
はてなキーワード:マイノリティとは
と、言われても理解できないと思いますが、日本は「専守防衛」を敷いていますよね?
実際に世界中の国々や軍隊から日本国自衛隊は外征能力に欠いている(海外で戦う力が無い)と評価されてます。これは中国の人民軍にすらそう指摘されてるほどです
で、この専守防衛なんですけれども、つまり外国から侵略を受けた際に迎撃する事に特化するという意味なのは何となくわかるかと思います
これをですね、軍事戦略の基本的な類型を当てはめると「内線作戦」というものを取るということです
この「内線作戦」とは何か?ですけれども、前提として国内のインフラを精緻に整備することが先ず求められます
整備されたインフラを持つことによって、侵略軍が攻めてきたときに直ぐ様に戦力を集中して迎撃体制を築けるようにするんですね
おや?ここで1つ気になることがあります
精緻なインフラ整備、田中角栄の日本列島改造論で既に日本では達成されてしまっていますね?
日本は僻地離島にすらアスファルト舗装道路があるので未整備未舗装な道路よりも迅速に自衛隊は動けてしまいます
話がそれましたが、更に付け加えると「内線作戦」の特徴の一つとして「縦深(じゅうしん)」を取るというものがあります
つまり、侵略軍を自国領土へわざと引き込んで、勝手知ったる自国領土内で侵略軍を寝かせないレベルで叩き続けたり、罠を張り巡らせたりして疲弊させ、侵略軍の「侵攻限界」を目指す戦い方です
さぁ問題です
この「内線作戦」での「縦深」で先ず最初に戦災の犠牲に遭ってしまうのは日本の何処の地域でしょうか?
そうですね、現在の日本周辺の状況を考えると最初の犠牲は「沖縄県」です
沖縄県は非常に反戦意識の高い風土です。自衛隊を解散しろと言う人すら居るくらいの土地柄なのです
では、何故こんな主張をするかと言えば日本の「専守防衛」は「内線作戦」であり、最初に戦闘地域として選ばれるのは「沖縄県」だからですね
しかし、沖縄県民のすべてがこの様な極端な主張をしているわけではありません。何なら自衛隊を解散しろ派はかなりのマイノリティです
侵略へ対する抑止力としての自衛隊は保持すべきという沖縄県民はかなり多く、「専守防衛」である自衛隊は反戦戦力として適切であると考えています
ここで矛盾が発生するわけですね
「専守防衛」は性質上「内線作戦」を取らざる得ない、でも自衛隊が存在しなければ侵略へ対する抑止力とならない
これが沖縄県民が抱える戦争・軍事の悩みの中心であり、日本が軍事力を強化していって侵略する側になったらどうするんだ?という悩みはかなり現実味がなく重要度が低いんですよね
「私は共産党支持者だったけど、オカマが女性スペースを使うことを容認した共産党に失望した! もう入れません!」
みたいなTERFがどれだけの人数いたのかって話かな?
結論から言うと、「強くなりうるリベラル」は“優しい理想”を捨てて、“冷静な設計者”になる必要がある。
順番にいきます。
でも、有権者が欲しいのは👇
👉「それは分かる。で、制度はどうする?」に即答できる
ここが最大の分水嶺です。
と明確に言えること。
③「守るために切る」を言語化できる
これ、めちゃくちゃ重要です。
これを言った瞬間、信頼は落ちます。
結果👇
支持は急には増えないが、信頼は残る
「じゃあこう直す」を積み重ねる
👉変えるけど、壊さない
これを一貫して出せるか。
つまり👇
「正しい人」ではなく「任せても怖くない人」になること
次に行くなら
👉「日本でこれをやると、どこで必ず反発が出るか」
チームみらいがマジョリティっぽいとか経済右派っぽいから警戒するってのは、まあ分かるが
実際ほぼそのポジションやるだけで10議席取れるぐらいには需要があるわけだよね
オードリー・タンとかのマイノリティ包括的な運動を比較にしてる人も居たけど
じゃあそのポジションを自分でやるかって言ったらやらないんだよね
なんで?
