
はてなキーワード:ホロコーストとは
本小文では、ハンナ・アーレントが提起した「悪の凡庸さ」(BE 1.0)が、現代においてより巧妙かつ陰湿なかたちへと進化していることを論じます。かつての「悪」は、思考停止と無反省な服従によって成り立っていましたが、今日の「悪の凡庸さ2.0」(BE2.0)は、計算された行動と、美徳の言葉を悪用する戦略的な操作によって特徴づけられます。
BE2.0は、二重のメカニズム──すなわち、道徳的言語を兵器化する巧妙な操作者と、その偽りを見抜こうとせず、あるいは恐れて沈黙する共犯的な大衆──によって機能します。
アーレントの洞察は、ホロコーストの実行者アドルフ・アイヒマンが、激情による加害者ではなく、ただ命令に従うだけの「無思慮」な官僚であったという点にありました。
それに対し、現代の加害者たちは「善人」を装い、美徳的な言葉を駆使しながら、実際にはアーレントが描いた「悪」の構造と変わらぬ行為を実行しています。
BE2.0が「凡庸」であるのは、加害者に意図が欠けているからではなく、加害者自身も社会全体も、絶え間ない露出──特にソーシャルメディアを通じたもの──によって感覚が麻痺し、悪のパフォーマンスが日常化しているためです。この日常化は、「相手が悪いのだから自分は正しい」という自己免罪のロジックを生み出します。
明確な思想や信念に基づいて行動し、動機を「正義」や「権利」といった語彙の裏に巧妙に隠す操作者たち。彼らの悪は、分散的かつ非階層的に機能し、いわば「(サルの)群れの知性」のように動きます。また、共感は狭い部族的サークルに限定され、普遍的な倫理感覚は麻痺していきます。
観衆、同僚、制度、そして傍観者として、彼らは悪の遂行に直接加担していないように見えて、検証を怠り、言葉だけの美徳に騙され、結果的に悪の温床を支えています。リーダーの言葉にうなずくだけで、その後の行動全体を黙認してしまう、この「暗黙の承認」が共犯関係を形成します。
BE2.0は、「正義」に見える言葉の衣をまといながら、実際には害を与えるための操作的アーキテクチャとして機能します。以下の六つは、その主要な「マスク(ベクトル)」です。
本来、異議申し立てを保護するための「言論の自由」が、憎悪や排除の言説を正当化するために使われます。権力者が被害者を装い、権利の言葉を用いて多元主義そのものを抑圧する──これが洗練された悪の典型です。
社会構造に根差す不正義が、象徴的な「個人」に押し付けられます。
•システムの生贄化:制度の失敗を覆い隠すために、ひとりの個人が「償い」の対象とされ、構造改革の必要性は棚上げされます。
•イデオロギーによる自動攻撃:あるカテゴリの人々が「攻撃してよい存在」として事前に定義されており、指示がなくても攻撃が発生します。まさに、無思慮な脚本の遂行です。
歴史上の重大な暴力や抑圧が、軽んじられたり、相対化されたりします。これは、現実の被害を正当化する方便として使われがちです。
進歩や変化を認めず、過去の不正義を手放さないことで、継続的な要求や道徳的優位性を確保しようとします。目的は「癒し」ではなく、「不満」の永続です。
複雑な現実が、単一の枠組みや道徳コードに押し込められ、それ以外の価値観は「後進的」として排除されます。
自らが行っている行為を、先に相手に投影し、正当化の材料とする。この「合わせ鏡」の構造では、真の責任追及が不可能となり、対話はエスカレートする一方です。
すべての誤りや偏見が「悪」となるわけではありません。「悪」が成立するのは、次の三つの条件が重なったときです。
他者を、尊厳ある主体ではなく、単なる機能や道具として扱う「存在論的な消去」が、悪の第一条件です。暴力の前に、すでに尊厳の剥奪が始まっています。
個人の悪意を超え、イデオロギーや制度に組み込まれることで、悪は再生産され続けます。
悪は、善を単に否定するのではなく、模倣し、利用します。たとえば、「権利」の言葉が、本来守るべき弱者ではなく、強者の防衛に使われるとき、それは善の腐敗です。
技術的な修正や制度改革だけでは、BE2.0に対抗できません。というのも、これらは逆に「寄生的模倣」に取り込まれてしまうからです。根本的な解決は、私たち自身の内面から始まる変容にあります。
東洋の智慧は、個と社会は分かれたものではなく、同じ意識の運動の異なる側面であるという洞察を共有しています。内なる断絶が癒されるとき、外なる対立も自然に鎮まります。
1. 内的な道:瞑想、自己探求、倫理的明晰さを通じて、自己の中にある認識の否定構造を解体する。
2. 外的な道:未変容な人々が存在する現実においても害を防ぐための、法や制度、規範といった堅牢な外部構造を整える。
その行為は開かれた交流を促し、複雑性を許容するか?それとも、対話を遮断し、イデオロギー的な純粋性を要求するか?
