
はてなキーワード:ボケるとは
自分は40前半歳独身男性。非正規。婚活などはしていない。今までの人生で彼女は1度だけ。元々モテるほうではなかった。若いころにひょんな縁から、個人経営の美容系のお店に通わせてもらうようになり、今から10年くらい前にそのスタッフとして彼女がやってきた。
お店に通う男性自体非常に希少らしく、また彼女と同世代の顧客はとても少ないらしく、いつも楽しく話をさせてもらっていた
内気で陰キャな自分の性格ともぴったりだし、おっとりした見た目だが美容系の仕事をしているからか、年齢に似合わず美人である。いわゆる清楚系。会話の内容も合うし、会話のテンポ、リズム、温度もほぼ一致しているところが良い。島田紳助流にいうと「会話のリズム」が合う。話していてまったくストレスにならない。ボケるとちゃんと突っ込みも入れてくれるところも素晴らしい。料理もできる。手芸が趣味。こんな人が今の今まで売れ残っていること自体奇跡なんじゃないかといつも思っている。年齢も彼女が1歳上だし、できることなら彼女と一緒に今後新しい家庭を築きたい。と思っていた。
そんな話を軽く振ってみると「尊敬できるひとならいいなあ」と言うが、実際のところ、本気で答えてくれているかどうかもわからない。
聖書の話を振ると「わたしは信じています」とか言ってくるし、聖書を根拠にした話をさも当然のように話してくる(この世は絶望しかない、など)。
ちゃんと聞いたことはないが、おそらくは二世信者なのだと思う。
軽くアプローチをしても相手にされているんだか、されていないのかよくわからない。
そもそも、このお店に20年近く通っているものの、店のオーナーからエホバに勧誘をされたのは35を過ぎた時だった。その時はもう遅かった。お店に人にも親近感がわいてしまっていて、今更「宗教を」なんて言われてもって感じである。よって今では「宗教」を除いた部分で付き合うことにしている。が、特に店オーナーは会うたびに聖書の話をしてくるため面倒くさい。
今思えば、このお店スタッフはすべてエホバの人間なんじゃないかと思っている。求人だって一度も見たことない。こんなこと誰にも言えないが。
一度Twitterの当事者同士のスペース機能でこの悩みを相談したところ「あー、それは無理だね~」と言われた記憶がある。
よくよく調べてみると、確かにあの宗教は男女交際に関してかなり厳しい。いろいろ面倒くさい。
最近も人手不足で、自分以外女性が一人なことがあったんだが、「男女が密室に2人でいることは、NGなのでお店には第三者がいないと駄目なことになっています」と言われた。
確かにコンプライアンス的にはそうなんだが、20年通って、終わった後に毎回悩み相談もしていた、客にそういうこと言うか?普通。 それを聞いたときに何か違う力が働いているんだなと思った。
ただし、その事例に当てはまらない人もいることは事実だし、実際のところは本人に聞いてみるしかないのだろう。
本人がNOと言えば、過程はどうであれNOなんだと思う。
もう結婚むりなのかな。
はぁ。
聞いてほしいというか、今日も3時に起こされて寝れなくなったから書くだけなんだ。読まなくていい奴。
でもちょっと説明がてらどっかに投げつけたくて書いておこうってなってわざわざ登録した。
目下の悩みどころは親が痴呆の入り口でグレーゾーンにあること。
こんな時間に起こされたのもそれと関係ある。というかダイレクトに電話が着て起こされた。大体時間は4:30~5:00。これが2日に1回ある状態。
今日はまだ罵倒されなかったし、使えないとか信用できないとかも言われてないし。何より暴れてないから呼び出しではない。それだけでもだいぶ心安らかでありがたい。
様々な状況を省いて言うと今男親の方が結構なマダラ状態になっていて、保険を使って病院に入ってもらっている。
なんせ今日が何日どころか、予定の有無や体の具合も自分で把握できない状態。そのうえそのくせ、手元にあるお金は全部使いきらないと気が済まないしCMとかの広告にめちゃくちゃ乗せられやすい性も相まって目についたもの全部に手を出してしまう。透析をしている身で透析前後にコンビニに行って買い食いしていることが毎度なうえ指摘するとそんなことはしていない、買って帰ってきたものを隠す、隠しているカバンを触るだけで怒号。
そして一番手こずっているのが「自分ができない認識を否定する」、どうしても年取ればできないことが増えるし、それを認めたくない心理があるのもわかる。けどその気持ちを自分が把握しておらず、元々の「見栄を張りたいから手伝いをめちゃくちゃ嫌がる」のに「命令や指示はしたい」という気持ちが抑えられなくなってしまうようだ。
このコンボが発動している中で一緒に暮らしていると、小間使いみたいに毎時間洗濯物を投げ寄越され、何で金が使えないんだとせびられ、体調が悪いという愚痴を聞かされ続けた上にでかけて人と会うと不機嫌になって帰ってくるか、しこたま酒を飲んで気持ち悪い医者に行くと駄々をこねる(透析の医者に行くと叱られるので、透析しているのを隠して内科に行ったこともあった。シャントがあるから一目でバレたみたいだけど)。それ以外の時間?ずっとテレビみて通販させろって言われる。グルコサミンで腎臓は治んねぇよ。