純粋に疑問だな
戦略的共感と認知的安全保障:反発を招かない政治的批判のための包括的枠組み
現代の政治空間は、政策の不一致(イデオロギー的二極化)以上に、対立グループに対する嫌悪や恐怖といった感情的拒絶反応(情動的二極化)によって支配されている。この環境下において、伝統的な「批判」の手法――事実の提示、道徳的糾弾、論理的論破――は、その機能不全を露呈しているだけでなく、逆効果をもたらしていることが多くの実証研究によって明らかになっている。批判対象者の信念を強化してしまう「バックファイア効果(Backfire Effect)」や、批判者を存立危機的脅威とみなす「アイデンティティ防衛機制」が作動するためである。
本報告書は、心理学、認知科学、政治社会学の最新知見に基づき、政治的対立者に対して反発(バックラッシュ)を招かずに影響力を行使するための戦略的枠組みを提示するものである。ここで目指すのは、単なる「中道的な妥協」や「礼儀正しさ」の推奨ではない。人間の認知アーキテクチャの脆弱性と特性をハッキングし、相手の道徳的・感情的防御壁を迂回してメッセージを届けるための、エンジニアリングされたコミュニケーションプロトコルである。
報告書は大きく三つのフェーズで構成される。第一に、なぜ従来の批判が失敗するのかを脳科学的・心理学的メカニズムから解明する理論編。第二に、その防御壁を突破するための具体的な対話技法(ディープ・キャンバス、ストリート・エピステモロジー、NVC)を体系化した実践編。そして第三に、これらの技法を個人のスキルから社会運動へとスケールさせるための組織論と普及戦略である。
効果的な批判戦略を設計するためには、まず人間の心がどのように政治的情報を処理し、拒絶するかというメカニズムを理解しなければならない。政治的信念は単なる情報の集合体ではなく、個人のアイデンティティや所属集団への忠誠心と融合した「拡張された自己」の一部として機能している。
近年の政治心理学における最も重要な発見の一つは、情動的二極化(Affective Polarization)の実態解明である。これは、対立する政治グループのメンバーに対して「好きか嫌いか」という感情的温度差が極端に開く現象を指す。研究によれば、情動的二極化は対人関係の悪化だけでなく、個人の心理的幸福感(ウェルビーイング)の低下、社会的支援の減少、ストレスの増大といった「個人内損害(Intrapersonal Harm)」をも引き起こすことが示唆されている。特に、リベラル層において高い情動的二極化とストレス、健康悪化の相関が見られることは、政治的怒りが批判者自身をも蝕むことを示している。
この情動的二極化は、脳内で一種の「信頼のファイアウォール」として機能する。アウトグループ(外集団)から発信された情報は、その内容の真偽にかかわらず、自動的に「悪意ある攻撃」としてタグ付けされる。扁桃体が脅威を検知し、前頭前野が論理的推論ではなく「反論の生成」のために動員される「動機づけられた推論(Motivated Reasoning)」が作動するためである。この状態にある対象者に正論をぶつけることは、火に油を注ぐ行為に等しい。
バックファイア効果とは、誤った信念を訂正しようとする試みが、かえってその信念を強固にしてしまう現象である。このメカニズムには、自己肯定感の維持と集団への所属欲求が深く関わっている。批判を受け入れることは、過去の自分を否定すること(自己の一貫性の喪失)や、仲間を裏切ること(社会的死)を意味するため、脳は全力でそれを回避しようとする。
さらに、批判のフレーミング(枠組み)が、受け手のイデオロギーとミスマッチを起こしている場合、説得効果は皆無となるばかりか、抵抗を強める結果となる。例えば、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策におけるメッセージングの研究では、リベラル層が「利得フレーム(マスクをすれば命が助かる)」と「損失フレーム(マスクをしないと命が失われる)」の双方に敏感に反応し、コンプライアンスを高めたのに対し、保守層はこれらのフレーミング効果に対して強い抵抗を示したことが明らかになっている。これは、問題が高度に政治化された文脈においては、一般的な行動経済学的介入(ナッジ)さえも、イデオロギーのフィルターによって無効化されることを示唆している。