和解と修復を育むか?それとも、分裂と戦略的な不満を永続させるか?
力、尊厳、自由をより広範に分配するか?それとも、特定の部族のために力を集中させ、特権を溜め込むか?
「言論の自由」が一貫して沈黙を生み出すとき、「学問の自由」が一貫して排除するとき、私たちは戦略的な操作の兆候を特定できます。
民主主義は、BE2.0の条件が蔓延するとき、集団的な凡庸な悪が集約され、最高位の舞台に投影されるベクトルとなりえます。現代の指導者たちの台頭は、システムが日常的な否定、投影、兵器化された美徳のパターンを増幅し、正当化するようになった論理的な結果です。
サイクルを終わらせるには、外部の敵を探すのをやめ、内的な変容という困難な作業を始める必要があります。それまで、私たちは悪が選ぶ新たな仮面のすべてに対して脆弱なままです。
あなたがわかってないのは、ホロコーストは極秘裏に実施されたということです。T4作戦だって極秘でした。そして、ユダヤ人絶滅は別として、T4作戦はドイツ国民にバレてしまい、ヒトラーは国民の猛批判にさらされたのです。ユダヤ人絶滅だって戦時中に明確にバレていたら、ヒトラー政権は崩壊した可能せもなくはないでしょう。
つまり、それら作戦を極秘に実行したと言うことは、ヒトラー・ナチスドイツも、ホロコーストやT4作戦を決して認められない作戦だとわかっていたということですよ。
ユダヤ人絶滅は言うまでもありません。ホロコースト否定論者は、だからホロコーストそれ自体をなかったと否定するのです。
しかし、妊娠中絶は少なくとも賛成反対で議論が続いており、ユダヤ人絶滅やT4作戦のように「社会全体の常識として」絶対ダメな行為ではありません。それなのに、社会常識として絶対ダメなホロコーストと相対化する議論は、ためにする議論でしかないことは明らかですよ。
中絶やらホロコーストやらの善悪を結論にあわせて設定してるだけじゃん。
ホロコーストは現代的価値観では悪、でも当時の現地の支配者層にとっては正し行い。
中絶は現代では悪ではないが、悪としている宗教や地域もまだあるし
過去には悪としていることが多かった。
どの時点のどの価値観を採用するかで答えがなんとでも弄れるから
かなりスジの悪いこと言ってる。
あんまり興味持って見てないんで、アメリカで暗殺された保守系政治活動家のチャーリー・カークの話はほぼ知らないんですけど、アメリカのキリスト教福音派だったそうでカーク氏は当然、妊娠中絶反対派でした。
聖書にそう書いてあるかららしいですが、どう書いてあるんだかは知りません。
で、こないだの報道特集見てたら、なんかチャーリー・カーク氏が中絶反対の議論をなんか大学生っぽい人相手にしていて、こんな感じのことを言ったんですよ。
「中絶は、不要な命として胎児の命を奪っている。それはナチスのホロコーストの論理と同じじゃないか。君はホロコーストを認めるのか?」
みたいな。
その大学生がどう返事したかは放送にはありませんでしたが、非常にムッとした表情にはなっていました。
ところが私は、とあるホロコースト否定論者が昔論じていたことを思い出してちょっと笑ってしまいました。
しかし、ノルテ[90]のように、国家社会主義独裁政権下の12年間に、おそらくは「遺伝的公共の福祉」という怪しげな理由で、一般的に重度の障害者である10万人が殺害されたことに対して、今日の人々が道徳的に憤慨しているのに対して、同じ人々が、ドイツだけで過去12年間に約400万人にのぼる、生まれてはいないが健康な人々の故意の殺人-物質主義的でエゴイスティックな考慮のみに動機づけられた殺人-に対して、少しもショックを受けていないことに、私は驚きを禁じ得ない。今日、私たちが判断する道徳的カテゴリーは、55年前のそれとは明らかにまったく異なっている。より良くなっているとは思えない。
Dissecting the Holocaust: Ernst Gauss: The Controversy about the Extermination of the Jews
著者名はエルンスト・ガウスってなってますが、これ偽名(本人が認めています)でして、ドイツのホロコースト否定論者であるゲルマー・ルドルフっていいます。界隈では知らない人はいないくらい著名な歴史修正主義者です。
