
はてなキーワード:ボールペンとは
私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光が白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系のコンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。
思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間と二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャのペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たちの世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレーで浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまりに曖昧で情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ、生命維持という厳格なプロジェクトを遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会が発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。
夫である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトとニンニクの匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノやカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌のグラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福の風景を。友人たちは、私のSNSに投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作りの離乳食が並んだテーブルの写真に、「理想の家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛のコメントを、まるで祈りの言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ。完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ。
――だというのに。
夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋な愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢な行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれたときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からのハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。
「疲れてるだろ。いつも、ありがとう」
翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望の眼差しにしか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである。
ケダモノ。
その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己を犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ。
そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだ。パリへの出張中、セーヌ川のほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ。結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである。
「瑠璃…?」
私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。
「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」
それは、完璧な嘘であり、そして、完璧な真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在そのものの軋みなのである。
聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲の象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在に奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境を提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業にしか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNSに投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的な自己欺瞞の儀式にしか思えなかった。
寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれた命令を遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。
私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである。
私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人の荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。
それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生の可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹な自己解剖の記録なのだ。
『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である』
その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京の夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。
自己を機械と定義したからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊なOSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的な帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政をギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業を相手に振り回してきた、あの冷徹なロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データとタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグを駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである。
かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料を印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO)体制への移行による、サステナブルな家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いなタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから。
「瑠璃、これは…一体…?」
「説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これからも幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書(バイブル)よ」
私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析(As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン。家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達・調理関連」「その他(消耗品管理、資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式で可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的に思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業の役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論の余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。
「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」
その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15
あれはまだ私がゴッドマジンガーの右足首の開発にランダムアクセスしていた頃のことだ。
悪魔の肩甲骨としてしられるドクターガリックがリック・ディアスの肩関節を参考にしては?と提案してきた。
当時、私にとって上司に当たるガリックの提案は少しセクハラじみていた。
ほぼ初対面の私にリック・ディアスの話をしてきたのもそうだし肩関節のような卑猥な場所をテーマにするとは正気を疑ったのだ。
侵略的チンチンノイズの影響を受けいているのではないか?FBIとの共同捜査が始まるのも時間の問題であった。
ドクターガリックとの不倫関係はこうして始まったのだがこの不倫関係の奇妙なところは彼も私も独身だということだろう。
怒りなどの感情に我を忘れて卵の白身だけを捨ててしまうのはよくあることだ。
ガリックは金髪と緑髪の境目を器用に掻き上げながら挑発的な目で僕を睨んだ。
僕がダブルフェイククエスチョンでやり過ごしている間に突入隊への合図を送った。
第五章ストームブリンガー
その半狂乱の願いは聞き届けられたことはない
よほどなんだろう
誰もがこの剣に魂を吸われるときは半狂乱になる
ひどく落ち着いた表情で剣の切っ先を受け入れていたものだ。
果たしてあのときの僧侶はあのあと私が行った自慰行為のエネルギーとなって消費されていたのだろうか
「三角関係だね」
ヘイトだお
脱獄をしたいんだ
ルパン三世を描きながら
と思わせながらも
同時に
そんなわけあるもんか
と観客に思わせるのはメタでなくてなんだろう?
腐海の猛毒にわずかながらでもマスク無しで大声を張り上げても風の初期症状くらいの痛みしかないんだから
おれたちもうおわったのかな?
結構周囲では話題になってて、関西で開催されるのを嬉しく思ってすぐ観に行ったんだけどまじ正直肩透かしというか、これで金取るんだ感ともう一つ別の不愉快さ
時間指定チケットが良いと公式サイトにあったので入場の人数調整等も兼ねてだろうと思い購入、日曜17時という夕方で長蛇の列、嫌な予感
チケットをもぎる案内の人から60分でご退出をと言われるも17時25分の時点で何も観れてない、いやまじで、人多すぎて前に進まない、会場が狭いとかでもなく人が多い
前の人の頭越しに展示を見るとかいうレベルではなく、ここは隅田川の花火会場かってくらいの密集、遅々として進まない列、60分で出れるわけないだろ
てか人が多すぎてガヤガヤしすぎ、周りの感想や考察や会話が聞こえまくって没入感どころじゃない、不穏さとか感じる暇もない、後ろのおっさんが大声で講釈垂れてて不愉快
時間指定チケットしか売ってないはずの土日でこの人数管理、運営は馬鹿なのか?
