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はてなキーワード:ボールペンとは

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2025-10-18

anond:20251018145000

真っ白な画用紙にボールペンで縦に一本の線を引きます。男という生き物はそのタテ筋の線を見ただけでも性欲を感じることができる生き物なんです。

Permalink |記事への反応(1) | 15:18

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2025-10-16

anond:20251016104538

じゃあメルカリピンクボールペン500円で出品するからそれ購入したら教えて

Permalink |記事への反応(0) | 10:47

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2025-10-04

消せるボールペンってなんだよ

消せないボールペンあんのかよ

Permalink |記事への反応(2) | 17:29

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2025-09-19

100均の赤ペンが最悪だった

生活上、赤ボールペン(赤ペン)が必要になり買いに行った

文房具屋で買えば1本100円程度だが、100均で2本入り108円のものを見つけた

見れば有名文具メーカーであるプラチナインポートしたものらしい

プラチナなら大丈夫だろうと思って買って帰った

これが大きな間違いだった

この赤ペンものすごくインクが溢れる

線を引いただけでインクまりができ、手で擦ってしま

線を引く時に当てた定規にもインクが付着し、書類を汚す要因になる

しかインクが残っているにも関わらずかすれ始めた

かすれ始めても、使い始めはインクまりができるほど溢れる

ふざけている

我慢してしばらく使い続けたものの、嫌になってSARASAの赤ペンを買ったところ、上記問題は一切起きなかった

日本文房具は優れていると聞くが、まざまざと実感させられた

海外の文具事情が知りたければ100均へ行こう

Permalink |記事への反応(0) | 18:26

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2025-09-07

ワイ「ステータスオープン!」

生年月日 1984年4月8日

身長   161cm

体重   75kg

顔    面長

体型   肥満

髪    生え際後退中(手遅れ)

会話   筆談なら可

器用さ  プラモデル作りが得意

表情   うなずき・眉で意思表示可能

装備   マイナンバーカードメモ帳/黒ボールペン

Permalink |記事への反応(1) | 13:30

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anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

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2025-08-23

侵略的チンチンノイズ悪魔肩甲骨について

あれはまだ私がゴッドマジンガーの右足首の開発にランダムアクセスしていた頃のことだ。

悪魔肩甲骨としてしられるドクターガリックがリック・ディアスの肩関節を参考にしては?と提案してきた。

当時、私にとって上司に当たるガリックの提案は少しセクハラじみていた。

ほぼ初対面の私にリック・ディアスの話をしてきたのもそうだし肩関節のような卑猥場所テーマにするとは正気を疑ったのだ。

侵略的チンチンノイズの影響を受けいているのではないかFBIとの共同捜査が始まるのも時間問題であった。

第二章うたぐりぶかい性癖

ドクターガリックとの不倫関係はこうして始まったのだがこの不倫関係の奇妙なところは彼も私も独身だということだろう。

第三章サンショウウオ山椒魚

悪魔肩甲骨の話をしようか。

第四章黄身と白身君と僕

怒りなどの感情に我を忘れて卵の白身だけを捨ててしまうのはよくあることだ。

だって黄身にしか栄養はないんでしょ?」

ガリックは金髪緑髪の境目を器用に掻き上げながら挑発的な目で僕を睨んだ。

「それは肩甲骨的な意味で?ってこと?」

僕がダブルフェイクエスチョンでやり過ごしている間に突入隊への合図を送った。

卵の白身を捨てるなんてこと告白しているんだ。

今日こそドクターリック運命も終わりだ。

第五章ストームブリンガー

私の魂を誰かその邪悪ものに吸わせるのを止めてくれ

その半狂乱の願いは聞き届けられたことはない

よほどなんだろう

誰もがこの剣に魂を吸われるときは半狂乱になる

いや、あのときアンコールワットでの僧侶は違っていたか

彼は悪魔肩甲骨いからせながら

ひどく落ち着いた表情で剣の切っ先を受け入れていたものだ。

果たしてあのとき僧侶はあのあと私が行った自慰行為エネルギーとなって消費されていたのだろうか

第六章ドクターガリック

白身の剣と黄身の剣、邪悪なる肋骨矯正君に届け

三角関係だね」

ドクターガリックと僕、そして悪魔肩甲骨

悪魔肩甲骨みたいな恋をした。

第七章小学校の頃にバッタ人園に遠足へイッたね

ヘイトだお

ボールペンを僕にくれないか

脱獄をしたいんだ

ルパン三世

あの頃の宮崎駿はまだ正気を保っていたのだ

ルパン三世を描きながら

ときおり観客を現実世界に戻らせる視点も織り交ぜていた

まりルパン馬鹿な演技とかがそうだ

面白い

と思わせながらも

同時に

そんなわけあるもんか

と観客に思わせるのはメタでなくてなんだろう?

ももナウシカかになると真面目だ

腐海猛毒わずかながらでもマスク無しで大声を張り上げても風の初期症状くらいの痛みしかないんだから

おれたちもうおわったのかな?

