
はてなキーワード:ペットロスとは
もともと捨て猫だったのを弟が拾ってきたから誕生日は定かではない。でも拾った時生後2ヶ月だったのだから春生まれなのは間違いないし、結局約9年後、桜の開花したその夜に逝ってしまった。ペットロスという言葉を初めて知った時、自分がいかにもかかりそうだなと思ったのを覚えている。正しく今がそう。だからここで気持ちの整理をする。
愛猫は私が大学受験を控えていた時期に来た。可愛い盛りの茶トラのオスで、よく運動会をするし食欲が旺盛だった。子猫の時期が一番ストレスのかかる受験期だったから癒やしにもなったし、無事に志望していなかった格上の大学へ現役合格できたのも愛猫のおかげだ。その後私は入学のため実家を出て、海外留学や別の地方へ就職し、実家の近くに転職したりした。彼は私が社会人になり羽ばたくのを目にしてきたのだ。
当然、両親や弟よりも過ごした時間は短い。だけども、どれだけ長く会えなくても帰宅するといつも出迎えて、ペロペロ舐めてちゅーるをねだろうとくっついてきてくれた。私が仕込んだから餌をもらいたい時はジャンプしてくれた。愛猫に会うためが目的で、転職後頻繁に帰っていた。とても可愛い猫だった。
食欲旺盛過ぎるから、どんな餌だろうと、どんなに多めにご飯をあげても全部食べる猫だったのにだんだん残すようになり、餌も選り好みするようになった。とはいえ今までのように隙あらば人間のご飯を狙っていたし、「年取って考えられるようになったんだね」なんて家族と言っていたのに、今にして思えばそこからもうすでに猫の宿命の腎臓病だった。たまに尿路結石で獣医にかかることはあっても、獣医さんに入院を拒否されるくらいに暴れ回り、怒っていた。
だけども大好きなちゅーるすら受け付けなくなってからはみるみる悪くなっていった。やり過ぎて禿げるくらい好きだった毛繕いもする余裕もないから褒められる毛並みもボソボソ。そうして吐くようになっていった。最初は毛玉、次第に食べないから透明の泡、黄色い胃液、最後には血を吐いていた。あんなに元気に走り回っていた愛猫はぐったりと、立ち上がってもフラフラした状態だった。体重も一時は5キロを越えそうだったのに、3キロ切る手前まで落ちた。獣医さんで慢性腎臓病と診断され、今後の治療方針を決めてなんとかエナジーちゅーるを食べさせていた。
しばらく母に抱っこしてもらっていたが、私も寝る時に抱かせてもらった。いつもはすぐに腕から逃げていくのにいつまでも腕にいる愛猫。そして彼はずっと私の方を見ていた。「もう疲れているだろうから、お目目閉じていいんだよ?」と撫でてやっても見続ける姿に涙が止まらなかった。いつも撫でていたように顎の下を撫でても、いつものように目を細めて上を向いてはくれなかった。辛くなって母の腕に返し、2時間くらいが立って日付が変わった頃だった。尻尾を踏まれて怒った時のような鳴き声で泣いたと思ったら、また血を吐いていた。大好きな母の腕枕から逃れようと奥へ行くも頑張って阻止して、母と私で懸命に呼びかけたものの、天国へ行ってしまったのだ。その後父も駆けつけて箱やタオルを準備し、お別れを言った。滅多に泣かないのでこんなに泣いたのはそれこそ子供の時以来で、頭痛がひどくなった。
その後なんとか眠りにつき、翌朝在宅ワークを始めた。もちろん、仕事中も涙が止まらないからリモート会議中に発言したら上司からすぐに「風邪ひいた?」と聞かれた。確かに鼻が酷かったから、「ああ、花粉…ですかね?」と誤魔化した。スギノキの多い地域だけど、私は花粉症とは無縁なのに。そして、交流のあった保育園の子どもたちが箱の中の愛猫にお別れをしに来てくれた。2歳くらいの子達だから死というものをまだよく知らないのだろう。「またあとでね」なんて言われていたけども、その言葉にハッとさせられた。確かにこのあと虹の橋で再会できるのだから。その後、火葬の日取りも決まり、最後まで付き合った。人間の時も荼毘に付されるのは寂しくて苦手なのに愛猫なんてなおさらだった。骨になった愛猫を見て泣きながら納骨をした。長くて真っ直ぐの自慢のしっぽは先の方まで可愛い骨があったし、肩甲骨も華奢だった。撫でていた顎も可愛らしく思えた。
猫の平均寿命は15歳ほど。だからこんなにお別れが早いとも思わなかったし、まだ折り返しだと思っていた。静かになった実家では、魚料理を食べようとしても邪魔されないことや、戸締りをしっかりしなくても脱走されないことで思い出しては涙が溢れる。ふとした時に愛猫の好きだった場所が目に入るたびにここにいないかなと思う。幸いにも転職先は自陣に申請すると自宅以外でも在宅ができるため、容態が悪くなってすぐに実家で二週間ほど在宅する旨を申請し、それも無事に通ったおかげで愛猫に寄り添えた。心から転職して良かったと思った。
拾ってきた弟も私も、高校生の頃からライフステージは変わったものの、まだ子供はいない。だからきっと九つの魂のうち二つを使って私たちのところへ来てくれることを祈っている。猫は次もまた飼い主に会うために目印として噛んだら引っ掻いたりで傷をつけるという。それなら私は彼が残した引っ掻き傷が鼻に、最後の力で噛まれた傷が指にある。きっとまた巡り会える。
きなこ、たくさんありがとう。私は家から離れていた期間も長かったからしつこくし過ぎたかな?でも、忘れずにいつも出迎えて撫でられ待ちしてくれて嬉しかった。虹の橋の下には会社の人たちが先住猫ちゃんにお願いしたと言ってたから、猫の家族や友達を知らなくてもたくさん友達がいるからね。私はまだまだ行くつもりはないけども、虹の橋を自由に探検して、寝て、気長に待ってるんだよ。大好きだよ。
最近流行ってる、あの「ふたりの顔写真をアップすると未来の赤ちゃんの顔が見れる」みたいなやつ。
SNSにもわんさか流れてくるし、みんな可愛い可愛い言ってるから、何気なくやってみたんだけど、正直「えっ、これだけ?」って拍子抜けした。
なんか勝手に、そこから「AI赤ちゃん育成モード」みたいなのに突入するのかと思ってたんだよね。
顔が生成された瞬間に、もう赤ちゃんの個性とか性格とかがデータとして生成されて、成長シミュレーションまでいけると思い込んでた。
でも実際は、ただの一枚絵。赤ちゃんの未来予想図、以上終わり。
いや、かわいいんだけど、これならプリクラの赤ちゃんモードと何が違うんだ?
