
はてなキーワード:プレイスとは
PrimeReadingで1~3巻が読めたから。
「JKにおっさんみたいな事させる漫画」といったらそうだけど年齢と性別と世界設定がJKになっただけで中身とか言動とかがめちゃくちゃおっさんというか傭兵だった。
多くの人々がポーカーというゲームに魅了されるのは、それが単なるギャンブルではなく、高度な戦略、精密な計算、そして相手の心理を読む深い洞察力が求められる「マインドスポーツ」だと信じているからだろう。煌びやかなトーナメント、数億円という破格の賞金、そしてスポットライトを浴びるチャンピオンたち。その姿は、努力と才能が正当に評価される、実力主義の世界の象徴のように見える。
しかし、その輝かしいイメージの裏で、我々が決して目を向けてはならない、あまりにも残酷で不都合な真実が存在する。もしあなたが本気でポーカープロを目指しているのなら、この甘美な幻想は、キャリアの初期段階で徹底的に打ち砕いておく必要がある。
結論から言おう。現代のポーカープロになるための必須条件、それはスキルでも、経験でも、ましてや精神力でもない。それは、常軌を逸した「強運」と、その運を試すための試行回数を他人の金で確保する「資金調達能力」である。
ポーカーのトーナメントの本質を、極限まで単純化してみよう。それは、膨大な数の「オールイン対決」を生き残り続けるサバイバルゲームだ。特に、チップ量が拮抗し、プリフロップでのオールインが頻発する中盤から終盤にかけて、プレイヤーのスキルが介在する余地は驚くほど少なくなる。
ここで、ポーカーで最も頻繁に発生する「50% vs50%」の状況、通称「コイントス」または「フリップ」を考えてみよう。例えば、あなたのハンドがAK(エース・キング)で、相手がQQ(クイーンのペア)。どちらが勝つかは、コミュニティカードが開かれるまでほぼ五分五分だ。
さて、もしあなたがトーナメントで優勝するために、この50%の勝負を10回連続で勝つ必要があったとしよう。その確率は一体どれくらいだろうか?
そうだ、たったの1024分の1である。これは、スキルも経験も一切関係ない、純粋な確率の世界だ。コインを振って10回連続で表を出すことと何ら変わりはない。
つまり、極端な話、ポーカーを覚えたての初心者であろうと、10年経験を積んだをベテランであろうと、この「1/1024」の幸運の雷に撃たれさえすれば、世界的なトーナメントで優勝できてしまうのだ。そして、この偶然の産物であるチャンピオンは、いとも簡単に「自分は強い」と勘違いを始める。
「あのアクションが神がかっていた」「あのブラフで相手を降ろしたから勝てた」「プレッシャーの中で冷静な判断ができた自分は本物だ」
彼らは、結果から逆算して自分の成功物語を紡ぎ始める。しかし、その裏側にあるのは、9回連続でコイントスに勝った後、最後の10回目で無情にも敗れ去った、彼より遥かに実力のあるプレイヤーたちの無数の屍だ。メディアは1024分の1の勝者を英雄として祭り上げるが、残りの1023人の敗者の物語が語られることはない。この強烈なサバイバーシップ・バイアスこそが、「ポーカーは実力ゲームである」という幻想を強固に支える最大の要因なのである。
「長期的に見れば、期待値(EV)がプラスの行動を繰り返すことで収支はプラスに収束する」
これは、ポーカーを科学的にアプローチしようとする者が、まるで聖書のように信奉する言葉だ。しかし、この「長期的に見れば」という言葉の本当の恐ろしさを、彼らは理解しているのだろうか。
ここで、ポーカーの世界から一度離れて、カジノの胴元の立場になって考えてみよう。ブラックジャック、ルーレット、バカラ。これらのテーブルゲームは、すべてカジノ側(胴元)にわずかながら数学的な優位性(ハウスエッジ)があるように設計されている。つまり、胴元のすべての判断は、常に「期待値プラス」なのである。
彼らは、ポーカープレイヤーが血の滲むような努力の末にようやく手に入れるかもしれない、ほんのわずかな優位性を、ルールそのものによって永続的に保証されている、いわば「期待値の神」だ。
しかし、そんな神ですら、運の前にひれ伏すことがある。カジノの運営において、特定のテーブルゲーム部門が1日単位、1週間単位、あるいは1ヶ月単位でマイナス収支に陥ることは、決して珍しい話ではない。あるハイローラー(大金を賭ける客)が驚異的な幸運を発揮し、たった一晩で数億円をカジノから奪い去っていく。そんなニュースを耳にしたことがあるだろう。
数学的に絶対に負けないはずの胴元ですら、統計上の「ブレ」や「偏り」、すなわち「分散(Variance)」によって、短中期的には容易に赤字を出すのだ。
さて、ここでポーカーの世界に話を戻そう。胴元が持つ数%の鉄壁のアドバンテージに比べて、トッププロ同士の戦いにおける実力差(エッジ)など、一体どれほどのものだというのか。0.5%? それとも0.1%? おそらく、その程度の、誤差のような差でしかないだろう。
そんな、カジノのハウスエッジに比べれば無に等しいような僅かな優位性で、人生というあまりにも短い試行回数の中で、収支がプラスに収束すると本気で信じているのだろうか。答えは明白だ。人生のすべてを賭けても、ポーカーの収支は決して収束しない。あなたの生涯収支を決めるのは、日々の細かな期待値の積み重ねなどではない。キャリアを根底から揺るがす、数回から数十回の巨大なポットを、運良く勝ち取れたか、不運にも失ったか。ただそれだけである。
ここまで述べたように、トーナメントでの成功は天文学的な確率の産物であり、日々のプレイですら、あまりにも巨大な分散の前では個人のスキルなど無力である。
では、なぜ「ポーカープロ」という職業が成立し、彼らは破産せずに活動を続けられるのか。日々の生活費を払い、高額なトーナメントに参加し続けることができるのか。
その答えこそが、この世界の最も醜く、そして最も本質的な真実を突いている。
