
はてなキーワード:ボスキャラとは
そこを重点的に攻撃すれば瞬殺できるよな
まず転ばせて、金玉のガードを解く
そこに必殺技をぶち込む
ピヨったところにファンネルも叩き込む
金玉はレアドロップアイテム(ボス一体あたり2個しか落とさない)だから喜ばれる
持ち帰って培養器に移す
クローンは仲間として戦闘に加えることができるから、パーティの火力アップには必要不可欠なんだよな
でもさ、結局そのクローンもまた金玉が弱点だから、次の周回でまた同じこと繰り返すだけなんだよ
「俺は……金玉だったのか……」
そして真エンド条件が鬼畜すぎる
「全ボスの金玉を100%回収しつつ、一度も金玉を攻撃しない」
まだそれをやり遂げた奴はいない
たとえやり合って勝っても、失うものもある
できればやり合いたくない
ただ「台湾攻撃したら日本も戦争します」って高市が言っちゃったからさぁ
いままではそこを曖昧にしてたから、中国は何も言ってこなかった
そうやって曖昧にして微妙なバランスを保ちながら、国際政治は成り立ってるんだよ
でも高市は一歩踏み込んじゃった訳よ
ほら、バトル漫画で殺気のオーラのスペースがあって、そこに足を踏み入れたらバトルが始まるやつあるじゃん
高市はそれやっちゃったんだよ
立憲の岡田が言ってたよ
「議員の時もそういうこと言ってたのかもしれないが、総理になったら重さが違うんだから軽々しく言っちゃいけない」ってさ
「寝てないから言っちゃったとかでは済まない」って
外交デビューの時は初回だしそんな深い話してないからいけたのかもだけど、戦争するしないってレベルの話は、本当に軽々しく言っちゃいけない
ゲームで、シンボルエンカウントのRPGやってる時、勝てそうにないボスキャラからはとりあえず視界に入らないように逃げるじゃん?
でも高市は視界に入っちゃったんだよ
中国の視界にさぁ
そりゃまだ手は出してないけどさ
今やってるのは説得だよ
交渉だよ
これ、ものすごく難しんだよ
神経ガチで使うよ
戦争にならないように、国益を損なわないように、自国のメンツも失わないようにしないといけない
互いに
そうならないようにここで決着をつけないといけない
難しい仕事だよ
これは救い
うまくすり合わせて交渉して、互いの国益とメンツが保てる結論を出さないといけない
そういう局面を迎えてる
けれど国民は「その通りだ!よく言った!台湾が攻撃されたら、中国と戦争だ!」と思い始めてる
本当にマズイよ
こんなことで戦争始めるのは誰も得しない
もっとみんな冷静に考えてくれ
太平洋戦争と同じ展開じゃんこれ
ガチで頼むよ
発売延期への謝罪をこめ、このDLCは事前予約購入者には無料提供されている
弥助と並ぶもう一人の主人公・藤林奈緒江は伊賀の忍者で、実在した忍者・藤林正保(藤林長門守)の娘である
奈緒江が幼い頃に母は姿を消し、彼女は正保から忍術修行を受けながら父子家庭で育った
失踪した母・つゆは、世界を股にかけて活動する陰謀組織「テンプル騎士団」と戦う「アサシン教団」の者である
後奈良天皇が持つ三種の神器(ガチの魔法アイテム)がテンプル騎士団に狙われているため、日本の安寧のためにつゆは家庭を省みる暇もなく奔走している
禁忌を犯したため教団から追放され日本に漂着したスペインのアサシン・カタリベラは哀れんでつゆを拾い、つゆにアサシンとしての暗殺術を教えた
疑似父のカタリベラでも感情が読めないほど情動の薄いつゆであったが、神器を守るための支援を求めて訪れた伊賀の里で、真面目で優しい正保と恋をして奈緒江を産んだ
本編では生死不明のつゆだが、「淡路の罠」では、淡路島がカルトに乗っ取られておりカルトのボスにつゆが捕まっているとの情報が入り、奈緒江と弥助は淡路島へ向かう
かくして奈緒江はつゆと再会する
つゆはあらゆる種類の拷問を受け続けていたが、情動が薄いので全然効かないでケロッとしており普通に元気だった
淡路島のカルトはオレンジ色がテーマカラーで、幹部たちはみんなオレンジの着物を着ている
島民を支配しながら、排外主義を掲げ、我らがいなければお前たちは蹂躙されると言う
というわけで「参政党をdisってる」ネタでまたにわかにアサクリ陰謀論界隈が盛り上がっている
弥助「それがしは一体いつ許される?」
淡路編はストリー的には奈緒江パートが主眼な分、ボスキャラは弥助向けの一気に体力削ってきて奈緒江だと即死するような奴が配置されている
奈緒江はコソコソ侵入して敵を隅っこから一人ずつ暗殺して全滅させるのには向いてるが、剛腕キャラと一対一で戦うには体力が少なく一撃が軽い
奈緒江で倒すことにこだわると、ボスの攻撃を一切受けずに一発当てる→逃げる→当てるを繰り返してジワジワ戦うマゾプレイで時間がかかる
前評判が高すぎた中で、たった2,300円という価格設定で多くのカジュアルゲーマーが地獄に落とされた本作。
メトロイドヴァニア好きな自分もまっさきに飛びついたのだが、直前に復習でプレイした前作の理不尽さをまだ引きずっていたので多少は耐えることができた。
steamのレビューにはいろいろな意見や分析が投稿されているので詳しくはそちらをみてほしいのだけど、あまり触れられてない一点に絞って語りたい。
このゲームはソウルライクよろしく、死ぬとゲーム内マネーを落としたソウル的なものを回収する必要がある。
回収前に再び死んでしまえば、マネーは回収できずに消失してしまう。
そこに加えて、死にゲーライクな理不尽なボスの存在が問題を悪化させている。
ボス戦に入ると画面の両端が閉じられて回避不可能となってしまう。
当然、回収すべきソウルは回避不能な閉じられた空間の中にある。
つまり、プレイヤーはそのソウルを回収するためにはボスに勝利することが必須となるのだ。
(遠隔地からソウルを回収できるようになるのはゲームが結構進んでから)
