
はてなキーワード:プレデターとは
そういえば、宮崎勤の証言のネズミ人間は解離なのかという議論があった気がするけど、
まあ、解離って、専門でも何でもない俺が言うのもなんだけど、
現実逃避を医学的に言い換えたみたいなもの、という解釈でいいんだろうか、
病的なものもあるし、極限状態に置かれれば誰でもなりうるというのもあるし、
要は現実を直視できなくなってしまうんだよね、直視すると発狂する、脳がオーバーヒートしてしまう…😟
でも、彼は自分で殺してといてなんなん、というのもある…😟
そういえば、夫に日常的に酷い暴力、DVを受けてたセレブ妻が夫を殺害して、
夫の遺体をバラバラにして、旅行カバンに詰めたものの、運転免許も持ってないし、
呼んでも、ある程度の山奥まで行って、そこから遺体を遺棄する場所まで移動しなければならないし、
とか色々考えたんだろう、マンションの玄関前の植え込みに放置した、
というのは、まあ、よくわかるんだよね、自分もそうなると思う…😟
そうかんがえると、座間9人の人は、やっぱり変わってるというか、
意外と冷静に人体をバラバラにしてる、パニックでやった感じがない、
かなり冷静に下水に流したり、近所のゴミ収集場に持ってってるし、
なんでこんなこと書いてるのかというと、マシンパワーが非力で、トラック数がすぐに限界みたい…😟
打ち込みギター音もAmpliTubeを通してるわけだけど、ホントにこれ落ちるよなあ、
定期的に、"清潔"にしているのに"清潔感"が無いって言われるのは差別の言い換えだ、容姿の良さってことだろ、って誤った理解で憤る人がいるんだけど、違うよ。
これは「ナチュラルメイクは、まったくナチュラルじゃない」とかと同じで、別に"清潔感"に限った誤解でも無いんだけどね。
不細工だから清潔でも清潔感が無くて、容姿端麗なら不潔でも清潔感があるって言われるのがズルいみたいな捉え方をする人がまだいるんだけど、そもそもの前提が間違ってるんだよ。
分かりやすく説明すると、2つの軸があって、その綱引きで決まっています。たぶんそこから説明が必要だと思う。
ものすごくざっくり言うと、キアヌ・リーヴスが無精ひげでボロボロの格好していてもイケてるのは清潔感があるからなじゃくてキアヌだから。
プレデターバッドランドで(作中の設定として)超不潔なはずのエル・ファニングに清潔感が見えるのは、ある条件を達成しているから。
どんなに(化学的/衛生的)清潔でも条件を達成してないと清潔感があるとはみなされないんだけど、ある条件の達成には(通常は)清潔である方が楽なの。
まず大前提として、清潔感って非常に不自然な状態で、天然ではそうはならんのよ。ここの誤解が男女ともに非常に多い最初のつまづきだと思う。
分かりやすいところで行くと、髪ね。
キューティクルとか言われるけど、入院なんかで病気にならないように管理されている状態で清潔にしているだけだと、ああはならんのよ。
衛生的には適切にごみやほこりが洗い流せて頭皮に皮脂が過剰に溜まって無ければ清潔なの。でも、パサついた髪の毛とか、ごわごわしてるとか、清潔なだけだとそうなるのよ。
キューティクルがとか、天使の輪がとか、ああいうのは、人工的に不自然に手を入れて初めて手に入る、作られたものなのです。
そして髪の手入れと言うのは基本的には清潔ありきでさらに作りこんで初めて手に入るんだけど、一度手に入っちゃえば不潔でも維持することは不可能ではないのよ。
そして、上級者になると、不潔なんだけど外見だけそっくりまねて清潔感だけ出すことも出来たりするわけよ。
ものごっつ肌荒れしてても化粧とテクニックでごまかすことはできるんだけど、やっぱ素地になる肌が清潔で丁寧にお手入れされている方が楽できる。
でも、清潔なだけだと、絶対に化粧が完成した顔にはならんわけでしょ?だって化粧してないんだし。
もちろん、一部例外的にほとんどすっぴんでも化粧が完成した顔になる人はいるけど、そういう例外だけ取り上げるのは良くないと思うな。
脂ぎってて太ってて不潔な人は、清潔感が無い。
髪を洗ってなくてフケが飛び散るような人は、清潔感が無い。
何日も洗ってないようなヨレヨレの服を着て、襟とか袖に汚れが見える人は、清潔感が無い。
スニーカーが汚れてたり、合皮のカバンがボロボロだったり、ゴチャゴチャゴミが入ってるような鞄を持ってる人は、清潔感が無い。
その反対側にいるように見える、そういった不潔さと真逆にいるように見える人のことを、清潔感がある、というのよ。
当然なんだけど不潔で無いなら清潔感がある、ではないわけよ。清潔感がある人は、不潔であるようには見えない、なのよ。
例えば、歯を磨いてなかったら汚いから不潔じゃん。でも笑った時に白い歯が光ってれば清潔感があるように見えるのよ。不潔であるようには見えない、というところがポイントね。
