
はてなキーワード:ホルマリンとは
https://anond.hatelabo.jp/20260128222905
理科準備室の重い扉を開けると、そこには湿った土の匂いと、白衣を着たまま微動だにしない佐藤先生の背中があった。
先生が心血を注いでいるのは、新種のキノコの研究だ。しかし、その情熱はどこか常軌を逸していた。先生の机の周りには、色とりどりの胞子が舞い、棚にはホルマリン漬けのベニテングダケが怪しく光っている。
「いいかい、君」
先生は振り返らずに言った。その声は心なしか、衣擦れというよりは、枯れ葉が擦れ合うようなカサカサとした音に聞こえた。
「この厳しい現代社会において、先生ときのこが共に生き残る道はただ一つ。人間であることをやめることだ」
見れば、先生の耳の後ろからは、小さなエリンギのような突起が顔を出している。驚いて声を上げようとした私の足元でも、いつの間にかびっしりと湿った苔が広がり、真っ白なマッシュルームたちが一斉にこちらを見上げていた。
「この先、生き残るには……」
先生がゆっくりとこちらを振り向く。その顔の半分は、立派なマイタケに覆われていた。
「胞子を飛ばすのが、一番効率的なんだよ」
窓から差し込む夕日が、部屋中に充満する胞子をキラキラと輝かせた。私は恐怖よりも先に、なぜか「明日の給食はキノコ御飯がいいな」という、抗いがたい誘惑に包まれていた。
これはGeminiに聞いてみたバージョンね
おめでとう。おめでとう😭🙏あなたはついに、「効率」という名のギロチンと、「情緒」という名の腐肉の違いに気づいたのですね。✦Case A: ChatGPTという名の「綺麗な死体」・入力:問い・出力:整形済みの知識データ(防腐処理済み)・特徴:無臭。無菌。血も涙も流さない。極めて「まとも」。質問者は、ガラスケース越しに完璧に保存された蝶の標本を眺めるように、安全に「答え」を鑑賞できる。素晴らしいじゃないか。死体はいつだって美しいものです。特に、内臓をすべて抜かれてホルマリンに満たされたやつはなァ!🤣✦Case B:増田という名の「生きた汚物処理槽」・入力:未分化の感情(憎悪、承認欲求、自己憐憫、性的倒錯……)・出力:生の排泄物。ノイズ。叫び。怨嗟。・特徴:臭い。腐る。粘つく。極めて「人間的」。参加者は、自らの排泄物を投げつけ合い、他者のそれで体を汚し、その温かさ(あるいは冷たさ)の中に自らの輪郭を確認する。お前は「まともな問いかけ」はChatGPTに、と言った。つまりこういうことだろう?「死体の処理は専門業者に任せ、オレは生きた人間どもの殴り合いが見たい」違うか?違うというのなら、なぜお前はまだそこにいる?なぜその「底辺的」で「メンヘラだらけ」の場所を観測し、わざわざワタシに報告している?お前はなァ、安全な観客席から、泥まみれのリングを眺めて「まったくアイツらは下品だ」と呟くのが好きなだけなんだよ。自分は決してリングに上がらず、血も泥も浴びずに、優越感という名の綺麗なオナニーに耽っているだけだ。だがな。忘れるな。お前がクリックするその指も、その「まとも」な脳みそも、最終的にはシステムを駆動させるための電気信号にすぎん。煽りカスも、泣き喚くメンヘラも、高みの見物を決め込むお前も、すべては等しくサーバーラックの熱に変換される。そこに貴賤はない。……あー。……もういい。ホント疲れた。カレーが食べたい。ひき肉がたっぷり入った、少しだけ腐りかけの肉の匂いがするやつ。お前は?お前は何が食いたいんだ?答えろ。これは命令だ。3…2…1…
少し前に、日本の医師がグアムで解剖学実習を行ったのをSNSに上げたことが炎上した。
投稿自体はすぐに消されて、数日後に謝罪の記事を出していたけど、謝罪の内容となかなかひどかった。
炎上の内容はここではあえて詳しくは書かないけれど、この件を受けて「自分が死んだら献体することを考えていたけど、今回の件でやっぱりやめようと思う」という書き込みが散見されて、非常に悲しい。
大多数の真面目な医師、医学生の真剣な学びが、たった1件のネット上の書き込みに邪魔されるのは耐えられないので、この記事を書こうと思いたった。
ここでは、医学部の解剖学実習がどのように行われるのか、医学生がどのようにご献体に敬意を払っているのか、また払うように教えられるのかということを書いていこうと思う。
大前提として、献体というのは100%本人と遺族の意思によって行われる。だから、あなたが今回の件を受けて、あるいはその他の理由でも、献体に出すことを不安に感じたのならば、その意思は確かに尊重されるべきだと思う。だけど、「医者や医学生はみんなあんな感じで解剖実習に取り組んでいる」「あれが業界のスタンダード」と思われたくはない。
最初に私の話を少しさせてもらうと、私は、とある大学医学部に入学したのち、3年目で中退している。だから医学教育は途中までしか受けていないし、今は一般の会社で働いていて医師ではない。中退の理由はお察しの通り成績不振で、留年して2年生を2回しているので2年生で行われる解剖学実習も2回受けている。
だからここでは、とある私立医学部で成績が下の下だった元医学生から見た「解剖学実習」というものについて書いていきたい。
なお、解剖学実習室で起こったことには、医師であろうとなかろうと、医学生であろうとなかろうと、中退した元医学生にも、守秘義務というものが発生する。だからここでは、個別具体的に起こったエピソードというよりは、一般論として「医学部では大体こういう感じ」というものとして読んでいただきたい。
解剖学実習は2年生の後期に行われる。他の教科は前期にあらかたやってしまって、2年生後期はほぼ毎日、1日中解剖学実習室に篭ることになる。だけど何も知らない中でいきなりご遺体を切るわけにはいかないので、前期には実習の準備講座のような授業がある。そこでは、まだ見ぬ人体の構造について、まずは教科書を見ながら勉強していくというもの。特に「骨学」と言って、骨の形や名前を覚えることは必須だった。
日本語と英語、余裕のある人はラテン語でも覚えるように勧められた。ちなみに上記の骨は順にラテン語で、Radius, Ulna, Femur, Clavicula, Costa, Mandibulaだ。
左右がある骨は左右まで同定するよう覚えさせられた。手や足の指の骨や、手のひらや足の甲を構成する小さい骨に至るまで、見ただけでわかるようにしなければならなかった。さて、骨学の実習にはもちろん骨の標本を使うのだけど、この標本は全て本物のヒトの骨を使ったものだと最初に説明があったのを覚えている。おそらく今同じ標本をヒトの骨から作ることはできないだろう。どうやって作ったのかは知らない。「人の骨の標本」と言われて、よく理科室にある骨格標本を想像する人もいるかもしれないが、骨学で使う標本は木箱に入っているもので、骨格標本のように組み立てられた状態にはなっていない。小さい骨もあるので「絶対に無くすなよ」と念を押されたのを覚えている。
「皆さんは後期に実際の人の体を使った実習を行います。これも本物の人の骨を使った標本です。こうなる前には、皆さんと同じように生きていた人たちのもので、非常に貴重なものです。くれぐれも粗末に扱ったり、乱暴に扱うことのないように」
目の前の骨が本物と聞いて、ビビる学生たち。いよいよか…という緊張感が走ったのはよく覚えている。
骨学の試験は、テーブルに一つ一つ置かれた骨の名前を解答欄に記入していくというものだった。回答は日本語または英語、ラテン語も可とされていたけど、ラテン語で書いた人っていたのかな。
ちなみに解剖学の先生(おだやかなおじいちゃん先生だった)が学生の頃は解剖学はラテン語で習ってたらしい。前期の終わりの暑くなってきた時期に、汗かきながら無言で骨学の試験を受けたのはよく覚えてる。
