
はてなキーワード:ホームシックとは
33歳独身男性。来年1月から福岡から鹿児島に転勤します。会社は天文館?のあるエリア。たぶんその会社近くに住むと思う。
33年間、福岡以外で生活したことないから超緊張。まだ行ってもないのにホームシック。
お願いがあります。
ポジティブなこと、ネガティブなこと。どっちでもいいから「鹿児島のこれは知っとけ」みたいなこと教えてください。鹿児島市のいいとこ・わるいとこ、どっちも知りたい。
個人的に楽しみなのは鳥刺しと魚。どっちも大好きだからスーパーに行くのが楽しみ。
逆に不安なのは車社会アンド芋焼酎の国なのに、俺がペーパードライバーで下戸なこと。これは福岡でもコンプレックスだった。でも鹿児島は余計に風当たりが強そうでビビってる。北朝鮮で生配信する迷惑系ユーチューバーくらい嫌われたりしない?大丈夫?
引きこもりだから友だち作れるかも不安。地元にいる今でさえ周りが結婚して孤独になってたのに、見知らぬ土地に行くんだもんね。
やっぱ知らないコミュニティに入るから、我を捨てて受け入れてくださ〜いって、やんなきゃダメだと思うんですよ。でも33年も同じ所にいちゃったから「自分の地元だとこうっすねえ〜」みたいな、向こうの人がいちばん嫌な感じを出しちゃいそうで怖い。前に出会った東京から来た人の「東京はすごいんだぜ」ムーブがガチで無理で。本当にこれだけはやらんように気をつけたい。
鳥刺しと黒豚と白熊いっぱい食べて、芋焼酎も飲む。温泉もめいっぱい入る。鹿児島を本当に好きになる。予定です。鹿児島の人、よろしくね。4DXを観られる映画館が鹿児島市内に1館もないのはちょっと挫けました。
安倍晋三の祖父の安倍寛は東京帝国大学法学部、父の安倍晋太郎も東京大学法学部。
代々政治家で金持ちだし、東大一家だから、きっと課金しまくったんだろ。
小学校時代に東大生の家庭教師(平沢勝栄)つけられてたんだし。
あんだけ金持ちだったら、裏金詰みまくれるし、あの時代だったら国公立だって裏口とかあったと思う。
私学だったら選び放題だろ。
1人入学させれば政治家とコネクションを得られるだから、よっぽど成績が悪くなければ一般入試の点数にゲタ履かせてくれると思うんだよな。
よっぽどの馬鹿でなければ、早稲田も慶應もMARCHも選び放題だよ。
岸家に養子に出された実兄(岸信夫)は慶應義塾大学経済学部だからさ。
で、結局エスカレーターの成蹊にしかいけなかったんだから、こいつだけよっぽどだったんだよ。
卒業後に留学ってのも、修士でもMBAでもなく、ただの語学留学で、少しだけ大学の科目聴講生しただけだろ?
言葉が通じなくてホームシックになったというから、語学もダメっぽい。
法学部政治学科卒で製鉄所の工務課なんて電話番しか出来ねーよ。
受験勉強の落ちこぼれ、語学もダメなら、サラリーマンとしてもイマイチ、そんな彼でも、打席に立ち続ければヒーローになれた。
やっぱ、一番は家柄だね。
子宝に恵まれなかったし、最後銃殺されちゃうし、幸せだったかどうかはわかんねーけど。
たぶんだけど、大川隆法総裁んとこみたいに、東大以外大学じゃないみたいな家だったと思うよ。
その時は晋三28歳、良い歳した社会人なのに、親が役員に凸電して辞めさせるってすげーよ。
そんで、秘書官っていう形で首輪つけられて、親が外務大臣を退任と同時に秘書官も退職。
秘書官もしてないわまだ当選もなんも立候補もしてないわの状態で、森永の社長令嬢と婚約。
完全に親のオモチャ。
秘書官を辞めた86年から初当選までの93年までお前なにやってたのよと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89
経歴
ルー・リード(1942-2013)は、ロックミュージシャン(シンガーソングライター、ギタリスト)。
ニューヨーク郊外で会計士を営む実家に生まれ、シラキュース大学では英米文学を専攻し、伝説的な作家デルモア・シュワルツに師事しながら、ギターを持ち、B級レコード会社のために流行にのったヒットソングのパクリのような曲を提供していた。
この頃、同性愛(極度のホームシックによる鬱症状という説もある)治療のために家族の手配で電気ショック治療を受けさせられる。
1964年に伝説のロックバンド「ヴェルヴェットアンダーグラウンド」のメンバーとしてデビューし、ショッキングな歌詞と前衛的な演奏でカルト的人気を博した。
1970年代にはソロに転じ、前半はデヴィッドボウイのプロデュースした「トランスフォーマー」で、グラムロックの代表的ミュージシャンとして活躍した。お笑い芸人「HG」のルックスはこの時期の彼に影響を受けている。
徐々に黒人音楽に傾倒し70年代後半はドンチェリーらと組んでフリージャズとファンク、ラップのような歌が合体した奇妙な作品を出し、軽い混迷期に入った。
80年代以降はシンプルな4ピース(ギター×2,ベース、ドラム)の骨太の演奏に語りのようなモノトーンな歌い方を乗せる方法論が定着し、「ブルーマスク」「ニューヨーク」などとっつきづらいがくせになる名盤を作った。
その後セールスは低迷し、本人も70年代後半のような実験的・音響的な方向に傾倒し、2000年代中盤以降新作はリリースされず、2011年に突然、スラッシュメタルの大御所メタリカと共作アルバム「ルル」を作ったが、長尺でラフな演奏にメロディがほとんどない歌声が乗る(しかも一曲が長い)作品は、特にメタリカのファンから酷評された。2013年に肝臓癌で死去。
作品紹介
この詩集は生前に発表された唯一の詩集(多分)で、彼の歌詞と、雑誌に発表した詩・記事からなる。
詩の魅力
ボブディランのような多義性・はぐらかしや、レナードコーエンのような崇高さとは異なり、ルー・リードの歌詞は明確、即物的・客観的で、感情を乗せない、観察者的な視点が特徴である。言葉遊びも少ない。
テーマはショッキングなものが多いが、それが詩の構造・精神にまで侵食せず、あくまで象徴として機能しているのが魅力で、それゆえ、声を張らなくても、メロディを工夫しなくても(楽曲のほとんどが2~3コードで作られている)、演奏を盛り上げなくても、聞き手に迫る。
薬物
代表作「ヘロイン」は文字通りヘロインについて歌った作品であり
「ヘロイン/ぼくの死であれ/ヘロイン/ぼくの女房でぼくの人生」
と、その表現は率直で容赦ない。
ただ、ヘロイン自体の直接的・具体的な描写はなく、これは読み手(聞き手)には、自分が愛着をもち、人生の代替となる「何か」と置き換え可能な普遍性を持つ。
「ぼくは彼女がスコットランドの女王メリーだと思った/ものすごく努力したのに/まったくの勘違いだとわかっただけ」
と、ここだけ読むと幼稚なほどロマンチックな失恋の歌なのだが、最後に
と突然血なまぐさくなる。
一見強面・ハードな印象のある作者だが、薬物以外に拘りがあるのが「家族」で、例えば、
「おふくろに恋人ができた」という歌は、
「おふくろに恋人ができた/昨日やつに会ってきた/おふくろが新しい人生の1ページを始める/やつとの関係が早く終わってほしい」
「妹へ」という歌は
「元気が無いって自分でもわかっている/このところ調子が良くないからな/でも信じてくれ/ぜんぶおれのせいだ/おれはずっと自分の可愛い妹を愛してきた」