私は子の立場だからまだ向けられるものにセーブがあってよかったんだけど、母の方がこれに音を上げた。当然だと思う、透析食を3食全部計算して手作って(計算されたパックのお弁当も頼んだけど、パックのお弁当だというだけで拒否反応を出した。なお皿に持って出したら食べる。人の苦労を食べる妖怪かなんかかな)、それを無視してファミチキ食べられてる上に指摘すると怒るんだもんな。
ので、透析じゃない他の病気で入院したのをきっかけに家の工事をするからって居ててもらってる。
入院すれば、家にいた時と同じ対応はしてあげられない。当然だ、母はそもそも「父はきっとボケる」と確信していてそのための対策をずっと打っていた。趣味も合わなきゃ共通の話題もないし話題を合わせることもしない、なんなら娘が家から出た一月後にはストレスで10円剥げを作るくらい父とそりの合わない母が。毎日声をかけて、運動だなんだと散歩にだし、わけもなく風呂をさぼりたがる尻を叩きしてやっとこさ保っていた認知能力だ。そんな24時間心づくしの声かけとかで残りの人生全部使えっていうの無理なんよ、おかげさまで母の方もちょっと気を許したタイミングで体調を崩して入院したわ。
それくらいしていても入院前は麻雀に勝てないからと自治体のレク会を無断で途中スっぽかして帰ってくるくらいのことはしていたから、もう限界ではあったとは思っている。これは私が思いたいから、思っているだけかもしれない。
そんな環境がどれくらい贅沢だったのか、入院してからは目に見えて、というかほぼほぼ毎日、「訳が分からない」状態になるんだ。家にいる時でも寝て起きた時・疲れてきた時に起こっていた不穏な行動が顕著になった。もともといら立ちや不安を攻撃性として出しがちな人だったけど、「自分が訳が分からなくなっている」ことによる不快・不安・いらだちその他もろもろに「帰りたい/帰ればどうにかなる」という指向性が付いてめーーーちゃくちゃ行動的になってしまった。帰るんだって着替えて荷物もなしにエレベーターを待っていたり、止めようとした看護師さんに平手が出ちゃったり。
実際の加害を第三者が目撃するケースが重なると「流石にお年を召したご夫人と同居はちょっと……」と家族隔離の話が出てくる。それにのっかって、私も自分の家に帰ってきたんだがこれも長くは続かないよな……というのが今現在の状況。透析とアグレッシブ不穏が重なるとほぼほぼ施設や病院からは渋い顔をされてしまう。受け入れてくれる施設と病院とを往復するような感じで滞在期間を引き延ばしている事になる。
父の不穏を落ち着かせる一番の方法は重々わかってる。「安心させてあげること」一択。家に帰って、甘えられる妻がいる。自分はちゃんと大人がやれているんだと対外的にアピールできる状態。
いや何故対外的にアピールしなきゃいけないのかがよくわからないしきっとよくわかられないんだろうけどなぜか必要らしい。たぶん自尊心的なところで「大人に必要な条件」としてあるんじゃないかと思う。思う、というのは、私が仮定できるようになったのも最近で母にいたってはもはや理解を放棄していたくらい「別の生き物」として接していた。私が察せられている……だろう!と言ってるのは、私の方が父に近い感覚を持っていると感じるから。「よくわかんないけど人間ってこういうことするんでしょ?」というあやふやな認識と周りの見えているところだけからくみ取った様式でどうにかこうにか人間をやっている……っていう感覚は実際、父の方が話は通じやすかった覚えがある。
思い出すなら自身は「昭和の男は家のことに口を出さない!」と日ごろから豪語していたが、家計管理や家事育児などが絶対にできないという確信がうすうすあって、触らないことでいろいろ取り繕うっていうか、できないという事実から自分を守っていたんじゃないか。そう考えると何がしたいのか何が幸せなのか本人が全くわかんないままテレビを見て日々を過ごすから毎日イライラして。イライラのために新しい刺激や酒とかたばこの依存(もちろん、「大人」としてのアイテム効果も欲しかったんだと思う)でごまかして……といった動きが想像できていろいろ腑に落ちるのだ。実際俺はできると主張された母がそれなら、と範囲を絞って任せてみたら半月で崩壊した。今でも病院にいるのに一週間で万単位の浪費をしている、病院で何をそんなに使えるのか最早才能だと思う。(これは本人が不安がるからと病院の支払い用カードを持たせた私が悪い。一日3回新聞と雑誌とコーヒーと唐揚げ棒とチョコを買って喰えずに捨てていたようです。)