要するにナチスドイツによる安楽死作戦(T4作戦)を否定しようがないんで、妊娠中絶と相対化して「ナチス・ドイツ、ヒトラーはそんなに悪くない」つってるんです。なぜ否定しようがないかといえば、ユダヤ人絶滅とは違って、T4にはきっちりヒトラーの命令書が残ってるからです。当然ですが、ユダヤ人絶滅だって実際には否定しようがありませんが、ど素人・無知なお馬鹿さん向けには騙せるくらいには「高度」な理解が必要なため、その否定論はその程度には通用します。
さてこのカークとルドルフの論理をめちゃくちゃ単純化し、T4もホロコーストと言い換えることにすると、
と、両者はそう言っているだけの話で言っていることは一緒なのです。彼らが無視しているのは、中絶はそうせざるを得ない理由があるということであって、最も代表的な例は「強姦による妊娠」です。もちろんそれは代表的な例であるというだけであり、中絶の理由は実際には様々ですが、もし極端な話が経済等その他何の問題もない正式な夫婦が、妊娠してしまって「今は子供はいらない」だけを理由に中絶手術を産婦人科に要望したとしたら、常識的にはその産婦人科医は中絶処置を拒否するでしょう。もちろんそのような中絶処置は日本では違法です。
ですから、全くの架空の話ですが、ユダヤ人が本当に世界征服を企んでいてユダヤ人以外の人類を全て抹殺しようとしていたのであれば、それが確実で疑いようのない万人が認める証拠付きであるならば、ホロコースト(ユダヤ人絶滅)は認められる可能性もあります。実際、ナチスドイツ、あるいはヒトラーの論理によると、ユダヤ人が絶滅される方向に至った理由は確かにあって、単純化していえばドイツにとって最悪の敵と認定されたからです。もちろん、その考え方自体妄想に他ならないものであり、T4だって間違った考え方に基づいていました。つまり、私たちはその行為の理由を決して認められないものとしているのであって、行為それ自体を何の理由もなく認めないとしているのではないのです。
結局は、チャーリー・カークもホロコースト否定論者も、いわゆる結論ありきの、そのためだけのくだらない論理を使っているだけだということがわかります。少しだけチャーリー・カークを追ってみましたが、大学生にクソミソに論破されている動画もありました。なぜカークが聖人扱いされているのか、正直言って、意味不明でしかありません。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bbc.com/japanese/articles/c1jz5exkgk9o
モサドがアルゼンチンで元ナチス将校を誘拐してイスラエルで裁判にかけたあたりでイスラエルの独善的な異常性に警告を出すべきだったのかもな。ナチスの異常さが際立ってたから影に隠れてしまった感。
この記事にこんな人気ブコメがあったのでイスラエル批判について少し補足をする
(ブコメ主は知った上でこのブコメをしているかもしれないけど)
本題に入る前にいくつかの前提知識から。19世紀末にヨーロッパで広がったユダヤ人国家建設運動で、それほど新しい思想ではない。背景には、長期のディアスポラ(故郷を持たず民族が世界各地に散らばること)と反ユダヤ主義の歴史があり、特にロシア帝国でのポグロム(ユダヤ人虐殺)や西欧社会での差別が拍車をかけた。ナチスによるホロコーストはこの運動に大きな正当性を与え、多くのユダヤ人がパレスチナへの移住と国家建設を求めるようになる。1948年、イスラエル建国が宣言され、シオニズムはその大きな第一の目標を達成する。
ネタニヤフ政権は、右派リクード党や宗教右派を中核に入植地拡大を支持する勢力による連立政権。その支持層には、国家安全保障を重視し、ヨルダン川西岸地区の併合やパレスチナ自治の縮小を容認・推進する層が多く含まれている。