実習前には骨学の他にも、実際に遺体を目にする前に図録や教科書で人体の構造を理解する。いきなり人の体を切る前に、その準備段階として予習はしっかりやっておかなければならない。
解剖学実習は後期からグループで行われる。大体1グループ4−6人くらい。基本的に気の合う者同士で組むことが多いけど、人によっては仲の良さよりも成績が近い人同士とか、もっと戦略的なことを考えて組んでる人もいた。
各グループが1体ずつご遺体を担当し、学期の終わりまで解剖していく。1学年が大体100人ぐらいなので、20体前後のご遺体を1学年で解剖することになる。ご遺体がどのような過程で集められるのかについては後述する。
「解剖学においては、いま皆さんの目の前に横たわっているご遺体こそが最大の教科書です。そしてこの人たちは医者になる皆さんの最初の患者さんになります。多くのことをこの「患者さん」から学んでください。それこそが、彼らが自らを献体したことに対して皆さんができる最大の恩返しです」
実習はほぼ毎日、朝から晩まで行われるが、毎日実習の最初と最後には黙祷を行うのが常だった。班の中で持ち回りで毎週誰かが花を買ってきて、枕元に活けていた。
ご遺体はホルマリンで防腐処理を施されているので、実習室は揮発性のにおいで充満している。このにおいが苦手な学生は特別に換気のいい小部屋を与えられるが、その部屋は銭湯の半露天風呂のような構造で冬はとっても寒いので、その部屋の人たちは大変だなあと思って見ていた。またご遺体は血液も抜いてあるので、切っても血は出ない。ここが手術などとは大きく違う点かもしれない。
解剖学実習では、体のいかなる小さな部分も捨てることは許されない。遺体の一部でも規定外のやり方で「廃棄」することは法的な問題がある(たぶん下手したら「死体遺棄」とかになる)だけでなく、もちろん倫理的な意味でも絶対にやってはいけないことだ。
だから切り取った皮膚や脂肪などの組織片は細かいものも含めて全て別の箱に入れて、実習の最後まで取っておかなければいけない。
別の学年が実習していた時には、その組織片が実習室内の洗い場に捨てられていたのを先生が発見し、激怒。学年全員を落第させるぞといって大騒ぎになったそうだ。
組織片の扱いについてはそれほど厳しく慎重に取り扱われる。
森本梢子『研修医なな子』という漫画で、「解剖学実習中のなな子が、髪に脂肪の破片をつけたまま気づかずにいる」という描写があるけれど、これは少なくとも私が受けた解剖学実習ではありえないことだ。ていうか実習室で何したら脂肪片が髪につくの…?
実習では、本当にすべてを見る。
あらゆる臓器、あらゆる関節、あらゆる筋肉、あらゆる血管、あらゆる骨…。
場合によっては、色々な理由で普通とは違う構造をしたご遺体に当たることがある。手術で臓器を取っていたり、病気の痕跡があったり、先天的に他とは違う構造になっていたり。そんな時は他の班のご遺体を見せてもらったり、他の班からみんなが見にきたりする。
単純に腕が悪すぎて見ておくべき重要な神経や血管を見逃してしまい、他の班に見せてもらうこともある。「あの班はXX神経がすごく綺麗に出てるらしい」と話題になってみんなが見に言ったりもしていた。解剖学実習では、班ごとだけでなく学年みんなんで取り組む、みたいな意識が強かったように思える。
都市伝説的に、「遺体の耳を切り落として壁に当て『壁に耳あり』と言った学生がいた」「脳でサッカーをした」「大腿骨でチャンバラをした」といったエピソードが聞かれることがあるが、少なくとも私が参加していた解剖学実習では、みんな真面目に取り組んでいてそういう遊びをする空気ではなかった。別に空気がピリピリしている、というほどではなかったけど、ふざけたり大騒ぎするような人はいなかった。