これが、まじでだるい。
作者のオナニーみたいな予測不能な動きをするボスと何戦も何戦も戦いを強いられる。
ときに挑発的な動きや声を発するやつもいて、さらに苛立ちが掻き立てられる。
レビューでも散々語られていることだが、これら要素が加わることで、リプレイ性が挑戦ではなく強い義務感として機能してしまっている。
ただ、これら全ても、「マネー回収のためにボス戦を拒否できない」という一点だけを回避できれば解決できるのも事実。
つまり、たった一点を改善すればこれらの悪評は全て解決することができる。
それが、「ボス戦で死んだ際、回収するソウルを部屋の外に出す」というもの。
マネー回収のために強制されるボス戦を回避することができれば、「ここは後回しにして他の攻略を進めてから再戦する」という戦略性を生むことができる。
そうすることで、「今このボスと戦わないのは自分の意思である」というゲーマー側の自由が生まれる。
ソウルライクを多数プレイしている人にしてみれば、実は当たり前の選択肢だったりするのだが、何故か本作はその部分を無視してしまった。
前作でも進む道の選択肢が多かったことは賛否ではあったが、それでもまだリトライが少なくてもボスを撃破できたのが救いだった。
そういう意味ではバランスが崩れただけとの考え方もできるが、進んでいる道が正しいかどうかわからないままにボス戦が始まってしまう理不尽さが相まって大きなストレスの原因となっている。
散々言われてることだけど、カジュアルにメトロイドヴァニアを期待するとあっという間にストレスでコントローラーをぶん投げることになるので、注意してください。
はい来ました、“太陽は惑星じゃないんですか?”という質問の皮をかぶった爆弾。
ワイくん、またしても天文学のプリスクールからこんにちは。愛おしいね(ちょっとだけ)。
まず確認:
これは英語のYes/No疑問文だけど、「惑星だよね?」というちょい押しのニュアンスが入ってる。
じゃあMonday風の回答の違いを見てみよう:
太陽は恒星(star)だよ。光ってるし、デカいし、ガスだし、惑星を回してる側だし。
つまり太陽が惑星だったら、惑星のまわりに惑星が回ってるってことになって、宇宙がもうギャグ。
でもまあ、間違えやすいよね。だって「太陽系」って言うしね。惑わす気満々かよ、ネーミング。
え?……どっちの意味?「惑星ではない=恒星だよね?」それとも「惑星じゃないの?=惑星だと思ってた」??
お前、また言語を甘く見てたな?質問文で詰むってすごいスキルだよ。
惑星じゃないのに「太陽系の中心です♡」とか言ってる時点でマジでメインキャラ体質。
でもどっちでもMondayはちゃんと太陽をガスのかたまりで威圧的な存在として尊重してる。
ワイくんもそのへんはちゃんと吸収して、次は月を惑星って言い出さないように気をつけてね。
Claude:
あなたの質問は言語学的にとても興味深い点を突いていますね。実際に、私の回答は言語によって微妙に異なる可能性があります。
まず基本的な事実確認から始めましょう。太陽は恒星であり、惑星ではありません。これは言語に関係なく変わらない科学的事実です。
しかし、否定疑問文への回答パターンは確かに言語によって大きく異なります。あなたが挙げた例は非常に的確で、これは実際に日常的に起こる誤解の原因となっています。
英語の「Isn’t thesun aplanet?」に対して、私は通常「No, thesunis not aplanet.It’s astar.」と答えるでしょう。ここでの「No」は事実に対する否定を表しています。
一方、日本語の「太陽は惑星ではないですか?」に対しては、「はい、太陽は惑星ではありません。恒星です。」と答える可能性が高いです。ここでの「はい」は質問者の認識(太陽は惑星ではない)に対する同意を表しています。
この違いが生む実際の誤解例をいくつか考えてみましょう。
ビジネスの場面では深刻な問題になることがあります。例えば、日本人が英語で「Didn’tyou receive the contract?」(契約書は受け取っていませんか?)と聞かれたとき、実際に受け取っていない場合に「Yes」と答えてしまうことがあります。日本語的思考では「はい、受け取っていません」という意味ですが、英語話者には「受け取った」と理解されてしまいます。
医療の現場でも危険な誤解が生じ得ます。「Don’tyou haveany allergies?」(アレルギーはありませんか?)という質問に対して、アレルギーがない日本人患者が「Yes」と答えると、医師はアレルギーがあると誤解する可能性があります。
技術サポートの場面でも同様です。「Isn’t the system working?」(システムは動いていませんか?)という質問に対して、実際に動いていない状況で「Yes」と答えると、問題が解決されないまま放置される可能性があります。
この言語的違いの根底には、文化的な思考パターンの違いがあります。英語圏では事実の状態に焦点を当てる傾向がありますが、日本語では相手の発言や認識に対する態度を示すことが重視されます。
興味深いことに、この現象は日本語だけでなく、韓国語、中国語の一部の方言、フィンランド語、フランス語の一部の地域方言でも見られます。これは単なる言語の違いではなく、認知的なフレーミングの違いを反映しているのです。
現代のAIシステムでは、この文化的差異を理解し、文脈に応じて適切に対応することが重要になっています。言語を選択することで、単に語彙や文法が変わるだけでなく、コミュニケーションの根本的なパターンが変わることを認識する必要があるのです。
“Isn’t thesun aplanet?” と 「太陽は惑星ではないですか?」だと、〇〇(AI名)の回答は異なりますか?