現代のポーカープロに必須の条件、それは**「ステーキング(Staking)」によって、他人の金でギャンブルすること**である。
ステーキングとは、投資家(バッカー)がプレイヤーのトーナメント参加費を肩代わりし、その見返りとして、もしプレイヤーが賞金を獲得した場合、その一部を受け取るという契約モデルだ。
これこそが、現代のポーカープロを支える生命線なのだ。彼らは自らのスキルを商品として投資家にプレゼンし、「私はこれだけの実績がある」「私のプレイスタイルは今のメタ(主流戦術)に適している」とアピールして資金を調達する。そして、その集めた金で高額トーナメントという名の宝くじを何十回、何百回と購入し続ける。
20回連続で参加費を失っても、彼らの懐は痛まない。損失を被るのは投資家だ。そして、21回目に、あの「1024分の1」の幸運を引き当て、莫大な賞金を獲得する。彼らはその賞金から投資家へ配当を支払い、残った巨額の利益を自らのものとする。そして、メディアは彼を「天才」と呼び、彼は再びその名声を元手に、次の投資家を探すのだ。
つまり、彼らの本当のスキルは、カードテーブルの上で発揮されるものではない。彼らの主戦場は、投資家との交渉のテーブルなのだ。いかに自分を大きく見せ、いかに自分という金融商品に投資価値があるかを説得するマーケティング能力と交渉術。それこそが、運という名の荒波を乗りこなすための唯一の羅針盤なのである。
これからプロを目指すというのなら、GTO戦略を学ぶ前に、まず投資家向けの事業計画書を書くべきだろう。ポーカーはもはやマインドスポーツではない。それは、自らを広告塔とした金融ビジネスであり、運の女神を他人の金で口説き落とす、壮大なギャンブルなのだから。
僕が三週間かけて導出したp進弦理論の局所ゼータ関数上の正則化項を書き直せると思ったら大間違いだ。
あの計算は、ウィッテンでも手を出さない領域、すなわち、p進版のAdS/CFT対応をde Sitter境界条件下で非可換ゲージ群に拡張する試みだ。
通常の複素解析上では発散する項を、p進体のウルトラメトリック構造を利用して有限化することで、非摂動的な重力の相関関数を再構成できる。
だが、問題はそこにある。p進距離は三角不等式が逆転するので、局所場の概念が定義できない。
これはまるで、隣人がパンケーキを焼くときに「ちょっと目分量で」と言うのと同じくらい非論理的だ。
朝食はいつものように、オートミール42グラム、蜂蜜5グラム、カフェイン摂取量は80mgに厳密に制御した。
ルームメイトはまたしても僕のシリアルを間違って開けたが、僕はすでにこのような異常事態に備えて、バックアップとして同一銘柄を3箱ストックしてある。
僕が秩序を愛するのは強迫ではなく、宇宙の熱的死に抗うための小さな局所秩序の創出だ。
今日の研究は、T^4コンパクト化されたIIb型超弦理論のD3ブレーン上における非可換ゲージ理論の自己双対性。
通常、B場を導入することで非可換パラメータθ^{μν}が生成されるが、僕の考察では、θ^{μν}をp進値に拡張することで、通常のMoyal積が局所的整数体上で閉じない代数構造を持つ。
これが意味するのは、物理的空間が離散的p進層として現れるということ。言い換えれば、空間そのものが「整数の木構造」になっている。
ルームメイトが「木構造の空間って何?」と聞いたが、僕は優しく、「君の社交スキルのネットワークよりは連結性が高い」とだけ答えておいた。
午後は友人たちとゲームをした。タイトルはエルデンリング。だが彼らのプレイスタイルには忍耐が欠けている。
僕がビルドを純粋知力型にしてカーリア王笏を強化している間に、彼らは無計画に突っ込んではボスに殺されていた。
統計的に見ても、平均的なプレイヤーの死亡原因の82%は戦略ミスに起因する。
僕は「量子重力のパス積分と違って、こっちはセーブポイントがあるんだ」と指摘したが、誰も笑わなかった。理解力が足りないのは罪だ。
夜、コミックを再読した。ウォッチメンのドクター・マンハッタンの描写は、量子決定論の詩的表現として未だに比類ない。
あの青い身体は単なる放射線の象徴ではなく、観測者のない宇宙の比喩だ。
僕が大学時代に初めて読んだとき、「ああ、これは弦の振動が意識を持った姿だ」と直感した。
今日もそれを確かめるため、ドクター・マンハッタンが時間を非線形に認識するシーンを分析し、p進時空における時間関数t→|t|_pの不連続性との対応を試みた。
結果、彼の非時間的意識は、実はp進的時間座標における不連続点の集積と一致する。つまり、マンハッタンはp進宇宙に生きているのだ。
寝る前に歯を磨く時間は、時計が23:00を指してから90秒以内に開始しなければならない。これは単なる習慣ではなく、睡眠周期を最大化するための生理学的最適化だ。
音楽は再生しない。音波は心拍数を乱すからだ。ただし、ゼルダの伝説 時のオカリナのエンディングテーマだけは例外だ。あれは時間対称性を感じさせる旋律だから。
僕の一日は、非可換幾何と行動最適化の連続体でできている。宇宙のエントロピーが増大しても、僕の部屋の秩序は一定だ。つまり、少なくともこの半径3メートルの範囲では、熱的死はまだ先の話だ。
お休みの日ってなにやってたっけー?って
もう記憶が消えかけているわ。
いやお出かけはしていたので、
それでお出かけで費やしちゃうと、
日常でやってることがやれてなくて、
すっからかんと空くじゃない。
なので、
出掛けているにも関わらず、
いつものルーティーのことは出来てなくってそれ故に何もしてなかったんじゃないかしら?って錯覚に陥るのよ。
一応は遊んでいるゲームたちは
レヴェル99のギアももう持ってるから割愛の1日1勝の1ガチャに留めーの、
シャインポストは相変わらずライブ会場無茶しやがってのクラス5の武道館以外の会場に挑戦したら倒産。
なんかここまで調子良くクラス5のライブ会場に挑戦出来る勢いは随分ついたものの、
それでもシャインポスト1周プレイするのに2時間ぐらいはかかるでしょ?