子供のころ目にした「大人」になりたいのにその詳しいところは見えていなくてわからない、そもそもその「大人」の像だって時代が変わって全く違うものになってしまっているしなってみたらなってみたで知らない責任や日々の暮らしに追われてしんどい、「大人の楽しいところだけやっていたい」……真っ当な人間である母からしたらこんな生き方マジで理解不能だったろう、恐怖すらあったのではないか。解かる私はたぶん一歩間違えばあっちにころっと転がってしまう……、転がった先にどうなるのかが目の前にあるわけだ、別の意味でとてもこわい。
がんだと聞かされた時、最初に思ったのは「わしより先に逝くのか」ということだった。
病気は年を取れば誰にでもあるもんやと思っていたが、医者から「半年もたないでしょう」と言われた時には、頭が真っ白になった。
言葉にできるような感情じゃない。怒りとか悲しみとか、そんな区切りのあるもんやない。ただ、すべてが止まった感じだった。
わしは何もできん。
昭和の男やからな。「男は仕事、女は家庭」…そんなもんが通用せん時代やと知ってても、染みついた習慣はそう簡単には変えられん。
だが、かみさんが倒れてから家のことをどうしたらええか、ほんまにわからんかった。
情けない話やが、冷蔵庫の中に何が入ってるかも、どこに何が置いてあるかも、知らんかったんや。
そんな時に、あいつが帰ってきた。
息子や。あいつもまだ若くて、やっと社会人として動き出したばかりだったのに、仕事を辞めて戻ってきた。
あの一言が、わしの胸に染みた。
ありがたかった。正直、心強かった。
でも、同時に悔しかった。
覚悟はしていたが、実際にいなくなると…ぽっかり心に穴が空いた。
何をしても虚しく、何も手につかん日が続いた。
でも、息子が全部やってくれた。手続きも片付けも…本当に全部。
わしは、ただボーっとしてるだけだった。
そのうち、息子が「これからは一緒に家事をしよう」と言い出した。
料理も洗濯も、最初は訳がわからんかったが、あいつが教えてくれて、二人で分担するようになった。
「父さんもちゃんと今を生きないといかん」…そう言われた時、ようやく、現実に戻ったような気がした。
犬まで連れてきた。
「散歩が必要やから、運動にもなるやろ」と言われ、しぶしぶ連れて歩いてたが、今思えば、あれがなかったら完全に引きこもってただろう。
犬が尻尾を振ってくるだけで、「生きててもええんかな」と思えた。
…そうこうしてるうちに、親父(わしの父)が死んだ。
それを見て思った。「こんな風にだけはなりたくない」と。
本人が望んでいるのかどうかもわからん。ただ、医者の判断で命だけがつながれている。
わしは…あんな風に生かされるのは嫌やと思った。
「70歳くらいでぽっくり逝きたい」って、よく冗談みたいに言ってたが、本音だったんや。
でも、それでも、親父には長く生きてほしかった。
でも、自分の親にはな…長くいてほしいもんなんや。気持ちがついてこん。
あいつは自分の会社を起こし、独立してからも、よく話をしてくれた。
わしが新聞ばっかり読んでるもんやから、時事の話をしてくれて、経済の話もよくふってくれた。
…あまり詳しいことは答えられんかったけどな。
でも、一緒に飲みに行くのが楽しかった。
あれが週一の習慣になって、気づけば数百回。
まさか、あいつとサシでそんなに飲むことになるとは、思わんかったわ。
結婚して出て行った後も、昼間は家に来て、飯を一緒に食べてくれた。
「父さん一人にするとボケるから」って、あいつなりに気を使ってくれてたんやろう。
孫の面倒もよく見た。遊び相手にされてたが、それがありがたかった。
自分にはなかった人生を、ちょっとだけやり直せるような気がしたんや。
それから15年。
ある時から、急に、頭の中がうまく働かんようになった。
気がついたらズボンが濡れてたり、信号に気づかんと道を渡ろうとしたり。
「ああ、これが認知症か」と思った。
自分で気づいた時には、もう手遅れやった。
ただ、息子に電話を何度もかけたことは、うっすらと覚えている。
「なんかおかしい」「犬はどこに行ったんや」
でも、あいつも大変だったと思う。
一時、電話が繋がらなくなって、必死で外に出て行こうとしたこともあった。
今思えば、申し訳なかったと思う。
あいつはよく見舞いに来てくれた。
屁をこいたり、酒をねだったりして、迷惑をかけた。
ほんまにすまん。
でも、楽しかったんや。
孫と会えた正月も、どれだけ同じ話を繰り返しても、みんなが笑ってくれて、本当に幸せやった。
…だが、今はもう、ほとんど動けん。
食べる気力もなくなって、点滴に頼るだけの毎日。
拘束されてるのも、どうしてかわからん。
ただただ、怖い。
「助けてくれ」と何度も言ってるが、誰も助けてはくれん。
みんな、優しい顔をして、でもどうにもできんという顔をしてる。
わしは、もう十分やと思ってる。
かみさんに先立たれ、息子に迷惑をかけ続け、楽しいことよりも辛いことの方が多くなってきた。
この先、何を楽しみに生きていけばええんやろうな。
「食えなくなったら終わり」
今が、たぶんその時なんやろ。
…わしは、もう逝ってもええんとちゃうか?