これだけなら人気なのだなあで済むけど、展示物も正直どうなんだ…という気持ち
ネットミームや洒落怖のオマージュ?が多すぎて、ネット老人会なら自分で検索して夜中にたどり着きそうなレベル感のものばっか、きさらぎ駅とか異世界エレベーターとか
(まあその検索の経験値や時間や手間が惜しくてライトに楽しみたい層からの金銭の発生と思ったら面白い展示なのかもしれないけど…)
無人の家からタバコの吸い殻がペットボトルにギチギチに詰められて多量に発見されるやつとか、一度木っ端みじんにされるも修復された存在しない企業のロゴの入ったボールペンとか
そういうよく考えたら変だな…?ってジワっとした不穏ばかりだとてっきり事前情報で感じてたのに、展示の大多数は所謂せん妄のある人が名前を思い出せない息子を探すとかばかり
みんな怖い~!とか、統合失調症だ…!とか、ひょえ~!やば~!って感じで恐々と観てる人が多かったけど、正直胸糞悪かった
私自身が障害者手帳1級のせん妄を症状に持つ精神疾患だからだろう
作者がそういう症状があって、自身の世界を表現するというパフォーマンスならまだしも、フィクションとはいえ他人をキュレーターという立場で展示する人の内容が精神病を異様だと匂わせ、自分と閲覧者は安全圏で眺める、こういう人もいるんだね人間ってすごいねとしたり顔で感心する、その全部に倫理観を疑った
フィクションなら展示のその人は存在しからよい?ならばわざわざ人間である必要もないのでは、物語で役割があるならいざしれず、行方不明になる、行方不明の痕跡がある、不穏の象徴を表すことだけに注力するのなら展示の時点で人間を切り離すこともできたはず(事実、犬が主体の不穏さの延長として犬小屋の展示もあった)人間のせん妄結果の展示(異様なポスターや手紙など)しかできないのは展示のレパートリーとして作者の落ち度だとも思う
精神疾患を明言してはない展示?文章の一部に〇〇〇の症状がありますね?と尋ねるインタビューアーのセリフもあった(〇部分は黒塗り)
ホラーってなんなんだろうな、大多数の健常者からすると私の思考は不穏なんだろう、だとしても健常者の考える不穏(笑)な展示の一端に妄想行為がコンテンツとして消費されるのをこんな不意打ちみたいな形で目にするのは苦しい、せめて覚悟して閲覧したかった
例えるなら話題の動物園に並んで行って檻の中を覗いたら、明らかに自分と同じ属性の生き物が収容されていて、周囲はそれをコンテンツとして消費して楽しんでて、また自分もお金を払ってて、黙ってるからその属性は詳らかにされてはないけど、動悸と冷や汗が止まらないみたいな
自分のせん妄の症状もこうやって他人に不可解でよく分からないものとして処理されるんだなと目の当たりにした、私はいつだって心の底から【それら】を信じて心の底から訴えて涙するのに
いくつかの展示は時間の都合もあって満足に観る事すらかなわなかった
ゲロ吐きそうだった
誰も傷つかないコンテンツを作れとは言わないけど、一部の人間に異様にダメージのデカいコンテンツを展示するならせめて注釈欲しいよなあ
Permalink |記事への反応(10) | 14:53
「最近は悪くないんだ」
これしずかとまりな、同じこと言ってる
これハッピー道具の一つだった
しずかパパ、しずかが生まれた4年後には義妹が生まれてるから、出産後3年目にはすでに今の奥さんと子作りしてるんだけど
しずかは「小さい頃はパパと散歩してた」って言ってるから、ほぼ確実に不倫、下の子は2歳だからおそらく再婚してから作った子
ちなみに2016年時点で45歳なので、しずかができたのが35歳、東京タワマン住み、しずかママがキャバ嬢でまだ若いことを考えるとおおよそ背景が見えてくる
まりしずが仲良くなったこと以外特に何も変わってない、東くんは謎
ハッピー星、ひょっとしたら誰かを勧誘して2人で戻ることが掟なのかも
ハッピー星でママが最後に言った謎のワード、タコピーの名前だった