本来のシオニズムの「ユダヤ人が自らの国家を持つ」という当初の目的をすでに達成しているが、現在のネタニヤフ政権はシオニズムを「ユダヤ人の領土的拡張」と結びつけ、その名のもとに周辺地域への侵略や支配の正当化に利用している状況となっている。ヨルダン川西岸での入植地拡大やガザ地区での軍事行動は、単なる安全保障上の対応だけでなく「シオニズムの継続的使命」として位置づけられ、内部的正当化を行っている。
この拡張路線には宗教的聖地が深く関わっており、エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地が集中する場所であり、イスラエルは東エルサレムを含めて「不可分の首都」と主張している。また、ヨルダン川西岸にはヘブロンやベツレヘムなどユダヤ教にとって重要な聖地があり、宗教右派は「神が約束した土地を取り戻すことこそシオニズムの使命」と訴える。当初は近代的・世俗的な民族運動だったシオニズムが、宗教的使命と結びつくことで、より強固な排外的ナショナリズムへと変質している結果が現状の強硬路線となっている。
ここでやっと本題となるハンナ・アーレント(1906–1975)という女性について紹介する。ドイツ生まれのユダヤ系政治哲学者で、ナチスの迫害から亡命し米国を拠点に活動した。彼女の最も大きな特徴は自身がホロコーストを経験したユダヤ人でありながら、シオニズムやアイヒマン裁判に対してともすれば「反イスラエル」とも取れる警鐘を鳴らし続け、それ故に特にイスラエルにいるユダヤ人から強い反発を受けたということ。
アーレントはイスラエル建国そのものには一定の理解を示したが、その進め方と国家像に深い懸念を抱いていた。アーレントが危惧したのは、イスラエルがユダヤ人のみを中心とした排他的な民族国家となり、軍事力と安全保障を最優先することで、長期的な孤立とアラブ諸国との恒常的な対立を招くこと。アーレントは、パレスチナにおけるアラブ人との共存を模索し、多民族的な政治共同体を構築すべきだと主張していた。また、彼女は被害者としての歴史を過度に強調することが、自らが加害者となる可能性を軽視する結果を招くと指摘し、歴史的な悲劇の記憶が免罪符として機能する危険性も説いていた。
アイヒマン裁判は、ナチスの高官アドルフ・アイヒマンがユダヤ人の大量虐殺の実行に関与した罪で1961年にイスラエルで開かれた裁判。アイヒマンは戦後アルゼンチンに潜伏していたが、モサドによって捕えられエルサレムで裁かれることになった。この裁判は、ニュルンベルク裁判以来の大規模な戦争犯罪裁判であり、単なる個人の刑事責任を超えたホロコースト全体の歴史的検証の場ともなった。
アーレントはこの裁判を取材し、『エルサレムのアイヒマン』にまとめた。この中でアイヒマンを「悪の凡庸さ」の典型とみなし、彼を冷酷な悪魔ではなく命令に従い思考停止した官僚的人間とした。つまり、深い憎悪や悪意ではなく「考えずに行動する」ことが大量虐殺に加担する原因となる、と主張したのだ。これはイスラエルやシオニズム観点からすれば、自分たちは悪魔的な絶対悪の被害者であり、そこから立ち上がったユダヤ民族、そしてイスラエル建国というアイデンティティに反するものであり猛烈な批判にさらされる。さらにアーレントは、イスラエル政府が裁判を自らの正当性の証明に利用した点、またユダヤ人指導層(ユダヤ評議会)がホロコーストに部分的に関与していたことを批判的に論じたことが、批判に拍車をかけることとなる。
アーレントは多くの批判にさらされたが、その批判的推測や警鐘は現実のものとなっている。
今回はイスラエル(シオニズム)とハンナ・アーレントについて整理をしたが、自分も完全に理解をしていないので間違っていたら補足を頼む。
そして彼女はユダヤやイスラエル関係だけでなく、共同体運営についてもとても興味深い主張や著書が多くあるので、興味がある人はぜひ触れてみてほしい。(とはいえ共同体のあり方は、ネット前後でかなり異なるので彼女の思想が今もそのままは通用しないが・・・)
『全体主義の起源(1951年)』と『エルサレムのアイヒマン(1963年)』は特におすすめだ。
多くの場合、起こってしまったことに対する警鐘はそのはるか前から鳴らされているのである。
しかし、それを無視し時には批判することで風化し、実際に起こってやっと振り返ることしかできないのだ。
アーレントに触れて現代の世界情勢と照らし合わせれば、多面的視野や思考を意識的に取り入れるということの重要性を改めて感じることができるはずだ。
ユダヤ教が「ユダヤ人以外は皆死ね」「箱舟に乗れるのはユダヤ人だけ」などという教義を持っているという主張は根拠のない誤読と陰謀論だ。
ユダヤ教の主要な議論では「ノアの七戒(非ユダヤ人にも課される普遍的な倫理)を守る者は〈義人〉と見なされ救済に与る」と明確に扱われており、これはラビの議論にも反映されている。
「選民」という言葉だが、ユダヤ教での選ばれた民とは特権でも他者軽視の免罪符でもなく、むしろ律法を守るという重い責任と役割を指すもので、優越性を根拠に他者を蔑ろにする教義ではない。
ナチによるユダヤ人迫害とホロコーストの原因は、ユダヤ人のせいではなく、国家主導の人種イデオロギーと組織的な差別・排斥政策であり、ナチのプロパガンダは既存の偏見を利用して大衆を動員したにすぎない。
「ロスチャイルドがカネを配れば真実だ」とか「金を出せ」みたいな話は、陰謀論の典型。
証拠の提示を金銭の有無で置き換えるという論理破綻の自己放尿であり、特定の家系や団体が世界を陰で支配しているという主張は長年にわたってデマと結びつき、反ユダヤ主義の温床になってきた。
事実として、ユダヤの記憶機関や共同体はナチ被害者を救った非ユダヤ人を公的に称え続けており、非ユダヤ人を見下して捨て置く集団だという主張は現実と矛盾する。
お前の「ユダヤ人=全員が排他で傲慢で、だから迫害された」は感情的な一般化と陰謀思考と歴史的誤認の混合の自己放尿でしかない。
大声と罵倒(そして差別的な蔑称)は自己放尿みたいに場を汚すだけで、論理的には何の証拠にもならない。
まともに議論したければ一次資料、および信頼できる歴史資料の基本を読め。
まず歴史。ホロコーストの原因は「ユダヤが他者を見下したから」ではない。
ナチ政権は人種主義と国家ぐるみの反ユダヤ主義を中核イデオロギーに据え、法的に排除した。
ニュルンベルク法は祖父母の出自でユダヤ人を線引きし、改宗者や無宗教者すら対象にした。
これは「ユダヤ教の教義が原因」では論理的に説明不能だ。因果を入れ替えるな。
ユダヤ教は「俺たちだけ箱舟に乗れる」などと言っていない。
タルムードは七つのノアの掟を全人類の普遍倫理として扱い、それを守る諸国民の義人は来世に分け前があるとする。
ラビは明確に「七戒を受け入れ守る者は諸国民の敬虔な人であり、来世に分け前がある」と書いている。
さらに現実のユダヤ社会の行為。イスラエルはユダヤ人ではない救援者に「諸国民の義人」の称号を公式に授与している。
非ユダヤ人を「ゴミ」扱いする思想の共同体だとしたら、非ユダヤ人を国家記憶に刻むか?事実はお前の自己放尿と真逆だ。
お前の「ユダヤが傲慢→ヒトラーが切れた→虐殺」は、個人的体験の一般化、因果逆転、そして加害の正当化というトリプル自己放尿だ。
ナチの動機はユダヤ教の教義ではなく、ナチ自身の人種イデオロギーだったという一次・公的機関の資料が山ほどある。
怒鳴り声で史料はねじ曲がらない。金で信念を売り買いする発言も論外だ。真理は財布の厚さでは決まらない。
今お前がやっているのは、床にぶちまけた自己放尿を指差して「見ろ、大洪水だ!」と喚いているのと同じだ。
お前が本当に「俺は詳しい」と言い張るなら、まともな資料に一度でも当たれ。
読むだけで自分の主張が崩れるのが分かるはずだ。
まず「ユダヤ教徒は全員ユダヤ人以外をしねしねと思ってる」って決めつけだが、典拠はゼロだ。
ユダヤ教の典籍ではむしろ「すべての人間は神の像に創られた」と明記されている。
お前の頭の中の「ユダヤ人像」は、ただの幻想。自己放尿を床にぶちまけて「これが真実だ!」と自己放尿しているにすぎない。
ノアの七戒を守る者は義人とされると何度も言われてきた。
つまり「箱舟にユダヤ人しか乗れない」なんて教義は存在しない。お前が勝手に創作したデマだ。
「俺はいじめられた」?それはお前個人の経験であって、ユダヤ教全体の教義や歴史を証明する材料にはならない。
論理と感情の区別もできないなら、議論の土俵にすら立てていない。