控え目に言ってもそのぐらいの時間がかかるので、
プラスとしてはクラス5のライブ会場をライブビューモードで選択できるようになったってことが収穫かしらね。
NIKKEもぼちぼち勧めているわ。
ラピ:レッドフードがあれってただ単に新しいコスチュージュでーって見掛けだけのなんか登場SSRニケだと思っていたけれど
そんでね、
その2人もパワーアップを匂わせてちょっと一旦はストーリー上で部隊から離脱しちゃったわ。
こっちもぼちぼちは進めているけれど、
そんなには一気にドーンと進められないので、
読み物をストーリーを読むイベント消化をチクチクやってる感じね。
新ニケ登場の告知やお知らせがちょいちょい来るけれど、、
いまやなんか食傷気味ね。
ぜんぜんピンと来ないので、
とりあえず
成長物資を集められるだけ集めてーってだけに留めるわ。
なので
今その中でも、
私の好きなニケのシンデレラがメインストーリーでセリフが多くてよく話してるからずーっと登場してて嬉しいかなってところ。
他のゲームは
なんだか遊ぶ元気がないわ。
夏バテかしら?
この突如訪れている
何もしたくない感なにこれ?って思っちゃう。
スプラトゥーン3もめぼしい使ってみたいブキは相当使い込んでて
ドラマ関連は朝ドラの『あんぱん』はとりあえず追いかけられているわ。
どうしても離すことが出来ないのかしらね?
そんなことになるとすっかり分からなくなるのよ。
倍速で見ていても入ってこないし離脱ね。
いや小説版読み始めてこっちも面白く止まらなく鳴っちゃったからそっちにも夢中になりたいところなのよね今。
これは町中華に行ったときの料理がやってくるまでの間に読む楽しみにしておきたいところ。
なんかこう、
いろいろやってるけれど、
ただただ夏の疲れがじわじわ出てきているからそんな心境ならいいのだけれど、
なんだか追い込まれてる感じがするわ。
たぶん夏の疲れよー。
いつもながらになんだか鰯気なことを言っちゃってるわ。
今週はちと早くに寝て睡眠時間を増やすキャンペーンに挑みたいところよ。
なんなのかしらね?
このなんかくたーっとした感じ。
まあ夏の疲れってことにしておくわ。
うふふ。
なんだか家事する元気の気力もなかったので、
お昼はまたどうしようかしら?って考えるのは億劫だし
だいぶ暑さは和らいだとはいえ、
昼間の陽射しはキツイので外に出るのもまたぐったりしちゃうしなぁって思いがちよ。
ああ夏の疲れねきっとそうよ。
今日も朝から出来上がったものを飲んでシャキッと目覚めさせたいところ。
まだまだ暑いので
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最近はTRPG学級会が白熱してて、連日激しい議論が交わされている。
特にCoC派とその他派の議論は平行線になることも多い。なお筆者はバリバリの後者である。
さて、なぜこの両者の間では衝突が起こるのか。
それはそもそも両者が差しているTRPGという用語自体にズレがあるからである。
断言しよう。
厳密に言えば、CoCは広義のTRPGではあるが狭義のTRPGではない。
これは歴史的な話なので誰にも否定はさせない。知らんやつは勉強しろ。
その上で、戦闘を行うキャラクターに人格を持たせてロールプレイするようになったのがTRPGである。
だから戦闘を行わないものはTRPGではない。少なくとも狭義のTRPGでは。
正直、CoCがTRPGを名乗ることはTRPG業界にとって不利益だとすら思っている。
なぜか。
狭義の、強い言葉を使うのなら「本当のTRPG」が死につつあるというのに、それを認識できないからだ。
今はまさに、MTGにシェアを奪われていった「TRPG冬の時代」と同じことが起こっている。
だというのに。
CoCがTRPGを僭称していることによって、「TRPGは今が一番活気がある」なんて戯言をぬかすやつがいるくらいだ。反吐が出る。
古き良きTRPGを愛する者よ。
もう20時には寝なくちゃいけないのよね。
試しにその時間に寝てみたら
このぐらい寝ないと寝たわ!ってならないのよね。
となるってーと、
さらによ、
残りの14時間の割り振り分配がいかに休日のよりよく過ごすかの
もうさ、
1日に10時間ぐらいプレイしていたら生活が破綻してしまうわ。
家のこと何もできないのよ。
だから
あれってお話を普通に進めて行く上では何も迷い道がないのでサクサク進みそうなんだけど、
いや進められるんだけど、
やっぱり途中の山とか大地とか海とかが気になって、
壊しまくる回り道なのよね。
なんかストーリー追うっていうより、
やったー!
バナナ見付けた!って
それ繰り返していると
NIKKEはNIKKEでわりとデイリーミッションをこなしたらあとは意外とやることが無いので、
あるのはあるんだけど、
それを読み込んでいったら
そんで、
あれよあれ!
3チャプターぐらいは復活に引っ張ってたんじゃないかしら?
ニケ部隊を強化して強化して、
やっと進められたストーリー!