ブコメに清楚と近いのかなって言ってる人が居たけど、俺もそう思う。清楚とか可憐とか透明感とかって言うのの言い換えの一種として清潔感があると思っている。
純真無垢とか可憐って、男性に使うにはちょっとニュアンスが違うじゃない。芸能人なんかに使う透明感をより現実に近づけたものが、清潔感、だと思うわけよ。
Yシャツがパリッとしてるとか、パンツのラインがきれいとか、そういうのを清潔感って表現してるわけで、つまり不潔とは程遠く見える。
暴飲暴食しても普段から歩く速度が速くて趣味がボルダリングみたいなやつは基礎代謝が高いから筋肉質な体つきになってシュッとしてたりするじゃん。
まったく同じ飯食ってても、ドカ食い気絶部とか言って飯食った後歯も磨かなければ風呂も入んないで寝るやつはやっぱ不潔だからそっから生活立て直すしかないじゃん。
ぶっちゃけ、小汚い連中を差別する為に作られた言葉だ、みたいな精神性が良くないと思うわけよ。
シュッとしててカッコええわぁ、パリッとしてクリーニングから帰ってきたYシャツみたいやわ!を短く言い換えると清潔感がある、みたいになるのよ。
清潔感がある人が良いって表現、小汚い人が嫌の言い換えじゃね?って思うの、俺は違うと思うのよ。
生き生きしてる人が良いって言うの、目が死んでる人が嫌の言い換えじゃないじゃん。
品川駅を歩く目が死んだサラリーマンと、ハワイでフルマラソンを走り切って生き生きしているスポーツマンの間にはさ、もっと無数の果てしない状態遷移があると思うわけよ。
廃墟の和式便所と、タワマンのネオレストNXの間には、無数の便器があるわけですよ。
清潔で隅々まで磨かれてその場の雰囲気に合った装飾でスムーズに用が足せれば、必要な時に必要なことが出来る信頼性があれば、ちゃんと評価はしてもらえるのよ。
それはね、所属してるコミュニティが良くない。そういう共同体じゃないところに所属しよう。
このおばあちゃん清潔感あるなって人、テレビのインタビューでも見かけたりしない?政治家でも芸能人でも良いけどさ。体型は分からんしイケメンではないし、でもなんか清潔感あるな、みたいな。
俺は武井壮は苦手なんだけど、あの人が良く言う思った通りに体を動かせる選手が少ないって言うのに近いと思う。手塚治虫がフリーハンドで新円が描けたでも良いけど。
結局のところ、適切な方向性を見出して、そこに向かって近づける労力をかけないかぎり、そこには近づかないのよ。
目標を決めてソコとの差を埋めるべく、仮説を立て、実験し、結果を得て、検証し、仮説を修正して、近づけて行くしかないの。
もし清潔感が無い、もっとこうしたら?って言われたら、「そこは清潔感があるように見えなかったんだな」と思ってトライしてみるしかないわけよ。
でもね、これが一番大切なことなんだけど、もしフィードバックを得ても自分を変えたくないなら、そこからは離れるのが良いの。向いていないことしても苦しいだけだから。
ぶっちゃけ、男なら全身医療脱毛した上で、毎週末にQBハウス通ってツーブロック維持して、週に10キロ分チャリ漕ぐだけで、髪型で清潔感が無いって言われることは無いと思うよ。
もちろんそんなことしなくても、手持ちのちょっとしたものだけで清潔感を維持できる人はいるけど、それはさ、積み重ねがあるからできるわけなのよ。
というか、繰り返しになるけど、もし「清潔感が無いと叩かれている」と感じるなら、そういう場所からは離れるべきなの。もっと世の中楽しいこといっぱいあるんだからさ、嫌なことにリソース割くの勿体ないよ。
まあそもそも、人はみな詩人や作家では無いので、正確に物事を定義して表現しきれるかっていうと、世界はもっと雑で曖昧なものだと思うよ。
映画メッセージのもとになった、テッド・チャンの短編集「あなたの人生の物語」に収められている「顔の美醜について」を読んで、ルッキズムとはなんなのか、美醜が無くなった世界で何が起こりうるのかを考えるのも悪くないよ。
人間なら「棚の上に乗ったら崩れるやろなあ」とか思って無視するところに飛び乗って、棚崩しながら襲ってくるかもしれない。
正面から威嚇してくれるならマシな方で、突撃して分隊に飛び込んできたら同士討ちの危険が発生する
言ってしまえばエイリアンだのプレデターだのと戦うようなもん。
銃の選定も難しく、軍用銃だと跳弾すればまだマシで建物の外壁貫通して飛び出す可能性がある。中から発砲するのは危ない。
かといって警察の装備しているような銃だと熊を無力化するには力が劣るし、乱射するとやはり流れ弾のリスクがある。
だったら狩猟に用いる銃しかないのだが、官公庁ではほとんど所有しておらず訓練も頻繁にはしていない。
猟友会は北海道の件がなくとも、単純に危険だから拒否するだろう。