なんでさ、そのままアプリ内で「今日のAI赤ちゃんの様子です」とか「離乳食を食べました」とか、そういう育成ログ見れたりしないんだろう。
せっかく生成したなら、一緒に育てたいじゃん。
朝起きたら通知が来て、「AI赤ちゃんが初めて寝返りしました!」みたいな感じで、カップルふたりで親バカになれる仕組みがあってもいいのに。
それで月額980円くらい払うと、AI赤ちゃんが3歳まで育てられるプレミアムコースとかあるわけ。
もっと課金すると中学卒業まで見届けられて、進路相談もできたりして。
AI赤ちゃんが反抗期になって「うぜぇんだよマジで」とか言ってくるイベントまで完備されてたら、もはや人生シミュレーターとして無敵でしょ。
カップルだけじゃなくて、不妊治療で辛い思いしてる人とか、子供欲しいけど経済的に無理って人にも刺さると思うんだよね。
結婚はするかもしれないけど、経済的に考えると現実的じゃない。
ふたりとも普通の会社員だし、育休どころか産むための貯金すら怪しいし、子供を育てるとなったら、親世代みたいな「とりあえず何とかなる」感覚では無理だなって。
もちろん「子供欲しいな」と思うことがゼロなわけじゃないけど、欲しいだけじゃやっていけないのが現実
それなら、せめてAI赤ちゃんくらいは夢見させてくれてもよくない?って思う。
リアルな育児は多分できなくても、ふたりの子供のデータみたいなものを、アプリの中で育てるくらいはやりたいんだよね。
で、たまに彼氏と「うちのAI赤ちゃんマジ可愛いな〜」とか言って、スマホの画面見ながらニヤニヤしたい。
ペット飼うお金も余裕もない人が、スマホの中で柴犬育てたり、観葉植物枯らしがちな私が水やりアプリで満足したりするのと同じで。
デジタルな存在でも、「私たちの子供」って思える何かがあるだけで、結構幸せになれる気がする。
でも、リアルじゃないと愛せないってわけでもないと思う。
実際、ペットロス並みに「スマホ育成ゲームのキャラロス」で泣き崩れてるオタクもいるし、たまごっち世代はもっと知ってるはず。
デジタルな存在でも、「育てた」っていう記憶があれば、人はちゃんと愛せる。
むしろデジタルだからこそ、いいとこ取りできる部分もあるわけで。
例えば夜泣きしないとか、オムツ代かからないとか、保育園の空き枠問題とか全スルーできる。
しかも育成終了後も、クラウド保存でいつでも会いに行ける。デジタル墓参りだって余裕。
「でもAI赤ちゃんなんて偽物でしょ」って言う人、絶対いると思う。
でもさ、人間の赤ちゃんだって、実際生まれてみないとどんな子かわからないわけで、ある意味ランダムガチャだよね。
だったら最初からカスタマイズ可能なAI赤ちゃんの方が、親にとって優しい世界かもしれない。
正直、リアルな子供がいなくても、自分とパートナーのDNAが織り交ぜられた存在が、どこかのサーバーに生き続けてるってだけで、ちょっと救われる気がするんだよな。
まぁ、そこまで考えてAI赤ちゃんの顔生成したわけじゃないけどwww
せめてもうちょい遊べるようにしてくれよ。
私はまだ、ほんの少し前までそばにいたあの子が、もうこの世界にいないという現実を受け止められずにいる。心に空いた大きな穴は、埋めようとしても容易には塞がらない。ほんの些細な物音や影を見たときに、「もしかしてあの子じゃないか」と思ってしまう自分がいて、そのたびに「もういないんだ」と改めて知らされる瞬間が苦しく、胸の奥が強く締めつけられる。私の中では、まだあの子と過ごした日々のぬくもりや匂いが鮮明に残っており、振り向けばそこにいるような錯覚に襲われる。数えてみると、一緒に過ごした時間はけっして短くはなかったはずなのに、それでも「もっと一緒にいたかった」という想いは尽きることがない。
あの子が我が家にやってきたのは、ちょうど私が仕事で大きな壁にぶつかっていた時期だった。あれは偶然だったのかもしれないし、何か大きな運命の流れに導かれていたのかもしれない。知り合いの紹介で、生まれたばかりの子猫の里親を募集しているという話を聞き、なんとなく心が惹かれて足を運んだ先にあの子がいた。まだ掌にすっぽりと収まるくらい小さな体で、か細い声で「にゃあ」と鳴いた瞬間、一気に胸が熱くなったのを覚えている。あの小さな命を自分たちが守りたい、この子にできる限りの愛情を注いであげたいという、言葉では説明できない衝動にも似た強い感情が湧いたのだ。
それからの生活はあの子中心になった。私が外から帰れば、ちょこちょこと短い足を動かして玄関まで迎えに来てくれていた。仕事で帰りが遅くなっても、しっぽをピンと立てて待っていてくれる姿にほっとしたり、疲れきった体をソファに投げ出す私の胸に丸くなってくれる瞬間に癒やされたり。そういう何気ない毎日の積み重ねは、あの子がいてこそ得られる温かな喜びであり、私にとってかけがえのない生きる活力になっていた。
私が悲しんだり落ち込んだりすると、あの子は言葉をかけられなくても不思議と察してくれたのだろう。そっとそばに座り、私の顔を見上げたり、小さな肉球でちょこんと手を触れてきたりしてくれた。その存在感がどれほど大きなものであったかは、今になって改めて思い知る。猫という生き物は気まぐれで、飼い主にべったりなイメージが少ないとされることもある。しかしあの子は、人間の言語を超えたコミュニケーション能力でこちらの状態を感じ取ってくれていたように思う。
そんなあの子も、年齢を重ねるにつれ体調を崩すことが増えた。最初のうちはちょっとした食欲不振や風邪程度だったから、「大丈夫だよ、すぐ元気になるよ」と気軽に考えていたけれど、数年前から少しずつ通院する回数が増えていったのを今でもはっきりと覚えている。医師から「慢性的な疾患が進行している」と告げられたときの、あの胸がざわつくような感覚はたまらなかった。いつまでも元気で一緒にいられるはずはないと頭ではわかっていても、いざそう言葉にされると痛烈に心が軋んだ。
それでもあの子は懸命に生きてくれていた。投薬や定期的な点滴、フード選びなど、できる限りのケアをしながら一日一日を大切に過ごしていった。私たちの愛情と、あの子の生きようとする力、そのどちらが欠けてもきっと難しかったのだろう。あの子にとって、私たち家族と過ごす時間は心地よかったのだろうか。私はいつも「ありがとう、まだまだ一緒にいたいよ」と話しかけていた。言葉は通じなくとも、あの子の大きな瞳を見つめると「大丈夫だよ」「一緒にいてくれてありがとう」と伝わってくるような気がした。
けれど、どんなに願っても避けられない別れのときはやってくる。ここ数週間は特に体調の波が激しくなり、食事をとる量もかなり減っていた。病院での検査結果は思わしくなく、医師からは「もう長くはないかもしれない」と言われていた。頭では理解していても、どうしようもない不安と悲しみが私の胸を覆っていた。あの子が苦しくないように、できるだけ穏やかに過ごせるようにと祈る日々が続いた。
そして昨日の朝、あの子は静かに息を引き取った。私が部屋に入ったとき、すでに瞳は薄く開いたままで、最期の呼吸をしたかしないかという、まるで眠りについたかのような姿だった。信じられなくて、何度も何度も名前を呼んだけれど、もう二度と返事は返ってこない。心のどこかで「せめて最後は苦しまずに逝ってくれたのなら」と思う気持ちもあれば、「もっと私ができることがあったのではないか」と自責の念に駆られる自分もいる。あの子は限界まで頑張ったのだろう。苦しみから解放されて、今頃は虹の橋で元気に走り回っているのだと信じたい。
亡くなったあの子を見つめながら、ふと最初に会った日のことを思い出した。まだあんなに小さく頼りなく、私の両手の中ですやすやと眠っていたあの子。目が合うたびに、愛しさと不思議な縁を感じたのを思い出す。私はこの子を守りたかったし、一緒に幸せになりたかった。成長するにつれ、やんちゃになってカーテンによじ登ったり、部屋の棚をひっかいて落としたりしては、こちらが叱ってもどこ吹く風で、まっすぐな瞳で見上げてきたことを微笑ましく思い返す。そんな小さな思い出の数々が、今となっては宝物だ。
この喪失感は、私がこれまで味わったどの悲しみとも違う。あの子はペットという言葉でくくるにはあまりに家族の一員であり、私の心の支えでもあった。私は今、泣きたくなるほど辛い気持ちでいっぱいだけれど、それでも後悔よりは感謝を伝えたい。あの子がいてくれたから、私はどれだけの笑顔と温もりを手にしただろう。あの子との暮らしの中で学んだことや与えてもらった癒しは、数えきれないほどに大きい。
今、部屋にはまだあの子が使っていたベッドやおもちゃ、餌皿などがそのまま残っている。片付けようと思うたびに、喉が詰まってしまうほどの寂しさが込み上げて、手が止まってしまう。もう一度でいいから、あの子のあたたかい体温や毛並みを感じたいと思ってしまう。理屈ではわかっていても、心がついていかない。きっとこの状態を乗り越えるのには、まだ時間がかかるだろう。