ドクターガリック「まだ はじまっちゃいねえよ

Permalink |記事への反応(1) | 04:55

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2025-07-29

行方不明展行ってきたけど正直がっかりした話

結構周囲では話題になってて、関西で開催されるのを嬉しく思ってすぐ観に行ったんだけどまじ正直肩透かしというか、これで金取るんだ感ともう一つ別の不愉快


時間指定チケットが良いと公式サイトにあったので入場の人数調整等も兼ねてだろうと思い購入、日曜17時という夕方で長蛇の列、嫌な予感

チケットをもぎる案内の人から60分でご退出をと言われるも17時25分の時点で何も観れてない、いやまじで、人多すぎて前に進まない、会場が狭いとかでもなく人が多い

前の人の頭越しに展示を見るとかいレベルではなく、ここは隅田川花火会場かってくらいの密集、遅々として進まない列、60分で出れるわけないだろ

てか人が多すぎてガヤガヤしすぎ、周りの感想考察や会話が聞こえまくって没入感どころじゃない、不穏さとか感じる暇もない、後ろのおっさんが大声で講釈垂れてて不愉快

時間指定チケットしか売ってないはずの土日でこの人数管理運営馬鹿なのか?

これだけなら人気なのだなあで済むけど、展示物も正直どうなんだ…という気持ち

ネットミーム洒落怖オマージュ?が多すぎて、ネット老人会なら自分検索して夜中にたどり着きそうなレベルのものばっか、きさらぎ駅とか異世界エレベーターとか

(まあその検索経験値時間や手間が惜しくてライトに楽しみたい層から金銭の発生と思ったら面白い展示なのかもしれないけど…)

無人の家からタバコの吸い殻がペットボトルにギチギチに詰められて多量に発見されるやつとか、一度木っ端みじんにされるも修復された存在しない企業ロゴの入ったボールペンとか

そういうよく考えたら変だな…?ってジワっとした不穏ばかりだとてっきり事前情報で感じてたのに、展示の大多数は所謂せん妄のある人が名前を思い出せない息子を探すとかばかり

みんな怖い~!とか、統合失調症だ…!とか、ひょえ~!やば~!って感じで恐々と観てる人が多かったけど、正直胸糞悪かった


私自身が障害者手帳1級のせん妄を症状に持つ精神疾患からだろう

作者がそういう症状があって、自身世界表現するというパフォーマンスならまだしも、フィクションとはいえ他人キュレーターという立場で展示する人の内容が精神病を異様だと匂わせ、自分と閲覧者は安全圏で眺める、こういう人もいるんだね人間ってすごいねしたり顔で感心する、その全部に倫理観を疑った

フィクションなら展示のその人は存在しからよい?ならばわざわざ人間である必要もないのでは、物語役割があるならいざしれず、行方不明になる、行方不明痕跡がある、不穏の象徴を表すことだけに注力するのなら展示の時点で人間を切り離すこともできたはず(事実、犬が主体の不穏さの延長として犬小屋の展示もあった)人間せん妄結果の展示(異様なポスター手紙など)しかできないのは展示のレパートリーとして作者の落ち度だとも思う

精神疾患を明言してはない展示?文章の一部に〇〇〇の症状がありますね?と尋ねるインタビューアーのセリフもあった(〇部分は黒塗り)

ホラーってなんなんだろうな、大多数の健常者からすると私の思考は不穏なんだろう、だとしても健常者の考える不穏(笑)な展示の一端に妄想行為コンテンツとして消費されるのをこんな不意打ちみたいな形で目にするのは苦しい、せめて覚悟して閲覧したかった


例えるなら話題動物園に並んで行って檻の中を覗いたら、明らかに自分と同じ属性の生き物が収容されていて、周囲はそれをコンテンツとして消費して楽しんでて、また自分お金を払ってて、黙ってるからその属性は詳らかにされてはないけど、動悸と冷や汗が止まらないみたいな

自分せん妄の症状もこうやって他人に不可解でよく分からないものとして処理されるんだなと目の当たりにした、私はいだって心の底から【それら】を信じて心の底から訴えて涙するのに

いくつかの展示は時間の都合もあって満足に観る事すらかなわなかった

ゲロ吐きそうだった

誰も傷つかないコンテンツを作れとは言わないけど、一部の人間に異様にダメージデカコンテンツを展示するならせめて注釈欲しいよなあ

Permalink |記事への反応(10) | 14:53

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2025-07-21

タコピー読み返して気付いた小ネタ

最近は悪くないんだ」

これしずかとまりな、同じこと言ってる

土星ウサギボールペン

これハッピー道具の一つだった

 

まりママエアコン温度の設定が28度になってるが

パパが居るとき24度になってる

 

しずかパパ、しずかが生まれた4年後には義妹が生まれてるから出産後3年目にはすでに今の奥さんと子作りしてるんだけど

しずかは「小さい頃はパパと散歩してた」って言ってるから、ほぼ確実に不倫、下の子は2歳だからおそらく再婚してから作った子

ちなみに2016年時点で45歳なので、しずかができたのが35歳、東京タワマン住み、しずかママキャバ嬢でまだ若いことを考えるとおおよそ背景が見えてくる

 