「おはなし」が1話からずっとキーワードになってる(おはなしが解決するってタコは言ってたけど、実際には解決してないことが多い)
しずかはタコを殴って道具をほとんど奪って義妹を誘拐しているが、結局返して北海道に地力で戻っている(ここらへん話のつながり初見でわからなかった)
「胃の中」って言ってるから実はしずかは既にチャッピーの死は受け入れている
しずか、金はそこそこ余裕ありそう(下敷きも問題ない)
チャッピー救出ループ、101回もやってた(アニメでは書いてなかったね)
しずかは生き物に詳しい、まりなが居なければ学校はさほど嫌ではない
でも変な癖があって、どこかから必ずペンをくわえて持ってくる。
気づくとデスクの上がペンが山積みになってるなんてことも多い。
僕がちょっと目を離した隙に、クロがボールペンを1本くわえてトコトコ歩いてきた。
振り返って見せるその顔がすごく誇らしげで、「ほら、また一本持ってきたぞ!」って言ってるみたいだった。
別の日には、僕が作業でイライラしてたとき、またどこかからボールペンを持ってきて机にポトンと落として「にゃあ」と鳴いた。
なんだかそれが「お前、これが欲しいんだろ?」って言ってるように思えて思わず笑ってしまった。
たぶんクロは僕が机に向かってばかりいるから、この棒が好きなんだなって思っていたんだろう。
頭を撫でてやると嬉しそうに目を細めて。ゴロゴロと喉を鳴らして、甘えた声で「にゃあ」と鳴く。
関西地方の医学部で教授をしている。普段は受験生を選抜する立場だが、この春、子どもが国立小学校を受験し、試験運営で考えさせられる点があったのでここに記したい。
なお、子が受験したのは、大阪市内にある国立大阪教育大学附属天王寺小学校(附天)である。国立小学校では西日本でトップクラスの国立小らしい。らしい、というのは、当家庭は子どもに小学校受験の準備をさせておらず、ほぼ無課金の状態で受験をさせたため、学校間の序列にくわしくないためである。
また、後述するが、附天は受験生(子どもたち)に公平な受験機会を与えるために必要な情報を公開していない。このメモは、附天受験の状況を無償で公開するという意味も持っている。
なお、筆者は旧帝大や非医学部を含め、国公私立大学にまんべんなく在籍した経験があり、入学試験の設計(どのような学生を採りたいか)にも各学校でさまざま経験してきたたことを付記しておく。また、子どもの特定を防ぐため、詳細な情報は一次試験の状況のみとし、子どもの合否にも触れない。
試験は一次試験(筆記・行動観察)→合否発表→一次合格者のみ二次試験(面接・実技)である。
試験科目として、「①筆記 ②実技 ③行動観察 ④面接(志願者面接・保護者面接)」と書かれているが、それぞれがいつ実施されるのかが書かれておらず、一次試験の学習として何を準備すればよいのかがわからない状態であった。
実際には、上の()で示したような分かれ方をしていることは受験後に初めて分かった。
高額な受験塾へ通わせている家庭は事前に情報を知ることができたと思われ、軽い不公平感を覚えた。
校長は大教大の教授が赴任する慣例であり、面接対策として校長の研究内容や人となりを事前に知っておこうと思ったが、なんと校長の氏名がどこにも公開されていなかった。何らかの理由で名前を徹底して伏せていると思われたが、ここでも重課金勢の家庭との情報格差があると感じられた。
男子は朝8:30開門で9時までに集合、女子は11:30開門で正午までに集合との案内があった。
しかし、実際には子どもたちへの試験は7,8分前に(つまり男子では8:52ごろ)に別室にある試験会場への集団移動が開始された。
私の子どもは*時50分にお手洗いへ行って戻ってきたら、他の子どもたちはすでに試験会場へ移動した後であり、「遅刻者」として試験会場へ向かうことになった。つまり、学校側の案内は不正確であり、男子は8:50、女子は11:50までにお手洗い等を済ませて待機室に座っていなければならないということである。しかし、そのような案内は、当日も口頭でも一切なかった。