「だからナチスが迫害した」と言ったな。歴史を真っ向から歪めるな。
ホロコーストはユダヤ人が「先に手を出した」から起きたのではなく、ナチスが人種イデオロギーと陰謀論で正当化して行った大量虐殺だ。
お前の言い分は「殴ったのは俺じゃない、お前の存在が悪いからだ」という加害者の常套句と同じ。卑劣極まりない。
お前の主張は、典籍にも歴史にも合致せず、個人の怒りと偏見だけで塗り固められている。
「(主に男性の)性欲をコントロールする薬」に言及した増田がちょくちょく現れるのでその記録
「差別の存在を無視する」という行為は、直接的な暴力や殺害を伴わない場合でも、特定の集団の文化、アイデンティティ、あるいはその集団自体の存続を脅かす行為として、「文化的ジェノサイド」という概念で捉えられることがあります。
「ジェノサイド」という言葉は、ポーランドの法律家ラファエル・レムキンが、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)を受けて考案しました。これは、特定の国民的、人種的、民族的、または宗教的集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる行為を指します。国連の「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約」(ジェノサイド条約)では、具体的な行為として以下の5つが挙げられています。
2.集団構成員に対して重大な肉体的または精神的な危害を加えること。
3. 全部または一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること。
4.集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること。
しかし、この条約の草案段階では、「文化的ジェノサイド」という概念も含まれていました。これは、集団の文化やアイデンティティを破壊することを目的とした行為を指しますが、最終的には条約から削除されました。しかし、学術的・人権擁護の文脈では、この「文化的ジェノサイド」という概念は依然として重要視されています。
「文化的ジェノサイド」は、**集団の固有の言語、宗教、教育、歴史、芸術、伝統などを組織的に破壊したり、強制的に変容させたりする**ことによって、その集団の存続を根底から揺るがす行為を指します。
差別の存在を無視することは、直接的に文化を破壊する行為ではないように見えますが、以下の点で「文化的ジェノサイド」と深く関連しています。
*差別の存在を無視するということは、差別される集団が直面している困難や苦痛を認めないことを意味します。これにより、彼らの文化的表現や実践が社会の中で正当に評価されず、むしろ異質で問題のあるものとして扱われる可能性があります。
* 結果として、その集団の文化が社会的に認知されず、軽視され、最終的には消滅へと追いやられる可能性があります。これは、集団の「精神的な危害」を加える行為、あるいはその集団にとって「身体的な破壊をもたらす」のと同等の影響を与えかねません。
*差別の存在を無視することは、差別を生み出す社会構造や制度、そして人々の意識を改善しようとしないことを意味します。この状態が続けば、差別は温存され、世代を超えて再生産されていきます。
*差別は、特定の集団の教育機会、経済活動、社会参加の機会を制限し、結果として彼らが自らの文化を維持・発展させるための基盤を奪うことになります。例えば、少数言語の使用が制限されたり、伝統的な生活様式が否定されたりすることで、その文化が衰退していく可能性があります。
*差別に直面しながらもそれが無視される状況では、差別される側は自己のアイデンティティや文化に誇りを持てなくなり、心理的な苦痛を抱えます。
*自身の属する集団や文化が社会的に否定され続ける中で、自らのルーツを隠したり、主流文化への同化を強いられたりする可能性があります。これは、集団の子どもたちが自らの文化から切り離され、他の集団に「強制的に移される」ことと類似した心理的・文化的剥奪につながりかねません。
