
はてなキーワード:ボトルとは
2人の男性は親密な関係にあるように見え、抱き合っていることから、慰めや安心を求めている状況かもしれません。右側の男性は、左側の男性をしっかりと抱きしめ、寄り添っています。
2026年1月26日、午前5時。東京の動脈、山手線の始発が動き出す前、新宿駅東口の冷たいコンクリートの上に、かつて「億単位の金」を動かしたエリートたちが並んでいた。
彼らの装いは奇妙だった。細身で攻撃的な**シングルドラペルスーツ**。尖った襟(ピークドラペル)が朝日に光るが、その生地は既に昨日の特訓で泥を吸い、重く垂れ下がっている。背中には巨大な刺繍で「私は31億円を飲み込みました」と刻まれ、役員たちの丸まった背骨を際立たせていた。
「おれの名をいってみろ!!」
一人の役員が、喉を潰しながら叫んだ。山手線全30駅を巡る「大声出し特訓」の始まりだ。彼の名は、かつて本部長と呼ばれた男。しかし今、彼の体は**デベルザ錠1000錠**という過剰な糖排出薬によって、内側から水分を絞り出され、極限の脱水状態にあった。
「サギ……サギ、と申します……ッ!」
足はガクガクと震え、立ち続けることすら奇跡に近い。だが、彼らには「退職禁止」の鉄の掟がある。そして、移動の電車内でも「着席禁止」だ。山手線は、彼らにとっての「動く晒し台」だった。
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### 第二章:昼下がりのプル酒、適宜の地獄
「サギ連呼営業」の時間がやってくる。元社員たちは、通行人の冷ややかな視線を浴びながら、一人一人の足を止めて名刺を差し出す。名刺には「プルデンサギ生命保険」の文字。
「コーヒーを……一杯、飲ませてくれ……」
一人の社員が、乾ききった喉を抑えて呟いた。だが、ルールは非情だ。彼らに許された唯一の水分補給は、専用居酒屋「サギの巣」から支給される**「プル酒」**のみ。安っぽいアルコールの匂いと、罪の味が混じり合うその液体は、昼間から「適宜」飲むことが推奨……否、強制されている。
デベルザで水が抜け、プル酒で脳が溶ける。理性を奪われた彼らの目は虚ろになり、ただ「サギ」という言葉を吐き出すだけの機械へと成り果てていた。
その様子を、上空から執拗に追う影があった。**カルロス・ゴーン**が操る「シャチョウ号」だ。
ゴーンは4Kカメラを回し、サギネットフリッコス向けの配信素材を「ビデオ撮影義務」として記録し続ける。
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千葉県、房総半島の外側。太平洋の荒波が牙を剥く海域に、一隻のヨットが浮かんでいる。帆には「プルデンサギ生命」のロゴ。そしてこの船には、エンジンも、櫂もない。
「動力は使うな。己の絶叫で帆を揺らせ」
監視船からの命令が響く。役員たちはシングルドラペルスーツのまま、揺れる甲板で踏ん張る。座ることは許されない。デベルザによる頻尿と、プル酒による眩暈。そこに襲いかかる太平洋の巨大なうねり。
一人の役員が、船底にバラストとして積まれた「100兆ドル分の債務不履行通知書」を抱きしめて泣いていた。アメリカ本国、プルデンシャル本社をデフォルト(破綻)に追い込むための、世界で最も重く、最も価値のない紙の束。
ゴーンのシャチョウ号が、ヨットの至近距離を低空飛行で通過する。その爆風でヨットが大きく傾くが、役員たちは必死に「100兆ドルの金塊の形をしたイカリ」を掴んで耐える。彼らは生きて、この物語を完遂しなければならない。アコムにつけられた「1兆円の負債」を返すまで、死ぬことすら許されないのだ。
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夜。全世界のテレビ、スマートフォン、そしてウォール街の巨大モニターに、その映像が映し出された。
視聴者たちは、画面越しに「投げ銭」を飛ばす。それが確定するたびに、房総のヨットに「追加のデベルザ1錠」がドローンで投下される。
画面の中では、ボロボロになった役員が、プル酒をラッパ飲みしながら、沈みゆく夕日に向かって叫んでいた。
その映像を、本国アメリカのCEOは失神しながら見ていた。手元には、日本から送られてきた「100兆ドル」の請求書。ドル建て。彼らの築き上げた帝国は、一人の日本人の「サギ営業」によって、今日、物理的にも経済的にも消滅した。
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2年間の刑期、最終日の夜。
足はパンパンに腫れ、スーツはもはやボロ布だ。だが、彼の懐には「100兆ドルの株券」がある。
彼は震える手で、駅の自販機に向かった。
2年間、夢にまで見たコーヒー。
世界経済は、彼が本国を破綻させたせいで崩壊し、100兆ドルという数字には、もはや缶コーヒー一本を買う価値も残っていないことに。
彼は、最後に残った「プル酒」のボトルを掲げ、虚空に向かって乾杯した。
「サギ……と申します……」
その言葉は、誰に届くこともなく、夜の山手線の喧騒に消えていった。
上空では、ゴーンのシャチョウ号が、シーズン2の撮影のために新たな「サギ」を求めて旋回していた。
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この物語の「ディレクターズ・カット版」として、**「100兆ドルで買った、一生座れない金の椅子」**に座らされる役員たちの特典映像を追加しますか?
