクセス数で、どうしてこんなにでかいインスタンスのリーダーがぶら下がってんのか? って聞いてんねんけど……。
って現場、多い。
でも、今通常営業してるサービスでも、こういうところ多いんだよな。
それはともかく、
「マイクロサービス化していて、いま120を超えたところで、当面160になります」
「……は?」
「……デプロイの時、どうすんの?」
「変更があるサービス名を書いたファイルを一緒にコミットして、それ読み込んで、GitHubActionsでデプロイさせてます」
「Cloneして立ち上げます」
「これ……、モノリポ?」
「120個?」
「120個」
「なんか立ち上がらないんだけど……」
「あ、修正中なんで、〇〇と××のコミットをチェリーピックしてください」
「……動かないぞ」
「昨日の夕方、変更が入ったみたいなんで、△△のコミットもチェリーピック。いや、++のブランチを……」
5日で立ち上げ切れるんか?
って現場がね、案外たくさんあるんだ。
「ほう……?」
どうして「自分が間違えてる」「自分が見当外れなことをしている」可能性ってのを考慮しないんだろう、この人らは?
っていつも思う。
マイクロサービスの目的も前提も理解しないで、HowToだけ猿のように繰り返してるって自覚ないんか…… (-_-)
ってマーカーで引いた一文見せつけられるんだが、その前に書かれてある前提とか目的とか、書かれてない暗黙のそれとか、いわゆるコンテキスト削ぎ落として、単語レベルの理解を開陳されても、「は?」としか反応できんのよな。
120のマイクロサービスとか、お前、認知科学の知識もないねんな……。
それマイクロサービスじゃなく、「粉砕されたモノリシックサービス」っていうんやで、と。
まーじで、技術本とかの恣意的なつまみ食いで訳分からん理論構築すんなよ。
それでプロダクトがうまく回ってなかったら、それが答えなんよ。
まぁ、「うまく回ってる状態」ってのを知らない、理解できないだろうから、正しい答えに行きつかんだろうけど。
その正しい答えに行きつかない、ってのを
「致命的な才能の欠如」
って呼ぶんよ。
ほんこれな
最近の日本じゃ The Alters やスパイダーバースのフレイバーレベルの反体制描写ですら、
なかなかお目に掛かれないからなぁ
ただまぁ下記のようには思う
描写が過激過ぎるから締め出しはありつつも、『はだしのゲン』や『日本昔ばなし』が生まれ、
パクさんが『火垂るの墓』を残してくれて良かったよな
というか、極端に振れずに、"適当"であることを良して生の力強さを肯定した、
今後、おそらく日本に生まれないだろうと思われるタイプのインテリ・エリートで、なおかつ偉大な大衆芸術家だからな
答えを出ないことを考え続ける作品を作るのも、答えが出ない作品を作って商業ラインに乗せるのも、
ちなみにワイ的には、疲れて帰ってきた時に、辛い状況の時に、
難しい/説教くさい話は観たくないって考えは、理解・共感できるけど、
⭐️主人公の資格がない人物を主人公に取り上げて、人との繋がりについて思いをはせる大切さ⭐️
私たちはアニメーションで、困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いて来た。
しかし、現実には決して切りひらくことのできない状況がある。それは戦場と化した街や村であり、修羅と化す人の心である。
そこで死ななければならないのは心やさしい現代の若者であり、私たちの半分である。
マルコを取り巻く人々は悪人であってもときに良心のうずきに悩まされ、善人であっても善人であり続けられるほどの強さがなく、
常に人生と社会に対してとまどいつつ向き合っている弱い弱い私たち自身の姿でした。
私たちはここでおそらくはじめて、"主人公" たる資格に欠けた"人物"と"社会"を主人公にしたアニメーションを作り上げたのだと。
⭐️A or B と極端に振れるのではなく、答えが出ないことを自分ごととして考え続ける大切さ⭐️
日本では――日本の観客に関しては、清太について同情的なところが大多数だったんですね。
これは、(公開)当時とても意外でした。
というのは、作る時に私は、清太っていうのは、ある意味では非常に今の子どもたちに似ていると思っていたんです。
「お金があればなんとかやっていけるだろう」と思った。
それで、おばさんに頭を下げたり、屈服したりせずにやっていけると思ったんですね。
(清太の)お母さんが、これは原作では病弱なんですが――
そういう自信があったから、「自分たちだけでやれる」と思った。
こういう在り方は、今の子どもに非常によく似ていると思うんですね。
その――人々と、なんとか折り合いをつけて。
もしも屈辱的であっても、頭を下げなくちゃいけないところは、頭を下げて。
なにしろ自分だけじゃなくて、妹も一緒に生活していかなくちゃいけないんですから。
それでやっていく――ということができずに、すぐキレたりとか、そういうのありますけれども。
お金を持ってさえいれば、コンビニに行けばなんでも買えるし。今。
で、清太も、それを間違えたんだと思うんですよ。
お金を持っていれば、なんとかなると思ったんですよ。
実際に、僕自身が知っているわけで。
それでも歯を食いしばって、我慢して、生き抜いた人はたくさんいるわけです。
ところが、清太という子は、それを耐えることができない。
耐えないで、なんとかやっていけると思った。
子どもなんですね。
自分たちだったら、やっぱり清太側(清太タイプの人間)になるけれど、
でも、清太側にいれば、
という風に見てくれる人がいればよかったんですが……
そうじゃなくて、ただ――同情的に見る、というような。
そうなっていたような気がしますね。
それは当然だと思うし、むしろ、出てくれるくらいの方が良かったと思うんですね。
取るべき態度ではなかったんじゃないか? あの時には――
という風なことを、
清太と節子は "家庭生活" には成功するけれど、"社会生活" に失敗するんですね。
いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。
しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。
お向かいの娘に「うちらも2階の教室やからけえへん?」と誘われても、
「ぼくらあとでいきますさかい」と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない。
置かしてもらった親類の未亡人は嫌味を次々いい放つけれど、
あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。
清太はそれを我慢しない。
「ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。」
そして無心に"純粋の家庭"を築こうとする。
そんなことが可能か?
