Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「ホトトギス」を含む日記RSS

はてなキーワード:ホトトギスとは

次の25件>

2025-11-17

anond:20251117164542

「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス松下幸之助

はどうなんだ?

Permalink |記事への反応(0) | 16:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

鳴かぬなら〇〇ホトトギス←これ

鳴かぬなら殺してしまホトトギス織田信長

鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス豊臣秀吉

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス徳川家康

これ違うよな。愛を重んじた信長が有無を言わさずに殺したのなんて一向一揆生臭坊主相手にだけでしょ

それ以外は愛を以て接してたでしょ。三人の中で攻城戦など調略に一番時間かけてたし

なので鳴くまで待とうが信長実像に近いと思う。

次に鳴かせてみせようの豊臣秀吉はむしろ苛烈な人ですぐ殺して回ってた。それは天下統一後も同じで下剋上にならんように民草を弾圧してたのは有名だし秀次事件無関係の人を冤罪連座で殺しまくったのは秀吉その人

鳴かぬなら殺してしまえは秀吉のためにあるもの

最後に鳴くまで待とうの徳川家康信長義理を果たし続けて今川の遺児も保護してる。関ヶ原合戦では豊臣恩顧の筆頭大名となり東軍大将にこそなったけど石田三成論功行賞があまりにも酷過ぎると豊臣恩顧の大名(加藤清正福島正則など)らから苦情を受けて担ぎ上げられたに過ぎない。小早川秀秋らの裏切りにしても正に鳴かせてみせた結果。

従って鳴かせてみせようは徳川家康にこそ相応しいと考える。

Permalink |記事への反応(1) | 16:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-18

anond:20250917170442

鳴かぬから

YouTubeで聞こう

ホトトギス

Permalink |記事への反応(0) | 06:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-08

ホトトギスの鳴き声もカエルの歌も法隆寺鐘の音港区らしくない

Permalink |記事への反応(0) | 12:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-06

東京ホトトギスの鳴き声を聞く方法

鳴かぬなら

田舎で聞こう

ホトトギス

Permalink |記事への反応(0) | 14:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-11

anond:20250811154412

ホトトギス

Permalink |記事への反応(0) | 17:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-14

平安京エイリアンズって蹴鞠(K)リーグのチーム名とかかな?

ライバル平城京ホトトギススとか?

Permalink |記事への反応(0) | 12:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-12

鳴かぬなら

そういう種類のホトトギス

Permalink |記事への反応(0) | 01:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-12

ホトトギス、鳴かぬ存ぜぬ、猫まんま

Permalink |記事への反応(0) | 18:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-03

anond:20250603173140

キトー想像で書くけど、いつも散策しながら撮ってるおっちゃんが、「この池の向こうによくホトトギスがいるんだけど、撮ろうとすると背景が雑木林でつまんないんだよね。でもね、朝方にこの木陰からあっちを狙うと空を背景にきれいに撮れるんだよ」なんて話してそうじゃん?

増田の書きぶりからすると、あくまで固定された観察小屋から撮影、みたいなのを想像してる感じもするから、言いたいことはわかるんだけどさ。(それにしてもシャッタータイミングくらいは、模型相手じゃあるまいし、鳥相手はいくらでも考慮すべきことありそうだけど)

Permalink |記事への反応(1) | 19:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250603170933

野鳥撮影に構図とかシャッタータイミングとか無いってマジ?

たとえばホトトギス撮影するときはみんな揃って同じ写真になるってこと?

Permalink |記事への反応(1) | 17:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-30

アカ

左側が聞こえなくなって断線したとこはんだ付けしたK702がまた調子悪くなってきた

ケーブル触るとノイズ乗るわ

付け直すか?

いやめんどくさいな

音出るし 逝くまで使おうホトトギス

Permalink |記事への反応(0) | 06:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-24

殺されるホトトギスかわいそうじゃない?

Permalink |記事への反応(0) | 18:37

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-13

anond:20250112220238

実際にはホトトギスが鳴くまで待たずに寝てた

Permalink |記事への反応(0) | 13:32

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-12-02

ごちゃまぜという意味の「ちゃんぽん」と料理の「チャンポン」は関係があるのか?