動物病院で獣医師から「ペットロス」について説明を受けることがあったが、まさか自分がこんなに苦しむとは想像していなかった。もちろん最初から、いつかはお別れが来ることをわかっていたつもりだった。猫の寿命は人間よりはるかに短い。だからこそ、今を大切に一緒に暮らしていたつもりでも、いざ失ってみると自分の一部がもぎ取られたような、そんな気持ちになっている。感情が予想以上に揺さぶられて、しばらくは自分の生活すらままならないほどのダメージが襲ってきている。
人に話しても「気持ちはわかるけど、そんなに落ち込まなくても…」と言われることがあるかもしれない。けれど、飼い主にとってはペットという存在がどれほど特別でかけがえのないものだったかは、言葉で簡単には説明できない。日々の暮らしの中で、どんなシーンにもあの子がいて、私のそばで息づいていた。生きる喜びや孤独感の紛らわし方など、あの子から教わったことは数え切れない。
私は、今あの子がいない現実を受け入れるのに精一杯だし、涙が枯れることなく溢れてくる。でも、きっとこれから少しずつ時間をかけて、この悲しみは形を変えていくのだろう。それは単に「忘れる」ということではなく、あの子がくれた思い出を大切に抱きながら、新たな日常を歩んでいくための道のりなのだと思う。私が前を向いて生きていくことこそが、あの子に対する最大の感謝と愛なのかもしれない。
「虹の橋」という言葉を、あの子が亡くなってから初めて深く意識した。天国と地上の間に架かる虹の橋のたもとで、亡くなったペットたちが元気に走り回り、飼い主を待っているという話。いつか私がそちらに行くとき、あの子は大喜びで飛びついてきてくれるのだろうか。そんな想像をすると、少しだけ心が軽くなる。いつか再会できるかもしれない。その日まで、私にできることは、あの子と過ごした時間を忘れず、あの子が好きだった温もりを周囲に分け与えながら精一杯生きることだ。
でも、もう少しだけ時間がほしい。まだ昨日の今日なので、とてもじゃないけれど立ち直れない。どこを見渡してもあの子の思い出ばかりが溢れていて、うっかり笑ってしまうような楽しい思い出も、今はまだ鋭い棘のように胸を刺してくる。きっとしばらくは泣いたり笑ったりを繰り返して、感情の波が激しくなるだろう。だけど、そんな揺れ動く心のままに過ごすことが必要なのだと思う。悲しみを否定せず、泣きたいときは思い切り泣いて、思い出して笑えるときには素直に笑おう。
家族や友人からは、励ましの言葉や優しいメッセージをもらう。みんな、私がどれほどあの子を大切に思っていたかを知っているからこそ、かけてくれる言葉には温かさがある。そのたびに涙がこぼれるけれど、あの子への想いを共有できる人がいることは、本当にありがたいことだと感じる。私は一人じゃない。あの子の命が私たちに繋いでくれた縁を大事にしていきたい。
これから先、あの子との思い出をどのように受け止め、生活の糧にしていくかは私自身にかかっている。写真や動画を見返すのはまだ少し辛いけれど、いつかきっと「あんなこともあったね、楽しかったね」と微笑みながら思い出話ができる日が来ると信じている。あの子がいたことが、私の人生を彩る大きな要素の一つであることに間違いはない。だからこそ、あの子を失った悲しみは、それだけあの子が私の心を満たしてくれていた証でもあるはずだ。
今はまだ、「昨日、家の猫が虹の橋を渡った。辛い」という事実に打ちひしがれている。寂しさや喪失感がこれほどまでに心をかき乱すものなのかと、自分自身でも驚いている。ただ、一方で不思議と安らぎにも似た気持ちがほんの少しだけある。それは、「あの子はきっと幸せだっただろう」と言い切れる何かが、私の胸の奥底に確かに存在しているからかもしれない。苦しい治療を乗り越えながらも、最後まで私と一緒に生きようと頑張ってくれたあの子の姿は、絶対に私の中から消えることはない。
あの子と共に過ごした時間は、たった一度きりの人生の中で、私にとって何よりも尊い経験となった。ありがとう。言葉にならないほどの感謝を伝えたい。うまく言葉にできないけれど、あの子がいてくれたからこそ私の人生は豊かになったと胸を張って言える。そして、これから先の人生で、もし新たに猫や他のペットを迎え入れることがあるとしても、あの子の存在が私の根底を支えてくれるに違いない。悲しみを教えてくれたのもあの子だけれど、それ以上に愛や喜び、そして生きる力を与えてくれたのもまたあの子だったのだ。
虹の橋を渡ったあの子。今はきっと、何も痛みを感じることなく、自由に駆け回っているに違いない。私と過ごした日々をどんな風に覚えてくれているのだろうか。あの子はもう、こちらの世界の苦しみや不安とは無縁の場所にいる。それでも、私がこうして想いを馳せている限り、あの子は私の心の中で生き続ける。そう信じることで、今日を何とか乗り切る勇気を得ることができる。
そしていつの日か、私もあの子のもとへ旅立つ時がくるだろう。その時は迷わずあの子を探して、思いきり抱きしめたい。そして「ありがとう」「おかえり」と、お互いを慈しみ合えたらどれほど嬉しいだろう。今はまだ遠い先のことかもしれないけれど、そう思うだけで少しだけ心が救われる気がする。目には見えない存在になってしまったけれど、私があの子を想う気持ちがある限り、私たちの繋がりは断ち切れることはない。
「昨日、家の猫が虹の橋を渡った。辛い」――その一言では言い表せないほどに、胸が痛む。けれど、この悲しみは同時に、私が確かにあの子を深く愛していた証拠だと思う。きっとこの先も、ふとした瞬間に涙が零れ落ちることがあるだろう。それでも、その涙が乾いたあとには、あの子と過ごした幸せが心を温めてくれるはずだ。何より、あの子が私の人生の一部だったことは永遠に変わることがない。
だからこそ、この悲しみを抱えたままでも、生き続けなければならない。あの子が私に残してくれたものは、飼い主として受け止める責任があると感じる。こんなにも愛おしい存在を失ってしまったからこそ、これから先の人生の中で、誰かの痛みや悲しみに寄り添うことができるかもしれない。あの子の代わりに私ができることを探していきたい。この涙を無駄にしたくない。
思い出は消えない。あの子との時間が私の中で生き続ける限り、私はきっと大丈夫だ。少しずつ、少しずつではあるけれど、また笑顔を取り戻せる日が来ることを信じている。そのときには、きっとあの子の姿が私の心の中で優しく微笑んでくれているだろう。あの子に恥じないような生き方をしていきたい。そして、いつか虹の橋の向こうで再会したとき、「あなたと暮らせて幸せだったよ」と思ってもらえるように、これからも前を向いて歩んでいくと誓う。
昨日の出来事は、私にとってまだ痛烈に生々しい傷であり、立ち直るにはきっと長い時間が必要だ。それでも、あの子と過ごしたかけがえのない年月を、私の人生の宝物として大切にしていきたい。そしてこの悲しみの先に、きっとあの子が残してくれた愛が続いていると信じる。その愛は消えず、私のこれからの毎日に温かい光を届けてくれるだろう。あの子のために、私のために、今日も私は生きる。虹の橋の向こう側で、また会える日を夢見ながら。
そろそろ秋アニメも折り返し地点なので自分が今見てるアニメ覚え書き。順不同。
テレビ放送のみ。配信は見てない。あと銀河英雄伝説Die Neue These(日テレAnichU枠)や、テレビ埼玉、CBCテレビオンリー放送など多くの地域で放送していないものも見れてない。
アニメはこうやってボーッとたくさん見てるけど詳しくはないです。アニメ制作会社とか声優とかはよく分からんので間違ってること書いてたらごめんなさい
正直なところ2期より好き。相変わらず色んな意味でエグいところを表現してくれるのは関心する。問題が、問題が多すぎる!
ロリコンラブファンタジー幼女戦記。王国の王太子から婚約されたが、実は自分の妹との禁断の恋をカモフラージュするための婚約だったということを知り、それを知ってしまった後は王太子に冤罪をかけられ人生終了。次に気がつくと幼少期まで時がさかのぼり、今度はクソシスコンからの婚約を避けようとしたら隣国の呪われた皇帝に求婚をしてしまう。あれ、やり直す前の皇帝はあんなに殺意剥き出しで恐ろしい男だったのに、今の皇帝には優しさが見える・・・令嬢のやり直しといえば「ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する」が記憶に新しいが、あちらに比べコメディ。ファンタジー要素が多め。 |最後まで見た。え、これ続きやらないと視聴者納得しないタイプじゃね?