試験を監督する教員たち(つまり附天小の教員たち)は集合時刻を勝手に前倒ししている自覚がないようで、*時55分にお手洗いから戻ってきた私の子に「急いでください!」と急かす始末であった。せめて、「お手洗いは*時50分までに済ませてください。」と告知すべきであろう。実際には「お手洗いへ行っておいてください。」とだけ連呼され、それを真に受けてぎりぎりにお手洗いへ行った子どもはバカを見た形となった。
試験を学校側が勝手に前倒しで開始するなど、大学では(おそらく中学や高校でも)まったくありえず、試験の公平性の観点からきわめて不適切な状況であると感じられた。
また、子どもたちは鉛筆や色鉛筆、水筒などを持参するように指示されているが、それらを入れる手提げかばんを持参してよいのかどうか、受験案内に記載がなかった。
実際には多くの受験生が手提げかばんを持参していたが、上記の試験前倒しなどと並び、この小学校は、最低限の必要情報すら伝える気がないように感じられた。
ほぼ1時間後(男児なら9:55ごろ)に、保護者へ大きな茶封筒が配布される。試験案内には、「保護者の方には『志望動機』『お子様の長所・短所』等を記入いただきます」とあったので、その記入用紙と思われた。配布から5分後に封筒を開けてくださいと言われ、中の用紙を取り出した。
この用紙が驚天動地のもので、2つの課題について、約700字×2=1400字の小論文を60分間で作成せよというものであった。用紙はマス目が印刷された原稿用紙であり、ボールペンで手書き、修正は基本的にできない。実際には、持参した家族写真の糊付けや説明文作成もあるため、小論文の執筆時間は50分ほどである。
筆者は大学入試の小論文に関わっており、試験監督もたまにこなすが、1400字の小論文(正確には2課題)をわずか50分前後で書くというのはいわゆる旧帝大や早慶クラスの小論文でもめったにない高難度の早書きである。
小学校側からの事前の公式案内は、「『志望動機』『お子様の長所・短所』等を記入いただきます」だけであり、ほとんど騙し討ちに近い内容と言える。小学校受験の趣旨から言って、保護者小論文が合否に大きく影響することは容易に想像され、そのような重要な入試項目についての実施情報を公開していない附属天王寺小学校の意識は、教育機関としてはなはだ不適切であると、大学人として感じられた。
・子供の個性を把握し、強みを伸ばし、弱みをフォローアップするために必要な事は何だと考えていますか。740字。
・家庭で最も大切にしていることと、本校の教育方針と合致していると思われる点を挙げてください。720字。
なお、筆者はたまたま教室の後ろのほうに座っていたため、保護者たちの様子がよく見えた。多くの保護者たちは封筒を開けると、ほとんど躊躇なく小論文を作成しはじめた様子が見えた。初見の小論文課題については、最初の数分間は内容や構成を考えてから執筆を始めるのが通例と思われるが、そのような様子はまったくなかった。後で知った情報として、附天の小論文課題は、字数や内容が毎年大きく変動するようであり、過去問でも対策は本来は難しいはずである。
保護者は数十通りの予想課題について1千文字近いボリュームを短時間で書く訓練をしていた、ということかと思うが、実際にそのような対策は時間がかかりすぎて困難なはずであり、特定の受験塾に試験課題または大まかな傾向が漏洩しているのではないかという疑念さえ持ってしまった(あくまで邪推である)。
附天の二次試験は運動課題(毎年変わる。)が出題され、2025年1月度はなわとびであった。附天の滑り止めとされることが多い、私立城星学園小学校の2024年秋の入試は(例年にない)なわとびが出題された。子どもたちからすれば、(体操や球技ではなく)なわとびに集中すれば良いので楽なのであろうが、偶然の一致なのかなという不信感は残った。
