
はてなキーワード:ポアンカレとは
数学者エドワード・フレンケルは、数学と心理学、特にカール・ユングの分析心理学との統合について語っている。ユングは、人間の無意識が「集合的無意識」として共通の心理的基盤を持つと考え、その中に「元型(アーキタイプ)」と呼ばれる構造が存在するとした。フレンケルは、数学的概念もまた元型の一部であり、それらは人間の無意識の中に存在すると提唱する。
彼は、数学が物理世界を研究する物理学とは異なり、人間の内的世界を研究する学問であると考える。例えば、「数」はユングが提唱した「秩序の元型」から生まれたものであり、数学的な概念はすべて集合的無意識の中に起源を持つと述べている。
また、数学的元型はすべての人間が同じように認識する点で他の心理的元型と異なり、その普遍性が数学の客観性を保証していると主張する。彼は「直線」や「平面」といった数学的概念を例に取り、それらが現実世界には存在しないにもかかわらず、人間が容易に想像できるのは、集合的無意識の中に元型として存在するからだと説明する。
さらに、数学的概念を理解することは、それらの元型を「統合」することと同義であり、例えば「地球が平らである」という誤解は「平面の元型」に囚われた結果であると述べる。ピタゴラスらがこの元型を意識的に理解し、地球の球体性を認識したことが、数学的知識の進歩の一例であると指摘している。
最後に、アインシュタイン、ポアンカレ、ラマヌジャンなどの数学者が数学的発見における無意識の役割を強調していたことを紹介し、数学的直感が無意識とのつながりから生まれる可能性を示唆している。
フレンケルは、数学を通じて人間の無意識を探求し、より深い現実の理解に到達できると考えており、今後の議論として非ユークリッド幾何学や東洋思想との関連性についても言及すると述べている。
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第一線の数学者は他のどの科学者よりも難しい問題を達成していると思うのだが、特に現代数学において誰でも知っているというような人が全然いない事実にひっかかるものがある。
マルクスみたいな経済学者とか、ファーブルみたいな生物学者など、他の学問には数学者よりは高度なことはしてないというのに一般の人でも知っているという人がいるのに、これはどういうことなのか。
数学者で有名といったら、せいぜいピラゴラスといったような古代人、現代数学でいえばリーマンとかラプラスとかだ。
これらの人物に共通するのは小学校から大学までのカリキュラムで扱う理論や公式の発見者かどうかということに過ぎない。
特に古代人が考えたことは現代から見れば易しいものなので義務教育の内容に採用されやすい。だからあのへんの時代の人物は数学者でも知名度が高い人がいることになる。
ようするに言いたいのは数学者の有名無名はただ単に教育制度次第になっているということだ。
高度な現代数学でも岡潔や望月新一と有名な人はいるじゃないかと言う人もいるかもしれないが、あれらが有名なのも、実績の価値が正しく一般の人にも伝わって認知度が高まってきたというものではない。
岡潔なら統合失調症だったなかで戦時下を生き抜いたこと、望月新一なら自分のコネを使って論文を掲載させたこと。
そういう生き様のセンセーショナルなところがもっぱら庶民の関心を呼び起こしているに過ぎないのだ。
ポアンカレみたいな「未解決問題を解いた人」というわかりやすいラベリングを持った人間が有名なのも本質的には上述したのと同じところにあるのだろう。認知している人の多くが業績の概要と価値だけでも正しく理解してるか疑わしい。実績の内容に関する関心ではなく、未解決問題を解いたという一点で共通認識化されているように思われる。
ちょっと単純化が過ぎるかもしれないが、数学以外の科学者の土俵はもっぱら実験や実証のなかにあると思う。
実験により、何かをしたらこういう結果が出た、という目に見える因果関係を把握する力さえあれば誰でもその分野の大学者になれる素質はあるとさえ言える。
もちろん実際に誰もが知ってる大学者になれるかどうかはもちろん有用な結果をはじき出す実験にこぎつけられたらという話になるが、どちらにせよ彼らは比較的易しい具象の中で研究対象と戦っているということには違いない。
一方で数学ときたら現時点で新規性のある高度な数学論文をしたためるには何万ページという論文が語る知見に対する確かな理解の積み上げが無いと無理だろう。