ラストまりなは結局ガラスでやられてる

まりしずが仲良くなったこと以外特に何も変わってない、東くんは謎

 

ハッピー星、ひょっとしたら誰かを勧誘して2人で戻ることが掟なのかも

 

ハッピー星でママ最後に言った謎のワードタコピー名前だった

 

「おはなし」が1話からずっとキーワードになってる(おはなしが解決するってタコは言ってたけど、実際には解決してないことが多い)

 

しずかはタコを殴って道具をほとんど奪って義妹を誘拐しているが、結局返して北海道地力で戻っている(ここらへん話のつながり初見でわからなかった)

 

「胃の中」って言ってるから実はしずかは既にチャッピーの死は受け入れている

 

しずかパパから視点のしずかと、しずか視点の見た目が違う

 

しずか、金はそこそこ余裕ありそう(下敷きも問題ない)

 

まりながしずかに言ってる悪口、半分くらいはブーメラン

 

チャッピーが噛む前に「保健所」ってワードを何度か出している

 

チャッピー救出ループ、101回もやってた(アニメでは書いてなかったね)

 

しずかは生き物に詳しい、まりなが居なければ学校はさほど嫌ではない

 

タコピーがしずかになってビンタされたときと、タコピーまりなになってビンタされた時の構図が同じ

Permalink |記事への反応(0) | 09:44

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2025-07-15

うちの猫黒猫で、奇麗な黄色い目が特徴的。

でも変な癖があって、どこかから必ずペンをくわえて持ってくる。

気づくとデスクの上がペンが山積みになってるなんてことも多い。

僕がちょっと目を離した隙に、クロがボールペンを1本くわえてトコトコ歩いてきた。

そして僕の膝に乗ってデスクの上にペンを口から落とす。

振り返って見せるその顔がすごく誇らしげで、「ほら、また一本持ってきたぞ!」って言ってるみたいだった。

別の日には、僕が作業イライラしてたとき、またどこかからボールペンを持ってきて机にポトンと落として「にゃあ」と鳴いた。

なんだかそれが「お前、これが欲しいんだろ?」って言ってるように思えて思わず笑ってしまった。

たぶんクロは僕が机に向かってばかりいるから、この棒が好きなんだなって思っていたんだろう。

頭を撫でてやると嬉しそうに目を細めて。ゴロゴロと喉を鳴らして、甘えた声で「にゃあ」と鳴く。

いつもデスクの上はペンで一杯だった。

から今、ペンが一本しか置いていないデスクの上はどうしてこんなに広く感じられるんだろう

Permalink |記事への反応(0) | 12:21

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なんか捨ててないもの

良心

純粋

・使い終わったボールペンの芯

Permalink |記事への反応(0) | 00:18

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2025-07-13

anond:20250713143536

こういう職場の気難しい人って、大抵自分の機嫌を全面に出してくる気がする。ただ業務上必要コミュニケーションをしているだけなのに、表情とか態度でイライラが良くわかる。ミーティング中に端末やボールペンをカチカチするとか、業務説明終わってないのに遮って反論してくる人とか、小さな不機嫌で人を動かそうとするのやめて欲しい。

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2025-07-06

医学部教授から見た国立小学校入学試験問題点

 関西地方医学部教授をしている。普段受験生選抜する立場だが、この春、子ども国立小学校受験し、試験運営で考えさせられる点があったのでここに記したい。

 なお、子が受験したのは、大阪市内にある国立大阪教育大学附属天王寺小学校(附天)である国立小学校では西日本トップクラス国立小らしい。らしい、というのは、当家庭は子ども小学校受験の準備をさせておらず、ほぼ無課金状態受験をさせたため、学校間の序列にくわしくないためである

 また、後述するが、附天は受験生子どもたち)に公平な受験機会を与えるために必要情報を公開していない。このメモは、附天受験の状況を無償で公開するという意味も持っている。

なお、筆者は旧帝大や非医学部を含め、国公私立大学にまんべんなく在籍した経験があり、入学試験設計(どのような学生を採りたいか)にも各学校でさまざま経験してきたたことを付記しておく。また、子ども特定を防ぐため、詳細な情報は一次試験の状況のみとし、子どもの合否にも触れない。

 

国立大阪教育大学附属天王寺小学校(附天)一次試験まで

 まず、試験要項(「入学調査要綱」)は非常にわかりにくい。

 試験は一次試験(筆記・行動観察)→合否発表→一次合格者のみ二次試験面接・実技)である

 試験科目として、「①筆記 ②実技 ③行動観察 ④面接(志願者面接保護者面接)」と書かれているが、それぞれがいつ実施されるのかが書かれておらず、一次試験学習として何を準備すればよいのかがわからない状態であった。