父の晩酌といえば、決まって「さつま白波」だった。 お湯を入れたコップから立ち上る、あの独特の、鼻を突くような芋の匂い。子供の私にとって、それは「大人の飲み物」というよりは、どこか近寄りがたい「頑固な親父の記号」のようなものだった。
ところが、自分が酒を覚える年齢になった頃、居酒屋の景色は一変していた。カウンターの端から端まで、黒いラベルのボトルが整然と並んでいる。それが「黒霧島」との出会いだった。
初めて黒霧島を口にしたとき、正直に言って驚いた。白波が持つ「芋臭さ」という名の自己主張が、そこにはない。代わりにあったのは、シルクのような喉越しと、後味の潔い切れ味だった。 メーカーが掲げる「トロッと、キリッと」というキャッチコピーは、まさに言い得て妙だ。芋の甘みはしっかりと感じられるのに、鼻に抜ける香りはどこまでも上品で、決して食事の邪魔をしない。かつて「焼酎は臭いから苦手」と敬遠していた層を、この一本がどれだけ救い出したことだろう。
もちろん、白波が劣っているわけではない。今でもたまに、ガツンとくるあの荒々しい芋の香りが恋しくなる夜がある。それは、昭和という時代の熱気や、不器用だった父の背中を思い出すための儀式に近い。
しかし、現代を生きる私たちの日常に寄り添ってくれるのは、やはり黒霧島なのだ。 焼き鳥のタレにも、刺身の醤油にも、あるいはコンビニのちょっとしたおつまみにも、彼は等身大の顔で馴染んでくれる。ロックで飲めばその甘みが際立ち、水割りにすればどこまでも軽やか。その「懐の深さ」こそが、私が黒霧島を手に取ってしまう最大の理由だ。
「お前も、そんなチャラついたのを飲むようになったか」 もし父が今の私を見たら、苦笑いしながらそう言うかもしれない。けれど、白波を愛した父のDNAは、確実に私の中に流れている。ただ、時代が少しだけ軽やかになり、私の好みもそれに合わせて洗練(あるいは軟化)しただけなのだ。
今夜もまた、私は黒いラベルの封を切る。 グラスの中で氷がカランと鳴る。白波が「郷愁」を運んでくる酒だとしたら、黒霧島は「今日という一日を穏やかに締めくくる」ための、最高のご褒美なのである。
ウォーターサーバーを解約し、2リットルペットボトルの箱買いに切り替えてから数年が経過した。結論から言えば、この判断は正解だった。ただし、一点だけ解決すべき課題があった。廃棄である。
ウォーターサーバーは確かに便利だ。冷水と温水が即座に出る機能性は認める。しかし、設置場所が固定されるという致命的な制約がある。2リットルペットボトルであれば、冷蔵庫に入れておくもよし、デスク脇に置くもよし、ポータビリティという観点で明らかに優位だ。
コスト面での不満もない。Amazonではなくスーパーで箱買いしている。どうせ日常的にスーパーには行くのだから、ついでに購入すれば配送を待つ必要もなく、追加の手間は微々たるものだ。
唯一の不満が廃棄である。ペットボトルを潰して捨てろと言われるが、潰したところで大して潰れない。理由は単純な物理だ。大気圧は外側からだけでなく内側からも等しくかかる。一度潰しても、内部の空気が膨張し、形状は緩やかに復元する。
近年の水用ペットボトルは潰しやすい薄い構造になっている。それでも、時間が経てばある程度戻る。結果として、ゴミ袋の中で嵩張る。これが地味にストレスだった。
ある日、気づいた。潰した直後にキャップを閉めれば、内部が負圧のまま維持され、形状は復元しない。
そう思った。だが冷静に考えてほしい。ペットボトルの飲み口に残るリング——あれは外さずに捨てている。なぜキャップだけ外す必要があるのか。
調べてみると、キャップを外す理由は「潰したときに破裂するから」だという。つまり、潰す前に外せという話であって、潰した後にキャップを閉めることを禁じているわけではない。