配信先行。配信は見てない。尺の都合で一部カットされている部分があるらしい。1話が愚物語、2話〜6話が撫物語。あまり感想という感想もない。
転生後は弱小貴族だったけど人の能力を鑑定するスキルで人を見定め、有能な仲間を集め成り上がる話の2期目。35歳からの転生者だから子供でも年齢不相応な立ち振る舞いだけど、周りの仲間たちもそんな感じだし、前世の記憶が云々とか話の中では出ないので、あまり転生モノって感じがない。1期から好きだった。やっぱり面白い。|最後まで見た。3期決定ということでうれしい。やっぱり人望ある主人公が領主として活躍する話は気持ちがいい
魔法少女お仕事アニメ。現実的世界+魔法少女がビジネスとして成り立っている世界。記憶力が優れた主人公が魔法少女の派遣をするベンチャー企業「株式会社マジルミエ」に就職するところから物語は始まる。零細企業だからできるのだろう、マニュアルや型にとらわれない行動、社員全員チームで働く姿が憧れる。いい会社だな〜と思わせてくれるのでいいアニメなんだと思う。|最後まで見た。2期も楽しみです。
女性向け漫画が原作、王道ファンタジー。孤児である少女ニナは特別な青い瞳をしていた。ある日国の王女が事故(?)で亡くなってしまう。その王女もまた青い目を持つものだった。国の第二王子は秘密裏にニナを王女として仕立て上げることに。中国王宮ドラマでありそうなストーリー。王女と天真爛漫に生きてきたニナでは性格や振る舞いが全然違う。それだけに王子もニナを王女として教育することに苦労するのだが、ふっ、おもしれー女。いずれは離れると分かっていながらも二人は惹かれ合う。EDの絵本が毎回1ページ1ページそれぞれの登場人物になって書き換えられていく。 |最後まで見た。えーーここで終わり?今期こういうの多いな。まぁ、話が変に短縮されるよりいいのかもしれないけど。続きお待ちしております。
私はアイドルアニメが人数多くて苦手なんだけど、スーパースターは人数少なかったし、ストーリーも好きだったので見てる・・・3期のOP見たらまた人増えてるー。オッサンなのでこれ以上増えたらもう名前覚えられんのよ。今回は主人公がLiella!のライバルに。かのんの存在って大きいなーと改めて感じる。今回もNHK放送では本編放送後にミニコーナーがある。受信料特典。 |最後まで見た。5人でよかったんだよ、なんて最初思ってたけど、何だかんだでこれでよかった。最後のリエラの歌では今までの衣装が登場するという演出もよかったなー
追放系じゃなくて追放されたい系。主人公は実は自分は強くない。たいしたことをしていないのに周りがかってにいい方向に解釈してくれる。最近で例えると転スラの勇者マサユキみたい。スタッフにふともも尻フェチがいるのか、そういったセクシーな描写がよくある。本編も面白いがOPとEDの作りも面白い。正直このアニメの一番の特色はOP、EDにあると思う。アバンタイトルからOPへシームレスに入ったり、OP途中に今回の予告が少し入ったり、EDの途中で次回予告が入り、次回予告のセリフは曲に合わせてラップ調。|最後まで見た。OP中に話のハイライトが入るのは、80年代アニメの「蒼き流星SPTレイズナー」で既にやっていると知り、調べるほど今度はレイズナーの魅力に取り憑かれていった。ありがとう、レイズナーに会わせてくれて。というのは置いておいて、これも続きがありそうな終わり方だったな。
少年誌王道ハーレムラブコメ。男主人公が美人三姉妹がいる所へ居候する話。天涯孤独が縁あって美人三姉妹(JD,JK,JC)のいる神社へ居候しつつ、京大医学部を目指す・・はずだったんだけど神社の苦しい状況を再建することに付き合う感じに。その辺は女神のカフェテラスみたいな。三姉妹はそれぞれの血液型の型にはまったような性格。OPはももクロ。マクロスのドッグ・ファイターやモーニング娘。の真夏の光線みたいに「デケデケデン!!」と入るイントロがかっこいい。EDは明日ちゃんのセーラー服のOPに似てると思った。 | 第2クールも引き続き見ます
りぼん原作の健全なまほあこ。大大大好きな魔法少女ベリーブロッサムの輝く姿を見るため、ポンコツ悪の組織の総帥、クロマの仲間に入り魔法少女と戦う道を選ぶ。OPから本編もボケとツッコミの応酬、ギャグアニメである。舞台はN県某賀市とあるが、日本海やフォッサマグナという言葉が出てくることから新潟県なんだろうな。終始、魔法少女vs悪の組織ごっこみたいなゆるい感じで話が進みつつ、ツッコミどころにはしっかりツッコミが入る!おもしろかわいいぞみんな!!|最後まで見た。癒されたわ〜。まだまだ見ていたかったな。
何でもかんでも 悪女としてーと、(プロとしてー)ファブルもびっくり悪女を目指すためなら努力を惜しまないのが主人公。7歳になったある日、自分は前世でプレイしてたゲームに登場する悪役令嬢になったと気づく。聖女(本来のヒロイン)をだしに歴史残る悪女になりますわよ。聖女の理想論に対し、現実を叩きつけ、聖女の理想を切る捨てる討論が面白い。 |最後まで見た。転生悪女系では好きな分類だった。続きがありそうで、無かったとしても問題なさそうな終わり方だった。
大好き。ペットロスで仕事も手につかないホラー絵本作家が主人公。庭に生えたヘンテコなきのこ。土の中から出てきたとおもったら犬だった。いやそうはならんやろ。きのこのように生えてきた犬と作家先生と仲間たちの日常生活。きのこいぬが先生のこと大好きすぎるのが可愛くて心温まる。何気にBGMがすごくいい。きのこいぬは可愛い声で鳴くが、声は男性声優なので、たまに出るため息がオッサンっぽい。見ててこんなにたこ焼きが食べたくなったのはまじかる☆タルるートくん以来かもしれない。え、OP歌ってるのHY!? |最後まで見た。サントラ欲しい〜けどBlu-ray特典だからBlu-ray買わないといけないのね。音楽はゆるキャンと同じ立山秋航だったのか。どうりで好きな訳だ。
特にないです。
好き。釣りアニメ。余命2年人生に絶望。借金取りから追われる最中に川へ転落。助けてくれた釣り人達から釣りを教わりつつ、半分釣具屋化してるコンビニで働く。釣りアニメというか、釣りを通して人生を見つめ直すって感じなのかな。かなりマニアックな釣り知識が飛び交う。BGMのギターがめちゃくちゃいい感じ。釣りシーンでヒットしたら曲調が代わり、魚との格闘を演出するのとか。|最後まで見た。すごいよかった。常宏の話だけかと思ったら貴明もだったんだな。終わり方も好き。常宏は元気ないい声が出るようになったね。
こちらも特に言うことないですって感じ。良すぎて言葉があまり出ない。バドミントンに勤しむ主人公は一つ上でバスケ部の先輩に片思いしている。先輩の親が海外転勤になること、親同士が仲がいいことをきっかけに一緒に住むことになる。義姉生活(違)タイトル通り青春を感じるアニメ。青春スポーツ・ラブストーリー。スポーツの動きも各々の感情の表現もすごい丁寧に作られてると感じた。OPはOfficial髭男dism、EDはEve。EDのクレジットにはアシックス、アディダス、デサント、ミズノ、ヨネックス、大塚製薬の名前が。おお。俺にはこのアオハルが眩しすぎてポムじいさん状態。強がるガールのひなちゃんを見てるとツライ。
絵本みたいな作画が特徴的。魔法使いに憧れていた主人公だったが魔法使いへの登竜門である学科に落ち、普通科に入ることに。普通科では今では当たり前になっている電子手帳みたいなものを使う現代魔法ではなく、幾何学的な魔法人を書いて魔法を使う古代魔法を学ぶことに。主人公が来てるシャツがダサかわいい。OPはPUFFYとついでにTOOBOE。|最後まで見た。いまいちパッとしない感じ。もっと面白くできそうな感じなのに・・ってこれは好みの問題か。続きがありそうだけどやるのかな
夏アニメから続いているコスプレがテーマのアニメ。ジャンプらしく友情・努力・勝利の要素があるストーリーとなっている。一番好きなキャラは校長先生です。あんな大人に僕はなりたい。この作品は校長先生だけでなく、生徒会長など周りが生徒全員の味方となってくれるのですごい安心して見れる。やさしい世界。1期のOP、シャッターチャンスが好きだったので変わったのが残念。まあ仕方がないですけど。EDの写真は少しずつだけど増えていく。第21話は約束された神回。 |最後まで見た。主人公の奥村くんはオタクだけどスペック高いことを改めて認識
2期、京都編。今までなかった新作エピソードもある。第三十四話 逆刃刀 初撃は好きな話だったなー。
ベルくんは罪深い!前回の厄災編は見ててしんどかった。それだけにリューさんの愛しさが極まっていたが。今回はシル・フローヴァ/フレイヤとの話かな。以前からベルに好意を抱いていたシルがベルとデートすることに。ベルとシルの愛の逃避行。まるでローマの休日。しかしフレイヤの劇場型悪意でなぜ僕の世界を誰も覚えていないのか?状態に。ベルくんかわいそう。原作では前回のリュー中心の話と今回のシル中心の話が第4部「豊穣編」にあたるのかな?OPはGRe4N BOYZ(元GReeeeN)。AIの遺電子とか大雪海のカイナとか、たまにアニメの主題歌担当するね。