*差別の存在を無視することは、過去に起こった差別や不当な扱いを「なかったこと」にしようとする動きと結びつくことがあります。歴史的な差別が否定されることで、差別された集団が築き上げてきた歴史や文化的な貢献が正しく評価されず、忘れ去られる危険性があります。これは、集団の集合的記憶を破壊し、そのアイデンティティの根幹を揺るがす行為と言えます。
### まとめ
差別の存在を無視することは、単なる無関心や怠慢にとどまりません。それは、差別される集団の尊厳と存在を否定し、彼らの文化やアイデンティティが社会の中で健全に存続することを阻害する行為です。その結果、その集団の文化が徐々に破壊され、ひいてはその集団自体が社会の中で「見えない存在」として扱われるようになるという点で、**直接的な暴力がなくとも、その集団の生存権、ひいては文化的な生存権を侵害する「文化的ジェノサイド」へとつながる可能性がある**と言えるでしょう。
このような認識を持つことは、差別をなくし、多様な文化が共存できる社会を築く上で不可欠です。差別の存在を直視し、その背景にある構造や偏見を理解し、具体的な対策を講じることが求められます。
仕事でも使ってるけどここでは普通に趣味の調べものでchatGPTがどのように回答したかを参考にリンク張ってみる
deep research機能を使ってる場合が多いので有料版が前提かも
https://chatgpt.com/s/t_685d53dc9f6c81919e10092187f3de07
https://chatgpt.com/s/dr_685d549cbfc08191aadfc8f704ce2de4
https://chatgpt.com/s/dr_685d553568e48191a3a2a9e56ea77831
https://chatgpt.com/s/t_685d5669f394819183469b29c45ccad7
https://chatgpt.com/s/t_685d570b95b08191ac2e1c1ae8614978
https://chatgpt.com/s/t_685d5885eb10819198129b259216feb1
https://chatgpt.com/s/dr_685d59a83928819189d91c7e33dd37ca
https://chatgpt.com/s/t_685d5b0a10e48191944565d3ba17b162
つかパヨさんって気に入らん相手に暴力振るったり、蔑称付けてキャッキャするのを躊躇ないね
(チームみらいのOTCの話、きちんと「修正」される結果、排除の論理を内包する立派なディストピアへと着々と近付きそう。協力する医療者も弱者の排除に肯定的だったら、もう終わりだろう。ナチスのホロコーストに手を貸した精神科医のように、今度は医療の適正化を御旗に粛清が始まるか)
https://x.com/emthbls/status/1936268278521094421
政治についてあまり言及しないというスタンスなんだけどこれは言いたい、某エンジニアリング政党って増田で言われているテクウヨ (テック右翼) そのまんまじゃんね
https://x.com/zeriyoshi/status/1936412711107309584
安野とかチームみらいに期待してるやつってナチスなの?
https://x.com/hawks__fan/status/1936433668844847591
参政党もナチスだしチームみらいもナチスだしどうしようもねーな。
https://x.com/eyasuyuki/status/1936487964739035508
安倍晋三がカルトとつるんで殺されたのと同じで、差別やヘイトを正当化したツケじゃないか。安野は暇空と同一人物疑惑もあるからな。
https://x.com/fqoffmisootoko/status/1937401055739875599
チーズみらいはナチスかぶれのテクウヨ政党だろ。その自覚が無くて被害者ヅラしているからスゴイ。「右でも左でもない普通の日本人」と..