以下、ごちゃまぜという意味言葉は「ちゃんぽん」、料理のほうは「チャンポン」と表記する。

まず辞書では、

ちゃん‐ぽん[名・形動]《「攙和」の中国からか》

1 2種類以上のものをまぜこぜにすること。また、そのさま。「日本酒ウイスキーちゃんぽんに飲む」「話がちゃんぽんになる」

2 肉・野菜などをいため、小麦粉に唐灰汁を加えて作った中華風の麺と一緒にスープで煮た長崎名物料理

ちゃんぽん(チャンポン)とは? 意味や使い方 - コトバンク

たいていは先に書かれるほうが古い用法なので、ごちゃまぜの「ちゃんぽん」のほうが先にあったということだろう。

しかWikipediaで「ちゃんぽん」を調べると、いくつかの語源説が出てくる。

なかでも「攙烹」説「吃飯」説「喰飯」説などは、明らかに料理が前提にあるので、「チャンポン」が先でないとおかしいように感じる。

ざっと検索たかぎり、「どちらが先にあったか」を明言しているところがほとんどなかったので、ちょっと調べてみた。

結論から言ってしまうと、「ちゃんぽん」のほうが先である

ちゃんぽん」は江戸時代からあった言葉で、三好一光『江戸事典』や、

ちゃんぽん 交互、又は両天秤にかけるをいう。

非人一「そんならお志は附けたり」非人三「女の詮議半分」中間「両方掛ければ、これがちゃんぽん」(南北、独道中五十三駅)

前田勇『江戸語大辞典』にも掲載されている。

ちゃんぽん ①彼と此と入り混じること。まぜこぜ。ごちゃまぜ。文政五年・花街鑑 下「芸者の滑稽、チリツンテン、ちやんぽんの大さはぎ」②交互。かわるがわる。文政九年・契情肝粒志二上「何時でも下馬一枚を棒組とちやんぽんで」


この「ちゃんぽん」の語源説は主に二つある。

ただ、前者は「鉦」が中国楽器、「鼓」が日本楽器から、という説明がくっつくことがある。

また後者は、中国人を「ちゃんちゃん坊主」などと言ったのは「鉦の音」に由来するというので、この2説は薄っすらとつながっていることになる。

一方、料理の「チャンポン」が生まれたのは明治30年代だとされる。

長崎明治32年創業した「四海樓」という中華料理店の「陳平順」という人が中国留学生向けに作ったというのが定説である

ちゃんぽんルーツ福建料理の『湯肉絲麺(とんにいしいめん)』である。湯肉絲麺は麺を主体として豚肉椎茸、筍、ねぎなどを入れたあっさりしたスープ。これに四海樓の初代陳平順(ちんへいじゅん)がボリュームをつけて濃い目のスープ豊富な具、独自のコシのある麺を日本風にアレンジして考案したものが『ちゃんぽんである

今日では缶詰冷凍など保存技術の発達により食材が年中あるが、当時は、そういうわけにもいかず苦労していた。そこで長崎近海でとれる海産物蒲鉾竹輪イカ、うちかき(小ガキ)、小エビもやしキャベツを使い、ちゃんぽんの起こりとなった。

ちゃんぽんの由来 | 中華料理 四海樓

ただ、これもなかなか難しいところで、「支那うどん」と呼ばれる同種の料理は他にもあったらしい。

四海樓でも当初は「支那うどん」という料理名で出されていて「チャンポン」とは呼ばれていなかったという。

以下、チャンポン支那うどんに関する、明治から大正にかけての記述を並べてみる。

明治40年『長崎紀要』では「チヤポン」が紹介されている。

「チヤポン」(書生の好物)

今は支那留学生の各地に入込めるが故珍しきことも有らざるべし。市内十数個所あり。多くは支那人の製する饂飩に牛豚雞肉葱を雑ゆ故に甚濃厚に過ぐれば慣れざるものは、厭味を感ずれども。書生は概して之を好めり

チャンポン」ではなく「チャポン」になっているのは誤字なのかわからないが、後述の「吃飯」説の傍証としてよく引き合いに出される。

明治41年『中學文壇』では「支那うどんチャンポン」であり、長崎固有の料理だと言っている。

支那ウドン 長崎只一の固有の名物長崎では「ちやんぽん」と言つて居る


明治41年『ホトトギス』でも同じく「支那うどんチャンポン」。やはり「チャポン」は誤字だったのではないか…?

長崎名物 一、チヤンポン 支那うどん、俗にチヤンポンと云ふ、東京だッてこんなうまいものはめッたにありやしない


大正3年『長崎一覧』には「支那饂飩元祖三角亭だ」と書かれている。

支那うどんも亦長崎名物の一つである 名の如く支那より伝つたうどんである 日本人の初めて製造せし人は大波止三角亭の上田百十郎氏である。氏は初め今の九州日の出新聞の所で飲食店を営んで居た、支那うどんを創めたのは明治三十二年であつて、創めた当時はあまり歓迎せられなかつた

大波止三角亭は大正年間に「支那うどん元祖大波止三角亭」という広告をあちこちに出していたようだ。創業年の明治32年四海樓と同じ。

大正7年『漫画巡礼記』の著者は「近藤浩一路」という人で静岡育ち東京住まいらしいが「支那うどんについては皆さんご存知だろう」という書きぶりである

長崎名物のうちにチヤンポンといふがある。チヤンポンとは支那うどん異名と聞いたら何だつまらないといふかもしれぬがこれが仲々莫迦に出来ない代物であるエビ豚、牛肉蒲鉾ねぎ其他種々のものがチヤンポンに煮込んであるから其名が起つたのであらう、先祖支那うどんと銘うった家が長崎市中到る処に見られるが、これが皆なチヤンポンだから驚く