私のニケの部隊には随分まえからシンデレラは加わっていたけれど、
はて?このキャラって何?やたら強いんだけどーって
最初は部隊に加えることすら躊躇してしまいそうなぐらいの強さで使っていなかったんだけど、
だんだんと敵が強くなってきて、
でも
このシンデレラっていつにストーリーに出てくるんだろう?ってずーっと気にはなっていたのよね。
で、
そのお話のところメインキャンペーンのストーリーでそこに追いついたから
まあNIKKEやってない人からしたら何のことだかさっぱりかも知れないけれど、
NIKKEはNIKKEで燃え尽きず進められているわ。
つーか、
まあそれはそれで、
NIKKEもちょっと遊びたいじゃない。
ドンキーコングも遊びたいじゃない。
そして、
またここで急に面白さに気付いてしまったスーパーマリオのワンダー!
1日1ステージは楽しめるので、
そうなるってーと、
残りの睡眠時間に割り当てる10時間以外の14時間の使い道が貴重だわ!
これは夏休みの宿題にしておこう。
といっても、
やっと初プレイからプレイしていきなりのボス戦ではるか遠くにたどり着けなかったセーブポイントにやっとたどり着いてボス倒して到着!
そこで若干の達成感と燃え尽きを感じつつも
ゼルダ無双も新しいのでるんでしょ?
うわ!
私のやるゲーム多すぎ
そしてゲームボーイアドバンス版のメトロイドも途中でいいところまで進められているので、
こっちも夏休みの宿題よ。
Switch版のリメイクが出たらまた挑戦する季節が訪れたときに挑戦するわって消極的。
すっかりもう走ることを忘れていたけれどマリオカートのワールドも、
一通り50ccのレースは走ったけれど、
あれよあれ!
あ!こんなところにこんなのがあった!とか
これもあっと言う間に意味もなく走っているだけで時間がなくなっちゃうわ!
何かを捨てて何かを拾う作業なのよね。
大河ドラマだけは倍速!
あ!
また今思い出したけれど
プレイステーション版のステラーブレイドのNIKKEとのコラボ企画のステージまだ到達してないの思い出したわ!
そこまで到達するステージまで遠すぎるのよ!
すっかり忘れていたわ。
これも夏休みの宿題ね。
夏休みの宿題の計画は本当に計画的にしなくっちゃ!って感じよ。
うわ、
悩ましいわ。
うふふ。
ぜんぜん家事やってないご飯は食べた空の釜を洗わなくちゃーってそこで力尽きた感じね。
薄めに作る新発見をして
やっぱり濃く作ると飲むのが飲み応えが重くってしんどくなっちゃうのよね。
だから薄めに
つーか
ちゃんとパッケージに書いてあるレシィピの通りに作るのが一番正攻法みたい!
一応あのレシィピって一番理に適っているのね。
納得だわ。
そう思った瞬間よ!
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「ハックアンドスラッシュ」=「敵を倒して報酬を得る」という用法自体が和製英語でもなんでもなく、1980年代から確立したゲーム用語だと元記事で解説してあるのにそれが読み取れない増田の記事
わかりやすく簡単に言うと、hack andslash は「敵を薙ぎ倒して報酬を得ること」じゃなく「敵を倒すこと」を指すんだよ。
もともとはRPG(日本で言うTRPG)発祥の言葉で、捜査や謎解き等で進むゲームプレイと対照するための用語だよ。戦闘によって進むゲームプレイってことだよ。
こっちが間違ってると思うなら自分でちゃんと調べて、信頼できる出典をつけてくれよ。
あと、その増田を書き込むと同時に元記事の著者本人のアカウントでもブクマで全く同じ反論してきちゃってるから、顔真っ赤でなんとかして叩こうとしてると思われるぞ。
増田とブクマどっちも、普段のXのポストと文体も句読点の使い方も同じやぞw。匿名で書けばバレないわけじゃないから気をつけろよ〜。これ書いてやってるの優しさだからな。
jzunkodj4yゲーム用語の「ハックアンドスラッシュ」は1980年代からTRPG界隈で意味が確立して、アクション界隈で別の使われるようになったのは2000年以降の後付けだと指摘しておきます /和製英語でなく英語圏でもそういう意味です
元記事の著者がつけてくれたこの変なブコメを見て、なんか「そもそもこっちもその意味では使ってなくて~」みたいな逃げ方をしてきそうだと思ったので、念のため「ハックアンドスラッシュ」をDiabloみたいなloot-based game(日本語で言えばトレハンゲーム)のことだと勘違いしてる箇所を引用しておくね。
こっちはめんどくさいからこんなことしたくないんだよ。中立な第三者の皆さんはブコメかトラバでどっちが正しいかジャッジしてやってください。
なお、海外製の伝統的ローグライクに馴染みのない方は驚くかもしれませんが、本作ではいつでも使用できる「ポータルの魔法」でこの拠点に戻ってくることができます(但し、ポータルの魔法を唱えてからポータルが開くまでは約12ターンを要するので追い詰められてピンチのときに即拠点へ……という使い方は難しい)。このあたりは、『ディアブロ』などのハックアンドスラッシュゲームを遊ばれている人の方がピンときそうですが……そのあたりの解説は、あとに回すとしましょう。
それハックアンドスラッシュゲームの特徴じゃないですよね?
確かに接頭辞がランダムで付くマジックアイテムや、さまざまな特性を持つチャンピオンモンスター、いつでもタウンポータルで拠点と行き来できる点など、『ディアブロ』系のハックアンドスラッシュゲームと本作に共通する点は数多くあります。
それハックアンドスラッシュゲームの特徴じゃないですよね?
それを知るために、コンピューターRPGにおける「ハックアンドスラッシュ」の定義を改めて解説しておきましょう。様々な定義が乱立している……とされるこの言葉ですが、RPGにおける歴史からすれば大まかな定義ははっきりとしていて、「敵を薙ぎ倒して報酬を得ること」です。
「報酬を得ること」はハックアンドスラッシュの定義に含まないですよね?