とストレートな愛情を歌っている(妻を歌うときにこのような率直さはない)。
79年のアルバム「ザ・ベルズ」は控えめに言っても駄作だが、最終2曲が秀逸で、
「おれは家業なんていらない/あんたが死んだってそんなもの継ぎたくない」
「パパ/こうやって訪ねたのは間違いだった」
と歌う「家族」(ルー・リードは父親を憎む発言を繰り返し、生前最後のインタビューでも「親父はオレにそんなクソ(注:ギターのこと)はよこさなかった」で締めた。)
に続き、
「宙を舞い/体をつなぎとめるものもなく/宙を舞い/膝から地面に落ちた時/パラシュートなしで公演するのは/あまりかっこ良いものではなかった」
と夜のブロードウェイでの飛び降り自殺を描く「鐘(The Bells)」で終える。
好きな理由
露悪的ではあるが、情緒に頼るところはなく、自分のことを歌っているようでもどこか第三者的な目線を感じる。その透徹したところが魅力で、苦しさややるせなさを抱えていても、読むと「ふわっと」自分から離れられる不思議な癒やしが感じられる。
自分の気持ちを抑えられないほど悲しいときや辛いときに読むと、不思議な浄化作用を得られる。
自分が好きな歌詞は、本当に悪趣味なのだが、「黒人になりたい」という歌で、
「黒人になりたい/ナチュラル・リズムを身につけて/6メートル先まで精液をとばし/ユダヤ人のやつらを痛めつけてやる」
という、人によっては噴飯ものの歌詞だが、リズムの良さと話題の飛躍に、どこか英雄に憧れるおとぎ話めいたユーモアがある。
そして、ルー・リードがユダヤ系アメリカ人であることを念頭に置くと(そして、本人がそのことを歌で一切明かさないことを含めると)、この人の自虐性とユーモア、という側面も見えてくる。
読み手/聞き手によって評価は異なるが、自分にとっては、「毒」を浄化してくれる「毒」(=解毒剤)だと思います。
以上
参考資料
(書影)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309257501/
(楽曲)
(heroin)
https://www.youtube.com/watch?v=yN-EZW0Plsg
https://www.youtube.com/watch?v=mEuShdchzkk
(families)
https://www.youtube.com/watch?v=JXbu4z2kc6s
(I wanna be black)
https://www.youtube.com/watch?v=H-ksg_ZVn8s
(sad song)
https://www.youtube.com/watch?v=QG_ooIR0DTY
https://www.youtube.com/watch?v=ZbOG-2ahx4w
(the bells)
①
そうだ。俺の述べたような基本的な論点を踏まえて、それぞれが工夫をしている。日本でもしている。
チャレンジしていることは後退ではない。全くそうだ。日本でも後退などしていない。
日本以外の国でみるニュースが面白い? そうかそうか。日本で面白いニュースは見たことが無く、所外国では面白くないニュースは見たことが無いか?
海外に汚職は無く、海外の経済政策は完璧であり、海外の理論だけが正しく日本の努力は何の成果も出しては無く全てフリーライドで、日本人で政治をまともに語っている人間はお前以外に存在しなくて、すべての日本人よりおまえは優れた存在である。
そんなわけがないだろ。
「俺以外の全部」の言い換えで「日本」とか言うな。
俺の予想だが、お前は恐らく現実には海外に普段から行ってなど居ない。出羽守でいられるのは、海外のことを知らないからなんだよな。日本食食わなくてホームシックにならないし、フランスでスリにあったり、アメリカのテレビのCMのタイミングに辟易したりしたことないんだろう。外国語も喋れないし書けまい。まあ予想だからどっちでもいいけどな。そんなことより、海外に関するわけわかんねー政治社会状況の認識よ。
②
「趣味」に時間を費やしている人たちだ。「趣味」の内容がたまたま政治であり、社会で有益とされているだけだ。お前も、残業していようが関係ない。暇人だ。休日があり、終電前にアフターがあり、その時間を政治に使うことができる。
ここで言う「暇」とは、夏休みのおばあちゃんちでゲームを持ってない学生の台詞じゃあないんだよ。分業によって産まれる余暇時間のことだ。この余暇時間に、子育てするし、筋トレするし、病気療養するし、ゲームするし、友達との絆をはぐくむし、中にはデモに行く奴もいる。なんでもいい。それは人生だし。
ここですべての人間が余暇を政治に使ってるようじゃ、むしろ社会は困るんだよ。誰が子育てをするんだ? お前みたいな筋トレしてないヒョロヒョロに全員なったら誰が重い荷物を持つんだ。いろんな奴がいるからいいんだ。それが分業だ。
③
政治に大衆全員が興味を持ってないのが現実で、現実ではない理想にならないのでクソだ、とお前は言ってるんじゃないのかよ。
まあ、啓蒙によって少しでも理解をもってもらおう、という方向性はいい。それはすればいい。
だがそのためには、お前の言動はじゃまだ。
「おまえらはバカ」と主張したら、興味を持つと? やめろバカ。
しかもお前は自身がどちらかというとバカ寄りだ。政治コミュニティに参加して旧交を温めるのもいいが、もっと本とか読んだほうがいいぞ。
ChatGPT に聞いたら「スタートエフェクト」は割としっくり来た
この現象に独自の名前をつけるとしたら、以下のような候補が考えられます:
旅行の初日に特有の落ち込み感や不安感を表現するシンプルな名前。
### 2. **「旅先逆ホームシック」**
ホームシックの逆バージョンとして、新しい場所で家が恋しくなる感情をそのまま表したもの。
### 3. **「到着メランコリー」**
「到着」した瞬間の感情と、「メランコリー(憂鬱)」を組み合わせた表現。
旅行に行くことで生じる期待と現実のギャップや疲れからくる心理的反動を示唆。
新しい環境にまだ順応できていない段階で感じる不安感をそのまま表した名称。
旅行のスタート時に生じるネガティブな心理的現象にフォーカスした名前。
どの名前もそれぞれのニュアンスを持っていますが、シンプルで分かりやすい **「初日ブルー」** やちょっと専門的な響きの **「到着メランコリー」** は覚えやすいかもしれませんね。どれがしっくりきますか?または、他にアイデアがあれば教えてください!
子供の頃、両親が不仲だった。
毎日の言い争い、俺への八つ当たり(罵声、皮肉etc.)が日常だった。
それが苦しくてね。
最初は理不尽なことには言い返したりしていたが、怒りに怒りで返せばヒートアップするだけ。
そのうち感情を無にして、その場に存在しない空気になることで日々をやり過ごすようになった。
早く大人になって、誰にも八つ当たりされない安全な生活をするのが夢だった。
社会に出て一人暮らしをしてみると、初めて安息を得た気がした。
いきなり怒鳴られることがないって素晴らしい。
ホームシック?なにそれおいしいの?