話は母がガンになったところから始まる。
就職と共に家を出て2年ほどして、母がガンにかかっていることを知った。最初はガンと言ってもピンキリだろうと呑気に構えていたら、余命半年も無いらしい。
母が心配していたのは、典型的な昭和世代の価値観をもつ父のことだった。今でこそ男性も家事をするのが当たり前の風潮があるが、私の親世代は全く異なり、母は専業主婦で父は家のことは何一つ出来ないような人だった。
医者の話によると母は半年以内には亡くなる。その後、父がどうなるかを想像すると、
・二人暮らしから一人暮らしになる(下手したら後追い自殺するんじゃね?)
・酒に溺れる(弱いくせに酒飲み)
・まともに食事をしないので体調を崩す(仕事が忙しいと昼食を取らないなどのため痩せ型)
と、ろくな未来が想像できないため、仕事を辞めて実家に帰ってきた。
まだ社会人3年目だったため、不安もあったが、「親の余命が残り少なかったので親と過ごすため仕事を辞めた。親は死んだ」となった場合に次の仕事を探す時に「家族思いの良い人」になるし、たいして不利にもならないだろうという計算もあった。「自分の人生の時間のうち、1年位を母のために費やしてもいいか」という気持ちがあったのも確かだ。
結局、実家に戻ってから2ヶ月ちょいで母は亡くなってしまった。
母が亡くなってからは「やるべきこと」が多くて悲しんでいる暇はなかった。保険やら役所やら銀行やらの手続き。抜け殻になってる父は役にたたないので、全て代行した。その後、実家の片付け。母が居た痕跡を消したい訳では無いのだが、とにかく”母が居たそのままの家”は良くない。父には生き続けてもらわないといけない。時々思い出すのは良いが、感傷に浸りすぎない環境を整えないとまずい。母に思い出の中で生きてもらうのは良いが、父には今を生きてもらわないと困る。このため二人暮らしで家事の分担を決めて、家計の管理をどうするかなどを父に相談し、実際に家事を分担することで、今後、私と二人で生活していくことを想像させた。運動不足の父に散歩を促すように犬ももらってきた。文句を言いながらも犬にねだられて毎日散歩するようになり、身体的には母と暮らしていた頃より健康になった。
生活を立て直している最中に父方の祖父が亡くなった。祖父は母が無くなる前から寝たきりで病院でただ寝かされて”生きているだけ”の状態だった。父は「できる限りのことは行ってほしい」と望んだため、いわゆる延命治療を行っていた。意識もなく寝たきり。胃ろうを行い、無理やり栄養を流し込まれててただ生命を維持されているだけだった。そんな祖父を見て思ったのは「自分はこうはなりたくない。ここまで延命してほしくない」という事。父は普段から「わしは70歳くらいでころっと逝くわ」と言っていて、延命治療などは望んでいない。ただ、それでも自分の親には長く生きていて欲しいらしい。本人がどうしたいかと、自分の親に対する対応のずれに違和感を感じたが私が口を出すことでもないので、何も言わなかった。
あとから考えると、この頃は色々と大変だった。父と二人暮らしになったのだが、私は父の事をそれほど知らない。とにかく仕事人間だったため、子どもの頃の記憶に父が居ない。平日は私が寝てから帰ってきて、起きる前に出社する。日曜は家には居るがとにかく寝ている人だった。小中高と大きくなるにつれ、家族より友人との付き合いのウェイトが大きくなり、父への興味は薄れ、父の事を知らないまま育った。1つ父に関して大きな出来事というと、リストラされたこと。銀行員だったのが関連会社に飛ばされた。何年かは銀行に席を置くが、その後は関連会社の在籍になり、給料がかなりダウンするとの事。私が高校生の頃だったた、家計の心配などに回す頭はなく、落ち込んでいた父を見て、単に「でかい会社は信用できない」という印象だけが残った。この頃から"絶対的な親"というより"それほど強くない一人の人間"として父の事を見ていたように思う。
母が亡くなってからはとにかく父に話しかけた。幸いにも私は仕事で独立できたので、その話。ひとり社長の会社だが、父は独立したことを喜んでくれた。父はとにかく新聞を読んでいた印象だったので、私も日経新聞を読み時事の話などをふった。銀行員だったから経済には詳しいだろうと経済の話をふったら思ったほど知識が無くて驚いたこともある。父との関係は成長過程で作られたものでなく、母が亡くなってから作った割合が大きい。二人で暮らしているので、調理が面倒になると頻繁に二人で飲みに行った。週1ペースでは飲みに行ってたので結婚するまでに父とサシ飲みしてる回数は200回は超えるんじゃないかな?