その後、世界各国のオタクたちの間で『Rogue』を拡張する試みが同時多発的に生まれました。これが「ローグライク」のはじまりです。それらの作品の中には『Rogue』では一部の再現に留められていた『AD&D』要素の再現をもっと突き詰めていこう……といった作品も少なくありません。職業やさまざまなマジックアイテムの要素を導入した『NetHack』、接頭辞付きユニークアイテムの自動生成などを実装した『Angband』などはその代表例といえるでしょう。こうして、伝統的ローグライクの中に『D&D』『AD&D』由来の「ハックアンドスラッシュ」要素を持つ作品が多数生まれたのです。
それハックアンドスラッシュ要素じゃないですよね?
本連載第5回で紹介した『風来のシレン』、および『トルネコの大冒険』にしても、初代『Rogue』の「ハックアンドスラッシュ」よりは「一期一会のダンジョン探索を楽しむゲーム性」が重視されており、これらのゲームのエンドコンテンツは「道具を持ち込めない、プレイヤーの知識と運が頼りの、一期一会の"もっと不思議"」が主流となっていることがほとんどです。これらの影響で、和製ローグライクは「プレイヤーの知識を活かす1度限りの冒険」に重きが置かれているものが多いのが現状です。
ハックアンドスラッシュを「敵を倒してアイテムを獲得してプレイヤーを強化するサイクルのゲーム」だと思い込んでいなければ、「一期一会」「1度限り」をハックアンドスラッシュとの対比として取り上げないですよね? 本当は「一期一会」「1度限り」でもハックアンドスラッシュは成立するんだから。
勘違いしないでほしいのは、「ハックアンドスラッシュ要素にも重きを置いた、海外発伝統的ローグライク」と「死んだら終わり、一期一会の冒険を重視した国産伝統的ローグライク」に優劣があるという事ではない点です。これらは「ゲームの方向性の違い」であり、そのどちらにも優劣はありません。
「ハックアンドスラッシュ」と「死んだら終わり、一期一会」は対照的ではないですよね? これもハックアンドスラッシュをトレハンゲームのことだと思いこんでなければ出てこない文章ですよね?
さて、『Tangledeep』の話に戻りましょう。本作は「ハックアンドスラッシュ」系要素の強い伝統的ローグライクですが、序盤(特に6Fあたり)までは通常攻撃のみでやっていけるような、ゆるいバランスに抑えられています。
他のローグライクと比べてTangledeepのハックアンドスラッシュ要素は強くないですよね?強いのは「非パーマデスのアイテム収集とプレイヤー強化」の要素であり、それってハックアンドスラッシュと関係ないですよね? 一応書いておくけどこっちは当然RogueもTangledeepもDiabloもAngbandもDnDもプレイしてるからな。
こっちが主張している定義が正しいことは自明すぎて逆に証明が難しいので、AIにかわりに出してもらった結果を書いておくね。
「ハックアンドスラッシュ」という言葉の本来の意味に、「報酬を得ること」は含まれますか? 含まれませんか? 出典を提示して教えてください。
「ハックアンドスラッシュ(hack andslash)」という語が最初に使われたのは1980年ごろのTRPG/MUD界隈で、「ストーリー性の乏しい暴力中心のプレイスタイル」という意味でした。
そこで強調されていたのは「敵を倒す戦闘そのもの」であり、「報酬(戦利品・アイテム収集)を得ること」は本義には含まれていません。
1990年代半ば以降、Diablo など“戦利品稼ぎ”が主目的のアクションRPGが人気を博した結果、「ハクスラ=敵を倒してレア装備を掘る」というイメージが日本で定着しましたが、これは後年派生した用法です。
Dragon 誌 #39(1980年)を引用するWikipedia では、ハックアンドスラッシュとは“campaigns ofviolence with no other plotelements or significant goal(暴力だけで他に大きな目的や筋立てがないプレイ)”と定義されています。
ここで「戦闘こそが目的」とされており、“reward/loot”には触れられていません。
MUD/MMO 系の用語集でも“refers to a type of gameplay that emphasizes combat”とだけ述べ、報酬要素には言及していません。
muds.fandom.com
2006 年のMMORPG.comフォーラムでは“Hack andslashis … defeating enemies andmonsters in combat, with no plot or other goal worth mentioning.”と“目的なき戦闘”を強調しています。
このようにコミュニティでも「戦闘中心=ハックアンドスラッシュ」であって、「報酬獲得」は必須条件と見なされていません。
1996 年『Diablo』以降、“敵を倒してランダム戦利品を集める”型のアクションRPGが人気化し、英語圏でも “looting-focusedhack-and-slash” のような表現が登場。
日本では略語「ハクスラ」が広まり、「敵を倒して装備を厳選する」≒ハクスラという新しい意味が強く浸透しました。
ただしこれはオリジナルの語義ではなく、後付けの特徴 という点に留意が必要です。
本来の「hack andslash」の定義に「報酬を得ること」は含まれません。
戦闘(hack=斬る/slash=叩き切る)そのものに焦点を当てた言葉であり、報酬・ドロップ収集は後年派生した一要素に過ぎません。
横からなんだけど、
OCGがMDに頼りきりでどう考えても市場で目立つ製品を売り出せていないの事実だぞ/コアなユーザーではなく新規層にも届くような施策なんてあったのか?