周囲の友人から寂しくないの?彼女作らないの?と頻繁に言われた。
俺は子供の頃に家の中で空気になることに徹した結果、寂しいという感情が無くなっていた。
が、知り合いの伝手で彼女ができた。
彼女は一人暮らしで、よく寂しいと言っていたが、その気持ちは正直よくわからなかった。
それでも何とか合わせていたが、自分の家族の幸せな話をする彼女と一緒にいることに段々違和感というか罪悪感のようなものを覚えて結局別れた。
また一人に戻ったが、やはり一人の空間は安心で、それ以上を積極的に求める気にならなかった。
時が経ち、心身の異常でサラリーマン生活からドロップアウトしてしまった。
彼女の家は裕福で、義両親は心にも余裕がある良い人たちだった。
何度も食事に誘われ、色々な話を交わすうち、ああこれが家庭なのかな?と微かな嬉しさを感じた。
周囲に子育ての話が多くなった。
一人のときは赤ん坊を見ても何も感じなかったが、とてもかわいいと思えるようになった。
街を歩けば小さい子が目につく。自然と笑みが溢れる。
そして、寂しいという感情が復活した。
同時に色々なことが苦しくなった。
昔は罵声を浴びない一人暮らしができただけで幸せを感じたが、今はそのような環境など当たり前になってなにも感じない。
それより子供のいない寂しさ、サラリーマン生活からドロップアウトしてしまった虚しさ、過去に付き合った人やそのような関係になる直前だった人たちの気持ちを汲んであげられなかったことへの申し訳なさ、若い頃にもっとこうすればよかった、ああすればよかった、と一挙に後悔が湧き出てきた。
昔は一人暮らしできただけで心底満足だったんだけどな。
ベジタリアンとしての生活は、まるでスパイスのないカレーのように思われがちですが、実際は全く逆です。
私たちの食生活は、色とりどりの野菜、豊かな味わい、そして創造性に溢れています。
そして、時には、ホームシックのような感情さえも、美味しい一皿で癒やすことができるのです。
例えば、ある日、私は大豆ミートを使った「フェイクチキンカツ」を作りました。
見た目は本物のチキンカツそっくりですが、味は...まあ、正直言って、チキンカツとは程遠いものでした。
しかし、これが面白いところで、この「フェイクチキンカツ」は、私の家庭の味を思い出させてくれたのです。
なぜなら、私の家庭では、チキンカツはいつも少し焦げていて、ちょっと硬かったからです。
また、ベジタリアンになってから、私は「野菜のステーキ」に挑戦しました。
ズッキーニ、ナス、トマトを厚切りにして、オリーブオイルとハーブでマリネし、グリルで焼きます。
最初は、これがステーキの代わりになるとは思えませんでしたが、食べてみると、そのジューシーさと風味の豊かさに驚かされました。
肉のステーキもいいですが、野菜のステーキもなかなかのものです。
そして、ベジタリアンの最大の挑戦は、やはり「ライスカレー」です。
カレーは、多くの文化で愛されている料理であり、そのバリエーションは無限大です。
私が作るライスカレーは、トマトベースのソースに、レンズ豆、ひよこ豆、そして山盛りのスパイスを加えたものです。
一口食べれば、その辛さで涙が出そうになりますが、それがまたクセになるのです。
ベジタリアンとしての私たちの旅は、時には孤独で、理解されないこともありますが、それでも私たちは、自分たちの選択を誇りに思い、美味しい料理を通じて、新しい発見を楽しんでいます。
だから、次に誰かが「ベジタリアンになると、何を食べるの?」と聞いてきたら、笑顔で「想像力と創造性をたっぷりと」と答えましょう。それが、ベジタリアンの真髄ですから。
BUMP OF CHICKEN TOUR「ホームシック衛星2024」名古屋公演2日目に行ってきた…のだけれど。
魂を浄化するはずのバンプのライブでこんな絶望的な思いをするとは思わなかった。
バンプは何も悪くない。
ライブ中、アリーナ席の通路をずっと歩いて巡回しているのである。それが気になってライブにまったく集中できなかったのだ。
「あなたが敏感すぎるんだ」と思われるかもしれないが、たとえば映画や舞台を想像してみてほしい。
世界に入り込んでいる者にとって、動く人間がどれほど目障りな存在なのか。感覚としては「映画館でスマホの画面が目に入る」、あの感覚が非常に近い。
しかも見ている相手は「冷静な人間」。感傷に浸って泣いたり叫んだりしている姿を、シラフの人間が見回りにくるというのはなんとも居心地の悪いものである。
「来やがった」「次はいつ来るんだろう」……そんなことを考えている間にライブは終わった。せっかくのライブが憎しみに染まってしまったのだ。
最も大きな問題は「いったい何を警備しているのか」ということだ。
視界を遮り、鑑賞のジャマをしてまで歩き回って何を見張ることがあるというのか。
こうした巡回スタッフを目にするようになったのは、コロナ禍に入ってからだと思う。少なくともそれ以前にそんなことを思った記憶はない。YOASOBIや最近の乃木坂46のライブでもそういうスタッフはいた。
YOASOBIのライブでは「スマホで静止画撮影OK」「動画はNG」だったため、動画撮影している者に注意する、という意味はわかる。
乃木坂46のときはマスク着用が義務付けられており、「マスクを外す人を監視するため」という理由も理解はできる。
今回のバンプは何なんだ?
定期テストの不正を見張るように、歩いて監視しなければならないほど低い民度なのか?
端の席だったこともあり、通路側に席から少しはみ出ていることを巡回スタッフに注意されたりもした。
自分の他にも注意されている人がいて、胸が痛んだ。ノリにノッているところに水を差されているのを見ると、関係ないこちらまで悲しくなる。
注意されて気分を下げることのほうがよほど迷惑行為じゃないんですか?
なんでそんなに見張られなきゃいけないんですか?
なんでそんな注意されなきゃならないんですか?
仕事がクビになったら困るからやめたけど、そんなことを考えるくらいには腹が立っていた。「前から7列目」という大当たりの席だったから、大声で叫んだら藤くんならわかってくれないかな、なんて思ってみたり。
ライブ中にそんなことを考えている時点で「楽しんでいない」よね。
最近は相手の気持ちを想像できない人間が本当に増えたと思う。何をしたら誰がどう嫌な思いをするのかに思いが至らない。
そしてその奥にある、見えないものを感じ取れ。
藤くん、助けてくれ。
仕事の都合で某県某市に引越してはや数日、しっかりとホームシックに罹った。
これまでに住んだことがあるのは以下の3つの街。
・関東某市
・某海道某幌市
これまでに住んだ3つの街はどこも住みよい街だった。
関東某市は海あり山あり田園あり、駅前の商店街には今なお活気の衰えない老舗の店々が軒を連ね、図書館や博物館、美術館なんかの施設も充実していた。公共交通機関も発達しており、非常にバランスの取れた街であったと思う。
某政令指定都市は東京へのアクセスのしやすさは言わずもがな、街自体の魅力も十二分だった。電車で数駅とかからず商業施設の集まる街に行けるくせに、自宅近くの小高い丘に登れば、木立の向こう側に素晴らしい夕陽を眺めることができた。
某幌市についての説明は不要だろう。東京からの距離こそあれ、大抵のものはこの街で揃う。米津玄師のツアーだって来るし、ジャンプショップだってパルコにできた。新幹線はまあ…待ってればそのうち来るだろう。何より雪と氷がとにかく美しいのだ、あの街は。
話を戻そう。
現在の街に引越してきてまだ数日だが、街の雰囲気がどうも肌に合わない。なんと言おうか、人の気配というか、文化の香りが極端に薄いのだ。
戦後の人口爆発に伴って山を切り開いて開発したような、歴史の浅い街だ。人口はそれなりにいるはずなのに、公共交通機関が驚くほど発達していない。卵が先か鶏が先か分からないが、人々はみな車で移動し、道路の車線数ばかりが多い。
別に、車で移動することは構わないのだ。
何が肌に合わないかと言えば、車通りはめちゃくちゃに多いのに、それなのに、生きている人間の気配があまりにも薄いことなのだ。
延々と真っ直ぐに伸びる道路。道の脇には街路樹のひとつもなく、チェーンの飲食店やら、だだっ広い敷地のカーディーラーやら、巨大な平屋建てのドン・キホーテだのが間隔を空けて立ち並ぶ。そして店舗と店舗の隙間を埋めるような、手入れのされていない灰色の土地。
どこまで行っても誰も歩いていない。かたや、意思があるのかどうかも分からない自動車たちが片側2車線の道路をかっ飛ばしていく。どこまで行っても同じ景色。気が狂いそうだ。
先の記述を見てもらえば分かると思うが、自分は人が紡いできた文化だとか、人の手の入っていない(あるいはほどほどにきちんと手入れされた)花鳥風月だとか、そういうものが好きなのだ。
引越してきたこの土地にはそれがない。あるのかもしれないが、自分の嗅覚では知覚しきれない。