 実際には、上の()で示したような分かれ方をしていることは受験後に初めて分かった。

 高額な受験塾へ通わせている家庭は事前に情報を知ることができたと思われ、軽い不公平感を覚えた。

 校長は大教大の教授が赴任する慣例であり、面接対策として校長研究内容や人となりを事前に知っておこうと思ったが、なんと校長の氏名がどこにも公開されていなかった。何らかの理由名前を徹底して伏せていると思われたが、ここでも重課金勢の家庭との情報格差があると感じられた。

 

・一次試験2025年1月7日(火))

 試験は男女別に実施される。入学定員も別々。

 男子は朝8:30開門で9時までに集合、女子11:30開門で正午までに集合との案内があった。

 しかし、実際には子どもたちへの試験は7,8分前に(つまり男子では8:52ごろ)に別室にある試験会場への集団移動が開始された。

 私の子どもは*時50分にお手洗いへ行って戻ってきたら、他の子どもたちはすでに試験会場へ移動した後であり、「遅刻者」として試験会場へ向かうことになった。つまり学校側の案内は不正確であり、男子は8:50、女子11:50までにお手洗い等を済ませて待機室に座っていなければならないということであるしかし、そのような案内は、当日も口頭でも一切なかった

 試験監督する教員たち(つまり附天小の教員たち)は集合時刻を勝手に前倒ししている自覚がないようで、*時55分にお手洗いから戻ってきた私の子に「急いでください!」と急かす始末であった。せめて、「お手洗いは*時50分までに済ませてください。」と告知すべきであろう。実際には「お手洗いへ行っておいてください。」とだけ連呼され、それを真に受けてぎりぎりにお手洗いへ行った子どもバカを見た形となった。

試験学校側が勝手に前倒しで開始するなど、大学では(おそらく中学高校でも)まったくありえず、試験公平性観点からきわめて不適切な状況であると感じられた。

 

また、子どもたちは鉛筆や色鉛筆水筒などを持参するように指示されているが、それらを入れる手提げかばんを持参してよいのかどうか、受験案内に記載がなかった。

実際には多くの受験生が手提げかばんを持参していたが、上記試験前倒しなどと並び、この小学校は、最低限の必要情報すら伝える気がないように感じられた。

 

 子ども試験に出かけたあと、保護者は別室で待機する。

 ほぼ1時間後(男児なら9:55ごろ)に、保護者へ大きな茶封筒が配布される。試験案内には、「保護者の方には『志望動機』『お子様の長所短所』等を記入いただきます」とあったので、その記入用紙と思われた。配布から5分後に封筒を開けてくださいと言われ、中の用紙を取り出した。

 

 この用紙が驚天動地のもので、2つの課題について、約700字×2=1400字の小論文を60分間で作成せよというものであった。用紙はマス目が印刷された原稿用紙であり、ボールペン手書き修正基本的にできない。実際には、持参した家族写真の糊付けや説明作成もあるため、小論文執筆時間は50分ほどである

 筆者は大学入試小論文に関わっており、試験監督もたまにこなすが、1400字の小論文(正確には2課題)をわずか50分前後で書くというのはいわゆる旧帝大早慶クラス小論文でもめったにない高難度の早書きである

 小学校からの事前の公式案内は、「『志望動機』『お子様の長所短所』等を記入いただきます」だけであり、ほとんど騙し討ちに近い内容と言える。小学校受験趣旨から言って、保護者小論文が合否に大きく影響することは容易に想像され、そのような重要な入試項目についての実施情報を公開していない附属天王寺小学校意識は、教育機関としてはなはだ不適切であると、大学人として感じられた。

 

保護者向け小論文課題

 ・子供個性を把握し、強みを伸ばし、弱みをフォローアップするために必要な事は何だと考えていますか。740字。

 ・家庭で最も大切にしていることと、本校の教育方針と合致していると思われる点を挙げてください。720字。

 

 なお、筆者はたまたま教室の後ろのほうに座っていたため、保護者たちの様子がよく見えた。多くの保護者たちは封筒を開けると、ほとんど躊躇なく小論文作成しはじめた様子が見えた。初見小論文課題については、最初の数分間は内容や構成を考えてから執筆を始めるのが通例と思われるが、そのような様子はまったくなかった。後で知った情報として、附天の小論文課題は、字数や内容が毎年大きく変動するようであり、過去問でも対策本来は難しいはずである

 保護者は数十通りの予想課題について1千文字近いボリュームを短時間で書く訓練をしていた、ということかと思うが、実際にそのような対策時間がかかりすぎて困難なはずであり、特定受験塾に試験課題または大まかな傾向が漏洩しているのではないかという疑念さえ持ってしまった(あくま邪推である)。

 附天の二次試験運動課題(毎年変わる。)が出題され、2025年1月はなわとびであった。附天の滑り止めとされることが多い、私立城星学園小学校2024年秋の入試は(例年にない)なわとびが出題された。子どもたちからすれば、(体操球技ではなく)なわとびに集中すれば良いので楽なのであろうが、偶然の一致なのかなという不信感は残った。

 もし、私が附天の入試責任者であれば、城星学園の出題(数ヶ月前)を知ったところで、なわとびの課題は別のもの差し替えるだろう。それくらい、入試公平性疑念払拭には気を遣っているし、そうあるべきである

 

 こういったさまざまの情報は、受験塾に数百万円をつぎ込むことで明示的にまたは暗黙にえられる情報なのであろう。

 筆者はお金情報を買うことが不公平であると言いたいわけではない。

 国立大阪教育大学附属天王寺小学校という国立教育機関が、公平な試験を行うことが困難と言えるほどに情報公開を行っていないことや、小論文課題やなわとびのように偶然かわからない、疑念を持たれかねないスレスレの出題を行っていることは、国立機関として非常に不健全な状況であると考えた。

 私立小学校であれば、特定階層受験優遇を与えることはあってもよいかと思う。しかし、筆者自身国立大学での経験が長いこともあり、同じ国立大学がこんな杜撰不公平入試運営をしており、まったく恥じる様子もないことに大きな衝撃を受けた。

 筆者が在籍する医学部も似た状況で、受験倍率は10前後と完全な買い手市場であるしかし、だからと言って、入学試験運営をおろそかにするなど絶対にありえない。10倍人気にあぐらをかく意識はなく、試験でよりよい学生さんを採ろうと真剣である

 そういえば、附天の入試当日、監督教員事務手続上の質問をしたのだが、「調べます」と言われてそのまま放置され、回答はなかった。大学入学試験運営ではありえない適当対応である

 