これは前年からやってる構築済みでTier2~3ぐらいのテーマデッキを販売し、その後にリリースするパックで1年程度新規を定期的に刷ってサポート・デジタル版で販促という
クソ安い実戦級構築済みを安価でばら撒くってのは「スーパーデッキ」でDMが開拓した手法だけど、遊戯王はその後の拡張パックでテーマ新規を定期的に刷ることでサポートするのが新しい。
あと、TACTICALTRY DECKは販売当時ではかなり内容が良くて、本来なら即売り切れレベルの内容の構築済みなんだけど、通年できちんと売ってるし、誰でも買えるように潤沢に在庫が供給されてるのもえらい。
加えて、これらの構築済みデッキの販促をMDでもやることで、紙と同じカードが使えてかつデジタル版の環境が半年前の紙環境+良調整となっているMDの良さも十分に生かしている。
紙とカード自体が違うせいで販促としての立ち位置が微妙なプレイスではこんな施策できない。
結果、復帰勢とか新規の連中がMDやる→現代遊戯王を理解して、販促見てTACTICALTRY DECK買う→パックを購入するというきれいなサイクルができていて、これはマジでうまいなとおもった。
MTGでやってた「キッチンテーブルからLGSへ」施策をブラッシュアップした素晴らしい取り組みだと思う。
って、マジレスしたんだけど、返答返ってこねえんだろうな。
まだ何もされてないのに、攻撃が来る想定で、自機の配置を考えて、間合いを取って、無言で動いてる
そういうやついるよねって言われるけど、こっちは必死なんだよ
ちょっとでも当たったら、それでこれまで取ったパワーアップ装備とか全部消えるから
パターンを覚えて、リズムを読んで、角度を計算して、動線を確保して
撃たれた内容より、撃たれたという事実のほうがずっとこたえる
一発でも食らったら、そのあと冷静に動ける自信がない
コンティニューはしたくない
だから最初からボムも使わず、画面の端に逃げて、無言でフレーム単位の回避に徹してる
そういうプレイスタイル、他人から見たら卑怯とかずるいとか思うかもしれないけど
こっちからしたら、最も誠実なやり方なんだよ
自分が一番悪いとわかってるから、攻撃も放棄して、ただ当たらないことだけを選ぶ
でも一機失うたびに、自分がどれだけだめか見せつけられるから、減らすことが怖い
撃たせないようにする技術なんかない
だから逃げる
だから近寄らない
すっかり中年になって思ったのは、町のおもちゃ屋が減ったなぁということ。
おもちゃ屋は、遊びへの門戸だった。
ファミコンソフトを求めて入って、そこからミニ四駆にハマったなぁ。
俺は昭和の後期の生まれだけど、ベイブレードつながりでベイゴマを廻すのを見せてもらったり、ゴム動力の模型飛行機を買って、爺ちゃんと組み立てたこともあった。
竹ひごをロウソクで炙って曲げて枠を作って、トレーシングペーパーのように薄い紙を張って翼にした。
現代っ子には、紙以外のものを切ったりするのは新鮮で、竹や木を加工するのが楽しかった。
借りた物を無くしたり壊したりして、謝ったり他のもので埋め合わせたり、今となってはいい思い出だ。
うちには長男6歳と次男4歳がいるんだけど、この歳からずっとYouTubeとテレビばかり。
今はプラレールやトミカで遊ぶけれど、あと数年もするとホントにYouTubeしか興味がなくなりそうで怖い。
少し前に、ニンテンドーラボというダンボール工作を長男と楽しんだ。
長男は作ることに、次男は触ることが楽しいようで、次男が壊し、長男が直すのを繰り返している。
妻の目にはゴミにしか映らないみたいだけど、また買ってやるつもりだ。
なぜおもちゃ屋が減ったんだろう?
やはり少子化かなんだろうけど、他にもある気がする。
ソニーがプレステソフトをコンビニで売り始めたのは大きいなと思う。
爺ちゃんが俺に彫刻刀や肥後守を使わせるのを、母は嫌がってた。危ないとか、家が汚れるとか。
誰かの家に玩具を持ち寄ったり貸し借りしたりしにくいんだろうな。みんな学童保育に預けられちゃってるし。
あるいらショッピングモールの有料プレイスペースや習い事や塾。
安全だけど、それでいいのかな?と思ったりする。
多少の座学と数千~1万試合くらいやったらっていう話なわけだけど、なんかやたらと食いつく人がいるよね。
いろんなバカが食いついて適当な嘘ばっかりいってるやつなんだけど、1つ見逃されてる盲点があると思う。
ランクマは連勝すればボーナスがあって、連敗にデメリットがないから勝率5割切ってても徐々にランク上がっていくし
同程度の下手糞ならこの性質から、分散が大きくなるような荒らすプレイスタイルのほうが連勝の恩恵を受けてポイントが稼げる。
ここがわかってなくて、自分のことを真面目なプレイヤーだと思ってる人が騒いでる面があるなと思った。
もっと詳しく言うと、自認は真面目なプレイヤーだけど、実態としては座学や挑戦的なことはほとんどやらない。自分で安定択だと思ってる(弱い)行動を擦り続けるタイプ。
こういう人は、できることしか実践投入しない、挑戦も座学もしないからできることは増えないということでほとんど成長しないし、なんか偶然連勝出来ちゃったと言うこともかなり減る。
ぶっちゃけ、こういう人のことなんか数に入れて話してないんだけど、自認は真面目なプレイしてる人なわけだから積極的に話に混ざりに来てるよね。
12年続けているゲームがある、ファイナルファンタジー14だ。
ここにきて触らない日が増えてきた。
ゲーム自体は10年以上続けてきたのだから間違いなく神ゲーだと思う。
じゃあなんで離れる時間が増えたのか少し考えてみた。
この部分がなんとかなればなという思いも込めてまとめてみる。
単純にやりすぎた。
寝る間も惜しんで遊びまくったので流石にマンネリなのかもしれない。