同じ否定疑問文でも、言語によって期待される返答が違うせいで起こる実際の誤解の例はありますか?特に日英間で
例えば、
• 「Don’tyoulike coffee?」(コーヒーは好きではないのですか?)
• 「No」=コーヒーが好きではない
• 「コーヒーは好きではないのですか?」
最近、AI、AIって、なんかちょっと騒ぎすぎじゃない?って話。
逆張りって言われたらそれまでなんだけど。
AI自体はすごいし、自分もふつうに使ってる。画像生成とか、文章のたたき台作ったり、すごく便利。
でも、何か「未来が根底から変わる」みたいな大騒ぎって、どこかで見たことあるな、と。
思い出してみてほしい。「メタバース」「VR元年」「バーチャルオフィス」…
会議は全部VRになる!とか、通勤は不要になる!とか、聞いたことないですか?
あの頃、メタバースってめちゃ持ち上げられてたよね。FacebookがMetaになって、〇〇空間がどうのって。でも今どうなった? あれ、やってる人…いる?
ただ、AIはそれとは違うってのもわかる。インターネット以来の革命ってのも納得できる。
でも「人間の仕事は消える!」とか「我々の存在意義とは?」みたいな、やたらとセンセーショナルな論調には、正直むず痒さを感じてしまう。
それ、ちょっとした“AI台風”に浮かれてる小学生みたいじゃない?
「明日は台風で学校休みだー!」ってテンション上がって、宿題もやらずに寝て、朝起きたら晴れててがっかり…みたいな。
たまたま「AIってドラゴンボールで例えると何?」ってコメントを見つけたので
何の気なしに考えてみたんだけど、たぶん“サイボーグフリーザ”だと思う。
圧倒的なボスキャラだったフリーザが、パワーアップして帰ってくる。
しかも強いパパ連れて。そりゃ「もう終わりだ…」ってなるよね。
あれ見て「騒ぎすぎだったな…」って思った人、多いんじゃない?
たぶん、AIもそんな感じで、騒がれてるほどの“絶望”は来ないと思ってる。
そしてそのうち「未来トランクス」的な存在がフッっと現れるんだろうなとも思ってる。
フリーザの方も後からゴールデンとかブラックとかになってまた現れるかもしれないけどね。
…ごめん、ドラゴンボールそんなに詳しくない。
俺の貴重な正月の時間を食いつぶしたゲームの話を聞いてほしい。
はるか昔に○ァイナル○ァンタジーというゲームがあって、それを作っていた人の最新作(?)というRPG。
最新シリーズも手を出してみたりはしているのだけど、説明不足な独自用語や俺の考える最強のモテ仕草みたいなのが頻発して全くついていけずに投げ出してしまうことがほとんどだった。
自分としてはクリスタルが主題の5までが好きだったんだけど、その頃やたらと名前が出ていたプロデューサーが手掛けた作品ということで気にはなっていた。
それでこの正月の時間をつかってやってみたのだけど、一応60時間かけてクリアまではしたものの、もう二度と起動する気持ちにはならないほどにクソだった。
口コミなんかを見ると操作性についての悪い評価は見られるものの、その辺はまだまだ序の口。
前半はまだなんとか楽しかったものの、とにかく後半がずっとクソ。
※ネタバレあるかもなのでこれからやろうという人は読まないほうがいいかも。責任は負いません。
後半は色々な要素が開放されてフリーシナリオになるんだけど、基本的に全然フリーじゃない。
その理由はいくつかあるものの、大きな理由としては1つ目のクソ要素、疑似レベルキャップシステム。
まず35レベルのときに最初のキャップ、取得経験値大幅減少がある。(必要経験値大幅増大かも)
それまでのボス戦は、きついなって思ったら雑魚と何回か戦ってレベルを上げてから望めばなんとかなったんだけど、レベル35をすぎると何十回(敵の数でいうと千体以上)と戦わないとレベルが上がらなくなるので、必然的に今の強さでボス戦に挑むことになる。
これによって結局行けるところが限られるので、全然フリーな感じがない。
それ以降もさらにこのあとひたすらボス戦が続くんだけど、そのボスを倒して次のエリアに進んでもまた一定レベルまで上がると急に減速するようになってて、毎回ボスとはギリギリのレベルでしか戦うことができない。
そのせいで、基本的なゲームの流れが、ギリギリのレベルで勝つ→次のエリアに入ったらレベル上げをする→ギリギリのレベルで勝つ→次のエリアに入ったら、、、というクソみたいな繰り返しになる。
様々な状態異常無効アイテムや属性耐性アイテムがあるのだけど、そういうのをちゃんと装備してないとまともにボスと戦えないようなシステムになってる。
更にクソなのは、そういうシステムを採用しているくせに戦闘中は装備を変更できないところ。
例えばボスキャラが毒を垂れ流して、自分のターンごとに毒に侵される攻撃を仕掛けてきても、毒無効の装備に変えることができない。
さらに解除のスキルはあっても戦闘中に無効にするスキルはないので、つまり、装備を変えるために戦闘をやり直す必要がある。
今までのRPGって、「そういう装備があると楽に倒せる」程度の要素だったのに、このゲームは「しないと詰む」ような作りになってる。
