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2025-12-13

anond:20251213203251

でもムーディ・ブルース白人のポップ・プログレッシブ・ロックバンドでしたよね?

Permalink |記事への反応(1) | 20:44

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2025-12-10

B'zは見れるときに見ておけ その2

この増田書いた人です あれからもう一年経とうとしている

https://anond.hatelabo.jp/20250107165457

2025年、実はファンにとっては静かに激動の一年だった。

松本孝弘が予定していたB'z主催対バンライブ体調不良で欠席した。6月のことである。(その後、医師指導のもとアンコールだけ飛び入り参加)

松本自身体調不良ライブ参加を取りやめた事はこれまで一度もなかった。大昔のインタビュー(明石昌夫Youtubeだったかも)で「昔はインフルエンザでもギリギリまで点滴してライブ出てたよね笑」みたいな発言をしていたくらいだ。

松本孝弘はとにかく仕事に厳しい。ミュージシャンっぽくないほどに仕事人間である。言い変えれば「お金が発生する以上は最高のもの提供する」ことにずっと全力を注いでいるタイプ小室哲哉にも「まっちゃん商人からね(笑」と評されたこともある。職人であり、商売人でもある非常に稀有存在だ。

そんな人なので、既にチケットが発売されてしまったライブを中止することは考えられなかったはず。それにも関わらずライブ不参加を決定した事の重大さにファンはかなり衝撃を受けた。

体調不良の影響は表立ってはこの対バンライブだけだったが、断片的な情報から裏でもかなり混乱があったように見える。

※以下、進行中のツアーネタバレ個人的妄想を含みます

昨年の紅白直後のスポーツ新聞インタビューで、現在敢行されているドームツアーと新作発表をアナウンスしかしその後は半年以上も新情報はなかった。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/01/03/articles/20250103s00041000175000c.html

具体的な日程が発表されたのは8月頭、初日名古屋までは3ヶ月しか空いていなかった。ファンには吉報だったが、3ヶ月では日程調整の効かないファンも多かったはず(6月対バンライブは昨年12月アナウンス) 

さらに新作アルバムリリースツアー初日の数日前、タイアップなどで先行公開されていない曲(=アルバムしか聞けない曲)は全曲セットリストから外れるなど異例づくしのツアーになっている。

とある曲で松本が休養せざるを得なかったことへの思いを稲葉が綴ったとファンの中では噂されているが、本当にそうであれば発売日の半年足らず前まで制作を続けていたことになる。

またレコーディングには海外の有名ミュージシャンが起用されるのが常だが、今回はレギュラーメンバーを除けば昨年松本ソロ活動来日したであろうマット・ソーラムが参加しているのみ。アルバム制作としてはかなり切羽詰まった状況だったことが推察される(全部妄想です)

商売を考えれば年末紅白出場から6月対バン→直後にアルバムドームツアーアナウンス(さらアリーナ追加)あたりが理想的アプローチだろう。結果として松本の体調を考慮し、アルバム制作・発売をギリギリまで伸ばし、アリーナは全キャンセルして年内はなんとかドームツアーにはこぎつける。ドームツアーの前に予定していたアリーナ公演は拡大して来年に持ち越した、くらいの調整があったように見える(本当に全部妄想です)

今回のツアー東京ドーム初日に参加したが、松本演奏に集中、ライブパフォーマンス稲葉カバーする場面が多かった。特に本編ラストの曲は、喉の負担を考えて封印していたであろう見せ場のロングトーン披露初見古参もまとめて圧倒した。

演奏面では比較負担の少ない過去のリフ中心のアッパーソングが多く、速弾きやシビアなカッティング必要な曲はほぼ皆無。また松本一曲まるまる参加しないバラードアレンジもあった。

互いのソロ曲でどちらかがステージにいないパターンはあったが、B'zの曲を松本抜きで披露したケースは記憶にない。

そして松本MCは元々ドームツアーでは少なめだが、それでも大病だったことが窺える声色になっていた。稲葉MCでも松本への思いに熱が入る場面があった。

「(我々がここに立っていられるのも)当たり前じゃないんです」と、客席に訴えかけたのだ。もちろんその後は何万人という観客が一同に会することへの感謝も述べられたが、稲葉ライブシリアスな心情を吐露することはかなり珍しい。

(この日は座席の件やPA・特効のミスなど、「らしくない」瞬間も散見されたがここでは深く触れない)

実は前回の増田の後、18年前に取得していたファンクラブ会員に復帰して今回のツアーチケットをとった。松本の不調を予見していたわけではないが、結果として紅白出場の大サービスに乗っかって復帰してよかったように思う。

二人組のバンドとはいえ関係者を含めればそれなりの中小企業のような組織になっているわけで、おいそれと辞めるわけにもいかない事情想像できる。

それでも彼らのパフォーマンスを見れば、今できることに全力に取り組む姿勢自分人生の襟を正したくなってしまう。

「B'zはパワフル」なのは間違いないパブリックイメージだが、例えば先に述べた松本なしのバラードアレンジは、あまりB'zでは見せてこなかった稲葉の新しいボーカルスタイル提示した。松本ギターも近年、クリーントーン中心のブルーススタイル演奏はポップミュージックでは並ぶものがいない。

なんなら二人だけでブルースアレンジライブやってもいいんじゃないかと勝手想像している。The Wild Windとか今の年齢だからこそ似合う曲もたくさん思いつく。

衰えではなく変化と捉えてしまえば、日本最大級バンドの行く末は誰も予想がつかないステージに入ってきているように思える。

いくらかでも思い入れがある人には可能な限り追ってみてもらいたいです。

Permalink |記事への反応(0) | 17:51

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2025-12-06

anond:20251206190902

1960年代には集団就職上京した若者による失踪事案が多く、1967年昭和42年)に公開された今村昌平監督映画人間蒸発』や、1968年昭和43年)に矢吹健歌唱した『蒸発ブルース』により流行語となる。1970年代には約9000名もの蒸発者が生じ、社会問題にもなった。

蒸発 -Wikipedia

Permalink |記事への反応(0) | 19:09

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2025-12-02

コードだけを聴きたい、コード進行だけを聴きたい、

という質問真意が分からないところがあるけど、勝手にそれを自分側で類推すると、凄く良い質問というか、凄く難しい気がする…😟

例えば、はなわさんがいて、ベースギターをデケデケ弾きながら、歌ってるとして、基本ルート弾きとメロディーが鳴ってる

でも、コードを感じてる…😟

ベースギターコードルート音を弾いてるから、みたいな回答もどうかと思う、というか正確ではないというか…

ルートを弾いてない、はあんまりないにしても、ルート以外も複雑なベースフレーズを弾いてる場合がある

ベースからコード類推やすいは、耳コピテクニック寄り過ぎる気がする

ジミヘンコードとは何なのか?

マイナーペンタとメジャーペンタを同時に弾く、

ペントニックブルーノートブルーノートマイナーからの借用、

ブルーノート込みのペントニックを弾くと、なんとも言えないブルージーな感じがある

単音でブルースっぽいフレーズを弾くのと同じ感覚を、ジミヘンコード一発で感じることができる

何らかの音の並びを一括して、コードトーンで構成されたものコード…、トートロジーだな…😟

はなわの例からも、聴き手の人間の脳の中で、これはこういうコードだな、と感じる何かが用意されているようにも思う

もちろん、自分音楽素養がない、と思ってる人はいる、コードジャーンと聴いても、コードトーンを正確に答えられないと思う

しかし、コードトーンは分からなくても、漠然と、こんな感じ、と思っているのではないだろうか?

そもそもコードがない、コードを当てはめられない曲?は存在するし、ただのホワイトノイズコードを当てはめることもないと思う

コードを感じるというのは、演奏する、音を出す側も意図的コード意識してるはずである…😟

Permalink |記事への反応(1) | 20:32

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2025-11-30

日曜なのに満員電車

みんな拘置所展にブルースティックもらいにきたに違いない

Permalink |記事への反応(0) | 19:45

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2025-11-29

音楽オタクになるなめのプロンプト

考えてみた。以下を聞くだけ。

 

〜の曲〜について、以下を踏まえて解説してください。

・フックとなる特長と、曲全体の印象

・曲構造の特徴

コード進行の特徴

演奏音響の特徴

ビートの特徴

歌詞は何を表すか(歌詞がある場合

・曲のジャンル複数ジャンルの影響がある場合複数挙げる)

アーティスト作曲者)の作品の中で、どういった位置付けか

・曲が発表れた当時におけるインパクト

対象から想起される、関連アーティスト、影響元のアーティスト

対象曲が直接、間接的に影響を与えた作品

・曲に関連したトリビア豆知識

 

Beatlesの「Get Back」についてこのプロンプトで聞くと

 

以下では、**The BeatlesGet Back」**を、楽曲分析歴史的背景・影響関係まで含めて総合的に解説します。

■ フックとなる特徴と、曲全体の印象

• **ループ感の強いコード進行(A7ワンコード中心)**と、ドライブ感のあるシャッフル気味のビートがフック。

• 全体としては「軽快だがタフ」「ジャム感のある粗削りなロック」という印象。

• 当時のビートルズとしては珍しく、**“引き算のアレンジ”**によるライブ感が際立つ。

■ 曲構造の特徴

イントロ – ヴァース –コーラス – ヴァース –コーラスエンディング という非常にシンプル構成

構造上の特徴は、ヴァースとコーラスコードがほぼ同じで、メロディ歌詞によってセクションを分けている点。

1969年ビートルズとしては珍しい、ブルース寄りのワンコード型ロックンロール。

コード進行の特徴

基本は下記の通り:

• A7ワンコードで進む(キーはA Mixolydian的に解釈可能

コーラスで D → A7 と行くが、非常に短く戻るため、実質ワンコード感が維持される

ブリッジ的な明確な対比セクションは存在しない

結果として、

ループ感/ジャム

ファンクの萌芽的手法ワンコードでのグルーヴ勝負

が強調されている。

演奏音響の特徴

バンド演奏の生々しさが強調

• ほぼライブ録音に近いテイクで、Rooftop Concert(屋上ライブ演奏公式版として使われた。

• ジョンのギターのカッティングはゆるいノリで、ポールベースは跳ねるグルーヴ担当

ビリー・プレストンのエレピ(FenderRhodes)が決定的

• ロールするようなエレピのフレーズサウンドを“ブラックミュージック寄り”にしている。

プレストンの参加は、ビートルズ内部の緊張を和らげたといわれている(トリビア)。

ミキシングルーム感強め

• “Let It Beセッション特有のざらついた音像。

60年代後半のビートルズとしては「未加工」感が強い。

ビートの特徴

• ややスウィングシャッフルした8ビート

• R&B由来の**「裏」で跳ねるノリ**

リンゴドラムハイハットの刻みが緩い「ロックンロール+R&B」ハイブリッド

現代的に言えば**“スワンプ・ロック”**に寄ったグルーヴCCR的とも言える)

歌詞は何を表すか

ジョジョ」「ロレッタ」といった架空キャラクターを通じて、

自分の原点に戻れ(Get Back)

• 都会の混乱・多文化化の中で“ルーツ”を探せ

といった寓話テーマが描かれる。

また、一部のデモで語られた社会風刺1968年移民問題揶揄した歌詞)も背景にあるが、公式リリースでは中立的寓話的になっている。

ポール本人は「深い意味ではなく、ファニーな物語」と語ることが多いが、時代背景が透けて見える作品

■ 曲のジャンル

複数の影響が混在:

ロックンロール

• R&B /ソウル

• スワンプ・ロック

カントリーロック

ブリティッシュロック ×アメリカ南部音楽ミックス

特にビリー・プレストンの参加によって黒人音楽寄りのフィールが強くなった。

アーティスト作曲者)の作品の中での位置づけ

ポールは「R&B /ロックンロール的な原点回帰」を狙った曲。

• “Let It Be /Get Back sessions”の精神である**「Get back to basics(基本に戻る)」**そのもの象徴

ビートルズ末期の作品の中では珍しく、明るく、軽快で、ポジティブムードを保った楽曲

■ 発表当時のインパクト

1969年チャート1位(英米)。

インパクトとしては:

• 「ビートルズがルーツロック回帰した!」と強く受け取られた

• 深刻化しつつあったビートルズ人間関係が、外部のビリー・プレストン参加で改善したこと話題

サウンド的にも、複雑なスタジオ実験に傾いていた後期ビートルズからの大きな転換となった

■ 「Get Back」から想起される関連アーティスト/影響元

影響元として考えられるアーティスト

Little Richard /Chuck Berry / JerryLee Lewis(ロックンロール)

Ray Charles,Billy Preston(R&Bピアノ

• Band(ザ・バンド)のアーシーなルーツロック

• Rolling StonesのR&B寄り路線

間接的に想起されるアーティスト

CCR(Creedence Clearwater Revival)

• Delaney & Bonnie

Leon Russell

いわゆるアメリカ南部ロック/スワンプロックの波と共振

対象曲が影響を与えた作品

直接的・間接的に:

1970年代ルーツ回帰ロック全般カントリーロック、スワンプロック、シンガーソングライター系)

• Rolling Stones『LetIt Bleed』『Sticky Fingers』などにみられるルーズなR&B感

ポール自身ソロ作品特に「Bandon theRun」「Junior’s Farm」など“軽快ロック”部分)

Oasisなど90年代ブリットポップにも引用的影響(脱力ロックンロールのスタイル

■ 曲に関連するトリビア豆知識

• “The Beatles withBilly Preston”名義でリリースされた唯一のシングル

屋上ライブでは、警察ビルに乗り込むところまでが映像作品に残り、音楽史の名場面となっている。

• 初期デモでは、**移民問題皮肉る“政治的パロディ歌詞”**があった。

レノンはこの曲で Epiphone Casino を使用し、ポールは Höfner 500/1ベース使用

ビリー・プレストン参加の経緯は、ジョージが米滞在時にプレストンと再会したこときっかけ。

マッカートニーは「最初ジョークとして作った」と語っており、深刻なメッセージソングではない。

Permalink |記事への反応(1) | 10:55

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2025-11-25

音楽においても、何においても、論理的思考は活きるんだなあ…😟

例えば、凄い人が何かやってて、それを見て、スゲーで終わっちゃうことってあると思うんだけど、

とりあえず、家に戻ったり、時間作って、無謀にもそれをやってみる、

まあ、そこでいきなりできる、ってことはないと思うんだけど、

次にGoogle検索したり、今なら生成AIがあるんで、それに質問を投げてみる

Google検索場合は、まず出てきた文章を読んで、それを論理的理解して、そこからあらたに分からない単語とか調べる、

そういう再帰的な動作こちら側に必要になるんだけど、

生成AIもっと便利で、疑問に思ったら、それを率直に投げてみればいい

ただ、AIウソを言うことが多々あるんで、そこで論理的に考える必要がある

なんか間違ってない?って返すと、ごめんなさい、それは東京の~薬局じゃなくて、札幌の~薬局の話でした、

みたいなのを平気で返してくるし、それレベルのことを、もっと巧妙に返してくることがあるので、油断ならないんだけど、

でも、ここでも論理的思考しなければ、AIウソを見落としてしまう…😟

話を戻すと、上記のような過程を通して、その天才が達成したことへの道筋が見えてくる

どうやら、A→B→Cみたいな工程があって、そのA、B、Cを各個撃破するなり、AができなければBができないなり、

Aを達成するためには、A1→A2→A3がある、みたいなものが見えてくる

こういう考え方って、料理するときも考えてる気がする…😟

そうすると、意外と天才の近くまではたどり着ける、毎日練習して筋トレみたなことやってれば、

天才演奏のここらへんまでは近づけるんじゃないか?というのは見えてくる

まあ、10年後ぐらいになっちゃうかもしれないけど、これは毎日練習大事、というのと、

こればっかりは、この人の本当に天賦の才能だわ、ねんでこんなの思いつくんや?

というもの区別がつくようになる、これが大事だと思う…😟

ネットで、コメントとかでスゲースゲーとだけ書いてる人がいるけど、

自分みたいなレベル人間から見ても、

その努力で誰でもできることと、その天才しかできないこと、が混ざってるので、

努力でできることに関しては、スゲーと思ってるだけのあなたにもできます、断言できる、あなたにもできる

私にもできたんだから…😟

まあ、人間得手不得手はあるんで、私より不器用な人もいるかもしれないけど、

そこで論理的思考ですよ、

理詰めで考えれば、努力天才のここまで近づける、というのは分かるようになる

で、そこから先は天才しか到達できない境地なんだけど、

負け惜しみを言うなら、そこから先は自分で考えるべきであって、それが個性何だと思う

天才領域に入れない、こんな音選ぶなんて…、みたいに思うわけだけど、

そっから先は、今度は自分自分の好きな音を好きに選べばいいわけで、

その天才と同じ音を選んでもいいし、別の音を選んでもいい、

同じような状況になって、天才と同じ判断ができる必要はもうなくて、

そっから先は自分の好きな音を選べばいい、

そっから先は本当の意味での感性ですよ、素直に自分がこれ!というのを選ぶべき…😟

なんでこんな文章を書こうと思ったかって、某プロギタリスト、超有名な方ですけど、

YouTubeとかで独学するのは良くない、みたいに書いていて、まあ分からんでもないんだけど、

あくまで、論理的思考ができる人は、独学でかなり行けるはずです、スクールお金を落とさなくていいし、

スクールとか行くと、時間をどうしても制約されるでしょ?

病院もそうだけど、医師とか講師と、~時に雑居ビルで、病院で、お会いします、という約束をするわけで、

これを無断キャンセルするなんて、仕事でも待ち合わせ場所時間に来ない人と同じなわけですよ、

でも、めんどくさくなったり、今日は忙しい、仕事終わった後にクリニック行きたくない、とかなる方が普通なわけで、

だったら、最初から無理な約束はするべきではないんですよ

もちろん、その日に処方された薬を飲まないと駄目、みたいな人は、ちゃん病院に行った方がいい、

それで倒れた、来なかったから悪いんだろ、みたいな人を病院で多々患者自分も見てるんで、

そういう人は病院に来いなんだけど、

話を戻すと、専門学校とかスクール通わなくても、今の時代コンテンツが溢れすぎてるし、

生成AIもあるから尚更で、商売邪魔するようだけど、かなりのとこまで行けます

ぶっちゃけプロにはなれない、プロになる必要なんてまあないわけだけど、セミプロレベルには到達できる

もちろん、自分で独学するのは効率が悪い、これは分かる

できる人が一発でアドバイスすることで、急に改善する、自分スポーツで多々あります

これは習うべきだし、お金の力ってスゲーと思っちゃうだけど…😟

でも、今作業しててちょっと思ったんだけど、プロとか講師とかで、明らかに間違っていることを言う人もいなくはない、

あと、偉い人はこう言ってるけど、自分はなんか違うんだよなあ、みたいなのはある

それこそ、その人が例えばメタルはクソ、ロックなんてクソ、黒人ブルースまでは許す、みたいな人だったりすると、

もう偏見なわけですよ、こういう楽器は許さない、黒人と同じフレーズでも、こういう音は許さない、みたいな…😟

ネットコンテンツ漁ってる分には、この人の言うことは信用できる、この人の言うことはどうかな、

みたいに自由選択できるじゃないですか

もちろん、近年の陰謀論とかも同じだと思うけど、そこで論理的に考えて、

考えようによっては、陰謀論と思われることの方が正しい、ということもなくはない、

なくはないけど、世界中天才も含めて考えた結論に対して、俺の方が正しいと思う、はなかなかないと思う

権威主義とかじゃなくて、ちきなんとかじゃないけど、自分の頭で考えた上で、

アインシュタインは間違っている、はまあ正しいにしても、そこから先の今の量子力学ケチをつけるというか、

まあ、正直、俺は分からん、真面目に本読む時間学生だったら確保したかもしれんけど、今は物理的、精神的に無理…😟

そこでスピリチュアル系に多い印象あるけど、適当量子力学仏教は同じ!とか、乱暴すぎるわけで、

Permalink |記事への反応(0) | 15:19

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2025-11-20

なんでこんな死にたいのか考えてみたけど解決しなかった

近頃、とにかく死にたい

毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫

でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。



仕事面白くないが、面白くないだけだ。

元々社福祉とか一次産業とかインフラとか配送業かに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミス死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。

からから金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービス下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだからいくらミスしても罪悪感はない。

だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいもの我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。

金銭や将来の不安職場人間関係悪化などがあって死にたいわけではない。

友人関係も悪いわけではない。

かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。

そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカス喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的ものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。

家族関係も悪くない。

父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎ニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟信仰押し付けはないもの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚強要したりする人はいない。

まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。

から半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。

恋愛関係はないし、それを後ろめたくも思っていない。

増田Xジェンダー、リスロマンティック、アセクシャル三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアル人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。

幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。

から恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。

趣味はある。

増田創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。

また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人創作物をしゃぶりつくしたり、自分表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。

これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。

これと言ったトラウマもない。

いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボール執拗ボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。

クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいついじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。

「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒教師毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。

カースト中の下だった傍観者クラスメイト大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかトラウマと呼んでもいいのかもしれない。

それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスター憂さ晴らし虐待していた。弱いものさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。

それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしま制御不能に陥ったり、暴力脅迫支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているもの人格割れしま解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。

けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。



仕事趣味、友人、恋愛家族趣味過去

人生構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分人生自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。

増田には確固たる自己があり、誰にも侵食されていない。

私は私だ。

なのに何故こんなにも死にたいのか。

胸を打つこの衝動は何か。

線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。

思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さなのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。

自己不安定な時期など、とうに過ぎていると言うのに。

自己、ああ、そうだ。この自己だ。

この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。

この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。

本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?

友人と上手く付き合うことが出来ない?

両親の愛着が足りなかった?

恋愛が怖くて最初から諦めている?

趣味が実質逃避になっている?

過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?

幸せになろうとすること全てにブレーキをかけてしまっている?

全ては結果に過ぎない。

最初存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。

死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。

嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまたからだ。

増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。

こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。

その化け物を飼い慣らすことだけが増田の今の全てを形作っている。

仕事や友人の選び方、楽しめる趣味思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。

そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。

全ての嫌なことに原因は、増田自身だった。

そう、気がついてしまった。

両親、友人、そして過去の思い出は、一般的社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。

全ては結果なのだ

思えば最初から物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。

その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。

両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。

友人が「増田人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。

増田いじめて泣かせたクラスメイトが「だっての子最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。

先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。

「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。

そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。

よく覚えている。

それらは全部、増田おかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。

そして増田自身も、困っていた。

ただ、それだけだった。

よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。

からみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなた自分を守るために、増田人生破壊されないために、必要距離だろうとも。

でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。

私は私と一緒に生きていくのが疲れた

そして私は、その内側の化け物から距離を取れない。

みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。

ずっと近くにいる。

ずっと隣にいる。

剥がしようもなく側にいる。

趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。

本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。

文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなた危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。

依存で、中毒で、全然褒められたようなものじゃない。

厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。

衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。

自分は化け物だ。

人間じゃない。

人間になんかなれっこない。

必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。

その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。

人間になんか、最初からなれっこなかった。

増田は自らの意思人生選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。

好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。

全部全部こいつのせいなんだよ。

化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。

私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。

両親を困らせたくなかった。

クラスの子と上手くやりたかった。

いじめられたくなかった。

ハムスターだって死なせたくなかった。

恋愛が怖いと思いたくなかった。

趣味だって昔は運動が好きだったはずだ。

仕事だって人の役に立つ誇らしい仕事がしたかった。

友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。

なのに全部できない。

全部全部、壊すのは増田だ。

私なんだよ。



死にたい

もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。

何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。

増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。

どんな声かけも慰めも麻酔も、虚しいばかりだ。

それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。

恩を仇で返したくない。

そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。

無理に結婚子育てをしていなくて良かった。

死んではいけない理由を作ってしまっていなくて良かった。

それは誰かを不幸にするから

愛されないまま死んで忘れられることだけが増田にできる唯一の社会貢献だ。

せめてそれだけはさせてほしい。

許してほしい。

ごめんなさい。

まれてごめんなさい。

Permalink |記事への反応(2) | 00:01

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2025-11-11

ホワイト・ストライプスロック殿堂入りを果たした。デトロイト出身のこのデュオが、ジャックホワイトとメグ・ホワイトの二人だけで鳴らす、あのシンプルでいて強烈なガレージロック世界の音楽シーンを席巻してから、もうそんな月日が経ったのかと感慨深い。

私が彼らを初めて知ったのは、ジム・ジャームッシュ監督映画コーヒー&シガレッツ』だった。モノクロの画面の中、いとこ同士という設定で出演していた二人が印象的で、その少し気だるい雰囲気と、テスラコイルについて語る不思議な会話が今でも記憶に残っている。劇中で彼らが醸し出す独特の存在感に惹かれ、すぐに彼らの音楽を聴き始めた。

初めて聴いた時の衝撃は忘れられない。ギタードラムだけとは思えないほどの音の厚みと、原始的ブルース衝動が融合したサウンドは、まさに唯一無二だった。

そんな彼らの功績が「殿堂入り」という形で認められたことは、ファンとして素直に嬉しい。最近の式典ではジャックが一人でスピーチを行ったようだが 、いつかまた二人が並ぶ姿を見られることを、心のどこかで願い続けている。

とにかく、本当におめでとう。

Permalink |記事への反応(0) | 13:14

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2025-11-08

THRの価値が分かってきた

チューブしろトランジスタしろアンプはそれなりに音を出さなきゃ真価を発揮出来ない(ここでいや違う、となる人にとっては大して価値がないのかもしれない)

爆音で鳴らす気持ち良さという所を抜きにして、家でせいぜい2か3で弾いててもギターペダルキャラクターを味わいきれない

じゃあアンシミュにしよう

これなら実音量出さなくても、イイ感じの音に出来る

でもいちいちDAW開いたり、そもそもif持ってなかったり、ロクなスピーカーが無かったりでめんどくさいね

そもそもソフト揃えるにも金かかるし、フリーで色々集めるのも面倒だし、IRとか良く分からん

そもそもアンプでのボトルネック解消が目的なのに、ようわからんのでしょーもない音になったら本末転倒だし

そこにコレ一台で済むTHR!という所まで分かった

なんか安心ヤマハヤマハから多分音もいいはず!

くらいに思ってた

かなり揺れている

でもやっぱ部屋にブルースジュニアとか置いてあったら嬉しいよな

Permalink |記事への反応(0) | 20:38

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2025-11-06

ファズフェイスナポレオンジャケット!斬新すぎるプレイレオフェンダーもお冠!早逝!ザ・ロックスター

みたいななんとなくのイメージだけでジミヘンかっけ〜くらいに思っていたけども、どうにもこの人のかっこよさは自分が今まで見向きもしてこなかったブルース的なもの秘訣があるような気がしてきた。

パープルヘイズなりvoodoo childなり、有名どころを聴いているだけでもそう思う。

Like a Rolling Stoneのカバーなんか特に

実際のところブルースというジャンル定義は全く分かっていないけども、パブリックイメージ的な、コテコテブルースという感じがする。

罪人たち観た時も、物語は抜きにして単 純に音楽としてはやっぱりブルースには惹かれないなと思ったのに。

それなのにかっこいい。

単にギャリギャリの音でブルースをやってみるというのがかっこいいのか。

更にもっと秘訣があるのか。

Voodoo Childなんて、主題を弾いてちょっと暴れてまた主題に戻って、とひたすら同じことやってるだけなのにかっこいい。

ブルージーだったり、いわゆるロック的なフレーズだったりと手を変え品を変え、その反復が何分間かの曲になっている。

この引き出しの多彩さもかっこよさの秘密なのか。

でもやっぱりブルース自体はそんなにかっこいいとは思わない。

最近ピアノ教室リズムゲームみたくただTAB譜をなぞるだけじゃなく、ちょっと考えながらギターを弾くようになったからこういう事も思うようになったのかもしれない。

手癖でちょっとしたフレーズなら適当にその場で弾けるようになってきたし。

最近テクニカルな曲よりもハードロックとかをコピーしてた方が楽しいのは、単純に簡単という以上に何をやっているのかを少しでも理解出来るからなのかもしれない。

この間韓国人ジミヘン弾いてる動画開いてみたら、トップコメントキムチ・ヘンドリクスとかいう本場のアレを目にして戦慄してしまった。

Permalink |記事への反応(0) | 20:47

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2025-10-14

anond:20251014120606

ブルースが加速していくんやろなあ

Permalink |記事への反応(1) | 12:09

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2025-10-06

映画】見える子ちゃんを見た

面白さは辛めにつけて60点。

アイドル主演のホラー映画は80点満点みたいなところがあるので80点満点中60点ということで

アイドル主演のホラー映画の割にはよかったが……という感じ。

 

よかったところは映画として話の軸がわかりやすスッキリしていたこと。

悪かったところはヴィジュアル

 

これ公開時に田舎住みの俺増田氏が都会の駅に行ったら見渡す限りの壁一面がこの映画宣伝ジャックされており

逆にうわ~これダメそ~~~と思ったのを強く覚えているが、その印象よりはだいぶよかった。

 

まずよかったストーリー面だがいわゆる「心霊映画」としての整理のされ方。

「見る」ということを軸にかなり美しく作品構成されていた。

霊が見えてしま主人公だが、しかし霊が見えていることが霊に気づかれると憑かれてしまう。

なので何とかかんとかそこらへんをウロウロしてる霊を見て見ぬふりする様をコメディテイストで描く、というのがこの作品一種面白どころだと思う。ぶっちゃけ私的にはここはあんま刺さらなかった。コメディにするならもうちょっと徹底的にやってほしい。怖がらせるのか笑わせるのか中途半端で逆にシュールだなと感じた。

しかし引き寄せ属性の友人が霊に取り憑かれてしまたこから見て見ぬふりするのではなく、霊に対峙していくことの重要性に気づいていく。

その中で臨時教員であり超強力な霊に憑かれている遠野が現れ、その霊にまたも祟られてしまった友人を救うために決死の戦いに挑む。遠野に取り憑いていたのはウルトラ過保護な彼の母親生前から病的なまでの執念で彼を「見」守り、洗脳に近い形で彼を支配していた母親は死してなお霊になって彼の人生を縛っていた。

主人公とその友人の霊感女の助けを借り、支配される対象ではなく一人の人間として母親を見ることで対峙母親呪縛から解き放たれる遠野

そして主人公パートで度々登場するも無視されていた主人公父親が、喧嘩して無視という形で反抗を続けているうちに死んでしまった霊で実はこの映画シックスセンスだったことが判明し、主人公はそのことを受け入れブルース・ウィリ……父親無視しながらも(霊だからね)謝罪父親成仏するのでした。

めでたしめでたし

見てはいけないものが見えるというワンアイデアから、見るってどういうことか、見て見ぬふりするだけでいいのかという普遍的な問いを浮かび上がらせる手腕はフーンやるじゃんって感じだった。「心霊」と「見る」は切っても切り離せない関係だしね。

 

悪かったのはヴィジュアル映像表現

この作品には複数幽霊的なサムシングエルスが登場するんだけど、こいつらが「どう見ても生身の人にしか見えない奴」と「超高速振動しているとしか思えない輪郭がぼやっとした奴」の2パターンに分かれる。どうやら原作では「めっちゃバケモノ」が見えることで、それを無視するというシュールギャグみたいな部分があったらしいが、実写でそれをやるとシュールになりすぎるし金もかかる。

それを回避するためにこの表現になったと思うんだが、この超高速振動人間はまぁ怖くはねぇわな。

見るからにわかるし。霊かと思ったら人間でしたの展開にも活きないし。

しょっぱな、クラスで挙手を採るとき本来はいないクラスメイトを数えちゃって……という展開でもそいつが超高速振動しているので「いや、一目見たらわかるやろ」となってしまう。この表現、よくなかったんじゃない?

最後神様降臨するシーンもふわーっとしたもやがふわーっと通り過ぎると遠野母親が超高速振動さらに激しくなっていくっていうさすがにシュールすぎない?て感じで、今作のホラー表現もっと頑張れたはず。LDH主演のミンナノウタはLDHファンガ失禁レベルで頑張ってたぞ!

あと、生身の人間しか見えない奴とそうじゃない奴の違いはなんやねん。都合良子ちゃんか?という気持ち

 

異能青春ものとしてある程度の出来の良さは担保しつつ、異能の部分がホラー調であったがゆえにそこが微妙だったので点を引かざるを得ないという悲しきモンスター

あとはアイドル映画からしょうがないけど演技回りがね……まぁここは元から20点ひいてるからいいんだけども。

ここ数年の日本ホラー映画だったらミンナノウタ、きさらぎ駅Reに続いてよかったかな。

アマプラに来てたのであんま怖くない日本ホラー映画見たいなって人におすすめ

Permalink |記事への反応(2) | 15:31

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2025-08-30

俺に足りないものって何だろう

ブルース…?

Permalink |記事への反応(0) | 19:15

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2025-08-18

身長ホビットは女が男の身長社会的評価無視してちん○と顔のみ注視される世界を望んでるが

無理だろそんなの

戦後横浜の闇を描いた山崎洋子天使ブルースを歌う」の冒頭のシーン

エディ藩のライブを見た著者の感想が初っ端から身長175〜176cmくらいか

50代のブヨブヨに太ったおっさんですら初対面の女から一方的に「あっあの人身長175cmはあるわね🤗」と値踏みされるのが現実

https://anond.hatelabo.jp/20250816182909

Permalink |記事への反応(2) | 10:57

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2025-08-06

anond:20250804235546

ジュマンジが好きならマスクとかインディージョーンズシリーズとか

あと、ゴーストバスターズとかブルースブラザーズとかメンインブラックとかスピードとか

Permalink |記事への反応(0) | 10:21

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2025-08-05

anond:20250804235546

ダイハード123とか良かったと思う。ブルースウィリスさすが。

沈黙の戦艦とかスティーブセガール若い時のシリーズも見やすい。

フォレストガンプが出ていたけどトムハンクスが出ている映画は大体わかりやすくて見やすい。

インドの「きっとうまくいく」とかも長い割に見やすかった。

Permalink |記事への反応(0) | 20:34

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anond:20250804171112

  1. 消えた臨急
  2. 大空の恐怖
  3. バスカヴィル家の犬
  4. 瀕死探偵
  5. 空き家冒険
  6. 最後事件
  7. ブルースパーティントン設計図
  8. ルンバーの謎
  9. 時計だらけの男
  10. ボヘミアの醜聞