 大学小学校は違う面もあろうが、入学試験というものの重みをずっと考えてきた大学から見た国立大阪教育大学附属天王寺小学校入学試験問題点は以上である

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2025-07-01

死ぬ”予定だった30歳に、犬のおかげで“夢を叶える”予定を入れた

私は、犬に人生を救われた。

今の私は、そう言い切れる。

でも、最初からそうだったわけじゃない。

しろ真逆だった。

人生、ずっとしんどかった。

今でこそオタク文化市民権得てきたけど、

当時は「オタクキモい」って空気がまだ全然強くて、授業中にキャラ描いてただけで「えーキモ〜w」とか言われてた。

しかも、昔から地毛の色がめちゃくちゃ茶色かった。

染めてないのに明るい色で、

学校は厳しかったけど「地毛やから」ってギリ許されてた。

でも周りはみんな真っ黒やから自分だけ浮いてて。

なんであの子だけ?って言われて、

「染めてるくせに〜」って陰で言われて。

オタクで、髪の色も周りと違って、だから余計に変なやつ認定されて、

中学では普通にいじめられて、高校でもずっと浮いてた。

「なんかあの子変だよね」って空気の中で生きてきた。

大学に入って、周りも大人になって、髪のこともオタクってことも誰も気にしなくなって「ちょっとやり直せるかも」と思ったけど、

実習に追われて、課題レポートの山に潰された。

そもそもずっといじめられてたから人付き合いが怖くて、グループLINEの通知が来るだけで動悸がして。結果、大学生活にもロクな思い出はなかった。

その時から、私は本当ににおかしかった。

国試の問題を一問間違うたびに、自分の首を自分で絞めてた。

間違う度に価値がない人間だと自分に吐き捨て、ボールペン自傷もした。

積み重なってきたもの限界になって来てたんだと思う。

この頃にはもう、「ああ、何も変わらんかったら30までに死のう」って思ってた。

なんで「30までに死のう」って思ったのか、正直よく分からん

でも、たぶんまだその頃は、“希望”があったんやと思う。

…まあ、「30」って数字が、自分の中でキリがよく思えたってのもある。

そこまで生きて、何も変わらんかったらもうええかなって。

今思えば、あのときの私は“人生区切り”を探してたんやと思う。

当時は、今すぐ死ぬ勇気なんてなかった。

怖かったし、家族にバレたらめんどくさそうやなって思ってたし、

「どうせ死ぬなら、もっと完璧に準備してから」とか、

そんなことばっかり考えてた。

それでも、国家試験に受かって、

国家公務員として資格持って働けば、きっと何かが変わるって思ってた。

自由に使えるお金があれば、人生ちょっとは楽になるんちゃうかって。

それがきっと、あのときの“生きる希望”やったんやと思う。

でも現実は違った。

仕事想像以上にしんどくて、

人間関係はギスギスで、

患者さんに怒鳴られたり、先輩に無視されたり、

夜は眠れず、

気づけば、自分感情がどこか遠くにいってた。

変わるどころか、どんどん心が削られて、

最後にはもう、“無”みたいになってた。

「何かが変わる」ってあれだけ信じてたのに、

その希望が裏切られた瞬間から

本気で“終わり”を考えるようになった気がする。

さな失敗すら、自分全否定する理由になってた。

なんなら、牛乳もうまく開けられなくて。

ちょっとだけ手にこぼれただけ。

それだけのことで、泣いた。

「こんなこともできへんのか」って。

誰も怒ってないのに、誰にも責められてないのに、

ひとりで「ごめんなさい」って繰り返してた。

床に落ちた白いしずくを見ながら、

「私って、なんのために生きてるんやろ」って思った。

もう、自分存在が全部まちがいやって思ってた。

その頃、やっと「うつ病ですね」って言われた。

ちょっとだけ、ホッとした。

「ほら、やっぱり私は壊れてるんだ」って。

あの診断は、“生きることをやめてもいい許可証”みたいに感じた。


そこからは、何度も自殺未遂を繰り返した。

リストカット過呼吸OD救急搬送

死ねないこと」が苦痛だった。

生きてるだけで誰かに迷惑をかけてる、

お金時間心配も、全部私のせいで浪費されてる。

から、死にたかった。

で、ある日。本当に決心して

アセトアミノフェンカロナール)を100錠以上飲んだ。

知識があるからこそ、肝臓がやられて、死ぬって分かってて。

それでよかった。最悪後遺症が残ることもわかって飲んだ。

苦しんで死ねば、後遺症でも残れば少しは罪滅ぼしになるかもって思ってた。

ほんまに、生きてることが“罪”やと思ってた。

社会謝罪しなあかんと思ってた。

めちゃくちゃ苦しくて。

けど、体はそう簡単には壊れてくれなかった。

嘔吐発熱、震え、息苦しさ、

そして、死ぬのが怖くなった。

涙が止まらなくて、「死にたくない」って、思ってしまった。

そして、泣きながら救急車で運ばれた。

 

そのとき、私が言ったらしい。

「犬が飼いたい」って。

覚えてない。

でも母が言ってた。

あんた、涙と汗と嘔吐まみれの中で、何回も「犬飼いたい」って言ってたって。

ずっとずっと、子どもの頃から、犬が好きだった。

でも家には犬嫌いの祖母がいて、「犬だけは絶対ダメ」だった。

ずっと我慢して、あきらめて、大人になった。

でも死ぬ間際に出た願いは、「犬が飼いたい」だったらしい。

死ぬ間際になって何故か飛び出してきた。

それを聞いた家族が「犬を飼おう」って言ってくれた。

祖母が大の犬嫌いで、ずっとNGだったのに。

「この子が生きたいって思えるなら、何でもする」って。

たぶん、こんな理由で犬を飼うのは間違ってると思う。

命を預かることなのに、自分の心の隙間を埋めるためって、

そんなの身勝手すぎるって、どこかでわかってた。

でも、あのときの私にはそれしかなかった。

「生きたい」って言える理由が、他にひとつもなかった。

それでも、家族は飼おうって言ってくれた。

ずっと犬を反対してた祖母も、何も言わなかった。

たぶん、“アニマルセラピー”なんて言葉を使って、

なんとか私を現世に繋ぎとめようとしてくれてたんやと思う。

今思えば、あれは「飼う」ってより「救う」やった。

私の命を、なんとか繋ぎ止めるための決断やったんやと思う。

 

それで出会ったのが──今の愛犬。

ふてぶてしい顔した、ちいさな柴犬の子犬。

ぶすーーっとした顔でこっちをじーっと見て、話してる間に腕の中で寝た。

「あ、こいつやな」って思った。

その感覚、今でも忘れへん。

 

それから、私の人生は静かに変わり始めた。

まだ90日にも満たなかったからすぐには迎えられへんくて、

でもブリーダーから毎日送られてくる愛犬の写真が、生きる理由になった。

引き渡しまで何度も「死にたい」って思ったけど、

「この子に会うまでは」と思って、踏みとどまれた。自殺未遂も1回もしなかった。

 

愛犬がうちに来た日。

それが私の「再スタート」の日やった。

最初は手探りで、家具かじられるし、トイレ失敗するし、

私のメンタルも正直ギリギリやったけど、

それでも、「愛犬がいるか今日も起きる、生きる」が続いた。

 

少しずつ、心が動き出した。

愛犬がご飯を食べるから、私も少しずつ食べるようになった。

愛犬が散歩に行きたがるから、外に出るようになった。

注射が終わって、ドッグランに通い始めた。

そしたら、他の飼い主さんと喋るようになった。

私、人と話すのほんまに苦手で、

レジで注文すら緊張するような人間やったのに。

こんにちは」って言えて、

今日も来てますね」って笑えるようになって、

お土産をもらったり、野菜のおすそ分けをしあったり。

なんならみんなで旅行に行ったり。歳も年齢も性別全然違うのに。

不思議なことに人と繋がるのが、怖くなくなった。

愛犬は、社会から逃げ続けてた私に、

“つながり”をくれた。

 

そのうち、「愛犬のグッズが欲しい」と思うようになった。

でも世の中にピンとくるものがなくて、自分作ってみた

そしたら、それが楽しかった。

SNSに載せたら、「作ってほしい」って声が届いた。

びっくりした。

あんなに自信なかった私が作ったものを、

誰かが「欲しい」って言ってくれるなんて。

 