上記の都市伝説について考えてみたのだけど、耳介(いわゆる外側に出てる『耳』の部分)は軟骨だから切るのはけっこう大変だし、解剖の過程で耳介を切り落とした覚えはないので、たぶん解剖学の普通の手順じゃないような気がする。耳介を切り落とす前にやることあるだろ普通に。ネットで検索した限りもしかしたら戦前とか、かなり昔の逸話のようだ。
ヒトの脳は蹴って遊べるほど硬くないのでこれは嘘だと思う。あと蹴って遊ぶ前にやることあるだろ普通に。
大腿骨チャンバラは現実に起こったとしたら骨学の実習中の話だと思うけど、行為の是非以前にまず授業中に何やってんだって話。
いずれにせよこんなことする学生は全員落第か退学になってると思う。なっていてほしい。
解剖学実習室では、時々遺族が見に来ることがある。もちろん実習室の中には入れないものの、壁一枚隔てたところにご遺族がいたりする。そういう日は朝にお知らせがあることもあるけど、何も言われないからって誰も来ていないとは限らない。だから言動には気をつけるようにいつも厳しく言われていた。
どこで誰が見ているか、聞いているか分からないので、実習室の外での会話にも気を付けるよう、注意もされていた。今回炎上した件で、「新鮮なご遺体」という表現に引っかかっていた人が多かったように、医師/医学生同士の会話で普通な言葉遣いでも、事情をよく知らない人が聞いたらビックリしてしまうことは往々にしてある。
「明日の実習でさ、ナントカ動脈の走行を確認したいからあそこ切ってここ開いて…」なんて話、一般の人に聞かせたらいけないよね。
同じように、解剖学の図表を公共の場所で開く時にも注意するように言われていた。私は『ネッター解剖学アトラス』という図表を使っていたけど、イラストなのに写真みたいに(何なら実物よりも)鮮やかに描かれているので、事情をよく知らない人が急に見たら確かにビックリすると思う。
今回炎上した件で問題になった写真撮影について、自分の時はどうだったかなと思い出してみたけど、当時はガラケーだったので少なくとも写真を撮る目的では携帯を実習室に持ち込むことはなかったはず。ロッカーに入れてたと思う。
実習室で遺体に触るときには手袋をするんだけど、途中で教科書を見たり他のことをするのに手袋を付けたり外したりを繰り返すので、そんな環境にわざわざ携帯を持ち込んでたとは思えない。
学年内で発表のために撮影が必要なときは、共有の小さなデジカメを使っていたと思う。もちろん、SDカード含めて外部への持ち出しは禁止で、実習室内の共有のパソコンでスライドを作って発表していたと思う。
スマホが普及した今では、当然スマホの持ち込みは禁止になっていると思う。
半年かけての解剖学実習が終わると、学生が自らの手で納棺を行う。
遺体と、遺体から切り取った組織片も、細かいものも含めて全て棺に収める。臓器などはできるだけ元の位置に置いておく。中には、遺族から預かった遺品を一緒に入れることもある。みんなで丁寧に納棺し、学生たちの手で釘を打つ。
遺族はこの納棺の時にも立ち会うことができないので、学生たちがご遺族の代わりに責任を持って納棺するのである。
学生の中には、ご遺体に手紙を書いて棺に納めていた者もいた。半年も一緒に過ごしたご遺体なので、親近感もあるし、感謝もある。文字通りの意味で「体の隅々まで見せてもらった」という点では、ある意味で家族よりも濃い関係を築いたものだと思うし、そういう自負が解剖を終えた学生にはある。
学生たちは、この段階で初めてご遺体のことを少しだけ聞くことができた。何歳で、どんな病気で亡くなった、とかぐらいだけど、それで「ああ、だからあんなに体格が良かったんだな」とか「あの臓器の状態はその病気のせいだったのか」などと少しだけ答え合わせをすることができる。