Permalink |記事への反応(0) | 17:45

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anond:20250804171112

君主論とか、孫氏の兵法とか面白いと思う。

フィクション小説ではないけど。

フィクションなら、シェイクスピアマクベス面白いかも。

推理小説なら、ホームズ赤毛連盟とか、ノーウッドの建築業者、ブルースパーティントンの設計書あたりが好き。

Permalink |記事への反応(0) | 16:07

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2025-07-29

anond:20250728222004

カノン進行とか日本独自文化だよな。

海外ミュージシャンからすれば日本歌謡曲コード進行が複雑すぎると思われてる。

海外名曲と呼ばれる曲の中には2コードしか出てこないものも珍しくないし

アホほど演奏されてるブルースなんて基本3コードだ。

カノン進行って呼び名のもの日本独自文化だし、

型にハマりやすいのもいかにも日本って感じがする。

問題なのはこのコード進行なら間違いないって手抜きに使われてること。

判を押したようにどれもこれも似たような曲なのはこのせいだ。

DTMボカロ文化音楽的なセンスや才能のない一般人が参入してきたのも

この傾向を加速させてる問題の一つ。

おそらく今後日本でまともな作曲家ミュージシャンは出てこないだろう。

アニメドラマタイアップ再生数さえ稼げれば一流扱い。

音楽番組と称してダンスパフォーマンス中心で

歌えば音程しまくりのガキばかり。

趣味の細分化とかそんな次元じゃなくもう終わってるのかもしれない。

Permalink |記事への反応(1) | 14:26

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2025-07-06

anond:20250706092118

朝目が覚めたら死ね なんとなく生きてたお前死ね

明日もきっと死ね ダラダラ生きるだろ死ね

あんなに空が綺麗に青く澄んでるというのに

何かが足りないよ死ね 何かが欲しくて死ね

走ってみるんだ死ね夜明けの街一人

一番星から~ 輝いているのさ死ね

豚が西向きゃ~しっちゃかひっちゃか…

朝日を追いかけ夕日~しっちゃかひっちゃか…

泣きたい涙も何処かに消えた~しっちゃかひっちゃか…

天国探して地獄を見つけた

死ねブルース

煙が苦いよ死ね人生甘すぎる死ね

心が寒い死ねよ 世の中暑い死ね

タコの足10イカと間違えちゃう死ね

男と女ちょっとの違いで死ね どして揉めるの死ね

たかバスト90ウエスト90ヒップ90 ただのドラム缶死ね

怒るのに疲れた死ね 泣くのに疲れた死ね

笑うのに疲れた死ね 喋るのに疲れた死ね

歌うのに疲れた死ね

Permalink |記事への反応(0) | 09:27

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2025-07-03

Windowsブルーススプリングスティーン

Permalink |記事への反応(0) | 23:57

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選択夫婦別姓制度をめぐるメモ

選択夫婦別姓制度をめぐる議論が盛んである

ChatGPTと哲学的議論したところ、思いがけず興味深い展開になったのでメモっておく。

選択夫婦別姓議論は、単なる法律修正にとどまらず、私たち「家族」や「個人」、「自由」についてどのように理解し、どのように他者と共に生きていくのかという、深い倫理的問いを私たちに突きつけている。これは、制度の整備によって個人自由拡張することを目指しつつも、そのことによって新たな葛藤排除が生まれうるという、自由のものの逆説的性格に由来する問題である日本においては、明治期以降、戸籍制度の下で夫婦は同姓とされてきた。それは「家」を単位とする社会制度の表れであり、制度に従うことは“当たり前”とされていた。戦後民法は大きく改正されたが、戸籍構造根本的には変わらず、「1戸籍=1氏」の原則が続いている。この形式一見中立に見えても、現代社会においては多様な家族形態女性社会進出国際結婚の増加などに対応しきれておらず、「選択夫婦別姓」への要望が強まっている。

一方で、反対の声も根強い。その中には、「戸籍制度一貫性が失われる」「家族の一体感が損なわれる」「子どもの姓をめぐる混乱が起こる」などの制度的・情緒的な懸念がある。とくに、「一つの戸籍なかに複数の姓が存在すること」への違和感は、「家族とは何か」という問いと直結している。反対派の主張として説得的だと思えるのは、制度改正にかかる行政コストが得られる利益に比して高すぎるとの主張である

選択夫婦別姓制度における「自由」と「コスト

ただ、こうした議論のなかで、見過ごされがちなもう一つの問題がある。それは、「選択的」であることが、すべての人にとって自由であるとは限らないという逆説である改革に伴い、精神史的あるいは文化的意味で目に見えない傷を残すことになりかねないことに気が付いた。これはもうひとつコスト問題といえるだろう。

選択肢が増えることは、確かに一部の人にとっては歓迎される。しかし、これまで「自明なこと」として受け入れてきた選択しか知らない人にとっては、「選ばないこと」すら“選んだこと”として扱われるようになる。その結果、「なぜあなたは同姓を選んだのか」と問われること自体が、新たなプレッシャー説明責任となり、無言のうちに選ばれていた価値観を「語らされる」状況が生まれる。

W・ベックは「リスク社会」のなかで、近代社会における制度技術の発展が新たなリスクを生み出し、個人がそのリスク自己責任管理選択することを求められる状況を「第二の近代」と呼んだ。家族制度の再編や個人化の進行は、まさにその一端であり、個々人が従来の慣習に頼ることなく、「選択しなければならない自由」のなかに放り込まれている。

選択夫婦別姓制度も、こうしたリスク社会における制度の一つと見なせる。個人自由の拡大は、必ずしも解放ではなく、「選ばなかった理由を問われる不安」や「所属根拠を失う不安」といった新たな社会リスクを伴う。それゆえ制度設計においては、ベックの言うような“制度化された個人化”が生む影の部分——すなわち、自由責任の過剰な個人化による孤立不安——をも視野に入れる必要がある。

自明性の喪失」がもたらすアイデンティティ不安

この現象は、韓国2008年に導入された「個人単位戸籍制度家族関係登録簿制度)」の議論にも通じる。韓国では長らく「戸主制度」が存在し、家父長制的家族観が法制度にも深く根を下ろしていた。2000年代に入り、女性団体や若年層から批判を背景に、家制度的枠組みを廃止し、個人単位とする新たな制度へと移行した。しかし、それによってすぐにジェンダー平等が達成されたわけではない。

しろ制度改革後に見られたのは、「選べる自由」が広がった一方で、「選ぶことを求められることの重さ」が可視化されたこである。これまでの夫婦同姓制度では、「姓は変えるもの(主に女性が)」という文化が、慣習として“疑いなく受け入れられていた。