そこから私が結婚して家を出るが、実家に作業場を残し日中は実家で仕事をしていた。一緒に昼飯を食べにくことで父が一人にならないように気をつけてた。趣味がなく、人付き合いもない父。一人にすると間違いなくボケる。とにかく人と関わらせなければならない。それを言い訳に子育てに使いまくった。自分の仕事が忙しいときは子どもの面倒を頼み、余裕があるときは父と一緒にあちこちに出かけていた。
母が亡くなってから15年経った頃、父の様子がおかしくなった。トイレでしょんべんを撒き散らしていてズボンがしょんべんで濡れている。外出した際に赤信号に気づかずに渡ろうとする。認知症だった。
父に言われていたので、すぐに施設を探した。区の相談窓口に行きケアマネージャーさんを紹介してもらい、入所可能な施設を探してもらう。幸いにもすぐに施設は見つかり入所させた。ここから父の電話攻撃が始まる。自分がどこにいるかわからない父はすぐに私に電話をかけてくる。「なんか部屋が変わってるねんけど」「飼ってた犬がいないけどしらんか」話す内容は毎回同じ。1ヶ月の電話の回数をカウントしたら150回を超えている。1日5回のペース。精神的にかなりきつい。余裕がある時は普通に話せるのだが、仕事が詰まっている時に電話がかかってくると本当に切れそうになる。こちらがまいってしまい一時的に父の電話を着信拒否したら、施設を出ていき行方不明。幸いにも警察に保護されて無事だったが、電話の拒否もできなくなる。結局、電話攻撃が落ち着くまでに1年以上かかった。
定期的に見舞いに行き外食に連れて行っていたが、認知症が進むと父を外に出せない。ランチで寿司屋に連れて行ってる時にゲップ、屁をこく、しつこく酒をねだるなど、行動が制御できなくなっていく。医者に酒量をコントロールするように言われているので、日本酒1合で止めるが、我慢ができない父。大将に「飲ましたりーや、可愛そうやで」と言われたのには本当にムカついた。結局、コロナの流行もあり、外食するのも止めた。このあたりで「父はなんのために生きているんだろう」と考えることが多くなる。妻をなくし、好きだった酒もタバコも私が止めさせ、美味しいものも食べに行けない。残っている楽しいことは、正月などに孫と会えるくらいだろうか?ただ、認知症が進むに連れ、会話ができなくなる。短期的な記憶ができないため、会話が続かない。「(孫の名前)、もうこんな大きくなったんや」という話が10分おきにループする。孫側からしても会話に付き合うのが大変だと思う。それでも家族が集まって賑やかな状態の中に居ることが楽しそうには見えていた。楽しませることが出来て良かったと思ったまでは良いんだけど、施設に戻るのを本気で拒否して声を荒げられるのは勘弁してほしい。
この後、脳梗塞、大腸がんなどがあり、その都度「ああ、もう寿命かな?」と思いつつもなんとか生きていたのだが、少し前に大腿骨を骨折して動けなくなった。肺炎などを併発してなかなか骨折の手術が出来ず、ベッドに寝たきりになってる間に筋力が極端に落ちた。肺炎が収まり骨折の手術は出来たが、食欲が戻らずほとんど食事をしていない。延命治療を拒否し胃ろうは行っていないため、現在は点滴にカロリー摂取を頼っている。点滴の管が太いために腕からではなく、首に点滴の針をつけている。認知症の父に状態が把握できるわけもなく、意図せず外そうとしてしまうため、手を拘束せざるをえない。見舞いに行くと部屋に入る前から「助けてください、助けてください」と父の声が聞こえる。自身の状況が把握できず、拘束されているのは本当に怖いと思う。非人道的だと思うが、看護師さんからしてもどうしようもない。説明をしても5分すれば忘れる。誰かが立ち会っている間は拘束を解いて問題ないため、見舞いに行き拘束を解いて状況を説明しているが、私が帰って5分すれば忘れてしまうのだろう。何年かの間に、私も同じ話をすることにすっかり慣れてしまっていた。
父の状況を見て、自分が将来、安楽死する方法を調べていた時に知ったのだが、日本でがん患者などが自死しようとする場合は餓死する方法があるようだ。水分だけを取り、食事をしないと体を動かすためのエネルギーが足りず、緩やかに亡くなるらしい。
「食えなくなったら終わり」と父本人が言っていて、今すでにその状況にある。何らかの病気の対応のための一時的な絶食ではなく、本人が食事を拒否している状態。カロリー摂取のための点滴を止めれば、父は緩やかに亡くなるだろう。
もう死なせてあげて良いかな
追記:
認知症になった後の治療行為が全て延命か?と問われると難しいです。
大腸がんになった際にかかりつけ医に相談しましたが、そのまま放っておくと腸閉塞になり苦しむことになると聞きました。今回の骨折も、理想的な話をするのであれば、すんなり手術が済み、リハビリが順調に進み、骨折前の生活に戻る可能性もあったと思っています。尿路感染もあったため、救急で運ばれた病院で「延命治療を望むか?」の確認をされ、本人も家族も望んでいないことを伝え、胃ろうはしないで欲しいことを伝えました。その際に「途中で止めれない治療、止めることが殺人になってしまう治療は行わないで欲しい」ことは明確に伝えています。骨折の手術のため、一時的に食べれなくなる事はあると思いますし、その間に栄養を点滴に頼ることもおかしいとは考えませんでした。点滴を取る可能性に関しては担当医に相談し「医師としては勧めれないがそういう判断もおかしいとは思わない」と回答を頂いています。このため、法的に点滴を外すことは可能と考えています。(このあたりは対応してくれる医師とそうでない医師がいるのでは?と推測しています)
両方ですね。自身の判断が客観的にどのように見られるんだろうというのを知りたかったので、ある程度目に止まるようにキャッチーなタイトルを付けました。ただ、自身の判断や行動が人の命に関わるのに、それを直視せず、柔らかな言葉に変えて誤魔化そうとする事が単純に嫌でした。母の時は気づいた時には手遅れで、運命だとか、体調が悪いのにきちんと病院に行かなかった自己責任だと思いながらも、ほとんど恩返しのような事が出来なかった心残りがあります。父に関して単純に流されるままに医師の指示に従うということもできるとは思いますが、最後まで向き合い続けるほうが、自分の心残りが少なくなるのでは無いかと考えています。
心配頂きありがとうございます。ただ家の事は何も出来なかった父ですが、そういう時代に生きた人なので、そこに対して何か不満もなく、搾取されているとも思わないです。介護の話だけを取り上げて書くとしんどい話ですが、子どもが生まれた事を喜び、友人と飲み会にも行っているので、自分の人生にはそれなりに満足はしています。
しんどくて、やりたくないならやらなくて良いと本気で思っています。実際に動いてみて思ったのですが、幸いにも今の世の中それなりに福祉サービスは充実しています。関与したくないならできる限り関与しない方法を探せば良いです。例えばですが、私はシモの世話はやりたくないですしアクシデントを除いて対応したことはないです。目の前のことにいっぱいいっぱいになってる人には、周りが逃げる方法を教えてあげてほしいです。あとできれば、介護している人に対して「かわいそう」、「ちゃんと面倒みたってな」というような言葉は本当に心をえぐるので避けて欲しいです。
優しくかわいい娘と思って読んでた方、すみません。中年のおっさんです。意図的に男女をわからなくしたつもりはなかったんですが…
https://anond.hatelabo.jp/20250610200055
こちらは人かAIかの創作だと思いますが、ある意味救われます。こう考えていてくれた良いなと
追記2:
救命救急の病院から療養型の病院へ転院し、1週間様子を確認しましたが、回復の見込みは無いと判断し、点滴(中心静脈栄養)を中止しました。
末梢静脈栄養への切り替えも考えましたが、父を長く苦しめることになるだけだと判断し、何もしない状態で父を見送ります。
Permalink |記事への反応(40) | 00:04
まあ色々言われてはいたしそれはわかるんだけど
バカが言う地頭とか頭のいい人間はどうとかではない、数字が扱える、普通の学問の話がわかると言う意味ではキレる人だったとおもうんだが
https://news.yahoo.co.jp/articles/583efaf3599add9dd1ab2f20cafc03f9524319dc
私がマッキンゼーにいた頃は、入社後は毎年20%ずつクビにするという厳しい条件を提示し、それを受け入れた人だけ採用していた。つまり、入社5年後に生き残れる確率は20%だったのである。
え?毎年20%なら32.768%だろ
元の20%ってなら6年目は0%か?違うだろ?ちーがーうーだろ!
バカ向けの嘘だとしてもこんなのよっぽどのバカじゃないと一瞬で違和感感じるってわからないのズレすぎだろ
他にも名目GDPが上がってないから労働生産性は上がっていないとか(円が下がってんのにGDP下がってないんだから上がってる)、労働生産性が低いから名目賃金は日本の“1人負け”だとか(円安なら低いにきまってる)ちょっと算数のレベルでやばい話がおおい😅
これもうボケてるだろ
俺は宮迫がアメトーーク!で一回だけ出た時、周りとコミュニケーションが全く取れなくなってたのに心底驚いた。
宮迫の場合は人間の心理が理解できていない、それっぽい感情の動きをエミュレートしていただけ、というのもあるがやはり長期間現場を離れたというのも大きかったんだろうな。
ダウンタウンはどうなんだろう。
浜田はともかく松本は表舞台に立つ人間とは全く交流していないだろう。
かつての人脈を使ってまともなトークが出来るんだろうか。
老人が独居になった途端急激にボケるみたいな現象が彼にもあるんだろうか。
キャスは「経済は成長することよりも、人々の生活を支えることが重要だ」という立場を取っている。
とくに「意味ある労働」と「家族の安定」を最優先に考える。そのためには、たとえ効率性やGDP成長が多少損なわれても、国内の製造業や雇用を維持する方が大事だという。
この考え方を推し進めると、メリトクラシーを全否定してクメール・ルージュ的原始共産制を実行するほかないんだけど、要するに「見捨てられた白人」は全世界を道連れに等しく貧しくなることを求めてるわけよ。
トランプはどうせあと10年で死ぬかボケるかするわけで、その後のことなんか知ったこっちゃないからそれに手を貸してるし、イーロンは火星で一人寂しく死ぬのが理想だから別に個人資産が融けようがどうでもいい。
そんな連中の巻き添えはごめんだから反対してるわけ。
どうか知恵を貸してほしい。
飯を食べたかも忘れるし、ついさっきした会話ももちろん覚えてない。孫の名前こそ忘れてないものの、たぶんもう区別はついてない。
幸い今のところ徘徊もなく、元々一日中ずっと大人しくテレビを見てるタイプだったし、デイサービスにも大人しく行ってくれる。祖母がボケたこと自体はそんなに困っていない。
祖父は活発なタイプで、老人会で軽スポーツをしたり趣味で畑を借りて野菜や果実を作ったりをずっとやってきた。流石にもう歳も90近く、管理し切れないので家族の説得でようやく畑は去年で終わりにした。
車での旅行も好きで、この年代にしては珍しく家事もやるタイプ、というか祖母に家事をやらせないタイプ。とにかく自分が動いていたい人だった。
祖母がボケる前は本当に仲のいい夫婦で、本人もそれが嬉しかったと思う。
だけど祖母がボケてから、会話が成り立たないこと、祖父の思う通りに祖母が動かないことに祖父が切れるようになった。
ボケてる相手に切れても仕方ないと説いたところで、祖父もボケてないだけで柔軟さはない頑固老人なので納得しない。祖父が怒るから祖母も怖がる。
実家は祖父母と両親の4人暮らし。自分含め孫は全員家を出てる。両親はまだ現役で働いてる。前述のとおり畑を辞めたのもあって、家には祖父母が2人でいる時間が長い。だから余計に祖父もイライラするんだとも思う。
おそらく祖父自身も、祖母を鏡にした自分の衰えに対する苛立ちや不安があるんだとも思う。
帰省した際に祖父の運転する車に乗ったんだが、一時停止無視で右折しようとしてあわや正面衝突で死ぬかと思った。車の鍵やスマホもトイレに置き忘れてきたりもする。
本当は免許返納させたいが、ど田舎ではないものの車がないと不便な地域なのと、今のタイミングで車を取り上げて祖父母がより長く2人になる時間を作るよりはマシかと先延ばしになってる状況。
昔ドライバー仕事をやってたプライドもあるのか、本人は90超えても免許更新出来る限り運転し続けるつもりでいる。
前置きが長くなったが、どうにか祖父母のストレスを和らげたい。出来れば2人一緒にいる時間をなるべく減らしたい。