もし、私が附天の入試責任者であれば、城星学園の出題(数ヶ月前)を知ったところで、なわとびの課題は別のものに差し替えるだろう。それくらい、入試の公平性、疑念の払拭には気を遣っているし、そうあるべきである。
こういったさまざまの情報は、受験塾に数百万円をつぎ込むことで明示的にまたは暗黙にえられる情報なのであろう。
筆者はお金で情報を買うことが不公平であると言いたいわけではない。
国立大阪教育大学附属天王寺小学校という国立の教育機関が、公平な試験を行うことが困難と言えるほどに情報公開を行っていないことや、小論文課題やなわとびのように偶然かわからない、疑念を持たれかねないスレスレの出題を行っていることは、国立の機関として非常に不健全な状況であると考えた。
私立小学校であれば、特定の階層に受験の優遇を与えることはあってもよいかと思う。しかし、筆者自身が国立大学での経験が長いこともあり、同じ国立大学がこんな杜撰で不公平な入試運営をしており、まったく恥じる様子もないことに大きな衝撃を受けた。
筆者が在籍する医学部も似た状況で、受験倍率は10倍前後と完全な買い手市場である。しかし、だからと言って、入学試験の運営をおろそかにするなど絶対にありえない。10倍人気にあぐらをかく意識はなく、試験でよりよい学生さんを採ろうと真剣である。
そういえば、附天の入試当日、監督の教員に事務手続上の質問をしたのだが、「調べます」と言われてそのまま放置され、回答はなかった。大学の入学試験運営ではありえない適当な対応である。
大学と小学校は違う面もあろうが、入学試験というものの重みをずっと考えてきた大学人から見た国立大阪教育大学附属天王寺小学校の入学試験の問題点は以上である。
私は、犬に人生を救われた。
今の私は、そう言い切れる。
人生、ずっとしんどかった。
当時は「オタク=キモい」って空気がまだ全然強くて、授業中にキャラ描いてただけで「えーキモ〜w」とか言われてた。
染めてないのに明るい色で、
なんであの子だけ?って言われて、
「染めてるくせに〜」って陰で言われて。
オタクで、髪の色も周りと違って、だから余計に変なやつ認定されて、
大学に入って、周りも大人になって、髪のこともオタクってことも誰も気にしなくなって「ちょっとやり直せるかも」と思ったけど、
そもそもずっといじめられてたから人付き合いが怖くて、グループLINEの通知が来るだけで動悸がして。結果、大学生活にもロクな思い出はなかった。
間違う度に価値がない人間だと自分に吐き捨て、ボールペンで自傷もした。
この頃にはもう、「ああ、何も変わらんかったら30までに死のう」って思ってた。
なんで「30までに死のう」って思ったのか、正直よく分からん。
でも、たぶんまだその頃は、“希望”があったんやと思う。
…まあ、「30」って数字が、自分の中でキリがよく思えたってのもある。
そこまで生きて、何も変わらんかったらもうええかなって。
今思えば、あのときの私は“人生の区切り”を探してたんやと思う。
怖かったし、家族にバレたらめんどくさそうやなって思ってたし、
そんなことばっかり考えてた。
それでも、国家試験に受かって、
国家公務員として資格持って働けば、きっと何かが変わるって思ってた。
自由に使えるお金があれば、人生ちょっとは楽になるんちゃうかって。
でも現実は違った。
夜は眠れず、
変わるどころか、どんどん心が削られて、
最後にはもう、“無”みたいになってた。
「何かが変わる」ってあれだけ信じてたのに、
本気で“終わり”を考えるようになった気がする。
なんなら、牛乳もうまく開けられなくて。
ちょっとだけ手にこぼれただけ。
それだけのことで、泣いた。
「こんなこともできへんのか」って。
誰も怒ってないのに、誰にも責められてないのに、
ひとりで「ごめんなさい」って繰り返してた。
床に落ちた白いしずくを見ながら、
「私って、なんのために生きてるんやろ」って思った。