今では、「亡くなった子の毛を残したい」とか、

「思い出を形にしたい」とか、

そういうご相談もいただくようになった。

亡くなった子の被毛を送ってくださる方もいた。

の子らしさを残すように、丁寧に、愛情込めて作った。

泣きながら届いた報告を読んだ夜、

「やっと、私は“生きてていい理由”を見つけたのかもしれない」って思った。

私にできることは何かって考えて、

自分の作り出したもので、気持ちに寄り添うこと」──

それが、今の私の答え。

 

そして、夢ができた。

愛犬と一緒にいられて、

誰かの大切な気持ちを形にできる──

そんな【自分の店】を持ちたい。

“うちの子”のための、あたたか空間

愛犬から始まった奇跡を、今度は私がつなげる番やと思ってる。

 

昔の私は、「30歳で死のう」と思ってた。

でも今の私は、「30歳になったら店を持ちたい」と思ってる。

たった一匹の犬が、

人間嫌いのコミュ障社会に戻して、

自分の手で生きていけるようにして、

夢までくれた。

愛犬は、私の命の恩犬。

犬の寿命はせいぜい10〜15年。

「そんな短い命に人生託すなんてバカだ」って思われるかもしれない。

でも、私はその短い命に救われて、繋がれて、立ち上がって、今がある。

の子が旅立つときのことを考えると、今から怖い。

正直、もう一回壊れるんじゃないかって思う。

でもそのときまでに、私は“私なりの生きてていい理由”を、ちゃんと見つけておきたい。

愛犬が教えてくれた、“生きることのあたたかさ”を、今度は私が、誰かに繋いでいけたらと思う。

 

あんたが寿命を迎えるその日まで、

私は恩返ししながら、生きていく。

そしてその日が来たとき

「私、あなたに救われて、ちゃんと生きたよ」って言えるように、

今日も私は、ミシンレーザーと、手を動かしてる

Permalink |記事への反応(1) | 09:39

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2025-06-30

100均ボールペンを100万円で売る、みたいなのが時々流れてくるけど、今の世の中それができないと営業職としてはダメなんだろうと思う

また今の世の中はそうやって価格設定がされてるからほとんどのものは全てぼったくりだと認識しても問題ないと思う

人を騙して下請け外注を食い物にしてぼりにぼった商品を大量にさばいて、ようやく結婚や家庭を持つとか、家を買うという未来が描ける

それができない人は底辺で生きていくしかない

Permalink |記事への反応(0) | 14:34

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2025-06-29

ドイツ語ボールペン

クーゲルシュライバー検索すると、スプラトゥーンしか出てこない。

Permalink |記事への反応(0) | 04:17

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2025-06-25

anond:20250625161433

小さい判断なんか誰でも頻繁にするだろ

朝ご飯何食べようかなとか、シャープボールペンどちらで書こうかなとか

浅いアドバイス書き散らしていかにもシゴデキですよ~みたいな自己満見てて吐き気するわ

Permalink |記事への反応(1) | 16:16

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2025-06-24

anond:20250624165636

ボールペン挿すぐらいはできないか

Permalink |記事への反応(0) | 19:21

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2025-06-21

テンション「ドゥルルル↑↑ドォーーン!!」

わたしイチゴ味のインターネット!!!!!!!!

キリン首にWi-Fiを巻いて、地球儀を飲み込んだら朝のニュースが逆再生!!!!!!

ぎょえぇえっっ!!!!!!

サボテンがしゃべった!「オレ、今日から冷蔵庫」って言って、味噌汁ダイブした!!

やめろ!!スプーンを投げるな!!!それは……それは……ママUSBだァァ!!!!!

💥💥💥

──爆発音とともに降ってくるのは、雨でもなく雪でもなく、メロンパン記憶

「ねえ、ボールペンって…感情あると思う?」

ぐるぐるぐるぐるぐる!!!!!

くるくる回る電卓の上で、カピバラ裁判してる!!!

被告人うまい棒を100本食べた罪で無罪!!理由尊いから!!!

カチ、カチ、カチ、……

時計の音が止まった。時間は、きゅうりなかに隠れたらしい。

🌙そして夜がくる

誰かが叫ぶ──

郵便ポストに返事を出したのに、返ってきたのは“さようなら”だった!!!!!」

Permalink |記事への反応(1) | 07:05

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おねえちゃんも弟もどっちも好きなんだけど

子供はどっちも大好き。3歳と1歳。

ただ、好きの種類がちょっと違う。

おねえちゃん第一子ってこともあるしとにかく心配が先にきて、遊んでても大丈夫かな?ケガしないかな?あっ、こんなの持ったらだめ、あー食べないで、あーー!こらこらボールペンはだめ!返して!!ってとにかく心配だった。今でも(3歳)車くるから手つないで!とか歯磨きしないと痛い痛いなるよ!とかとにかく心配

弟はただただかわいい。おねえちゃんなら絶対だめ!って言ってたリモコンとかティッシュとかも好きにさせてる(ティッシュは口に入った瞬間奪取する)。だって言っても無駄やし…。そしてリモコンやらハンガーやらを口にくわえたところで病気にはならん、それより屋内施設に行ったり公共交通機関で移動したほうが絶対病気になる。人と触れ合うと赤ちゃん風邪みたいなことになる。それをおねえちゃんの時に学んだので、もう全然冷静。