さらに言えば、リサイクル工程においてキャップとボトル本体は比重の違いで分離される。水に浮くか沈むかで自動的に仕分けられる仕組みだ。キャップをつけたまま廃棄しても、リサイクルの観点では問題ない。
これだけで嵩張り問題は解消する。物理法則に従い、リサイクル工程にも反しない。合理的な廃棄方法として、もっと広まってよいはずだ。
そういうバッグは商品名がそうでなくとも「マザーズバッグ」と呼ばれ、「マザーズバッグ」としてバズる。増田でこんな事を言うと子無しに人権ねーからみたいな煽りが付きそうだが、マザーズバッグとして売れている、流行っている商品を、赤ん坊がおらずベビーカーを引き連れてもいない女が持ち歩くのはどうなんだろうな〜と少し躊躇してしまう。
今もショルダーバッグを買おうとして、商品写真が明らかにマザーズバッグ的な用途だったので検索してみたら案の定マザーズバッグとして評判が良かった。
実際はそのバッグを独身女が持ち歩いていたところで誰も気にもしないのだろうけれども。
子がいない、独身の女がマザーズバッグを買うというのは、ボーイフレンドがいない女がボーイフレンドデニム(昔流行った男物っぽい丈感のデニム)を買うみたいな何とも言えなさがある。
男性諸氏には何と言ったら伝わるだろうか。純粋にレストランの写真が好きで東京カレンダーを買ってるのに女を連れて行く前提の記事ばっか載っていて「そういうつもりじゃないんだが⋯」みたいな感じか?いや違うか⋯。
そもそもなんでマザーズバッグなんだろうな。いや、おむつが何個も入り、おしり拭きや哺乳瓶やタオルや着替えが入るデカバッグを使う女は母親くらいってことだろうか。
マイボトル、電車で読む本、メイクポーチ、その他何かあった時のためのあれやこれや(ナプキンとかウェットティッシュとか)入るとそれなりに嵩張る。持病の薬、オストメイトの替えみたいなのが必要な人もいるだろうし、着替えの要る仕事の人もいるだろう。
荷物が増えがちなADHD独身女もポケットの多いデカバッグが欲しい。私の事だが。
男のカバンは基本が大容量なのに対し、「荷物の多い独身女」は消費者として想定されてないのだろうか。ポケットのない服みたいな感じで。
まあ探せばあるので「バッグ市場にジェンダー平等を!」とか叫びたいわけではないのだが、男と女と母親の三種類の人間がいるようなマザーズバッグという呼び方、不思議だよなと思うのだ。
一方、ファザーズバッグという言葉もあるにはあるようだ。大容量リュックや赤子が座れるショルダーのようなものが多い。育児の平等がわずかなりとも前に進んでいるのが窺えて、検索してみてとても良いなと思った。
ワークマンはマザーズ&ファザーズリュックとして展開している大容量リュックがあり、ワークマンしか勝たんという思いを新たにした。
最近は料理作るのにハマっているらしくパンチェッタを作ったりもしているみたい。
家で一緒に飲んでいる時にYoutubeを見たりするんだけど
料理もワインも好きだしインソンソンとか好きかなと思い紹介した。
前から知っていたわけではなく、正月に令和ロマンがテレビで紹介しているのをきっかけに知った。
おしゃれな家で凝った手作り料理を作ってワインを飲んだりしている動画。
人を嫌な気分にさせるような動画ではない。
週末家で料理作って飲もうと話をしていた。
何作ろうか〜と話していた中で
「インソンソンもその料理作っていたよね」と話したら突然怒り出す友人。こわ
言い分をざっくり言うと俺はインソンソンみたいに料理上手くないしあんな高いワイン知識もないし持ってもいないし比べられてるみたいで辛いと。
大声で怒り出すから周りがジロジロ見てくるし本当に恥ずかしかった。
いい年したおっさんが何言っているんだろ。
大声でワーワー言われてとても悲しくなった。
ペットボトル直飲みだと、フタを開けてそのまま飲むので炭酸が強く感じるのかも。
強刺激が好きならそれで良いけど、口の中痛いくらいのこともあるからね。
コップに注いだ衝撃である程度炭酸が抜けて口当たりが良くなったのかもしれない。
その辺のプラスチックを触ってみれば分かると思うが、温かいまではいかなくてもややぬるく感じるはず。
コップの材質が陶器や磁器、あるいは金属なら、こちらはもっとひんやりとしているはずだ。
このひんやり感が飲んだ時の気持ちよさに繋がっている可能性がある。
水の入ったペットボトルを逆さにすると、ゴポンゴポンと空気が入りながら脈動する様に中の水が出ていく。
そこまで極端でないにしろ、ペットボトルに口を付けて飲む場合同じ様なことが起こり、自分のペースで飲むことを阻害するのかも知れない。
一方コップなら口は直径と同じ。
こんなところかねえ?
@fstora
1月①
1月②
・9割甘え大喜利
・日銀0.5%に追加利上げ
・森永卓郎氏死去
2月①
・吉田義男氏死去
2月②
・つばくろうの中の人死去
・エッホエッホ
3月①
・みのもんた氏死去
・辻希美氏第5子懐妊
・メギド72サービス終了
・さす九論争
3月②
・はるぶー氏イケオジ絵騒動
4月①
・大阪万博始まる
・コンクラーベ始まる
4月②
5月①
・メロいは性欲か論争
5月②
・農相の後任に小泉進次郎氏
・NTTドコモが住信SBIネット銀行買収発表
・長嶋茂雄氏死去
・激突!石バトル!
・筋通しましょうや……
7月①
7月②
8月①
8月②
・Twilog復旧
・レンタル怖い人
9月①
・阪神タイガース優勝
・チャーリー・カーク氏銃撃される
9月②
・無言での帰宅論争
10月①
・グエー死んだンゴで寄付集まる
・村山富市氏死去
10月②
・日経平均ついに5万円
11月①
11月②
・たぬかな氏結婚発表
・果てしなきスカーレット上映開始
・でびでび・でびる氏炎上騒動
12月①
・金融系アドベントカレンダー開始
・チンパンジーが配属されたらどうする?
12月②
・日銀ついに0.75%へ利上げ
・バキ童氏卒業発表
・そして2026年へ……
もし、もう一回人生をやり直せるなら、
次はもっと間違いを犯したい。
完璧になろうとせずに。
もっと軽快に。
実際、ほんとうに真剣にならなければいけないことなんて、ほんのわずかだった。
そして、もっと大胆に、多少不清潔でも。
次は、もっとチャンスをつかもう。
もっと山に登り、
川を泳ぎ、
いいかい?
だが、自分らしい瞬間もあったんだ。
もし、もう一回人生をやり直せるなら、そんな瞬間をもっと持つだろう。
私は、よくいるどこに行くにも温度計やボトル、ガーグル、レインコート、
でも、次は、もっと軽装で旅をするだろう。
もし、もう一回人生をやり直せるなら、
春先から裸足になり、
晩秋まで目いっぱい楽しもう。
でも、いいかい?私はもうやり直せないんだ。
(https://plaza.rakuten.co.jp/ayukadairy/diary/200703180000/ より転載)
(原文)
If I hadmy life toliveoveragain,
I’d dare tomakemore mistakesnexttime.
I’drelax.
I’d limber up.
I’d be sillier thanI’ve been this trip.
I wouldtake fewer things seriously.
I wouldeatmoreicecream and lessbeans.
I would, perhaps, havemore actual troubles but fewer imaginaryones.
you see, I’mone of those peoplewhowas sensible and sane,
hour after hour,
day after day.