その頃、やっと「うつ病ですね」って言われた。
ちょっとだけ、ホッとした。
「ほら、やっぱり私は壊れてるんだ」って。
あの診断は、“生きることをやめてもいい許可証”みたいに感じた。
で、ある日。本当に決心して
それでよかった。最悪後遺症が残ることもわかって飲んだ。
苦しんで死ねば、後遺症でも残れば少しは罪滅ぼしになるかもって思ってた。
ほんまに、生きてることが“罪”やと思ってた。
めちゃくちゃ苦しくて。
けど、体はそう簡単には壊れてくれなかった。
そして、死ぬのが怖くなった。
そして、泣きながら救急車で運ばれた。
そのとき、私が言ったらしい。
「犬が飼いたい」って。
覚えてない。
でも母が言ってた。
あんた、涙と汗と嘔吐まみれの中で、何回も「犬飼いたい」って言ってたって。
でも死ぬ間際に出た願いは、「犬が飼いたい」だったらしい。
死ぬ間際になって何故か飛び出してきた。
それを聞いた家族が「犬を飼おう」って言ってくれた。
「この子が生きたいって思えるなら、何でもする」って。
たぶん、こんな理由で犬を飼うのは間違ってると思う。
そんなの身勝手すぎるって、どこかでわかってた。
それでも、家族は飼おうって言ってくれた。
ずっと犬を反対してた祖母も、何も言わなかった。
なんとか私を現世に繋ぎとめようとしてくれてたんやと思う。
今思えば、あれは「飼う」ってより「救う」やった。
それで出会ったのが──今の愛犬。
ぶすーーっとした顔でこっちをじーっと見て、話してる間に腕の中で寝た。
「あ、こいつやな」って思った。
その感覚、今でも忘れへん。
まだ90日にも満たなかったからすぐには迎えられへんくて、
でもブリーダーから毎日送られてくる愛犬の写真が、生きる理由になった。
「この子に会うまでは」と思って、踏みとどまれた。自殺未遂も1回もしなかった。
愛犬がうちに来た日。
それが私の「再スタート」の日やった。
少しずつ、心が動き出した。
そしたら、他の飼い主さんと喋るようになった。
私、人と話すのほんまに苦手で、
「こんにちは」って言えて、
なんならみんなで旅行に行ったり。歳も年齢も性別も全然違うのに。
不思議なことに人と繋がるのが、怖くなくなった。
“つながり”をくれた。
そのうち、「愛犬のグッズが欲しい」と思うようになった。
そしたら、それが楽しかった。
SNSに載せたら、「作ってほしい」って声が届いた。
びっくりした。
誰かが「欲しい」って言ってくれるなんて。
今では、「亡くなった子の毛を残したい」とか、
「思い出を形にしたい」とか、
亡くなった子の被毛を送ってくださる方もいた。
泣きながら届いた報告を読んだ夜、
「やっと、私は“生きてていい理由”を見つけたのかもしれない」って思った。
私にできることは何かって考えて、
それが、今の私の答え。
そして、夢ができた。
愛犬と一緒にいられて、
誰かの大切な気持ちを形にできる──
そんな【自分の店】を持ちたい。
昔の私は、「30歳で死のう」と思ってた。
でも今の私は、「30歳になったら店を持ちたい」と思ってる。
たった一匹の犬が、
自分の手で生きていけるようにして、
夢までくれた。
愛犬は、私の命の恩犬。
「そんな短い命に人生託すなんてバカだ」って思われるかもしれない。
でも、私はその短い命に救われて、繋がれて、立ち上がって、今がある。
正直、もう一回壊れるんじゃないかって思う。
でもそのときまでに、私は“私なりの生きてていい理由”を、ちゃんと見つけておきたい。
愛犬が教えてくれた、“生きることのあたたかさ”を、今度は私が、誰かに繋いでいけたらと思う。
私は恩返ししながら、生きていく。
そしてその日が来たとき、
キリンの首にWi-Fiを巻いて、地球儀を飲み込んだら朝のニュースが逆再生!!!!!!
サボテンがしゃべった!「オレ、今日から冷蔵庫」って言って、味噌汁にダイブした!!
やめろ!!スプーンを投げるな!!!それは……それは……ママのUSBだァァ!!!!!