ソレアガリダヨ。裏世界麻雀アニメ。高レートの雀荘を荒らし回る高校生が主人公。裏レート麻雀闘牌録とタイトルにあるとおり、ヤクザとかがいるヤバイ世界にも出入りする。『賭け麻雀は犯罪です』というテロップがは入る。PCのモニタがCRTというのが時代を感じる。東風荘が流行った頃か。2013年に実写化している。OPはオーイシマサヨシ。EGO-WRAPPINみたいな曲調。 | 思ってた以上に過激な描写が多くてちょっとひいた・・。第2クールも引き続き見ますけどね
これまでレン&フカ次郎vsピトフーイ&エムだったが、今回はこの2チームが一緒のチームとして組むことに。が・・・。前回放送から6年か・・・。もういろいろ覚えてなかったりする部分があるが、戦闘を観戦してる人が「あいつ前回レンちゃんに⚪︎⚪︎された/したやつじゃん」とか教えてくれるの親切。毎回アイキャッチの1枚絵がカッコイイ!こんなこと言ったらファンに怒られそうだけど個人的にソードアート・オンラインはGGOの方が好き。|最後まで見た。最後の闘いは何か色々と考えさせられる
韓国の出版社が出しているサバイバルシリーズ、子供向け学習漫画が原作。以前からWebアニメや劇場アニメ化はされている。登場人物はジオたちのグループと、ダイアたちのグループの2組いる。1話〜3話がジオたちが登場する異常気象のサバイバル。4話からはダイヤたちの昆虫世界でのサバイバル、ミクロキッズね。EDはtrfのsurvival dAnceをカバー。サバイバル繋がりってことですか。1話と4話の内容に誤りがあり、その後訂正がある。10話11話の「南極のサバイバル」を飛ばして12話を先に放送する。放送前に疑わしい部分でもあったのかな
コミュニケーションスキルに長け大きな野心を抱いたハルと、コンピュータスキルの高いガクが1兆(トリリオン)ドル稼いでビジネストップクラスを目指すバディもの?。やはり大逆転劇は面白いですな。昨年ドラマ化してる。草!草!草!うめぇ! | 第2クールも引き続き見ます
15世紀のヨーロッパが舞台。地動説を研究することは禁じられている国で破れば命を落とすことにもなる。そんな状況下で命をかけ地動説を研究する少年のお話。宗教コワイ。しかし探究心と感動はそれをも超え誰にも奪えない。OPはサカナクション。EDはヨルシカ。
天才的頭脳を持つ鴨乃橋ロンと、ピュアな刑事の一色都々丸(トト)が謎をとく推理ミステリー。ロンは優秀だが事件の謎を解いた後に犯人を死に追いやる不思議な力がある。それ故、ロンは探偵業ができなくなっていた。トトはロンに代わり謎を説く役になったり、ロンの暴走を防ぐ役にまわるなどして、二人で難事件を解決していく。Season1を見てなかったけど面白そうだったのでSeason1からいっきに見た。黒(96)蜜好きで首に96のタトゥーがある鴨乃橋ロン。DVDは本編96分という徹底ぶり。次があるなら次の主題歌は96猫に歌ってもらいたい。
リメイクに勝手に不安を感じていたが面白いと思う。がっつり上半身真っ裸シーンとかやるのね。時代的に隠すのかと思った。EDの絵はあずきちゃんみたいな感じもあってその時代を思い出し何かもみな懐かしい。
18歳から22歳ごろまで水商売にドップリの生活をしていて、某繁華街でいわゆる有名嬢だった。
令和のキャバ嬢やホストは億を売り上げる人もいて、数千万くらいは特別凄いことでも無さそうだから、今なら通用しないと思うけど。
最近はSNSで夜の仕事への憧れがより高まっている感じがあるけど本当の意味での成功はなんなんだろうとたまに考えたりするので書いてみる。
自分の人生、ずっと緩やかに絶望的な状況が続いているように思う。
キスもまだ、むしろ気持ち悪いと思ってたし初恋自体がなかった。
家が貧乏で学歴もなく、実家も出なきゃだったから稼ぐしかなかった。
面白いと思った芸人のフリートークとかを参考にしてちょっと突っ込んでみたり、
バカな女ぽくしたり
売れてるキャバ嬢の服や化粧を真似てみたりしたら
学生時代、男子からも女子からも下から数えたほうが早いレベルのブスの扱いを受けていた気がするけど、背が高くてガリガリに痩せていて、元々大袈裟な二重瞼で厚ぼったい唇をした私は夜の世界では美人扱いをされるようになった。
その間に酔いすぎたタイミングで処女を飲みに来たそこらへんの仕事帰りのホストで喪失した。
それまで自分はノンセクシャルとかなのかと思ってたけど、意外とやれるもんだとわかってからはそこまで鉄の貞操ではなくなったし、何人かの男と付き合ってみたりもした。ただやっぱり、恋愛感情はよくわからないままだった。
風俗のスカウトマンやらホスト、同業の男が付き合ってみたら夜の仕事に反対的なのは意外だったしつまらなかった。
不動産系のプルゴリみたいな営業マンは、稼いでるみたいだからと思って付き合ったのにいざ付き合うとクリスマスもホワイトデーのお返しもなにも無くてつまらなかった。
だったらキャバの客にVIPで寿司の出前でも取らせて、客に3代目を歌わせて、ランニングマンやってるのを大して面白くもないのに爆笑してあげて、ノリでテキーラ頼んで、口直しにシャンパンも飲みたいって言って。
ただそれだけで同世代の会社員の何倍も稼げた夜の仕事のほうがまだ暇つぶしにはなった。
けどそのうち、男が好きでもないのに、ノンセクシャルを疑うレベルなのに、恋愛感情もわからないのに、たまたま女の体に生まれたから女をやっているだけなのに、女の部分を売る仕事に限界を感じて精神を病んでしまって、ラストイベントも打たずにその繁華街から消えることにした。
20半ばからは誰とも付き合ってもなければセックスもしてない。DL同人をよく買うから性欲は間違いなくあるんだけどその性欲が生身の男に向かない感じがある。アラサーになってから気づくなんて。
キャバ嬢時代に何人かの男と暇つぶしで寝て不毛な時間を過ごしていたことに対する後悔に今更さいなまれてる。
30を過ぎた今は雑貨屋で店長をしていて、祖父母の家に月5万入れて居候をしている。子供部屋おばさんと言って良いと思う。
店長と言っても、手取りは残業が少ないと20万を切ることもザラにあるので今でもたまに場末のキャバで時給泥棒をしてる。昔はガリガリだったのに、今はぽっちゃり。売れっ子ではないけど、そもそもナンバーワンも大して売れてない店だから何も言われずに働いている。
なんとなくライブを見に行ったり、美術館に行ったり、ちょっとしたサブカル女としての活動にお金を使うことが多い以外は特にお金を使ってない。キャバ時代のブランド品も全部手放した。
学歴も高卒で、職歴もキャバが1番長い自分が名ばかりとはいえ店長をやれてるんだから給料安くても文句は言えないなと思ってる。
親とは不仲で、高校を出た後5回も会ってない。親に金を貸したことはか20回以上あるけど。
親に頼れない自分はさっさと男を作るべきなのに男もしっくり来ない。
キャバ時代貯金なんて全然してなかったからすっからかん。生活に困らない程度には暮らせてはいるけども。
母子家庭育ちでその母も男好きのしょうもない女だったから母親像とかわからんし、私的にはサザエさんのほうが異常に感じるレベルだし、お年玉とかもらったことほとんどないし、居候させてもらってはいるけど祖父母も全然金ないし。
そもそも自分の生命にうっすら嫌気がさしてるのに他人に生命を与えてはいけない気がする。
反出生主義ではないけど、自分に対してだけうっすら適用してる感じ。
犬を飼っていて、それがものすごく賢くて人懐こくて多分世界で1番可愛い犬だからその子を生きがいに生きてる。
でもどうせ10何歳かで死んじゃうのはわかってるから、いつか犬が死んじゃった時に私の人生が今と同じ調子なら生きる意味はもう無いかなと思ってる。
初めからペットが自分より先に死ぬだろうことはわかってるからペットロスなんてヌルい考えだと思うけど。
上記をこの前祖母に言ったら「私は孫を看取らないといけないの」と言われて笑ってしまった。
祖父母はこの2年くらいでめっきり老けた。
鏡を見るとあの頃よりだいぶ太り、雰囲気はボーイッシュに、見た目は歳の割には多分若い、けど美人ではない私が映る。
私はモテないんじゃない、結婚できないんじゃなくてしないだけ、学歴はないけど中学まで勉強はそこそこできたし、男に選ばれなかったんじゃなく自分が選ばなかっただけ。親がちゃんとしてればキャバ嬢なんかやらなかったし、大学も行った。大体大学まで行ってデキ婚して専業主婦みたいな女は世の中舐めてる。それにその辺のキャバ嬢より売れたんだから私には価値があるはず。
男と寝るのはうっすら気持ち悪いからエロ同人買ってるけど出張ホスト呼ぶやつよりマシ。
何より私には最強に可愛い犬がいる。毛並みを今日も褒められた。毎日仕事して犬の世話して私はとっても偉い。
そしていつか、犬がいなくなってしまったら多めに眠剤飲んで練炭を焚いて眠ればいい。
そんな自意識過剰の中で今日もゆっくり絶望してそこそこに生きてる。