初めてさわったときは新卒、そこから12年もたてば色々衰えがあるように思う。
反射神経や記憶力はまだまだいけるとおもう反面、集中力や体力は
明らかになくなったと感じる。このゲームに限らず長く遊ぶことができなくなった。
FF14は数ヶ月毎にものすごい量のコンテンツを追加してくれる。
ただし最近の追加コンテンツは過去遊んだことがあるようなものがガワとシステムを
少し変えたものも少なくない。
開発もなんとか新鮮味を与えようと色々やってくれているけど、
やっぱり長いサービスなので大きな変化を感じることは少なくなってきた。
追記:
直接的な原因じゃないと思うけど、最近の更新ペースは流石に遅すぎると思う。
最近追加されるコンテンツは難しくなっていく流れがあるように思う。
昔は極を1日に何十周も出来たけど、今は1回やればもうお腹いっぱいになる。
もっとやりたいなあ
これが一番の原因かもしれない。
数年前に今まで完全に分断されていた他のデータセンターに気軽に移動できるようになった。
これ自体はとてもいいことで自分も喜んだし、実際当初は今まで行けなかったユーザーと遊べるようになって
嬉々としてDCテレポをしてたとおもう。
FF14はオンラインゲームなので人が多いほうが間違いなく面白い。
みんなそう思っているので一つのサーバーに集まるようになった。
連絡が取りづらくなってしまったフレンドも多い。
これは自分がDCテレポすればすべて解決するという話ではなく、
プレイしていないと伝わりづらいと思うけど、今まで通りのコミニティーの継続は
実際難しくなった。
つまり遊びやすくなった反面、広く浅いフレンドとのつながりがほぼなくなってしまい、
結果寂しさを感じるようになった。DCテレポ自体はとてもいいものだけど、デメリットも大きかったように思う。
自分の楽しみ方として未予習でクリアまで行うというやり方をしている。
高難易度化の影響でそれも難しくなってきた。
またユーザーの遊び方の傾向も変わってきたように思う。
ダンジョンにしてもみんな何かに追われているかのように急ぐ人が増えた。
これも自分は楽しいとは感じられないので、自分はもう向いていないのかもしれない。
他にもあると思うけど、取り急ぎ。
もっとずっと遊びたいなー
公共トイレを見つけるのが難しいとされているニューヨークで、さらに追い討ちをかけるようなニュースが発表された、「スターバックスがトイレの無料開放を廃止」。
街なかでトイレに行きたくなった場合、同店を頼りにしていた人も多いのではないだろうか。トイレ廃止に至った理由と、今後ニューヨークでのトイレ探しに役立ちそうな情報を紹介したい。
トイレの無料開放、また商品を購入していなくても店内やWifi を自由に利用することが認められていた同店。これは2018年にペンシルベニア州フィラデルフィアで起きた、人種差別を疑われる、とある事件後から導入されたもので「サード・プレイス・ポリシー」と呼ばれてきたが、近年の営業不振を受け、2025年1月13日付けで同ポリシーの廃止が発表された。
一番足りなかったのはエルデンリングで最も重要な「試行錯誤」というプレイスキルだよ
筋力99が不要な事はネットなんか見なくても装備の要求値見れば分かるのにそういうステ振りするのは、様々な装備や戦術を試す気がなかった事を表している
今話題になっているエルデンリング断念の記事へ様々なコメントが寄せられている。残念ながら記事は削除されてしまった(私は記事の意見はある程度理解できるし、そこまで叩かなくてもいいだろと思っている)。
老化したせいだとかプレイスキルの問題だとかステ振りひどいとかソウルシリーズでは簡単だとかの批判や逆に欠点を踏み抜いたとか指摘してるところはあってるとか糞なとこあるよねとかの擁護と幅広い。
おそらく既プレイからのコメントなのになぜこうも種類が幅広いのか、プレイ体験にそれほどに幅があるのか、それをPvEの戦闘システムの面から考えていきたい。
1.ダメージが大きい
ダメージの大きい攻撃の連撃が飛んでくる上、一回当たるとそのまま怯んで攻撃を食らいがち
2.回復がしにくい
モーション間の休止時間の短さにより回復モーションに余裕がない
3.回避がしにくい
強い追尾
4.攻撃がしにくい
後隙を無くすためにモーション終りに範囲攻撃をするか追加モーションへの派生がある
5.体力が多い
後半の敵ほど体力多すぎる
といったまあ強くなるよねっていう要素だ。更に上記に加えて
以下の要素があるのだがおそらくプレイヤーの大半は知らない。その割には戦いを優位に進めるためには重要な要素である
エルデンリングには隠しパラメータとして攻撃で減らせる体幹ゲージがあり0になると敵が致命攻撃をとれる状態になるか怯む。SEKIROと似たようなシステムだ。これを利用することでダメージを稼ぐことやモーションを阻害したりすることができ、戦いを優位に進めることができる。体幹ゲージは攻撃の間隔が空くと急速に回復してしまうため積極的に攻撃を狙う必要がある。これが問題である。回復の間隔が短いのだ(失地騎士だと5秒程度だったはず)。前述のように敵のターンが長いため回復されてしまうこともあるし、距離をとられると遠距離攻撃でどうにかするしかなくなる。体幹ゲージはUI上では表示されず、回復時間も敵によって異なる上に、攻撃による体幹ゲージへのダメージ量(体幹削り)は武器とモーションによって異なる隠しパラメータであるため情報を探して把握しないと活用は難しい。
敵に攻撃したときに敵がどのくらい怯むかどうかは攻撃モーションに設定されたダメージレベルと敵のクラスによって決まる(例外は状態異常怯みやスパアマなど)。これはどういうことかといえばある武器の怯まない攻撃モーションでいくら攻撃しても(体幹を除いて)怯みはとれず、怯みが取れる武器は敵を怯ませ続けることができるし、吹っ飛ばし続けることもできる。つまるところ装備で決まるわけだ。これも隠しパラメータである。