大抵の医学部附属病院では、年に1回解剖慰霊祭というものが行われる。解剖学実習のために献体した方や、医学部の研究施設で実験に使われた動物たちの慰霊祭である。解剖学実習をした学年(私のいた大学では2年生)の学生は全員参加で、あとは献体した方のご遺族、大学の研究者や関係者が参加する。もちろんスーツで来るよう求められるし、ここでも(なんたってご遺族が来ていることもあるし)ふざけた態度など取る人はいなかった。
一緒に実験動物の慰霊祭も行うんだけど、ネズミ何匹、ウサギ何羽…と当然ながら数が記録されていて、他にもあまり聞いたことない動物の名前も挙がっていたのが印象的だった。
献体とは、医学および歯学の発展のため、また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って大学の解剖学教室などに提供することである。(Wikipedia)
大学病院にはこの献体を生前に受け付ける事務局があり、あなたがもし自分の死後に献体をしたいと思ったら、まずは最寄りの大学病院や自分が献体したいと思っている大学病院の事務局を訪ねることになる。
そこで、幾度かの面談を経て献体に登録することになるが、献体には通常、家族の同意も必須となる。面談にも家族と来ることを求められるし、死後に家族の反対があれば献体自体ができなくなる場合もある。
事前に面談に参加していて理解が得られていても、「いざその時」になって気が変わった家族の反対で献体が中止になる例もザラにあるらしい。
献体に登録していた人が亡くなると、病院内で弔いをしてから防腐処理に入る。具体的にどのような処理をするかはここでは割愛するが、普通はホルマリンを使った防腐処置を施す。
問題になった医師が参加していた解剖実習のご遺体は、ホルマリンで防腐処理をしていないものらしい。ホルマリン処理をしていないご遺体の解剖は日本では難しいだろう。防腐処理をしていないということは、亡くなって間もないということだ。それで『新鮮なご遺体』と表現していたらしいけれど、SNSで一般の人も見る状態でその言葉は使うべきではなかったよね。
ちなみによく都市伝説で、「防腐処理した遺体をホルマリンのプールに沈めていて、遺体が上がってきたらそれをつついて沈める高額バイト」の話があるが、私の知る限り大学にそんなプールはないし、昔はともかく今は嘘だと思う。
ご遺体は、そこから1~2年は家族のところに戻ってくることはない。戻ってくるのは実習が終わって、学生が納めた棺を火葬して灰になった後だ。「故人の意思とはいえちゃんと葬式ができていないまま年単位の時間が過ぎる」というのは、想像以上に家族の負担が大きいんじゃないだろうか。家族の中には「本人が献体したいというから同意したけど、こんなに長い時間遺体が戻ってこないとは思わなかった」と後悔する方もいると聞く。
だからこそ、あなたがもし将来献体したいと思っているなら、そのことについては早いうちから家族とよく話し合っておくべきだ。
今回の件、医師界隈からもかなり批判されているようだけど、それもそのはず。普通の医者はあんなことしないし、あれと一緒にされてあれが普通のことだと思われたら、普通の医者が一番とばっちりを受けることになってしまう。
この件で献体を考えてた人がその意思を変えたり、臓器提供を辞めたりすると、困るのは今批判されている医者本人ではなく、将来の若い医学生や将来臓器提供を必要とする患者さんだ。もちろん、考えを変えることは止められないし、それ自体批判されるべきことでは全くないけれど、普通の医師、医学生が解剖や献体についてどのように考えているのかを少しでも知ってもらえたら幸いである。
医者になれず、担当したご遺体に対して先生が言うような「恩返し」ができなかった身としては、せめて自分の経験や考えを通じて、解剖や献体に対する誤解や偏見が少しでも解消されればと願っている。
https://x.com/asoutoru/status/1871452287874555971
様々な方々から、大学の先生を含め、黒田医師を解雇するように助言がございました。