なんか散らかった文になってしまったけど、若い子に言いたいのは学歴なくても職歴なくても意外とぬるっと絶望しつつそれなりに生きられるってこと。いざという時は死ねば良いんだし。
死は救済、心安らかなり
この内容がひとつの当事者の声として、実際に関係者に届いてほしいのか、
それとも自分の心情を吐き出す場所がほしいだけなのかはわからないが、
書かないと、どうにかなってしまいそうなので書く。
彼女の訃報を知ってから半日経つが、率直に言ってかなり精神的にまいってしまっている。
普段は物事に対して必要以上に感傷的になったり、映画などを見ても大泣きしたりはしないタイプの人間なのだけれど、
このあまりにも唐突で受け入れがたいニュースに触れてからというものの、
仕事や大学の授業が終わり一人になると、納得できない気持ちや言葉がどんどん頭の中をめぐって、
私生活に特別な不満もなく、心身ともに健康に日々を過ごしていた自分でさえこうなるのだから、
希死念慮を抱えて生きるような人々にとって、著名人の自殺報道がどれだけ影響を持ちうるだろうか、ということも考えてしまう。
自分が彼女に心酔する大ファンだったかと言うと、多分そうではない。
ただ、家で一人作業している時に流すiTunesのプレイリストの数%は彼女の曲であり、
人生で彼女の曲を聞いた時間を一つにつなげると、大抵の友人や家族と過ごした時間よりよっぽど長いのではないと思う。
彼女の楽曲は、巷で「生きづらさ」として語られるような感情をベースにしたものが多くて、
それが彼女の内なる思いの発露なのか、商業作家としての生存戦略であったのかはわからない。
彼女に対しての感情は同年代ならきっと抱くのだろう「共感」とはすこし違っていて、
突出した作家性で、歌声で、演奏で、唯一無二の音楽を聞かせてくれる存在だった。
記憶にすがるように罰が下るのを待っていたように
僕が僕自身をこの部屋に閉じ込めていた
という歌詞だ。鬱屈して閉じこもる心を「罰が下るのを待つ」と表現する感性。
彼女にとって自分の内面とは、けして外界とのつながりを断つための境界や手段ではなく、
それはまるで彼女の内側に広がる「世界」であり、それを統べる神様とさえ繋がる場所だとでもいうような、
強烈な自意識のあり様、彼女の作家性の一端に触れた時は、まさに殴られたような気分だった。
自分のプレイリストの中には、自分が今まで出会ってきたアーティスト達と並んで、高確率で彼女が入るようになった。
(この曲を含め、彼女の歌詞には「君」や「あなた」という表現がよく出てくるが、
彼女にとってはそれもまた客体化された、向き合うべき自分自身であり「神様」であるように思えてならない)
一度だけライブにも行った。
コロナ禍の中、東京で名古屋まで遠征して、人もまばらな新栄町のライブホールで彼女を見た。
落ち着いた会場の中で見た彼女の印象は、楽曲の持つ強烈な存在感とは裏腹に、
どこか年相応で、満員の観客と向き合うには何とも頼りなく見えた。
路上ライブ時代の楽曲なども含めた弾き語り中心の穏やかなセットリストと、
苛烈さを秘めた内容に対して、いつでも「聞いて下さい」から始まるあまりにも低姿勢で飾らないMC。
大満足と言うよりは、次もまた見に行こう、というような気持ちになったのを覚えている。
あまりリアルタイムでアーティストの動向を追うこともないタイプなので、
彼女の結婚や病気、活動休止といった直近のニュースはまったく知らなかった。
ただ、毎日の在宅デスクワーク、その時の気分で音楽を延々と流す日々のワンシーンに彼女がいる、
好きなアーティストの死に触れることは初めてではない。
1970年代の洋楽もよく聞くので、ルー・リードやデビット・ボウイが死んだ時もショックだった。
ただ、、寂しくはあってもどこかで覚悟していた大御所の死とは違い、
彼女の死に直面して、色々な感情が駆け巡って、最終的にたどり着いたのは「納得がいかない」という思いだった。
音楽の歴史の中で、若くして死ぬ事によって、伝説的に昇華されてしまったようなアーティストはたくさんいるが、
もはやそんな時代ではないと思う。
生み出された作品とその作者の人生や生活は切り離して考えられるべきであって、
劇的な死に方をすることで、楽曲の意味が何らかの方向性を持って印象的に底上げされる、
なんて事は受け入れてはいけないと理性では思っている。
「自死」という究極の自己決定と紐づけた時に、そのありかたが容易く変質してしまう類のものだと個人的には思う。
彼女自身の感性で研ぎ澄まされた強さと繊細さ、息苦しさがたどり着いた結果が「それ」だとしたら。
到底受け入れられない。結びつけてはいけない。
彼女がどんな人生を辿ったとしても、彼女が楽曲に込めた表現の意味は変わらないはずで、
自分にとって、これから先も、生活の一部として聞き続けるであろうたくさんの音楽の一つとして、
年月が移り変わっても、変わらないものとしてありつづけてほしい。
彼女が言葉と歌声と音楽で生み出した、暗くもあたたかい世界は、私自身の居場所でもありました。
自分だけの、二人だけの、生まれながらに全てが正しくて、善であるのだと強く歌ったはずの世界を、
彼女自身が、自ら”指パッチン”で終わらせる対象として塗りつぶしてしまったのではないか。
彼女が歌の中で生み出して、繰り返したモチーフのひとつひとつが、
彼女が選んでしまったかもしれない現実の結末と、それを知った自分自身の類推に過ぎないイメージで上書きされてしまう事があまりも怖くて、
自分はいま、彼女の死を知ってからまだ一度も彼女の楽曲を聞くことが出来ずにいます。
ここまで来てやっと本題です。
今回の「死因非公表」というご遺族の意向による報道内容によって、自分は落とし所を見つけられずにいる。
まず大前提として、著名人の死に当たっては、今回コメントを出した彼女のパートナーを初め、最も近しい人達が、
彼女の死という重大な出来事に対して向き合い、たとえ時間がかかっても心の折り合いをつけていく、
そのための時間は絶対に必要で、「ファンのお気持ち」なんて物とは比べるまでもなく優先すべきで、
ニュースやその視聴者が、それが興味本位であっても切実な悲しみであっても、
彼女の死の原因のあれこれを詮索して、彼らに必要な時間を踏みにじるような事はあってはならないと思う。
その意味において、詳細な死因を公表しない、と決めたご遺族の判断は第一に尊重したい。
ただ、それと同時に、自分を初めとして、彼女の楽曲に日常的に触れてきたファンも、
突然の訃報のショックと抑うつ、行き場のない感情、彼女の楽曲を以前と同じように聞けなくなった辛さを抱えています。
その中で、彼女の死がはたして「自殺」なのか「病死・事故死」だったのかを知ることは、
いや、大きな意味など本当はないのかもしれない。
あるのは、彼女の死が、病死や事故死といった本人の意志によらないものであってほしいという祈り。
でもおそらく報道コメントが暗に示すように、もし彼女が死を選んだという事が真に明らかになったとしたら、
自分の中で、彼女の楽曲に対する「受け入れがたい変化」がより決定的な物になってしまうだけなのかもしれない。
ただ、海や山で誰かが遭難して数ヶ月が経ち、たとえ見つかるのが遺体だとわかっていても、
長い人生の中で避けられない大切な人の喪失を受け入れるにあたって、
その理由や結果を知ることは、たとえ残酷な結論だとわかっていても、必要な過程なのではないでしょうか。
今まさに現在進行系で心の行き場と日々の平穏を失ってしまった自分にとっては、
彼女の死因を知ることが、とても切実な問題であるように思えてならないのです。
自殺報道が最大限の配慮を持ってなされるべきだ、ということももちろん承知しています。
その一方で、ペットロスといった身近な死を乗り越えるためのサポートなども社会課題として捉えられる時代においては、
一定の社会的支持を持つアーティストの死に対して、ファンが重要な事実を知ることも、
私達が「大切な存在の死」という逃れられぬ現実を乗り越えるためには必要な手続きなのではないかという事を、
いままさに行き場のない思いを抱える当事者として切実に感じています。
自分は、彼女の死を知って以来、まだ彼女の曲を一度も聞くことが出来ていません。
いつかまた彼女の曲たちを、これまで同様に、そして私の生活を彩る他の数多のアーティストとも同様に、
自分の人生にとってかけがえのない存在として共に過ごしていく日々がまたいつか来ることを切に願っています。
長くなってしまいましたが、
その日は早く出社したからいつもより早く帰った。まだ誰も帰ってきていない家のドアを元気よく開け、今日の晩御飯は何にしようかなと考えながら犬の名前を呼んだ。相変わらず玄関からの呼びかけは聞こえていないのか反応はなかった。もう老犬だから耳が遠いのは知っていた。耳が遠いのか名前を呼んでも「どこだ?」とキョロキョロする姿に家族みんなで微笑ましく見ていた。昨日もそうだった。今日もよく寝てるなと思って名前を呼びながら家の中へ進む。