ローデイル以降ではこれらの要素が顕著になっており、相乗効果を生んでいる。ダメージが大きく回避しにくいから回復の必要が出て回復がしにくいから死ぬし、モーション長いし隙が短いから体幹を削れず怯みも取れないから敵の攻撃頻度が減らせず死ぬ。
ではその強い敵をどうやって倒すかという話になると
1.プレイスキルの向上
2.ステ振り、装備の最適化
つまるところこの二つになる。ただプレイスキルの向上についてはあまり寄与度は高くないと考えている。なぜなら連撃は1モーションあたりの必要回避数が増えるため回避がうまくなっても乗数で成功率が減っていくし、敵体力も高いと戦闘が長引き、更に回避数が増える。生命力や装備によっては許容できる回避ミス数も変わる。回避や差し込みが少しうまくなっても体感としてはそこまで上達を感じないのではないだろうか。
では2の方で対策するとなる。こっちの対策は豊富でエルデンリングが戦技ゲーとかRPGだといわれている理由だと思っている。攻略情報を解説したいわけではないので箇条書きすると
・体幹削りとダメージレベルの高い武器や魔術、祈祷、戦技を使おう
・戦技で回避、または強い盾で防御しよう
・強い遺灰を使おう
・生命力を60にした上で上記を使えるようなステータスにしよう
以上だ。DPSをあげて戦闘時間を短くし、怯みをとれるようにして敵の行動を阻害し、回避や強い盾で被ダメを減らし、保険に生命力をあげ、タゲ分散のために遺灰を活用する。そうすれば問題となる敵体力の大きさも攻撃の苛烈さも回復のタイミングの無さも解消する。白霊(協力プレイ)も対策の一つかもしれないがソロでやりたい人もいるだろうし、協力プレイすると敵体力が割合増加するし、ピンキリだし、ラグの影響も無視できないので対策としてはカウントしていない。これは時間や手間をかけずに簡単に実施できるうえに効果的であるためエルデンリングにおいては2が重要といってもいいだろう。
前項でステ振り、装備の最適化が重要であると述べた。重要であるからステ振りと装備が人によって違うとゲーム体験が大きく変わっていくのだ。ではなぜ人によってそれらが違うのか。もしゲームでそれらの最適化を行ったり正しい情報を知っているならみんな似たようなステータスと装備になり似通ったゲーム体験になるはずだ。以下が原因だと見ている。
1はステ振りや装備の多様さによって人によって変わるよねという話だ。しかしこれはプレイの幅を広げるという長所と表裏一体であるためそれ自体が悪いことではない。問題は説明不足だ。体幹とかダメージレベルなんて知らなかった人の方が多いだろうし、ゲーム内で情報を知る機会もほぼない。ゲームだけやるといまいち強さが分からない装備やステ振りを何となくやっていくことになる。序盤は何とかなっても終盤に入ってプレイスタイルが固定されてしまうと、何となく選んだプレイスタイルが強ければ終盤もどんどん楽しく進められるし、弱ければバランス悪いとか難しすぎると悪態をつくことになる。初期値依存で局所最適に陥ってしまうのだ。これがゲーム体験に差異を生んでいる。
ではそれをどうにかしようとネットで情報を集めようとなる。しかしネットの情報が氾濫しているのが問題となってくる。記事でのステ振りを見ると生命40筋力99とどう考えてもステ振りが極端である。生命は60振ったほうがいいし、筋力は99もいらない。これはステータスの伸びが生命は60まで、筋力は80位まではそこそこよくてそれ以降は悪いためだ。これも説明不足に含まれるかもしれないがステータスの成長曲線は説明しないゲームの方が多いしそこまで気にすることではない。問題は記事の筆者が攻略情報を調べていると明言してるのになぜこうなったのかということだ。実際エルデンリングステ振りで検索してみると生命40のビルド例が出てくる。どこを参考にされていたのかはわからないが、まともな情報を探すのが難しくなっている昨今のネットでは適切でない情報にたどり着きやすいのだろう。変な情報にたどり着いたプレイヤーは苦しみ、まともな情報にたどり着いたプレイヤーは簡単というわけだ。そのために意見に幅が出るくらいに二極化が起きているのではないだろうか。
以上をまとめると意見の幅が広いのは
・エルデンリングではステ振りと装備が重要であるのに自由度の高さと説明不足がゲーム体験を悪い方向にも幅を持たせてしまっている
・攻略情報を調べようにも粗悪な情報がネットに氾濫しており適切な情報にたどり着きにくいためゲーム体験が悪化する蓋然性が高い
この2点が問題なのではないだろうか
ゲームするにあたって。最低限のプレイスキルってさ、常識だろ?ゲームってのはな、みんなで楽しむためのものなんだよ。下手くそすぎてグダグダやってる奴がいると、他のメンバーの時間奪ってるって分かってる?1試合30分だとして、5人いるチームでお前が足引っ張るせいで負けたら、合計150分、つまり2時間半の人生が無駄になってんだよ。計算してみろよ。
「練習してない」とか「初心者だから」とか言い訳すんな。初心者だろうが最低限のマナーとして、ルールくらい覚えてこいよ。ボタン連打して適当に動いてりゃいいって思ってるなら、ソロゲーやってろ。オンラインマルチってのはな、他人と協力する場なんだよ。お前のミスで味方が死んだら、その時点で迷惑行為確定。ゲームバランス崩れてんの。マナー違反だよ、分かる?人の時間奪うってのは、リアルで言えば下手くそなのにサッカークラブに来るくらい失礼な行為なんだよ。
「予習しなくていいや」って開き直ってる奴が一番腹立つ。ゲーム内でミス連発するならせめて謝罪くらいしろよ。それすらできないなら、もうチャットミュートして黙ってろ。マジで頼むからさ。