
はてなキーワード:ブルース・リーとは
『地上最強の男 竜(ちじょうさいきょうのおとこ りゅう)』は、風忍(かぜ しのぶ)が1970年代に『週刊少年マガジン』で連載したカルト的格闘活劇漫画で、作者の初の長編作品にして代表作ともいえる異色作です。バイオレンス、スピリチュアル、そしてアート性が混ざり合った独特の世界観で、今なお語り草になっています。
主人公は雷音竜(らいおん りゅう)――どんな相手でも0.2秒で倒すと言われる地上最強の空手家。そのあまりの強さゆえ、空手の試合で相手を死なせてしまい、師匠の道教により力を封じられ、仮面を付けられて人前から姿を消す。
竜は妹・悦子とひっそり暮らしていたが、かつて竜が倒した相手の婚約者・二階堂邦子が復讐に燃え、師・道教と共に竜を追う。戦いの中で妹が殺され、復讐に燃えた竜は邦子を打ち倒す。だが道教は巨大な念力装置の塔を使い、神=イエス・キリストを復活させる。さらにキリストは宮本武蔵やブルース・リーまでも呼び出し、竜に立ちはだかる――という、ぶっ飛んだ展開へと進みます。
圧倒的映像美と圧巻のアクションシーンと散漫な物語が三位一体となった映画だった。67点。
冒頭に「中国武術は中国大陸がそうなように南派と北派に分かれていて、でもいろいろあって中国は統一したから武術も統一する必要があるよね。だもんで南派と北派の代表が戦って統一継承者を決めることになったんよ」みたいなナレーションが入るので、そういう達人たちが戦って最強を決めるハチャメチャアクションなのかと思ったら、実際には武術大河群像劇だった。
・南派の代表、詠春拳の宗師イップ・マンいや、イップ・パーソンもしくはイップ・ファイター(ポリコレ配慮)の興隆。
の3つの流派の戦いを軸に、それぞれの武術流派がどのように時代をサバイブしてきたかを描く。
まぁ、とにかく映像が圧倒的だったね。確か当時は「LOVERS」とか「英雄-HERO-」とか香港のアート的アクション大作ブームだったと思うんだけどその中でも相当金かけてしっかり作られてる。小道具大道具役者全部にしっかり金かけてその上撮り方もしっかりしてる。1秒も気を抜いたショットがない。雨のシーンも雪のシーンも室内も室外も全部きっちりデザインされている。もろちんそれを以てリアリティがないと批判することもできるとは思うけど、映像作品としての映画として非常に正しく誠実なアプローチだと思った。
これは次のアクションのところにもかかってくるんだけど、香港映画人がなぜか大好きな雨の中のカンフーシークエンスが3回くらい出てくるんだけど「俺は雨の中のカンフーシーンを撮るスペシャリストだ」っていう気概が感じられる、KIAIが入った出来でよかった。まぁ香港アクション特有のなんか急にふわっとするワイヤーアクションは俺はあんま好きじゃないけど。スローモーションの多用も「ここが見せ場なんや!」という強い意志を感じる。まぁ、どんだけやるねんとは思うけどさ。
で、アクションだけど今作が武術大河だなぁと思うくらいにはとにかく気合が入ってる。LOVERSや英雄が「武侠ファンタジー」だったのに比べるとこちらはかなり地に足がついた表現になっている。まぁワイヤーアクション使ってるし、スローも多用してるから全然ファンタジーなんだけども、それでもしっかり武術してるのが印象的。
特にめっちゃ気になったのがすげー足のポジションを映すのね。普通のアクション映画でも吹き飛ばされた後の踏ん張りのシーンとかで足を映すとかはあるけど、構えを変える、出す技を思案する、敵が動く、いろんなシーンで足のポジションを変更しているのを映す。もし向こうの観客がこれ見てニヤリとしてるんだとしたら武術リテラシー高すぎるだろ。
また武術を通じて人を映そうとしているのも印象的で、イップは実直な線の動き、チャンは柔らかい円の動き、チャンの仇は激しくパワフル、八極拳は極めて暴力的とそれぞれの使う人間の人格を使う武術に反映させている。
人体破壊描写も実は少なくて特にイップはいろんな人と戦うんだけど蹴ったり突いたりはするけど大怪我をさせるようなシーンはほとんどなく、逆に特攻出の八極拳の一線天はめちゃくちゃ相手を破壊する。そして八卦掌のチャンも女性らしい柔らかな戦い方をするんだけど仇を取る際に始めて相手の関節を決めて腕をへし折るという破壊行為に出る。どういう戦い方をしてどういう結果を得るかということがその人物の情景描写になっているのは、さすが武術ドラマだなと感じた。
ただ、この圧倒的に気合が入った映像パートに比べるとストーリーパートはどうにも厳しい。
ある程度、史実に基づいた大河設定だからしょうがないんだろうと思うんだけど、それぞれの流派のストーリーの接着が弱い。イップとチャンは南派と北派の戦いの際に戦って心を通じ合わせ、その後、次代の激動にもまれ離れ離れになり最後には再会するんだけど、八極拳の一線天に関しては幕間幕間で「一方その頃」みたいな感じで出てくるだけでイップとは一切絡まない。まぁ実際歴史的にも一方その頃八極拳はこんな感じでやってましたって感じだったんだろうけども。
また、イップは南派と北派の継承争いに向けて南派内での指導戦や実際の継承戦、その後のチャンとの戦いを序盤で消化すると後は時代が変わってめちゃくちゃ困窮して辛くて子供は死ぬわ、香港に渡ったらイギリスに併合されたから本国に帰れなくなるわ散々だよ~って感じで武術的な見せ場が急に減り、北派の内部抗争として北派の宗師をうっかり殺した一番弟子VS宗師の娘のチャンの戦いがメインバトルになっていくがそこにイップは一切関わらない。
この一番弟子ってのが最初からイップにも食って掛かるし、日中戦争がはじまると日本軍に取り入ってリッチになっちゃうしでメインヴィランっぽい感じなんだけどイップとは戦わないんだ、そういう感じなんだっていうのは見てるこっちからするとけっこう肩透かし感があったかな。
気合の入った映像部分に比べるとこっちは「そういう話だったんだからしょうがないじゃん」みたいな、エンタメとして過度に盛り上げようとはしてない感じには見えた。もろちんそれが誠実な態度と言えばそうなんだろうけど、なんかもっと楽しませてくれてもいいじゃん。僕は不満です。