ソファーの影から犬がよく寝るクッションが見えた。いつもの窓際でいつもの陽ざし。いつもの…。何か嫌な予感がした。
「おーい」と大き目の声で呼びかけるも全く反応がない。いや、そんなまさか。昨日まで老犬とは思えないステップで散歩したんだ。健康診断も耳が遠い以外問題もなかった。「老犬とは思えないほど元気ですね」なんていつも言われた。「申請して長寿の賞状でも貰ったらどうかな」という話をしたのがこの前の休みだった。
ゆっくりと足を止めて犬のそばに立つ。そういえばいつものいびきがない。プーとか、フゴーみたいないびきに話の腰を折られて笑ったあのいびきがない。いつもより脱力している。膝をつき、触ろうと手を近づけた。
あ、死んでる。
体が動いていない。呼吸していたら動くはずの胸が動いていない。
明らかに生気がない。触らなくてもわかった。というか触りたくなかった。冷たさを感じたくなかった。夏は「暑いよ~!お前~!」とのしかかってきたこと、冬は「あったかいな~!お前!」と言って寄り添った思い出が悲しくなってしまうから触らなかった。
ボー然としてしまった。お前が食いつくであろう31の箱を横向きに倒してしまった。
お前は友人から頂いた犬だった。引き取り手がいなかったお前。お前の兄妹は大きかったのにお前だけ小さかった。トイプードルだから「小さいね」と、妹が使わなくなった立派なドールハウスにピッタリ入るくらいの大きさだった。ゲージではなく、よくそっちに入っていたな。
来た当時は夜が怖くてよく泣いていたな。最近じゃもう腹出していびきをかくほどには大丈夫になったな。
小さいころに東北大震災で地震がめちゃくちゃ怖くなってしまったな。最近になってようやく地震に大丈夫になったな。
お前はボールやおもちゃに全く興味を示さなかったな。ドッグランに来ても芝生で寝ているだけだったな。
トイプードルなのにでかくなって、柴犬サイズの服を着てたな。トイプードル用なのにお前に合うkgの参考がなくていつも笑っていたよ。「お前に適切な量はなんだ?」って。そんなこと気にせずお前は大食いだったな。人間でも腹いっぱいになる量をいつも食べていたな。
嫌なことがあって泣いてしまった日はそばにいてくれたな。風邪をひいたときも気が付いたら横にいたな。犬ってそばにいてほしい時はわかっているのだろうか。
老犬だからいつきてもと覚悟はしていた、と思っていただけだった。無理だ。覚悟したって無理なもんは無理だ。
喜んでいる家族を見て『なんだ?なんだ?嬉しい事か?!』と一緒にしっぽ振って喜んでいるお前がもう見られない。
帰路で他の家族と散歩中のお前に遭遇して、「気が付くかな」とニヤニヤしながら通り過ぎては気が付かないお前に「気が付けよ~!」とわしゃわしゃしては『誰だこい…お前か!』と臭いを嗅ぎながら、家族だとわかってベロベロしてくるお前を見られない。お前を留守番にして外食して帰ってくると、ゴミ箱をひっくり返して何度か怒ったな。でも家族が帰ってきて甘えてくるお前が愛おしかったよ。
お前の散歩途中でケンタッキーを持ち帰りした時、匂いに興奮しすぎたお前がその袋に突撃し、反動で膝カックンになって転んで家族に爆笑されたのが亡くなる直前の休み。
熱中症気味でふらふらしていた家族の後ろをずっと付いていたのが亡くなる一昨日。
ちょっと開いてしまっていた引き戸をこじ開けて、こっそり在宅勤務中に部屋に入ってきて、反動で閉まったドアで出れなくなってくぅんくぅん鳴いていたのが亡くなる昨日。
「あいつが喜ぶかな」とサービスエリアで買ったご当地ドックフードがまだ未開封だ。「今度はここに連れていこうか」と家族で計画したドライブ用の地図にはまだ印をつけていない。開けたばかりのちょっといい犬用シャンプーがまだ残っている。
スマホの写真フォルダは開いた瞬間に、お前が人間の食べ物を狙うキラキラした顔のお前が表示される。
ペットロスはあると思っていた。あるからこそたくさん思い出を残したのに辛い。
小学校の頃から一緒にいた思い出が出てきては涙が出る。通勤の電車内でもお構いなしに悲しくなる。
お前に追いつこうとした小学校時代。お前に追いついた中高時代。お前と一緒に歩いた大学時代。お前の歩幅にあわせるようになった社会人の自分。寿命の長さが違うというのはこんなにも悲しい。お前の方が遅く生まれたのに、お前の方が早く逝く。
「今日は肉料理だからあいつの分も豪勢に…」といつものように思ってしまい、スーパーの精肉コーナーで立ち尽くしてしまった。亡くなって一カ月も経つのに。
今も寝床について、ふと足をもぞもぞと動かしても重さを感じない。いつも飼い主の足を枕にしてふてぶてしく寝ているあいつがいないのを感じてしまって喉の奥が熱くなる。
いつか思い出が温めてくれる日がくるまで、と言い聞かせて今は涙をなるべくこらえる日々を過ごしている。そんな日がすぐに、いまにでも、はやく早く来てほしい。
幼い頃から犬と共に暮らしていた人間にはデバフが与えられている
金銭負担に加えて旅行の制限や臭い・毛などもあるが本質はそちらではない
犬を飼っていた子供が成長して一人暮らしを始めたとしよう、寂しくなると犬に手を出す
そして餌代に病院代に被服に玩具、ペットホテル、各種諸費用がお出ましだ
飼い犬が寿命を迎えそうであればペットロスを避けるため次の犬に手を出す
犬の無限ループだ
これが犬を飼っていなかった子供だとどうなるだろう
多少一人暮らしが寂しくても「犬飼ったことないし責任が取れないかも」で踏みとどまるだろう
人生左右されかねないのに、幼い頃から犬と暮らしているとそのハードルをいとも簡単に飛び越えてしまえるのだ
犬はかわいいよ
猫に置き換えてみた
・幸せすぎる → ◯ 幸せすぎて失ったときのペットロスが怖いけど
・朝も夜も一緒にいる → ◯ リモートワークだと仕事中も一緒
・ご飯も一緒に → △ 別々のものを同じタイミングで食べることは可能
・遅くまで一緒にテレビを見られる → ✕ テレビを見るのが好きな猫もいるが内容は理解してないだろうな
・一緒に献立を考えられる → ✕ 一緒に考えるのは無理だが猫が気に入りそうな餌を考えるのは楽しい
・おやつを作って一緒に食べられる → △ 猫のおやつを食べられる人間なら可能
・マッサージしてあげられる(もらえる) → ◯ うちのはモミモミしてくれるし、おれもモミモミしてる
・すっぴんでも許される → ◯ 化粧してるほうが警戒されるかも
・パジャマでも許される → ◯ パジャマのほうが気にってそう
・いつでもギュッとできる → ◯ いつもギュッとしてるが猫はヤレヤレって思ってるかもしれない
・夜、隣にいてくれるから寒くない → ◯ 冬は一緒に寝てくれるし、昔飼ってた猫は夏も一緒に寝てくれた
・朝起きても隣にいてくれる → ◯ そもそも猫に朝起こされる。もうちょっと寝かせて…
・家で使いたいものを一緒に買い物できる → ✕ 一緒には無理だけど、猫グッズ選んでるとき楽しい
・家電とかゲームとか、どちらかが買えば済む → ✕ 猫用グッズを人間が使うことは無いかな
・家事を分担できる → ✕ 猫の手も借りたいぐらいだが、これは無理
・ちょっとした優しさをいつも受け取れる → ◯ 本気で噛んだりせず甘噛みで対応してくれる
・相手の洗濯物を干せる → ◯ 猫自体の洗濯物は出ないけど、寝床とかの洗濯物は出る
猫飼いの人には是非読んで欲しい。特に、猫とのお別れを経験した人や、ペットロスになった人には響く内容になってるので。
まずはDavidという曲がどんなものなのか、先入観を持たずに聴いて欲しい。
この曲は1986年「やっぱり猫が好き」という深夜のドラマ(?)のオープニング曲だった。
やっぱり猫が好き(やぱ猫)は、恩田三姉妹(長女かや乃:もたいまさこ、次女レイ子:室井滋、三女きみ恵:小林聡美)が繰り広げる、ドラマのようなアドリブトークのような、時にはドタバタを含む深夜番組。
日本を代表するコメディエンヌが3人だけで毎週様々に起こる日常の小さな事件(主にレイ子が事件を持ってくる)をゆるゆると乗りこなす、そんな「日常系」の深夜ドラマ。事件と言っても些細なことで、寝苦しい夜に一緒に寝ようとか、すき焼き食べてたらハエが出たから外に追い出してたら、ベランダのロックがかかって閉め出されたとか、ドタバタとユルユルが融合した、本当に面白い番組だった。三谷幸喜脚本も多々あり、三谷幸喜の出世作とも言われている。この番組きっかけで小林聡美と結婚した、という伝説の深夜番組なのである。
まぁ、それはおいといて。猫が好き、というタイトルのわりに「サチコ」という猫が、たまーに出てくるだけのドラマなんだけど、このタイトルとDavidの結びつきが、試聴してた頃はなんとも思わなかったんだが、最近になって、この歌詞の意味がスーッと理解でき、このDavidの歌詞を深く理解するに至り、この曲を思い出すだけで泣いてしまう状態になってしまった(ノ∀`)
これは、解釈としての一部であり、本当のところはどういう意味で矢野顕子が歌詞を書いたのかはわからない。