理解する過程においても数千ページ目にあたるある論文が理解できないとなったときどこに理解の欠落があるか今まで読んだ論文から探しなおさなければならないわけである。
理論の構造自体も目に見えるようなわかりやすい因果関係から成っているのではなく、抽象的なわけだから、知識の欠落がなかったとしてもその理解は純粋に難しい。
しかし高度な論文の作成はその先にあるのだからこの数学の研究というものは果てのない作業なのである。
望月もそのような作業を経てついにはIUTの創出という高みに至ったはずである。
そして望月以外にも当然少なくとも月ごとには相当数、同程度の高みから発した高度な内容の論文が公開されているはずだが彼らの中から一般人にも有名という人は現れて来ない。
ようするに現代数学者は天才である。あの手の分野の数学者は受験勉強を全くせず東大に悠々と合格するような人間がざらであるらしい。もっとも現代数学者の絶対数が少ないのだから「ざら」というのは数ではなく割合の問題なのであろうけど。
そんな数学よりは高度な理解力を要しない学問では誰からも知っている人が出てきているのに、現代数学ではせいぜい専門家の間で有名という程度にしかなれないというのは理不尽なことだと思う。
私にはそれほどの数学の才能はないので数学ができる人間に対して劣等感がある。
だから劣等感の元凶である彼らにはせめてとことん栄誉ある立場にあってほしいのだ。
彼らすら大して評価されないのでは彼らと違って能力のない私には何も救いがないではないか。
あるいはこういうことなのかもしれない。既存の知識を理解するという力と新しい見識を発見する力というのは異なるものなのではないかと。
つまり数学の功績は高度な理解力の上に成り立っているものだけども、高度な理解力をもった彼らがもし別分野を志していたとしたら果たして一般の人の記憶にも残る大学者になれていたのかどうか。
現代数学者にチョムスキーの生成文法もその理論を考え出した背景にある理論も含めてその気にさせれば簡単に理解してしまうだろうが、かといってもし彼らがチョムスキーと同時代に生まれて言語学を志していたらチョムスキーを出し抜いてあのような文法理論を創造できたのだろうか。漢字の世界で白川静みたいな業績を打ち立てることができただろうか。丸山真男のような戦後思想史の巨人になれただろうか。
理解力は結局脳の処理能力という量的な要素に還元されるものに思われるが、理論の創造というものはどのような分野にしても大胆なひらめきがものを言い、これなるものは量化などもちろんできない、一種の特殊能力なのではなかろうか。
数学はむしろ知見が論理的に緻密な状態でに充実に蓄積されているのに比べ、他学問の知見は相対的には雑駁というかなんというか、とにかくそういったところから新しい理論を考え出すのには数学以上に何かアクロバティックな部分が必要にも思える。
コペルニクスだったかは海上の水平線で帆船が見えなくなる事実から地球が丸いということを歴史上最初に悟った人物らしいが、彼のような発見は彼より多くの知識を持った、つまりは理解している天文学者には出来ないはずだと朝日新聞の轡田だかいう論説委員の本に書いてあったと思う。
本当だろうか。現代数学者がその時代に生まれても無理だったのだろうか。でももしそういう発見という意味での知性が特殊な力なのなら、ここは素直に認めておくべきことなのかもしれない。数学者こそ昔の偉人が発見した事実をベースに論文をしたためることができているだけで、彼らがいなかったらならば今のような仕事はまるでおぼつかないものになっていたかもしれない。
ただしコペルニクスやデカルトみたいなあの手の啓蒙思想の潮流で偉人扱いされている人がもしも今生まれたら、史実でその発見をしたときのインパクトと同じぐらいのインパクトを持った発見ができるのだろうかという疑問はある。
しかしできないのだとしてもそれは役割の問題なのだということになるんだろう。コペルニクスにはその特殊能力をもって彼にしかできない発見をしたのだし、現代数学者も彼らの理解力をもって高度な論文を発表している。それでよしとするべきことなのだろうか。19世紀から20世紀のイギリスでは優秀な人間は天文物理学に行くものだという常識・慣習があったのも引っかかる。
学者としての優秀さというのは最終的には理解力のような計り知れるものではない、ひらめく力・直感のセンスで決まると認識があった証左なのだろうか。