ああ、帰りたい。
どこに帰ろうか。某幌のスープカレーが食べたいなあ。
20になって数ヶ月が経った頃、まだ実家暮らしだった僕は池袋の水族館に行くために前日
料金は7000円
思ったよりも部屋は広くて、ベッドも大きくてふかふかだった。そんで寝転がって、テレビとか見てたわけだけど、風呂入んなきゃなと思い
仕方なく嫌だけどシャワー使った
ほんとに静かだった。いや、外からの声は聞こえるんだけど、こう家族の声が全くしないわけで
「そうだよな、自分ひとりだもん」ってまた
ベッドに寝転がる。で、いつもと同じく寝る前にゲームして、歯磨きして寝ようと思ったけれど
眠れないなぜか、怖いというわけではない
窓の外には知らない人が歩いてて、知らない店の灯りがギラギラ照らしていた。
ベッドは知らないにおいがした
そうして、眠れないので水族館のチケットを眺めていたけど静寂に耐えられず
毛布にくるまって無理やり寝た
で、翌朝誰に起こされることもなく起きたら
まだ朝4時で、窓の外には知らない人が散歩して
知らない朝の光が街を照らしていた
僕は食べ忘れていた弁当のおにぎりを一個、食べてそのまま寝ようかと思ったけれど
虫歯になりたくないから歯磨きして、結局眠れなくて朝食の時間までゲームしてた
雨なら少しはマシだったかもね
社会人になって数年、仕事が忙しくなり、職場で理不尽な事が増え、それが精神的な余裕の無さに繋がって彼に距離を置かれ、それがさらに心の余裕を…というスパイラルの果てに破局。
異性と肌を合わせる事が数少ない癒しの手段だった自分にとって、パートナー不在状態は、ゲームで言う所の体力が少しずつ減っていく状態も同然だった。もちろん他のストレス解消法も色々と試してみたものの、セックスと同等の効果を感じられるものには結局巡り会えず、週末は一人でひたすら呑んでタクシーで深夜帰宅してばかりだった。
そんなある週末の深夜、自分でもよく覚えてないが運転手に実家の住所を告げていたらしく、気が付くとx万円のタクシー代を立て替えてくれた兄に抱きかかえられて部屋に運ばれていた。それが拙かった。季節は残暑も厳しい頃。Tシャツにハーフパンツ姿の兄に「おんぶ」された時、その密着感と体温から猛烈、いや激烈な感覚が体を駆け巡った。「これだあああ!!!!」と。「ここにいるじゃん!!!!」と。
で、その夜のうちに兄と関係を持った。
「こうでもしないと自分はダメになってしまう」「私のためだと思って」「誰にもしゃべらなければいい。死ぬまで秘密にするから」「一回だけでいいから」「入れなくていい。ただ抱き合うだけでいいから」と、泣きじゃくる私に兄が折れる頃には夜が明けていた。人倫に反する事だという自覚は微塵も無かった。シャワーも「カラスの行水」同然に済ませ、兄のTシャツとトランクスをはぎ取り、ひたすら兄との密着感を貪った。
入れなくていいという言葉で無理矢理妥協させた兄ではあったが、そんな約束最初から守る気など自分には全くなかった。兄は割と本気で抵抗したが、半分本気半分演技の涙でねじ伏せた。
数ヶ月ぶりのセックスはただただ気持ちよかった。勿論自慰はやってたけど、物の数に入らない位によかった。「脳味噌が痺れる」というのはまさにこれの事かと。途中で何回ヨダレを兄のTシャツでぬぐった事か。
事後、兄は私の頭を撫でていた。どんな顔をしていたかは、何となく見れなかった。
ちなみに実家で兄と同居している両親(というか、兄「が」両親と同居しているのだが)は一階の寝室で寝入っており、二階の兄の部屋とは比較的離れていたので気づかれずに済んだ。
私は同じ二階の元の自分の部屋へ行き、押し入れに仕舞われた布団を引っ張り出して裸のままひっくり返った。しばらくして、兄が私の服とバッグを持ってきてくれた。
両親には、「仕事が行き詰まって精神的にきつくなってホームシックになった」と説明した。実際そうだったし、ひたすら仕事の愚痴をこぼし続けたので、両親も疑わなかった。父は一人娘の突然の帰郷に気をよくして「今日も泊まっていけ」と言ってくれた。二日目の夜は、兄は早々に寝てしまっていた。それが兄なりの拒絶の意志表示なのだと私は察した。
日曜の夕方、兄が車で最寄りの駅まで送ってくれた。道中、私たちは一言も喋らなかった。駅に着いて、「まあ、無理すんなよ」と兄が言うと、私は「ごめん、ありがと」と言い残して帰路に就いた。少なくともこのときまでは、自分はこの一度きりで終わらせるつもりではいた。
兄とのセックスの効果は絶大だった。自分のミスは激減し、相手のミスを許す余裕も生まれた。何より、兄との行為を反芻しながら自宅でする自慰が、その効果をより長く持たせてくれた。夜もぐっすり眠れるようになり、肌の荒れも目に見えて解消していった。
が、それが永久に続くわけでもなく、2ヶ月も経つ頃にはその効果は薄れつつあった。これは拙い。また「補給」しないと。そう思った時には既に携帯で兄に電話していた。
そして、何だかんだでなし崩し的に、兄と一ヶ月に一、二度セックスするようになった。両親にばれるわけにもいかず、また私のアパートの住民達にも、兄を彼氏だと認識されたりしたら万が一の場合も考えられるので、ムラッと来た時はアパートと実家の中間の駅に兄を呼び出し最寄りのホテルに直行、そして数時間後に別れる、という流れだった。勿論ホテル代その他諸々の費用は全部私持ちで(兄は自分が出すと言っていたが私が拒んだ)。
今冷静に振り返ってみても、相当に人の道を踏み外してるなとしみじみ思う。あの頃は自分が気持ちよくなる事しか考えてなかった。兄に対しても、あれでも一応男なんだから別に損はしてないはずだと自分勝手に思い込んでいた。セックス自体も完全に受け身で、兄に何かをしてあげようという発想すら無かった。
けれど旦那(になる人)とつきあい始めて、本気で結婚を考え始めた頃になって、「ああ、私はこの人に絶対に言えない秘密を抱えて一生過ごすのか」とか「私をこんなに信頼してくれているこの人を、自分は一生だまし続けて生きていかなければならないのか」という事に気づいてしまい、また兄にも同じ業を背負わせてしまった事を深く後悔し、何となくそれ以後自分で兄を遠ざけてしまった。自分の結婚式でも目を合わせずじまい。実の兄の体を求める度胸はあったくせに、謝罪する勇気は私にはなかった。今思えば最低な卑怯者だな。
そうやって実家自体とも疎遠になった頃、兄から結婚式の招待状が届いた。届いたその日の夜、兄の携帯から電話が鳴った。思わず電話に出た。兄は陽気な声で「お、元気?」と。私はその場で泣き出し、何度も謝った。兄は「お前も旦那とうまくやれてるみたいだし、俺もようやく人並みに落ち着けるし、お前が苦しむ事はもう何も無いだろ」と言ってくれた。
別に落ちも何も無い。兄との関係は今も旦那には黙ったままだし、兄との肉体関係もそれ以後全く無い。ただ、あのとき兄が自分を受け入れてくれたからこそ、今の自分があるんだろう。匿名で吐き出せる程度にはなれたのでここに書く。
オトナプリキュア9話、咲舞の変身回まで視聴。
ここまでもしんどかったけど、今回が決定打になった。
SNS(主に旧Twitter)でも9話放送後から「スプラッシュスターの扱い、これどうなん?」
みたいな話題はちょくちょく見たけど、正直それ以上に
「咲舞変身キタ!」
「満と薫はプリキュア!」
「4人揃ってくれてありがとう!」
これに結構ビックリしたんだけど、かといって自分の考えをツイートすると超連投になってとっ散らかるし、ツイート数ばかり増えて検索汚しアンチ野郎になりかねないので全部まとめて書けるスペースに書くことにした。
結論から言うと、スプラッシュスター好きなイチ視聴者としては信じられないところをいくつもスルーしている作品。
同じ作品内に比較対象として5GoGoがいるからなおさら強く感じる。
ここから咲舞以外のスプラッシュスターの登場人物を踏まえつつ、その理由を書いていく。
何話で何があったとかって話もするので、よくわからんところは公式の全話リストで補完してほしい。
https://www.toei-anim.co.jp/tv/precure_SS/episode/list/
変身時におけるフラッピとチョッピ(以下フラチョピ)の扱いについて色々とSNSでも意見が挙がっているけど、特に引っかかったのがフラチョピに対する咲と舞の反応。
どんな反応かと言えば、無。まったく何もなし。これにはマジで納得できない。
フラチョピの扱いについて亡くなった声優さんの件を挙げて英断だったとか仕方がないとかって意見も見たけど、それらは咲舞の無反応の理由になってない。
咲舞にとってフラチョピは大切な友達にしてパートナーだったでしょ。
スプラッシュスターを視聴した人がそれを忘れるはずがないし、仮に未視聴だとしても「プリキュアと変身を共にするパートナー妖精」と聞けば、そこに浅からぬ絆があることは想像に難くないはず。
なのに咲も舞も無反応ってどういうこと?