I’d havemore of them.
Infact, I’dtry to havenothing else- justmoments,
one afteranother, instead of living so many yeas ahead of each day.
I’ve beenone of those personswho nevergoes anywhere without a thermometer, a hot-water bottle, a raincoat,and aparachute.
If I coulddo itagain, I would travel lighter than I have.
I would startbarefoot earlier in thespring
andstay that way later inthe fall.
I would ridemore merry-go-rounds,
I would pickmore daisies.
–Don Herold
長期間自宅を開ける準備をして、何度も戸締りを確認し、家を出る。万が一のための連絡先、パスワードを机の上に残す。
指定された10時に病院に行き、使い方も慣れてきた自動受付機に診察券を入れると予約なしとカードが戻されてしまった。戸惑っていると、初めて来たときに案内してくれた初老の男性が入院はこちらですと案内してくれ順番カードをとってくれた。荷物を見れば入院患者であることは一目瞭然なのだ。
マイナンバーカードの登録、レンタル着のサイズ、各種書類の確認後、病棟に向かう。
病棟で身長体重測定後、部屋に案内される。他の患者もいる大部屋だが妙に広い。希望タイプが今日は満室なので今日はここで、明日空き次第移動するという。希望していないタイプの部屋であるため、差額ベッド代はかからないとのこと。良かったと安堵するが、明日手術だよね、どうやって移動するんだと不安になる。
入院患者識別用の氏名年齢血液タイプバーコード付き耐水コーティング紙が手首にまかれる。退院まで取らないようにと注意される。手術の開始時間は11時。2件目の手術となるため、前の手術終了時間により前後するとのこと。足首、ふくらはぎの太さを測り、手術着と弾性ストッキングを渡される。10時までに着替えるようにと指示。LINEで母に手術開始予定時間を伝える。
主治医がベッドまで挨拶に来てくれる。手の甲に「左」とマジックペンで書かれる。エコー、CT画像の左右について確認をする。気管と甲状腺腫瘍の位置関係についてきくと、「そうです! 足元から写すので左右逆になります」
画像を思い出すと、気管が円となっていた。体の正面から撮れば、気管は上下に伸びる直方体となるわけで、円になっている時点で喉を垂直にスライスした画像だと気づくべきだった。
午後には、薬剤師がやってきて手術後から毎食後に服用する痛み止めと胃薬を渡される。看護師から首の手術跡を保護するためのテープを売店で買ってくるように指示を受け、病棟から売店に向かう。外来患者もゆきかう売店のあるエリアから入院病棟に戻るエレベータが満員でなかなか乗れない。車いすの入院患者が先に待っていたので、空いていたエレベータに乗るように促すが、後でいいと首を振られた。後日実感したが、入院中はあまりにも暇なので、急いでいる人がいればお先にどうぞどうぞ、という気持ちになる。早く病室にもどったところでやることはないのだ。外にいるほうが気がまぎれる。
何も他にすることがなく、持参した文庫本を三分の一まで読み進む。早々に読み切ってしまうのではと心配したが、その後しばらく本を読むような余裕はなかったので問題なかった。
昼食の量が多いな、と思っていたのだが夕食はさらに量が多かった。白米が茶碗ではなくどんぶりサイズで出てくる。食事トレイは可能であれば自分で返却してください、と言われていたので、半分を残し、自分でトレイをワゴンに下げにいくと、トレイにセロハンテープで留められている小さなメニュー票(氏名付き)は取らないように、と看護師に注意される。
すぐにわかったのだが、どれだけ食べたかはすべてチェックされ、完食できていない場合栄養士がやってきてどのような味、形状、硬さなら食べられるかを確認するのだ。これにはうかつな回答ができない。白米の炊き具合が自分にとって硬すぎると回答した老人が、その後おかゆと麺類のみとなり、退院したらもうしばらく麺は食べたくない、と嘆いているのが耳に入った。
翌日からしばらくシャワー禁止となるので、シャワーを浴び、念入りに頭を洗う。シャワー室は2つ、予約制で時間は20分。要介護の患者にも対応しているためか、シャワールームがかなり広い。
21時から手術前の絶食が開始となった。ベッドの上に氏名、絶食開始時間、絶飲開始時間を記載された紙がでかでかと掲示されている。
4人部屋は満室で、耳栓をして健やかに寝た。入院するまでの間、何か忘れていないか、準備に手落ちはないかと、落ち着かない緊張状態が長く続いていた。もはや自分にできることは何もない、まな板の上のコイとなり、墜落するように寝た。
早めに寝たため、朝5時に目覚める。起床時間は6時。同室者を起こさないようにトイレに行き、給茶機で水を飲む。6時半から絶飲となるので、最後の水だ。
7時の朝食時間経過後、看護師が各ベッドを巡回し、体温・血圧・血中酸素飽和度を記録する。手術前に移動する、というので荷物をまとめる。
9時半、落ち着かないので早めに手術着に着替え、弾性ストッキングをはく。すぐに看護師がやってきて点滴用の針を腕に刺し、チューブを固定する。更に他の看護師もやってきて、もうすぐ部屋が空きますから!という。前の患者の退院を待っている状態。
10時40分、空きました!と声がかかり、荷物をキャスター付き机にのせ、点滴スタンドとともに、机ごと部屋を移動する。移動先の部屋で、荷物を開け、手術直後に必要となりそうなもの(コップ、水筒、ティッシュ、マスク、タオル等々)を取りやすそうな位置に置く。
10時50分、手術室へ案内するという若い人懐こそうな看護師がやってきて、自分で歩いて移動を開始する。通常のエレベータを使おうとすると、大混雑中だったので、関係者専用のベッドが3台ほど乗りそうな広いエレベータにぽつんと二人だけ乗って手術フロアに移動する。
11時前、手術室の前で待機。緊張状態の患者に何くれとなく同伴の看護師が話しかけてくれる。誰かといる、ということが必要なケアであることが感じられる。手術フロアは、廊下があり得ないほど広い。ベッドに乗せられた患者が廊下のあちらからこちらからと行き交っても全く問題ない広さである。他の手術室から、朝一の手術が終わったと思われる患者が移動式ベッドでガラガラと運ばれていった。
ほとんど時間通りに手術室に招き入れられる。想像していたより3倍は広い。患者は一人なのに不釣り合いに感じる。医療漫画でみるように、ガラス窓の向こうには見学室のようなものもある。ここでベッドに乗る。小柄な私でも幅が狭いと思うベッドなので、体格の良い男性であれば大きくはみ出るだろう。麻酔をする前に、仰向けに寝て少し膝を曲げた態勢で手足が固定される。
手術を担当してくれる看護師や主治医が横たわった私に挨拶をしてくれる。よろしくお願いします。としか言えない。名前は右から左でとても覚えられない。全身が白く覆われ、目の部分しか露出していない看護師たちはやたら目力が強く、いつか見た中東のマッチングアプリの女性がならんだ画像が頭に浮かんだ。
麻酔のマスクが口に当てられると、その次の瞬間には手術が終わっていた。
名前を呼ばれ、終わりましたよ!と声を掛けられ目を開ける。周りを取り囲んだ3、4名の看護師たちに、手を動して、足を動かして、と立て続けに指示される。何か聞きたいかと言われ、今何時かと聞く。13時XX分ですよ(もはや記憶にない)。輸血はしたか、と聞くとしていませんと回答。その後も足を動かしてみたりと確認が続く。とりわけ目力の強い看護師が笑顔で大丈夫ですか、何かききたいことはありますかと聞いてくれる。気管は切りましたか、と尋ねると、笑顔が固まってそれは先生に聞かないとわからないという。え?そうなの?