祖母に向かって死ねという言葉が出てくる時点で、祖父も限界なんだと思う。
祖父が運転せずに済む方が嬉しいが、運転せざるを得ないならそれも仕方がないと思って受け入れる。
老人会の活動頻度は知らないが、会の中でも祖父は特に高齢ぽい。
祖父には生きがいとかやり甲斐を与えて日々を過ごしてもらいたいが、何かアイディアは無いか知恵をお借りしたい。
祖父本人は畑を再開したいと言うが、1人では管理し切れないし両親も自分も手伝える環境には無いのでなるべく他の案を探したい。
同じような悩みを辿ってきた人はいないだろうか?助けてほしい。
【追記】
反応もらえると思ってなかった。ありがとう。
畑はうちの庭先にあるわけじゃなくて、他人様の土地を間借りしてるから車で行ってた。大きな畑の一角を借りてて、隣接する区域は他の人が借りている場所になるから管理し切れないと迷惑をかけることになる。要は以前みたいな規模では出来ないのに同じようにやりたがるから問題だったんだ。
実家の庭で出来るプランター規模での家庭菜園とか勧めてみようかと思う。
ゲームはゆるめに禁止の家庭だったから馴染みが無いので、おすすめのソフトなどあれば教えてほしい。
免許更新はさせたくない。どうにか人を轢く前に自損で事故って運転辞めてくれないかと思ってる。でも自分は実家出てて、実際に面倒見れるわけじゃないからあまり強くも言えてないんだ。情けないけど。
Permalink |記事への反応(26) | 08:49
妻と付き合ってる頃から頻繁にジョーク言ったりしててさ、その度「なんでやねん!」って妻が軽くツッコミを入れてくる。
今年で結婚8年目。
妻は「なんでやねん!」って変わらずツッコミしてくれるんだが、その強さが年々強くなってる気が。
体型は当時とそれほど大きくは変わってないはずなんだけど、なんだろう…最近のは逆水平っぽいんだよ。
それも腰の入った逆水平。
先日の風呂上り、裸のまま頭に眼鏡を乗せて「あれ~?眼鏡どこ?」ってボケたら妻が「なんでやねん!」と俺の胸にチョップした。
バチンっ!!って鋭い音してさ、一瞬息が止まった。
そのあとあははははって二人で笑ったけど、くっきりと胸に残った赤い痕は三日間取れなかった
たまにいるじゃん、「私がこう思ってるんだから世間もみんなこう、そうじゃないやつは悪魔憑きか人非人、否定してくる奴は悪魔の手先で、否定されるのは私が正しいことの証明。どんな手段を使っても私の正しさを伝えなければ。私が何を言ってもこれは正義の暴力暴言なので加害じゃない」ってタイプのやつ。あれの最上級が母親だったから、ガキの頃は世間ではそういうのばっかりなのかと思ってたけど、普通に生きてりゃ全然そうじゃないって思えた。その後ネットが発達して、全く居ないってわけでもないってわかった。
母親っていう超猛毒のワクチンがなかったら、世間にマジで話しても無駄なそういう奴がいて、関わってもストレスが増えるだけで全く意味がないってことに気付けなかったかもしれない。Twitterにそういうのが居てもスルーできる。母親がいなかったら、レスバを仕掛けていたかもしれない。どんな底抜けのバカがいて、どんな底抜けのバカな主張をしているのかを毎日のようにサーチしていたかもしれない。そしたら私もその底抜けの狂気に飲まれていた。かもしれないじゃなくて、多分飲まれてる。今の私は「あ、これは母親だ。日本語っぽい文字列が書いてあるけど、書いてあるのは「私は絶対に正しい」しか意味を持たないワードサラダみたいなものだ」と1歩引けるようになってて、このインフォデミックの世界に対するワクチンにたまたま母親がなってしまった。
ありがとうな母親、ボケる前に死ねとか恨み言も言いたいところだけど、もうボケてるようなもんだったな。このまま適切な距離感で、できれば葬までかかわらないようにしたいな、これ以上嫌いになりたくないし。悪魔憑きを産んだ責任は不問にしてやるよ。