5GoGoのキュアモみたいな、ただの変身に必要なツールじゃないんだよ。
11話のフラッピ看病回に12話のチョッピホームシック回と、序盤からしっかり見せてくれてたでしょうが。
まだ全話終わってないから明言はできないけど「あれは本当のフラチョピではない」として、それをあの時点の咲と舞は知らないでしょ?
仮にその情報が事前にあったとして、突然現れた旧友の姿に終始無反応を突き通せるか?
変身前のネガティブすぎる咲(これも納得できないけど今は割愛)とそれを鼓舞する舞も変身できるできないの問答になっていてフラチョピの話題は挙げないし、急に出てきたコミューンを普通に手に取るし、バトルが終わって変身が解けたら「変身できたね…」で感慨にふけって終わり。
なんだこりゃ…って思いながら見てた。
あのスプラッシュスターで積み重ねた物語の先に、こんな未来が存在してしまうんかと。
オトナプリキュアにおけるスプラッシュスターの存在は「恋愛や結婚に関わる大人の悩み」を課せられており、それが最優先なんだろうなあ。
変身バンクなしでいきなりプリキュアの姿になっていたら少しはマシに感じられたかも?
それでも一切言及しないのは相当変だと思うけど。
<美翔和也>
フラチョピと同様に、本編にしっかり関わっていながら存在を消された人。
咲と良い影響を与え合っており、日常寄りのカップリングとしてかなり良い感じに描かれていたと思う。
まず咲と和也は5話で初めて出会うんだけど、その時に舞は不在なので特にきっかけにはなっていない。
それ以降も16話では「大切なのは諦めない事、諦めたら夢は絶対に叶わない」とプリキュアみたいなメッセージを残したり、27話の夏祭りや34話の学園祭実行委員の話、最後は45話のクリスマスと、あまり舞が関わることなく咲と和也の間で進む話が定期的に挟まれる。
クリスマス回なんて『ケーキと和也とクリスマス! 』とかタイトルにまで名前が出てくるし。
プリキュア関係者以外の中では咲とのイベントが結構多かったし、それぞれの成長にも繋がっていて、最初こそガチガチな咲ちゃんといまいち読めない和也さん…って雰囲気だったのが終盤はちゃんと自然体の交流になっていた。
しかしオトナプリキュアで咲舞に課せられたノルマを考えると、消されて然るべき人物だった。
何故なら、4話=舞が恋人と別れる回で「カレと結婚を控えていて、仕事も充実した幸せな咲」と「カレと上手くいかず、仕事も充実とは言えない舞」の対比をする上で、和也が存在してしまうと咲舞をポジティブに繋げてしまう可能性がある。
舞の「上手く行ってない感」の表現を阻害してしまうし、和也を出演させてしまうとある程度説明も必要になる。
そして9話=咲の悩みとスプラッシュスター変身回。
和也自身、小さい頃から宇宙飛行士になるという大きな夢を抱いて過ごしてきて、咲とお互いに良い影響を与え合ってきたことは本編の通り。
そんな和也が、仮に宇宙飛行士になれなかったとしても「夢のためにフランスへ留学して自分を高めたい」という咲の気持ちを尊重してくれることは疑いようがない。
それこそ9話変身前の咲みたいに。
仮に咲が憧れの和也さん(人格そのまま)と共に何年も歩み続けていたとして。
目の前にシャドウが現れて、親友にしてパートナーの舞が手を伸ばしてくれている、そんな状況で「あの頃とは違う!もう子供じゃない!」と自虐する人間だったかと考えると、全然そうは思えない。これは願望です。
以上から、美翔和也という存在はオトナプリキュアにおける咲舞に課せられた役割に対して強いノイズになってしまうため消されたのだろうと受け取った。
<満と薫>
咲舞とはそんなに疎遠だったのか…っていうのが一番効いた。
それと、二人とも作劇的に便利なポジションだよね。
異変を察知できて、一般の方々が認識できないシャドウの存在を周知できるインフルエンサー。
話を進める上でとても便利。
あの様子だとPANPAKAパンにも何年も顔を出してないでしょ。
偶然咲と顔を合わせないタイミングでばかりパンを買いに行ってたかも…みたいな、うっすい可能性を手繰り寄せるしかない。
PANPAKAパンのパンとみのりちゃん、これらって満と薫の新たな人生を形作った大きな要素だと思ってたんだけどな~。
パン買いにも行ってないんか…。
5のメンバーでも「そんなに会ってなかったの!?」はあったので、スプラッシュスター固有の話ではないかもしれないけど。
最終話で満はパンを作ってみたい、薫は絵を描いてみたい、と言ってたけどそれと将来は別の話だったか…。
5GoGoの面々は本編でこれと宣言していた道から外れてないから満と薫はどうなるかと思ってたけど、二人とも外してきたな…。
満はパン屋に来たお客さんの「ありがとう」から、薫はみのりちゃんと一緒に絵を描いた経験から出た言葉だと感じられたからこそ最終話の発言は良かったんだけどなあ。
一応配信者になったという結果については、そういう道も無しではないと思ってる。
閉じた世界から羽ばたいて、より多くの人と通じ合おうとする姿勢がこの道を歩ませた…ということならば。
ただ配信者としてここまで広く周知されていることを咲も舞も知らず、声を聴いてもピンと来なくて、満と薫からそれを伝えられることもなくここまで来た、くらいまで疎遠になるとは想像していなかった。
でもちゃんと登場時に咲舞に声をかけてもらえたのは良かったんじゃない?
同じく突然登場した友達であるはずのフラチョピには無反応だったし。
最終的に優子とくっつくのは本編の繋がりで納得できるんだけど、健太のコメディアンの夢についてノータッチ。
16話では親に家業を継ぐことを望まれても諦めたくないという意思を見せて(親のことは勘違いオチだったけど)、
31話では最高の相方候補である宮迫君をひたすら勧誘しまくり、
37話の文化祭では健太&宮迫タッグの話がほぼメインになっていた。
コメディアンとして花開くのは大変っていうのはよく分かる。
これはその他様々な「オトナプリキュアにおけるスプラッシュスター」に不信を抱いているから余計に気になっているだけかも。
当方たまに見るバラエティ番組と年末のM1グランプリくらいでしか漫才を見ないので何とも言いきれない。
個人的には「現実ってこんなもんだよね」をスプラッシュスターに背負わせたように思えてしまう。
さよなら俺の初恋…とかいうノンデリ発言が奥さんの隣で飛び出したことについては「そんなことわざわざ言わせるなよ…」と「まあ健太ならギリギリ言うか…?」といったことを思いつつ、最近は「咲の初恋の人には触れてないな…あっ存在が消えたんだっけ、良かったなお前消えなくて」ってなってる。
<太田優子>
25話の海の家回の繋がりでお店を切り盛りする未来に繋がった?