心情的には、べつに現代の青少年たちとだけ類似があるんじゃないと思うんです。
マイホームとか核家族とか、個室やオートバイを子どもに与えるとか、
大人もみんな清太になりたがり、
自分の子どもが清太的になることを理解し、認めているんじゃないんですか。
出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい。
それが現代です。
それが、ある程度可能なんですね。
清太の心情は、痛いほどわかるはずだと思います。
でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。
清太と節子が生きた時代というのは、
それにもちろん軍隊、内務班、分列行進「歩調とれ!」と、
ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。
社会生活の中でも最悪最低の "全体主義" がはびこっていたんです。
清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。
"純粋の家庭"を築くというのは、おそろしく反時代的な行為ですよね。
現代の青少年が、私たち大人が、心情的に清太をわかりやすいのは、
時代の方が逆転したせいなんです。
こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。
いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。
全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。
清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか。
ぼくは、おそろしい気がします。
あのおばさんのような人間にすぐになってしまうんじゃないかと。
見た人はそこに怯えて欲しいんです。
今は善人かも知れないけど、必ずしも善人を貫けないという危険性は、
常に孕んでいるということ、その心配とか。
もう一方これは(作中で)全然描かれてないんですけど、じゃあ孤立しないでやろうとしたら、
いっぺんに隣組とかがんじ絡めで、あの時代だったら、要するに集団主義の中に落ち込むんですね。
同調していかないと、あらゆることに同調していって、もちろん戦争には協力するわけだし、
言いたいことも言えないっていう状況を招く。
どっちに転んでも難しいよね。
「嫌なことから逃げてもいいんだよ」──聞こえは優しい。
でもそれを本気で信じて逃げ続けた奴の末路を数字で見てみようか。
退職金:平均で 1,000〜2,000万円
老後資金:現役時代に貯金して、夫婦で年金+貯蓄を合わせればなんとか安心
生涯年収:フリーターや派遣を転々して 7,000万〜1億円未満
老後資金:「老後2,000万円問題」どころじゃない。年金だけで生きる羽目になり、月数万の赤字生活。
→40代で貯金ゼロ、50代で親の年金頼み、60代で孤独死コース。
最初は「嫌なことから逃げてもいい」って言葉に救われた気がしたんだろうな。
逃げなかった奴は2億稼ぐ。
逃げたお前はせいぜい7,000万。
差は 1億円以上。家も車も結婚も老後の安心も、全部そこで消えていく。
逃げ続けた弱者男性は、老後に貯金も退職金もなく、年金だけで細々と暮らす。
「逃げてもいいんだよ」と言った奴らは、お前の葬式にすら来ない。
──これが、逃げを選んだ人間の末路だ。
おれも40代なんだが、ああいう独り身が、「毎日仕事と家の往復だけで何もない」とか、「何者にもなれなかった」とか嘆いているのが、羨ましく思えてしまうことがある
というのも、背負うものが少なく、決めなくてはならないことが少ないから、あんなことで悩んでられるんだろうなあと感じるからだ
仕事では、地位が高まるほどに決断を迫られる場面が増え、自分の決断で何億もの金や何人もの人生が左右されるようになる
家庭でも、子どもの進路や親の介護など、考えるべきことが山ほどある
子どもが生まれたのを機に建てたマイホームも、ところどころガタがき始めて、どこから直すか悩ましい
とにかく、公私共に考えることが多すぎて、気が休まる暇がない
せめてもの救いは妻との関係が良好で、いつでもなんでも相談できることだろうか
かわいい妻の顔を眺めて、そのなめらかで柔らかい身体を抱けるから、なんとかがんばれる
おそらく、それに伴う責任に疲れているんだろう