ところが選択肢が生まれると、たとえ同姓にしたとしても、「それは自分意思か?」「配偶者強制されたのでは?」「女として主体性があるのか?」という「選択の真偽」を問う視線生まれる。これは日常選択に、政治性と倫理的自己確認を持ち込む構造でもある。

たとえば、韓国の若年層においては、恋愛結婚出産の三つを放棄する“Sampo世代(三抛世代)”という言葉流行し、さら結婚出産恋愛に加え、家族男性との関係異性愛自体拒否する「4B運動非婚・非出産・非恋愛・非性愛)」が広がった。これらは、制度改革の先にある、よりラディカルな文化的実践であり、「選択肢があること」そのものに抗する自己防衛的な態度とも言える。4B運動担い手たちは、単に従来のジェンダー規範拒否するのではなく、「社会的な所属関係」そのもの解体する動きを見せている。たとえば、4B参加者たちは、「家族説明しなくていいから、恋人もいらない」「自分の性を自分管理する」といった語りをSNSで共有し、連帯承認を得ている。ここには、制度の外にとどまることによってむしろ自己尊厳を保つという新たな主体性表現がある。ベックのいう「選択強制」への拒絶反応韓国社会でこうした形で現れているのは興味深い。

沈黙する自由」のジレンマ

こうした言語化をめぐる現象は、日本ではすでに1970年代から表現としての萌芽が見られた。たとえば中川五郎の《主婦ブルース》(1969年)は、まさに「沈黙自由」と「自明性のなかに生きることの苦しさ」を逆説的に描いたフォークソングである選択自由すら与えられず、「女とはこういうもの」として役割に組み込まれ存在叫びが、ブルースという形式で“語られる”ことによって、沈黙が破られるという構造になっている。中川五郎の歌は、現代フェミニズム運動文化的系譜のなかで、語られなかったものを語ることで、社会の“自明性”を暴き出した初期の詩的実践と見ることができる。

一方で、この作品は、主婦という存在社会的変革の外側に置かれ、家の中で沈黙していること自体が、政治意味を持つという問題を描き出している。作品中の主婦は、学生運動に参加する息子から沈黙共犯だ」と責められるが、自らの言葉で「家庭が一番」「まじめに生きるのには疲れたわ」と語り返す歌詞がある。息子の視点は、60年代70年代左派運動ベトナム反戦学生運動階級闘争)の倫理に基づいている。「沈黙共犯」とはサルトル実存主義倫理象徴する言葉だ。

「まじめに生きるのには疲れたわ」という母の言葉に現れるのは、正しさからの逃走である政治主体でもない、声高に抗議しない、けれども一日を必死に生きる――そういう「声なき多数者のリアリティである。この「疲労言葉」は、政治正義言葉ではすくい取れない主体感情的深度を表しており、母として、女性として、主婦として生きる複雑な立場が凝縮されている。ここで描かれる沈黙は、単なる服従無知ではない。むしろ言葉を発することに慎重であるがゆえに沈黙を選び、その沈黙をもって自己尊厳日常を守ろうとする姿勢である。この沈黙には、語らないことによってしか保てない尊厳と、自己存在の最終的な防衛線が込められている。

しかし、「語らないことを自分意思で選ぶこと」を歌を通じて語るところに沈黙自由ジレンマがある。

このような表現は、フェミニズム文脈においてしばしば見落とされがちな、語らない主体論理可視化する重要な契機となる。また、このような「語らないこと」の倫理は、寺山修司詩作にも見られる。たとえば阿部定事件主題にした作品群では、語られすぎた欲望暴力物語の外側に、語られないままの沈黙が配置される。寺山にとって、語ることによって自己が立ち上がるのではなく、語らないことによってこそ輪郭を与えられる主体存在するという逆説が重要であった。とりわけ彼の詩や戯曲に描かれる女性像(娼婦、母、乙女)は、しばしば制度の外に佇み、語られずにいることによって、むしろ社会暴力性を照らし出す存在として描かれる。

沈黙のうちに自己選択を成立させる女性の姿は、語ること・主張することを通じて自我を立ち上げてきたフェミニズムの流れとは一線を画しながらも、それを内側から補完しうるもう一つの可能性として位置づけられる。《主婦ブルース》と寺山修司詩作は、「語らなければ存在しない」という制度圧力に対し、「語らないままに存在し続ける」ことが、制度に対する対抗的な主体性のあり方となりうることを提示していた。

この観点から見ると、制度設計においては、「語る自由」と同様に「語らない自由」「沈黙する権利」をいか尊重するかが問われることになる。

他者との関係において自我がどのように成立しうるか

このような非対称性問題は、他者との関係において自我がどのように成立しうるかという哲学的問いへと接続される。具体的には、制度によって「語らないこと」が許容されるべきかどうか、また沈黙する者をいか制度の中で位置づけるかという課題が生じる。

ここで参照されるべきは、社会学者チャールズティリーが論じた「カテゴリー的不平等(categorical inequality)」の概念であるティリーによれば、社会制度はしばしば人々を特定カテゴリーに分類し、その分類を通じて資源権利へのアクセス構造的な差異をもたらす。選択夫婦別姓制度をめぐる議論においても、「姓を選ぶ/選ばない」という区分制度的に固定化されると、それ自体が新たな社会境界を生む可能性がある。たとえば、同姓を選んだ者が「伝統を守る保守的立場」とされ、別姓を選んだ者が「変革的/進歩的」な立場と見なされるなど、個人選択無意識のうちに政治的・文化的ラベリングを受ける事態が生じる。これは、選択自由があるからこそ、逆に選択内容が新たなアイデンティティ指標となり、当人意思とは無関係社会評価区分根拠とされるという新たな境界である。そのため、制度設計には、カテゴリー化の力学が生む潜在的排除不利益への慎重な配慮が求められる。

こうした哲学的社会構造的な視点を踏まえたとき制度は単に選択肢を増やすだけでなく、語らない自由沈黙をも制度内に位置づける必要がある。ここから先は、倫理制度交差点において、いかにして沈黙や非選択尊重うるかという、より深い次元議論となる。

まず、レヴィナスは『全体性無限』において、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がると主張した。そこには、相互的なやり取りが前提ではない、倫理の根源的な非対称性がある。つまり、語られない他者沈黙に対しても、応答を要請される私たち姿勢倫理の出発点であるとされるのである。こうした観点は、他者沈黙承認する制度設計必要性と深く響き合う。

次に、ルイ・アルチュセールの「呼びかけ(interpellation)」論もここで参照されうる。アルチュセールによれば、個人国家装置制度的言説によって無意識のうちに「呼びかけ」られ、主体として構築される。つまり、たとえ沈黙していたとしても、制度文脈の中ではすでに何らかの立場を“呼び出されている”のだとされる。この点においても、制度に対する無言の従属を単なる自由意思として解釈することには注意が必要である