そこに健太がセットで運用されている、と考えるとコメディアンの夢について一切言及がなくてもまあ…いいのかな…?
以上。
とにかく「課せられた役目」が最初にあって、そこに咲と舞があてがわれた結果こうなったというのを強く感じる。
大人の悩みを描くなら、結婚をはじめとした将来を踏まえた恋愛要素は鉄板。
けどこれは5GoGoキャラには任せられない。
異世界の王族が相手という時点で現実的な悩みに持っていくのが難しいし、そもそも5GoGoのキャラを本編外のキャラと恋愛させたら爆発炎上してしまう。
だから咲と舞に大人の恋愛を担当させて、ついでに対比もさせた。
ステレオタイプの幸せを掴んでいるものの自分の夢と天秤にかけて悩む咲、自分の本当にやりたいこととは何なのかで迷う舞。
最終的には、私はこの道を進むと決めた!→咲舞並び立つ→変身ヤッター→満と薫も来て万々歳…という話。
絵面のエモさでなんとかしようとしてない?
作品自体が5GoGoがメインだからとか、本筋の進行に影響が…みたいな「尺の関係で仕方がない」といった意見、これこそ全然理解できない。
尺が厳しければパートナー妖精との再会について一切言及せずにバトルして良いか?
そんなわけなくない?
他にもオトナプリキュアについては、美々野さん悩みにぶつかってなくない?いや悩みがないのが悪いわけではないけどさ…とか、シロップとうらら会ってなさすぎじゃない?とか、初代とスプラッシュと5の舞台の位置関係どうなってんの?とかいろいろ言いたいことはあるけど、まだ放送中だしどう転ぶか分からないよな…と堪えてる。
ここまで書いてきたスプラッシュスターの扱いについては、ここから巻き返しようもないだろうしガッカリ度が桁違いだったので書き残した次第。
最後に。
オトナプリキュアシリーズの続編が発表されたら、絶対に思い入れの強いプリキュアは出てほしくない。
何年か振りに姿を見せたメップルミップル、シプレコフレ、モフルンなどなどのパートナー妖精に何も言及せず変身するプリキュアの姿は見たくない。
ホームシックがひどくなってきた。
日本は素晴らしい場所だ、田舎に居てもコンビニというギリギリ精神を保てる娯楽が存在する
しかし自由の国のコンビニを見てみよう、脂ぎったソーセージにスプレー缶から出るチーズ、一日分のカロリーが摂れる菓子パンが並び
おっと何か音がするぞ、遠くを見ると車が燃えている
そもそもこいつらは都会が何かというのをわかっちゃいない
高いビルさえあればいいと思っているし、ユニークな店というものが存在しない
日本だとサブカルの店やら、何かの専門店が多いが、こっちは同じ内容の店がひたすらに並んでいる
日本で大麻が許されず、この国で許されるのは当たり前に思えてくる、それぐらいつまらないのだ
追記 9/8
学生だと思われているようだが、私は高校1年生の時にこちらに留学して、そのまま居ついている10数年選手なのだ。文化的にはもうこちらの方が慣れ親しんでいる。
現地の友人もいるし、稼ぎもそれなりにあるし、結婚もしている。近いうちに家も買う。完全に基盤が出来上がってしまった。だからこそ日本にはもう帰れないのでホームシックになったのである。マリッジブルーみたいなもんだと思う。
それでも帰国したきゃしろよ、と言われるかもしれないが配偶者が日本語を読めず話せず、かつ私の仕事は日本で需要があまり無いためなかなか難しいのだ。
あと確かに都会の一部にはユニークな店もあるが、そういったエリアは家賃が高すぎて住めないし、
西海岸の大都市にも住んでいたが正直なところ、ドンキホーテの方が確実に楽しい。
ちなみになぜ車が燃えているのかはわからない、しかしたびたび燃えているのだ。
それとコンビニに行く理由は田舎だからスーパーが遠かったり、ガソリン(こちらではコンビニの駐車場にガソスタがある場合が多い)を入れに行くからだよ。
ああ、あとこの国が嫌いなわけではないという事は主張しておこう。もちろん素晴らしい面の方が多いし、私には合っている。
これまで地方のど田舎、地方都市、大都会東京、に三分の一ずつ住んだ。
どれも面白くて、あちこち住んだことで、この国の形とか、場所によって全く違う現実を知ることができてよかった。
人が多いのがいいか、自然が多いのがいいか、という違いなんだと思う。
都会の公園で座って空や木を見ながら、故郷のど田舎の空や木を想像してなんとか保っていた。木の緑の輝く色とか、空の中で風に揺れている様とか、お濠の水が空を映してゆるゆると照り返しているのを見て、遠い川や森の膨大な質量のことを思い出していた。
そのとき、芸術っていうのは自然から離れた時に自然を再現しようとしたものなんだと思った。自然そのものよりも複雑なアートはない。
そう感じたのは、上京したてのホームシックもあっただろうけど。
文化は東京にしか生まれないんじゃなくて、地方や自然の輝きを東京がかき集めて組み合わせている。それを無数の人間が競争して磨き上げている。その意味では東京の輝きは強い。
江戸時代に異世界から召喚されてそれいらい現代まであがめられているエルフと、
その神社の巫女をやってる女の子の日常ドタバタと下町の人々との交流とか江戸トリビア
アニメは一切みてない
アニメみるのたるいから、アニメかされてるならまず原作かコミカライズを読む人間なので
面白い面白くないという次元じゃないかもだけど、ちょこちょこギャグシーンみたいなのもあるしなあ・・・
それが面白くなかったから、まあ面白くなかったということになるだろう
何よりもつまらない要因として思ったのは、作者が計算して狙って書いてるように感じられのが透けて見えてしまう気がしたこと
そのせいで、おまえらこういうのがすきなんだろ?最近こういうのが受けてんだろ?みたいなのを作者が意図的にかいてる気がして、
作者自身のこだわりとか好き、みたいな感情が感じられない気がした
そのせいで常に構えて読んでしまって、常に白けてるような感じだった
とってつけたような江戸時代うんちくも特に教養になるというレベルじゃないし
そもそも江戸からずっと生きてきてるなら江戸時代だけじゃなくてもっといろいろあんだろと思う
もとの世界とかのこだわりとかホームシックみたいなのもないんかいと
実質軟禁じゃんみたいな
そこらへんの事情がほぼノータッチでスルーなのももやるってのもある
まあこっちの世界のほうが娯楽あるから居着いたとかその程度なのかもだけどさあ
まあこれはほのぼの系だからいいんだよといえばそうなのかもだけども
つねに目をかっぴらいててて黒目部分が全部みえるっていう真顔のシーンが多くてマジでこわい・・・
作者(もしくは編集)の計算高さ、恣意的なマンガづくりがすけてみえると感じてしまったらもうハマれない
そんなマンガでしたん
https://anond.hatelabo.jp/20170206102543
いま家族旅行に来ているが、もうみんな寝てしまったので、缶ビールを飲みながら徒然なるままに思うところを書きつづる。
前回の記事に書いたとおり、当時小6だった長男は中学受験に挑戦し、俗に御三家と呼ばれる男子校に進学した。
それからの6年間、長男は部活に勉強に学校行事にと精を出し(なお恋愛)、仲の良い友人もたくさんでき(なお恋人)、とても充実した日々を送ってくれたようだ。
その高校の卒業式に出席したが、決して厳かとは言えない雰囲気。
いちおう詰め襟の標準服が制服ということにはなっているが、入学式以外で着ることはほぼなく、体が大きくなっても作り直したりはしないので、制服を着ている生徒は一人もいない。
ほとんどは親に借りたと思しきスーツだが、中には普段通りのカジュアルな格好もちらほらいるし、奇抜な格好をした目立ちたがり屋もいる。
その全てが許されている。
後で長男に聞いたところ、一人はネタだが、他はトランスジェンダーらしい。
彼ら(彼女ら?)の勇気には敬服するし、トランスジェンダーの問題に限らず、素の自分を臆することなくさらけだせる環境、校風を作り上げてきた学校と生徒たちを賞賛したい。