あとは、時代的に途中から日中戦争がはじまってそのせいで裕福だったイップはめっちゃ苦労する展開になるんだけど、過度な抗日展開になってなかったのはよかった。ないとは言わんけど、まぁこれくらいなら実際の時代の流れ的にこう言うこともあったんやろなってレベル。抗日戦争が始まってってなったときに、ここからイップ達が力を合わせて日本兵と戦う展開になったら嫌だなぁと思ったけどそんな展開はなかった。
最後に出てくる幼少期ブルース・リーがめっちゃブルース・リーの子供時代クソガキ感があってよかった。こいつが後のブルース・リーですよみたいには紹介はされないけど見ててわかるようになってるのもニクい。
今は亡き香港大作映画の映像面に関しては一種の到達点の一つだと思うしアクションも非常に良い。もろちん、現在主流の実務的なアクションとは程遠いが、アクションを作品内での登場人物同士の対話として成立させる腕は歴史の長さを感じる。
青:重田勝@千葉
BSジャパネクストがリニューアルBS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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・03ブルース・リー
・04 [みやこどり]ユリカモメ
・05小泉八雲 こいずみやくも;ラフカディオ・ハーン
・07 [すべて]札幌長野平昌(ピョンチャン)北京(ペキン)
・09 [近似値]897.4(メートル
・10 暫 しばらく
・13 なまこ
・14ハロン
・16スピッツ
・19ONE OK ROCK ワンオクロック
・26 [チーム]パリ・サンジェルマン
・29ジェームズ・キャメロン
・30e 3(親等
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(日曜本放送)このあと14:15からはBS10からのお知らせ
14:30からは「蛍原徹の真剣ゴルフ部! ホトオープン #181」
(30日日曜日)
訂正したあとは布教はうまく言ったのか
唯一絶対の神とか言うとそれを言い訳にして他者をないがしろにするんじゃない。日本式にすべてに耐えるということをなぜ織り交ぜなかったのか
日本では色即是空、すべてのものは無、無はすべての物質という仏式の日本式のものがあって、その仏教すら絶対ではないと思うよ
ブルース・リーは考えるな、感じろっていうけど、日本式では感じることもしない
考えない、感じない、ただ行うという感じ
耐えるというのが根底にあるので、どんな宗教も入り込めないかも
震災で並んでいた人が立っていたのも仏教とも神道とも関係ないかも
論理的に自己啓発であれこれ言われても、日本古来の耐える以上の教えにはならないのかも
日本社会が整っていて略奪も起こらないのは、宗教では説明がつかないよね。誰も信心深くないもの
日本代表のサッカーが当初弱かったけど、西洋式個人主義みたいなものをそのまま実行しようとして合わなかったと思う
日本人同士をお互いに見ていて、日本人的なサッカーしかできないでいたけど、
なんだかいつからか、禅のような、ただ行うみたいな雰囲気でやりだしたような気がするけど、誰と張り合って勝つみたいなものではなく、
三笘さんを見てると誰も気にしてない、ただ走っているという感じに見えて、いつも自分と対話をしている
対話をしているといっても何か考えを巡らしているわけではなく、ただ行っているという姿が作られ始めて、
無論西洋的に自我を作ろうとしている選手も多いけど、なんだか三笘さんを見ていると極めて日本人的と感じるんだよね
日本人的禅感覚、日本古来の「耐える・考えない・ただ行う」精神の現代的表現
うつ病になったときにカウンセリングだと聞いて受けたけど、まるで合ってないと感じたよ
アメリカ映画に出てくる断酒会とかの集まりも、ぜんぜん日本人にあってなさそう
カウンセリングのときだけ後悔して学んでというのが、その他の時間はけっこうケロっとしてる西洋人を見てると、
生活そのものを修行として生きるという日本の形式に、西洋式のカウンセリングもグループセラピーも合ってないの
個人個人がこの感覚でいいのかって日々やってみることでしかうつ病も回復しないよね
告解みたいなことやり始めると、依存っていう感じになってぜんぜん日本的でないというか
どちらの陣営からも破門の理由や経緯について説明がないので邪推せざるを得ないのだけれど、今回の件はヒロ渡邊氏が中心になって嫉妬をこじらせているような印象。
側から見ていて、石井東吾氏は武術とYouTubeのバランス感覚がよかった。鍛錬や技術習得に対する姿勢は真摯に見えたし、対外的にどう見えるかを考えて常に合理性を確保しようとしているように見えた。
対してYouTubeの武術ブームに源氏皇流とやらを引っ提げて出張ってきてしまうヒロ渡邊氏はちょっとバランス感覚がないというか、端的に言えば「空気の読めない年配の人が波に乗りたくて出てきちゃった」感がある。
石井氏の繋がりで出演した過去の動画でも平気でオカルト的な説明を口にしているし、少なくとも石井氏が気を遣っている部分に共感はしていなさそうだった。
ブルース・リーやテッド・ウォンの理念がどうと口では言っているが、彼らはオカルトパワーで相手を倒す技術を教えていたのか?
少なくともジークンドージャパンの運営方針と源氏皇流の宣伝活動が合致しているとは思えない。
自己顕示欲と行動力が旺盛なのは元気な証なので、それ自体は結構なことではあるが。
長年の所属が逆に今後の足枷になりそうではあるが、石井氏は別の派閥に名前だけでも所属して、大手を振ってジークンドーの名前で活動すればいいと思う。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 天高く)馬(肥ゆる秋
・05 めいけん)チーズ
・06 [読みましょう]けいとう・きく・つつじ・ほおずき・すすき