その一方で、他者承認を通じて自己意識が形成されるという構造を体系的に提示したのが、ヘーゲルの「相互承認」の思想であるヘーゲルは『精神現象学』において、自己意識が確立するためには他者から承認必要とするが、その承認一方的では成立せず、双方が自己表現しあう関係の中でのみ可能であると論じた。この相互承認は、対等な他者関係における自己確立を前提とする点で、自由平等理念哲学的に基礎づける重要モデルである

しかし、現代社会においては「自己を語らない」ことでしか自らの尊厳を保てない人びとも存在する。そのような状況では、ヘーゲル的な相互承認モデルでは十分に説明しきれない現実がある。むしろ、語らない他者沈黙をもそのまま承認し、語る/語られる関係から降りる自由までも包摂する必要がある。このときヘーゲルの構図はむしろ出発点として捉え直されるべきであり、「語らないことを承認する」ための制度想像力は、まさにそこから展開されねばならない。

これら四人の思想家が示唆するのは、制度主体関係性における多層的な緊張であるティリーが指摘した「カテゴリー化」の力学は、制度いかにして人々の行動範囲構造的に規定するかを示し、レヴィナスはその構造を超えて、倫理は常に非対称な他者関係から始まると主張する。アルチュセールは、制度的言説によって主体無意識に構築されてしまメカニズムを暴き、ヘーゲル承認関係対称性を通じて自由の実現を構想した。それぞれの理論は、一面的には矛盾しあうようにも見えるが、選択夫婦別姓制度をめぐる今日の状況においては、むしろ互いに補完的である。すなわち、制度個人いかに分類し、語らせようとするか(ティリーアルチュセール)を見抜きつつ、語られない者との関係倫理を見出す視点レヴィナス)と、語りの対称性に基づく自由モデルヘーゲル)を柔軟に組み合わせることで、私たちは初めて、「語ること」と「語らないこと」がともに尊重される制度設計可能性を構想することができる。

理屈はそうだ。しか果たして、語らない自由保障制度設計に組み込めるだろうか。社会における和解を考えたとき制度の再設計ではなく、制度外の深慮が求められるのではないか伝統・習慣との調和を目指したE・バークのような保守の考え方のほうが示唆的だ。また、文学的まなざし有効な力になるだろう。

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2025-06-26

日本にとっての戦後アメリカって何だったんだろうって思うけど、音楽好きとしては「文化をもたらしたもの」という側面は無視できない

日本終戦前後に生まれた人たちが、アメリカ基地の近くに住んでいて米軍ラジオから流れる音楽で開眼したとか、家族米軍基地に出入りしていて彼らの文化に触れたとか、米軍基地演奏して技術を高めたとか、そういうミュージシャンの話はめちゃくちゃ多い

何より、ブルースジャズR&Bファンクロックンロールヒップホップ…などなどの音楽ジャンルのもの開拓したのはアメリカミュージシャン

文化を生み出した巨大な功績があるのは事実なんだよなぁ

Permalink |記事への反応(0) | 06:48

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2025-06-19

マンガ業界最近思うこと

ヤングマガジン

ジェネリック喧嘩稼業を作ろうとしている。

原作自殺したサツドウ、原作変えて現在連載中の暴力万歳ジェネリック感が増している。

作画担当は絵が上手くなった。

ジェネリックよりも本家をもってこい。

下品三銃士彼岸島、サタノファニ、パラレルパラダイス)が読者を置いてけぼりにしてでも独自ワールドを突っ走ったのに対し、ゴールデンドロップ満州アヘンスクワッドはおきれいな裏社会バトルやってるのが許せねぇ。

とはいえヤンマガはお下品育成能力が高い。

平成敗残兵すみれちゃんには期待しているがお下品過ぎて目を背けてしまう。

ONE FOR ALLWebに放逐したのは許さんぞ。

ジャンプ

藤本タツキを作ろうとしている。

タツキの作家性、独自性というのは確かに存在しているが、一般的タツキの作風とされている部分の多くが編集部アシスタント由来だったのではないか

薄いタツキ成分を持った新人が増えて本家タツキも薄い展開ばっか書き続けている。

煮詰めて欲しい。

アスラの沙汰、時間神様殺人(もしくはそれに類似した行為)で警察に追われる展開を同じ曜日に持ってくるのは、当たる要素を連打したほうがヒットしやすいと考えていそう。

連打した野球は概ね成功しているが他ではどうなるか。

ゴーストフィクサーズ、マーシャルキングの二人はヒット作家からある程度の裁量権を与えられてそうだが、サンキューピッチ野球文明エイリアンは題材指定されてそう。

新人発掘能力は大したものだが育成能力カスなんじゃないかと疑っている。

折出てくる子供が書いたみたいな妄想展開+誤字脱字だらけの漫画編集者が敢えて炎上作品を仕込んでいるんじゃないかと思っている。

古くは誰が賢者を殺したかがあったが、あの作者達は筆を折ったのだろうか。

神様、キサマを殺したい。とか第年秒(マグメルは中国裁判になってるらしい)とかどーなってんの。

ジャンプ

ワンピースのお遊戯展開は早くなんとかして欲しい。

週刊カグラバチでいいです。

マガジン

黙示録の四騎士もお遊戯展開をなんとかして欲しい。

敵と戦え!

青のミブロは爽やか青春活劇からどうやって身内で殺し合う新選組へ移行するのかと思ったがシームレスに来ててイマイチ馴染まない。

灰仭巫覡の投げるボールは何処までも遠く飛んでいくので僕達は地平線まで走る羽目になっている。

マンガワン

週刊サンドロビッチ・ヤバ子になりつつある。

おっさん趣味女の子やらせると面白いという時流からマッチョな女が面白いに先鋭化している。

常人仮面、裏バイトベースボールブルース、雷雷雷、ミハル戦場COSMOS、アフターゴッドは宣伝力不足じゃないか

もっと売り込んでくれ。

語りたいことは山ほどあったが最近風の大地ライフを吸われている。

沖田ァ~ァッ!

チャンピオン

乱破ヤンキー忍風帖〜が新世代のヤンキー漫画って感じで面白い

全然話題にならないけどもっと話題になって良いんじゃないか

加瀬あつしと別方向に進んだヤンキー漫画進化を感じる。

同じくヤンキー漫画タイムリープ面白かったナインピークスをWebに放逐したのは許さんぞ。

関係ないけど髙橋ヒロシWikipedia、作者情報ほとんどないのは何かあるのか。

ヤンキー漫画って現在不遇だけど少年漫画少女漫画架け橋として頑張ってほしい。

サンデー

よふかしのうたやってた頃のサンデー黄金期超えて金剛期だったが最近陰り気味。

不滅のあなたへが好きだったが終わり方は尻切れトンボだった。

龍と苺のエクストラ展開はかなりぶっ飛んでいたが今のところいい感じ。

藤田島本のいちゃいちゃは個人的に好きじゃないのと自己パロディに陥っている感があるのでなんとかして欲しい。

自分ニュートラル視点で見られるように頑張る。

Permalink |記事への反応(2) | 09:43

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