生徒たちも何かというと「自由」を声高に叫ぶ。その一方で責任についてもしっかりと言及するあたり、なかなかしっかりしているな、と思わされる。
ただ自分が卒業した関東の公立高校もそれほど変わらない程度には自由だったし、この学校が果たしてそこまで特別なのかどうかは分からない。
「自由であらねばならないという不自由さ」に囚われているような気がしなくもない。
ともあれ、校則はないし、制服も(実質的に)ないし、髪を染めたり休み時間に校外のコンビニに行ったりしても怒られない(らしい)。
最近ネットで高校生のやらかしがSNSで拡散され退学処分になるニュースを聞くが、たぶんこの学校では同じことをやっても退学になることはない。
退学させてしまったら、更正のための指導・教育ができなくなってしまうではないか。
高校が勉強を教え、その出来を評価するだけの場であればそれでよいのかもしれないが、この学校は「人間を育てる」ことをとても重視してくれていた。
先生方はとても熱心で、生徒たちの将来を非常によく考えてくれている。
PTA役員を2年間務め、校長を含む先生方とも様々な機会で交流させてもらったからこそ、自分もそれを実感できる。
卒業アルバムを開くと「この学校に6年間通えてよかった!」という長男のコメントが書いてあった。
今となっては長男がこの学校に通うことになって自分もよかったと思う。
卒業式から一週間後、受験した大学の合格発表があり、第一志望の「東.*大学」に合格した。
ソフトウェアエンジニアにはおなじみの正規表現というやつでぼかしたが、面倒なので以下「東大」と略すことにする。
この東大というところは、多くの人にとって特別な意味を持つ大学のようだ。
老衰で死にそうなばあさんや、鬱で生きる気力のなくなったじいさんでさえ、東大合格を伝えると笑顔を見せて喜んでくれた。
実際、長男はよく頑張った。鉄なんとかという塾の宿題にもしっかり取り組んでいた。
しかし自分は田舎の公立中高から塾にも通わず、東京のとある国立大学に進んだ身だ。
大学入学後、御三家校を含む都会の私立高校出身のやつらから聞く高校生活には、自分のそれとは全く違う華やかさがあった。
全国から集まった同級生の中には、自分には理解できないくらい裕福な暮らしをしている者もいた。
こちらは築数十年の4人部屋学生寮に月5000円で住んでいる。
寮生活は楽しかった。何なら人生で一番楽しい時期だったかもしれない。
しかしそれはそれとして、都会育ちのエリートや金持ちにはある種の妬みや反感を持っていたのは否定できない事実だ。
それから30年。
よりにもよって自分の息子が、当時の自分が妬んでいた側の人間になってしまった。
合格した夜、そんな複雑な気持ちを抱えながら、こんなことを伝えた。
「お前はよく頑張った。それは誇っていい。でも周囲の環境に非常に恵まれたことは忘れるなよ。お前と同じくらい素質があったがお前ほどには環境に恵まれなかった人は全国にたくさんいる。決して自分が人よりも偉いだなんて思うなよ。」
もう自分が父親として彼に教えられることはそう多くは残っていない。
自分は次男にも中学受験を勧めはしなかったが、長男がそういうルートをたどった以上、そうなるのは必然だった。
小3の冬のある日、次男が「塾に通いたい」と言い始めた。
反対する気はないものの一応「何でだい?」と尋ねてみる。
ウソである。本当は学校の仲の良い友だちが通い始めるからである。
しかしこんなことを言われて、長男も通わせておいて、ダメと言えるはずもない。
次男は別に勉強ができなくはないし学校の成績も良いのだが、中学受験という競技においては長男ほどの才能はなかった。
そして今は第4志望くらいだった学校に楽しそうに通っている。
偏差値の高低は重要ではない。次男にとってはその学校が合っていたのだと自分は満足していた。
ちょっと面食らったが、もともと大学は海外に行くことを勧めたい気持ちはあったので、それがちょっと早まるくらいだと思い了承することにした。
日本人が通えるアメリカの高校は、基本的には全寮制のいわゆるボーディングスクールというやつになるらしい。
でも本人がやる気になっている今になって、やっぱりダメとは言えない。
ここはもう腹をくくることにした。
そして留学エージェントの力も借りて、先日めでたく合格をもらうことができた。
ところでアメリカの高校は4年間あって、1年生から入るには日本の中学3年の秋からアメリカに渡る必要がある。
つまりいま通っている私立中学を中退してアメリカの高校に入学する。
なので、もしホームシックをこじらせて志半ばで日本に帰国するようなことになると、日本における最終学歴は「小卒」になってしまう。
まあ本人はネタとして面白い、とあっけらかんとしているので、それほど心配はしていない。
1ヶ月前に勤めていた会社を辞めた。
ただ何もしないととことん堕落しそうなので、シニアタレントオーディションというのを受けてみることにした。
最近は団塊ジュニア向けの商品やサービスの広告モデルや、テレビの再現VTRなどで、40代以上のシニアタレントの需要がそこそこあるらしい。
そしてめでたく合格した。
4月から3ヶ月ほど演技のレッスンに通うと、タレントの仕事を紹介してもらえるようになるらしい。
まあ入所料やレッスン料を支払わないといけないので、最初は習い事みたいなものだ。
そういうビジネスだと思えば、たぶんお金さえ払えれば誰でも合格できるのだろう。
タレントになるのが早いか、ITエンジニアとして再び働き始めるのが早いか、将来のことは自分にも分からない。
妻も職場の資格試験に合格したらしいので、一家全員合格祝いの家族旅行になった。
それにしても海外に来ると、円安と長く続いた日本のデフレを痛感する。
タレントとして成功しない限り、次回はちゅうちょしてしまうレベル。
以上、深夜のワイキキビーチより。
19歳から地元を離れて県外の大学に通っている。大学院に進学したため、一人暮らしは6年目を迎えた。
6年目にして、初めてホームシックになった。
小学生から不登校を繰り返して、高校も中退し、親との関係が安定してきたのはだいたい7〜8年前。
小学生の時からかなり自律神経がしっちゃかめっちゃかで、最近はプレッシャーを感じると何もできなくなってしまう。
11月にあった学外発表で無事に力尽きてしまい(発表前は60時間起きてた)、毎日18時間寝る生活になった。その後、修論に全く向き合えなくなり、バイトにも行けず、ゲームもできず、ただひたすらYouTubeと小説でやり過ごす日々。流石に指導教官から実家に連絡が行き、母親に帰ってこいと言われ実家に帰った。
私(長女)の経験を生かし、不登校に関するNPO法人を立ち上げたり、放送大学に通い心理学を学んだりと、母親が学び続けたおかげで関係が改善したと思っている。
そんな母のことは嫌いでない。好きだし、尊敬もする。
それでもこの歳になるまではとにかく家を出たくて、一人暮らしも楽しく満喫していた。
小学2年生から不登校だった。幼少期は引っ越し続きで、父は九州の田舎の亭主関白、母は全く周囲に頼れる大人がいない状況だった。その上、父は単身赴任(本社勤務とのことで家を買ったが、その後転勤が決まったらしい)。私と、弟たちを母1人で育てていくのは今思えば本当に大変なことだったと思う。
それでも、小学生の私にとっては、母が子育て等に不安を感じ続けている生活で不安を感じないわけがなく、学校で周囲と衝突し、家では激しい反抗期、とにかく攻撃によるストレス発散が多かった。
よく父に怒られて家の外に出されていたが、その時は泣きながらどうしたら死ねるだろうと、塀(といっても1m)から飛び降りるか迷っていた。飛びおりなかったが、人生で初めての自殺未遂は今でも鮮明に覚えている。