批判が受容されるための極めて重要な、しかし見過ごされがちな因子として「知的謙虚さ(Intellectual Humility:IH)」がある。IHとは、「自分の知識や信念が間違っている可能性を認識する能力」と定義される。最新の研究は、対話において自身の知的限界を認める態度が、相手の情動的二極化を低減させる強力な緩衝材となることを示している。
特筆すべきは、IHが「相手からの好意(Target Liking)」を媒介して、対話への「接近行動(Approach)」を促進するというプロセスである。批判者が「私は絶対に正しい、お前は間違っている」という道徳的マウンティング(Moral Grandstanding)の態度を取ると、相手は「回避行動」をとる。逆に、批判者が「私も確信はないのだが」「複雑な問題で迷っているが」という不確実性を提示することで、相手の警戒心が解け、対話の土俵に乗る可能性が高まる。知的謙虚さは、相手の武装解除を促すための「白旗」ではなく、心理的防衛壁を通過するための「通行手形」として機能する戦略的資質である。
政治的対立の根源には、事実認識の相違以上に、道徳的直感の相違がある。リベラルと保守は、異なる「道徳の言語」を話しているにもかかわらず、自身の言語で相手を説得しようとするため、コミュニケーション不全に陥る。本セクションでは、道徳基盤理論(Moral FoundationsTheory: MFT)を応用し、批判を相手の価値観に翻訳して届ける「道徳的リフレーミング」の技術を詳述する。
ジョナサン・ハイトらが提唱した道徳基盤理論は、人類の道徳的判断が以下の5つ(または6つ)の生得的な基盤の上に構築されているとする。
実証研究が一貫して示すのは、リベラル層が主に「ケア」と「公正」の2基盤に強く依存するのに対し、保守層は5つの基盤すべて(特に忠誠、権威、神聖)を重視するという非対称性である。
多くの政治的批判が失敗するのは、リベラルが保守に対して「それは弱者を傷つける(ケア)」「不平等だ(公正)」というリベラル特有の語彙で攻撃するためである。保守層にとって、これらの価値は「忠誠」や「権威」よりも優先順位が低いため、批判は響かない。逆に、保守がリベラルに対して「伝統を破壊する(権威)」と批判しても、リベラルはそれを抑圧としか捉えない。
反発を招かない批判のためには、自身の主張を相手の道徳基盤の語彙を用いて再構成(リフレーミング)する必要がある。これを「道徳的合気道」と呼ぶ。相手の道徳的エネルギー(価値観)を利用して、相手の姿勢を崩す技法である。
以下の表は、主要な政治的争点において、従来のリベラル的批判(バックラッシュのリスク大)を、保守的道徳基盤に翻訳した戦略的フレーム(受容可能性大)に変換したものである。
| 争点 | 従来のリベラル的批判(高リスク) | 戦略的リフレーミング(低リスク) | ターゲットとする道徳基盤 |
|---|---|---|---|
| 環境保護 | 「地球温暖化は弱者や未来の子供を苦しめる。」(ケア) | 「我々の国土と美しい自然は神からの授かりものであり、汚染から守り抜く義務がある。」 | 神聖/堕落、忠誠/背信 |
| 同性婚 | 「誰を愛するかは個人の権利であり、平等であるべきだ。」(公正) | 「結婚は社会を安定させる伝統的な制度であり、同性カップルもその責任ある関係に組み込むべきだ。」 | 権威/転覆(社会秩序)、忠誠 |
| 軍事費 | 「軍事費を削って福祉や教育に回すべきだ。」(ケア/公正) | 「無駄な軍事支出は国家の財政を弱体化させ、真の国防力を損なう背信行為だ。」 | 忠誠/背信、権威 |
| 政治腐敗 | 「富裕層ばかり優遇するのは不公正だ。」(公正) | 「私利私欲のために公職を利用することは、国家への裏切りであり、高潔な職務を汚す行為だ。」 | 忠誠/背信、神聖/堕落 |
| 移民問題 | 「難民を助けるのは人道的な義務だ。」(ケア) | 「秩序ある移民受け入れは、国家の活力を維持し、アメリカンドリームという伝統を守るために必要だ。」 | 忠誠、権威(秩序) |