・07 『西遊記』
・08小田和正 おだかずまさ
・09 [近似値]11,495
・13 [3択]鈴 虫
・15ニュートラル(コーナー
・16東野圭吾 ひがしのけいご
・19ブルース・リー
・21土方歳三 ひじかたとしぞう
・25松前(漬 まつまえ(づけ
・27 隋
・よかった
・一緒に観に行った相手の苦手ジャンルで途中で誘って悪かったな〜〜〜と思いつつみた
・お尻INのジャンプ台とかワンちゃんぶん回しお姉さんとかクレヨンしんちゃんの感じがして面白かった
・ショルダーバッグ戦闘シーン、こんなブルース・リーみたいな中国拳法を2023年のスクリーンで今の映画映像の感覚で見れるだなんてと謎の感動があった
・とにかく画面に飽きさせねえ!という強い意志とアイデアの洪水がすごかった
・世界線とか複雑でついていけるか不安だったけどわかりやすく提示してもらったお陰で多分ギリついていけた
・税務局の人、これは助演女優賞ですわ
視聴理由→アカデミー賞めっちゃノミネートされてる作品って認識だといまいちしゃらくせえ自我がでてきちゃったけどスイス・アーミー・マンの監督の新作って認識に改めて見ることにした
・なんか感想書ききれてない感じするなって思ったんだけど、他の人の感想で「思ったより普通」って言っててそれだ ってなった
・新しくて新鮮な表現が溢れた映画だけど最後は家族愛とか隣人を愛せよ的なテーマに収束するところ
・パーツパーツは若い才能のある人が作った面白さがあるけど収束は普遍的なとこに着地するというか
隣人に優しくバトルの後のセリフ多めパートらへんからそう感じた
・なんか今の時代の流行り的価値観だと「親子でも合わないなら無理に一緒にいるのではなくほどほどに距離を置いてやってく」的なのでもよくないかってなった 家族は一緒!を強めに押してくるのがちょっと一昔前の家族キヅナ描写感を少し感じた
いやでも今回はそういう話じゃねえからなのかな…
・あと、個人的に「色々なバースでもしもの人生があるけど何だかんだ今の人生やっていくか」的なテーマを期待してたから「家族愛」に収束してくのちょっと欲してたものとズレてた
(創設家族だからニアリー自分の人生かもだけどなんかちょっと違う)
・劇中で発達障害〜の表記があったら「理解のある旦那くん(離婚しそう)」じゃねーか!ってひねくれた見方してた
・「楽観的に生きることと世間知らずは違う」的なセリフ、よかった
ほっといたら数万人ではなく数十万人数百万人に登る死傷者を出す業界があります
統一教会の比じゃないです
助けてください
正しくはフィジークと言われるボディビルの亜種カテゴリでの薬物乱用です
この業界では、アンチドーピングを掲げながらドーピングの利用が常態化してる異常な業界です
最近もプロレスラーが死亡しました、日本で有名なブルース・リーもステロイドの使用によって死んだといわれてます
それが昨今この業界の盛り上がりによってたくさんのステロイドユーザーが生まれ
多くの死傷者を産む土壌が完全に出来上がってます
助けて下さい
これからステロイド薬物の使用によって死亡する後遺症によって苦しむ人は、統一教会の比じゃないです
どこかで歯止めをかけないといけません
これは冗談ではないです
ググれば今ステロイドユーザーの件でこのボディビル、フィットネス界隈が揺れに揺れてることは確認できます
そしてステロイドを利用してインフルエンサーになり、詐欺的商売を行ってる人が当たり前のようにいます
将来子供をステロイドユーザーにして健康を著しく害する土壌を確実なものとしてます
今まで警鐘はしてきました
何度もしてきました
けど無視されてきました
もう我慢できません
誰かが殺されないと解決しないなら、恐らくこの件で人殺しが起きてしまうのではないかと危機感を持ってます
実際激昂して人を殺してしまうのではないかというステロイドユーザーの動画が公開されてます(ステロイド使用にを指摘されて激昂、死ねと発言してる)
どこでも問題にされない以上最後ははてな民のバズによって国会に持っていくしかないと思ってます
お願いします
お願いします
Permalink |記事への反応(16) | 22:46
事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。
現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品)
しかも殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件に関係がない。
この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。
劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督との子供を妊娠中だった。
この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。
とても誠実な描写だと思う。
実行犯に殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字のタトゥーを入れているが、タランティーノは過去のイングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優がポランスキー監督の映画おとなのけんかで主演してる)
そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画の小道具を使って」焼き殺す。
1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。
しかし監督のタランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画=ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドやアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国や香港や日本などアジアの映画に多大な影響を受けた人間である。
キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズ・オデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの)
(タラがオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンもイタリア産のマカロニウェスタンでアメリカ映画ではない。ちなみに監督のセルジオ・レオーネが撮ったワンスアポンアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストのデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)
ブルース・リーの話が出てきたが、タラはキル・ビルでは死亡遊戯の衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットでブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーのワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。
キルビルで描かれる復讐や暴力の虚しさは、燃えよドラゴンでブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。
そして敵役のビルには、ブルース・リーのドラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。
タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。
ちなみに、キルビルが前後編になった元ネタのチャイニーズ・オデッセイの主演はチャウ・シンチー(少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳のパロディや、少林サッカーやカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)
少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別な作品で、その点がワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドと共通している。
(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーもハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テートが自分の映画を見るシーンがあるが、ブルース・リーは燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)
ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)
あとワンス~作中のブルース・リーが調子こいてるのは、実際の彼がああいうキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手を文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいうチンピラのようなダサいファッション)
何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。
あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画からの知識だけで)玄人好みの渋い「中年の恋愛映画」すら物にしてしまう監督である。
落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。
(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)
(というよりもともと映画そのものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)
そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽なフィクションで熱く揺さぶった。
ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人の和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。
日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。
(タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼の変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)
タランティーノはフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。
(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルはキルビルでユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯→キルビル→ワンス~と考えてみても面白い)
(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミーに無視されてきたのはタランティーノも同じ)
もちろんワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。