ご飯を食べなくていい、と父に子供部屋に閉じ込められたこともあった。内開きのドアの前に重たい家具を置かれて、ドアノブを紐で繋いで開かないようにされ、水も飲めないトイレも行けない状況で一晩を過ごしたこともある。
大喧嘩した時、私がダイニングテーブルをひっくり返して破壊したこともある。15万くらいするかっこいいデスクトップpcも壊したことがある。
流石にいいところも書いておく。
ピアノを小学1年生から始め、2年生の時には100万の中古のグランドピアノを買ってもらった(欲しいとは言ってないけど)。水泳やそろばんなど、習い事をたくさんさせてくれた。クリスマスや誕生日には欲しかったゲームをくれた。高校では50万の管楽器を買ってくれた。行きたいと言えば海外研修にも行かしてくれた。母は料理が上手(だと思っている)で、3食手作りしてくれたし、時にはお菓子も作ってくれた。裁縫もうまい。父も農家出身で未成年喫煙するような不良だったが、国立大学に行き20代で1000万プレイヤーだ。
やりたいことをやらせてくれる家庭だったと思う。
今は母も穏やかになり、自分のやりたいことを見つけて人生を楽しんでいる。父も亭主関白はなりをひそめ、週末は単身赴任先から帰ってきていろいろ料理をする。私が帰省するとリクエストを聞いてくれる。私がお金の心配をしなくてもいいのは絶対に父のおかげだ。
とにかく小学2年生から5年生までは攻撃的な子どもだったし、両親だった。家庭内の情緒が最悪であった。(1番の被害者は弟たちだと思っている)
私は部屋に閉じこもり、昼夜逆転生活を送り、どうしたら死ねるかを考え、なぜ生きているのか悩み、母が書いてくれた私の0ヶ月から1歳半までの育児日記を読んで母の愛を確認していた。こうして振り返るとかなり寂しい子どもだと思う。
中学生になってからは、かなり落ち着いたと思う。母が支援に繋がれたことが大きい。
そんな家庭で、形や中身は変わりながら高校まで過ごしていた。
大学はとにかく県外に出たかった。高校中退で学歴コンプレックスがあったし、弟たちがいるので国立しか視野になかった。将来の夢があり、養成の名門と呼ばれる大学を目指した。
5年半、ずっとホームシックになることはなかった。
一人暮らしは本当に楽しい。自分のペースで生活できること、家にいる限りだれも私のことを知りようがないことがよかった。今でもそう思う。
それでも、ホームシックになった。
実家から帰る日、予定があったのでどうしてもその日に帰らなければならなかった。帰ろうと朝起きて、起きた瞬間涙が止まらなかった。8時半くらいに起きたと思う。18時まで泣き続けた。結局予定はキャンセルした。
18時に、今帰らないとずっと帰れない、と覚悟を決めて帰る準備をした。泣きながら準備をした。
それを見ていた母に、抱きしめてもらった。頭を撫でられながら、がんばってるね、えらいねと褒めてもらった。頑張りすぎなくていい、いつでも応援してると慰めてもらった。
1、2分だったと思う。
そのあと、やっぱり泣きながら車を運転して帰った。
母が持たせてくれた沢山のご飯を食べながら生きている。ジップロックに書かれた母の文字を見ては泣いている。
修士論文にはまだ向き合えていない。
就職が決まっている。
なにもできない日々を過ごしている。
先週、ディスコエリジウムの日本語翻訳版が発売されたからちょっとずつ遊んでいる
記憶喪失したおっさん刑事を操作して、架空の国の港町で起こった殺人事件の解決を目指すのが大筋の流れ
操作の中で選択肢を選んだり、TRPGみたいに技能判定をしたりして情報を集めていく感じのゲーム
変わっているところとして、技能判定に使うステータスが人格になっていて、ステータスをある程度上げると、登場人物との会話に自分の多重人格が割り込んでくるようになる
「論理」がこいつ変なこと言ってるぞと教えてくれたり、「反射神経」が今変なにおいがしたぞと教えてくれたり、「百科事典」が出てきた単語を教えてくれたりする感じ
そんな中でなるべく登場人物と仲良くして情報を引き出そうと、話を合わる感じで選択肢を選ぶんだけど、会話の後で主人公の多重人格が「お前ファシストだろ、認めろよ」とかレッテルを貼ってくる
元軍人の愛国者の爺さんの話に合わせてたら、「お前、ミソジニーのファシストだろ」と多重人格に指摘され、ストライキしている組合の話に合わせてたら「お前共産主義者だろ」と言われ、レイシストに合わせていたら「お前レイシストだろ、認めろ」と言われ、何これ増田の日常会話じゃんってなった
一応レッテルを認めて、ある程度の時間思考したら、スキルみたいにステータスが上がったり、ダイスの目が有利になったりする
今のところ、僕の主人公はファシストでホームシックになった共産主義の芸術家思考みたいになってる
※追記
これを読んで、switch版を遊ぶ人がいるかもしれないので、遭遇した進行不能バグだけ共有しておきます
選択肢を選んで、キャラが移動するイベント発生時にアナログスティック下を入れて会話ウインドウをあらかじめ下方向にスクロールさせると、「次へ進む」の選択肢が出ず、操作不能になります
キャラが移動し終わるまで、会話ウインドウはスクロールしないようにしましょう
今のところ、別個のシーンで2回ほど遭遇しているバグなので、発生率が高そうです
僕はこのバグに初めて遭遇した際、イベントの性質上、ただ待つみたいなイベントなのかなと勘違いし、2分ほど待ちましたが、あらかじめスクロールしてなかったらすぐに「次へ進む」が表示されます
switch版を遊ばれる際はお気を付けください
出発前にホームステイ先のホストマザーにお世話になります〜楽しみにしてます〜ってメールしたら
「Bring Manju」
だけ返ってきた
明らかにハズレじゃん…こんなやつまともなはずがない…ホームステイ先変えたい…と思いながら、カナダのシンボルのメープルっぽいからともみじ饅頭と普通の饅頭を買って出発した
行きの飛行機は出発前からかなり遅延していて着くのが予定より3時間くらい遅れたんだけど、ホストマザーは怒ったり不機嫌になったりせずに優しく出迎えてくれた
疲れてるだろうと軽くごはんを食べさせて綺麗なベッドで寝かせてくれた
次の日はわざわざ学校への道のりを確認しについてきてくれてバスの乗り方とかおすすめのパン屋を教えてくれたりした
留学中、友達ができてるかとか学校で困ってることはないかとか確認してくれたり色々と気にかけてくれて、月が変わるごとに手作りのハンバーガーパーティーを開いたりしてくれた
最初の月は緊張してあんまり喋れなかったんだけどパンから作ってるハンバーガーがあまりにも美味しくて
Iamhappy!!!とクソ英語で叫んだ時のホストマザーの溶けそうに優しい表情が今でも忘れられない
帰る前に感謝の気持ちを伝えプレゼントを渡したらYou aresweetと泣いて抱きしめてくれた
その時に「実は、最初のメールが怖すぎてここに来るのが憂鬱だった」と伝えると、「ああ〜。日本人は真面目だから断っても絶対お土産持ってくるんだけど、それについて何にするか悩ませるのもかわいそうだなと思って。まんじゅうならそんなに高くないしどこでも売ってるんでしょ?あれ美味しかった、ありがとう」と言われた
そんなホストマザーが亡くなったことを息子さんから聞いて知った
それはホームシックになった時支えてくれたりいつもいつも愛を与えてくれたホストマザーの優しさなくしてあり得なかった
しばらく引きずるだろうけど、本当に出会えてよかった
(追記)
社会人なって金も貯まったしまんじゅう片手にカナダいくで〜からのコロナからのこれでメンタルやられてるので
ちょっとふざけないと書けなかったけど書きたかったのよ不快にさせてたならすまんな
ともかく、会いたい人には会える時に会おう
あとコメント欄で見たことないくらい長いレスバ開催されてて草生える 腹持ちいいしバナナの方がいいんとちゃうか
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