💥💥💥
──爆発音とともに降ってくるのは、雨でもなく雪でもなく、メロンパンの記憶。
ぐるぐるぐるぐるぐる!!!!!
被告人、うまい棒を100本食べた罪で無罪!!理由:尊いから!!!
カチ、カチ、カチ、……
⸻
🌙そして夜がくる
誰かが叫ぶ──
子供はどっちも大好き。3歳と1歳。
ただ、好きの種類がちょっと違う。
おねえちゃんは第一子ってこともあるしとにかく心配が先にきて、遊んでても大丈夫かな?ケガしないかな?あっ、こんなの持ったらだめ、あー食べないで、あーー!こらこらボールペンはだめ!返して!!ってとにかく心配だった。今でも(3歳)車くるから手つないで!とか歯磨きしないと痛い痛いなるよ!とかとにかく心配。
弟はただただかわいい。おねえちゃんなら絶対だめ!って言ってたリモコンとかティッシュとかも好きにさせてる(ティッシュは口に入った瞬間奪取する)。だって言っても無駄やし…。そしてリモコンやらハンガーやらを口にくわえたところで病気にはならん、それより屋内施設に行ったり公共交通機関で移動したほうが絶対に病気になる。人と触れ合うと赤ちゃんは風邪みたいなことになる。それをおねえちゃんの時に学んだので、もう全然冷静。
おねえちゃんから見たら弟は好き勝手やらせてもらってるし、弟からみたらおねえちゃんはめちゃくちゃ心配されてる。
まだ2人とも赤ちゃんみたいなもんだから、そんな認識になるのはだいぶ先だろうけど。
平等だよって見せてあげればいいと思うけど、子供って敏感だからそんな上っ面じゃ意味ない気もする。でも言葉で「どっちも好き」ってちゃんと表明することも大事だと思う。
どっちも好き、大好き。だからこそ困る。2人をそれぞれの人間と捉えてるから対応が違ってもいい気もするが、それは大人のエゴな気もする。
できるだけ平等に。
ジャッジはしない。
寄り添う。
あー難しい。余裕があればできる。余裕ないから指示やら結論やらになる。
今日もおもちゃの取り合いで小競り合いしてて仲裁のときに「おねえちゃんが持ってたから弟くんがだめ!」とか言ったし。おねえちゃんは喋れるからわたしが持ってたんだ〜ってなるしおねえちゃんの機嫌損ねるほうが後々引きずるし。
とか。
おねえちゃんの機嫌損ねないために判断してるのは弟からしたらストレスだよね。
誤解しないで〜。
お母さんは2人とも大好き。
お母さんのユーザーは?
子供!!
肝に銘じろ。
素晴らしい着眼点です。ポストイットやフリクションペンのような、いわゆる「文房具界の技術革新」もまた、突発的かつ意外なルートで誕生しています。
これらは特に、「偶然の発見」や「本来の目的からの逸脱」によって、思いがけず世界を変えた例です。
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ポストイットの粘着剤(再利用可能な弱い接着剤)は、3M社の科学者スペンサー・シルバーによる発明。
→ つまり失敗作だった。
別の社員アート・フライが「聖歌隊の楽譜に挟んでも落ちない、でも破れないし跡が残らない付箋が欲しい」と思ったときに、この“失敗作”の接着剤のことを思い出す。
→ 偶然のニーズと失敗作が結びついた瞬間に、新しい製品が生まれた。
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パイロット社は1980年代から「温度で色が変わるインク」を開発していたが、当初はおもちゃや遊具などの用途だった。
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| 特徴 | ポストイット | フリクション |
| 出発点 | 失敗した強力接着剤 | 温度で色が変わるインク(玩具用途) |
| ターニングポイント | 他分野からのニーズ(楽譜) | 転用アイデア(消せる筆記) |
| 革新の性質 | 既存材料の新しい使い方 | 遊びの技術の実用化 |
| 突然性 | 高い | 高い |
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技術的な「突然変異」は、往々にして失敗・偶然・誤用・転用から生まれる。
ポストイットやフリクションは、まさに「順当進化を経ずに、ある日現れた革新」の典型例である。