でも、この曲は「やっぱり猫が好き」な人でない限り書けない曲だと思ってる。
矢野顕子いわく「Davidって誰?」と聞かれるけど、誰でもない。と答えている。ダビデだ、という説もある。
しかし、この「誰でもない」はこの歌詞を読み解くひとつのヒントとなる。
果てしなく広がる街から ひとり離れて
ここへ置いていって
静かな微笑みを 遠い日々の歌を
どんなにか つらかった日々を
あなたは 見つめた
よく笑い よく泣くあなたの 話を聞かせて
こんなに近い 同じ思いで
ここで待っているよ
聴こえるでしょメロディ みんなで待ってるよ
私のともだち OhDavid
歌詞を書いただけで、もう涙が止まらなくなってるんだけど、頑張ってひとつずつ解説したい。
この曲は、亡くなった猫が飼い主を思って歌ってる歌なんだ、と。
つまり、Davidは飼い主であり、私は天国にいる猫だ、と解釈すると、この曲の意味がわかってくる。
果てしなく広がる街、というのは、猫の視点からすれば、ただの街ではなく、そこは果てのない大きな大きな街に見える。
ひとり離れて、というのは、亡くなって離れていった。
あなたの手紙、というのは、たぶん火葬する時にDavidは手紙を書いて、その猫とともに天国に持たせたものなんだろう、と。
だから、読み返すうちに思い出が蘇ってきた、と。
こんなに遠い ということに対して「時間も場所も」というのは、やはり猫の時は止まっているけど、Davidの時間は進む。だから時間も、という表現になる。
ここへ置いていって欲しいのは、静かな微笑みや楽しげに歌ってた日々。つまり、Davidにはペットロスを乗り越えて、日々を進んでいって欲しい、という猫からの願い。
どんなにか辛かった日々を というのは、多分闘病していた猫の辛い日々や、ペットロスになったDavidの日常を空の上から見つめていたんだと思う。
そして、泣いて笑って、そんな日々を思い出して「ここで待っているよ」って、天国で再会することを待ち望んでいる。
みんな、というのは、きっとこの猫より前に飼っていた猫たちのことだろう。会いたいという気持ちは、飼い主だけでなく私たちも同じだよ、と。
最後に「わたしのともだち」というのは、飼い主のことを友達のように思っていた、ということなのかな、と。
パパやママという感覚ではなく、猫としては飼い主を友達のように思ってた、っていう。
この解釈でDavidを聴くと、涙が止まらなくなる呪いがかかるでしょうw
「やっぱり猫が好き」というタイトルだけ聞いて曲を書いた矢野顕子さんが「失ってもまだ猫の心と私の心は繋がっている。寂しいけれど、やっぱり猫が好き」という気持ちでこの曲を書き上げたのではないかな、という推測が成り立った。実際はコメディ番組だから、ここまでの深い考察をするまでは、まったくそんなこと、思いもよらなかった。
自分も先代の猫たちに会いたくて、今でも泣いてしまうけど、この曲の意味をこう解釈することで、亡くなった猫への思いを整理つけてペットロスから抜け出せるような気がしている。
甥っ子姪っ子かわいー。
デブだし歳も行っている。正社員だけど毎日仕事でヘロヘロイライラしている。一人暮らしで家事は好きでも得意でもないからマジで最低限。
それでいて、美しいすばらしいなにものかへの憧れが止められない。
己がぼろきれのようなのに、素敵だと思った人に悪くないと思われたい、この浅ましさ。
私のような者を愛してくれる人、私のような者からの愛を受けてくれる人がいるわけがない。
以前はいざとなったら犬でも飼おうとか思っていたが、実家で飼われていた犬がこの前寿命で往生してペットロスがものすごい。とても、とてもあの悲しみを繰り返せない。
もうなんか何もかもがどうにもならなくなってしまった感がある。
親に申し訳ない。
甥と姪の夜泣きで親(我がきょうだいと配偶者)たちがふらふらになってるところを手伝ったりしたこともあるからかわいいばかりじゃやってられないのは知ってるが、それでもやっぱり、子どもはかわいい。
愛の捌け口が欲しいだけなんだきっと。子どももそれで産み出されてもいい迷惑だろう。
もう何をどうするべきなんだか。
いや笑えん。
何かやるのにすごい時間かかる。朝メシを支度して食うとか、着替えを選んで着替えるとか、PCつけて仕事始めるとか、そういうのがなんかすごく下手になってる。ゆっくりやんないとうまくできなくなってるというか、上の空が常になってる感がする。1秒ごとにスリープに切り替わるPCをがんばって稼働させてるみたいな。
別れとかを意味するような特定の言葉を書いたり声に出して読んだりできなくなってる。ペットの名前と紐づけて無理やりやろうとすると状態異常が発生する。
でも状態異常の発生条件はだいぶわかってきた。
生身で地雷原を行くキツさだったけど赤外線センサー起動の警報くらいに緩和されて、しかもセンサーの向きが何となく読めるようになってきたような気がする。
昔話とか、よく「悲しみのあまり死んでしまいました」とか「王妃様が亡くなってから、王様も後を追うように…」みたいなのあるイメージだけど、震災のときのデータとかで、実際に心臓病(心筋症とか)の発作が起きてて死者も出てるっていうデータがあるんだってな。
後追いはしないけど、蘇りの儀式とかおまじないくらいは手を出すかもしれん。
でも、高齢で病気も多くて、苦しい中最後までがんばってくれたってのに、それを呼び戻すってのもどうなの?とかもあるので、やっぱり何もやらないかもしれん。
呼び戻せたっていつかはお別れするんだ。
最悪俺が置いてく方になるかもしれないんだ。
夏の晴れ渡った高い空が完全にトラウマだよこりゃ。雲ひとつないような抜けるほど晴天の今日は悲しいくらいにお別れ日和で。
泣くとちょっとだけ脈が整うんだ。気がつくとすぐ乱れてんだけどな。
人間が本気で全力で泣くと小学生がよく持ってる防犯ブザーよりでかい声が出るらしい。Apple Watchが教えてくれた。この騒音にずっと晒されていると耳がおかしくなるそうだ。
あんときは大変だった。泣く以外のことがマジでできなくて、息継ぎに失敗してそれでも泣くのがやめらんなくて、酸欠だか過呼吸だかで目眩起こして棚に寄りかかって、このままじゃ火葬の予約に遅刻するってのにそれでも泣くのがやめらんなくて。
いやまじつらすぎんだけど、ペット飼いみんなどうしてんのこれ?いったいどうやって凌いでんだよこれを。
でもじゃあ例えば、このお薬で綺麗さっぱり悲しみつらさが全部消えますよとか言われてもそんなの飲みたくないんだ。だって絶対他にもなんか消える薬じゃんそれ。
あのきれいな毛並みも匂いも消えて、食卓にメシたかりに来る時の真剣な眼差しも寝息も寝言も消えて、エサの準備とかうんこの始末とかも消えて、今これ以上何か無くしても絶対いいことないじゃんこれ。
あいつをナデナデして一緒に昼寝でもすれば、すぐ治るのに。こんなの。
Permalink |記事への反応(12) | 12:26
小動物を飼ってた。
まあ寿命通りだった。
今まで命の大切さってなんだよとか思ってたけど、その子は自分より親より友達より大事だった。1年半ペットロスに苦しんで涙が止まらなくて不眠症が悪化した。
先日、通りがかった露店?で死んだ動物の気持ちを占いますっていうのを見つけた。あの子はすごい苦しんで死んで、私は徹夜で看病してたからもう楽にしてくれって言った瞬間に死んで、絶対恨んでると思ったから占い師の人にあの子は私を恨んでますかって聞いた。
答えは恨んではないけど貴方のことは普通に嫌い。今は上の仲間と仲良くやってるだった。
嫌いだって。
もうさ、どうすればいいのかわかんなくなっちゃった。あの子の穴が埋まらなくてめちゃくちゃ動物飼って家が動物園。みんな懐いてくれてるのにあの子じゃないとダメなの。でも嫌いだって。どこがダメなのかな、ダメなとこ直すから嫌いなんて言わないでよ。どうすればいいのわかんないよ。
私があげたものはなんでも大切に遊んでくれてなんでも美味しく食べてくれた。写真写りがめちゃくちゃ良くて、人嫌いでめちゃくちゃ噛まれた。でも好きだった。大好きだった。はじめて他の存在を信頼した。なのにあの子すら信用出来なくなったら誰を信じればいいの。
他の動物と仲良くしてるなんてさ、ペットショップからお迎えした私が悪者じゃん。
後追い自殺を考えてたけど死ぬ理由がなくなった。生きる理由も無くなったから消えたい。
最近あの子が夢に出てくるんだ。別に何を言うわけでもないんだけど。それも占い師さんに聞いたら「昔みたいな本当の自分に戻って欲しいからですよ」って言われた。本当の自分ってなんだよ。私はお前に出会ってお前を好きになったから今自殺未遂もしないようになって明るくなって周りに愛されて生きてるんだよ。お前に出会う前みたいなクソ隠キャに戻りたくなんかねえよ。私はお前のために生きてたんだよ。
今も涙が止まらない。めちゃくちゃ吐いてる。私とあの子の2年ってなんだったの。無駄だったなら死にたいんだけど死後の世界にあの子がいるなら死ねない。消えたい。生まれなければよかった。