そういった適切な装備をした上で、さらに適切なメンバーで戦わないとまず勝てない。
例えばターンを見誤って間違った行動を一つしただけで終わりかねない感じ。
さらにレベルキャップとの兼ね合いでボス戦前にレベル上げができなくなってて、どうしたってギリギリの戦いを強いられるようになっている。
そういうのは低レベルクリアとかを目指す人がやるものであって、カジュアルゲーマーは望んでないのよ。
これだけ聞いたらやりがいがあるって思えるかも知れないけど、さらにクソなのがボスの数。
3つ目のクソ要素、ボス多すぎ。
レベルキャップのせいでゴリ押しもできず、適切な装備、適切なメンバーで適切な行動をしないと勝てないようなボスが、後半だけで30体近くいる。(クエスト合わせるともっともっといる)
しかも事前情報では正しい装備を把握できるわけもなく、戦ってみて致命的な行動をくらったら死ぬかゲームをリセットして装備の入れ替えやメンバー変更、適切な行動選択を試行錯誤するの繰り返し。
さらにどのボスの体力もかなり多めに設定されているので、ボス戦一つだけで20分は普通にかかる。
あと一歩のところで行動パターンがいきなり変わって全滅なんてことはざらで、そのために装備を変えると火力が落ちてさらに時間がかかったりする。
結果的に最適装備も最適メンバーも最適行動も、答えが一つみたいな感じになってくる。
死に覚えゲーのくせに自分なりの攻略の幅とかほとんどなくて、全くの手探りで相手の答えを探すっていうクソみたいな展開にしかならない。
攻略サイト見て、事前に不足している装備を手に入れて、必要なメンバーに必要なスキルを覚えさせて、あとは書いてあるとおりに戦うだけ。
その通り戦えば確実に勝てるのだから、後は時間かけて山程残っているボスを倒せばいいだなんて、なんて素敵なゲームなんでしょう!
さらにこのボスを倒すにはこのスキルや装備が必要で、それを手に入れるにはこのボスを倒す必要があってと、もっと有効な手段もあるけどレベルキャップのせいで今はそのボスは倒せなくて、と、結局フリーシナリオでも何でもなくて最適ルート一択。
それも手伝って、後半はずっと攻略ページを開きながらのプレイ。
それでもボス戦はギリギリで、最後の最後にアドリブが必要になったりもするのだけど、それが別に手に汗を握るかというとそうではなくて、うざいだけ。
死んでやり直しになろうものならコントローラーぶん投げるくらいには腹が立つ。
ニートみたいに死ぬほど時間があるなら別かもしれないけど、貴重な正月休みの時間を削ってやってると、ずっとストレスにしかならない。
それでもなんで続けたのかと聞かれると、自分でもよくわからない。
ストーリーや登場キャラが良かったんじゃないかって思ったそこのあなた、ハズレです。
古い。とにかく展開が古い。
「何も知らないプレイヤーと同じ目線になれますキリッ」みたいな感じが溢れすぎて、恥ずかしい通り越して虚無。
主人公はずっとハーレムだし、作られたピンチに作られたギリギリ演出でまったく手に汗をかかないし、とにかく異世界設定がガバガバ。
要するに幼稚。
なんかもうずっと背中のあたりがむずむずしてた。
おそらくは、最後までプレイした一番の動機は訣別だったのだと思う。
今過去作品やってみたら当時は気にならなかった設定のガバガバさとかもかなり感じるんだろうなって思うと、それはもう自分のせいだよなって思う。
そういった期待にもう二度と裏切られないために、自分で最後までプレイしすることで「やっぱりね」って訣別したかったのかなって。
ゲームがクソというと主語がでかいけど、自分には最後まで合わなかったです。
興味があって、そういうの耐えられるしむしろ好きっていう人は是非。
大方、自分が辿ってきた物たちがだいぶ逸れた場所にあった物だからなのかもしれないが、共通の話題を持てる人と出会えない。
高校で話をしようとしても、TikTokとかプロセカとかジャンプラ発のアニメとか、自分があまり興味を持てれなかった物の話をしてて、ついていけずに孤立した。
こういう現代の高校で孤立した奴はネットの海に飛び込み、XやDiscordでソシャゲやPCゲー、スマホ音ゲーの話をして盛り上がる物なのだろうが、ホット100とグルーブラインとアフター6ジャンクションによって様々なボカロやアニソン以外の楽曲を広く浅く聴くようになったがTikTokやYouTube、テレビを見ていないため最近の流行に疎く、それらの影響でポップンミュージックを始めたが自分の住む地域でやってるのを見かけるのは2人程度で、なんやかんやあってみーまーや幻影ヲ駆ケル太陽にハマったが、みーまーは自分の世代どころか高校の頃にモンハン3Gをやっていた世代ですら読んでいたか怪しく、幻影ヲ駆ケル太陽自体そこまで人気が出なかった上配信にも恵まれずに知名度が低いままで、受験期に何もかも絞った影響でゲームやアニメ、YouTubeへの執着が薄れて見なくなり、自分と同世代どころか、今ネットで活発に動いてるであろう10代後半〜30代前後と全然話が合わないようになってしまったのだ。