そうであるなら私についてもまだまだ人生これからで、数学以外の学問でひらめきを発揮する道はあるのかもしれない。
そうだとすれば劣等感を抱く前提条件も崩れ、数学者が一般に知られていようといまいが気にする問題ではなくなってしまうはずであるけれど、ここまで掘り下げて考えてしまったので、まあそれはそれとしてこの疑問は解消されるまでことあるごとに私を悶々と悩ませるには違いない。
まあそれでも既存の知識を理解することにおいては絶大な才能があること、つまり学者がどんな難解な理論を提唱しようがたちまち理解してしまうという意味で、あらゆる人に対してタイムラグはあるにしてもそれを無視した見かけ上はどちらの方が物事をよく理解してるかということについては遅れを取ることがないという点にはやっぱり羨やむものがあるかな、ノー勉で東大に受かる素質というのも素直に?率直に?畏敬の念に駆られてしまう。
dorawiiより
表面だけしか見ない観察者にとっては、「科学の真理は疑いの余地のないものである。科学上の論理は誤ることは無いし、学者がときおり思い違いをすることがあっても、それは論理の規則を見損なったためである。」
...
世間の多くの人々、とくに物理学の初歩を学んでいる高等学校の生徒などは科学の確実性の起源について、このように考えているのである。
...
少しでも反省したものは、仮説の占める領分がどんなに広いかということに気が付いた。数学者は仮説なしでは済まされないし、実証的科学についてはなおさらである。そこで、
はたしてこれらのすべての構築が極めて堅固なものであるかどうかが疑われ、わずかの微風にあっても打ち倒されてしまうと信ずるようになった。こういうふうに懐疑的になるのも、また表面的な考えである。
全てを信じるか、全てを疑うかは、どちらも都合のよい考え方である。どちらであっても我々は反省しないで済むからである。
だから簡単に判決を下したりしないで、仮説の役割を念入りに調べてみるべきである。
そうすれば仮説の役割が必要であるというばかりでなく、たいていの場合は仮説が正当であることを認めるであろう。
...
仮説には多くの種類があって、ある種の仮説は実際に検証することができ、ひとたび実験によって確かめられたなら、多くの結果を生む真理となる。
またある種の仮説は、我々を誤りに陥れないで思考に拠り所を与える役に立つ。
定常宇宙論者として今なお健在な人はフレッド・ホイル卿である。(*フレッド・ホイルは2001年に死去。)
かれは1948年に定常宇宙論の論文を発表し、それから50年を経た現在においてもなお健筆をふるい続けている。
...
…このように、定常宇宙論は観測結果を取り入れるのに精いっぱいで、とても預言的能力を持つとは言い難い。そのため、宇宙論の分野では影響力を失っている。
ホイルの論文も、偉大な業績を持つホイルであればこそ受理されているのであって、私が書けば受理されないだろう。
しかし、全く無意味ではない。宇宙背景放射の塵起源論は、物理学としては原理的に否定できないからである。そのような変わった塵が存在するならば、ホイルのいうようなことが起こるであろう。
問題はそのような塵が実際に存在するかどうかであり、ホイルの提案に刺激されて、塵生成に関する研究が大いに進んだことも確かである。
(追記分)
| -a | (number) $1 |
| -i- | $1+$2 |
| -e- | $1*10^$2 |
| -li | $1 (-e- 一番外側) |
| -apo- | $1+(point) $2 |
| ta- | -$1 |
| nil | 0 (任意) |
| m | 1 |
| d | 2 |
| tr | 3 |
| ku | 4 |
| pet | 5 |
| hek | 6 |
| siv | 7 |
| oct | 8 |
| nov | 9 |
| tama | -1 |
| tapoma | -0.1 |
| tametama | -0.1 |
| poma | 0.1 |
| metama | 0.1 |
| pomida | 0.12 |
| metamimetada | 0.12 |
| trapotrikua | 3.34 |
| tritretamikuatada | 3.34 |
| siva | 7 |
| mema | 10 |