冷静に考えると、術後の意識レベルの確認をされている患者が聞くことではなかった。しかし、意識が飛ぶようなつまらない会議でも意見を求められたら瞬時に適切な意見を述べる反射神経が鍛えられているので、何かありますか、と聞かれたら、ついつい意味のある質問をしなくては!と反応してしまうのだ。
そこで記憶は途絶え、気が付くと病室にいた。
鼻から酸素チューブが伸び、点滴スタンドから手首に点滴が行われ、首からは透明の管(以下、ドレーン)が出ている。
おそらくは手術から30分経過。意識の確認、体温、血圧、血中酸素飽和度が測られる。
その後、1時間置きにバイタル、痛み、しびれ、麻痺を確認される。痛みは感じないが、口がカラカラだと訴えてもそれは仕方ないとスルーされる。起き上がってはいけない。絶対安静。断続的に睡眠と覚醒を繰り返す。自分で体を動かすことができない。
15時ごろ主治医がベッドサイドにやってきて、気管は切らなかったと教えてくれた。
16時半、看護師がやってきてベッドから起き上がるようにと指示をする。鼻から酸素チューブを抜く。水を口に含んで飲むと、大きくむせる。「むせてますね」すかさずパソコンに記録される。生理食塩水に加え、抗生物質が点滴される。首のドレーンの先はシャンプーを入れるような透明なプラスチック容器で、赤い液体が少したまっていた。点滴スタンドを押して、歩行可能であることを確認する。トイレは自力で行くということだなと理解する。母親と友人にLINEで手術終了、意識回復を連絡する。倒れるように横になるが、自分で体をずらして体位を動かせるようになった。
17時頃、主治医がやってくる。傷口、ドレーンをチェックして「順調ですね」と満足げに帰る。
手術後少しそれこそ10歩ほど歩いただけなのに力尽きて横になっていると、18時すぎに流動食が運ばれてきた。まったくお腹が空いていない。しかし、食べるべきだろうと体を起こす。体に力がない。全くない。エネルギーが完全に切れているのだ。トレイのメニュー票には、重湯、スープ、栄養ジュースの他、手書きで「牛乳」が追加されていた。これは「君なら飲めるよね?」という挑戦なのだろうか。おお、飲んでやろうじゃないか。と気合を入れる。しかし、少し重湯を数口入れるだけで胃が重い。少し食べては横になって休憩をし、時間をかけて食べ続ける。水分ばかりでお腹がちゃぽちゃぽ限界を感じたので、カロリーのありそうなものを優先し、無色透明のスープを半分残し、あとは完食した。食後の痛み止めの服薬を開始する。
19時ごろ、主治医が見慣れない若い女性を伴ってやってきた。研修医だという。退院まで回診などに来るという。いかにも生真面目で肩に力が入っている。よろしくお願いしますと挨拶をする。
しばらくのち、トイレに立ち、ふと病室の入り口にある洗面台の鏡を見て、愕然とする。首の左に手術の傷口があるのかと思えば、首のど真ん中に真っ赤な一文字がひかれていた。やや左が長い。切開痕から更に左へ三センチほどずれたところから透明な管、ドレーンが出ている。透明なボンドで留めてあるので傷口が丸見えなのだ。まるでフランケンシュタインだ。ただ、高さは想定よりかなり低く鎖骨の直上ぐらいであり、襟足の短いハイネックでも十分隠せるだろうというのが慰めだった。
初めて目にする赤い傷跡は、衝撃だった。
夜間、点滴、ドレーンの確認見回りにくる看護師の懐中電灯に何度か起こされるも、十分に眠れた感覚をもって起床時間前に目覚める。明らかに前日の夕方より体力が回復している。
起床時間後、看護師が巡回し入院患者のバイタルチェック、お通じ確認などが行われる。前日濃い紅だったドレーンの液体が、透明なオレンジ色になっている。質問をすると「おー、順調ですね!」と言われる。出血が止まってきたサインだという。プラスティック容器に、本日の日付の印がマジックペンで記載される。メモリがあり何mlたまっているかわかる仕組みになっている。
7時過ぎに朝食がくる。おかゆ、牛乳、バナナ。量が多くないですか? とにかく回復のために気合を入れて食べる。気持ちは完全にフードファイター。
トイレ、給水で廊下を歩くたびにすれ違う人を傷あとでビビらせている気がする。傷口をこれだけさらしている患者が他に見当たらない。しかしドレーンの管が皮膚に張り付けられており、隠すことも難しい状況だ。そもそも見た目を取り繕い、整えようとする気力がない。