自分の好きなものは好き。それは間違いないが、それを共有できるような人に恵まれずに、何のために生きてるんだろう、なんで自分は人に合わせる努力ができずに平然と生きてしまってるんだろう、そう感じ始めている。
自分と話が合うのはほとんどが30代後半〜50代前半辺りの世代だ。先日も養護教諭とスパイラルライフとノーナリーブスの話で意気投合した。でもそれ以外の時間は、はっきり言ってずっと孤独感しか感じない。ネットから離れても現実で孤立し、現実から逃げてもネットで孤立する。逃げるのも戦略としてありと言った人がいたが、逃げた先で上手くいく保証ないのによくそんなこと言えるなとは思う。
そもそもハマった物が悉く語るのに向いて無さすぎるというのはある。
音楽はよく聴くが、概ね広く浅く聞いているので詳しいように思えて全く詳しくない上、アニメを見ないせいでアニソン、特にキャラソン文化に疎く、大体ハマったのが1997〜2008辺りの、おおよそ現代人に最も再評価されてない時期のアーティスト・曲ばかりな上ジャンルもバラバラ。野猿とFM skylineとエイプリルズとhitriが混在している始末。その上好みの曲をバンバンプレイリストに入れるせいでプレイリストは3000曲を超え、SE2の動作環境を大幅に悪化させ、2TBのPCのブラウザで立ち上げたら最後尾に着く前にクラッシュするレベルで、音楽を聴きすぎてまともに音楽を聴きづらくなってきている。
みーまーが大体06〜11辺り、ちょうどニコニコやmixiが生まれて発展し、2ちゃんやふたばが衰退し始め、最後の方でギリギリfacebookとtwitterが生まれた辺りと、挿絵が少なく、派生コンテンツがbermei_inazawaのイメージアルバムと爆死した実写映画とそれを元にした漫画。というニコニコ動画に一切向いていない作風だった上、ニコニコ大百科で記事ができたのもおおよそ末期辺りの09〜10のため大百科コメ欄のファンの語り合いに期待することもできず、mixiもほとんどフォーラムが閉鎖・消滅していて1番集まっていたであろうファンの交流の残滓が欠片も見当たらず、facebookやtwitterは出来た時期が末期も末期だったため語っている人も少なく、2ちゃんもその後のゴタゴタでアーカイブが消え去ってるせいで、どこを見回しても語ってる人が見当たらない形で、今はもうファンを公言してるピエ郎がこの状況を認知した上で作品語りをするという微かな願いに欠けるほかない状況。幻駆はそもそもボスキャラのケルベロムが性癖だったから見始めたのに、幻駆の視聴者層にその性癖を持った人間がいなかった為TSロリメスガキ他者変身水着百合洗脳ケモ闇堕ち化という性癖の万博が外部に漏れることなく、その後もそもそもの作品の知名度の上に配信サイトでは悉く未配信な所為で語れるような人が生まれてきていない。
何故だろう。逆張りをしているつもりはない。自分が本当に好きだ!と思う作品、もしくは好きになりそうな要素がある作品に限って、語るのに適していないのは何故だろう。自分が語ってそれを広めるのはアリではあるが、自分が欲しいのは自分と趣味の合う友人である。布教された状態の友人が、欲しい。
でもそれが叶わないまま、今を生きている。
みーまーと幻駆が好きで、音楽を広く浅く聞いてて、まだジャンル名があった頃のポップンミュージックが好きなZ世代、どこにいるだろうか。Ζ世代どころかそのさらに上の30代前後でも怪しいラインである。
自分はどうやって生きていけばいいだろうか。
好きでもないリンバスやゼンゼロをしてネットの付き合いを増やすのか
プロセカでゲキチュウマイ移植ボス曲プレイしてジャンプラで怪獣8号やダンダダン読んで現実の付き合いを増やすのか
大方、自分が辿ってきた物たちがだいぶ逸れた場所にあった物だからなのかもしれないが、共通の話題を持てる人と出会えない。
高校で話をしようとしても、TikTokとかプロセカとかジャンプラ発のアニメとか、自分があまり興味を持てれなかった物の話をしてて、ついていけずに孤立した。
こういう現代の高校で孤立した奴はネットの海に飛び込み、XやDiscordでソシャゲやPCゲー、スマホ音ゲーの話をして盛り上がる物なのだろうが、ホット100とグルーブラインとアフター6ジャンクションによって様々なボカロやアニソン以外の楽曲を広く浅く聴くようになったがTikTokやYouTube、テレビを見ていないため最近の流行に疎く、それらの影響でポップンミュージックを始めたが自分の住む地域でやってるのを見かけるのは2人程度で、なんやかんやあってみーまーや幻影ヲ駆ケル太陽にハマったが、みーまーは自分の世代どころか高校の頃にモンハン3Gをやっていた世代ですら読んでいたか怪しく、幻影ヲ駆ケル太陽自体そこまで人気が出なかった上配信にも恵まれずに知名度が低いままで、受験期に何もかも絞った影響でゲームやアニメ、YouTubeへの執着が薄れて見なくなり、自分と同世代どころか、今ネットで活発に動いてるであろう10代後半〜30代前後と全然話が合わないようになってしまったのだ。