また四海亭(四海樓のことか)の紹介もある。

しかし其中でも支那町の突当りにある四海亭が最も代表的なチヤンポンを食はせるといふので我等はK君の案内で此四海亭に始めてチヤンポンなるものにお目通りしたのである。見た所は他の支那うどんと大差はあるまいが、何せい材料料理法が違ふ。


ちなみにWikipediaには「明治初年には既に長崎人の本吉某が長崎丸山で、支那饂飩ちゃんぽんの名で売り出していたともいう」と書かれているが、これは昭和13年長崎談叢』がソースらしい。

チャンポン濫觴明治の初年我が長崎本吉某が丸山にて支那饂飩チャンポンと名づけて開業したるものにして終にチャンポン支那饂飩固有名詞となり了りぬ。


総合して、

といったあたりが気になる。

さて、料理の「チャンポン」の主だった語源説をまとめる。

いずれも確証はなく「発音が似ているか関係があるかもしれない」程度の話に尾鰭がついただけのようだ。

吃飯」説だけは、四海樓が主張しているという点において説得力があるが、それにしたって確証はなさそうである

以上。

ちゃんぽん」と「チャンポン」に関係があるかどうか、については結論が出なかったが、普通に関係がない可能性もあるということがわかったので、とりあえず良かった。

Wikipedia説明がまさにそうだが、「ちゃんぽん」の語源説と「チャンポン」の語源説がごちゃまぜになっている、つまりちゃんぽんになりがちなので、そこだけは気をつけたいところである

Permalink |記事への反応(3) | 23:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-11-16

anond:20241116075901

ホトトギス(当時のX(旧Twitter)みたいなやつ)始まって以来の大炎上だったらしいからね。

Permalink |記事への反応(0) | 08:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-10-17

触らない痴漢痴漢認定されるなら、むしろ触っていこうホトトギスになる!!

さあ、勇気を出して。君も。

Permalink |記事への反応(0) | 19:39

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-09-27

冷飯食わされ続けたゲルが泣くまで待ったホトトギスになり

キングメーカーになろうとしてセクシーに沈んだガースー

石破憎しだけで場当たり的に動いた結果力を失った麻生現在の心境を想像すると

メシウマが止まらない

 

日本始まったな

Permalink |記事への反応(2) | 16:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-08-15

俳句を詠みました

うっせえな ぶち殺すぞボケホトトギス

もうええわ ぶち殺すぞボケホトトギス

おんどれら 仲良くしましょホトトギス

Permalink |記事への反応(1) | 22:11

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-06-16

anond:20240615211557

信長が人気出たのって90年代以降じゃね?

俺が若い頃は、殺してしまホトトギスイメージしかなかったわ。

Permalink |記事への反応(1) | 15:11

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-05-06

anond:20240506174540

それは高浜虚子以降のホトトギスデマなんだよね

そもそも近代俳句の祖の正岡子規俳句短歌も両方詠みまくっていた

ところが虚子の代で「客観写生」とかいトンデモスローガン汚染されて、つまら風景ばかり詠むようになった

芭蕉は「見えたる光いまだに心に消へざるうちに言ひとむべし」といって心の中を重視していたし、一茶の俳諧なんか情念的といってもいい

Permalink |記事への反応(0) | 20:08

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-04-15

anond:20240415000338

アンジェリーナジョリーみたいに摘出してしまホトトギス

Permalink |記事への反応(0) | 00:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-03-07

幸せなら手をしま

ホトトギス

Permalink |記事への反応(0) | 18:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-03-04

信長秀吉家康を混ぜたら最強なんです

鳴かぬなら

鳴くまで魔王

ホトトギス

Permalink |記事への反応(2) | 10:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-02-08

ブクマカ「鳴かぬなら ◯◯◯◯◯◯◯ ホトトギス

「鳴かぬなら ブコメ批判 ホトトギス

「鳴かぬなら 判断保留 ホトトギス

「鳴かぬなら ダジャレで鳴かせろ ホトトギス

「鳴かぬなら 通報しよう ホトトギス

「鳴かぬなら メタブで詰めよう ホトトギス

「鳴かぬなら “あとで鳴く”とタグ ホトトギス

「鳴かぬなら 政府が悪い ホトトギス

「鳴かぬなら 万博中止だ ホトトギス

「鳴かぬなら ゾーニングかな ホトトギス

Permalink |記事への反応(0) | 21:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp