
はてなキーワード:ホスピスとは
今年の夏、熱中症で搬送された義母に検査で癌が見つかった。すでに転移があり、今年の冬は越せないだろうとのことだった。
しばらくして、ホスピスに転院する段取りがついたので再び帰省。
幼い子供を連れての移動は大変だったが、私以上に夫の方が辛かっただろう。
夫と義母は折り合いが悪い。
夫はあまり昔の話をしたがらないので、具体的は話はあまり知らないのだが「人間的に合わない」のだそうだ。
地方出身の夫は地元の進学校に進学し、東京の大学に進学した。実家を出たかったらしい。
付き合い始めてから今まで何度か帰省はしていたが、段々期間が空いていき、結婚の顔合わせ以降はコロナや仕事を理由に帰省していない。時々連絡は来るそうだが、何通かに一度そっけなく返信する程度だそうだ。
側から見ると嫌われていると気づきそうなものだが、義母が夫の気持ちをどう捉えているのかイマイチわからない。
久しぶりに会った義母は痩せていた。
挨拶もそこそこに「あなた少し太った?」と言われた。お義母さんは痩せましたね、とは言いづらかったので「産後なかなか戻らなくて」と笑って誤魔化した。
夫が引き払った義母宅からサルベージした宝飾品を渡される。義母が夫に「私にあげて」と言ったものだが、夫は義母から私にて渡した形にしたいようだった。こういうところに、夫と義母の関係が窺えた。
受け取ったもの中には夫の祖母からのものもあるそうで、それなりの品だそうなのだが、私に審美眼がないので古いデザインのアクセサリーに見えた。
何より夫と義母の関係性を思えば、受け取るのも身につけるのもるんるん気分でという訳にもいかない。
ありがとうございます、私も息子のお嫁さんに渡せるようにしますね、と言った。
言葉を話さない息子はご機嫌な様子で面会室を歩き、ソファによじ登っていた。
私が義母と関わったのはせいぜい数時間で、その間にも「こういうところが夫は嫌いなんだろうな」と思うことはあったが、我慢できないほどではなかった。
ある一点での夫の義母への対応を見れば、夫は冷たい息子のように見える。同じ部屋にいると言葉の端々が鋭く、語気が強くなっていく夫。あぁイライラしているな、と思うのだが義母は全く気にしていない様だった。こういうのを鈍感力というのだろうか。
ホスピスの医師に外出していいと言われたから外出したいと地元に着いてから言ったり、私に「あなたのイントネーションって…‥ちょっと変わってるわね」と言ったり、タッパーを買ってきて欲しいと言いながら、どのサイズか聞いても答えずに違うことを話し続ける義母。
私は要領を得ない会話も、デリカシーの基準の違いもしょうがないかなで付き合えるが、夫は義母の言動に一緒に過ごした時間と思い出が透けて見えるのだろう。
夫に「そんな言い方したらかわいそうだよ」とか言うのが教科書的なのかもしれない。
でもその類のことは思わなかったし、言わなかった。自分も夫と同じかそれ以上に、実家と関係が悪いからだ。
お金をかけずに上京できる手段を見つけられたのが私の人生のターニングポイントだったし、その手段を手にできたのが一番の幸運だった。それがなかったら夫と出会うことも、子供を産むこともなかっただろう。
息子を出産した時、実家とは訣別した。息子にも夫にも、この人たちを関わらせたくないと思ったからだ。
私がもう関わらないでくれ、と送った連絡に、母は「疲れているのね」と返事をした。
あぁ私の気持ちは受け取ってもらえなかったんだな、心が冷えていく感じがした。
連絡しないでと言う私と、通勤中に撮った虹の写真を送る母。会いたいという母と、連絡を無視する私。
あるとき×日に会えますか?と連絡が来て、耐えきれずに、こちらは元気でやっているから、そちらも自分の人生を充実させてくれ、私には関わらないでくれ、という内容で返事した。
その×日にインターホンがなったときの恐怖と悲しみ。母からの連絡と同じ数ある小さな絶望。
母は私の話を聞いてはくれない。私の気持ちを分かろうとしてくれない。もうこれ以上付き合いきれない。
そんな私に「お母さんにもっと優しくしてあげなよ」と言った友人の言葉がいかに軽薄だったか。
家族が仲がいいことはいいことだと思うけれど、私はそうなれなかった。
夫も多分同じだから、余計な助言はせずに話を聞いた。
実家・義実家の手を借りずに子育てをするのは大変だと思うこともあるが、都会には様々な事情の似たような状況の人がたくさんいて、そのための支援やサービスがある。
毎日まぁまぁ大変でそれなりに楽しくやっているが、時々不安になる。
自分が母にした報いが、いつか自分に返ってくるのではないか。息子から嫌われて、疎まれるようになるのではないか。
今子供から与えられている愛情が形を変えた時、私は気付けるだろうか。その時に自分を保っていられるだろうか。
義母は浮腫で歩くことができなくなり、薬の副作用か病状か、辻褄の合わない会話が増えたらしい。
死に向かっていく義母。そして母へ。
今年の夏、熱中症で搬送された義母に検査で癌が見つかった。すでに転移があり、今年の冬は越せないだろうとのことだった。
しばらくして、ホスピスに転院する段取りがついたので再び帰省。
幼い子供を連れての移動は大変だったが、私以上に夫の方が辛かっただろう。
夫と義母は折り合いが悪い。
夫はあまり昔の話をしたがらないので、具体的は話はあまり知らないのだが「人間的に合わない」のだそうだ。
地方出身の夫は地元の進学校に進学し、東京の大学に進学した。実家を出たかったらしい。
付き合い始めてから今まで何度か帰省はしていたが、段々期間が空いていき、結婚の顔合わせ以降はコロナや仕事を理由に帰省していない。時々連絡は来るそうだが、何通かに一度そっけなく返信する程度だそうだ。
側から見ると嫌われていると気づきそうなものだが、義母が夫の気持ちをどう捉えているのかイマイチわからない。
久しぶりに会った義母は痩せていた。
挨拶もそこそこに「あなた少し太った?」と言われた。お義母さんは痩せましたね、とは言いづらかったので「産後なかなか戻らなくて」と笑って誤魔化した。
夫が引き払った義母宅からサルベージした宝飾品を渡される。義母が夫に「私にあげて」と言ったものだが、夫は義母から私にて渡した形にしたいようだった。こういうところに、夫と義母の関係が窺えた。
受け取ったもの中には夫の祖母からのものもあるそうで、それなりの品だそうなのだが、私に審美眼がないので古いデザインのアクセサリーに見えた。
何より夫と義母の関係性を思えば、受け取るのも身につけるのもるんるん気分でという訳にもいかない。
ありがとうございます、私も息子のお嫁さんに渡せるようにしますね、と言った。
言葉を話さない息子はご機嫌な様子で面会室を歩き、ソファによじ登っていた。
私が義母と関わったのはせいぜい数時間で、その間にも「こういうところが夫は嫌いなんだろうな」と思うことはあったが、我慢できないほどではなかった。
ある一点での夫の義母への対応を見れば、夫は冷たい息子のように見える。同じ部屋にいると言葉の端々が鋭く、語気が強くなっていく夫。あぁイライラしているな、と思うのだが義母は全く気にしていない様だった。こういうのを鈍感力というのだろうか。
ホスピスの医師に外出していいと言われたから外出したいと地元に着いてから言ったり、私に「あなたのイントネーションって…‥ちょっと変わってるわね」と言ったり、タッパーを買ってきて欲しいと言いながら、どのサイズか聞いても答えずに違うことを話し続ける義母。
私は要領を得ない会話も、デリカシーの基準の違いもしょうがないかなで付き合えるが、夫は義母の言動に一緒に過ごした時間と思い出が透けて見えるのだろう。
夫に「そんな言い方したらかわいそうだよ」とか言うのが教科書的なのかもしれない。
でもその類のことは思わなかったし、言わなかった。自分も夫と同じかそれ以上に、実家と関係が悪いからだ。
お金をかけずに上京できる手段を見つけられたのが私の人生のターニングポイントだったし、その手段を手にできたのが一番の幸運だった。それがなかったら夫と出会うことも、子供を産むこともなかっただろう。
息子を出産した時、実家とは訣別した。息子にも夫にも、この人たちを関わらせたくないと思ったからだ。
私がもう関わらないでくれ、と送った連絡に、母は「疲れているのね」と返事をした。
あぁ私の気持ちは受け取ってもらえなかったんだな、心が冷えていく感じがした。
連絡しないでと言う私と、通勤中に撮った虹の写真を送る母。会いたいという母と、連絡を無視する私。
あるとき×日に会えますか?と連絡が来て、耐えきれずに、こちらは元気でやっているから、そちらも自分の人生を充実させてくれ、私には関わらないでくれ、という内容で返事した。
その×日にインターホンがなったときの恐怖と悲しみ。母からの連絡と同じ数ある小さな絶望。
母は私の話を聞いてはくれない。私の気持ちを分かろうとしてくれない。もうこれ以上付き合いきれない。
そんな私に「お母さんにもっと優しくしてあげなよ」と言った友人の言葉がいかに軽薄だったか。
家族が仲がいいことはいいことだと思うけれど、私はそうなれなかった。
夫も多分同じだから、余計な助言はせずに話を聞いた。
実家・義実家の手を借りずに子育てをするのは大変だと思うこともあるが、都会には様々な事情の似たような状況の人がたくさんいて、そのための支援やサービスがある。
毎日まぁまぁ大変でそれなりに楽しくやっているが、時々不安になる。
自分が母にした報いが、いつか自分に返ってくるのではないか。息子から嫌われて、疎まれるようになるのではないか。
今子供から与えられている愛情が形を変えた時、私は気付けるだろうか。その時に自分を保っていられるだろうか。
義母は浮腫で歩くことができなくなり、薬の副作用か病状か、辻褄の合わない会話が増えたらしい。
死に向かっていく義母。そして母へ。
先日90歳の祖父が入院したので、「万一の場合無駄な延命治療は希望しません」的な念書にサインして思ったのだが
最近ネットで「延命治療反対」だの「緩和ケア反対」だとか言われてるの、「こいつら延命治療や緩和ケアの定義分かってないな(自分もよく分からん)」ということで調べた
とはいえ「こういうのはっきり線引きできるもんじゃないからさ~」とか言ってると、社会保険が逼迫するにつれて平均寿命より上の人間は全員まとめて負担増という結果になる気がする
また、老人福祉はその子供である現役世代に対する福祉でもあるという意見が多々見られるが、今後高齢者に対する現役世代の比率が1を割ると、自分の親だけ面倒見る方が期待値が得になるため長続きしない論法である
(こういうときにかつて見られた「今の高齢者福祉削ると当然自分が高齢者なった時の分も削られるんだぞ」という意見が今では見られなくなり、つまり自分が高齢者になったときは削られてるのが前提になっているのも時代の経過を感じる。上記の意見も同様に消えていくだろう)
尊厳死の議論については、現状について知識がない人が参加しても混乱を招くだけなんだよな。少なくとも以下の論点は理解してないと。
患者本人の意思・家族の同意・治療担当の医師の判断の全てがそろうことで現在の日本では実質的に合法(医師が刑事告訴されないという意味で)。
実質的に合法とされるこの「尊厳死」に対する論点は、「黙認状態じゃなくて正式に法律で規定すべし」くらいしか残ってないのではないかな。
なお、延命治療を中断した場合、健康保険の負担で緩和ケアを受けることが可能。
自宅またはホスピスで苦痛の緩和を目的とした投薬を受け、そのまま最後まで過ごすことになる。
日本では非合法で医師が幇助罪で逮捕されるやつ。この制度で有名なのはスイスよね。
スイスでは患者本人の服用と医師診断が絶対条件なんだけど、末期疾患と身体的苦痛だけでなく、精神疾患でも許可が降りることがあるため、世界で最も寛容な自殺幇助制度と言われている。
海外の人が利用できることもあり、それをサポートするNPOなども出現したことで、安楽死ツーリズムという言葉ができるくらい話題になった。
日本では完全に非合法で医師が殺人の実行犯で逮捕されるやつ。スイスはこれを認めてないけれど、カナダやオランダやスペインで合法。
この制度の問題点は医師の負担が大きすぎること。死刑囚に対する死刑執行ですら大変な負担なのにそれを医師に押し付けるのはどうなんだという論点。
以上3点の違いと、尊厳死はすでに日本でも合法という点を踏まえた上で議論しないと不毛だよな。
たとえば、残る医師幇助自殺と積極的安楽死(医師投薬安楽死)まで日本で合法にする必要があるのか。
【追記】
伝聞のままに嘘を書いてしまったみたいなので正確な情報はブクマをご参照のこと。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241010185630
【/追記】
==
今はもうなくなってしまった八王子医療刑務所に収監されていた知人がいた。
なんでも大げさに話す人だったのでどこまで本当かはわからないけれど……
ほんらい医療刑務所は病気の受刑者を収容する刑務所だけど、その人は病気だったから八刑に入れられたのではなく、健康体だった。
医療刑務所には健康な受刑者もいる。その人たちは、病気の受刑者の世話をするのが刑務なのだという。
詳しくは聞かなかったが、医師や看護師ではない無資格の人でもできるような、いわば介護のような作業なのだろう。
刑務というと机を並べて家具や土産物を作ったりみたいな手作業をイメージしてたけど、そういう刑務もあるのだね。
八刑の医療補助みたいな刑務はラクなので、受刑者の中でも職業がサラリーマンとか知識階級とかの、比較的まともな人が送られるのだという。
八刑の中ではバタバタ人が死んでいたという。週にひとりとか二週にひとりとかそういうペースだった、と言っていた。
これが多いのか少ないのかはわからない。
シャバでも終末期医療を担うようなホスピスでちょっと規模が大きければそのくらいのペースで人は死ぬだろう。
八刑の収容者数や内訳がちゃんとわからないと、「週にひとりくらい」が多いか少ないかは判断できないよね。
そして実際、医療刑務所のメインが終末期医療にならざるをえない事情がある。
服役中に病気になって医療刑務所に移され、そこで床に臥していると、刑期が減らないらしい。
ベッドに寝ている間は課された刑を消化していないので、出所まであと何日のカウントダウンが止まってしまう。
病気を治して刑に復帰しないかぎり出所の日は近づかないわけだが、裏を返せば、治すのが難しい病だといつまでも出られないことになる。
ほんらいは有期刑であっても、病気で寝たきりになってしまうと実質的には終身刑になってしまうのだという。
刑務所で最期の日を迎えるしかなさそうな受刑者もたくさんいたそうだ。
所内で受けられる医療の質については色々とひどい話も聞いたが、これは伝聞を軽々に書くべきではない気がしたので書かないでおく。
なお八刑はいま昭和記念公園の先にできた「国際法務総合センター」の中に「東日本成人矯正医療センター」として移設されたそうだ。
父がお世話になっている民間の有料老人ホームから退去を命じられた。詳細は割愛するが、お世話になってから1年ほどの間に度重なる迷惑行為を父が重ねており、ケアマネージャーや施設長から報告が来るたびに家族として謝罪に向かっていた。
父の迷惑行為は認知症由来のようで、精神科医のお世話になっているのだが父に改善の傾向は見れない。迷惑行為は入居前から伝え、想定していたのだが、その頻度が予想以上ということだった。一度は施設の方と一芝居打って、父が見ている前で施設の人に家族が謝る姿を見せた。良心に訴える作戦だ。意味が無かった。
最初こそ信じられない気持ちや誤解があるのではないかという期待もあったのだが、回数を重ねるごとに確信が深まっていき、申し訳ない気持ちと無力感が強まっていったのを覚えている。
前置きが長くなったが、とうとう退去を命じられた。それは納得できるのだが、問題は期間である。なんと退去日の10日前に「期日までに退去してください。次の方がもう決まっています。部屋の原状回復までお願いします」と言われてしまったのだ。
家庭で素人が面倒を見たり、訪問介護をお願いしたりという体制では限界だから施設にお願いしたところがあり、家での受け入れは不可能であった。ショートステイ先を地元で探したものの最短で2か月待ち。他の有料老人ホームはどうかと当たっているのだが、少なくとも10ホームに相談して全てに断られてしまった。この有様から父の状態も察してほしい。
そのため流石に10日前は無理ですと申し伝えたのだが、先方は「もう次の人が決まっています」と壊れたスピーカーのように繰り返してきた。こちらが合意してないのに次の人?と思ったのだが、とりあえず議論は平行線であった。
ここで契約書を見返すと、迷惑行為で退去を命じることができるとは当然書かれてあった。一方で、退去の○○日前までに通告する、といった日取りについては書かれていなかった。
老人ホームの場合、退去させるにしても一般的には3カ月程度の猶予を設けるのだと、片っ端から父の転居を打診する中で教えてもらった。この3カ月というのは私が住んでいる都道府県が用意したテンプレートでの設定だ。
多くの事業者はこのテンプレートから大きく逸脱しないで作成しているのだが、私がお世話になっているところは買収を繰り返して巨大になった大手グループの系列であり、契約の書面を統一する過程でここは曖昧になったのかもしれない。余談だが、自治体によって有料老人ホームの契約書は基本的にネットで公開されているので気になった人は検索してみるとよい。
とりあえず一旦探した範囲では不可能ということで、頼れるのは行政だった。初めて知ったのだが、実は各市区町村の介護保険課がこういった介護の利用者と事業者のトラブルを仲介してくれる。介護保険課の職員は丁寧で、こちらの言い分を正確にくみ取った上で事業者に伝えてくれた。
ところが、この介護保険課が伝えてきた事業者側の言い分は驚きの内容であった。曰く、「もう私と結んだ契約で退去は決まっている」ということだった。同意?どういうこと?となったので、詳しく聞いてみるといろいろ見えてきた。
ここで話がややこしくなるのだが、実は退去を命じられた日の20日前に、父が癌ということもあり、一度ホスピスへの転居が決まっていた。そのホスピスの施設長との面談からの合意を得られ、事前に父の状態も現在の老人ホームと確認しあったうえで受け入れてくれるとのことであった。
後は転居日に契約も同時に締結すればよいという体制だったのだが、そのホスピスが直前に本社判断で「やっぱ無理」と通告してきてこの話は立ち消えになった。この際、ホスピスに転居する ということで、電話で今の老人ホームの退去に同意した経緯がある(書面では同意していない)。
とはいえ、転居先にちゃぶ台返しをされた以上、転居は不可能であり、引き続き転居先を探すから待ってくれとその時は頼んだ。それに対する返答は「…(転居先を見つけるのを)なるべく早くしてください」というものであった。これをもって私は理解いただけたと思っていたのだが、そうではなかったらしい。
つまり、向こうは今回、迷惑行為による追い出しではなく、退去に合意したことを理由に退去を迫っているらしい。「お前は電話で1度同意して、こちらはそこから20日も待ったぞ?」という論法のようだ。最初からそう言えよと正直に言って思ったのだが…、先方に言質を取らず、曖昧な言い方を見逃した自分への反省と、書面でのサインに応じなかったことへの安堵を感じた。
行政の方に、この経緯を伝えたのだが、「あとは個人の契約の話になるので行政は介入できないんですよ」と謝られた。苦情についての仲介や、法令違反への介入はしてくれるようだが、契約面では民事不介入ということかな。
契約書には「施設を退去させる場合は次の転居先が見つかるように配慮・協力する」という旨の記述はあったので、これを根拠に待ってくれとメールで改めて施設にも書面で頼んだが無視された。
話し合いを無視されているところで、次の手として、運営している会社のコンプライアンス窓口への連絡をした。その結果、ホームの地区のエリアマネージャーが出てくれた。結論として、これでほぼ全て解決した。向こうの説明は以下の通り
とりあえずこれで10日後に追い出されることはなくなった。安心である。
また、意外な光明も見えてきた。以前受け入れをドタキャンしたホスピスに、今回の件で改めてショートステイを依頼しており、それ自体は断られたのだが、先方の担当者は申し訳なく思っていたらしく違うホスピスへ取り次いでくれた。(本来ホスピスにそんなことをする義理はないので、完全に担当者の厚意である)
その紹介先のホスピスが父を長期的に受け入れ可能だとのことだった。予定を話し合ったところ、当初老人ホームから提示された退去日から12日後、通告から22日後には移れそうであった。今思うと、ここまで見越して老人ホームの施設長はこちらを脅していたのではないかと思う。というのも、父がお世話になっている精神科医に「とても10日後に退去するとは思えない。1カ月先まで薬を処方しているよ…?」という旨の説明をこの途中で得られていたからだ。
とにかく介護の世界というのは、電話で話だけ進んで、正式な契約はまた後日でということがあるようだ。新しく入居する際は、家族などとの面談/施設見学→被介護者の実態を調査→契約・転居というプロセスになるようだが、面談時点から状況が変わるということがよくある。今回転居先を探している中でも、面談の日取りを決めるまでの間に、大部屋の入居者が個室に移りたいとのことで空きがなくなってしまったということがあった。
いざという時に備えて、可能な限り、大事な話はメールで進め手残しておくべきだと身に染みた。また、父が迷惑行為を繰り返しているという後ろめたさから、先方の要求はつい屈してしまいそうになるが、一旦冷静になることが大事であると感じた。
実はこの日記を書いている時点では新しいホスピスと契約は結べていない。今回のホスピスは本社ではなく原則として施設長が受け入れを判断するとのことなので、大丈夫だとは思うのだが。契約日までにまた、ちゃぶ台返しが起きないことを祈るしかない。
梅宮アンナさんが梅宮辰夫さんの別宅を売却した話を読んでいて書きたくなったので書く。
ワイは田舎で限界集落の看取り人を自覚しながら、もうすぐ消滅自治体になると予言されている山奥で暮らしている。しかし、父の弟、つまり叔父は地元を出て外で暮らしていた。
中堅企業なれど、ニッチで特殊なプラントを作れる唯一の会社で、そこのエンジニアとして働いており、最後は三代目社長(ボンボンでぼんくら)を支えるNo2として技術の面から支えていて、結構な金を稼いでいたようだ。
田舎の農家を継いだお人好しの兄貴……つまりワイの父がトラクターが壊れたと修理していたら、突然新品の35馬力の巨大なトラクターを手配してくるような豪快な人だった。
ところが、役員定年を迎えた翌年、ものが旨くたべられないと病院を受診したら進行した食道癌がみつかり、一応手術をしたもののあれよあれよという間に死んでしまった。小父は独身でもちろん子どもはおらず。内縁の奥さんといっていいぐらい長い間お付き合いをしていた女性がいたらしいのだが、ずいぶんと年が離れていたためか、籍は入れなかったようだ。
そして残ったのが叔父の資産である。その最大の資産は、会社がある地方都市の結構いいところにある広い家であった。
ワイと父は一度も小父の家に行ったことが無かった。いつも小父は呼ぶより帰って来たがったし、当時はまだ祖母がまだ生きていたので。
さらに、小父の最後は、ワイらが住んでいる家の近くのがんセンターに引っ越してきていて、そこのホスピスに転院すると言う話をしている間に亡くなった、ということもある。
そこで小父は「中身は全部捨てて空にしてくれ」「空にしたらあとは好きにしてくれ」と遺言を託していた。
で、行ってみたところ、びっくり。そこは結構な高級住宅が並ぶ一帯だった。庭は狭かったが、駐車場は3台楽々止められる広さがある日本家屋。建物自体はかなり立派。
小父はこれを中古で買ったらしく、築40年ちかくたっていたが、最低限のメンテナンスは行われていて、雨漏りしているとか致命的なことは無さそうではあった。
中は、絵に描いたような男の一人暮らしで、ゴミの山とかはなかったものの、物だらけ。小父の趣味のものがあちこちに詰め込まれている状態だった。
まずはこれを処分。それだけで一年近くかかった。全部捨てろとのことだったが、それもなんか心苦しくて、形見分けに欲しがる人に渡す、古物屋に売る、などをやっていた。
そうしながら、親父の兄弟で話し合いをもったところ、兄弟の家からは結構離れていることもあって、売却する方向で話を進めること担った。
当初、飛び込みでそこらの不動産会社などに相談していたのだが、いずれも「上物には価値がない。値段は土地だけ」と言われた。まぁそんなものなのかなと思う一方で、なんかもったいない気もしていた。
そうして片付けに通っている間に、近所の方ともなんとなく挨拶するようになって、お土産を交換するぐらいに仲良くなってきていた。
そこで、最終的には維持できないので、売るつもりではいるんです、と言う話をしたところ、なんと、その方が別の不動産会社を紹介するので、そこと相談してみないか?とおっしゃってくれた。
そうして、別の不動産会社の方と面会すること担ったのだが、その方は一通り家を見て、図面を見たあと、今までの業者と全然別の事を言い出す。
そのため
の4つとなった。当然最後にいくほどこちらの取り分は大きくなるが、必要な金とリスクが大きくなる。また、不動産業者は利益の関係から、最初のコースにするなら不動産会社が買うと行っていた。
が、小父は現金でもかなりの遺産を残してくれていたので、祖母が相続した分でも相当な金額になっていた。それを定期預金に預けるよりは、と言うことで、4番目のコースで行くことにした。
これが大正解。結論から言うと、リノベの改装が直後に複数の買い手がついた。不動産会社が「最終的にこれぐらいの価格であれば確実に売れると思います」としていた価格よりも500万円ぐらいは高く売れた。
祖母と兄弟、それからワイが入って相談し、売却した不動産のお金は、最後まで小父を支えててくれていた内縁の妻と折半し(売却のためのリノベ費用はこちら持ち)贈与することにした。
他にも金融資産を中心にしっかりと金はあったのだが、女性は受け取れないと受け取ってくださらなかった。
ただ、どうも小父とお付き合いをしていたために婚期を逃したようなところがあることから、家を売却したお金だからと改めてお手紙を書いて、お願いして受け取ってもらった。
また、その時にお世話になった不動産屋さんは、ただ不動産を売却するのではなく、古い家をリノベして高付加価値化して売ったり、貸し出したりすることを得意にしている開発型の不動産屋さんで、そのノウハウを使って地方の空き家問題にも取り組まれているところだった。
うん?
仮に「相手の負担になるまいと尊厳を持って自死を選んだ人間が、し損ねてそれを哀れに思って殺すことが罪なのか」って話であるなら、尚更社会保障やホスピスの話になるのは自然では?
例えば医療用麻薬の類いを使って良いと言う要件があるわけだけど、その中にはもう回復が難しく他に方法が無い場合に限って使うと言うものもある
ここら辺は学会がガイドラインを公開しているから興味があれば読んでみて
https://www.jspm.ne.jp/publication/guidelines/index.html
誤解が無いように添えておくと、ここでは癌の話になっているけれども、他の難病でも考え方はほぼ同じ。痛みを抑えてQOLを上げる事を優先する治療が存在し、それが単に延命治療をする場合よりも寿命を縮めても優先することができると言う話だからね。
殺すために薬を使うわけじゃ無いから。
よくある誤解として、医療用麻薬を使うと即座に死ぬとか、段々と効かなく成って苦しむとか言うのものがある。ガイドラインではそれをどのように緩和して分かってもらうかという事が一章割かれて書かれているけど、ホントマジよくある誤解なんだよ。
段々とシチュエーションを絞って撤退して「地獄のような痛みに死ぬまで毎日苦しみ続けないといけない患者」という仮定を導入しないと反論できなくなった感じなんでしょうか。
ちなみに、少なくとも日本だと「「地獄のような痛みに死ぬまで毎日苦しみ続けないといけない」状況の時点で、その痛みを和らげるための治療として、最終的に致死量に至ると分かっている鎮静剤や医療麻薬の類いを投与することはホスピス治療として普通に行われていますから、安楽死を合法化したいと言う理由にはならないですね。
それも癌患者の最後はこう言うケアが行われる事が多いので、実は非常に身近な話です。おおよそ4人に1人がこういう亡くなり方をする。
この手の議論する際は、積極的安楽死、消極的安楽死(尊厳死)、終末期医療、あたりのキーワードをしっかり押さえないとダメよね。
医師から余命数ヶ月のような宣告受けたら、公的な費用補助を受けながら終末期医療制度を利用できる。
病院での緩和ケアはもちろんのこと、ホスピスの利用や、QoLを配慮して自宅介護も選択可能だったりする。
また、日本では消極的安楽死(尊厳死)の理解も進んでいて、一定の手続きのもと、延命措置をやめることも認められている。
日本で消極的安楽死が違法(医師が捕まる)だと誤解している人がたまにいるけれど、事件になったのは手続きの不徹底(家族へ十分説明していなかった等)が主な原因なので。
これら制度の整備と一般への理解が進みつつあるところに、その上でさらに積極的安楽死(医師が薬物などの投与で死をもたらす)の制度が必要かどうかを議論しないとね。