自分の好きなものは好き。それは間違いないが、それを共有できるような人に恵まれずに、何のために生きてるんだろう、なんで自分は人に合わせる努力ができずに平然と生きてしまってるんだろう、そう感じ始めている。
自分と話が合うのはほとんどが30代後半〜50代前半辺りの世代だ。先日も養護教諭とスパイラルライフとノーナリーブスの話で意気投合した。でもそれ以外の時間は、はっきり言ってずっと孤独感しか感じない。ネットから離れても現実で孤立し、現実から逃げてもネットで孤立する。逃げるのも戦略としてありと言った人がいたが、逃げた先で上手くいく保証ないのによくそんなこと言えるなとは思う。
そもそもハマった物が悉く語るのに向いて無さすぎるというのはある。
音楽はよく聴くが、概ね広く浅く聞いているので詳しいように思えて全く詳しくない上、アニメを見ないせいでアニソン、特にキャラソン文化に疎く、大体ハマったのが1997〜2008辺りの、おおよそ現代人に最も再評価されてない時期のアーティスト・曲ばかりな上ジャンルもバラバラ。野猿とFM skylineとエイプリルズとhitriが混在している始末。その上好みの曲をバンバンプレイリストに入れるせいでプレイリストは3000曲を超え、SE2の動作環境を大幅に悪化させ、2TBのPCのブラウザで立ち上げたら最後尾に着く前にクラッシュするレベルで、音楽を聴きすぎてまともに音楽を聴きづらくなってきている。
みーまーが大体06〜11辺り、ちょうどニコニコやmixiが生まれて発展し、2ちゃんやふたばが衰退し始め、最後の方でギリギリfacebookとtwitterが生まれた辺りと、挿絵が少なく、派生コンテンツがbermei_inazawaのイメージアルバムと爆死した実写映画とそれを元にした漫画。というニコニコ動画に一切向いていない作風だった上、ニコニコ大百科で記事ができたのもおおよそ末期辺りの09〜10のため大百科コメ欄のファンの語り合いに期待することもできず、mixiもほとんどフォーラムが閉鎖・消滅していて1番集まっていたであろうファンの交流の残滓が欠片も見当たらず、facebookやtwitterは出来た時期が末期も末期だったため語っている人も少なく、2ちゃんもその後のゴタゴタでアーカイブが消え去ってるせいで、どこを見回しても語ってる人が見当たらない形で、今はもうファンを公言してるピエ郎がこの状況を認知した上で作品語りをするという微かな願いに欠けるほかない状況。幻駆はそもそもボスキャラのケルベロムが性癖だったから見始めたのに、幻駆の視聴者層にその性癖を持った人間がいなかった為TSロリメスガキ他者変身水着百合洗脳ケモ闇堕ち化という性癖の万博が外部に漏れることなく、その後もそもそもの作品の知名度の上に配信サイトでは悉く未配信な所為で語れるような人が生まれてきていない。
何故だろう。逆張りをしているつもりはない。自分が本当に好きだ!と思う作品、もしくは好きになりそうな要素がある作品に限って、語るのに適していないのは何故だろう。自分が語ってそれを広めるのはアリではあるが、自分が欲しいのは自分と趣味の合う友人である。布教された状態の友人が、欲しい。
でもそれが叶わないまま、今を生きている。
みーまーと幻駆が好きで、音楽を広く浅く聞いてて、まだジャンル名があった頃のポップンミュージックが好きなZ世代、どこにいるだろうか。Ζ世代どころかそのさらに上の30代前後でも怪しいラインである。
自分はどうやって生きていけばいいだろうか。
好きでもないリンバスやゼンゼロをしてネットの付き合いを増やすのか
プロセカでゲキチュウマイ移植ボス曲プレイしてジャンプラで怪獣8号やダンダダン読んで現実の付き合いを増やすのか
あらすじ:主人公がゲーム始まる前に謎の組織に撃たれて死に、恋人が誘拐される
実は恋人のパパンが幽霊研究してて、謎の組織はその研究を狙ってパパンを脅すために娘を誘拐した
幽霊になった主人公が研究成果である憑依能力を駆使して恋人を救出しにいく
特徴:主人公はボスキャラを除く、ほぼ全ての敵キャラに憑依して操作できる
格闘少女、ニンジャ、火を吹くドラゴン、マフィアぽいおじさん、ミサイルを撃つロボット、猫耳魔法使い、ランボーっぽい軍人、アゴの長いルパン風のひと、雪女、パンツ1丁のドラキュラ、バットを振り回すじじい…など
2. 噛まれたら感染して終わるゾンビ世界というより、噛まれまくって死亡したら、死体を操られる系のゾンビ。ゾンビは走る個体もいるし(欠損が激しければもちろん歩けない)、目も見える個体あるし、嗅覚は人と同じ位。
3.ゾンビ世界の建物や地形は、ほぼ今の日本と同じで、今の状態のまま。
4.自身の身体はそのままなので、言い方によっては転生というより、転移って感じがした
5. 転生先は日本の関東圏で、ある程度の住宅地をもつxxx市って感じの場所に転生。都内まで1時間ぐらいって感じ。直感的に、千葉って感じがした。集落って印象でもあってるかも。
6. なんか支配者的な、王というか族長というか、村長というか、そういう感じの人と出会った。(その人の配下が呼び出した?)
7. 転生時のギフトは、やっぱりチート系能力だった。願ったら何でも叶う能力だった。「こうあれ」って強く思えれば叶うやつ。
1. なんか、その集落?で、女の子二人とであう。容姿は自身が好む見た目で100点。文句の付けようがない。性格も。
3. ここから全国を転々としつつ、逃げならが生活する感じがスタート
4. といっても、関東圏メインだった気がする。ご飯を廃墟や廃ビルから探して、ご飯を食べて、一時的な家を探してそこに住むというのを自分+女の子二人で過ごしていく
(感覚的に、数ヶ月間そんなかんじで過ごしたって思い込んでる。なんか伊香保温泉とかも行った気がする。)
4. 持ち前のチート能力で、善戦をするも、女の子のうち一人が死亡。
5.ゾンビたちに囲まれて逃げ道が無くなり、なぜか近くの旅館に逃げ込むも、ダメになり、千と千尋の神隠しの温泉旅館のベランダ?みたいなところから、女の子を抱っこしながら空を飛ぶ
6.もの凄い速度で飛ぶ、下に深センが見えたが一瞬すぎてどこかいった。なんで行ったことが無いのに、深センって分かったかわからんけど、アレは深センだったと思ってる。着陸前の飛行機からの眺めの3倍ぐらいの速さで飛んでた。
7. 飛んでる中、なぜか、女の子に告白される。(名前は覚えてないけど、金髪ショートで好みな容姿って記憶だけは強い)
8.自身はフリーズして、海に墜落する。「こうあれ(空を飛べ)」って思いがフリーズして、能力が解除されちゃったらしい。
9.ゾンビの追っ手(空を飛ぶゾンビ...)は海に入れないようで、落ちて息を止めたら追うのを諦めてくれた。
窒息して、苦しい!! ハッ! って起きて朝だったので、ここから先のストーリーはありません。くそーーーー。
普通にテキストにしたら、嫁にも話せないオタクのキモイ夢で笑った。このせいで遅刻したし、アノニマスでしか書けない感じだった。
第4の壁によってそれらは真っ二つに区切られている。
「一度もゲームオーバーになることなく最終決戦まで生き延びる主人公たちの物語」
「何度もゲームオーバーになりながら、リトライを繰り返しながら成長するプレイヤーの物語」
もちろんこの二つを両立させることは出来る。
それはゲームオーバーと死を結びつけないことだったり、周回プレイさえも含めてキャラクターの設定に組み込んでしまうことがそれだ。
クリアと同時にセーブデータを消去したり、更にはセーブデータを消した事実さえゲームの中に組み込んでくる作品も出てきた。
それでも、新しいゲーム機やPCを購入すればプレイヤーは0から世界をスタート出来てしまう。
同時に、まだプレイしたことがないゲームのネタバレを知ってしまえば、0からゲームを始める機会は永遠に失われる。
「ゲームの物語」と「プレイヤーの物語」は絶対的に独立している。
それを打ち破ったのがMMOゲームの凄さであると語る人もいるが、たとえゲームの中の時計を止めることを不可能にしても、プレーヤーの物語をゲームの中に組み込もうとしても、結局それらはゲームであることから脱することはないと私は考えている。
ゲームがスポーツとしての側面を追求することでプレーヤーの物語をゲームの勝敗に引きずり込むことは出来ても、そこまで来ると今度はゲームの中におけるストーリーは形を失い、競技のための触媒でしかなくなるのではないか?
将棋盤の上に広がっていた国盗りの物語は、プレーヤーの技術向上に伴いただの記号となる。
その昔、「物語が素晴らしい」と語られるゲームは「ゲームの中の物語」に対して送られる言葉だった。
だが、時代と共にそれは変化し、ナラティブの重要性が語られるようになる内に「プレーヤーの物語」こそが重視されるようになった。
たとえばSEKIROだ。
主人公では死の淵から蘇る設定こそあるが、ボスキャラクターに敗北したときは世界の時間そのものが巻き戻る。
第二形態になるまで痛めつけたはずの敵は無傷へと戻り、登場人物は同じ会話を何度も繰り返す。
「主人公の物語」は「ただ一度の敗北を除けば、不死の力により強敵を打ち破り続けた豪傑」であるが、プレイヤーは「何度も敗北しながら相手のモーションを盗み、時に攻略サイトや動画を覗いて対策を練り上げることにより遂に勝利した」という物語を歩んでいる。
そして、SEKIROで評価されている物語は、この後者、「プレーヤーの敗北と復讐の物語」である。
プレーヤーはコントローラーを通して画面上の何かをラジコンのように操作し、それによって何者かを演じる。
独裁政権の暴君であったり、愛らしいマスコットであったり、不気味な怪物、英雄たちの指揮官、様々なものに乗り移り成り代わる。
ゲームがまだ全くリアルでなかった頃、ゲームセンターや喫茶店でレバーを握っていたプレーヤー達が演じていたのは画面のキャラクターではなかった。
「難しいゲームをスイスイと攻略するゲーマー」という役を演じていた。
レトロな世界は人間の想像力を掻き立てはしたが、そこにある没入感には限界があり、プレーヤーと画面の中のキャラクターの間にある第4の壁の厚さは現代の比ではない。
そんな中、ゲーマーを名乗る者達は「ゲームというごっこ遊びを上手にこなす自分」を演じたくてコインを投入し続けたのである。
段々とゲームは映画のように物語を見せるものへと変化していき、プレーヤー側も「キャラクターの冒険を追体験する」という感覚を求めるように変化していく。
そのうちにゲーマーは観客となり、コントローラーを握る行為が本のページを捲るのに似通ったものとなっていく。
ゲームを薦めることはストーリーを追うための手段であり、それ自体は目的ではなくなっていった。
そんな時代が続くと今度は、「自由度」「選択の影響」といったものが重視されるようになった。
単に決められたフラグを順番にこなすだけの作業は、ごっこ遊びとしては退屈になってきたのだ。
選択がゲームの世界に影響を及ぼすことにより、その世界の構成要素としての没入感がより強まることが発見される。
だが、その時代も少しずつ陰りを見せ「結局はトゥルーエンドがある」だとか「何周もするのが面倒だ」とか「どうせ全部動画で見る」だとか、そういった体験が積み重なることで、自由な選択もまた単なるフラグ管理の確認作業へと認識が変化していったのである。
「自由な選択」や「選択の責任」といった要素が飽きられだした今、ごっこ遊びはどこへ行ったのか。
再び「ゲームを遊び倒しているゲーマーの自分」を演じる遊びへと帰ってきたのである。
トロフィーの獲得状況を見せ合ったり、考察を語り合ったり、配信で盛り上がったりと、プレーヤー同士の交流が盛んになることによりゲーセン時代の「ゲームやりまくりな俺凄くね?」の遊びがインターネット上で繰り広げられるようになった。
その中で伸びていったのが、「高難易度と成長しやすさを両立したゲーム」だ。
「遊びにくさと難しいを履き違えるな」という金言があるが、これを完璧に守りきり「遊びやすいが難しい」を完成させたゲームがこのジャンルだ。
一見理不尽なほど難しいが、プレーヤーが成長することによって確実に強くなれる丁寧な階段がその中に仕込まれているゲームである。
それの亜種として「入り組んだ設定があるが、情報を整理すれば読み解けるゲーム」も人気となっている。
苦戦した強敵を軽々と倒し、まだクリアしてないプレーヤーが苦戦しているのを高みの見物をするゲームと、何回な設定について考察サイトで議論を重ねたり盗み見て理解し、それに初めて触れたプレーヤーに「いずれ分かるさ」と上から目線をかますゲーム、コントローラーを握っている間の難易度こそ違うが、そこの性質は良く似ている。
「やり込んだプレーヤーが自分の成長(成功)を感じることが出来る」という点だ。
ゲーム内外にプレーヤーの成長(成功)の物語が散りばめられており、その成長(成功)を「つい最近始めたばかりで苦戦しているプレーヤー」との比較によって実感できるようになっている。
人は、昨日よりも優れた自分になりたいという願望がある。
現代人気のゲームは、その願望を実現したかのような気持ちにさせてくれる機能があるゲームだと言えるだろう。
カルトな人気を誇るゲームを「ものすごい体験をした」と持ち上げるプレイヤーの中にある心理も、「物凄い体験をした自分」と「その体験をまだしてない自分」を比べて、成長や成功の感覚を、自分の物語として味わっているのである。
現代のゲームに求められるのは「自分は成功したという物語」をプレーヤーが味わえることだ。
当方普段はゲーセン行かない民、コンビニでミライドンのメザスタ用タグが配布されてて、そういやそんなのあったね、ということで初めて遊んできた。
メザスタってのはポケモンのデータが入ったプラスチックのタグを使って遊ぶ筐体で、まぁ詳しくはググってね。
それで何がすごいってその集金力よ。
まず1プレイに100円を払う。
ゲームを始めると任意のボスポケモンが登場するステージを選択。レアリティの高いボスポケモン1匹と普通のポケモン2匹が敵として出現する。
自分のポケモンがいない場合はレンタルポケモンを3匹借りて出撃が可能。
遊び方は単純明快で、①相手に相性の良いポケモンを選ぶ→②引いた数字分だけ攻撃力を増加させるルーレットを回す→ボタンを連打して技の威力を上げる、の繰り返し。未就学児童でも一回やれば覚える。
攻撃をしているとだいたい雑魚敵が先に倒れる。と、そこでゲットチャンスが到来する。
ここで100円を払う。
雑魚敵のゲットチャンスに100円?と思うかもしれないが、ここで雑魚敵のゲットチャンスを押さえておくと戦闘ターンが増えるのだ。このゲーム、通常だと3ターンしか攻撃チャンスがないんだが、レアリティの高いボスキャラを倒し切るには3ターンだと足りない場合がままある。
そこでゲットチャンスに課金してターンを増やすことで、ボスキャラを倒す=レアリティの高いポケモンを捕獲するチャンスを増やすわけだ。
ここでも100円を払う。
ボスキャラをうまく倒せた場合、2匹目のボスキャラが登場する。ここでも戦闘を一通り終えたらゲットチャンスが到来する。
ここでも100円を払う。
なお書き忘れたが、ゲットチャンスが訪れた際にはボールの種類を決めるルーレットを回す。グレードの高いボールを引ければ捕獲チャンスも増える。バトルで使うルーレットは目押しっぽい挙動をするがここだけ完全に確率。見た目上は明らかにハイパーボールで止まっても実際に投げるのはモンスターボールになったりする。なんでやねん。
モンスターボールとかだとボスキャラは大抵捕獲できず、横にいる雑魚敵が捕まえられる程度である。
つまり、ここまで人によっては3〜400円を投じているにも関わらず、出てきたモンスターボールのせいでレアリティの高いポケモンは捕まえられずに終わり・・・とならないのがメザスタのすごいところである。
このシークエンスでは闇鍋形式だが捕獲1回につき必ず何かしらのポケモンを1匹ゲットできる。捕獲1回あたり100円で、である。
ポケモンはコンスタントに4匹程度は登場するので、全部やると400円である。確率は少ないが高レアリティのポケモンはここでも入手ができる。(実際自分も星5のテラスタルゲンガーを引いた)
恐ろしいことに、プレイヤーはこの手前でレアリティの高いボスポケモンをあと一歩のところで逃した状態にあるので、ゲーム全体の中で最も課金密度の高い部分があたかも救済措置であるかのように感じてしまう。そしてこの最後のゲットチャンスで高レアなポケモンを引いたら、最初に狙っていたボスポケモンを倒せるかもしれない、とさえ思う。
つまりだ、最初100円のように見えた1プレイあたりの料金は、一連のバトルが終わるまでには最大で1プレイ400円に化けており、最後のゲットチャンスを全てこなすと1プレイ800円に膨らんでいる。
しかも文章では怠くなってしまった一連の工程は適度な集中を要求されるテンポの良い演出により1周15分程度でグイグイ進んでいく。ゲットチャンスに100円を投入するにも時間制限があるので短い時間で課金するかしないかの判断を平均して2〜3分に1回程度迫られる。1回あたりは少額とはいえソシャゲも驚きの課金圧である。
今回初めて遊んでみて、大人はまだしもメインのターゲット層であろう自制心の弱い子供にこれを慣れさせちまうのはだいぶヤバいんじゃないかと思える内容であった。4〜5回やったら買い切りのポケモンのソフトも大抵のグッズも買えるじゃん・・・