研究によれば、保守層に対して環境保護を「神聖さ」や「愛国心」の文脈で語った場合、リベラルな文脈で語った場合よりも支持率が有意に上昇することが確認されている。重要なのは、主張の内容(環境を守る)を変えるのではなく、その理由付け(なぜ守るか)を相手の言語に翻訳することである。
批判は通常、「現状のままでは悪いことが起きる」という損失フレーム(Loss Frame)で行われることが多い。しかし、損失フレームは恐怖や不安を喚起し、防衛的な反応を引き起こしやすい。これに対し、「ゲイン・フレーム(Gain Frame)」を用いた批判は、望ましい未来像を提示し、その実現を阻害する要因として現在の問題を指摘する手法である。
例えば、政治家のスキャンダルを追及する場合、「彼は嘘つきだ(損失フレーム:信頼の喪失)」と攻撃するのではなく、「我々は正直で高潔なリーダーを持つに値する国家だ(ゲイン・フレーム:尊厳の回復)」と主張する。このアプローチは、批判の対象を「個人」から「規範の維持」へとずらし、相手の「権威への尊重」という道徳基盤を刺激しつつ、攻撃性を緩和する効果がある。研究は、特にリスク回避傾向の強い層に対しては損失フレームが有効な場合もあるが、イデオロギー的に対立する層に対しては、ゲイン・フレームや道徳的適合性の方が「聞く耳」を持たせる効果が高いことを示唆している。
理論を実践に移すためには、具体的な対話スクリプトと手順が必要である。ここでは、異なる文脈(対面、オンライン、深い対話)において効果が実証されている3つの主要なプロトコルを詳述する。
ディープ・キャンバスは、戸別訪問(キャンバス)において10〜20分の深い対話を行うことで、トランスジェンダーの権利や移民問題などの二極化した争点に関する態度を変容させる手法である。従来の「事実の弾丸」を撃ち込む方法とは異なり、「脆弱性の交換」を通じて相手の情動的反応を書き換える。
研究によれば、ディープ・キャンバスは従来の説得手法の約102倍の効果を持ち、その効果は数ヶ月持続することが確認されている。
ストリート・エピステモロジー(SE)は、相手の信念の「内容(What)」ではなく、その信念に至った「プロセス(How)」を問うソクラテス式問答法である。Permalink |記事への反応(1) | 11:19
これがボーイ・ミーツ・ガールで、「女の子に一目ぼれした男の子が頑張りまくる話」だったら全員が一瞬で理解できて「分からない」「ついていけない」みたいなもめごとの発生のしようがないんだよ。
ガール・ミーツ・ガールで、女の子に女の子が惚れ込んで両想いになってお互いに頑張りまくる話だったので、いわゆる恋愛の型、あるべきボーイ・ミーツ・ガールにハマってないから共感も理解もできない。
真っ直ぐな男女恋愛がポリコレ圧力によって書きづらくなってる面もあるとは思うんだよね。男の子が女の子に恋をして女の子のために頑張りまくる話だったら、弱者男性からもLGBTQ+アライ界隈からも叩かれるでしょ?
女性同士の恋愛と、あと男性同士だったらブロマンスみたいなやつって、ポリコレの界隈から叩かれにくいんだよ。だから叩かれにくい形で恋愛物語を思いっきりやってみせている。
これ男女でやっていたらアライ界隈から「またロマンティック・ラブ・イデオロギー。過去の遺物。ジェンダー圧力」みたいに言われて叩かれていたところだと思う。
しかし、ギリギリ分かる感じがしたのが「超かぐや姫!」までだなって思う。私の場合。ボーイ・ミーツ・ガールじゃなくガール・ミーツ・ガールだからついていけなかった意味不明だったという人と、
男女の恋愛はポリコレ違反として叩きまくるクィア系の人たちの間の、まあ穏やかにいきましょうや系の部類に私が在籍していて、まあ両方の言ってることが分かる感じになる。
これが、「身体男性・外科的手術もホルモン治療もしておらず・自認性別は女性・性指向は女性に向いており・レズビアンを自称・女湯利用を要求・noteにレポート掲載」みたいなクィアになってくると、
私も拒絶する。自分が「マイノリティ差別者」になって、普通に「気持ち悪い、無理」と感じる側になるとは…。
「超かぐや姫!」をレズビアンのラブストーリーとして理解し、お互いに頑張る対等な物語として描こうとした、そしてポリコレだけしか要素がないクソつまらない説教作品ではなく超エンタメとして仕上げたところまでは称賛する。
でも、自分が受容・賞賛できるクィア、セクマイのナラティブはここまでが限界だなと思った。それより進むと、エプスタインのお仲間、JKローリング袋叩きにしていて今イギリスで梯子外されてる人たちだな、と思う。
私は地方で働く、アラフォー既婚子持ちの女性ITエンジニアだ。
社内の女性グループは主に、時短勤務のワーママグループと独身グループに分かれていた。
アラフォー以降のバリキャリ女子たちは、既婚だろうが未婚だろうがおじさんに絡まれがちな上に多忙なのであまり誰ともつるまなかった。
特に某ジャニタレにガチ恋してると噂の独身バリキャリは、シゴデキの美人なのでおじさんたちから引っ張りだこだった。
独身女性グループでは、男性アイドルや2.5次元俳優を推す女子がマジョリティだった。
アラフォーの推し活独身女子たちは、御局として独身者グループを牛耳り、挨拶代わりに推しトークをした。
だから、推し活女子の推しトークや推し鑑賞会に参加することが必須で、みんな推し語りをしていた。
当時、私はITの才能がないがゆえ基本情報対策に苦労しており(苦節4年で取得)、結婚して子どもを持ちたいがゆえに、「お前はお見合い向きじゃない」と両親から罵倒されつ婚活をしていた。
ゲームや漫画のオタク以外にはモテないチャンピオン女子、家族が結婚の条件にうるさい、私自身が国籍と戸籍をめちゃくちゃ気にする、の三重苦で婚活は相当苦戦した。
戸籍謄本の写しを提出しないと入れない結婚相談所で結婚したが、あの相談所が見つかるまで婚活が地獄だった。
女の少ない業界だからブスでもモテたのでは?と思われそうだが、結婚したい人は結婚する気のあるもの同士でくっつかないと揉めるから婚活していた。
そういう訳で独身時代はしんどく、顔がいいだけで自分と家族になれない男にかまけてる暇はなかった。
一応サンリオに推しのキャラクターはいたが、あまり人に話そうとは思わなかった。
独身女性グループ内には、仕事と自己研鑽に熱心なバリキャリ候補生と婚活女子がマイノリティとしておとなしく生きていた。
私は彼女らと一緒にいた。
彼女らにも推しのイケメンはいるにはいたが、同じ恋愛なら実際に付き合える相手との恋愛の方が良いとの雰囲気だった。
結婚が決まった私は、社内政治に巻き込まれてリストラ対象になった。
残業否定派と残業推進派がバトルをしていたが、残業否定派の役員が負けて残業否定派の管理職がどんどん辞めた。
ついでに、残業否定派の役員が入社させた社員も退職勧奨にあった。残業は否定も肯定もしない私も退職勧奨を受けた。
常に自己研鑽と成長と結果へのコミットを求められるしんどい会社だ。
しかし給与は高くて社員のやる気を育てる制度が充実しており、私には働きがいのある会社だ。
残業否定派が元気だった頃の前の会社も好きだが、今の会社も好きだ。
しかし、今の会社で驚いたことがある。イケメンを推してることを公言する独身女性がほぼいないのだ。
今の会社にはバリキャリ独身女性が何人かいるが、たいていの人は趣味は登山や茶道、読書などだ。
仲良くなっていない相手に推し活を公言するバリキャリはほぼいない。
イケメンは推すならわかる人にだけわかるように推すか、仲良くなった人に打ち明けている。
そして意外とハロプロやももクロ、宝塚などの同性も推していた。
大抵私のようなゲーマーの二次元ヲタクもいるが、イケメンを推していると公言する人はいない。
ちなみにイケメンや恋愛が好きで推し活を公言する女性たちは、最初は独身でもいつの間にか結婚している。
Z世代だと推し活を公言している社員が増えるが、それでも結婚予定の恋人がいたり、婚活をしている。
既婚女性たちにも推しのイケメンがいてこっそり押してはいるものの、目の保養レベルに留めている。
びっくりしたのは劇団四季、歌舞伎などの観劇ファンの多さ。これは男女ともにいた。
宝塚や歌舞伎は男性アイドルに近い面があるが、作法やファンの雰囲気がなんとなくノーブルなので別枠扱いしてしまう。
キャリアまたは家庭を手に入れる女はイケメンの推し活にかまけない、かまけていても隠す、と。
偏差値の高い人は推し活をしないとの説もあるが、偏差値よりもキャリアや結婚に影響すると思う。
同じ氷河期世代でも、同じ会社にいて給与もほぼ近いのに既婚者と独身推し活女子に別れていた。
前職のガチ恋バリキャリ美人も、最初はずっと推しを隠していたようだ。男避けにイケメンアイドルにガチ恋してると言ってるだけかもしれないし。
イメケンを推すに至るまでにはいろんな事情があるのかもしれない。
それでもイケメンにかまけていたら、そひてイケメンを推すことを公言していたら、よほどの才能がない限り、キャリアも家庭も手にはいらないだろうな、とは思う。
自民の支持は、高市早苗首相が就任した後の1月に28.0%に達していたが、今回は26.6%とわずかに減っていた。日本維新の会や中道などへの流出が流入を上回った。
中道は、党名を発表して1週間だった1月の段階で13.1%だったが、さらに10日ほどが経過した今回も同じ数字だった。結成前の立憲と公明を足した勢力は保ったが、広がりは見せられなかった。
連立与党を組む維新は、1月の7.3%から今回は8.3%に、国民は10.1%から9.5%だった。
チームみらいは、自民や中道、国民などから大きく流入し、1.6%から3.8%になった。
参政党も自民や中道などから流入があり、4.0%から5.1%になった。
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(ルポライター)
【視点】「#ママ戦争を止めてくるわ」というのが、今回の投票日直前に、中道改革連合の候補者やサポーターがX(旧Twitter)で盛んにつぶやいたスローガンでした。
これは、現在就学年齢以下の子どもを育てている本物の"ママ"(おおむね30代)や、自分の母親をママと呼んでいた時期から時間がそう経っていない人(20代前半以下)には一切響かない言葉です。逆に「中道の人たちは"ママ"が直面する問題を1ミリも理解せずに、われわれを騙(かた)っている」という苛立ちと諦観を招くものだったでしょう。理由は言わずもがなです。
▪️
そもそも、日本の40代以上(多くは60代以上?)がイメージする「リベラル」は、反戦・護憲・平和の強調という昭和時代の戦後民主主義的価値観を濃厚に反映した、日本における特徴的な定義を持つ政治的立場です。辞書やAIでは定義されない価値観です。
一方、他の西側各国の市民(および昭和時代にまだ生まれていない30代以下の日本人)がイメージする「リベラル」は、多様性の尊重(ジェンダーやマイノリティへの関心)や個人の自由、人権を尊重する価値観でしょう。辞書の定義そのままです。
このように考えた場合、党首2人が明らかにSNSやAIに不慣れそうで(実は使ってたらすいません)冗談も通じなさそうなネットリした昭和のおっさん2人が並ぶ政党と、愛想がよくて話を聞いてくれそうでSNSも使いこなせるバリキャリ風のチャーミングな姉御が党の顔である政党。昭和を知らない世代から見て、どっちが現代世界基準の「リベラル」に見えるかは明らかです。
たとえ政策上で、実は中道のほうが多様性の尊重の面においてもリベラルであっても、口で言う話はともかく党の雰囲気が明らかに令和的なリベラルではありません。これは、服がダサくて清潔感のない人がモテコンサルを名乗るようなもので、説得力が全然ありません。
▪️
なお、私は今回、極端な選挙結果に不安を感じ、日本の短中期的な未来に憂慮を覚えています。
ただ、今回の選挙は、昭和的な「リベラル」側のベテラン政治家たちの、白亜紀末期並みの大量絶滅イベントでもありました。恐竜の絶滅後に哺乳類がニッチを埋めたように、次回以降の選挙で令和にキャッチアップした「リベラル」が野党から生まれてくるかもしれません。
[・・・]でも結局私、少女マンガって一様に言えるのはやっぱりマイノリティのためのものだなと思う。女の子って、もう女性っていうだけで経済的にも権力の担い手としても腕力の世界でもマイノリティだから、社会の中で。で、そういう人の、たたかって勝ち取って一番になるっていうことが基本的にできない人たちが読むマンガだと思ってる。頑張ればなんとかできると、いくら少年マンガを読んでも思えないっていう人たちのために、その人たちがどうやって生きていくかっていうことを、それは恋愛だったり、友情だったり、っていう、それぞれの形で答えを少女マンガは提示している。
『よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり』
作者:よしながふみ
発売日: 2007/10/04