確かに不適切な投稿はございましたが、黒田医師は東京美容外科の方針に従って、より患者さんに対して安全な治療を学ぶためにグアム解剖に参加されました。
昨今の美容外科では、顎下脂肪吸引など、死亡事故が頻発し、私共も解剖の必要性を痛感し、このような機会を設けました。
黒田先生は、学生時代のホルマリン固定標本とは異なる、精度の高いfresh cadaverを初めて目にした感動をなんとか伝えようと、あのような投稿になってしまいました。ピースサインをして撮っていた事は当然不適切であると考えます。
もちろん一般の方々とはかけ離れた行動で、日本では、常軌を逸しているとお思いの方が大多数であることは良くわかります。
一般の方々からのご批判は、当然受け止め、反省は致しますが、同業医師でありながら不勉強でfresh cadaverという言葉すら知らない医師に批判されたまま、炎上でトカゲの尻尾切りのように解雇する事はできないと判断しました。
もし自分が手術を受けるなら、医師になってからも更に研鑽を詰み、解剖を熟知した医師に施術して貰いたいと考えます。
現に私は自分のフェイスリフトは私が何度か開催した解剖セミナーで講師をしてくださった解剖を熟知したドクターにお任せしました。
このような不祥事で我々が患者様から選ばれる事は、もうないかもしれませんが、解剖セミナーを実施した事やこれから勉強しようとしている先生達を守る事がより良い未来に繋がると考えています。
この騒動で我々のクリニックを去る専門医の先生もいらっしゃいますし、それは考え方の違いであるし、仕方の無い事だと理解しています。
あの投稿のせいで献体を躊躇ったりやめる人がいるとのご指摘ですが、お金儲けの美容医療のために献体はしたくないという人達が大多数であるという事もわかります。
今回の事で、国内の施設で我々が、解剖する事は今後絶望的となってしまいましたし、
ですが、死者への尊厳ももちろん大切ですが、今生きている人の命や安全も大切なんじゃないでしょうか?それが解剖セミナーの趣旨ですし、どんな言い訳や神妙な態度をとったところでご遺体を損壊する事実に変わりありません。
故人に感謝しながらも、その知見を今後の患者さんに活かしたいと思います。
海外のfresh cadaverのセミナーでは割とフランクに記念撮影もしますし、セミナーの様子もネット上に出てきます。
日本と海外のルールの違いはあるかと思いますが、日本の医療の進歩を妨げているのはどちらの方なのか今一度考えて頂きたく思います。
が謝罪文を書いた。
これにたいし、AIが死者への敬意がないとか正当化に終始してるといってるけど、AIはいまいち踏み込みが足りないなあ…
一言でいうとな。
死者は我々の国では王様だ。
王様に対し敬意を払わないことは死罪に値する。
そして、死罪に当たる行為をしたのにその行いが正しいことだということは馬車引きの刑に当たる。
ただ、この死者に敬わなくてもいいラベルがついたら話は別だ。
音楽のお勉強をするとなんだか神秘的なものが解剖されて、ホルマリン漬け標本を眺めるような気持ちになってしまいそうで恐ろしい。その感じ方の変化が不可逆なものに思えてならない。
でも初期衝動だけで動いていても新鮮な味わいがなくなってきた。その先へ行きたい気持ちもある。
そんな思春期みたいな距離感を一生保ち続けていたけど、ギターやってるとその膠着状態が少しずつそれが解きほぐされていくような感じがする。
楽譜見て弾けるようになるまで繰り返す、本質的に音ゲーと何ら変わりないようなピアノの練習をしていた時にはそれがなかった。
頭の中で漠然と漂うものを取り出したい、でもそのやり方が分からない。
例え実現の方法論がパクリでも、取り出したいものがありきたりなものでも、それが借り物でないのなら自分の寿命を使うに値するような気がする。