| memima | 11 |
| dema | 20 |
| demida | 22 |
| trema | 30 |
| kuema | 40 |
| meda | 100 |
| medimemima | 111 |
| deda | 200 |
| dedidemida | 222 |
| treditremikua | 334 |
| ocedimema | 810 |
| metra | 1000 |
| mekua | 10000 |
| mepetimekuikuetripetedimemikua | 114514 |
| mehekemiliocta | 1無量大数 =10^68 |
| memeda | 1グーゴル =10^100 |
| metretra | 10^3000 |
| mememelida | 1グーゴルプレックス =10^10^100 |
| memememememapolima | ポアンカレ回帰時間 =10^10^10^10^10^1.1 |
| memememememilimetama | ポアンカレ回帰時間 |
村の寄り合いに哲学者が来る。村は腐ったところで、ひとりが科挙にうかるとそれにみんながたかって食っている。俺もそんなひとりだが、村を出たくてなにかを勉強していた。
哲学者は若かった。俺は話を切り出せず、愚劣な連中に囲まれている哲学者に話がしたくてじりじりしていたが、ようやくチャンスが来た。
俺は口火を切った。「あのですね、ベルグソンがわからんのです」
「すげー基本的なことなんですけどね」「ベルグソンの空間てのは同時期のポアンカレとか物理屋、数学者のものと大体同じものについて語ってるんでしょう?」
村の連中は「意気さかんな若者が質問をするのはいいことだ」と内容もわからずに互いに酒なぞを飲んでいる。
哲学者は笑いつつ当惑もした表情でこっちを見て、「いやあのね、ベルグソンは詳しくないんだけど、」といった。
http://anond.hatelabo.jp/20070224194128
逆にさ、人に教えてもらって成功したり能力を発揮できて本当に楽しいかって考えたことがある?
もちろんあります。いや、違うかもしれません。本当の意味で考えたことはなかったのかもしれません。
当時の私が陥っていた思考の罠は、
「人に教えてもらうことは、所詮はお情けに頼ること。自分では何もできないということを認めること。これは屈辱だ」
というものでした。ここで思考停止してしまっていました。
ある意味では正しいのかもしれません。でも、当時わかっていなかったことがあります。「自分ではなにもできない」というのが紛れもない事実だったことです。これを認める勇気がなかったことが全ての敗因です。
私見ですが、研究者として必要な能力は二つあります。「何を(what)するか」と、「どうやって(how)するか」の双方です。
このうち、whatは人から教えてもらうことが困難です。知識をいくら集めても、質の良い研究テーマは出てきません。何が重要か、何が面白いか、そのあたりの判断ができることが必要です。当時の私には、このあたりの能力はあったと思うのです。そういう意味で、私は自分が才能に欠けていたとは必ずしもありません。
一方で、howの方は人から教えてもらうことができるのです。そして、「やりたいこと(what)」の中からできそうな部分を切り出してくるような能力、これも広い意味のhowに入るのです。これこそ、私が見落としていたことです。知識は本や論文から手に入れることができます。しかし、知識を集めてhowにすることも難しいのです。それができるようになるためには、経験が必要です。そして、経験がなにもない段階から経験がある段階にステップアップするためには、先達の指導を受けることがどうしても必要です。
私には、whatとhowの区別がありませんでした。確かに、whatについて教えを乞うことは恥かもしれません。無目的に時を過ごすことの無意味さを自覚できていないからです。しかし、howについては教えを乞わないことが恥だと思います。歴史上多くの先達が一生をかけて成し遂げてきたことを自分だけの力で何とかしようというのは、無謀以外の何ものでもありません。
物理学の歴史上屈指の天才の一人として、アインシュタインがいます。彼の最大の業績としては、まず間違いなく特殊相対性理論が挙げられるでしょう。これは、時間とか空間といった日常的な概念に変更を迫るものとして、一般人の関心をも大きく惹きつけました。