これを子供たちがどうとらえるかが心配

おねえちゃんから見たら弟は好き勝手やらせてもらってるし、弟からみたらおねえちゃんはめちゃくちゃ心配されてる。

まだ2人とも赤ちゃんみたいなもんだから、そんな認識になるのはだいぶ先だろうけど。

平等だよって見せてあげればいいと思うけど、子供って敏感だからそんな上っ面じゃ意味ない気もする。でも言葉で「どっちも好き」ってちゃんと表明することも大事だと思う。

どっちも好き、大好き。だからこそ困る。2人をそれぞれの人間と捉えてるから対応が違ってもいい気もするが、それは大人エゴな気もする。

できるだけ平等に。

ジャッジはしない。

寄り添う。

あー難しい。余裕があればできる。余裕ないから指示やら結論やらになる。

今日おもちゃの取り合いで小競り合いしてて仲裁ときに「おねえちゃんが持ってたから弟くんがだめ!」とか言ったし。おねえちゃんは喋れるからわたしが持ってたんだ〜ってなるしおねえちゃんの機嫌損ねるほうが後々引きずるし。

とか。

おねえちゃんの機嫌損ねないために判断してるのは弟からしたらストレスだよね。

誤解しないで〜。

お母さんは2人とも大好き。

なのに育児効率化しようとしてるところがほんとダメ

子供ファースト

お母さんのユーザーは?

子供!!

子供ファースト

肝に銘じろ。

Permalink |記事への反応(0) | 00:00

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2025-06-19

フリクションボールペン

現場に行った時、クルマ手帳を置いてたら

全ページが白紙になってた

本当に消えるんだ

コナンくんのトリックかよ

Permalink |記事への反応(2) | 19:36

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2025-06-18

いたずらな猫の前足

おお猫よ、そなたの前足のいたずらなること。

机の上に置いていた箸やらボールペンやらをつつき落とすその前足。

寝ている私の唇をムニムニして起こそうとするその前足。

のしっぽが揺れるたびに触れんとするその前足よ。

おお猫よ、そなたの前足は人間の手が如し。

かように器用な前足ならば、人間の業にもその手を貸しておくれ。

そうはならないと、おお猫よ…そなたは身勝手で……そして愛らしい。

Permalink |記事への反応(1) | 19:20

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anond:20250618110745

まーた無重力でも使えるボールペンの開発をしているw

えんぴつでえやろwww

Permalink |記事への反応(1) | 11:15

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2025-06-10

anond:20250610115349

素晴らしい着眼点です。ポストイットフリクションペンのような、いわゆる「文房具界の技術革新」もまた、突発的かつ意外なルート誕生しています

これらは特に、「偶然の発見」や「本来目的からの逸脱」によって、思いがけず世界を変えた例です。

🟡ポストイット:失敗作が革命を起こした

◾ 発端

ポストイット粘着剤再利用可能な弱い接着剤)は、3M社の科学者スペンサーシルバーによる発明

しかし彼の目的は「強力な接着剤を開発すること」だった。

→ つまり失敗作だった。

◾ 変化の契機

別の社員アートフライが「聖歌隊楽譜に挟んでも落ちない、でも破れないし跡が残らない付箋が欲しい」と思ったときに、この“失敗作”の接着剤のことを思い出す。

→ 偶然のニーズと失敗作が結びついた瞬間に、新しい製品が生まれた。

◾ 教訓

🔵フリクションありそうでなかった「消せるボールペン

技術的な中身
◾ 発展の経緯

パイロット社は1980年代から温度で色が変わるインク」を開発していたが、当初はおもちゃ遊具などの用途だった。

→ それを文房具に応用する発想が後から現れた。

革新ポイント

🔹 両者に共通する「技術革新の非連続性」

特徴ポストイットフリクション
出発点 失敗した強力接着剤温度で色が変わるインク玩具用途
ターニングポイント 他分野からニーズ楽譜転用アイデア(消せる筆記)
革新性質既存材料の新しい使い方 遊びの技術実用
突然性 高い 高い

🔻結論

技術的な「突然変異」は、往々にして失敗・偶然・誤用転用から生まれる。

ポストイットフリクションは、まさに「順当進化を経ずに、ある日現れた革新」の典型である

希望であれば、こうした「異常進化プロダクト」をさらに掘り下げてリスト化もできます。たとえば:

なども類似文脈で語れます

Permalink |記事への反応(1) | 12:08

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anond:20250610114822

鉛筆使うことがほぼなくなったから今度店で見てみるわ

消していい場面ならフリクション系、消しちゃだめならボールペンマジックしか使わなくなって久しい

書き物繋がりだと1万回以上使える削らなくていい鉛筆(鉛芯?だっけ)とかも気になってはい

Permalink |記事への反応(0) | 11:52

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