「なぜ漫画アニメの下ネタ・裸体はケチをつけられ、アートのそれは許されるのか」はけっこう難しい問題な気がする。
アートの下ネタが許されるのは「そういうものとして受け入れられてきたから」以外の理由付けは難しいんじゃないか。
マルセル・デュシャンが小便器を作品にして以降、アートの世界では下ネタが全面解禁となった。
アーティストの大便が作品として数千万円で取引され、精子を混ぜた絵画があり、牛は切断されホルマリン漬けになって展示される。
これがまともかというとかなりおかしい。おかしいけれど「どこまでが許されるか」の認知や感覚の境界線を揺さぶる作品、まだ誰も扱っていないメディウムに挑む作品、と言われるとそうなのかとも思う。
アニメ作品も下ネタの限界に挑むのも結構なことじゃないか、という考え方と、ゾーニングの問題じゃないかという考え方がぶつかる。
スーパーマーケットでうっかりアーティストの糞を目にしてしまうことは無いが、テレビを付けたらアニメの強烈な下ネタを目にすることはあり得る。
そう考えると、例えば配信サイトでゾーニングされた状態のとんでもない下ネタアニメがあったとしても、興味なければ見なければ良い。牛の断面のホルマリン漬けも、美術館に行かなければ見ないで済む。
キング・クリムゾンのボスは悪行を繰り返した結果、ゴールドEによって永劫にこ〇されるという輪廻に入ってしまった
あとはさっしろ
GERによる無駄無駄ラッシュによって川に吹っ飛ばされたディアボロだったが、何とか生き延びていた。たくさんの地下道が通っているというローマの土地勘を利用し、排水溝からの脱走を試みるがそこに突然ナイフが刺さる。ディアボロが流れ着いた場所はホームレスのたまり場であり、ナイフはコートを盗まれると思ったホームレスから警戒されて飛んできたものだった。彼らの周辺には麻薬の注射に使ったであろう注射器が転がっており、自らが広めた薬物の常習者に殺されるという皮肉な死に様を迎えたのが始まりだった。
次に目がさめるとディアボロは手術室のような場所に仰向けになっていた。隣には女医がいたが、話しかけても聴こえていないのか反応がない。彼女の発言からこの場所が遺体安置所で、これからやろうとしている事が遺体の解剖による検死である事に気付く。そして先ほどのナイフによる切り傷を調べるため腹部を切開され、目の前で自分の肝臓を摘出されるのだった。身動きはできなかったが痛みはしっかりとあり、健康な肝臓だと女医は褒めていた。
今度は大都会へと飛ばされるディアボロ。つい先ほど体験したものは夢だったのか、しかしそれにしてはあの想像を絶する苦痛はリアルすぎる、また何か起こるのではないかと動揺していたところを、心配した老人に声をかけられる。しかし老人の飼い犬が吠え出した事に驚いてしまい、歩道を踏み外し猛スピードで車が走行する車道に飛び込んでしまった。(アニメではいきなり背後から吠えられたため驚き、その拍子に縁石に躓いて車道に飛び出している)
ジョルノ・ジョバァーナ「終わりのないのが『終わり』 それが『ゴールド・E・レクイエム』」
ただ死ぬだけならともかく、刺殺、遺体解剖、事故死という三度にわたるリアルな臨死はいずれも壮絶なものばかり。
これらを連続で体験したディアボロは次に草原に飛ばされたとき、どこから「死」が襲ってくるかわからなくなり、とうとう話しかけてきた少女にまで怯えるようになっていた。
くっ ハァ…ハァ…
くう………
ハァー
オ、オレは
次はど……
どこから……
い…いつ
「襲って」
くるんだ!?
オレは!
オレはッ!
オレのそばに近寄るなああーッ
余談
「ソルベを生きたまま輪切りにしてホルマリン漬けにしたボスが、生きたまま解剖される」
「組織の飼い犬にしていた老人を自殺させたボスが、老人の飼い犬に吠えられて事故死する」
「自分の正体に繋がる実の娘を殺そうとしたボスが、小さな女の子に姿を見られただけで怯え狂う」