ですが、アインシュタインの業績だと一般に思われていることを100とすれば、そのうちアインシュタイン独自のアイディアは実のところ2か3ぐらいしかないのではないでしょうか。光速度が一定であること、時間や空間が伸び縮みする可能性があること、これらは全て、ローレンツとかポアンカレとか、これも歴史に名が残るような当時の一流の人たちによって既に得られていた成果なのです。現代でも「アインシュタイン、特殊相対論を横取りする」などという本が出版されているぐらい、このあたりは微妙な話に属するのです。しかし、それでもアインシュタインは段違いに偉大だと私は思うのです。アインシュタインの理論は単純な原理からこれらの新しい結果を自然に導き出せる驚くべき明晰さに価値があるのであって、これにくらべれば、ローレンツやポアンカレのアイディアは斬新ではあっても、既存の理論の綻びを無理に覆い隠すようなその場しのぎのものにしか見えなくなってしまいます。しかしそれにしても超一流であるアインシュタインにして、せいぜい100のうちの2か3のアイディアしか出せないことは注意する必要があります。それが成熟した学問分野での研究者の世界というものです。
さて、アインシュタインは特殊相対性理論を発展させて、一般相対性理論を提唱しました。これこそは全く新しい分野の構築であり、100のうちの100のアイディアがアインシュタインのものであるといってもいいように見えます。しかし、この理論の肝である「曲がった時空」を扱うためのアイディアは数学のうちの「微分幾何学」と呼ばれる分野から丸々拝借してきたものであり、数学者の立場からみれば、長年にわたって構築されてきた理論にアインシュタインは物理的解釈を当てはめただけ、と言えなくもありません。そして、「微分幾何学」を物理学に適用するというアイディア自体もアインシュタイン独自のものではなく、その指導教官のミンコフスキーの助言に端を発するものなのでした。もしアインシュタインがミンコフスキーと知り合っていなければ、この理論の発見者はアインシュタインではなかったかもしれません。アインシュタインですらhowを指導教官から教えてもらっているのに、どうして稀代の天才でない人間にそんなことができるでしょうか?
華々しく成功して賞賛されたのはいいけど、後々まで、教えてもらった人に、
「あの時は世話してやった」と言われ続けるのは、あなたにとって屈辱じゃないの?
「こいつは使える、優秀だ」と、周りの人に評価されてうれしいの?
評価されて嬉しくないはずがありません。評価されなければ、自分の挙げた成果も日の目を見ず、どこかに埋没してしまいます。それが研究者の世界です。それでは実績を残したことにはなりませんし、研究を続けることもできなくなるし、社会に何の貢献もできていないことになってしまいます。目的ではなく手段として、評価されることは必要です。それを嫌って前衛芸術家を気取っている人は、一生を前衛のままで終わらざるを得ないでしょう。
それに、「あの時は世話してやった」と恩に着せるような言い方をされるのが嫌だといったところで、指導を受けずに何の成果も残せないこととどちらを選ぶかといわれれば、答えはいうまでもありません。それにそもそも、弟子が華々しい実績を上げれば、黙っていてもその人の師は優れた教育者として歴史に名を残すことになるはずで、最初から自慢をする必要などありません。
この元記事を書かれたあなたへ。おそらくあなたは現役の学生なのでしょう。血気盛んに、何かを成し遂げてやろうと思っていて、私を二流に甘んじた人間とお思いなのだと思います。その意気は買うべきものがあるし、私が二流なのも事実でしょう。しかし、「何かを成し遂げる」ということは、あなたの思っている通りのことではないのも事実なのです。それを知って欲しいのです。上にアインシュタインの話を長々と書いたのも、アインシュタインであっても実際に成し遂げたことはおそらくあなたの想像より遙かに地味なことであろうという事実を知って欲しかったからです。所詮人間の能力には限りがあり、天才と凡人には言うほどの違いはありません。ただし、次に引用するニュートンの言葉が全てを物語っていると思うのです。これを肝に銘じ、有意義な学生生活を送って頂きたいものです。
「私が遠くを見通し得たとするならば、それは巨人の両肩の上に立っていたからだ」