9時すぎから、入院患者の診察が始まる。入院フロアにある診察用の部屋に順番に呼ばれる。呼びに来たのが昨日の手術室で会った目力つよつよ看護師だった。診察は初顔の中年男性の医師だった。手術をした三人のうちの一人だろうか、年齢的に主治医の上司だろうと推測する。傷口、ドレーンを念入りに確認し、鼻から内視鏡を入れる。声帯を動かしてチェックをする。「水でむせていたらしいですが、左の声帯が動いていないですね」という。手術で声帯のまわりをひっぱったので、一時的な麻痺で戻る可能性は高いという。
そうか、手術の影響がでているか、と少し落ち込む。声帯機能の低下により、声がかすれる、割れる、嚥下がしづらくなるという事前のリスク説明は確かにあった。
12時すぎに昼食。おかゆ、魚、カボチャ、サラダ、お吸い物とやはり完食するにはかなり気合が必要な量がやってくる。とにかくおかゆの量が多い。
食後、抗生物質の点滴が始まる。これが終われば、生理食塩水の点滴が残っていても点滴は終わりになるという。これだけ食べていれば点滴でエネルギーを補給する必要はないだろう。
大部屋の病室内でトラブルが発生する。80を軽く超えている老女の大切な持ち物が紛失したという。入院期間が長く、別のフロアからの移動もあった。不機嫌で怒りが爆発している老女を4、5人の看護師がなだめながらあらゆる引き出し、荷物を開けてゆく。更に老女の怒りの声が響き渡る。クレームの内容は持ち物から、病院、看護師、訪問看護師、息子、嫁と際限なく広がっていく。
通常であれば、トラブルの現場から遠ざかればよいのだが、ほとんど動く力がない。他の同室者はとっくに出ていった。あきらめの極致で聞くとはなしに聞いていたが、だんだんとこの老女は寂しいのだな、と理解した。一人暮らしで人工肛門で訪問看護を受けていて、普通の会話では相手にしてもらえない。クレームであれば、立場の弱いものが応対せざるを得ない。
15時すぎ、母が見舞いにくる。携帯を指定したのに、手術後病院から携帯ではない家電話に連絡があり、父親が対応したらしい。私が受けるつもりだったのにとぷりぷり怒っている。さらに、数日前家族がけがをして救急車で運ばれていたのだと、新事実を知る。何か色々話したいことが溜まりすぎているようで話が止まらない。座った姿勢で話を聞き、うん、うん、と相槌を打ちながらドレーンを見ると、赤い液体が出てきている。やばいのでは。
更に追い打ちをかけるように診察の案内がやってくる。母を待たせて診察室に行く。またもや初顔の中年女性の医師。手術対応の3人目だろうか。年齢的にこの人も主治医の上司に見える。傷口を確認し、腫れていないですね、と頷く。ドレーンの先のボトルを見て、明日抜くのは無理かな、ちょっと多いなとコメント。ええ、さっきからいけてない気がしていました。
この日手術結果のチェックに来たような中年医師2名と手術室の看護師は、その後会うことはなかった。
とにかく退院するには、ドレーンを抜く必要がある。起き上がると体液が出やすくなる、と理解する。可能な限り横になって過ごすこととする。ベッドに横たわったままドレーンと、声帯についてスマートフォンで調べ続けた。ドレーンがあるためシャワー禁止で、おしぼりで体をふき、ドライシャンプーをする。
今まで頭を占拠していた手術の結果が良好だったため、仕事の心配が始まる。
定例会議の日程、今月の予定、必要な連絡などが頭をぐるぐるする。早く退院しなくてはと焦りだす。
16時過ぎ、主治医が病室にやってくる。再度内視鏡を入れて声帯を見たいという。一時的に麻痺していても三か月ぐらいで大抵は戻るのだが、手術で神経には触らなかったので、状況を確認したいという。おそらく、手術については自信があったのだろう。手術の結果一時的にしろ麻痺が発生した、という判定は不服なのだと思われた。
頻繁に確認されるのだが、不思議なほどに首の手術のあとは痛まない。私は8時間以上寝ると頭の重みで頭痛になる。この24時間で21時間ぐらい横になっているのにまったく頭痛がしない。鎮痛剤ってすごいな、と感心する。
新たに同じ病室入ってきたアラサー女性は、救急車で病院に担ぎ込まれたらしく、平静を装っているが自分の重大な病気をまだ受容できていない。時折上ずる声が痛々しくアラフィフおばさんの胸が痛む。
病室内の空気が重すぎる。看護師がバイタルチェックや食事を運んできたときに、意識して明るく大きな声で「ありがとうございまーす」と返事をする。よどみすぎている空気を軽くしたい。