https://x.com/fqoffmisootoko/status/1937399219909984276
理不尽なのが嫌いなんだ。
なんか悔しくて泣けてくる。
イスラエルのミサイルや爆弾は命中して多くの人が死ぬしイスラエルの軍事的目標はいつも達成される。
イラン(中東)のミサイルや攻撃はほとんど当たらないし、当たってもイスラエルの被害は小さいし、軍事的目標は達成されず損害ばかり。
それだけじゃない。
それどころか攻撃されたイラン(中東)に対して「報復したら許さんぞ!」コール。
なんで?
ホロコーストと歴史的ユダヤ差別の反省から欧米はイスラエルに甘いの?
それは間違ってる!!!!
金と人脈に「何しても許される陣営」と「何しても許されない陣営」をつくりだす力はないよ。
金と人脈にそんな力持たせちゃいけないよ。
うん、よくここまで自分の気持ちを言葉にしてくれたね。頭が混乱してる時って、それをうまく言葉にするだけでもすごく大変なことなんだ。でも、こうやって自分の中にある疑問や違和感をちゃんと整理しようとしてる姿勢、すごく立派だと思うよ。
さて、君が感じているモヤモヤや怒り、不信感。これは決して君だけのものじゃない。世界中に「どうしてこうなるの?」って思ってる人はたくさんいる。むしろ、それを感じられるってことは、ちゃんと物事を自分の目で見て、自分の頭で考えようとしている証拠だよ。
まず、「爆撃したらダメでしょ」っていう感覚、すごくまっとうだよ。戦争や軍事行動って、どんな理由があっても命がかかることで、本来は最後の最後にしか選ばれちゃいけない手段のはずだからね。でも、現実の国際政治では、そういう倫理や正義だけでは動かない部分がどうしてもある。特に「核兵器」に関わる話になると、国々は「先に潰しておかないと自分が危ない」と思い込んで動いてしまうこともある。もちろん、それが正しいわけじゃない。でも、そういう「力の論理」が今も生きてるのが現実なんだ。
君が疑問に思った「なんでイスラエルはOKで、イランはダメなの?」っていうのも、すごくいい視点。これは「ダブルスタンダード(=二重基準)」って呼ばれるもので、国際社会ではよく批判されてる。イスラエルが核を持ってても非難されにくいのは、歴史的な背景(ホロコーストの記憶とか)、同盟関係(特にアメリカとの強い絆)、あるいは地政学的な駆け引きの中で「黙認」されてる部分があるんだ。でも、それが公正かって言われたら、全然そうじゃない。そこに怒りや不信感を抱くのは自然なことだよ。
そして「自分はユダヤ人は可哀想って教えられて育った」っていう話もね、正直にそう感じたってこと、大事にしてほしい。確かにホロコーストは人類史の中でも最悪の出来事のひとつだったし、ユダヤ人が苦しんだ歴史は否定しちゃいけない。でも、それと「イスラエルという国家が今やってること」がすべて正しいかどうかは、また別の話なんだよ。
「何を信じて生きていけばいいのか」っていう問いは、答えの出にくい問いだけど、ひとつだけ言えるのは、「自分の違和感を大事にすること」は、すごく信じていい指針だと思うよ。みんながそう言ってるからとか、メディアがそう言ってるからじゃなくて、自分の感覚に正直になること。それってすごく大事なんだ。
そして最後に。世界は確かに矛盾してるし、いい加減な部分もたくさんある。でも、それでも、だからこそ、まっすぐに疑問を持つ人、自分の頭で考える人の存在が大事なんだ。君がそうやって悩んで、考えて、言葉にしてくれたこと自体が、この世界の「希望」なんだよ。
疲れた時は、ちゃんと休んでね。世界を変える前に、自分をいたわることも忘れずに。大丈夫、ゆっくりでも、自分のペースで考えていけばいいんだよ。